●リプレイ本文
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「‥がひどいことされて、裏の林で‥そう云ったか、坊は」
静かな、しかし牙をひそめた声音で木野崎滋(ec4348)は呟いた。胸元から覗く牡丹の刺青がさらに紅の色を増したように見えるのは気のせいか。
ああ、と肯いたのは褐色の肢体をもった野性味を備えた娘だ。名は百鬼白蓮(ec4859)。忍びである。
白蓮は続けた。
「優しい、そして哀しい瞳の坊主だった」
白蓮の脳裏に銀平の姿が蘇った。寂しげな背が。
十三ほどの年頃に見えた。それが人を殺す。幼き胸にあるのは闇か炎か。
「哀れな」
「成程」
氷の瞳を蒼く光らせ、滋はまたも呟いた。
それで得心がいく。何もかも。
又五郎が乱暴を働いた娘――沙季がおそらくは銀平のいう姉ちゃんであろう。姉というからには銀平は弟、それでなくともよほど仲の良い知り合いというところか。
銀平はその沙季の復讐のために又五郎達に戦いを挑んだ。たった十三ほどの少年が、だ。
哀れなり、沙季。哀れなり、銀平。
「世が悪いと思いたくはないのですが」
陸潤信(ea1170)の口から鉛の重さの溜息がもれた。
外道が罷り通る。そんな世があってはならぬ。が、現に弱き者が虐げられ、悪しき者が大手を振って歩いている。
潤信はじっと己の拳を見つめた。
我が拳を悪を打ち砕くためのもの。そう潤信は思っていた。
が、此度、その拳をむけるのは哀しき者になりそうであった。
「俺はな、しかし嬉しくも思っている」
木漏れ日に似た微笑をうかべ、尾上彬(eb8664)は云った。
「嬉しい?」
「ああ。子供が仇討ち。莫迦ではあるが、しかし俺は思うのさ。そんな莫迦なガキがいるんなんざ、世の中もまんざら捨てたもんじゃないとな」
「でも」
白井鈴(ea4026)が首を振った。潤んだその瞳は海のよう。優しき導き手は云った。
「やっぱり子供達には幸せになってほしい。銀平くんの気持ちわからなくはないけどね」
「が、このままではすむまい」
ひやりとする声音。
カノン・リュフトヒェン(ea9689)。まるで人形のように美しく、無機質な娘は口をゆがめた。
「故に私達が雇われた。悪とわかっている者に手を貸さねばならないとは皮肉なことだ」
「まんざら嫌がっているようには見えないんだけど」
妖しく笑ってみせたのは伏見鎮葉(ec5421)だ。ちらりと艶のある視線をカノンに投げると、
「むしろ喜んでいるように見える」
「まあな」
答えるカノンの声音には相変わらず表情はない。が、その硬玉のような瞳の中に燃えているのは真紅の炎だ。
カノンは鎮葉を見返すと、
「娘の未来と純潔を奪った連中の雇われになるのは気にくわない。が、ものは考えようだ。私達なればこそやりようもある。ただで終わらせるつもりはない」
「そうね」
鎮葉が髪を払った。金色の光がはねる。闇を斬るように。
鎮葉の朱唇の端がつっと吊り上がった。
笑み。麗しく、そして危険な。例えて云えば薔薇の棘か。
「女としてはこういう連中に擦り寄ってくのは好きじゃないんだけどね。でもま、冒険者として動いてないのは私くらいのもんだし、頑張りましょーか」
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駿河、蒲原宿。
権十郎一家のもとにむかったのは前回と同じ潤信、カノン、滋の三人であった。
「よく来てくれた」
凶猛そうな面つきの男が三人を奥座敷でむかえた。権十郎である。
その権十郎に寄り添うように座している娘が一人あった。
ぞくりとするほど色香の滴り落ちる娘。鎮葉であった。
「ところで」
滋は醒めた眼をむけた。
「下手人を誘き出すとのことだが。下手人の見当はついているということなのか」
「まあな」
