【風雲】小田原評定
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:9 G 4 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:04月30日〜05月05日
リプレイ公開日:2008年05月08日
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●オープニング
●
突ついた。
すっとのびた指が。
こくん、と。
後頭部を突つかれ、童が頭をゆらした。
しかし、そのどこか超然とした童は知らぬ顔だ。前に座った涼しげな目元の、可憐な顔立ちの娘とお手玉をして遊んでいる。
童は仮の名を伽羅、娘は風魔の蛍といった。
と――
先ほどの指がまたのびてきて、今度は伽羅の頬を突いた。それから耳を引っ張った。さらには髪の毛を抜こうとし――
「やめよ」
伽羅が云った。するとぴたりと指がとまり、指の主が伽羅の顔を覗き込んだ。
それは美しい若者であった。天の名工の手になるとしか思えぬほどの煌くような美貌の持ち主だ。
駿河国守、北条早雲である。
「ふむ」
早雲はまじまじと伽羅の顔を見つめた。
「触った感じでは、そのへんの童と変わらぬ。しかし悪路王は知っている、そしてまた天狗までをも知っている童などそういるはずがない。何者だ、そなた」
「‥‥」
伽羅は答えない。蛍との遊びに興じているだけだ。
すると早雲は伽羅の眼をじっと見つめた。
「それに、その眼。童の眼ではない」
「ぬし」
伽羅が早雲の眼を見返した。
「ぬしは大名であるらしいな。そういうぬしの眼も大名の眼ではないぞ」
「ほう」
早雲の眼が輝いた。新しい玩具を得た子供の眼である。
早雲は問うた。
「では、何の眼だ」
「そうよな」
ぽつりと伽羅は答えた。
「冒険者と同じ眼だ」
●
どかりと座し、早雲は脇息にもたれた。
その眼前、三人の若者が座している。
「早雲よ」
三人の若者のうち、一人が呼びかけた。精悍な風貌の持ち主で、抑えても抑えきれぬほどの気を漂わせている。風魔一族頭領、風魔小太郎だ。
「童はどうしている?」
「蛍と遊んでいる」
「ほう」
小太郎がニヤリとした。
「悪路王と知り合いなどというから、どれほど奇態な者かと思ったいたら、案外まともじゃねえか」
「そうでもない」
早雲はかぶりを振った。
「奴のお手玉の手並み、俺より上手いかもしれぬ」
真面目くさった顔で答えると、早雲は小太郎の後ろに控えた若者に眼をむけた。
年の頃なら小太郎と同じくらいであろうか。きりりと引き締まった顔立ちの、なかなかの二枚目であった。
「雷蔵」
「ハッ」
雷蔵がわずかに肯いた。
「御用と聞き、参上致しました」
「それよ」
早雲が微笑った。
「仕官を望む者がいたそうだな」
「ハッ」
再び肯くと、雷蔵は三人の冒険者の名をあげた。渡部夕凪、イリアス・ラミュウズ、リン・シュトラウスの三人だ。
詳細を雷蔵から聞き、早雲は云った。
「渡部の仕官はよかろう」
「かまわぬのですか」
雷蔵が問うた。
「本人は源徳家手配者である故、気にしていたようでありますが」
「かまわぬさ」
早雲は軽く笑った。
「そのような事気にしておって、信康や十兵衛を匿っておられるものかよ」
「では他の二人は?」
「イリアス・ラミュウズはもう少し様子をみる。頭も切れる、腕もたつようだが‥‥。それとリン・シュトラウスという娘。なかなか面白そうな娘だな」
早雲はくすくすと笑った。
