【昏き祝福】薄暮の狂詩曲
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■シリーズシナリオ
担当:宮本圭
対応レベル:1〜5lv
難易度:難しい
成功報酬:1 G 75 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月11日〜11月19日
リプレイ公開日:2004年11月19日
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●オープニング
「旦那様。まだお支度がお済みでないのですか?」
「ちょっと待ってろよ。まだ読み終わってないんだから」
「お急ぎになってください。すでに階下でお客様がお待ちになっておいでですから‥‥何の手紙です?」
「さっきシフールが届けてきたんだ。覚えてるだろ、あのアルマンって子供さ。字が書けたんだなあ‥‥お前も読むか?」
「旦那様のお召し替えが済んだら拝見します。彼はお元気で?」
「冒険者に護衛されて、ちゃんと街まで着いたとよ」
「‥‥それだけですか?」
「おう」
「それで何を読み終わっていないとおっしゃるんですか」
「これだけの文章なのに、何か見落としてる気がして仕方ねえんだよ」
◇
どうして戻ってきたのかと責められた。盗賊の出るという道をわざわざ通らせたのにと。
「‥‥伯父さんはご存知ないかもしれないけど、僕はあなたが思っているほど子供ではない」
子供であってはならない。
出発してすぐ、持たされた書簡を開くことに躊躇はなかった。身寄りのない自分を預かる伯父のことを、アルマンはまったく信用していなかったからだ。家じゅうの者が自分のことを恐れているのも知っていた。まだ両親が健在だったころに教わった読み書きの知識がなかったとしても、申し付けられた遣いの用事が口実にすぎないのはすぐにわかっただろう。
――書簡には何も書かれてはいなかったから。
「帰ってくるべきかどうか本当は迷ったんですよ。あのまま姿を消すことも考えた。嫌われているのは知っていたけれど、ここまでとは思わなかったもの。自分の死を望む人間に囲まれながら暮らせるか、自信がなかったしね‥‥でも」
お節介な人たちのおかげで、結局は戻ってきてしまいました。
すっと目を細めて笑んだちいさな子供を、男は恐怖の目で見つめた。
最初はほんの些細なことがきっかけだった。
この家に引き取られて間もないころ、使用人のひとりが給仕の際に熱いスープをこぼして、アルマンは手を火傷した。もちろんひどく叱られたが、それだけでは済まなかった。次の日、使用人は階段の上から転がり落ち、足の骨を折る大怪我をしたのだ。
別のときには、アルマンのことをからかって石を投げた近所の子供が、その日の夕方に川に落ちて溺れかけた。子供は何かに足を引っ張られたのだと主張したが、そのときはもちろん誰も信じなかった。その時間アルマンは、家で夕食をとっていた。
なぜかアルマンにしきりに吠えかかっていた犬が、しばらくして無残な死体で見つかったこともある。
ただの偶然だと最初は信じていたのに、そういったことが何度も何度も悪夢のように繰り返され、いつしか家じゅうの者がこの子供ひとりを恐れるようになっていた。いつも連れている大きな黒猫以外、誰も彼に触れようとはしなくなった。彼に肉体的な危害を加えた者、加えようとした者は、ことごとく何かの災いに襲われるのだ。
だから手の届かない遠い場所まで追いやったというのに――。
「悪魔め‥‥!」
男の声がそう呟くと、どんっ、と鋭い音が壁を叩いた。食いしばられた歯がぎりりと軋み、射抜くような目が男を見つめる。日の暮れかけた薄暗い部屋の中で、その目だけが昏い光を放っていた。
「お前に‥‥」
うわべの敬語すらかなぐり捨てたふるえた言葉。
「お前たちになにがわかる」
そうして、部屋の隅にわだかまっていた影がふくれ上がった。
館の使用人たちはその日の夕方、主人の部屋の鎧戸を突き破って黒い影が飛び出してくるのを目撃した。
急いで駆けつけたところ、部屋には誰の姿もなかった。無残な鎧戸の残骸に血の跡が点々と残り、そして、わずかにひっかかっていた布の切れ端は、間違いなく館の主人の服のそれだった。事情を知る者たちはすぐに何が起こったかを悟りわずかに躊躇したが、すぐに冒険者ギルドに払うための金を用意した。
街の住民たちは仕事を終えて家に帰る途中で、薄暮の空を駆ける、翼の生えた大きな獣を見かけた。
なにかを背に乗せていたが、それが人間であることに皆が気づく頃には、獣の姿は町外れの森のほうへと消えていたという。
◇
「‥‥ここでの商売が済んだら、一度様子を見に行ってやるのもいいかもなあ」
「それは構いませんが、旦那様。お客様をこれ以上お待たせするおつもりなら、私にも考えがございますよ」
●リプレイ本文
――あれは果たして本当に事故だったのか。
彼はまだ若いが、幸いにして生家が裕福だった。親に遺された財産を使って商売を始め、それを何年もかけて大きくした。幸福な男だと誰もが彼をうらやみ、あなたはまるで神に祝福されているようだというと彼はほほえんで答えた。ああ、そうかもしれない。わたしは世界一幸福だとも。順調な仕事、美しい妻。一匹の飼い猫と‥‥
そしてよく笑う、わが愛する小さな息子。これ以上何を望むことがある?