権十郎は短く答えた。どうやら本心をもらすつもりはないようだ。が、それは想定の範囲内であった。
権十郎の爬虫に似た眼の光から、滋は権十郎が彼女達を信用していないことを看破した。
「では下手人を教えてもらおう。私達にも用意というものがある」
「まあ、慌てるな」
権十郎はニンマリした。
「下手人が現れるのは今夜だ。それまでゆっくりしていてくれ」
「それはよいのですが」
潤信が口を開いた。かたいが、耳に心地よい声で、確かめておきたいことがある、と続けた。
「誘き出す手段です。下手人をどのようにして誘き出すのですか」
「そんなことはおめえらの知ったこっちゃねえ。おめえらは、ただ誘き出されてきた野郎を殺りゃあいいんだ」
「野郎、か」
カノンの眼が微かに動いた。
「つまりは下手人は男ということだな」
「なっ」
権十郎が息をひいた。顔をどす黒く染める。
「て、てめえ」
「では」
知らぬ顔でカノンが立ち上がった。
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「ここだよ」
八歳ほどの童が指差した。
宿の中心からやや外れた長屋のひとつ。銀平の住居だ。
「すまぬな」
白蓮が礼を述べると、童は走り去っていった。
先ほどまで白蓮は童達に手品を披露していたのだが、その童の中に一人、銀平を知る者がいたのだ。そして、その童の案内をうけてここにたどり着いたというわけだった。
「ごめん」
白蓮は声をかけた。返答はない。
白蓮は周囲の気配を探った。
「どうやら飯綱衆はおらぬようだが」
白蓮は戸を開けた。
とたん、埃のまじった湿っぽい空気が白蓮の顔をうった。
とまった息。この家はしばらく前から呼吸してはおらぬ。
「やはり身を隠しているか」
白蓮は唇を噛んだ。
その半顔を傾きかけた陽光が白く染めている。残された時はわずかであった。
茶店の奥で、一人の巨漢がぽつりと呟きをもらした。
「‥‥銀平の行方は知れず、か」
宿奈芳純(eb5475)である。
が、これはどういうことか。芳純のいる茶店は白蓮から数里離れたところにある。それなのに芳純は銀平のことを知っている。
驚くべし。芳純の心の声は数里の距離すら一瞬にして跳ぶのであった。
「では他の方々にお伝えするか」
再び芳純は瞑目した。
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滋の白く細い指が妖蛇のように這った。乳首をつまむと又五郎の口から呻きに似た声がもれる。
そこは又五郎の馴染みの出会い茶屋であった。滋が抱いてほしいとせがみ、人目を忍ぶためにここにしけこんだというわけだ。
渡世の義理と色、どちらに重きをおくかと試してみたが、又五郎という男、実につまらぬ存在であった。か弱き女を陵辱するだけあって、頭の中は獣並だ。いや、獣以下というべきか。
と――滋は吐き捨てる思いを抱いていたのであるが、ある意味、これは仕方のないことであるのかもしれぬ。
本人にそれほど意識はないが、本当のところ、滋はとんでもなく美しいのである。その高嶺の花を又五郎のような品性下劣な男が放っておくはずがなかった。
滋の濡れた唇が開き、花の香りのする吐息が匂った。それが又五郎の限界であった。
いきなり又五郎が滋の唇にむしゃぶりついた。舌を差し入れ、滋のそれにからめる。又五郎の唾液を嚥下し、滋も応じた。
それに触発されたか、又五郎が滋の懐に手を差し込んだ。溶けるように柔らかで、それでいて張りのある乳房をもみしだく。さすがにたまらず滋の口から小さな喘ぎ声がもれた。
「ちょっと待って」
又五郎の手が着物の裾を割った時、滋が濡れた眼をあげた。
「他の女にもこんなことをしたの?」
「まあな」
又五郎は野良犬の笑みをうかべると、
「が、おめえほど惚れた女はいねえ」
「ほんと?」
「本当さ。この前犯った女もけっこう美人だったがおめえほどじゃねえ」
