●リプレイ本文
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その日、江戸を一人の冒険者が立った。
女だ。堂々たる歩みぶりである。
渡部夕凪(ea9450)。北条家家臣であった。
「行く末を案じる御仁が居る。家康公には前に進んで貰わねば」
夕凪が呟いた。
聞きとがめたのは、傍らをゆく雲水である。
服部半蔵。服部党の頭領であった。
が、雲水は布で顔を隠している。見えているのは眼のみだ。本物かは定かでない。
「行く末を案じる御仁? 信康様のことだな」
半蔵は云った。
「信康様の居所、知っているのか」
「いいや」
夕凪はこたえた。嘘ではない。
「気になるかい」
夕凪が問うた。が、半蔵は答えない。
まあ、いい。
夕凪は前をむいた。
「組む相手に不満もあろうがね、主命だ勘弁しとくれな」
「かまわぬ。それよりも」
半蔵が夕凪の横顔を盗み見た。
「小田原城の兵糧を焼く、早雲の真意はいずれにある」
「さあて。私にも良くわからないお方なんでね」
夕凪は答えた。
同床異夢。それぞれの想いを抱いた二人は、共に小田原を目指し、急いだ。
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海原にはねるのは午後の陽光であった。
その海原をゆく船があった。
積荷は酒であろうか。船倉には酒樽が積まれていた。
甲板には数人の人影が見える。
まるで女かと見紛えるばかりの美麗な相貌の侍。
燃えるような紅髪の、氷の眼差しの男。
神秘的ともいえる瞳をもつ混血の娘。
空から生まれでたかのような妖精に似た老女。
快活な、それでいてどこか憂いを秘めた瞳の娘。
凶相だが、理知の光を額にやどした侍。
瀬戸喪(ea0443)、零式改(ea8619)、ジークリンデ・ケリン(eb3225)、ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)、アン・シュヴァリエ(ec0205)、大蔵南洋(ec0244)。冒険者であった。
他にもいる。船夫達だ。が、その正体は服部党の忍び達であった。
その服部党忍者衆をちらりと見遣り、南洋はぼそりと呟いた。
「心中複雑であろうな。一度は殺さずにはおかぬと定めた者の助っ人を務めねばならぬとは」
「ジャパンは混沌としているでござる。昨日の敵が今日は友となっている場合もあるでござろう」
改が唇をゆがめた。
「それよりも我が主殿、相変わらずただでは動かれぬようでござるな。信玄の尻に火をつけると同時に、武田と源徳双方の忍びを潰されようとは」
「武田は当然だが、源徳もいずれは倒さねばならぬ敵であるからな。それよりも上手く小田原に潜り込めるだろうか」
「心配ないよ」
アンがひょいっと顔を覗かせた。
「服部党が探り出した符牒が確かならね。ねえ」
アンが振り向いて同意を求めた。小首を傾げてみせたのはヴァンアーブルであった。
「そうなのだわ。でも少し残念なのだわ」
「残念? ‥‥ああ、武田の輸送船ね」
アンの面にも複雑な色が流れた。
冒険者の計画では小田原城内の兵糧のみならず、武田の輸送路も断たんとした。が、戦時中なれば、輸送船の敵襲への備えは万全。予想以上に難事と知り、輸送船を狙うのは諦めた。
アンは、ふと舷にもたれて立つ二人の冒険者に眼をむけた。
喪とジークリンデ。共に無口で、ギルド内においてもあまり話したことはない。ことに喪は常に微笑んでいるのみで、内面を窺い知る術はなかった。ある意味、不気味な存在である。
自らも舷に近寄ると、アンは海面を見下ろした。
その脳裏に、ある面影がよぎる。八人目の冒険者の顔だ。
「そろそろ着いた頃かな」
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その冒険者の名は磯城弥夢海(ec5166)といった。
