●リプレイ本文
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陽炎のたちのぼる江戸の町に、二つの大小の影が現れた。茹だるような暑さの中、共に汗一つかかぬ彼らは人ではないように見える。
風魔の雷蔵と伽羅――座敷童子であった。
「伽羅!」
呼んで、自ら駆け寄ったのは天乃雷慎(ea2989)である。雷慎は、彼女らしい天真爛漫の笑みをむけた。
「奥州の案内、よろしくね」
「うむ」
肯いて伽羅は眼をあげた。
雷慎は身もだえするようにして小さく叫んだ。
「いよいよ悪路王さん達との対面だね!」
「雷慎殿!」
声をあげ、慌てて雷慎を制したのは目つきの鋭い、凶相の持ち主であった。
大蔵南洋(ec0244)。北条家家臣である。
「奥州に着くまでその名は出さぬ方がよい」
警告すると、南洋は雷蔵に視線を転じた。
「というわけで雷蔵殿、ギルドに偽依頼を出してござる。伽羅殿を迷子とし、我らが平泉の親類の元へと送り届けるという寸法」
「何とも風格のある迷い子ですがね」
くすりと笑ったのは眩いほど美しい若者で。
クリス・ウェルロッド(ea5708)。冒険者の一人である。
「雷蔵さん」
クリスもまた雷蔵に眼をむけた。
「ご懸念には及びませんよ。余計な事を喋るつもりはありませんから。他の藩に嗅ぎつけられたくはないですからね。それと」
クリスの眼に嘲弄するかのような光がうかんだ。
「雷蔵さんが同行する以上、尾行の類は気にしなくても大丈夫でしょうし」
「そうだねえ」
渡部夕凪(ea9450)が組んでいた腕を解き、不敵に笑った。
「風聞に乗って駿河に何がしかの目論見有りなんぞと憶測飛ばされちゃ面倒だ。付入る隙は与えぬが吉さね」
「ふふん」
雷蔵はニヤリとした。
油断ならぬ冒険者のやり口。主である北条早雲が家臣と望んだのもむべなるかな。
雷蔵は冒険者達を促した。
「では、いこうか」
「いよいよかい。しかし、さすがに首の座直る心持ちだねえ」
殊勝げに夕凪が云った。しかし雷蔵の見るところ、夕凪の様子に微塵も恐れなど見受けられない。
「夕凪と云ったな。そのような玉には見えぬが」
「お生憎様」
雷蔵にニヤリと笑い返し、不羈奔放たる北条家家臣は歩き出した。
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冒険者達はまず日光街道に入った。
その後宇都宮より奥州街道を辿り、白河関へ――
多少揉め事はあるかと危惧していた冒険者であるが、白河関は意外にもすんなりと通り抜ける事ができた。それは南洋の策が当たった証左であろう。
ともかく冒険者達はさらに北を目指し――
ついに仙台の地を踏んだのである。
北の地でありながら、陽の光に容赦はないようであった。
浦部椿(ea2011)は額に浮いた汗を拭うと、次いで着物の胸元をはだけさせた。
はっとするほど白く、豊かな双球が覗いた。椿自身は認めたくはなかろうが、彼女の肢体は紛れもなく蠱惑的であった。
「来たか、奥州に」
「ああ」
燃えるような真紅の髪を束ね、無造作に後ろに流した男が肯いた。零式改(ea8619)といい、この男もまた北条家家臣であった。
改は、よく光る眼を周囲にむけた。なにものも見逃さぬというように。彼は主である早雲の眼となり、耳となるつもりであったのだ。
「北条早雲には、まだ生きていてもらわねば困る」
改は呟いた。早雲と共にあれば、飢餓感にも似た空しさが埋められるような気が改にはしていたのだ。
その思いはよそに、改は別の事を口にした。
「万の鬼を統べる鬼の王。いったいどの様な存在か想像もつかぬでござるな」
「酒呑童子の事なら幾らかはわかるのですが」
クリスは苦く笑った。
「西の鬼王は人の相貌をしているようですが、果たして東の鬼王は‥‥ふふ」