「嘘。その女性とも付き合ってるんでしょ」
「妬いてるのか。ふふん。心配はいらねえよ。その女はもう死んじまったからな」
「死んだ?」
「ああ。ちょっと遊んでやったんだがな。それを苦にしたようで自害しちまいやがった。馬鹿な女さ」
「そう。本当に馬鹿な娘だな、沙季は」
蕩けた滋の声に刃の冷たさが滲んだ。
「お、おめえ」
かっと又五郎が眼を見開いた。
「ど、どうして沙季のこと――」
皆まで又五郎は言葉を発することはできなかった。滋の手が又五郎のそれを捻りあげたからである。
滋はじろりと又五郎を見下ろした。
「沙季は本当に馬鹿だ。貴様のような獣に犯されたとて、それは野良犬にかまれたようなもの。死ぬほどのことはなかったのだ。しかし貴様だけは許せぬ。吐いてもらうぞ、すべてを。吐かねば銀平の手を待つまでもない。私が引導をわたしてくれる」
「ぬ、ぬかせ。野郎ども!」
又五郎が喚いた。
次の瞬間だ。地響きに似た音がした。控えさせていた子分どもに違いない。
「へっ、殺られちまえ」
「そうかな」
滋が答えた時だ。響いていた足音がやんだ。
「で、あろう」
滋がニヤリとした。すると障子戸がすらりと開いた。覗いた顔は――おお、鈴だ。
鈴は遊びを終えた子供のようににこりとすると、
「子分達は片付けたよ。飯綱衆と比べると全然たいしたことないね」
茶店の奥で芳純の眼がゆらりと開いた。
「‥‥なるほど。沙季の弟、庄太を拉致し、銀平を誘き出す餌としたか。が、その庄太の居所がわからぬでは」
伏見殿、と芳純は胸の内で呼びかけた。
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権十郎一家。
奥座敷。
人をはらったそこで、二人の男女がからみあっていた。権十郎と鎮葉であるが――
権十郎は死んだようにぐったりとしていた。
別に二人は情をかわしたわけではない。鎮葉はほんの少し手と口で愛撫を加えただけである。たったそれだけで権十郎は果てていた。
恐るべし、鎮葉の手技口技。それはすでに妖術の域にあった。
鎮葉は権十郎の股間に顔を埋めると、ぬらりとした舌をのばした。
「あんたの情婦になったんだから教えてよ。冒険者を使って下手人を始末するんでしょ。きっと下手人を誘き出す餌があるはず」
「そ、それは‥‥」
権十郎は再び果てた。同時にある場所の名を告げた。
刹那である。天上にはりついていた影が蝙蝠のように舞い降りてきた。
「下衆が」
どっかと人影――彬は権十郎の胸を踏みつけた。みきりと音をたててあばらが砕けたが知ったことではない。
彬は足にさらに力を込めると権十郎の顔面に依頼料である金子を叩きつけた。
「貴様の思い通りにはさせぬ」
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「あれが庄太か」
闇の中にひそむ芳純の眼が光った。
彼が見つめているのは蒲原宿はずれの家屋である。呪眼を得た彼の眼は家屋内部を透視できるのであった。
他に三人の男の姿も見える。権十郎の子分どもであろう。
「ゆくぞ」
彬が立ち上がった。音もなく家屋に忍び寄る。それを見届け、ゆっくりと芳純はスリープの呪を唱えはじめた。
刹那だ。灼熱の激痛が芳純の胸にはしった。
それが心臓を刺し貫いた刃の仕業と知り、芳純は血走った眼をあげた。
「お、おまえは」
「飯綱衆、道安」
禿頭の男がニヤリとした。
「ううぬ」
芳純は歯噛みし、己の失策を悟った。
飯綱衆を警戒し、身を潜め続けていた芳純であったが、エックスレイビジョン使用のために近づきすぎた。隠身の技術のない芳純を飯綱衆が見逃すはずはなかったのである。
刃で心臓を抉って芳純のとどめを刺し――道安は飛び退った。殺気とともに迫る者がある。彬だ。
「ええいっ」
道安の手から手裏剣が飛んだ。それを顔面にかざした腕でわざと受け止めると、彬は一気に間合いを詰めた。
