●リプレイ本文
●雪の竜ヶ岳
空が泣いていた。
灰色の雲から、絶え間なく雪が降りしきっていた。
幾度となく足を運んだ竜ヶ岳も、ただ白く儚く‥‥その姿を染めている。
当然寒さも厳しく、防寒服無しでの登山は自殺行為とも思えるほど。
「‥‥ごめん、わらっきー。気持ちばかり逸って基本の準備を忘れてたよ‥‥」
「同じくなのじゃ。わらわも気負いすぎかの‥‥」
自前の防寒服を忘れたヘルヴォール・ルディア(ea0828)と三月天音(ea2144)は、藁木屋錬術が念のためにと持ってきた予備の防寒服を着込んで歩を進めていた。
「なに、二着しか持って来られなかったから丁度よかった。寒くて全力が出せなくては決戦どころの騒ぎではないからね」
雪を踏みしめる一同は、様々な思い出のある闘技場を通り過ぎ、烈空斎の居るという頂上付近の洞窟を目指す。
しんしんと降る雪‥‥。
普段人の出入りが少ない竜ヶ岳は、足音以外の音を一切拒絶しているかのようでもある‥‥。
「あ、そこ気をつけてね。この前解除したけど、罠があった場所だから」
「あらそうなの? でも助かるわね、ここに来て罠に注意じゃ困りものよね」
草薙北斗(ea5414)が指した場所には、断ち切られたロープが雪に生まれて転がっていた。
昏倒勇花(ea9275)はそれを見て胸をなでおろし、ゆったり笑った。
そう、草薙は以前洞窟付近まで偵察に出た際、仕掛けられていた罠を片っ端から解除して回ったのである。
流石に洞窟内までは解除していないが、さほど大きくない洞窟であったため、中に罠を仕掛けるような真似はすまい。
「‥‥居るな。数は‥‥30人から40人近い」
「‥‥それって‥‥間さんと‥‥商人組織の、私兵‥‥?」
「そうだろうな。距離はあるけど僕たちの後をしっかりついてきている」
蛟静吾(ea6269)の呟きに気付いた幽桜哀音(ea2246)は、注意深く後方を見つめてみた。
すると、お世辞にも上手い尾行をしていなかった集団をあっさり発見する。
「‥‥うわ‥‥バレバレ‥‥」
「だが、現に我々は今まで気付かなかった。蛟君が感知しなければ、目のいい幽桜君でも発見は出来なかっただろう」
「つか、俺らには見えすらしねぇぞ。大した目だな、哀音の嬢ちゃん」
蒼眞龍之介(ea7029)とバーク・ダンロック(ea7871)も後方を眺めてみるが、特に何も見えない。
自分たちの通ってきた道しか見えず、木と足跡しか目に入らないのだが。
「みんな、そろそろ着くよ。後ろの人たちも気になるけど‥‥決戦だから」
「そうじゃな。わらわもファイヤートラップを設置せねばならんから、急がないといかんのじゃ」
「‥‥安綱牛紗亜(あづなぎゅう さあ)。最後の堕天狗党員。そして―――」
森を抜け、景色が開ける。
洞窟の入り口に立ちふさがるのは‥‥赤い流星―――
●眼差しの先に
「‥‥来たか。紅蓮の闘士」
「‥‥来たよ。赤い流星」
面頬を付けているので、素顔はイマイチ判別できないが‥‥その目には、確かな闘志が燃えている。
彼にも様々な思いがある。信念がある。
そして‥‥戦士としての、意地がある‥‥!