この場合、クリスは可笑しそうに笑った。薔薇の如く、この若者にはどうやら鋭すぎる棘があるようであった。
「わからぬでござる」
改は答えた。そしてすぐに、しかしと続けて、
「云えることは、例えどのような外見をしていようとも、その身に巨大な力を秘めていることは確かでござろう」
「そうだろうね」
肯くクリスは、再び可笑しそうに笑った。それを見咎め、メイユ・ブリッド(eb5422)は深い海色の瞳を不審げにむけた。
「何がそんな可笑しいのですか」
「いえ‥‥ふと思った事がありましてね。もし西の鬼王と東の鬼王が手を結んだらどうなるかと。きっと手がつけられなくなるでしょうね」
云って、クリスはまたもやクスクスと笑った。可笑しくてたまらぬように。
その笑みを、メイユはまるで妖怪でも見るかのようにじっと見つめていた。
胸中にわきあがった黒い思念を払うかのように咳き一つし、メイユはリン・シュトラウス(eb7760)と共に馬上にある伽羅に身を寄せた。
「尋ねたい事があるのですが」
メイユが声をひそめた。伽羅はちらりと眼をむけると、
「何だ?」
「ヴァンアーブル・ムージョから頼まれたのだけれど‥‥八部衆という言葉に聞き覚えはありませんか」
「八部衆?」
伽羅の眼にわずかな表情が動いた。
「主が問うているのは、鬼道八部衆が事か?」
「はい」
メイユの眼がきらりと光った。
「ご存知なのですか」
「知っている。奴らは恐るべきモノどもだ。遥か古き時よりジャパンに巣くう、な。さらに――うん?」
伽羅は微かに身動ぎした。後ろに座すリンがぎゅっと伽羅を抱きしめたからだ。
ものといたげに振り向いた伽羅の前で、リンは目尻に滲む涙を拭った。
「‥‥何だか、憎らしくなるわ。誰をって聞かないでね?」
「ぬし‥‥」
言葉を途切れさせた伽羅の頭を撫でながら、リンは問うた。
「ねえ、伽羅。王様には、愛する家族はいるのかしら?」
「おらぬ」
「いない? そうかあ」
呟くリンの声音はひどく哀しそうであった。
「だったら寂しいんじゃないかな」
「寂しい?」
「うん。王様なんだもの、やっぱ特別な存在でしょ。だとしたら孤独で寂しさを抱えてるんじゃないかな」
「わかるのか、ぬしには?」
「伽羅を見てたらね。だって伽羅も寂しそうだもの」
「‥‥」
伽羅は無言であった。ただ一瞬、その瞳からは超越的な光は消えうせた。代わって現れたのは無垢な子供のような――リンは知らぬ事であったが、かつて伽羅が真希という少女とたった一度遊んだ時に見せた瞳と同じもので。
リンもしばらくは無言であったが、何を思いついたか、傍らを歩く雷蔵に視線を転じた。
「ごめん、雷蔵さん聞いても良い?」
「‥‥」
黙したまま雷蔵がリンを見返した。その雷蔵の眼に挑みかかるように、
「どうして早雲様は動かれなかったの? 小田原の事がまだ脳裏から離れません。乱世とはいえ――胸が詰まります。何百という命を見送りましたから」
「‥‥早雲様のお考えは、俺にはよくわからん」
ややあって雷蔵が答えた。
「知りたければ、自ら問うてみるのだな。お前は早雲様股肱の家臣であるのだから」
「雷蔵さん」
呼びかける声がした。夕凪である。
「主殿は屋敷で確かに御留守番かい?」
「そうだと思うが」
雷蔵の答えは心許無い。それもそのはずだ。この時彼らは知らぬ事であったが、あの武田信玄をして鵺のような奴と云わしめた早雲である。
そして――
冒険者達は達谷窟へ。
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そこは異界であった。人の姿など見えぬ。
緑は輝き、流れる清水はあくまでも澄明だ。が、蠢くのはあくまで異形。
そう、そこは鬼の国。悪路王の治める天地。
冒険者達は悪路王が住まうという達谷窟目指して歩いた。取り囲むのは無数の殺気、そして餓えである。
