【昏き祝福】黒猫の綺想曲
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■シリーズシナリオ
担当:宮本圭
対応レベル:2〜6lv
難易度:難しい
成功報酬:2 G 21 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月30日〜12月08日
リプレイ公開日:2004年12月08日
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●オープニング
一昼夜降り続いた雨も今朝はようやく止んで、行程が再開された。街道はまだあちこちぬかるんでいるが、幸い進めないほどの悪路ではない。馬車を曳く馬も多少歩みは遅いがそこは御者の腕、のろのろとではあるものの、次の街に向かって進みつつある。
「旦那さま」
馬の手綱をうまく操りながら、従者は荷台でだらしなく寝転がっているあるじに声をかけた。
「なんだ?」
「失礼ですが、なぜそのようにあの子供をお気にかけるのですか」
不躾とも思える問いに、しかし商人は咎めるでもなく顎をなでて視線を泳がせた。
通りすがりの子供に哀れを覚えたというだけにしても、確かに彼のしていることは少々度が過ぎるように見えるだろう。すれ違う相手にいちいち同情などしていたら、街など歩けない。神の大きなてのひらにさえ余るほど、この世には救いを求める人々が溢れている。多少人より儲かっているだけの一介の交易商風情に、何のゆかりもない子供ひとりを気にかける余裕などないはずだ。
「なんでだろうなあ」
「それははぐらかしておられるのですか、それとも考えるのが面倒なだけでいらっしゃるのですか?」
「うるせえな。したいと思ったことにいちいち理由なんか要るか」
図星をつかれて嫌な顔をしても従者は振り返りもしなかった。馬鹿がつくほど話し方が丁寧なだけに、この従者が嫌味を言うと一層刺々しい。いっそ無能ならさっさと追い出すものを、こういう奴を慇懃というのだと、腹立ち紛れに商人は起き上がった。
アルマンが行方をくらましたことはすでに報せを受けて知っていた。それでも冒険者を雇い入れ手紙が来た街までの馬車を出したのは、アルマンが現れるという気がしていたからだ。こんなことを言えばまた従者に呆れられそうだが、この手の勘を商人は大事にしていた。不確かだからこそ信じられるものがあることを、彼は知っている。
あの子供はきっと自分の前に姿を現す。
◇
『おまえが望めば冒険者のひとりやふたり、噛み殺してやったのに』
「‥‥僕はそんなこと望んでないよ」
『おまえの両親は望んだだろう』
「そんなことはない」
『なぜそう言い切れる?』
なぜだろう‥‥アルマンは答えることができずに唇を噛んだ。
確かな理由などどこにもない。筋道も通らない不確かなものを信じるなどおろかなことだ‥‥そのはずだ。
『おまえの両親は、わたしにお前を頼むと言った』
ミロの正体を両親が知っていたかはわからない。賢い黒猫に対するただの戯れのつもりで言ったのか、それとも己の魂とひきかえと覚悟の上での約束だったのだろうか。気がつけばミロは、アルマンの周りにいた。
『心などいらないとおまえは泣いた』
死への恐れも、孤独から逃れようとする弱さも、心から生まれる。失った今となっては、過去はアルマンには苦しいものでしかなかった。だからつらい記憶から逃れたいと願った。なにも感じない木石のようになれればと。
それは間違いだったのだろうか?