「‥‥遂にこの日が来たんだね。待ち望んでいながら、それでいて何処かでそれを拒否しながらも。‥‥でも‥‥時は来たれり‥‥。決まった以上、私は私が出せる全てを以って相手する。‥‥往くよ、赤い流星‥‥!」
「ヘルヴォールさん、存分に戦ってね。因縁の対決を邪魔するのは無粋の極みだもの」
「邪魔はさせん。何があっても我らで抑える故‥‥一対一で正々堂々戦うといい」
一人だけ歩み出て紗亜と対峙したヘルヴォール。
紗亜に対抗してか小面を被っており、蝙蝠外套の黒が髪の赤を更に際立たせている。
その後ろに控える8人は、振り返って森の出口を見やった。
すると、間九塀を先頭に、ぞろぞろとごろつきともチンピラともつかない連中が出てきたところであった。
「間殿‥‥まさかあなたとこういう形でお会いするとは思いませんでしたぞ」
「ふ‥‥藁木屋か。貴様は実に楽しく私の手の上で踊ってくれた。礼を言わねばならんな」
「またぞろぞろ連れて来たもんだな。まさかその程度で俺たちを止められるとでも思ってるのかよ」
「これは異なことを。バーク・ダンロック殿‥‥先日も申し上げたとおり、我々は貴殿らに一切の手出しはしませんとも。我等はただ、憎き堕天狗党の壊滅だけが目的なのだから」
「うっわー、世渡り上手だねー。自分だって堕天狗党員だったくせにー♪」
「小僧にはわからんよ。私は因縁だの呪いだのに縛られて生きるのは真っ平だ。私は私の生きたいように生きる」
「‥‥共感‥‥半分‥‥。生きたいように‥‥生きるっていうのは‥‥悪くないけど‥‥でも、あなたの場合‥‥節操が、なさ過ぎる‥‥。人を裏切って‥‥かつての仲間を‥‥平気で殺す、なんて‥‥」
「ふん、木偶人形にも等しい精神構造の女が何を言う。これ以上の問答は時間の無駄だ。やるならさっさとやるがいい。そこの赤い流星を‥‥商人に迷惑ばかりかける悪人をな」
相変わらず姑息。そして醜悪。
ヘルヴォールや他の冒険者たちをけしかけ、冒険者が勝てば紗亜を連行、紗亜が勝っても疲弊したところを取り囲んでなぶり殺しにするつもりなのだろう。
まさに高みの見物‥‥因縁の決着をつけるに当たって、これほど邪魔な連中も珍しい。
「‥‥どうする、紗亜。どう考えてもあんたに道はなさそうだよ」
「元より承知の上だよ。志摩を助けられなかった時点で、私の意は決まった。仲間の一人も助けられずに日本人の革新など、おこがましいにも程がある。私には‥‥目の前のことに対処する程度の力しかない」
「‥‥そうだね。最初から逃げるなんて言うとは思ってなかったよ。‥‥それじゃ、ちょっと気は引けるけど‥‥やろうか。それが私たちの選んだ道だから」
「自分の若さ故の過ち‥‥それを認めた上で選んだこの道だ。後は‥‥貫き通すのみ!」
二人の刀がぶつかり合い、激しく火花を散らす。
彼を突破しない限り、烈空斎との邂逅はありえない―――
●レッドデスティニー
「冗談ではない!」
「‥‥くっ、紗亜!」
以前、二人は刀を交えたことがある。
その時は身代わり人形での奇策でヘルヴォールが勝利したようだが、今回はそれはない。
あるのはお互いの信念と‥‥磨き上げてきた己の腕と技のみ。
紗亜は回避を得意とし、手数の多さとカウンター、シュライクでの削りが特徴。
一方、ヘルヴォールはノルド流の様々なコンバットオプションを駆使し、破壊力よりも当てることを重視したタイプ。
言わば、紗亜にとっては一番苦手なタイプである。
(「‥‥駄目だ‥‥やっぱり迂闊には仕掛けられない。フェイントアタックEXも、大した傷にはならない‥‥」)
(「更にできるようになったな、ヘルヴォール。オフシフトを使わなければ、当てられる可能性もある‥‥!」)
お互い最初は様子見のつもりだったのか、軽く刃を交えた後、どちらともなく距離を取って間合いを計る。
そこからは一転‥‥お互い納刀し、見合ったまま動かない。
「て、手に汗握るわね‥‥(溜息)」
「迂闊に動いた方が負けじゃの。二人とも自分の身体に雪が積もる事すら意に介しておらん」
「できるなら、何の憂いもない状態で戦わせてあげたかったね‥‥」
昏倒、三月、草薙は間たちを気にしながらも、ヘルヴォールと紗亜の闘いを見守っていた。
一応本当に手出しをする気がないらしいので、蒼眞、蛟、バーク、幽桜、藁木屋も黙って見ているしかない。
しかし‥‥寒い。
雪の舞い散る竜ヶ岳は、想像以上に寒い。