「望むなら、魔獣だって傅かせてみせるわ、か」
「側仕えをしたいと申しておりました」
「美人か?」
早雲が問うた。
「それは――」
雷蔵は戸惑ったような顔をした。
普段眼にする早雲は、どちらかという女人には冷淡なところがある。それなのに美人であるかどうかを気にするとは、いかなる事であろう。
「殿も、そのような事、気になされまするか」
「当たり前だ」
早雲が答えた。
「側仕えならば四六時中顔をあわせる事になる。不美人よりは美人の方が良いに決まっている」
「そのようなものでございますか」
「そのようなものだ」
早雲が答えた。そして、お前は海を前にした時、どのような心持がするかと雷蔵に問うた。
「それは広々とした心持になります」
「だろう」
早雲が云った。
雷蔵はわかったような、わからぬような顔をした。要するに不美人よりは美人の方が接していて気持ちが良いと云いたかったのだろう。
「で、どうなのだ。リン・シュトラウスは美人なのか」
「美人でございます」
「ならば良い」
早雲はニヤリとした。
「では見せてもらおうか。鬼の王を傅かせるところを」
「ならば、いよいよ奥州に」
「いや」
早雲はかぶりを振った。
「むかうのは小田原だ」
「小田原?」
雷蔵は怪訝そうに眉をひそめた。
「何故、小田原などに」
「信玄が小田原を攻めようとしている」
答えたのは、三人目の若者であった。細身の、颯爽とした風貌をしている。
風魔忍者。名を子竜という。
「伊達の要請によるものだ」
「海が欲しいのだろうな」
早雲が云った。しかし雷蔵はまだ不審そうな顔だ。
「信玄が小田原と攻めるとして‥‥何故、我らが小田原にゆかねばならぬのですか」
「仲介をするのさ、小田原と越後の」
「小田原と越後!?」
愕然として雷蔵は声をあげた。それを面白そうに見遣り、早雲は口を開いた。
「武田と小田原が戦った場合、おそらく武田有利に戦は進もう。対して家康はどうするか。尾張と接する家康は、そう簡単に動けまい。動かば、それはそれで良いが‥‥ともかく、源徳の家臣の一部が勝手に救援に動く事もあり得るが、それでは焼け石に水。ふふ」
早雲は笑った。
「もし小田原藩主である大久保忠吉が小田原を救いたいと思うのであれば、越後に助けを求めよう」
「しかし、越後は敵国であろう」
「そうだ」
真顔で言われて、雷蔵は早雲が分からない。
「敵に助けを求めてどうする。よしんば求めたとして、源徳家臣の小田原を謙信が救う筈がない」
房総の千葉や里見と違い、小田原の大久保氏は源徳譜代だ。家臣団も三河以来の旧臣が多い。源徳と敵対する謙信が、小田原を助ける道理がない。
「大久保が源徳家と無関係になれば良い。それなら謙信も承知するかもしれぬ」
「馬鹿な。有り得ぬ。だいたい、そこまでする意味がどこにある。伊達に従っても武田に下っても同じでは無いか」
「忘れたか、駿河は上杉と同盟を結んでおる」
小田原の為に云うのではない、早雲は駿河の理を考えている。
「ならば駿河が小田原を助けてやれば良いではないか」
「そこまで義理はない」
主家を捨てて、敵国に助けを請えという。およそ大名の考える事では無い。早雲が冒険者出身だからこその考え方か。
「もし小田原が提案を受け入れぬときは?」
「大久保は滅ぶ」
●リプレイ本文
●
小田原藩十一万五千石。
源徳家譜代家臣である大久保忠吉の治める大藩である。
その本城である小田原城をめざし、八人の冒険者は東海道を西に上っていた。
天乃雷慎(ea2989)は黒曜石の瞳を空にむけた。