「‥‥静かだな」
森は頭上の枝葉に光をさえぎられ鬱蒼と薄暗い。足元には茶色くなった枯葉がうすく積もっており、クロウ・ブラックフェザー(ea2562)が踏むとぱりぱりと乾いた音をたてた。
鳥の声も獣の足音も聞こえない。
「いやな感じだ。獣の冬眠にしちゃまだ時期が早すぎる」
「戒もなんだか、さっきから興奮してるわ‥‥」
口元を大きく曲げてのクロウの言に、森島晴(ea4955)も愛馬の異状を打ち明けた。鼻息も荒く、ただそこに立っているだけでもしきりに蹄を蹴立て、なかなか落ち着かない。不安げに馬を見つめ、口火を切ったのはシェアト・レフロージュ(ea3869)だ。
「動物は往々にして人よりも敏感ですから‥‥マリさんの予想通りならば‥‥」
「過敏になっててもおかしくない‥‥か」
クロウの言うのは、森の獣のことなのか、それともこのどこまでも続く薄闇の何処かにいる少年のことなのか。
「とにかく刺激するのはまずい。追い詰められた獣ぐらい怖いもんはないからな。見つからないようにってのは無理だろうが、できるだけ慎重に進もう」
「‥‥アルマンくんの伯父さん、大丈夫かな」
現場に残っていた血痕はわずかだったが、それは連れ去られた男の無事を必ずしも保証してはいない。ぽつりと落とされたシーナ・ローランズ(ea6405)の科白に、誰もがなんとなく黙り込んだ。
「もし本当にミロが‥‥だとしたら、クレリック失格だよね、あたし」
「過ぎたことは気にすんな。振り返って失敗を悔やむより、今は失敗のぶんを取り戻すのが先だろ」
悔恨に丸まったシーナのちいさな背を、クロウの手が軽く叩く。
「怪我人をどうする気かは知らないが、少なくともアルマンは雨風をしのがなきゃならない筈だ。その黒いやつがいくらでかいからって、人ひとり抱えていつまでも歩き回ってるわけはない」
街で聞き込んだ木こり小屋には誰もいなかった。となればあとは地道に足で探すしかないが、それでもある程度の見当をつけることはできる。なんとなればすべての始まりであったあの山賊退治の依頼に、今の状況はよく似ていた。
「多分、落ち着ける場所を探すはずよね。それに水はどんな生き物だって必要だから‥‥」
「そうですね。まず川か池を探して‥‥それから」
アルマンを探して、見つけ出して、それから‥‥。いったいどんな言葉をかければいいのかと、シェアトはふと身震いした。
脳裏をよぎるのは、森を訪れる前に邸の使用人たちに聞いた話。黒猫と寄り添って、毛布いちまいで草の上に眠る姿。
「シェアトさん?」
不安げにシーナが顔を覗き込んでくるのに気づいて、シェアトは首を振った。
「‥‥悪魔?」
そうよ、とマリトゥエル・オーベルジーヌ(ea1695)は首肯した。眉をひそめたリーニャ・アトルシャン(ea4159)には構わず、優雅な所作で音もなく立ち上がる。手にした枯葉の一枚に、赤黒い飛沫の痕が描かれていた。
マリのサウンドワードで、獣のたぐいはある程度迂回することができる。一度ヒグマに出くわしたが、スリープの呪文で眠らせてどうにか事なきを得た。余計な戦いで時間を割く余裕はない。
「普段は黒い猫に化けている悪魔がいるのよ。できれば違っていてほしいと思ったんだけど‥‥」
悪い予感ほどよく当たるものなのかしらね、とマリが言うと、その後ろで別の声が割り込んできた。
「それ、あたしも聞いたことある。えーっと確か、グ、グ、グ、グ‥‥グレマリキン?」
「惜しいわね。グリマルキン、よ」