それなのに二人は、動きもせずじっと対峙したまま。
防寒服を着ていても、身体は凍え、指が悴むはずなのだが‥‥二人の闘志がそれを許さないのか。
だが、そんな闘いを邪魔するのはやはりこいつ。
「えぇい、貴様らやる気があるのか! いつまで睨み合っているつもりだ!?」
「邪魔をするな間! お前にその権利も資格もない!」
「知ったことか! お前たち、構わんから安綱牛紗亜を捕えろ!」
「‥‥小賢しいと‥‥思う‥‥」
「いいのか間君。君たちに正義がなくなるぞ」
「‥‥! おのれ‥‥!」
独自に犯罪者を追っているという名目の、商人組織の私兵たち。
もしここで冒険者たちの邪魔をすれば、『冒険者ギルドから出された依頼の邪魔をした』ということになり、お世辞にも体裁はよくないだろう。
そう‥‥冒険者も間たちも、お互いの邪魔をすれば悪者の烙印を押されるのである。
「間殿‥‥あなたは絶対にいい死に方をしませんぞ」
「ふん。何でも屋風情が聞いた様な口を叩くな」
そして、また静かになる。
冬特有の『コォォォ』という音以外は、衣擦れの音すらない。
「‥‥やっぱり駄目だ。睨み合ってても決着は付かないね」
ふと、ヘルヴォールが構えを崩して問う。
「確かに。それだけ実力が拮抗しているということだろう」
紗亜も少し体勢を崩し、ほんの一時だけ緊張が解ける。
だが、それも一時のこと。
「‥‥どうだい? お互い、怯えたように様子を見るをやめるっていうのは」
「‥‥それもまた一興だな。明暗を分ける一瞬の交差‥‥か」
そう言って、お互い構えなおす。
合図はとか、いつ仕掛ける等は話す必要はない。
提案した側が仕掛ける。
なんとなく‥‥お互いそう認識していた。
「‥‥はぁぁぁぁっ!」
「おぉぉぉぉぉっ!」
そして‥‥赤とあだ名される二人の決着は―――
●策士の末路
「‥‥紙一重だな。面頬がなければ即死だった」
「‥‥ぐ‥‥ま、負けた‥‥のか‥‥!」
純白の雪を朱に染めたのは、ヘルヴォールの血だった。
刀を突きつけられ、地面に倒れこんだヘルヴォール。
顛末はこうだ。
仕掛けたヘルヴォールのフェイントアタックEXを紗亜は真っ向から受け、軽傷を負ったものの、そのまま反撃。
シュライク交じりの一撃と悟ったヘルヴォールは、気合で回避。
紗亜は連続で通常攻撃を行うが、今度はヘルヴォールがわざと喰らい、左手の鬼神ノ小柄+1で反撃。
が、元々体勢が悪かったところを雪で足を滑らせ、惜しくも紗亜の面頬で弾かれてしまい、シュライク交じりの攻撃で撃破‥‥という流れである。
「災いをもたらすという鬼神ノ小柄‥‥。運で勝敗が左右されるほど拮抗していたか。君もよくよく運のない女だな」
「‥‥いいさ‥‥う、運も‥‥実力の、内だよ‥‥」
紗亜は応えない。
一瞬目を伏せたが、すぐに刀を振りかぶり‥‥!
「そこまでだ、安綱牛紗亜!」
叫んだのは、間九塀。
ヘルヴォールがやられたと思うや否や、すぐに部下たちに指示を出したらしい。
「邪魔はさせないと言ったはずよ! 乙女のお仕置きが欲しいのかしら!?」
「ほう‥‥あの女が負けた後のことを決めてあるのか? すぐに動けんのであれば我等が抑える!」
「この性悪野郎が! ヘルヴォールの嬢ちゃん、動けねぇのかよ!?」
だが、間の指示の方が早い。
40人近い私兵たちが、一斉に紗亜へと‥‥!
「‥‥なんだお前たち。何故動かん。あの男を捕まえろと言っているのだよ!」
指示を聞かない部下たち。
ただニヤニヤ笑うだけ‥‥間は途端に孤立したような薄ら寒さを覚えた。
『ほっほっほ‥‥いけませんね間さん』
森の方から聞き覚えのない声がする。
歩み出てきたのは、一人の中年男性。
「れ、冷凍様! 何故このような場所に‥‥!」
「間さん、私は『可能な限りの堕天狗党員の撃破』をお願いしたはずですよ。見たところ、私兵団に無傷の赤い流星を倒せるとは思えないのですが‥‥」
「冷凍‥‥まさか、平良坂冷凍(ひらさか れいとう)か?」
「し、知ってるの、藁木屋さん?」
「丹波藩でも一、二を争う商人だよ。無論商人組織でもかなりの権力者だ」
「ふふふ‥‥以後お見知りおきを」
草薙が驚いたような声を上げるのを聞いて、礼儀正しく礼をする冷凍。
一方、穏やかでないのは間九塀だ。
「わかりかねます‥‥。紗亜に手出しをするなと仰られるのであれば、烈空斎にも手出しは出来ますまい。それでは私に何をさせるためにここへ来させたのですか!」