ぬけるような蒼い空に、薄い雲がたなびいている。天空はどこまでも澄明であった。
「この空の様に境界なんてなければ‥‥って、無理だよね」
雷慎は溜息を零した。
政略が絡む国と国の争いに入り込むな、そして巻き込まれるな。人との縁は結んでも、勢力に縛られるな。
義兄であり、風の長でもある風守嵐の忠告を、どこまで守れるか自信はない。もし弱き者に権力の暴虐の爪が及んだ時、その者を救う為なら、雷慎は進んで渦中に飛び込むだろう。
「でも子を守るために親を捨てろ、て」
リン・シュトラウス(eb7760)が沈痛な面持ちで睫を伏せた。
「哀しすぎて、怒ってます」
「が、放っておけば子が滅ぶ」
燃えるような赤い髪を背に垂らした、刃の光を眼にためた男が云った。
零式改(ea8619)。忍びである。
「哀しい事だが、これが戦国だ」
「産みの苦しみ‥‥」
メイユ・ブリッド(eb5422)の鮮やかな朱唇から声がもれた。
「産みの、苦しみ?」
「ええ。あらゆる悪が世に浮かび上がり、相争い、淘汰される事で新しい時代が生まれようとしているのかもしれません」
「彼も淘汰される駒の一つかな」
クリス・ウェルロッド(ea5708)が、薔薇を思わせる、美しく冷たい笑みを浮かべた。
すると大蔵南洋(ec0244)が昏い眼をむけ、
「信康殿の事か」
「ええ」
微笑ながらクリスは肯いた。
「彼の意思とは裏腹に、この先も駆け引きの手札として使われるんでしょう。同情しますよ、本当に」
「哀れな方なのだ。だから」
南洋は、岩のようにごつごつした相貌に沈鬱の色を滲ませた。その脳裏に剛健な、されど清冽な面差しの若い武将の姿がよぎっている。
「私はあの方のために命を捨てねばならぬと思うておった。が、是非もない。私は、私が正しいと信じた道をゆくつもりだ」
「北条家の家臣になるつもりかい」
問うたのは、目立たぬ身形の、女とは思えぬほどにふてぶてしく精気の充溢した女浪人で。名を渡部夕凪(ea9450)といい、すでに彼女は北条家の家臣であった。
ああ、と南洋は肯いた。
「早雲公の切り開く未来、見てみたいと思ってな」
「が、此度の件、難しい」
夕凪が重い溜息を零した。
上杉に助けを求める事は善策だ。しかし、それは北条の視点に過ぎない。忠吉には大久保の視点があるはずだ。
「厄介な事さね」
「その早雲さんの事ですが」
ヘッケラーの背に揺られつつ、メイユは涼しげな眼を、隣をゆく一人の男にむけた。
端正な顔立ちの若者だ。が、その身にまといつく剣気は尋常ではない。
風魔忍者。雷蔵である。
「早雲様がどうした?」
「何を企んでおられるのかなと思いまして。大久保様を懐柔して、後々に駿河の傘下におさめようという魂胆でしょうか」
「ふむ」
夕日に染まった白鷺のような娘が口を開く。
浦部椿(ea2011)。宮侍たる彼女は白い髪を優雅に揺らす。
「推論だが、小田原がおちれば敵が箱根を超えるは容易、甲州と国境を接する駿河としては箱根と富士、複数の進攻路で多正面戦を余儀なくされる。それを避けたいのだろう」
「小田原は駿河にとってはいわば東の防壁。此処で無くすは利に非ず‥違うかい?」
夕凪が雷蔵に、もの問いたげな視線をくれた。そして、おや、と怪訝そうに片眉をあげた。
雷蔵の面を一瞬はしった笑み。――おかしい。
その夕凪の思考を、雷慎の決然たる声が遮った。
「多くの人を戦禍から助ける為にも、今は出来ることを何とかするしかないんだよね」
「うふ」
この場合、リンが微笑んだ。その優しい碧の瞳にやどるのは炎のように燃える光である。