鬼だ。数え切れぬほどの鬼が殺到し、冒険者達に群がった。
「人間ダ」
「殺セ」
「美味ソウダ」
人語を話す鬼でもいるのだろうか、獣めいた唸り声に混じって声が響く。まさしく鬼は冒険者を引き裂こうと狙っていた。
が、結果として鬼どもは動かぬ。伽羅に気がついたとたん、鬼は殺戮の爪をひくのである。どうやら勝手に伽羅に手を出してはならぬとでもいうような暗黙の了解があるようであった。
熱風のように吹きつける殺意の中、それでも雷慎と夕凪は伽羅の傍に寄り添った。
「あんたが云うからには心配はいらないんだろうけど、私はやはりあんたを守るよ。此れだけは譲れないんでね」
夕凪が云った。
やがて――
冒険者達の前に巨大な大洞窟が現れた。
「達谷窟だ」
伽羅が云った。
「あれが――」
南洋の口から感慨のこもった声がもれた。冒険者多しといえど、達谷窟を訪れた者は彼らが初めてであろう。
「いよいよ悪路王と見える時が来たか。万の鬼を統べると噂されるからには、気質の異なる鬼達を惹きつけるだけの何かを備えているのだろう。それは一体何か? 早雲公ならずとも興味は尽きぬな」
「確かに」
メイユが肯いた。
「私は悪路王を知りたい。そして悪路王にも私を知ってもらいたい。まずはそこから始めるつもりです」
メイユは達谷窟を守るかのように立ちはだかる無数の鬼を見つめながら云った。
ここまでの道中、彼女は幾匹かの鬼の子供を目撃している。やはり鬼も生き、生活を営んでいるのだ。その事実が彼女の心にある確信を抱かせていた。
「既存の概念に囚われたものには新しいものを生み出す力を持ちません。世界は停滞し、権力が搾取し、弱者を貪り、他者を侵す。それが権力者の戦いの真実。人とは鬼よりも傲慢で欺瞞に満ちた恐ろしい生き物です。それでも、世界を変えたい、世界を救うことを望むならば‥‥」
「メイユ殿」
椿の、ややひやりとする声がとんだ。
「気持ちはわかるが、人の世の理を相手に求め過ぎぬ事だ」
告げると、恐れ気もなく椿は颯爽と歩き出した。
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洞窟内は自然のものであるが、明らかに何者かの手になる跡があった。火が灯されているので暗くはない。
その中を、案内役たる鬼に続いて冒険者達は進んだ。背筋まで凍りつきそうなる状況であるが、雷慎にはその素振りはない。むしろ普段より胸をはずませているようだ。子供のような好奇心溢れる眼で周囲をみまわしている。
そして――
どれほど歩いただろうか。冒険者達はある広い空間に誘われた。
そこに幾匹かの鬼がいた。壁を背に座している。一匹一匹がとてつもない技量と熱量を秘めている事がメイユには見てとれた。
そして、その鬼どもの中央。玉座にも似た椅子様のものに座しているのは、一際異彩を放つ鬼であった。
身の丈は七尺ほどであろうか。容貌は魁偉であり、その身からは荘厳ともいえる高圧の気を放っている。
「悪路王よ」
伽羅が口を開いた時だ。どかどかと広間に入り込んで来た者があった。
鬼だ。野性的は相貌は人のそれであったが、額には二本の角が生えている。
鬼がニンマリした。
「冒険者が来たって聞いたが、どいつだ」
「大瀧丸」
壁際に座した鬼から声が発せられた。
「悪路王様ノ御前デアルゾ。控エヨ」
「ふふん」
薄く笑って大瀧丸と呼ばれた鬼はその場にどかりと腰をおろした。そして冒険者達を見回して失望の表情を浮かべた。
「なんだ。奴はいないのかよ」
ごちる。
実は大瀧丸は以前に江戸を襲撃した事があった。その際、彼は一人の冒険者と刃をあわせている。此度冒険者が現れたと聞いて、もしやその者が混じっているのではと期待していたのだ。
悪路王はちらりと大瀧丸を一瞥すると、口を開いた。
