逆襲のグラン

■シリーズシナリオ


担当:美杉亮輔

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや難

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:05月20日〜06月02日

リプレイ公開日:2005年05月30日

●オープニング

「‥‥それで、尻尾をまいて逃げ戻ってきたと?」
 問いただす声に、青年は面を伏せた。さして重い叱責とは思えぬのに、青年の顔からは血の気がひいている。
 彼の名はグラン。二度冒険者と対峙した男だ。
 彼がいるのは豪華な調度品に囲まれた部屋の中であった。一本だけ灯された蝋燭のか細い光では、その雅の全てを顕かにすることはかなわぬのだが。
「――あと一歩というところで、冒険者どもが邪魔を‥‥」
 グランは唇を噛んだ。
 先日、卑怯外道のグリブス山賊団が冒険者に潰された。そのグリプスの元に、グランの目当てのものがあったのだ。が、結果、彼は冒険者の一人を刺し貫いたものの、成す術もなく退かざるを得なかったという経緯がある。
「聞かぬ。ゴウニュの宴の方々はお怒りだ」
「お、お待ちください!」
 グランが血相を変えた。
「か、必ず、例のものは手に――」
「確かだろうな。次にしくじれば、お前の命で償うことになるぞ。もしお前の手にあまるようであれば――」
「お任せを!」
 声の主を制し、グランが立ちあがった。
「ゴウニュの宴の方々の手を煩わせるまでもありませぬ。次こそは、必ずやこのグランが例のものを手中にし、献上すると――」
 お伝えいただきたいと頭を垂れ、グランは部屋を後にした。

 しんと静寂がおりた部屋の中で、声の主はグランが姿を消したドアから視線を外した。薄闇の中で表情は隠されているものの、微動だにせぬ声の主の身体から発せられるのは氷の気配である。
 その気と同じく、ひやりとする声音で声の主は呟いた。
「三獣士‥‥間に合わぬだろうが、呼び戻しておいた方が良いかも知れぬな」
 

 館を辞したグランの元に、青白い顔色の小男が駆け寄ってきた。グリプスの配下であり、グランとの間の連絡の用をつとめていた男だ。
「貴様か‥‥」
 グランが口を歪めた。すでにその面には不敵不遜の表情が戻っている。
「冒険者どもめ。奴らのおかげで、兄上だけでなく、あやうく俺までも命を失うところであった」
 ギリッと歯を噛むと、グランは小男に眼を戻した。
「何としても例のものを手にいれねばならぬ‥‥手勢が必要だ。グリプスの手下が残っているはずだな」
「二十ほど」
 小男が頷いた。
「ただの奴ではかなわぬ。敵は冒険者――グリプスとギュレンを弊した手練れどもだ」
「ならば‥‥面白い奴が――」
「面白い?」
 問うグランに、小男は陰鬱な笑みを返した。
「はい。グリプスですら手を焼く者が――」
「よかろう。その者を呼べ。グリプスの弔い合戦をさせてやると云ってな」
 ククッと嗤うと、グランは続けた。
「やらねばならぬことは、まだある――ギュレンの始末だ」

 数日後――
「護衛?」
 冒険者ギルドの男の問いかけに、碧眼の少女は頷いた。はかなげな風情の、可憐な美少女である。
 名をマーヤ。グリプスの元から救い出され、冒険者によりキャメロットまで連れてこられた少女だ。腕や足に包帯を巻いているのは、グリプス達の惨い仕打ちの証しである。
「ある街まで、送っていってほしいのです」
 少女の告げた名は、キャメロットからは北に位置する街のものだ。街道をゆけば、それほど危険な旅ではない。
 ふむ、とギルドの男は肯首した。彼はマーヤの件について報告を受けていたのだ。
「賊に襲われた君が旅を怖れる気持ちも分かる。傷もまだ癒えてはいないようだ‥‥よかろう。依頼を手配しよう」
 少女に微笑を返し、ギルドの男はペンを手にとった。