「想う心と真実――詩人の戦い方を見せてあげるわ」
リンが雷蔵を振りむいた。
「さっきの信康さんの事だけど」
「信康?」
「ええ。早雲様に便りを出したんだけど、間に合わないかもしれないから。
‥‥夕凪さんや南洋さんに聞いたんだけど、早雲様は信康さんを匿っていたんでしょ。その事を忠吉さんにもらしたいのだけれど、いいかしら。雷蔵さんに判断してもらいたいの」
「かまわねえ」
雷蔵はニヤリとした。
「早雲様は、こう云っておられた。交渉は生き物である故、その場の判断に任せると」
「待て」
小田原藩、国境。秦野の関所。
冒険者達一行を役人が呼びとめた。
「そこの二人、面を見せよ」
役人が命じた。そこの二人とは夕凪と南洋である。
手配書と見比べていた役人の顔色が変わった。
「う、うぬら‥‥渡部夕凪に大蔵南洋!」
役人が絶叫した。
「源徳に歯向かう大罪人。ようもおめおめと小田原の地を踏もうとしたな。ひっ捕らえい!」
役人の叱咤にうたれたように、十数人の役人が冒険者を取り囲む。
「待ちなよ」
夕凪がすうと腰の刀の柄に手をかけた。
「抵抗はしないが、今の私は使者の従者だ。ここで捕まる訳にはゆかないんだ。どうでもと云うのならば、用件が済んだ其の後に願おうかね」
「使者だとぉ?」
その時だ。雷蔵が一枚の書状と印籠を掲げてみせた。
「我らは駿河国守、北条早雲の遣いの者。その我らに刃をむける事は、北条早雲に宣戦布告するも同じ。その事、承知の上であろうな」
「うっ」
役人は息をひいた。
とても関所役人が判断できる問題ではない。すぐに奉行へ連絡をとった。
「手配人を従者とは不可思議な‥‥其方ら、何用あって小田原に参った?」
「小田原藩藩主、大久保忠吉様の御意を得る為に」
南洋が云った。
●
夕凪達と繋がりはない――
そのように装ったクリスは行動の自由を得ると、小田原城下の長屋にむかった。
その一軒。そこにクリスの目的である男はいた。
男は所謂情報屋という類の者であった。冒険者ギルドから紹介してもらったその男は、当然の事ながら裏の者ではない。
「嘉平次さんですね」
「そうだが」
肯く男――嘉平次の前で、クリスは依頼の内容を話した。
「うへ!?」
嘉平次は呻いた。
「武田信玄が悪たる風評を流せ、だと」
「ええ。加えて上杉謙信が良たる風評もね。まんざら嘘でもないでしょう。だから、あなたの評判に傷がつく事もないはずです」
「うーん。冒険者が色々と仕官してる話は聞いてたが、おめえは上杉方か――」
「違いますよ」
微笑むと、クリスは嘉平次の前に金子を積んだ。
「私は冒険者。誰の上にも、また下にもつくつもりはありません」
小田原城下。
すでに葉桜となった桜の樹が立ち並ぶその一角に、風雅な音楽がながれていた。笛と竪琴の音だ。
打ち寄せ、引き、時にうねり、時にひたひたと満ち――まるで潮騒のように、立ち止まって耳をそばだてる町人達を音楽が包み込んでゆく。
町人の眼には海が見えていた。幻のように。いや――文字通り、それは幻であった。そして、その幻の中で天女の如き女人が舞っている。それはこの世ならぬ、幽玄の世界の光景であった。
やがて笛と竪琴の音がやんだ。今度は割れるような拍手が辺りを満たした。
「ありがとー」
雷慎が手を振った。
「甲斐の武田が侵攻するかもしれないみたいだら、少しでも僕達の音楽で和んでね」
ざわり。町人達がざわめいた。
「武田が‥‥攻めてくる?」
「そうだよ。知らなかった?」
あくまで無邪気な雷慎である。
