【風雲】乾闥婆王
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:10 G 85 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:09月19日〜09月24日
リプレイ公開日:2009年10月06日
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●オープニング
●
蒼空に人影がある。
風の中、ゆるゆると降下していた。銀の武具をまとったその相貌は少年のようにあどけない。
「待て」
人影を見とめ、一斉に攻撃態勢をしいた者達を若者がとめた。虹色の光に包まれているかのような美貌の若者である。
その若者の眼前、わずか上で人影は制止した。
「北条早雲だな」
「そうだ」
若者――早雲は脇息にもたれたまま肯いた。
「お前は誰だ」
「鬼道八部衆、天王」
「ほう」
早雲はあっさりと声をあげた。さして感銘をうけた様子はない。
その様子に、天王と名乗った若者の眉がわずかにひそめられた。
「天王と聞いて驚かぬとはな」
「ふふん」
早雲は鼻で笑った。
「当たり前だ。こちらには建御名方神や黄幡神までいるんだぞ。今更天王ごときで驚いていられるか」
「建御名方」
天王の眼が部屋の隅に転じられた。
そこに鬼がいた。貴族的ともいっていい端正な相貌をもつ鬼が。
天王の眼が見開かれた。
「ほほう。まさか鬼神たる建御名方神まで配下にしていようとはな」
「馬鹿」
早雲が形の良い顎をあげた。
「配下なんかじゃない。仲間だ」
「天王」
建御名方神が金色の魔眼をむけた。
「早雲に危害を加えるつもりならば、この建御名方神が相手だ」
「そのつもりはない」
天王は答えた。そして早雲に眼を転じた。
「ますます面白い男。どうだ、早雲。我らの仲間にならぬか」
「仲間?」
早雲が眉根をよせた。そうだ、と大きく天王は肯いた。
「我が主であられる帝釈天様に魂を捧げ、魔人となるならば」
「魔人となるならば?」
「ふふ。願いは思うがままよ」
「ほう」
早雲の瞳が輝いた。
「願いが思うがままとは、どういうことだ」
「言葉通りの意味だ」
天王はニヤリとすると、
「何が望みだ。不死の兵か? 最強の武器か? それとも永遠の命か? 無限の黄金でもよいぞ。何でも望みのものを与えてやろう」
「ほう」
三度早雲は声をあげた。今度の声には感嘆の響きが含まれている。
「不死の兵に最強の武器、永遠の命に無限の黄金か。さすがは神天。たいしたものだ。今の俺には、どいつもこいつも喉から手が出るほどに欲しい代物ばかりだな」
「では仲間になるか」
「さあて。ここが考えどころだ。俺には戦わねばならぬ相手がいる。お前たちと遊んでいられるかどうか」
「戦わねばならぬ相手?」
天王の眼がぎらりと光った。
「もしや、それは我らと戦うということか」
「違う」
早雲の眼がすっと細められた。そして、告げた。
「俺が戦うのは古いジャパンよ」
「何ぃ!?」
天王の口から、彼らしくもない素っ頓狂な声がもれた。そしてすぐに天王は腹を抱えて笑い出した。
「笑わせてくれる。古いジャパンと戦うだと?」
「そうだ。俺は民のため、新しいジャパンをつくる。そのために戦うんだ」
「馬鹿な。貴様の目指すものは夢物語のようなものだ」
「夢だから追うんじゃねえか」
早雲は凄絶に笑った。そして手を突き出した。
「そのへんに転がっているものを拾って何が面白い? 手が届きそうにない虹を追いかけるから楽しいんだ」
「――ふふ」
ややあって天王は苦笑をもらした。が、その眼のみには刃の光をゆらめかせている。天王の身がすうと浮き始めた。
「貴様がどこまでやれるか見物させてもらう。が、忘れるな。俺は貴様を諦めたわけではない」
「見たか、小太郎」
早雲が声を発したのは、天王の姿が空に溶けた時であった。
「あれが鬼道八部衆だ」
「三郎がおさめる沼田に巣食っている魔物の仲間だな」
「ああ。その魔物とは九鬼花舟。正体は乾闥婆王というらしい」
早雲は答えた。三郎とは早雲の弟で、今は上杉家のもとにあり、謙信に気に入られたことにより上州沼田城の主となっている。
