●リプレイ本文
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小田原における源徳と反徳源徳勢との戦は膠着状態にあるという。
源徳勢の予想以上の健闘に、反源徳勢は後退し、武田は小田原城にこもった。ここに至り、小田原には嵐の目の如き静けさが訪れたのである。
そのためでもあるまいが、此度、北条早雲が発した依頼は戦には直接関係ないものであった。いや、そもそも源徳家康の戦に、どれだけ早雲が真剣さをもって望んでいるか。早雲は常に陣中にあって瞑目していたというが、実際のところは昼寝をしていたのかも知れない。
とまれ、早雲は神剣を欲した。そして、その意を受けて駿河に辿り着いたのは七人の冒険者であった。
即ち、天乃雷慎(ea2989)、零式改(ea8619)、渡部夕凪(ea9450)、カノン・リュフトヒェン(ea9689)、メイユ・ブリッド(eb5422)、リン・シュトラウス(eb7760)、大蔵南洋(ec0244)の七人である。
「流石は我らが主殿。想像の斜め上を行く命を出してくださる。退屈とは無縁なお方でござる」
ニヤリ、と。餓狼の如き笑みをもらしたのは改だ。
が、同じ北条家家臣である夕凪は苦く笑った。
「傍から見りゃ玩具を欲しがる幼子なのが‥何とも」
「ふふ」
思わずといった様子でリンが可笑しそう口元を綻ばせた。
「子守も大変です」
「そうだねえ」
さらに苦笑を口辺に刻み、ややあって夕凪の眼に冴えた光がうかんだ。
「冗談はさておき。小藩駿河の大呆気、兎角便利な隠れ蓑で大助かりだねえ?」
「まったくだ」
肯いたのは、これも北条家家臣である南洋だ。彼はぎょろりとした眼を夕凪にむけて、
「世では利口か馬鹿か良くわからぬという評判らしい。その評は早雲様は気にいられぬだろうがな」
「どうだろう」
雷慎が首を傾げた。
ある者は早雲を表裏比興の者と呼んだ。しかし、と雷慎は考える。
早雲は妙に潔癖なところがあった。少年のもつ青臭い潔癖さだ。その性を考慮するなら、早雲はそんな評判を怒るかもしれない。
「でも神剣なんて、どうする気だろ?」
「わかりませんが」
メイユは遠い眼をした。
「早雲様のことです。飾って楽しむつもりでないことは確かですね。あの方は権威など何とも思っていない方のようですし」
「美しい刀を見たいだけかもしれん」
カノンが云った。子供とはそういうものだ。
カノンの眼に複雑な色がよぎった。
早雲が大層な玩具としか見なさぬものを巡って争い、傷ついた者がいる。その愚かな争いに再び身を投じることになるのかと思えば気が滅入るが、しかしここに立ち止まってはいられぬのも事実である。
傷ついた者達に報いるためにも、神剣騒動に何らかの終止符をうたねばならない。
その時、リンが足をとめた。
彼女の眼前には鬱蒼たる森がある。嶋田義助がいるという森だ。
リンの可憐な面が蒼く閉ざされた。内心の不安を滲ませたかのように。
ついに、動き出すのかしら。終わりの始まり、が。
リンは微笑を顔に押し上げた。
彼女にはわかっている。戦うしかないということが。主の為、駿河の為、そして自分の為。それが未来を開く唯一の手段なのである。
リンは手を太陽にかざした。
血潮が脈打っているのが見える。熱い、生きていることの証。そう私はやれる。
リンは振り返り、仲間を見た。
「伽羅に会った時を思い出すね。また良い風が吹くのかな」
「そう願いたいねえ」
夕凪が肯いてみせた。
「多くの命がかかる旅、二度も手ぶらは避けたいやな」
独語にも声をもらした。が、それが容易でないことは夕凪も十分に承知している。
依頼には風魔の影丸が追い返されたとあった。ならば潜入や力押しでは及ばぬということだ。