その傍ら、椿は苦く表情をゆがめていた。
徒に不安を煽り、民衆を恐慌状態におとしこみたくない――そう椿は考えていたからだ。
「やめろ」
椿が雷慎の腕を掴んだ。そして気づいた。雷慎の指が、掌の肉が裂けるほど食い込んでいる事に。
「雷慎殿‥‥」
「えへへ」
哀しそうに笑いつつ、雷慎は町人の方に眼を戻した。
「知ってる? 今、伊達が房総を攻めてる事。それに今度は武田。何か関東がきな臭くなってるんだよね」
「武田で思い出しましたが」
リンが可憐に小首を傾げてみせた。
「確か甲斐の近くに上杉謙信って人がいましたよね。セイショウ? そう聞いたけど、特別なの?」
わざと町人に問いかける。町人の一人――若い男が頬を紅潮させて口を開いた。
「上杉謙信は義の武将だって聞いた事があるぞ」
「ふーん」
リンが可愛らしく唇を突き出した。
「だったら、謙信様が小田原を助けてくれるかもしれないね」
ざわり。再び町人達がざわめいた。
●
すでに夕刻。黄金色の光が世界を染めつつある。
その中、雷慎とクリス、リンは門の前に立っていた。
小田原藩重臣の一人、穏健派と知られている後藤兵右衛門の屋敷である。
「町の人から教えてもらったけど‥‥大丈夫かな」
不安の色を面に滲ませて雷慎が問うと、リンは平然と門を叩いた。この娘は豪胆なのか繊細なのか良くわからない。
「開けてくださーい」
大声をあげる。すると、ややあって木戸が開いた。
「何用だ。ここが後藤兵右衛門様の屋敷と知っての事か」
木戸から顔を覗かせた門番らしき男が問うた。
クリスは小さく肯き、
「我々は冒険者です。後藤兵右衛門様にお会いしたく、やって参りました」
「殿が会うと約束されたのか」
「いいえ。約束は‥‥」
「ならば、だめだ」
男が嗤った。
「後藤兵右衛門様は小田原藩の重臣。冒険者風情が簡単に会う事叶うと思ったか」
「くっ」
クリスは唇を噛んだ。次の瞬間、音たてて空しく木戸が閉まった。
「駄目だったね」
悔しげに雷慎が天を仰いだ。
「と、なると今度こそ奥州にむかう事になるのかな」
雷慎の脳裏に、伽羅と名づけられた童の、超然たる面影がよぎった。元気でいると雷蔵から聞いてはいたが、やはり気にはなる。
「それよりも房総の千葉と里見ですよ」
リンが云った。
「駿河の為にも、千葉と里見には頑張ってもらわないと」
どうやら大久保忠吉は賢君であるらしい。その情報は、小田原城下に至るまでに開いた演奏会で、冒険者達はすでに手中にしていた。
それよりも武田信玄だ。
「では、甲斐の商人が米と塩、そして味噌を買い集めているというのだな」
椿が問うと、米問屋の番頭が肯いた。
「はい。何でも甲斐で洪水があり、食べ物が流されてしまったそうで」
(嘘だ)
心中、椿は呻いた。甲斐で洪水があったなど、椿は聞いた事もない。
やはり、信玄は来る。
椿は西の空を睨み上げた。
●
やや時は遡る。
「面を上げよ」
物静かな声がかかった。
顔をあげた冒険者の眼前、一人の年若い侍が端座している。理知的な眸の持ち主だ。
小田原藩主、大久保忠吉である。
「北条早雲公の遣いの者であると聞いたが」
「はッ」
改が真っ直ぐな眼差しで忠吉を見返した。
「武田の事、すでにお聞き及びと存じます」
「小田原を狙っておるという事か」
「はッ。さりながら源徳の援軍は望めず、失礼ながら小田原方の不利は必定」
「この小田原が武田に負けると申すか」
忠吉がじっと改を見つめた。
さすが賢公と噂されるだけあって、忠吉の計算能力は優秀だ。もし武田と戦えば小田原は滅ぶ。そう忠吉は見ていた。が、その苦渋は毛ほども表情には出さぬ。