『最初からひとりならば友など求めない。愛されなければ孤独など感じない。おまえの願いをおびやかすものは私が遠ざけてやろう。そうすればいつか、おまえの心は砂絵のようにさらさらと流されて消えるはず――』
これはお前の望んだことだと、黒い影は言う。
『もうすぐここに、あの商人が来る。冒険者たちを連れて』
アルマンが顔を上げた。
『あの者たちはおまえの望みをおびやかすだろう。愛情という甘い毒を餌にして、苦痛に満ちた世界へおまえを呼び戻そうとするだろう。だからわたしは、おまえの望みを叶えるために戦ってやろう』
「毒‥‥」
不意に、かたわらにあった悪魔の気配が消える。周囲を見渡してもすでにどこにも姿はない。立ち上がると、どこから呼びかけているのか、ひどくしわがれて聞き取りにくい声が耳に届いたような気がした。
『渇け、渇け、少年よ。干からびて渇いた魂は、地獄の業火によってよく燃える‥‥』
追わなければいけない‥‥そう感じて、アルマンは歩き出す。
◇
「おう、見ろよ」
行く手の空を指さして、商人は明るい声をあげた。
「虹だ」
「おっしゃっていただかなくても、私にも見えております」
眩しげに目を細めているあるじに、従者はひっそりため息をつく。
まったくいくつになっても子供のような方だ。やはりこの方は、自分が厳しく手綱を引き締めるぐらいで丁度いい。この人が本当にやりたいと思ったことならば、自分がいくら止めたところでどうせ実行してしまうのだから‥‥かけ橋のように空に映る虹を眺めながら、従者は、ふとどこかで聞いたことを思い出した。
「旦那さまはご存知ですか?」
「ん?」
「神話曰く、虹は愛する者への祝福のしるしだそうですよ」
●リプレイ本文
黒い風が走る。
羽ばたきが虚空を殴りつける響きに反応してリーニャ・アトルシャン(ea4159)が身構えるより早く、影はつむじ風となって一気に間合いを詰めてくる。一瞬絡み合った視線の中で殺気が交錯する。振り下ろされた爪の一撃を短剣がはじく。耳障りな軋みとともに光が散る、それは森島晴(ea4955)が刃に宿した『オーラパワー』が描く軌跡の残滓だ。
短剣と凶爪、間合いは互角。飛び離れようとした影を、ふいにその場に立ちのぼった白光が押し包む。一瞬の閃光は影の体表をちりちりと焦がし、あますことなくその姿を冒険者たちの前にさらけ出させた。
「‥‥ミロ」
呟きに呼応するように『ホーリー』の光が儚く消える。ショー・ルーベル(ea3228)とシーナ・ローランズ(ea6405)、ふたりでタイミングを合わせて放った神聖魔法は、『ミロ』の毛皮をわずかに傷つけたにすぎなかった。『聖なる母』のもたらす光は邪悪を焼くが、彼女らの力は未だあまりに小さい。どれだけ敵にかすり傷を増やそうともそれは致命傷には届かない。
蝙蝠の翼を持つ黒豹の悪魔は、わずかに目を眇めたようだった。
『‥‥信仰が足りぬな、セーラの子ら』
漆黒の四肢が大地を蹴る。
「!」
真正面から突っ込まれるとは思わなくて反応が遅れた。咄嗟に走らせたダガーは左手、晴がオーラを与える暇がなかった方で、悪魔にはそれは無意味な鉄塊にすぎない。水を斬るような不確かな手応え。前脚で蹴り飛ばされリーニャは転倒する。
「くっ」
無意味と知りつつ弓を構えたショーの前に、晴の姿が立ちはだかる。鞘を払われた刀にはオーラが宿っている。
リーニャも晴も、双刀を扱う者はオーラを宿すのに二倍の手間がかかる。晴の短刀はまだ鞘におさまったままだった。先手を打ってふるわれた刀を、悪魔はあぶなげのない動きで飛び退って逃れる。続いての横薙ぎを長く鋭く発達した爪が受け止め、はっと動きを止めた晴の懐へと旋風が飛び込んできた。
牙を突き立てられた肩口に紅い血花が咲いて爆ぜる。
「晴さんっ」
「下がって!」
叫ぶシーナ、杖を構えたのはシェーラ・ニューフィールド(ea4174)。無理やりにグリマルキンをひきはがして、晴は傷を押さえよろめくように後ずさった。彼女と悪魔の間を阻むように、シェーラのファイヤーウォールが燃え上がる。
「ミロっ」
「駄目だっ」
駆け寄ろうとしたアルマンを押しとどめたのは、クロウ・ブラックフェザー(ea2562)の手だ。
「だけど」
「苦しいことつらいことからそうやって目を背けて、逃げ続ける生き方でいいのかよ! あいつは確かに、お前を苦しみから救うかもしれない。でもな、喜びも与えちゃくれないんだ」
「だって」
迷う瞳。わななく唇。クロウへの反論は喉もとで消えていく。そんなことはとっくに知っていたというように、腕をつかまれたまま少年は首を振る。それでもよかった。それでもよかったのだ。
だって、ただ幸福を享受するだけの頃にはもう戻れない。喪失を知った今は、喜びがあれば、失うことに対する恐怖も生まれる。幸せの数だけ苦しみも増える。抱えきれない。受け止められない。心を投げ出してしまうことが、何故そんなにいけない?