 同じ頃――
「待て」
 呼びとめられ、二つの影が振り返った。ひとつは浅黒い肌の妖艶な女。そしてもうひとつは煌く金髪の優しげな青年だ。
「ジェシカとレミオだな。もう逃がさんぞ」
「逃げる、だって?」
 クククと嗤うと、妖艶な女――ジェシカは眼前の男達に嘲弄の眼差しを投げた。
「自警団如きが、何を偉そうに――」
 その彼女の言葉が終わらぬうちに、あっと自警団の一人が苦鳴をあげた。
 何がどうなったのか、咄嗟には判断がつかない。動揺し、色めき立つ自警団の男達は一斉に剣を抜き払った。
「ふふふ。慣れないものを持つと、怪我をするわよ」
 投げられたジェシカの言葉にカッとしたか、自警団の一人が刃を舞わせた。疾る刃は無防備にさらされた背を断ち――血煙をあげて、別の自警団の一人がのけぞった。愕然とする自警団の男達の前で、仲間を斬り殺したその男は、さらなる獲物を求めて刃を振りかざす。
「せいぜい踊ってもらいましょうか」
 面白い見世物でも眺めているかのように、優しげな青年――レミオはニンマリと笑った。

●今回の参加者

 ea3179 ユイス・アーヴァイン(40歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea7197 緋芽 佐祐李(33歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 ea8745 アレクセイ・スフィエトロフ(25歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ea8783 フィリス・バレンシア(29歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9311 エルマ・リジア(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9337 アルカーシャ・ファラン(31歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 eb0610 フレドリクス・マクシムス(30歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 eb0977 ガルム・ガラン(62歳・♂・ファイター・ドワーフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

ディーネ・ノート(ea1542

●リプレイ本文

「‥‥という事だ」
 グランとの経緯を語り終えると、フレドリクス・マクシムス(eb0610)は形の良い唇を自嘲気味に歪めた。やり損なった仕事の顛末など、話して楽しいはずがない。
 はん、と笑ったのは女豹を想わせる凄艶な娘である。
「あんたがしくじるとはねぇ」
 可笑しそうに笑うフィリス・バレンシア(ea8783)は、しかしすぐに真顔にもどると、
「それにしてもグランって奴、気に食わないな‥‥」
 グランには一度、仲間が手痛いめにあわされている。
 誇り高い彼女にとって、それは痛恨事以外なにものでもない。それになにより、強敵との命のやり取りを渇望する彼女であった。
「それにしても‥‥」
 憂いをおびた声がぽつり、と――
 七対の眼が声の主――緋芽佐祐李(ea7197)に向けられた。
 百合のごとき清楚可憐な彼女であるが、今、その美しい面に煌きはない。
 昏い翳を頬に落したまま、彼女は続けた。
「嫌な予感がします。山賊は己の獲物を容易に諦めたりはしないもの。つくづく前回、グランという輩を逃がしてしまった事が悔やまれます」
「確かに、単なる盗賊団にしては手練れが多過ぎました。どうやら何らかの背後が存在していそうです。とりあえず、今は少しでも情報が必要ですね」
 その為にギュレンの尋問に行きたい――アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)が申し出た。ギュレンとは、前回の依頼で弊した賊の生き残りである。
 ならば、と――
 月の光と見紛うばかりの銀の髪をさらりと揺らせて、ユイス・アーヴァイン(ea3179)が立ちあがった。
「私も同行しましょう。同じく漠然とした胸騒ぎを感じていますので‥‥まぁ、心配損だと佳いんですけれどね〜」
 相変わらずゆったりと笑うユイスだ。が、彼の眼にゆれているのは、ユイス自身ですら気づかぬ憂慮の光である。
 それを読みとって、ガルム・ガラン(eb0977)は口を引き結んだ。
 こやつほどの男が慮るものとは――
「長い旅になりそうだの」
 優しきドワーフの傭兵は深い溜息をついた。
 