部屋の片隅にぼうと人影がわいた。それはやがて精悍な風貌をもつ若者の姿をとった。
風魔一族頭領、風魔小太郎である。
「三郎から助けを求められているんだろう。どうするつもりだ」
「助けるさ」
早雲は答えた。
「どうやら魔物は沼田城家老である宇佐美定満にとりついているらしい。よって三郎は上杉家臣を動かせぬ。外から手を貸すしかあるまいさ」
「いいのか、そんなことをしても。沼田の争乱の種をのこしておけば家康が喜ぶだろうに」
「喜ぶのは家康だけさ。民にとってはそうではない。月光」
早雲が呼んだ。すると小太郎の傍らに別の影がわいた。こちらは冷然たる風貌の男だ。風魔忍者。名を月光という。
「御用でございますか」
「ああ。江戸にいってくれ」
早雲は命じた。
「‥‥どこかで」
ふっと天王が呟きをもらしたのは、流れる雲の上に身を舞わせた時であった。
どこかで――
そう、天王はどこかで見たことがあると思った。早雲の裡にある魂の輝きを。それはどこであったか――
これまで天王は数々の英傑と呼ばれる存在を見た。源徳家康、藤豊秀吉、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗‥‥
いずれもが歴史に名を残すほどの英雄達だ。が、早雲の魂の煌きは彼らを遥かに凌ぐ。それはジャパン歴史上最強の英雄の――
「いや、まさかな」
墨のように胸中にわいた思考を恐れるかのように、天王は苦く笑った。
●リプレイ本文
●
朝靄ただよう江戸の早朝。
上州にむかう街道の入り口に十一人の人影があった。
一人は風魔忍者だ。冷厳ともいえる相貌のその男の名は月光といった。
そして残る十人。名は零式改(ea8619)、渡部夕凪(ea9450)、木賊崔軌、木賊真崎、カノン・リュフトヒェン(ea9689)、カーラ・オレアリス(eb4802)、水上銀(eb7679)、リン・シュトラウス(eb7760)、マクシーム・ボスホロフ(eb7876)、大蔵南洋(ec0244)といい、いずれもが名だたる冒険者であった。
「やはり早雲様にお会いすることはかなわぬか」
南洋が鋭い眼を月光にむけた。ああ、と月光は肯いたのみだ。
実は南洋は江戸出立の前に早雲との面会を望んでいた。が、時がなかった。
「この二人がそうか」
月光は南洋から夕凪に視線を転じた。
早雲様お気に入りの股肱の臣。早雲様はいずれこの二人に城――いや、国すらも与えるつもりであるらしい。
その夕凪が月光を見返した。
「主殿も弟君のこととなると、さすがに放ってはおけないようだねえ。まあ新田と手打ちをしたとはいえ、睨み合いが続く事には変わりはない。此の上獅子身中の虫にまで寄生されてちゃあ三郎殿も気苦労は絶えなかろうからね。それにさ」
夕凪がふふっと笑った。
「何より、彼の方の心には自由が似合う。主殿と同じ様にね」
「そうだな」
厳しい月光の顔が綻んだ。
「ね、月光さん」
ふっとリンが花の精のように可憐な顔で月光をのそれを覗きこんだ。
「早雲様にお伝えしてほしいことがあるの」
「お伝えしてほしいこと?」
「次会う時は覚悟してくださいって」
「覚悟? 何の覚悟だ?」
「それは」
くすりとリンが薄紅色の花びらのように微笑った。そして云った。
「内緒」
夜這いしたいなんて風魔忍者には云えない。下手にもれたら風魔くの一全てを敵にまわすことになる。
そして――
月光は改を見た。改こそは四人めの北条家家臣であり、風魔とは異なるただ一人の忍びであった。
「そろそろゆくか、月光殿」
「うむ」
月光は肯いた。
先行する改に月光は同道するつもりであった。沼田領内にひそむ風魔の仲間につなぎをとるためである。
「乾闥婆王でござるか」
改が蒼い笑みをうかべた。
「魔物には早々にご退場願がおう。人は人の世のことで忙しいでござるからな」
「むっ」
月光が微かに呻いた。改の身から漂い出た殺気に反応したのである。
本音をいえば、月光は改のことをそれほど高くは評価してはいなかった。改程度の実力者ならば風魔にはごろごろといる。
が、今垣間見せた改という男の凄みはどうだ。武田信玄の心胆を寒からしめたという噂も肯ける。
月光が歩みだした。改もまた。