シェーラ・ニューフィールド(ea4174)の言葉に苦笑いして、マリは手の中の枯葉を手放した。それが地面に落ちるのを最後まで見届けることなく、冒険者たちはまた歩き出す。先頭を歩いていたリーニャが、振り返らないままぽつりと言葉を落とした。
「‥‥手ごわい?」
「私もそれほどたいしたことは知らないの。階級としては比較的下っ端だったはずだけど‥‥でもグリマルキンに限らず、悪魔はそう簡単に倒せないわよ。普通の武器が効かないし、厄介な能力を持ってるのも多いし」
「魔法は効くんだよね?」
「たいていはね」
また血痕。今度は拾い上げずに立ち止まる。新しい枯葉を足で退けると、もう固まった血の跡が残っていた。
「だんだん血痕の間隔が短くなってきてる。このあたりで速度を落としたのね」
「ということは、多分そう遠くないね」
「‥‥どうする‥‥?」
リーニャの言葉に、シェーラとマリは顔を見合わせた。シェアトたちは確か発見したら笛を吹いて知らせると言っていたはずだが、こちらは合図になりそうなものを何も持っていない。それまで黙っていたショー・ルーベル(ea3228)が口を開く。
「血の具合から見て、館のご主人の傷はまだ癒えていないでしょう。早く手当てしなければ手遅れに‥‥」
「そうね‥‥まだ日も高いし、戻るには早すぎるかもしれないわ」
決まりだね、とシェーラが頷き、歩みが再開された。
「‥‥先ほどの話ですが」
「何?」
マリが振り返ると、ショーは幾分沈んだ顔色をしていた。
「もしその悪魔がアルマンさんを唆しているならば、何が目的なのでしょう」
「さあ‥‥好意で守ってやってるわけじゃないと思うけど」
「やっぱ、アレでしょ? 引き換えに魂を‥‥ってやつ」
よくお芝居で出てくる悪魔はそうじゃない、というシェーラに、そうでしょうかとショーは目を伏せた。
「ジーザスの教えでは、悪魔は人の弱さにつけこみます。災いを撒き、疑心を植え付け、麻の如く乱れる人の心を糧とする‥‥そうして堕落させた人間たちを、地獄において自分の召使にすることが悪魔の目的なのだと」
『心の闇を導いてしまうのは、弱き人の心に他なりません』
話を聞いたあと、ショーは、怯えた目の使用人たちにそう言ったのだ。
『ですが、悪しきものに懐柔されぬよう、人の魂をつなぎとめることができるのも、また人なのです‥‥どうか、怯えた心や目は捨ててくださいませんか』
「‥‥誰も、私の目を見てはくださいませんでした」
「仕方ないわ。あの人たちは三年間ずっと、アルマンが近づくことすら怯えていたんだもの」
「でもさあ、それにしたって」
言いかけて、シェーラは急に立ち止まったリーニャの背中にぶつかった。あやうくひっくり返りそうになったのをあわててショーが支え、その腕につかまりながらシェーラが声を荒げる。
「ちょっとリーニャ、急に立ち止まらないで‥‥」
しっ、と小さく鋭い声が、シェーラの文句を制した。
「‥‥静かに。いた」
寡黙な彼女らしい最低限のことばで、全員が息を呑みこんだ。
●石の心
偶然かもしれない。そうではないかもしれない。
誰からも愛される人間などいないことは知っている。眩しい陽光の中を歩く両親の落とす影はおそらく濃いものだったろう。なにが原因であったにしろ馬車が崖から転落したという結果だけは変わらない。横倒しになった馬車の扉は開かなかった。
密閉された空間の中で自分を抱く腕が次第につめたく固くなっていく恐怖を今も覚えている。