透明と化し、身を潜ませている。場所は小田原の港であった。
船はかなり厳しく調べられていた。当然だ。戦時である。
小田原への輸送船もあるようで、割符などが用いられていた。が、気づかれる恐れがあるため、あまり近づくことができない。故に詳しくは確認できなかった。
せめてもう少し近づくことができれば‥‥
そろそろと夢海は調べを行っている役人に近寄っていった。その時だ。
突如、別の役人が振り向いた。
「どうした、竹庵」
役人に問われ、それでも竹庵と呼ばれた役人は背後に視線を注ぎ続けた。
その時に至り、ようやく夢海は思い出した。武田には三ツ者という忍び集団がいることを。
「おかしな気配がいたしますれば」
竹庵が答えた。
さすがは信玄自慢の三ツ者である。おそらく忍びたる技量は竹庵と呼ばれた忍びの方が夢海より上であろう。油断は命取りであった。
「次の船を調べねばならぬ。ゆくぞ」
「承知」
ようやく竹庵が視線を転じた。
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船が小田原港に着いたのは、すでに夜であった。港では篝火が明々と燃えている。
役人が船に乗り込んできた。中には竹庵の姿もある。
「伊達様よりの品?」
役人が怪訝そうに呟いた。そして一人の侍に眼をむけた。
顔のみは知っている。伊達の武将の一人で、名は確か白石宗実といった。
「うむ」
白石が肯いた。そして、これより酒を小田原城に運び込みたいと告げた。
「これより?」
役人が、不審の眼を竹庵にむけた。
「それはかまわぬが」
「お待ちいただきたい」
竹庵が役人を遮った。
「港で妙な気配があった。嫌な予感がする。まずは船を調べてはいかがでござろう」
返事を待たず、竹庵は船蔵にむかった。慌てて白石が後を追う。
「無礼な。我らを信用されぬのか」
「船検めは我らの役目でござれば」
竹庵が船蔵に足を踏み入れた。ゆるりと足を進める。
と――
いきなり抜刀すると、竹庵が酒樽のひとつに刃を突き立てた。
「な、何をする!」
白石が愕然たる声を発した。対する竹庵の顔に浮かんだのは嘲りにも似た笑みであった。
「それはこちらの台詞だ」
竹庵が刃を引き抜いた。ぬらりとした血が刃にからみついている。
「おのれ!」
白石――アンのミミクリーにより変じていた南洋が叫んだ。アンより竹庵が疑念をもっていることをテレパシーに伝えられていたのだが、さすがにどうしようもなかったのだ。
刹那、役人が血煙にくるまれた。眼にもとまらぬ喪の抜き打ちの一閃だ。
その喪の傍らを疾風のように竹庵が疾りぬけた。階段を駆け上がり、絶叫する。
「源徳の罠だ!」
その瞬間である。無数の手裏剣が空を裂いた。
甲板上の役人達がきりきり舞いする。竹庵のみが手裏剣を刃で叩き落し、甲板にかけられた板に足をかけを――
ぴたりと竹庵の足がとまった。その胸に黄金柄の短刀が突き刺さっている。
「逃しませんよ」
声は海面から響いた。夢海だ。
「ぬう」
竹庵が短刀を引き抜いた。
が、それが渾身の業だ。一瞬後、竹庵は転げるように海に落下した。
「まずいのだわ」
ヴァンアーブルが唇を噛んだ。喧騒の渦が港に広がりつつある。
さらに――
改が酒樽の中に隠れていたジークリンデを助け出したできたのだが、かなりの深手をおっている。アンがヒーリングポーションを口に含ませたが効果はない。
「仕方あるまい。我らだけでゆくでござる」
改が促した。
「ジークリンデ殿のこと、頼むでござる」
服部党の忍びに頭を下げ、改が立ち上がった。その背にジークリンデの震える指がのびた。
「せ、せめてスモークフィールドを。そ、その隙に小田原城に」
わずか後のことである。突如わきあがった煙に包まれ、武田兵達は驚愕の叫びを発した。
「こ、これは」
「何も見えぬぞ」
「あっ」