それを見送り、カノンは漆黒のコートを羽織った。
「人の世に巣食う魔を断つ。国は違えど、神聖騎士の本懐ではある。それに‥‥八部衆が絡むと聞けば、否が応にも気合が入るというものだ」
「一人倒して済む話では無いがな。が、暗雲を払う第一歩とはなるだろうな」
マクシームの唇の端が吊りあがった。すでにその眼は獲物を狙う狩人のそれと化している。そうだ、と答えるカノンの眼にも蒼く燃え上がる炎があった。
と、歩み始めた冒険者達の背に崔軌の声が飛んだ。
「頼むな、皆」
銀が足をとめた。
彼女は直接には乾闥婆王は知らぬ。が、鬼道八部衆とは浅からぬ因縁がある。崔軌もまた。
かつて朱美という娘がいた。愛する者を失い、流離うことを余儀なくされた娘だ。
その朱美の心の隙をつき、騙し、殺した者がいた。
緊那羅王。乾闥婆王と同じく鬼道八部衆の一人だ。
崔軌は云った。
「朱美を死なせたのは自分が下手打ったせいだが、そもそも利用する奴が居なけりゃ誰も失くさずに済んだ筈だ。絶対に斃してくれ」
「任せておけ」
銀は空を見上げた。そこに彼女は朱美の寂しげな面影を描いた。
「あの子にようやく顔向けできるのかねぇ」
「やりましょう」
カーラが拳を握り締めた。
乾闥婆王を斃す。その資格者の第一は彼女であったろう。誰よりも早く、誰よりも深く鬼道八部衆を追っていたのはカーラであったのだから。
「これ以上彼の好きにはさせません。この命にかえても」
決然たる声音でカーラは云った。
●
冒険者達は沼田に入った。
振り返り、夕凪は苦く笑った。
関所でのことだ。彼女は役人が幾つかの人相書を確かめていることに気づいていた。
夕凪は冒険者であるが、その名は大名達の間では広く知れ渡っている。もしカーラのミミクリーによって顔を変えていなければ一揉めあったことは間違いない。
そして沼田城下。
冒険者六人は宿をとった。南洋のみは別の宿だ。
「俺はゆくところがある」
部屋に荷を下ろすなりマクシームが立ち上がった。リンが見上げ、
「どこへ?」
「沼田城だ」
マクシームは答えた。
マクシームと入れ替わるようにして宿に現れた者がいる。改だ。
「どうでした、宇佐美屋敷は?」
カーラが問うと、難しい顔で改は腰をおろした。
「屋敷周辺に軒猿の姿ない。が、内部はどうか。もう少し潜まねばわからぬ」
「大丈夫か」
カノンが眼をむけた。
道中、冒険者達はカーラより八部衆のこと、さらには上杉家忍び衆である軒猿について聞いている。油断はできぬ恐るべき敵だ。
「わかっている」
改は頷いた。
●
夕刻。
黄昏に染まる沼田城から一人の侍が供を連れて現れた。沼田城城代家老、宇佐美定満である。
すれ違いざま、ちらりと眼をやったのはマクシームだ。
これが宇佐美か。
一瞬のことだ。常人ならば宇佐美の何たるかはわからない。
が、マクシームは常人ではない。狩人としての彼の心眼は瞬時にして宇佐美の本質を見抜いている。
豪胆にして怜悧。上杉家の家老にふさわしい人物だ。が、少しばかり怜悧すぎるきらいがある。
立ち止まりかけたマクシームは慌てて足をすすめた。
宇佐美の周辺に不穏の気がある。おそらくは軒猿であろう。
「なるほど。これはできる」
マクシームはぼそりと呟いた。
その宇佐美定満が邸に帰りついたのはまだ黄昏の光が残っている頃であった。
「ご家老、このようなものが」
家人である塚原内膳が定満に一通の書状を手渡した。
「これは‥‥!?」
定満の眼が見開かれた。差出人の名は大蔵南洋。北条家家臣とある。
「三郎様、そして上杉と北条について相談したきことありと記されておる。北条家家臣と名乗っておるからには捨て置けぬが‥‥」
定満は書状から内膳に眼を転じた。
「お前がまいれ」
定満が命じた。正体のわからぬ者の呼び出しに城代家老が出向くはずもない。
「檜垣」
「はッ」
障子戸のむこうに影がわいた。
「檜垣兵助、ここに」
「うむ。話は聞いておったであろう。内膳の警護に軒猿をつかう」
「承知」
影が消えた。
●
「まずい」
宇佐美屋敷から現れた侍を見とめ、改は舌打ちした。侍は宇佐美定満ではない。
「わかりました」
改の思念を受け、リンは白馬新九狼に飛び乗った。むかうは――沼田城!