死んだあと誰もがそうなるのなら、心など幻と変わらないではないかと知ったあの瞬間の戦慄を。
『肉が滅びれば魂も消える。存在は忘れ去られ、思いは失われる。人間とは所詮、神が一時の戯れに作りだした泥人形にすぎない。この世に満ちる欺瞞に早く気づくことができたおまえは幸運だった』
だからおまえに祝福をやろうと、あれはそう言ったのだ。
「アルマンじゃないの。何やってんのこんなとこで」
かけられた声にはっと顔を上げる。大木の根元には、アルマンひとりぐらいなら入れる程度のうろが空いている。茂みをかきわけて、ジャパン風の着物を身にまとった女――晴が近づいてきていた。
「あんたは」
「本当に世話をかける子ね。ご飯とかどうしてたの?」
近づこうとしたマリを、来るな、と鋭い声が制止した。素早く晴と視線を交わすと、アイパッチに覆われていないほうの目から『ここは刺激しないほうが』という答えが返ってくる。動かないまま、晴は口を開いた。
「あたし達、そのオッサンを連れ帰るように依頼されてきてんの。返してくれないかしら?」
ソレよソレ、と指さした先にはぐったりと横たわるアルマンの伯父の姿がある。ふいと顎をしゃくるのを了解の合図と見て、すかさずシェアトやシーナがその傍に駆け寄った。まだ息はあるが、シーナのリカバーだけでは治せそうもない。急いで荷物から薬を取り出した。
「‥‥どうする気だったの?」
「何も。もう少ししたら、置き去りにするつもりでした。手をかけるまでもない」
冬を前にして飢えた肉食獣が血の匂いを嗅ぎつけるにはそうかかるまい。今は静かにしているが、アルマンたちが立ち去ればどうなるかはほぼ明らかだ。
「ひとりで死ぬのがどういうことか知ればいい」
「そのわりにあっさり手当てさせるのね」
「どうせ放っておく気はないんでしょう?」
「別にそいつのためじゃないけどね」
シェーラが肩をすくめる。
「あたしはあんたにそんなことしてほしくないだけ。あんたは、一体何がしたいの? 復讐?」
言いながら素早く目を走らせる。求める姿は見当たらない。いくら薄暗いといっても、あれがこの場にいればすぐわかるはずだ。何かの理由でこの場を離れているのか、それともどこかに身を隠しているのか。
「あんたたちこそ、何のためにその男を助けるんです? 金のため?」
「‥‥このままこの人を死なせてたら、周囲から疑われていたとおりになってしまいます」
あらかじめ用意しておいた治癒薬を使いながら、シェアトが顔を上げた。
「災いを呼ぶ子供だって‥‥近づけばどんな目にあうかわからないって、この先ずっと思われますよ。思い出してください。初めてあの家に迎えられたとき、この人はなんと言ってあなたを出迎えましたか? それは憎しみの言葉でしたか?」
「でも、結局はてのひらを返した」
「ただの行き違いです」
優しい調子でそう断じたショーが、そっと少年に向かって手を差し伸べる。越えてはならない線を、踏み越えようとして‥‥いや、アルマン自身に踏み越えてもらおうとして。
「人は誰でも過ちを犯すもの。この方も‥‥あなたも。心の闇を悪魔に差し出したところで、手に入るのは力や幸福などではなく、孤立と苦渋の道に他なりません。それをアルマンさん自身が‥‥」
「嘘だ!」
驚くほど大きな叫びに、思わず諭す口調が止まった。ぶるぶると震えたまま、アルマンはひどく激しい視線をショーにぶつける。濃い色の目が涙で揺れているのに気づいてショーは戸惑った。