「ほっほっほ‥‥まだ居るじゃありませんか‥‥堕天狗党員が。私の目の前にね」
決定的な一言。
嫌な予感はしていたらしいが、予感が確信に変わり、一気に血の気が引いていく間。
「まさか党を裏切り、情報を流せば堕天狗党に居たという事実が消えるとでもお思いですか? 私にとっては、あなたも堕天狗党員の一人なんですよ」
「し、しかし‥‥しかし!」
「見苦しいですね。私の意図も見抜けず調子に乗る部下など必要ないと言っています。実力もありませんしね」
「冷凍様!」
「そうだ‥‥冒険者の方々、折角ですから彼の始末をお願いできませんか? 彼の言動には嫌な思いをしたでしょう。無論ささやかですがお礼も出しますよ」
「‥‥お断りする。後で身内が殺されたと騒がれても困るからな」
「なるほど‥‥それは考え付きませんでした。蒼眞さん‥‥でしたか? 野に埋もれるには惜しい人材です」
そう言って、冷凍は冒険者たちに背を向ける。
その視線の先には、すっかり怯えている間九塀が。
「では仕方ありません。みなさん、やってしまいなさい」
「れ、冷凍様! 冷凍様ぁぁぁぁっ!」
「終わったら自由解散していただいて結構ですよ。私も帰りますので」
にやりと笑って、その後は振り返ることもしない。
冷凍は冒険者たちに一礼して、すたすたと帰って行った―――
●流星、落つ
「紆余曲折あったわけだが‥‥君はどうするんだい? ヘルヴォール君を殺すことは止めてくれたようだが‥‥」
「‥‥どうやら私はここで死ぬわけにはいかないようだ。君たちと共に行くことは出来ないが、私は私なりに自分の道を自分で決めて進み続けようと思う」
「‥‥紗亜‥‥あんた‥‥」
ヘルヴォールを開放した紗亜は、面頬を外してヘルヴォールに渡す。
当のヘルヴォールも、藁木屋に貰った薬で回復済みである。
「叩き割ってくれ。安綱牛紗亜は死んだという証にな」
「‥‥‥‥」
宙を舞い‥‥真っ二つに立たれる面頬。
素顔を晒した紗亜は、静かに微笑んでいた。
「さらばだ。またどこかで会うかも知れないが‥‥その時は敵でないことを祈ろう」
「‥‥私もだよ」
そして、去っていく。
赤い流星の名を面頬と共に捨て、堕天狗党に別れを告げた紗亜。
危なくなった党を見限ったのか?
命の危険を感じて逃げ出したのか?
‥‥違う。彼は気付いたのだ。
烈空斎の言葉の意味‥‥そして、自分の本当に成したい事を。
「いいのかい、ヘルヴォール君。‥‥と、聞くだけ野暮だな」
蛟の笑顔が、今は心地いい。
まだ終わりじゃない。
次があるということの喜びを、心から感じるヘルヴォールであった。
「しかし変じゃのう‥‥わらわがあれだけファイヤートラップを仕掛けておいたのに、何故誰も引っかからなかったんじゃろうか。全員が全員運がよかったというわけではあるまい」
「そういやそうだな。どれ‥‥」
三月が首をかしげていたので、バークがファイヤートラップが張ってある辺りに踏み入ってみる。
ボウンッ!
「あー、正常に働いてるぜ」
「‥‥見れば‥‥分かるけど‥‥。頑丈で‥‥いいな‥‥」
「僕だったら吹き飛んでそうな感じだけど‥‥(汗)」
「では何故だろうな。目のいい人間が居て、設置場所を見ていたか‥‥?」
「みなさんみなさん、そんなことより、大切な問題が残ってるでしょ。私兵団も帰っちゃったんだし、これで本当に憂いはないわ。まぁ、あんまり後味はよくないけれど」
昏倒が見た、たくさんの足跡の中心に横たわる間。
あえて刃物を使わず、ウン十人で袋叩きにすると人間はあんなふうになる‥‥という見本。
ボロ雑巾という比喩をよく使うが、まさに良い得て妙だ。
「‥‥因果応報だよ。人を利用ばかりしていて、自分が利用されていることに気が付いていなかったことが致命的だった。利用されているだけならばまだよかったのかもしれないが‥‥あの立場の急転直下は、哀れですらあったな」
藁木屋は静かに手を合わせると、洞窟へと向き直る。
そこには‥‥!
「‥‥ま、まさか‥‥あの人が‥‥!?」
「頭巾を被った男‥‥か。あれが烈空斎と見て間違いないかのう‥‥!」
雪をその身に受け、静かに佇む頭巾の男。
その目は、深い悲しみに満ちているような気がした―――
●その正体は
事の発端は何だったのであろうか。
黒い三連刀との対決か?