塚原内膳が宿に着いた。出迎えたのは当然のごとく南洋だ。その来訪はマクシームによりすでに知らされている。
南洋は話を切り出した。同盟について、そして三郎について。
「上杉の柱石とするため、必要あらば陰ながら助力の用意がござる」
「それは」
内膳の眼が輝いた。彼は、主である定満が三郎を次期上杉当主と望んでいることを知っている。
「ありがたい。そのこと、主である定満に伝えますれば」
マクシームは弓をおろした。物陰から宿を見つめる。
騒ぎはない。どうやら揉め事はないようだ。
が――
再びマクシームは弓をあげた。
この闇のどこかにきっと軒猿は潜んでいる。獲物を撃つのは俺だ。
●
「出た!」
改が思念を送った。
樹上に潜む彼の眼下をゆくのは定満である。供侍が一人。おそらく軒猿もつれているだろうが姿は見えず、また気配もとらえられぬ。
ややあって人影が立ち上がった。身形からして銀だが――男であった。端正ともいえる相貌は青木新太郎のものだ。
肯くと銀は屋敷に歩み寄った。門を叩く。しばらくすると木戸が開いた。
「青木新太郎と申す」
銀は木戸を開いた宇佐美家家人に名乗った。
「夜分に申し訳ござらぬが、友である九鬼花舟に用がある。呼んでいただけぬか」
「九鬼殿のお知り合いとな。少し待たれよ」
家人が背を返した。と、銀は木戸の内へ足を踏み入れ、
「いや、お手を煩わせるのも恐縮ゆえ、俺がいけば済むこと。いやいやお構いなく」
「ならぬ」
家人が押しとどめた。が――
次の瞬間、家人ががくりと崩折れた。その首筋に銀の手刀が突き刺さったと見とめえた者がいたか、どうか。
銀は家人を物陰に引きずりこんだ。振り向いた時、銀の顔は家人のそれと化していた。
と、踏み出しかけた銀の足がとまった。その足に手裏剣が突き刺さっている。
軒猿!
心中に呻くと同時に銀は飛び退った。炎紋の刃をひきぬく。しかし続く攻撃はなかった。
「あんたかい」
銀はふっと息を吐いた。その前には月光が立っている。
「策があたったな。いくら俺でも一度に軒猿数人の相手はできぬ」
「ふふん」
ニヤリとすると銀は薬水を口に含み、玄関へとむかった。
●
障子戸が静かに開いた。
中には総髪の男が座している。端正な、しかしどこか非人間的な美しさをもった若者であった。
九鬼花舟。乾闥婆王である。
九鬼は廊下に佇む侍を見遣った。
「田口殿、何か?」
「茶を」
田口は部屋に歩み入ると、畳の上に湯飲をのせた盆をおいた。
すみませぬ、と九鬼が湯飲に手をのばしかけた時だ。さっと田口の腕がのび――九鬼の手が田口のそれを掴んだ。
「何の真似でござるかな、田口殿――いや、曲者殿と呼んだ方がよいか」
「な、何のことでござる?」
「くくく」
九鬼が嗤った。
「とぼけてもむだだ。そのような変化でこの俺の眼を誤魔化せると思ったか」
ばきり、と九鬼の手の中で田口――銀の手首が砕けた。
「おのれ!」
銀の左手が腰の炎舞にのびた。が、利き腕でないために遅い。抜刀するより早く九鬼の刃が銀の胴を薙いだ。
「曲者でござる!」
薬水にのばした銀の腕を足で踏みつつ、九鬼が叫んだ。そして刃を銀の胸に突き立てようと――
廊下から怪鳥のように飛んだ影がある。改だ。
「死ね!」
改の刃が疾った。おお、と九鬼が抜き合わせる。が、不意打ちを仕掛けた改の方が早い。
断ち切られた九鬼の腕が舞った。それは空で溶け、残された刀のみ畳に転がった。
「とどめだ!」
ザンッと畳をすべり、さらに壁を蹴った改が襲った。それは振り返った九鬼の胸を貫き――
「迅いな。が、うぬに俺は殺れぬ」
九鬼の手がのび、改の首をとらえた。異音が響き、改の首がありえぬ方向に曲がった。
●
屋敷内から叫びがあがった。
九鬼の放ったものだが屋敷外の夕凪にはわからない。が、夕凪は屋敷内に乱入した。
「何者だ」
誰何の声。定満の家人だ。
「曲者だよ」