「くはっ」
道安の口から黒血が噴いた。彬の左手に握られた細身の短刀が道安の胸を貫いている。威力の小さい短刀とはいえ、急所を突かれてはひとたまりもなかった。
道安を始末し、芳純の死を確かめると、彬は家屋にむかった。
彬の手にかかればやくざの数人などどうということもない。子分どもを春花の術で眠らせると、彬は難なく庄太を救出した。
「銀平は知ってるな? 友たる男なら、一緒に来てくれないか。奴を止めるために」
「‥‥」
庄太は無言で彬を見返した。その眼に怯えがある。無理もない。十ほどの童がやくざ者に拉致監禁されていたのだから。
が、庄太は紛れもなく男であり、銀平の友であった。
「うん」
こくりと庄太は肯いた。
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闇の中に人影が浮かび上がった。
闇すら見通す白蓮にはわかる。銀平だ。
「銀平」
白蓮が呼んだ。すると人影はぴたりと立ち止まった。
「お前は‥‥。やっぱり又五郎の仲間だったんだな」
「違う」
白蓮はかぶりを振ると、すっと横に動いた。背後に立っていたのは庄太だ。
「庄太を助け出した。もう復讐などはやめるんだ」
「そうだよ」
鈴が真っ直ぐな眼を銀平にむけた。
「復讐なんかしたって絶対にいいことなんかない。復讐は次の復讐を生み出すことがほとんどだもん」
「これを」
鎮葉が数枚の紙片を掲げて見せた。
「権十郎の悪事の証文よ。これで権十郎達は裁かれることになるわ」
「うるさい!」
銀平が叫んだ。
その身が燃えている。いや、銀平の背後に現出した炎龍が紅蓮の炎をまとっているのだ。
「奉行所に何ができる? 沙季姉ちゃんは死んじゃったんだぞ! 奴らはその罪を償わなくちゃならないんだ」
「が、それはお前のすることではない」
滋が云った。その瞳から滴るのは一筋の涙だ。
哀れであった。銀平も沙季も限りなく哀れであった。ならばこそこれ以上の不幸は断ち切らねばならぬ。
滋は云った。
「坊達が連中の為に己が手を汚すなど姉上は喜ばぬ」
「黙れ!」
「いいや、黙りません」
潤信が歩み出した。怯えたように銀平は後退ると、
「黒炎!」
叫んだ。
その瞬間である。潤信の眼前に炎の壁が現出した。
「あっ」
愕然たる声がもれた。銀平の口から。
潤信が炎の壁に足を踏み入れたのだ。炎に灼かれ、じりじりと潤信の身体が焦げている。それでも潤信は歩みをとめない。
やがて――
消し炭となった潤信が銀平の前に立った。そして殴った。拳に想いのありったけを込めて。
その一瞬後のことであった。ばたりと潤信が倒れた。
「グオォォォ」
黒炎と呼ばれた炎龍が潤信めがけて襲いかかった。
「待て」
銀平が絶叫した。黒炎の動きがとまった。
「何故トメル?」
「こ、この人を傷つけちゃいけない」
「炎の神よ」
聖夜のような声が響いた。カノンのものだ。
「銀平を解き放ってやってはくれまいか。見ただろう、人の悪を。愚かさを。が、同時に知ったはずだ。銀平の内にある優しさを。光を。銀平は――いや、人は正しき道を歩めるはずだ。躓き、迷いながらも。そうは思わないか」
「銀平」
眩い火柱がたった。銀平の背後に。もう一体の炎龍が現出したのだ。
「ドウヤラ帰ル時ガ来タヨウダ」
もう一体の炎龍が云った。
「白炎‥‥」
銀平が大きく首を振った。
「な、何云ってるんだ。どこかに行っちゃ嫌だよ」
「ダカラオ前ハガキダト云ウノダ」
今度は黒炎が云った。そして微笑んだ――ように見えた。
「モウオ前ハ一人デ歩イテユケルダロ。道標ハアル。ソレ、ソコニ」
黒炎は眼を、前のめりになって倒れた黒焦げの若者にむけた。
二体の炎神が空に飛び去ってしばらく経った時だ。富士が鳴動した。
時は満ちつつある。運命の時が。
全てを燃やし尽くさずにはおかぬ炎の中で、ゆっくりとソレは眼を覚ましつつあった。