一人の武田侍が眼を凝らした。明かりが見える。いや――
それが屯所からあがる炎と気づき、その武田侍は悲鳴に似た声をあげた。
「焼き討ちだ」
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樹上にひそむ影があった。猛禽にも似た鋭い眼を爛と光らせ、影は懐から手裏剣を取り出した。
と――
背後からのびた手がその口をふさぎ、刃が喉をかききった。声もあげえず、影は絶命している。
「よし」
影を斃した刃の主――改は樹上から舞い降りた。猫の身ごなしで舞い降りる。武田兵の混乱をつき、スモークフィールドから抜け出た仲間の眼前に。
「これで始末した三ツ者は三人か。ぬっ」
改は気配を察した。何かが飛び立った気配を。
その一瞬後のことである。
むっと血臭が辺りに満ち、人影がゆらりと闇から現出した。手には血刀をさげている。
ぞくりと改は背筋を震わせた。
人影の眼の何たる凄さか。敵か味方かわからぬが、並みの忍びではない。
「何者だ」
「服部半蔵」
答えると、人影は刃を振り、血糊を払った。
「三ツ者を始末した」
「たいしたもんだよ」
苦笑しつつ現れたのは夕凪であった。半蔵の手並みに感嘆したのである。
接し、かつ目の前で見てようやくわかった。服部半蔵の恐ろしさが。
敵にまわせば、これほど恐ろしい忍びもまたとあるまい。この世に半蔵を斃しうる忍びが存在するとなれば風魔小太郎か猿飛佐助、または霧隠才蔵くらいであろうか。
「下見はすんでいる。小田原城までは案内するよ」
「ついてこい」
半蔵が背を返した。何時の間に現れたか、側には数十名の服部党忍びの姿があった。
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ヴァンアーブルのムーンシャドゥにより小田原城内にとんだ冒険者と服部半蔵であったが、物陰に隠れ、動けずにいた。
忍犬対策にと夢海が臭い玉をつくり、使用したのであるが。確かに忍犬の鼻を封じることはできた。が、その異様な臭いのために、三ツ者が警戒態勢を強化したのである。
討って出るか――そう喪が考えた時だ。突如、三ツ者達に動きが生じた。それは港の騒ぎが、ここ小田原城まで轟いてきたことにもよるのだが――
「渡部殿か」
南洋は薄くわらった。
その南洋の読み通り、夕凪は奮闘していた。数名の服部党忍びと共に。
すでに二人、服部党忍びが絶命していた。夕凪もまた深手を負っている。
リカバーポーションを口に含むと、夕凪は刃をふりかざした。
「甲斐の山猿ども。相手してやろうじゃないか」
夕凪が周囲に視線をはしらせた。
黒の疾風が吹き荒れ、氷嵐にもにた銀光が舞い散る。無音の忍び同士の戦いであった。
その時、ましらのような影が飛んだ。
「ぬん!」
視認できぬ速度で夕凪の刃が薙ぎあげられた。鮮血の花を咲かせ、三ツ者が地に叩きつけられた。
血笑をうかべ、夕凪は叫んだ。
「お役目は生還し報告するで完遂さね。一人でも多く本陣に戻るよ、服部の!」
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武田兵の眼が閉じられた。猛烈な睡魔に抗しきれなくなったのだ。
ヴァンアーブルのスリープ。
それが合図であった。服部半蔵と改が同時に動く。豹のように、潜む三ツ者に襲いかかった。
「ゆくぞ」
三ツ者に止めを刺し終え、半蔵が疾駆した。後に配下の忍び、冒険者が続く。
漆黒の颶風が小田原城を駆け抜けた。後には服部党忍びと三ツ者の骸が累々と転がっている。
切り結ぶ服部忍びを平然と半蔵は捨て置きにした。ひたすらなる任務完遂。冷徹なる忍びの怪物、服部半蔵ならではの業であった。
やがて――
冒険者と服部半蔵、そして数名の服部党忍びは足をとめた。兵糧蔵に辿り着いたのだ。
意外なことに兵糧蔵の前の兵数はあまり多くなかった。