夕凪が抜刀した。そして傍らに立つ月光に囁いた。
「彼らは上杉の侍だ。殺しちゃあだめだよ」
「わかっている」
月光の手に数本の手裏剣が現れた。
●
定満の家人の足音が響いている。
その物音を耳にしつつ、三人の冒険者達は呆然と立ち尽くしていた。
彼らの眼前には九鬼が立っている。その手には首をへし折られた改が掴まれていた。
さらに九鬼は銀を踏みつけていた。改はすでに絶命しているが、銀の方はまだ息があるようだ。
「きさま!」
疾風と化してカノンが迫った。が、ぴたりとその足がとまる。深淵から噴き出したかのような漆黒の炎が突如九鬼を包み込んでいた。
「ふふふ。この炎をこえて俺を斬ることはできぬ」
嗤いつつ、九鬼が足に力を込めた。銀の手の骨が悲鳴をあげる。
「待ちなさい!」
カーラが叫んだ。
「観念しなさい、乾闥婆王。巣守神社の宮司は既にとらえられました」
カーラは告げた。はったりだ。
上杉家重臣色部勝長に巣守神社の宮司のことを知らせてはいるが、この時点でどうなっているか彼女にはわからない。同時にカーラは祈りの結晶を掲げてみせた。
「巣守神社の宮司、なあ」
九鬼の唇が嘲笑の形にゆがんだ。
「それがどうした」
九鬼が銀の首を踏みつけた。めきりっと銀の首の骨が粉砕された。
「ぬう!」
カノンの氷の剣が袈裟に疾った。憤怒に任せたそれはカノンらしくもない、いや本当はカノンらしき無意識的な一撃だ。
無論それは九鬼の結界に遮られ――
「な、何!?」
九鬼の眼がかっと見開かれた。その身を半ばまで切り裂いているのはカノンの刃であった。
「き、きさま」
九鬼が血筋のからみついた眼をカーラにむけた。
「ニ、ニュートラルマジックを‥‥。ぬ、ぬかった。乾闥婆王ともあろう者が」
九鬼の手から闇色の炎がとんだ。が、それはカーラの身寸前で月光色の結界によってはじけちっている。リンのムーンフィールドの仕業である。
「ぬん」
カノンの刃がさらに深く九鬼の身体をえぐった。それは、さしもの九鬼ですら無視できぬ損傷を与えている。
「ええいっ」
九鬼が改の身体をカノンに叩きつけた。そして飛鳥のように部屋を翔け抜けた。
●
障子戸をぶち破り、蝙蝠のように九鬼が空を舞った。すでにその眼は赤光を放ち、口は耳まで裂けている。乾闥婆王たる本性があらわれつつあった。
「おのれ! よくも、よくもこの乾闥婆王を! 覚えておれ。いずれ必ずうぬらを嬲り殺してくれる!」
「次はない!」
声は九鬼の頭上から降った。
はっと振り仰いだ九鬼は見た。満月を背に身を躍らせる影を。
「ふん」
影――月光が九鬼の背に蹴りを叩き込んだ。同時にリンの放ったムーンアローもまた九鬼に身に吸い込まれている。
たまらず九鬼が地に舞い落ちた。そこには――
「さあ、勝負といこうか!」
夕凪が抜刀した。夢想流の抜き打ちは闇に月光の亀裂を走らせる。その光の奔流は九鬼の胴を真っ二つにした。
やった!
心中に快哉をあげ、夕凪は飛び退った。その眼前で半身の九鬼はニンマリとした。すでにその顔は溶け崩れつつある。
「くくく。この乾闥婆王を斃したとて、うぬらに未来はない。すでに残る七王は帝釈天様のもとに集うている。さらには第六天魔王様の復活も近い。うぬらは、もう終わりだ」
九鬼が哄笑をあげた。が、それはふいに止んだ。夕凪の刃が九鬼の顔を貫いたのである。
「うるさいねえ」
夕凪は云った。
かくして鬼道八部衆乾闥婆王は斃れた。沼田に巣食う魔は祓われたのである。
これはさらなる後日のことであるが。
宇佐美定満は家老のままであった。しかしその心は折れ、三郎に屈した。定満は三郎の腹心の配下となったのである。それは早雲の目論見通りで。
そして、冒険者は――
風魔の働きによって復活した改と銀を含めた冒険者達は沼田を後にした。
蒼空に銀が思い描くのは朱美の面影である。
「少しは想いが晴れたかい」
銀は問わずにはいられなかった。