「どうしたしたものかな」
南洋が、やや困惑した眼を夕凪にむけた。
「どうしたって?」
「鴉天狗のことだ。早雲様の報せによると、義助と会うには鴉天狗の許しを得ねばならぬという」
南洋が依頼書の写しを取り出した。そこには、こう書かれている。
鴉天狗より問いかけあり、と。
「剣が何故必要か。剣をもって何を成すのか。鴉天狗の問いだ。それに対し、想像に過ぎぬが、おそらく影丸殿は主が必要としている答えたはず。が、影丸殿は追い返された。それはとりもなおさず、一国の主が必要としているという理由でも足りぬというこだ。ならば、どのような理由ならば鴉天狗の許しが得られるのか」
「さあてね」
夕凪が腕を組んだ。
「ともかく、ここは正面から堂々とぶつかるしかないだろうねえ」
「そうだな」
改が肯首した。
「何せ風魔の忍びが追い返されたのだ。隠密裏に侵入して天狗たちの目を欺くのは不可能と見るべきでござろう。ここは夕凪殿の申されるように堂々と正面から対話を求め、二心なきことを態度で示すほかはない」
「そうですね」
祈りを捧げるかのように、メイユは胸の前で手を組み合わせた。
「わたくしたちは戦いにきたのではありませんから。真心で接すれば、きっと異種族の者といっても理解しあえるはず」
メイユは云った。力をこめて。
そう、メイユにはわかる。ハーフエルフである彼女には。真心は、種族を越えて伝わるものだということが。
刹那である。
さあ、と。メイユの銀色の髪を撫でて、風が吹いて過ぎた。まるでメイユの想いを天に送るかのように。
風が――
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はっとして冒険者達は身構えた。
風が渦を巻いている。異様な風であった。
次の瞬間の事である。
疾風が人の形をとった。
法衣をまとった鴉面人身の異形。鴉天狗だ。
気づけば冒険者の周囲をぐるりと取り囲んでいた。その数はおよそ十。
反射的に改の手が小太刀にのびた。鴉天狗から発せられる鬼気の如き不気味な殺気に触発された故だ。
が、その手をさっとおさえた者がある。リンだ。
対する鴉天狗達は改の動きを見極めたか、一斉に抜刀した。きら、きら、と眩い光がはねる。
その刃光を満面に受けて、しかしリンは微笑んだ。
彼女に鴉天狗と戦う意志はない故なのだが、そにしても刃が林立している。異形の鴉天狗が群れている。それを眼前にしながら微笑むことができるとは、驚くべきリンの胆力であった。
リンが雷慎と目配せした。肯き、雷慎が横笛を唇に添える。葉二と呼ばれる魔笛であった。
そして幾許か。
笛の音が流れた。静かな、しかし清水が砂に染み込むように魂を潤す音色である。
その笛の音にあわせ、リンが歌いだした。
ひとひらの雪花 はらはらと
払暁から舞い降り形を失くす
美しい白 闇を纏う雪
空を穿つ雪は いつまでも清く
無明の闇を見晴るかす様
天の雫が足元に落ちて
雪の花が大地に芽吹くその刻を
雲雀は待つ 祈りながら啼きながら
いつか花が咲き 闇が溶けるその日まで
改の手が小太刀の柄から離れた。鴉天狗の殺気が溶けたのを感得した故だ。
が、鴉天狗達の眼にはまだ鬼火がやどっている。疑心の光だ。
「ウヌラ、何者ダ?」
「何シニ参ッタ?」
「私達は冒険者さ」
夕凪が答えた。
「お前さん達に会いに来たんだよ」
「我ラニ?」
一人、といってよいのか一匹といってよのか――鴉天狗が歩み出た。
「何故ニ?」
「嶋田義助殿に取り次いでいただきたい」
「嶋田義助‥‥」
鴉天狗の眼が一際光った。
「ナラバ、ウヌラノ目的ハ剣カ?」
「そうだ」
南洋が大きく肯いた。そして、我らは条早雲の使者であると続けた。