●滅び
少し時間をさかのぼる。
そもそも最初に気がついたのはマリトゥエル・オーベルジーヌ(ea1695)だったのだ。マリは馬車に先行する形で馬を歩かせながら、周囲の音に耳を澄ませていた。馬を持っていない冒険者もいるので、馬車の中はほぼ定員一杯だ。
乗りなれない馬の手綱を操ってどうにか御しながら、歩調を緩めさせ馬車の脇につける。
「商人さん? 準備はいい」
「なんだ?」
「何かいる」
荷台にいた依頼主が、その言葉に顔を引き締める。ある程度の事情は、クロウやショーから聞き知っていた。商人は交易という商売柄見聞は広いが、悪魔と対峙した経験はない。緊張した面持ちのままマリを見た。
「こちらの様子を窺っているようね。アルマンは一緒ではないみたい‥‥だけど、近くにいるかもしれないわ」
『サウンドワード』の魔法によって探り当てた音の源はひとつきり。人間ではない、大きな動くもの‥‥わかるのはその程度だが、それだけの情報でも、少年が一緒でないことはわかる。やはり愛馬に跨った晴が、軽く戒の首を撫でた。
「いい、戒。この馬車をちゃんと誘導してあげて」
できるわよね? あるじの言葉に、馬は軽く鼻を鳴らす。
黒い矢のように、何かが飛び出してくる。
阻もうとしたのは、シェアト・レフロージュ(ea3869)だ。とっさに動いたエルフの女性に、身の守りといえるものは旅装束とマント以外ない。体格差も圧倒的だ。体当りされて踏みとどまれず、荷台の硬い板の上に跳ね飛ばされる。
シェアトが稼げだのはわずかな時間。だが、その間に他の面々が行動を開始していた。
短剣の鞘を払いながら、リーニャが手元の毛布を投げつけた。ひるがえった毛布は狙い違わず悪魔の頭を押し包み視界を阻む。マリの詠唱に応じて、ムーンアローが毛布を貫く。
毛布の中身がふくれあがり、黒い巨大な翼が姿を現した。悪魔の姿はそのまま一気に上空へと飛翔し、風が毛布をさらっていく。己へオーラを宿した晴が、今度はリーニャの得物にオーラパワーを付与する‥‥そのとき、がくん、と馬車が揺れて荷台が軋み、流れていた景色が止まった。
「戒!」
叫びに応じて黒馬が啼く。
上空からの咆哮。黒い光、としか形容できないものに、馬の体が押し包まれる。悪魔の魔法によって急激に生命力を奪われ、馬はその場に力なく膝を折った。馬車の動きが完全に止まる。
「魔法? なーまいきッ」
対抗して、というわけでもないだろうが、シェーラが目を吊り上げてファイヤーボムを放つ。掌から投じられた小さな焔の塊がまっすぐミロを狙う。逃れようと翼を羽ばたかせるより早く、赤い精霊の炎が爆ぜた。
轟音、爆音。火の粉がぱらぱらと頭上から降り注ぐ。御者台の従者がしきりに鞭をくれても馬は動けない。
「ミロ!」
「アルマンくん?」
どこからか声が聞こえたと感じて、シーナが周囲を見回す。息を切らしながらアルマンが走ってくるのに、冒険者たちもミロも気づいていた。爆発の余韻で翼に焼け焦げを作りながら、悪魔はそのまま上空を滑空した。先ほどよりも少し動きが鈍い。
「効いてるよ! よーし、もう一発」
「待ってください、こっちに来ます!」
再度詠唱を始めようとしたシェーラの襟首をつかんでショーが、次いで馬車にいる全員が伏せた。ほとんど頭上すれすれを黒い影が通過し、風が痛いほど体を叩く。そのまま颯爽と上昇する後姿に向け、腹立たしそうにクロウが立ち上がった。
「あんの性悪猫がッ」
手にはシェアトから借り受けたスリングがある。