「左様」
南洋が声をあげた。
「されど早雲公に秘策あり。忠吉様」
南洋の眼がぎらりと凄絶に光った。
「上杉謙信公に御縋りなされ」
「謙信か!」
さすがに忠吉の顔色が変わった。
「其方はわしに、源徳を裏切った謙信の軍門にくだれと申すか」
「左様。それしか小田原が生きのびる道はありませぬ」
「それは家康公に対する忠義を捨てろと申すに等しい事ぞ」
「馬鹿ではありませぬ」
夕凪が口を開いた。
「家康公への忠義貫くおつもりであればこそ。民の声あらば、曲げて離反なされませ」
忠吉が夕凪を見つめる。
「離反が忠義とは何故か?」
「されば」
夕凪が説いた。家康が小田原に手勢を送れば尾張に攻め入る好機を与え、送らねば冷血との非難を浴びる。
「もし此の地が滅すれば、其は他藩へ三河への道を開くに等しき。‥小田原が野心持つ手に落ちぬ事が今如何に重要か、其の意味をお考えいただきたい」
「それだけではありません」
忠吉が声の主――メイユを見た。
メイユはゆったりとした仕草で、まるで教師のような眼で見返した。
「はい。もし小田原が武田の手に落ちれば、駿河とて生き残るために、源徳公に与する理を失わねばなりません。源徳家は平織、武田、北条を敵とし、まさに四面楚歌。先に見える主家の危機を救え得るのは大久保様のご決断だけ。今はどんな手を使ってでも生き残って勢力を維持する事が最善の策であります。そうする事で、将来源徳公に恩義を返す時もくるとわたくしは思います」
「ううむ」
忠吉は呻いた。彼ほどの男が声もない。
冒険者の云う事、まさに正鵠を射ていた。忠義の為に死する――聞こえは良いが、それは葉武者の台詞である。一国持ちの台詞ではない。
忠吉は譜代家臣であると同時に戦国大名でもあった。彼の双肩には数千の家臣の命運がかかっているのだ。
「したが」
ようやく忠吉が声を発した。
「小田原が助けを求めたとして、まこと謙信が応じようか」
「お任せあれ」
改が不敵に笑った。
「忠吉様が私怨をおさえ、源徳家より離れた独立した一国として助力を求めれば上杉謙信必ずや動きましょう」
「北条と上杉は同盟の間柄にござれば」
雷蔵が云った。
●
小田原城、奥。
忠吉は老臣と相対していた。
すでに冒険者達は城を去っている。南洋が人払いを望んだが、さすがに叶わず、ただ信康の一件のみを披露した。
「神島屋七之助と申す者が信康殿と会ったというが、真実であろうか」
忠吉が問うた。老臣は、いや、と答えた。
「京に上るという事でありましたが‥‥なにしろ伝聞なれば。それに南洋とやらは家康公の手配者。信用はなりませぬ」
「北条と上杉が同盟か‥‥それで解った。早雲は危険な男だ」
駿河は中立のようで、信康の件や上杉の事を考えると謀略が深そうだ。
「城下で武田の侵攻を煽る者が居ました。或いは、武田が三河を攻める策やも‥‥」
三河と小田原は互いに後詰として武田の侵攻を止める関係だ。今回の件は、戦わずして小田原を調略する事が目的とも考えられる。
「八王子の長安も孤軍奮闘している。北条にいかな目論みがあるかわからぬが、大久保の名を残すには謙信を頼るも一計だが。それに――」
忠吉の脳裏に、最後に南洋が告げた言葉が蘇った。信康の言葉だ。
江戸奪還は悲願。いつの日にか――。
じい、と忠吉は云った。
「すぐに登城のふれを。軍議じゃ」
その数日後の事である。評定が幾度も繰り返された小田原城から駿河にむかって、極秘裏に使者が送り出された。