 その言葉通り――彼等は長い、そして過酷な旅をむかえることになる。

「ここらで休もうぞ」
 呼びかけると、ガルムは驢馬をとめた。
 マーヤの盾として側に付き従っていた彼は、ごつい手をのばすとマーヤの細い体を抱き上げ、壊れ物を扱うようにそっと地におろした。
「いざという時に動けるようにろ、身体を休ませておくのも必要なことじゃよ」
 慈父のように微笑うガルムに、マーヤはコクリと顔を頷かせた。
 冒険者という事で信用はしてくれているのだろうが、心を許したわけではない――触れる度、ビクリと身を硬直させるマーヤの心の傷はどれほど深いのだろう。
「不幸にもおぬしを傷つける者がおったが、おぬしを護ろうとする者もこの世界には必ずおる事を忘れんでくれ」
 ガルムは痛ましげに眼前の少女を見つめた。
 と――
 マーヤがビクッと身をすくませた。
 指を舐められた!? 
 慌てて見下ろしたマーヤの視線の先に、フワフワの毛の塊があった。
「この子はグラーティア。女の子です。仲良くしてやってくださいね」
 声に、マーヤは振り返った。天使のごとく愛くるしい美少女が微笑んでいる。
「エルマ・リジア(ea9311)といいます」
 ペコリと頭を下げるエルマに、同じように礼を返してから、マーヤは再び毛の塊――エルマの愛犬のグラーティアに眼を戻した。当のグラーティアは小首を傾げてマーヤを見返している。尻尾をパタパタと忙しく振りながら。
 ふっと――マーヤの桜色の唇に微かな笑みがういた。
 その事に気づき、エルマがほっと胸をなでおろす。
 想いは同じだが――佐祐李はしゃがみこむと、マーヤを見上げて問いを発した。
「時に‥‥マーヤさんはその街へは何をしにいらっしゃるのですか?」
「‥‥」
 何か云いたそうに一瞬口を開いたものの、すぐにマーヤは唇を堅く引き結び、顔をそらせた。寂しげに、哀しげに――
 その頑なな拒絶の前に、佐祐李は肩を落とした。
 道中の危険の種類が分かるかも知れぬ――そう思って発した問いであるが、まだ時期尚早であったようだ。
 佐祐李の暗鬱な眼差しに、エルマは小さく頷いた。
 
「――どうだ、襲撃者の気配は?」
 一切を衣服で隠し、ギラとする眼だけを覗かせた若者――アルカーシャ・ファラン(ea9337)の問いに、鋭い視線を外すことなく、先頭で警戒に当たっていたフィリスは頭をふった。
「どうやら近くに敵はいないようだな」
 呟くフレドリクスは眼を上げた。彼の眼は、遥か蒼穹を飛ぶ影を追っている。
 ステッラ――星の名をもつ鷹が戻ってこないということは、近くに怪しい人影はないという証しだ。
「やはり襲撃があるとすれば、夜か‥‥」
 事前にルートの確認をした佐祐李のおかげで危険を避けては来たものの、やはり野営は避けられない。唇を噛むと、アルカーシャはマーヤに危惧の眼差しを投げた。
「あの時助けた中に居た少女‥‥まだどちらの傷も癒えて無いだろうに‥‥」
 案じるアルカーシャであるが、彼自身、全身無数の傷を負っている。そして、その心にも――ハーフエルフとして生きてきた彼の生涯は、若年なれど筆舌につくしがたいほど辛苦に満ちている。それでありながら、なお彼は、他者の痛みを哀しみと感じる事ができるのだ。
「心の傷を少しでも癒してやりたいのぅ」
「せめて行く先で幸せになれると良いけど」
 ガルムとフィリス――剣においては恐れるもののない二人もまた、成す術のない嘆きに面を曇らせている。
 その声を背で聞きながら、フレドリクスは云い知れぬ不安に苛まれていた。
 ――今回の一件は根が深い。グラン、何を企む?
 刹那――その彼の想いを知ってか、ステッラが一声高く鳴いた。

「クーゲル」
 馬からおりると、ユイスは手をあげた。バサッと羽音を響かせ、鷹――クーゲルが舞い降りて来る。
「もうすっかり懐いているみたいですね」
 自らも愛馬アリョーシカの首筋を撫でながら、アレクセイが笑いかけた。
 ふうわりと微笑を返すと、
「大切な仲間ですからね〜。早めに“お友達”になりたいですし〜」
 慈しむように、ユイスはクーゲルに保存食の残りを与えた。
 
 仲間と別れ、馬を走らせて彼等が辿りついた街――ここにギュレンが囚われている。牢獄に閉じ込められ、裁きを待っているはずなのだが――

「急ぎましょう」
 促し、アリョーシカを引きつつアレクセイが歩き始めた。
 頷くユイスもまた一歩踏み出し――何かの気配を感じたように振り返った。
 風が淀んでいる――
 ユイスは心中で呟いた。