「駿河藩主である我が主は神剣を欲している。その神剣を鍛える法について嶋田義助殿にお聞きしたい」
「‥‥」
鴉天狗が黙したまま南洋を見返した。その眼は黄色く底光りし、表情は読み取れない。
「ナラバ、問ウ。ウヌラニトッテ、剣トハ何カ?」
「灯火、光明の象徴です」
メイユが即答した。
「光明ノ象徴、トナ?」
「はい。世界は混迷の澱にあり、権力者は相争い、弱きは虐げられております。さらに、その世の歪みをつけこんだ魔がはびこり、世界は危急存亡の秋にあります。その世界を覆う闇を切り払い、人が歩みべき道を切り拓く為のもの、それが剣と考えております」
「デハ、剣ヲ使ッテ何ヲ為スノカ?」
「生きとし生けるものの闘士として、魔に歪んだ世界の在り様を糺さんと挑むのです。そして、その生を以って未来という名の道を切り拓いていくのです」
「愚カナ」
鴉天狗の口からしわがれた声がもれた。
「ウヌハ何モワカッテハオラヌ。剣ガ光明ノ象徴ダト? 未来トイウ名ノ道ヲ切リ拓イテイク、ダト? ナラバウヌラノ未来、自ラノ手デ切リ拓イテミセヨ!」
鴉天狗が叫んだ。
刹那である。他の鴉天狗が一斉に刃を舞わせて殺到した。
「ぬっ」
呻きつつ、カノンが飛び出した。リンを庇って立つ。夕凪は背後にむかい、改は右、南洋は左を守る。
漆黒の颶風と化して鴉天狗が迫った。殺気がほとばしり、冒険者を吹きくるむ。そして――
鴉天狗の刃がとまった。
カノンの手の白銀の篭手に、あるいは夕凪がもつ精霊の扇に、そしてまた南洋の霊剣に受け止められて。
「くっ」
苦鳴は改の口からもれた。その身に鴉天狗の刃が突き刺さっている。改のみ無手で鴉天狗を迎え撃ったのだ。
「コレガ、ウヌラノ云ウ未来ヲ切リ拓クトイウコトカ」
鴉天狗が云った。そして苦痛に歪む改の顔をじろりと見た。
「痛カロウ。コレガ剣ダ。斬リ、殺ス為ノ手段。ソレガ光明ノ象徴トハ」
「馬鹿に見えるか」
天狗の手を、改が掴んだ。そしてニヤリと笑んでみせた。
「ならば‥それでけっこう。我が主、北条早雲はこのジャパンに大名など必要ないと申された。あの方は、弱きものの痛みを知り、力なきものの為に戦う覚悟をされたお方でござる。拙者はあの方の理想に己が命を託した。早雲様は拙者の夢なのでござる。その夢の為ならば痛みなど何でござろう。血を流すことなどいかほどのことがあろう。早雲様の為、拙者は剣となり盾となる。それが拙者の覚悟でござる」
「剣タル覚悟カ」
鴉天狗が剣を引き抜いた。とたん、血がしぶく。鴉天狗が改に薬水を手渡した。
「ソノ覚悟、嶋田義助様ニ見セテミルガヨイ。ソシテ未来ヲ切リ拓クトイウ言葉ヲ伝エテミヨ」
途路のことである。
ふと思いつき、カノンにむかってリンが問うた。
「そういえばカノンさん、クサナギはどうなったのですか」
「クサナギ?」
一瞬戸惑ったように眉をひそめ、すぐにカノンは合点した。
「そういえばリン殿も出立の際におられたな。‥‥あれはしくじった」
「しくじった?」
愕然としてリンの眼が見開かれた。するとカノンは唇を噛み、事の次第を説明した。即ち、護衛者である雫ともどもクサナギを見失ってしまった事を。
「何てこと」
リンは言葉を失った。
噂で、彼女は平織虎長の正体が第六天魔王であると聞いた。が、クサナギが目覚める時、第六天魔王が復活すると雫という娘は云っていたという。これはどういうことなのか。
我知らず、リンほどの娘が震えた。終末の予感に怯えて。
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深い森の中、やや開けた場所に小さな庵があった。
冒険者達が戸をくぐると、中に異形のモノが座していた。
狼頭人身。その身から放散される気は寂たるものなれど、鴉天狗の比ではない。