「神様が何をしてくれる? 僕がひとりで泣くときに手を差し伸べるか? 暗い夜を一緒に過ごしてくれるか? もし神様がいるのなら、あの暗い寒い死に満ちた馬車の中から、なぜ助け出してくれなかった!」
邸で聞いた話を思い出す。
――彼はまる二日、両親の死体と一緒に馬車に閉じ込められていたのだ。黒い飼い猫のその体温だけを、生きるよすがにして。
「助けてくれたのは神様じゃなかった!!」
「アルマンさん、それは」
言いかけたショーの背後でがさりと何かが動く。
はじかれたように全員が動いた。アルマンにいちばん近いのは手を差し伸べていたショーだ。反射的に振り返った彼女めがけて、獰猛な豹のような黒い影が飛びかかる。かわしきれずもつれるように枯葉だらけの地面に倒れこんだ。
「ショーさん!」
「大丈夫です!」
ただの威嚇だ。翼の生えた黒豹――グリマルキンの姿はすでにショーの上から消えている。首をめぐらせた悪魔は、リーニャがアルマンをグリマルキンから引き離すべく抱えあげるのを見た。
ショーの手からホーリーが放たれる。邪を焼く光はしかし黒い毛皮の表面をわずかに焦がしたにすぎない。効いてはいるものの、悪魔への決定打とするには彼女の神聖魔法はあまりに未熟だ。
影のかたまりが女戦士めがけて一直線に飛ぶ。
「‥‥‥‥!」
迅い。
咄嗟に身をひねって腕の中の子供を庇うのが精一杯だった。子供とはいえ人一人抱えているのだから、リーニャの俊敏さもいつものような切れがない。身を覆う外套は凶爪に対しては紙きれ同然で、布を裂く不快な音とともにリーニャの体が吹っ飛んだ。
「リーニャさん!」
シーナが叫ぶ。後方支援を覚悟していた彼女だったが、今の力では、レジストデビルはまだ他人に施すことができない。もっと鍛錬を重ねていれば、あらかじめリーニャや仲間にかけておくことができたのに。
「アルマン‥‥無事‥‥?」
「何故こんなことをするんだ! ミロは僕を傷つけたりしないのに」
「‥‥アルマン。寂しかった? 怖かった?」
倒れこんだまま質問には答えず、傷ついた腕でリーニャは少年の頭を撫でた。
「リーニャも一緒‥‥寒い‥‥怖い。でも、みんな、一人じゃない」
「‥‥何言ってるかわかんない」
「ごめん‥‥リーニャ‥‥まだ言葉、下手」
手を探る。アルマンは拒まなかった。手は冷たく、内側に無数の爪の痕が残っていた。この子供はこんなふうに、何度拳を握り締めて耐えたのか‥‥ショーやシーナが駆け寄ってリーニャのそばにかがみこむ。この程度の傷なら魔法で治せそうだ。
『それもまた心にすぎない』
ひどく聞き取りにくい声がした。振り返れば、翼ある悪魔がその場に立っている。
「‥‥ミロ」
『心は肉の見せるまやかしにすぎない。お前にはわかっているはずだ。アルマン』
どうせ消えてしまうなら、心なんてものは必要がないだろう?
「ふざけんな!」
たまらずに、クロウは叫んでいた。
「アルマン、お前はそれでいいのか? お前の見たものだけで、全部見限るつもりなのかよ!」
クロウの叫びに、それまで揺るぎなかったはずの瞳が少し迷う。踏み出しかけた彼の襟首を、獣の牙が器用にくわえた。そのまま大きく翼を動かすと、少年ごと大きく上昇する。
「待て、ミロ! 下ろして!」
悪魔は従わなかった。それどころかアルマンを乗せたまま、さらに翼を羽ばたかせ高度を上げる。冒険者が見上げる中、黒い影は見る見るうちに小さくなった。誰も追いかけることはできない。
「ミロ!!」