 薄暗い牢獄の中――
 むくりと一人の男が身を起こした。
 呪文封じに両腕を封じられた巨漢――ギュレンである。
 ちらりと周囲に視線を走らせると、ギュレンはニンマリと笑った。
「遅かったな」
 そのギュレンの声に応じるかのように、闇の中に人影が湧いた。青白い顔色の小男だ。
「待っていたぞ。早く戒めを解け」
 急かすギュレンに頷くと、つつ、と小男が身を寄せた。ゆっくりと伸びる手は一度戒めにかかり、流れるようにギュレンの首へ――
「なっ――」
 がっしりと食い込んだ指に、ギュレンの呻きがたちきれた。もがく口から舌が突き出され――
 刹那、銀光が疾った。
 苦鳴をあげて小男が飛び退る。その手に突き刺さっているのは――アレクセイのシークレットダガーだ! さらに――
 風の刃が小男を切り刻んだ。

「間にあったようですね」
 ギュレンの呼吸を確かめると、ユイスは安堵の吐息をついた。アレクセイも胸をなでおろす。
 その時――
 ギュレンがうっすらと眼を開けた。眼前の二人の姿を見とめ、ニヤリと口を歪める。
「‥‥まさか、貴様らに助けられるとはな」
「御託はいい。訊きたい事があります。もし喋らないのなら‥‥」
 ふふふ〜と笑うユイスに、ギュレンは顔色をなくした。
「今更隠し立てはしねえ。どのみち、命は狙われるんだ」
「ならば教えてもらいましょう。あなたたちの真の目的は何なのですか?」
 問うアレクセイに、ギュレンは眼を転じた。
「真の目的だと? 真も何も、俺達は金目のものを奪うだけさ。宝石だろうと女だろうとな」
「しかし、あのグランという男――」
「奴か‥‥」
 ギュレンの眼に嘲弄の光が揺れた。
「奴の目的はただ一つ――マーヤという小娘だ」
 あっと息をひくアレクセイに代わり、ユイスが口を開いた。
「そのマーヤを、何故グランは狙うのですか?」
「狙っているのは奴じゃねえ。奴をつかっているゴウニュの宴だ」
「ゴウニュの宴?」
 眉を潜めるユイスに、ギュレンが頷いてみせた。
「そうだ。俺も詳しく知っている訳じゃねえが‥‥なんでも不老不死を得ることを目論む秘密結社らしい」
 不老不死――思いもかけぬ言葉に、ユイスとアレクセイは顔を見合わせた。
 ややあって、さしものユイスが青ざめた顔で問うた。
「‥‥ゴウニュの宴が狙うマーヤ‥‥あの少女は何者なのですか?」
「マーヤか‥‥」
 ギュレンの口の端が、鎌のように吊りあがった。

 二つの騎影が風をまいてひた疾っている。
 操るのは蒼白面の美影身。云うまでもなくユイスとアレクセイである。
 彼等の脳裡にはギュレンから聞き出した真実が渦巻いている。何故ゴウニュの宴がマーヤを狙うのか。そしてマーヤが何故に北を目指すのか――

 ふっ、と――
 マーヤは眼を覚ました。
 恐い夢を見たのである。あの山賊達の夢だ。
 夢の中では多くの女の人が泣いていた。閉じ込められていた小屋の中と同じように。
「恐い夢を見たか?」
 声に、マーヤは眼を転じた。
 暗いテントの中に、人影が一つ。フィリスという名の綺麗で恐そうな女性――
「何があっても私が守る‥‥ゆっくり休め」
 フィリスが云った。ぶっきらぼうだが、強く優しい――戦士の声音だ。
 こく、と頷くと、マーヤは眼を閉じた。

 パキリッ。
 小枝を折ると、アルカーシャは焚火の中に放り込んだ。
 フィリスの声音は彼の耳にも届いている。
 刃によっての傷ならば時と共にいずれ癒えようが、心の傷まで癒してくれるとは限らぬ――ガルムの言葉が、彼の脳裡を過った。マーヤが悪夢から解放される日は来るのだろうか。
 陰鬱な想いを振り払うようにアルカーシャが立ちあがった、その時――
 ぴくりとグラーティアが身動ぎした。はっとしたアルカーシャが視線を走らせる。
 周囲にはガルムと佐祐李が仕掛けた罠や鳴子がある。そう簡単に近づけるはずはないが――
 地をする音に、アルカーシャが飛び退った。
 正体を見とめた訳ではないが、何かいる!
 刹那――
 グラーティアが一声吠え、直後、鳴子が鳴った。
 はじかれたように振り向くアルカーシャの眼前に、薄笑いを浮かべた男が立っている。
「――グランだな」
「娘を貰いに来たぞ」
 ニンマリすると、グランは刃を抜き払った。
「そうはさせない」
 声に、グランの動きが凍結した。その前に氷の殺気をやどした刃が突きつけられている。
「向かってきて、無事で帰れると思わんことだ」
 焚火の光に、フィリスの凄艶な笑みがゆれた。
 そして、また一人――
「不思議だな。貴様とは何れ戦わねばならん気がしていた‥‥勝負だ!」
 フレドリクスの腰から二条の光芒が迸った。
 月光を散らす刃は二つ――小太刀を双手にかまえた姿は、まさに猛銀の如し!
「おもしろい」
 笑みを深くするし、グランもまた刃を振りかぶった。