白狼天狗であった。
「ほほう」
白狼天狗が声をあげた。
「滅多なことでは通すなど命じておいたに‥‥貴殿ら、よほど気に入れられたようだな」
「嶋田義助殿か」
カノンが問うた。
「うむ」
と答えた白狼天狗――義助に、カノンは御神楽澄華の伝言を伝えた。世を乱す者を貫く為、御手杵を使わせていただいているとの言葉を。
ふむと肯き、義助はカノンをじっと見返した。
「わざわざそのことを伝えにここまで来たわけではなかろう。何用で参った?」
「神剣の事で」
「神剣、とな?」
義助の声音にやや色が滲んだ。
「神剣がどうした?」
「鍛え方を教えてほしいんだ」
あっけらかんと雷慎が答えた。そのあまりの天真爛漫さに、義助が苦笑を零す。
「鍛え方とはのう。まさか神剣をつくるつもりか」
「うん」
雷慎は屈託ない。が、その瞳の光は誰よりも強い。
雷慎は云った。
「神剣が欲しいって人がいるんだ」
「神剣が欲しい? どこの馬鹿だ、その者は?」
「北条早雲さ」
夕凪が答えた。すると義助は、駿河藩主か、とつまらなそうに呟いた。
「力を持つ者は、さらなる力を欲する。古来より、人は変わらぬな」
「そうかねえ」
夕凪は楽しげに笑った。
「変わった者もいるんだよ、時にはね。北条早雲という男、確かに得た権力を力と振るうは其処らの長と同じだが‥見つめる先が違うのは確かだ」
「見つめる先?」
「そうだ」
重々しく南洋が肯いた。
「詳しくは話せぬが早雲様は全く新しい国を作ろうとされている。女子供が泣くことのない国をな。私はその国をこの目で見たい。その為にも、この国を訳の分からぬ魔物共の好きにさせる訳にはゆかぬのだ」
「北条早雲。よほど変わった男のようだな」
腕を組み、義助が呟いた。ああ、と夕凪は答え、くすりと笑った。
「大名のくせに大名を潰そうとするド阿呆。剣をもって剣をなくすことを願ううつけさ」
「でも度量の広い人なんだ」
雷慎がぺたりと義助の隣に腰をおろした。そしてひょいと義助の顔を覗き込み、
「なんせ建御名方さんまで仲間にしちゃうんだから」
「建御名方? とは、あの鬼神たる建御名方か」
「うん」
「‥‥」
義助の口から声が失われた。いったい北条早雲なる人物とは何者であろう。未だかつて義助はそのような者を見たことがない。
南洋が身を乗り出した。
「剣とは命を奪うための道具であるは百も承知。なれどあえて御頼み致す。世の理から外れたいかなる者共をも斬ることが叶う剣を打って頂けないだろうか。駿河を、ひいてはジャパンを守るために」
「それが貴方の運命」
メイユが巫女の託宣の如く告げた。そして、ふっと表情を和らげると、
「そう私は思うのです。運命と。貴方には、光を作り出す技があります。何故、その技をもって貴方が生を受けたか。その意味をお考えください」
「‥‥よかろう」
義助が立ち上がった。すると雷慎が満面に喜色をうかべ、
「神剣を鍛えてくれるの?」
「いや。ともかくも、その北条早雲という男に会ってみよう。話はそれからだ」
「ありがたい」
カノンが胸を撫で下ろした。
その様子に、義助は不審そうに尋ねた。この娘の眼には、何やら深い悲しみがある。
「貴殿、何か深い想いを抱いているようだが」
「先日、神と会った」
カノンは答え、そして腰のクルセイダーソードに眼を落とした。
「人の悪しき面を見せつけられた神だ。それだけではない。平穏に生きる事を許されなかった者も見た。その時に思ったのだ。闇を払い、悲劇をとめらることのできるものはないか、とな」
「それが神剣だというのか」
「少なくとも力の剣じゃないと思うよ」
雷慎が片目を瞑ってみせた。そう、とリンは愛の調べを口ずさむかのように告げた。
希望、と。