「童子よ。御身の頼み故、目通りを許したが、我に何の用だ?」
「悪路王を見に来た」
椿が答えた。
刹那、鬼どもに殺気の波が伝わった。仮にも悪路王は鬼の王。呼び捨ては不遜であった。
「無礼者!」
血相を変えて、巨大な体躯の一匹の鬼が立ち上がった。すでにその手には抜き払われた太刀が握られている。
「お待ちください」
メイユが慌てて立ち上がった。リンもまた。
「申し訳ありません」
詫びると、リンは酒を差し出した。続いてメイユも。炎に浮かび上がる二人の姿は星の如く麗しい。
が、鬼は太刀で彼女達の手の酒を払った。
その時――
「待て」
悪路王が制した。低い声でありながら、激昂しているはずの鬼の動きがぴたりととまった。そして身震いしつつ後退る。それほど悪路王の声音は威厳に満ちていた。
「童子よ」
悪路王の眼が爛と燃えた。
凶暴凶悪の鬼どもの上に君臨する為には様々な要素が必要であった。その一つが絶対の権威だ。暴力の支配する鬼界の玉座を維持するには侮られてはならぬ。
「此度は御身の顔をたて、許してやる。が、次は八つ裂きではすまぬぞ」
悪路王が重い声音で告げた。そして冒険者達を見渡す。
金色の魔眼である。が、その瞳には宇宙の深淵を映したかのような透徹した知性の光があった。
その光に気づき、冒険者達は咄嗟にとった構えを解いた。
悪路王という鬼、決して力ばかりの暴王ではない。そう悟ったのだ。
「悪路王様」
南洋が深く一礼した。
「非礼をお詫びし、ここはひとまず退散仕ります。されど、必ずや今一度推参致したく。お許し願えましょうや?」
「其方ら」
悪路王が南洋の顔をひたと見据えた。そして問うた。
「冒険者と童子より聞いたが。何故、我に興味をもつ?」
「詩人だから」
輝くような瞳をむけたのはリンだ。悪路王の眼にいぶかしげな光がやどった。
「詩人?」
「そう。王様は生きた伝説。吟遊詩人として、伝説を目にする事ができるのは、この上ない喜びなのです」
答え、屈託なく微笑んだ。それは童子の如く自然な笑みである。
つられた悪路王の口辺が綻んだ――ように南洋には見てとれた。故に、すぐさま彼は口を開いた。
「悪路王様、一つだけ申し上げたき事が」
「何だ。申してみよ」
「はッ。されどその前に、お尋ねしたい事が。王様は冒険者をご存知でござろうか」
逆に問うた南洋の前で、悪路王は皮肉に笑った。そして大瀧丸をちらりと見遣った。
「我より、大瀧丸の方が知っていよう。彼奴は冒険者とやらに恋焦がれているようだからな。殺して喰らってしまたいほどに。――で、その冒険者がどうしたのだ」
「このジャパンに一つだけ」
南洋の眼が、この時凄絶に光った。
「冒険者の持ちたる国がございます」
「ほう」
悪路王の口から微かな声がもれた。そして万の鬼の王たる鬼は、ニヤリと面白そうに笑ったのだった。
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達谷窟で冒険者達が過ごした時は、実際のところ一刻ほどであった。故に得たものは少ない。
それは改にしても同じだ。道中での見聞の為に、詳しい情報を得る事はできなかった。それでも奥州が豊かである事、しかしながら悪路王の被害に喘いでいる事はわかった。
「雷蔵さん」
夕凪が雷蔵を呼び止めたのは、江戸目前の事であった。
「早雲公に云っておくれな。無茶を為さらぬ様に‥と」
「無茶か」
雷蔵が苦笑した。
「申して、きかれる方かよ」
「それでも、さ」
夕凪は真剣な眼になった。
「達谷窟での事、其が公を何処へ歩ませるかは解らぬが。長殿が股肱となるに足ると判じた方ならば、風魔として其の手は放さずにいておくれな」
「それと」
夏空に響き渡るような声でリンが叫んだ。早雲様に伝えて、と。
「もしかしたら悪路王とは友達になれるかもしれないって」