 一方――
 前衛には向かわず、エルマはマーヤの元に駆け寄っていた。アイスコフィンによりマーヤの安全を図る為である。
 その場での応戦を余儀なくされるが、マーヤを傷つけぬ為には仕方ない策だ。
 と――
 鋭い呼気に、エルマはたたらを踏んだ。慌てて見下ろす叢の中に何かいる。
 紐状の――
「!」
 その正体を見とめ、エルマは息をひいた。
 蛇だ。数匹の蛇が威嚇するように鎌首を持ち上げている。覗く狂暴な牙から、猛毒の持ち主と知れた。
 焦るエルマはテントに眼を向けた。
 急がねば――
 その心の隙を衝くように、一匹の蛇がエルマめがけて踊りかかった。咄嗟に身動きもならぬエルマは――
 刹那、疾り来った影が、むんずとばかりに蛇を踏みつけた。
 もこもこふさふさの勇者の名は――
「グラーティア!」
 叫ぶエルマに、返すグラーティアの咆哮はなおも鋭い。
 まだ敵がいるのか――
 そうエルマが思った時、彼女の首筋に冷たい刃が凝せられた。
「少しでも動くと、遠慮なく切り裂きます。天使の顔に悪魔の技――貴方の恐ろしさはグランから聞かされていますので」
 次第に輪郭を現しつつある美しい若者が、そっとエルマの耳元で囁いた。ぬらりと伸びた舌が、夜目にも白い彼女の首筋を這う。
 が、突如舌が離れた。エルマを突き飛ばすようにして若者が飛び退ったのだ。
 振り向いたエルマは見た。苦痛に顔を歪める若者の腕に手裏剣が突き刺さっているのを。
 安堵にがっくりと膝を折るエルマを、佐祐李が抱き起こした。
「大丈夫ですか?」
 ええ、と頷き、エルマはテントに視線を投げた。
「それより、マーヤさんを――」
 云いかけて、エルマと息をのんだ。佐祐李もまた。
 テントの前に、騒ぎに眼を覚ましたマーヤが立っている。
 その傍らに立つ妖艶な女。彼女の繊手には禍々しい刃が握られている。
 鳴子も鳴らず、気配も感じなかったのに――
 愕然とする佐祐李達に向けて、女が艶然と微笑んだ。
「そこまでよ」
 女のよく通る声に、全ての冒険者が凍りついた。
「グラン、貴様――」
 呻くフレドリクスを嘲笑いつつ、グランは刃をおさめた。
「お前と決着をつけたいのはやまやまだが、仕事がある。娘は貰っていくぞ――おっと」
 冒険者から流れる殺気を感得し、グランは顎をしゃくった。
「下手な真似はせぬ方が良い。俺にはもう後がないのでな。呪を唱えた刹那、娘の首は落ちる――脅しではないぞ」
 試してみるか――ククッとグランが嗤った。

「――遅かったようですね」
 朝靄の惨状に、ユイスが肩を落とした。
「すまぬ。我等がついておりながら‥‥」
 マーヤは馬車で連れ去られた――歯軋りし、うなだれるガルム。その前で、アレクセイは力なく片膝をついた。
「その様子では、ギュレンから何か聞き出せたようだな」
 アレクセイの顔色に、アルカーシャは只ならぬものを感じ取ったようだ。
 ええと頷き、アレクセイが顔を上げた。
「三獣士の事はギュレンも知りませんでした。が、それよりも、グランがマーヤを狙う理由がわかりました」
「!」
 色めき立つ仲間達を前に、ゆっくりとアレクセイは言葉を押し出した。
「マーヤはマーメイドです。そしてグランは‥‥いや、グランを操るゴウニュの宴は不老不死を得る為――」
 一度息をひき、再びアレクセイは震える朱唇を開いた。
「マーヤを喰らおうとしています」