風にのって悠然と空をすべる黒い姿はまだこちらを向いていない。狙いを定め投じた弾丸はどうやら命中したらしく、小さな悲鳴とともにミロは高度を下げた。スリングに装填されていたのは、同じくシェアトから受け取った銀の礫だ。リーニャや晴の接近戦組が馬車からそちらへと走り、ショーは足を止めた少年へ手を伸ばす。
「アルマンさん!」
必死の叫びにひるんだようにアルマンは足を止める。
「来てください!」
そうして、戦いが始まったのだ。
●心の空
「お父様たちは、冷たくなってもあなたを守っていたのではないですか?」
「嘘だ」
「あなたは今だってひとりじゃない」
「違う!」
シェアトの言葉がひどく胸を揺さぶる。嘘だ。誰もそばにはいてくれない。心なんて、約束なんてなんの力も持たない、言葉の上での遊びにすぎない。全部まやかしであると思えれば楽になれる。心があるが故の枷から開放されるのだ。
「だけどさ」
拒絶にも、シェーラは目をそらさない。
「あんたは両親を亡くしたとき、悲しかったでしょ? 神様に怒りを感じたんでしょ? だからミロとだけ生きていこうと思ったんでしょ? ねえ、心を信じられないなら、今までのあんたの行動も想いも、全部偽物だったことになるんだよ」
自分は何もない肉の塊でしかないって、自分で認めることになるんだよ。
「それは違うっしょ‥‥ねえ、も一度勇気を出して、心って奴を信じてみる気にはならない?」
――勇気?
目を狙ったリーニャの攻撃は空を掻く。常日頃と違い、左のダガーは今は牽制にしか使えない。そのことが動きに生彩を欠いている。オーラを使える晴は負傷のため一時後退中だ。心の中まで覗き込むような悪魔の昏い瞳が、笑ったような気がする。
『何故戦う?』
「‥‥アルマンの、為だ」
『何も感じたくないというのがあの子の望み。心など要らないというのがあの子の願い。心を動かすものをすべて消し去れば、あの子は何も感じることはない。周りに誰も近づけず、独りでいるのがすなわちあの子のためなのだと、何故わからぬ』
「違う‥‥!」
否定とともに薙いだ斬撃が鋭い爪と火花を散らす。
「心は身体‥‥身体は、心。‥‥ふたつは一緒。痛いのや苦しいのは、リーニャも怖い‥‥けど、だから、楽しいと思える」
『そう思いたいだけではないか? 痛みや苦しみを、喜びでまぎらわせているだけだ。痛み止めの麻薬と一緒だ。誤魔化したところで、そこに不幸があることは変わらない。幸福などいつかは終わるまやかしだ』
リーニャの訥弁の隙間に入り込むように、悪魔の言葉は途切れることがない。くわと開けられた顎に牙が濡れて光っている。それが閉じられる前に身を引いてそれをかわす。
悲しみの雲立ち込める中 狭間を射抜く光の筋よ
流れるのはマリの『メロディー』の呪歌。戦いの場には不似合いなほど、優しいゆるやかな旋律だった。アルマンに聞かせるための歌は、低く低く、水のようにゆっくりと流れていく。
「だとしても‥‥幸せになろうとするのが‥‥何故、いけない?」
失くすことを恐れていたら、最初から何も手に入らない。一歩踏み出す、そこからすべての事象が始まる。出会うことも、別れることも、戦うことも、愛することも。
生きることも。
陽に満てる中の父の御手 母の温もり
たとえ眼には見えずとも 雲の向こう 心の空は想えば消えじ
「アルマンを縛っているのは‥‥ミロ‥‥おまえだ!」
リーニャの背後からもうひとつの影が躍り出る。それはシェアトやシーナから魔法薬を受け取り、傷を回復させた晴の姿だ。
鋭い打ち込みを悪魔がかわす。手にしているのは相変わらず一刀のみ、しかも剣の技量では晴はリーニャには一歩及ばない。渾身の一太刀をくぐりぬけ、グリマルキンは素早くまた彼女の懐に飛び込んだ。
