●リプレイ本文
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ひとひら、ふたひら。
雪は舞い落ちている。
それは、あまりにも儚い。人の運命に似て。
見上げていた一人の男が哀しげに眼を伏せた。
「気の毒な話だが明智殿には余り多くの選択肢は残されておらぬだろうな。ヤマトタケルの招待に応じたたことが魔王に知られたかもしれぬとあっては」
男は呟いた。名を大蔵南洋(ec0244)。北条家家臣である。
「ジャパンのことわざでいう秘するが花、ね」
同じく雪を眺めていた娘が云った。透き通るような碧眼が印象的な娘である。名をアン・シュヴァリエ(ec0205)といった。
「花も雪も、ともに哀れなものですよ」
こたえるかのように男が口を開いた。
名をディディエ・ベルナール(eb8703)というのだが、見たところ三十をこえた年齢に見える。とはいえこの男、実は二十歳半ばなのであった。異様な落ち着きぶりである。
ディディエは苦笑しつつ、
「いやはやジャパンという国は奥が深い。魔王の手下は魔物と相場が決まってはいないのですね〜。ならば善は急げです。明智殿には気の毒ですが、話して分って頂ける可能性がある相手ならば頑張ってみるべきでしょう」
「しかし、ことは簡単には運ばねえぞ」
壁に背をもたせかけ、それまで瞑目していた男が眼を開いた。
端正といえなくもないが、それ以上に野性味に溢れた顔立ちをしている。木賊崔軌(ea0592)という。
「わかっていますよ」
貴族のように気品あふれる女が肯いた。煌く銀の髪がゆれる。
メイユ・ブリッド(eb5422)という名のクレリックは崔軌を見遣ると、
「仮にも相手は平織の名将。そう容易く説き伏せることができるとは思っていません」
「じゃねえよ」
崔軌はかぶりを振った。
「そりゃあもちろん明智を説き伏せることは至難さ。が、それ以前に厄介なことがある。敵のことだ」
云うと、崔軌は鬼道衆なる存在を告げた。
「鬼道衆?」
「ああ。第六天魔王の復活を目論んでいた連中さ。その鬼道衆の中に面倒な野郎がいやがる。霧隠才蔵っていう面倒な野郎がな」
「霧隠才蔵? 誰だ、そいつは」
問うたのは異国の若者であった。
クロウ・ブラックフェザー(ea2562)という名のイギリス人であるのだが、この男、尾張藩の武将である。異国人の身でありながら一藩の武将にまでのぼりつめたことからして、この男の端倪すべからざる実力は推し量れるが、しかし霧隠才蔵の名は知らなかった。
知っていたのは同じ尾張藩の武将であるネフィリム・フィルス(eb3503)という騎士である。
「真田の忍びさ。確か十勇士の一人だったはず」
「その十勇士の一人が何故鬼道衆のもとにいる?」
クロウが崔軌を見た。
「よくは知らねえが」
崔軌は前置きすると、
「才蔵は十勇士を抜けたらしい。魔物となってな」
「魔物?」
「ああ。文字通りの意味だ。魔物に転生してところを目撃した冒険者がいる」
「何ですって!?」
メイユが悲鳴に似た声をあげた。
悪魔の誘いにのるかのように人々の心が荒廃していることは知っている。が、まさか自ら望んで魔物に転生しようとする者がいるとは――。
ごくりと春咲花音(ec2108)は唾を飲み込んだ。向日葵に似たその笑みも、今の彼女にはない。
なんとなれば花音は女忍者であり、それ故に霧隠才蔵のことは知っているからだ。
いまだ相見えたことはないが、その噂のみは耳にしている。風魔小太郎や服部半蔵と並ぶ実力者。おそらくは全忍者中、最強の一人であろう。
その才蔵が魔物に転じた。ただでさえ恐るべき忍びの術者であるのに。
花音は仲間を見渡した。そして暗澹たる思いにとらわれた。
彼女の見るところ、才蔵を敵として太刀打ちできるのはネフィリムぐらいであろうか。そのネフィリムですら、まともに剣をとって才蔵がたちあったと仮定するならばである。
が、この場合、花音はにこりと微笑んだ。彼女のもつ不動の明るさはこのような場合においても色褪せることはなかったのである。