港に、そして夕凪、他にも動いている服部党忍びの陽動に兵を割かれているためであろう。信玄警護に要所をかためているのかもしれなかった。
「待ってください」
夢海が小さな声をあげた。そして足元に視線をむけた。
細い糸。おそらくは鳴子の仕掛けであろう。
肯く半蔵の姿が闇に消えた。続いて改の姿が。
「ゆきますか」
喪がゆらりと歩みだした。両手をだらりとさげ、無造作ともいえる姿で。
「あっ」
見張りの武田兵が気づいたようだ。刹那、喪の右手がぶれたように見えた。
一瞬後、鍔鳴りの音が響き、武田兵は身をのけぞらせている。
その喉がぱっくりと割れた。改の刃によって。もう一人の武田兵もまた首をかききられている。
「曲」
者、と叫びかけた別の武田兵を半蔵が切りさげた。
直後である。残った服部党忍びが倒れ伏した。首には手裏剣が突き刺さっている。
空に舞ったのは三つの影。三ツ者だ。
対して同じく空に舞ったのは夢海。空でもつれ、地に落下した後、夢海は動かない。腹を刃で貫かれていた。
夢海ほどの忍びを傷つけたのは誰か。
「富田郷左衛門よな」
服部半蔵の口から軋るような声がもれた。富田郷左衛門とは甲陽流忍法の達人で、三ツ者衆の支配者である。
郷左衛門の眼がぎらりと光った。
「そういううぬは、服部半蔵か」
「そうだ」
化鳥のように空を飛び、半蔵が郷左衛門の前に立った。
服部半蔵と富田郷左衛門。服部党と三ツ者という二大忍者軍団の頭目が今相対したのであった。
「ゆけ」
「やれ」
叱咤の叫びは同時に響いた。
その瞬間、二人の三ツ者がヴァンアーブルとアンに殺到した。
光がしぶいたのは、一瞬後のことである。ヴァンアーブルがムーンフィールドで三ツ者の刃を防いだのだ。
が、アンは――
無残なり。三ツ者の刃がアンを唐竹割りにした。
真っ二つになったアンからは血飛沫が噴きあがり――いや、灰だ。三ツ者に斬られたのはアッシュエージェンシーにより作られたアンの偽者であった。
では本物のアンはどうしたか。彼女は兵糧蔵へと走っている。
「させぬ」
二人の三ツ者が猟犬のように追った。が、その前に二つの人影が立ちはだかった。喪と南洋だ。
「ええい」
郷左衛門がちらりと視線をはしらせた。その先――蔵の前には改とアンがいる。蔵の鍵を開けることなど、改にとっては赤子の手を捻るようなものだ。
そうと知っても郷左衛門は動けぬ。眼前には服部半蔵が控えているのだ。わずかな隙でも見せようものなら、死の顎が容赦なく彼を引き裂くだろう。
その逡巡を灼くように蔵から炎の舌がのびた。アンと改が蔵に火を放ったのだ。
さらに別の蔵を焼くべく駆け出してゆくアンと改、ヴァンアーブルを見送りつつ、半蔵はニヤリとした。
「我がこと成れり」
「何者だ、奴ら」
郷左衛門が問うた。答える半蔵の声は炎にあぶられている。
「冒険者だ」
「冒険者。‥‥恐ろしき奴らよ」
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七人の冒険者が落ち合った頃には、すでに夜は明け始めていた。
夕凪は、たった一人生き残った服部党忍びと共に城を脱出した。
「全て焼いたか?」
「確かめる暇は無かったが‥‥」
冒険者らはヴァンアーブルのムーンシャドゥで早々に脱したが、半蔵は消火させまいと粘った様子。
彼はどうなったか。この時の冒険者には知る由もない。また服部党忍びに運び出されたジークリンデが存命であることも無論彼らは知らない。
「服部半蔵。‥‥生きているでこざろうか」
誰にともなく呟いた改に、南洋は笑みを含んだ声で答えた。
「さて。あれほどの忍びだ。簡単にくたばりはすまい。それよりも」
南洋は水平線を燃え立たせる曙光を見遣った。
「動くぞ、時代が」
そう。
その南洋の言葉通り、再び火蓋はきられることになる。関東をかけた一大決戦の火蓋が。