腕の付け根に牙が食い込み新たな血が着物を染める。痛みに食いしばられた歯の間から、苦しげな呟きが漏れた。
「何度も似たような手を使うなら‥‥」
引き抜かれた短刀からオーラの光が閃く。
「‥‥こっちはそれを利用するだけよ‥‥!!」
身を引きはがそうとした悪魔を片腕でしっかり押さえ、短刀の切っ先が悪魔の片目に垂直に突き立てられた。動き回る相手の眼窩を攻撃するのは容易なことではないが、この至近距離、しかも噛み付いたまま頭が固定されていれば狙うのはたやすい。痛みによる咆哮が響き渡り、すさまじい力で振りほどかれ晴はその場に倒れる。
「晴さんっ」
グリマルキンとの距離が近すぎる。レジストデビルをかけているとはいえ、クレリックのシーナには容易には近づけない。リカバーを使おうにも魔法薬を与えようにも、それにはまず相手に接近せねばならないのだ。
「心は肉の見せるまやかしだと、『ミロ』は言いました」
しっかりとアルマンを見返しながら、ショーが言い放つ。
「でも、まやかしなら、何故醒めないのですか。悲しみも辛さも決して消えることはありません。でもそれは、楽しかったことや嬉しかったこと、愛された記憶にも同様に言えることなのです。彼はアルマンさんの大事な記憶を、心を、棄てさせようとした。それは救いなどではありません」
「どうして‥‥」
静かな旋律なのに、ひどく落ち着かない歌だった。視界が歪む。涙がこぼれる。胸が痛い。喉もとにこみあげる熱さはアルマンにとって覚えのないものだ。どうして。
「じゃあ、どうして、心なんてものがあるんだ」
「わかりません」
困ったように、シェアトが少しだけ笑む。
「でも、目を閉じていたら、答えは何も見えません。‥‥だから、来て、ください」
見つめてください。私たちと一緒に、光を、探してください。
震える手を差し伸べると、一斉にみんなが手をとって引いた。強引すぎるほどの勢いで抱きとめられる。歌が消えていく。肌に触れる温もり。確かな感触の、さらにその奥にある何か。アルマンはようやく胸にあるものの正体を知る。
これがきっと、心が痛い、ということなのだ‥‥。
躍動する刃が浅く悪魔の肌を裂く。
牙が鼻先をかすめリーニャは身体をそらす。やはり速い。片目をつぶされながら、それでもなお攻撃は続いている。戦っているうちに、倒れた晴と治療するシーナからなんとか引き離せたのは僥倖だろう。爪の攻撃を左で軽くしのぐと同時に、奇妙な呪文が獣の口をついて出ているのに気づいた。魔法!
「させるか! リーニャ!」
よけろ! という言葉を聞くまでもなく、女戦士は飛び退ってその場を離れた。途端にぱっとあたりに広がった白い煙は、クロウが投げつけた小麦粉入りの弾だ。大したダメージにならないのは知りつつ、マリ、ショーが魔法の集中砲火を浴びせる。
「リーニャ、クロウ、もーっと退がってー!」
危ないわよー! 明るい声と共に、シェーラのファイヤーボム。着弾点から爆発的に燃え広がった焔は、他の冒険者たちの魔法に比して段違いの破壊力で、先ほどよりも鋭い叫びが耳に届いた。粉の煙が一瞬で霧散し、リーニャは駆ける。
オーラの宿る右の刃はまっすぐに悪魔の頭を狙っている。
断末魔の絶叫は長く尾を引いて初冬の空に吸い込まれ、やがて消えた。
――黒い悪魔は亡骸を残さなかったが、アルマンの希望によってその場に墓が作られた。
馬は衰弱してはいたが無事で、苦肉の策として戒に馬車を曳かせて、アルマンと商人は目的地に到着することになる。アルマンがかつて逃げ出した、あの街へと。