何とかなる。いや、何とかする。
花音は思った。そして手をのばしたのは腰の忍者刀風魔である。
と、何を思ったか、突如崔軌は立ち上がり、南洋に歩み寄った。
「大蔵の旦那」
「何だ」
南洋が眼をあげた。
「明智のことさ」
「明智? 明智がどうした」
「何とかしてやりてえ。あんた、早雲の家臣だろ。明智が独りで貧乏籤引かずに済む様に、ちと気ぃ回して貰えやしねえか」
「主殿にか」
南洋は腕を組んだ。
彼の主、北条早雲は何を考えているか読めぬところがある。優しいのか冷淡なのかよくわからぬのだ。
「わかった。ともかく書状をしたためよう」
「では私が早雲さんのもとに」
ディディエが好々爺のように笑った。
わずか後のことである。
ギルドから離れ、花音は京の通りのひとつを歩いていた。
「いらっしゃるんでしょう」
花音で足をとめた。ふふふ、と可笑しそうな声が響いたのはその直後だ。
「察しがいいじゃねえか」
男が立っていた。ニヤリと笑っている。
「風魔の方ね」
内心の動揺を隠しつつ、花音が問うた。
「冒険者の動向を窺っていると思っていたわ。かなりの腕前のようだけれど――風魔小太郎様かしら」
「違えよ。俺は童虎ってんだ」
「えっ」
花音の顔色がやや変わった。童虎と名乗る風魔忍者の気配は花音の優れた知覚をもってしてもとらえることができなかったのだ。
「あの‥‥風魔小太郎様にお会いしたのだけれど」
「さあて」
童虎が無遠慮に花音の肢体を眺め回した。涎を滴らせそうな顔つきだ。
「お頭は早雲様の側についている。会うのは無理だな」
「では伝えてくれる? 風魔一族に加わりたいって」
「ほう」
童虎はニタリとした。嬉しそうだ。
「仲間になりてえってか。おめえみたいな美形の女が仲間になってくれるのは願ったりかなったりだが――いいぜ。頭につなぎをつけておいてやる」
「ありがとう」
花音は頭をさげた。
「!」
再び頭を上げた時、花音は息をひいた。何時の間に消失したか、眼前に童虎の姿はなかった。
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冒険者がギルドに集った日の夕刻。
黄昏に染まる御所を一人の男が訪れた。ディディエである。
「北条早雲公――親王様の御意をえたいのですが」
云って、ディディエが差し出したものは南洋の書状である。
すぐさまディディエは御所内に通された。内心、ディディエは驚いている。早雲の影響力の強さに。
噂では神皇は早雲のことを兄のように慕っているらしい。どうやらそれは真実であるようだ。
そして――
ディディエは早雲と対面した。
「平織家と縁の深い冒険者の方々も協力して頂ける運びとなりそうです、はい。つきましては」
切り出しつつ、ディディエは眩しそうに眼を細めた。眼前の若者は、男の彼にとっても美しすぎた。
「危ない橋を渡られる光秀さんご本人の処遇、そして御身内はどのようになりましょうか、お聞かせいただきたいのですが」
「明智か。奴には死んでもらう」
事も無げに早雲は云い放った。愕然としてディディエは眼を瞠っている。
「それを光秀さんに伝えろと? それでは光秀さんは動きますまい」
「そうかな」
早雲の口辺に妖しい微笑がたゆたった。
「奴はやるさ。お前達のやり方次第だがな。神皇様のために死ぬことができる男を俺は選んだ」
「‥‥」
温厚であるはずのディディエの胸に怒りの炎が燃え上がった。かつて、彼はこれほど冷徹な男を見たことがなかった。
「では光秀さんに死ね、と」
「そうだ。死なねば奴の悪名は晴れぬ」
早雲は云った。その哀しみに満ちた語調にディディエは戸惑いの表情を浮かべた。
「悪名が晴れぬ?」
「ああ。どのような理由を並べようと、やはり光秀は謀反を起こすのだ。その悪名は生涯奴につきまとうだろう。あれほどの男にそれはあまりに惨い。だから死んだことにして一時奥州におちのびてもらう。悪路王とは話がついている。たとえ平織全軍でかかろうともびくともせんさ。その後、頃合をみて駿河にむかえる。別の名を用意してな。北条には五色備という精鋭部隊がある。もう一色くらい増えたとしてもどうということはないからな。もし北条が気にいらぬなら、そのまま平織にとどまるもいいだろう。市には俺から話をつけてやる」
「早雲公――」
ディディエの顔に穏やかな表情がもどった。彼は早雲の心底を見たと思ったのだ。
「これで心置きなくことにかかれます」
ディディエは深く頭をさげた。
わずか後、ディディエは御所を後にする。むかったのは聚楽第である。
「待て」
門衛がとめた。が、すぐさま姿勢をただし、門を開いた。早雲の書状をディディエが示したからである。
「さあて、敵の眼をひきつけられますか、どうか」
ほくそ笑むと、書状をディディエは懐にしまった。中身は――白紙であった。
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その日、京の平織屋敷を奇妙な一団が訪れた。
二人は冒険者である。
クロウとネフィリム。彼らは平織家家臣であるので問題ない。
問題は彼らが連れている者達であった。
煌びやかな着物をまとった女達。芸者であった。
さすがに門衛は顔色を変え、
「クロウ様、これは‥‥」
「市殿の気鬱を慰めるためさ。市殿は?」
「九州に。兵を率いられてむかわれました」
「そうか」
残念そうに肩をおとし、ややあってクロウは破顔した。
「せっかく用意した芸者を無駄にするのももったいない。宴でもひらこうか」
クロウは云った。
武将であるクロウはある程度の決定権がある。が、やはり京在住の家老の許しを得なければならないだろう。
「それでは明智様に」
「ほう。明智殿が」
クロウの眼がきらりと光った。
「では明智殿にお会いしよう」
平織屋敷を取り囲む土塀にもたれるようにして、二人の男女が抱擁していた。激しく口づけを交わす二人は、どうやら恋人同士のようだ。
と、男が唇をはなした。唾液が糸をひく。
「ともかくも宴まではもちこんだようだな」
男が囁いた。崔軌である。肯いた女は花音であった。
「問題は敵の見張りね」
花音が再び唇を重ねた。蕩けたようにしがみつく。が、その眼は油断なく周囲の様子をさぐっていた。
風魔の一忍である童虎ですら彼女には気配をとらえられなかったのである。おそらく霧隠才蔵は童虎の頭である風魔小太郎と同等の力をもっているだろう。細心の用心をして、果たして敵うか、どうか。
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白く、淡く。
降る雪を明智光秀が眺めたのは、宴がどれほど進んだ頃であったか。
「――明智殿」
突然声をかけられ、光秀は戸惑った顔をむけた。
声の主はクロウであった。銚子をもっている。
クロウは心配げに光秀の顔を覗き込むと、
「大丈夫?」
「い、いや、それがしは」
「駿河の宮から使いが来ている」
「!」
光秀の顔色が変わった。すぐさまクロウは芸者の一人を呼んだ。
「杏」
「はい」
立ち上がった黒曜石の瞳の娘である。
「明智殿がお酔いなされたようだ。別室で介抱して差し上げてくれ」
「わかりました」
少女のように微笑むと、杏と呼ばれた芸者は手をさしのべた。
「明智様、大丈夫ですか」
「酔ってはおらぬ」
光る眼で光秀は周囲に座す者を見渡した。
その眼が一点でとまる。茶人というふれこみで宴に参加していた男の顔の上で。
「貴殿、以前に会ったな」
光秀は云った。どのような方法で顔つきを変えたかはわからないが、まとわりつく雰囲気は確か――
(さすがは明智殿)
光秀の脳裏に声が響いた。魔道だな、と判断し、光秀は男を見つめた。
「確か大蔵――」
(お静かに)
男の声が再び光秀の脳裏で響いた。
(思念を凝らしていただければ大丈夫でござる。拙者、お察しの通り、北条家家臣、大蔵南洋。このようなまわりくどい手段でお会いしたのには理由がござる)
(理由? 理由とは)
光秀の身裡に殺気が満ちた。
仮にもここは平織屋敷。いってみれば南洋は曲者である。理由の如何では捨て置かぬつもりであった。
(平織虎長を討っていただきたい)
(な、何っ!?)
光秀が絶句した。反射的に腰に手をのばす。が、帯刀してはいない。
(落ち着いてください)
別の声が光秀の脳内で響いた。芸者に化けたメイユの発したものだ。
(神皇様――いいえ、ジャパンのため、第六天魔王を討っていただきたいのです)
(その話か。――虎長様を愚弄するならば、この光秀が黙ってはおらぬぞ)
(愚弄などしてはいません。本当のことなのです)
メイユはイザナミから聞いた話を伝えた。即ち、古の大戦。そして第六天魔王とそれを封じた天使――日本武尊のことを。
(馬鹿な。それが本当のこととして、何故虎長様を魔王と断じることができる?)
(我が主、北条早雲が日本武尊であるからでござる)
メイユに代わって南洋が答えた。
(早雲公が――日本武尊)
(左様。それは安倍晴明殿のみならず、おそれおおくも神皇陛下もお認めになったこと。疑いようもなき真実でござる。そしてまた、平織虎長を討つは神皇陛下もお許しになられたこと)
多少――いや、かなり色づけし、南洋は云った。神皇と日本武尊の名が出たことで、明らかに光秀は動揺している。
好機、とみて南洋はきりだした。神の鉄槌のような、あるいは悪魔の囁きのような声で。
(明智殿。これは君命にござる)
「な、ならぬ!」
光秀は悲鳴に似た声をあげた。
「う、うぬらはわしに、む、謀反を」
「謀反ではない」
がらりと戸が開いた。クロウだ。
クロウはじろりと光秀を見下ろすと、
「これはお市さん――つまりは平織当主も承知のことだ。俺はお市さんから魔王討伐の許可を得ている」
(そうだよ)
第三の声が光秀の脳裏に入り込んできた。ネフィリムのものだ。
彼女は実際に市と会って来た。そして北条早雲の動きを伝え、協力体制を整えてきたのだ。
虎長を討った後、明智光秀の立場は守るとお市は約束したのであった。
(上意)
一言だけ、ネフィリムは伝えた。
刹那、がくりと光秀は手をついた。
この瞬間、光秀は悟ったのである。己がおかれた運命の立場に。そして北条早雲という男の恐るべき知略に。
早雲は敢えて我を選んだ。逃れられぬ包囲網をしいて。
「す、少し‥‥時をくれ」
光秀の口から喘な声がもれた。
その光秀の身体を、そっと杏――アンが抱きしめた。その腕の中で、ただ光秀は子供のように震えていた。
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平織屋敷から出たところで、アンは足をとめた。壁に背をもたせかけた男が立っている。崔軌だ。
「首尾は?」
「わからない。でも恐がっていた」
アンは答えた。その手には、今も光秀の身体の震えの感触が残っている。
「思いはいっぱい。明智光秀も人だからね」
「やめろってんだ」
絶叫とともに、平織屋敷から飛び出してきた者がある。クロウだ。そのクロウを幾人かの芸者がくすくす笑いながら追いかけていた。
「奴も恐がっているようだな。あれは――誰の思いだ?」
崔軌の問いに、アンは舌を出してみせた。
時は冬。
余人は知らず。しかし孤独なる男は北風に立ち向かおうとしていた。