それとも‥‥もっともっと、昔からの因縁なのか‥‥?
「‥‥ついにここまで来たか。いや‥‥来てしまったのか」
重厚な声。
頭巾越しでくぐもっているとはいえ、その声は確かに冒険者たちの耳に届いていた。
「紗亜は‥‥自らの道を見つけたのか。そして‥‥君たちも」
「烈空斎殿。ボクは蒼き水龍、蛟静吾です。あなたに‥‥この忍者刀を受け取っていただきたい」
言いたいことは各々山ほどある。
だが一番に口火を切ったのは蛟であった。
「‥‥ニグラスの刀‥‥だな」
「はい。あいつは‥‥最後の最後に分かったのです。世界は、悲しみや憎しみだけに満たされているわけではないことを。あいつの最後の笑顔‥‥最後の言葉‥‥あなたに、どうしても伝えたかった‥‥!」
「‥‥‥‥」
烈空斎は無言のまま静かに蛟に近づき‥‥確かに忍者刀を受け取って呟く。
「ニグラス‥‥よい友に出会ったのだな。願わくば‥‥お前の来世は、幸せであって欲しい」
「‥‥私‥‥あなたに‥‥聞きたいことがある‥‥。もし私も‥‥前世からの呪いに‥‥囚われているのなら‥‥前世の私は‥‥何者だった‥‥?」
今度は幽桜の番。
烈空斎はしばらく幽桜の顔を眺めた後、静かに言う。
「‥‥前世だけでいいのなら、名はラジリア。他の国から渡って来たウィザードだったと記憶している。仲間を守ることが出来ず、生涯その時の出来事を後悔していた。『あの時、自分にもっと力があったなら』と‥‥『自分だけおめおめ生き残って、仲間に申し訳が立たない』といつも嘆いていた。儚い娘であったよ」
「‥‥じゃあ‥‥その時の悔いで‥‥今の私は‥‥刃を取り、人を斬り、修羅の道へ誘われている‥‥? だとしたら‥‥死さえも、私を救ってはくれないというコト‥‥」
「答えはもう出ているはずだ。今の君の瞳の輝きは、死を求める人間のそれではない」
明確な光を宿した瞳。
愛刀を構え、幽桜は言う。
「ならば‥‥私は、私自身の手で未来を切り開くしかない‥‥!」
「そうね‥‥あたし達の因縁が死によっても分かつ事が出来ないのは解っているわ‥‥。‥‥でも戦う宿命(呪い)を解く事は出来る筈‥‥。未だ『呪いを一時的にでも解くには死ぬしかない』と云うのなら、ど許せぬわよ!」
「私は私の手で運命を切り開く。今在るも私の意志、そしてこれからも私の意志で前へ進む。例え前世で同じ道を歩もうとそれは私の意志によるものだ」
昏倒も蒼眞も、烈空斎を否定しているのではない。
ただ、伝えたい。
自分たちは自分たちの道を往くと。
そして、烈空斎にも‥‥呪いに縛られ続けないで欲しいと。
「‥‥そうか‥‥そうだったのだな。私のやってきたことは‥‥無駄とは言わないまでも、余計なお世話であったか。‥‥よかろう、人間たちよ。己が道を往くがいい。私という障害を乗り越えてな」
「おいおい待ってくれよ。何で俺らが戦わなくちゃなんねぇんだよ!」
「そうだよ! 烈空斎さんだって、僕たちと一緒に未来を築いていけるはずなのに!」
「‥‥バーク、北斗。駄目だよ‥‥烈空斎は‥‥紗亜とは立場が違う」
「そうじゃな。何百年と生きてきて、間違いに気付いたからはい趣旨変えなどと言うわけにもいくまい」
「今まで彼の元で死んだ戦士たち‥‥そして、堕天狗党員に申し訳が立たない‥‥と」
ヘルヴォール、三月の台詞。そして続く藁木屋の台詞が終わると同時に、烈空斎は自らの頭巾に手をかけた。
はらりと落ちた頭巾‥‥そして烈空斎の素顔は‥‥!
「‥‥人‥‥間‥‥?」
「‥‥戦士たちよ。私は君たちとは共に行けないのだ。何故なら私は‥‥」
初老の男性から抜け出る、青白い炎のような精神体。
生前の姿形は判別できないが‥‥それは確かに、知性のある生物の成れの果て‥‥!
『私は‥‥既に死んだ身だ。ただ執念だけでこの世にしがみつく亡者。だがそれも‥‥もはや限界だ‥‥』
天狗、烏天狗、白狼天狗と色々可能性はあるが、その寿命がどれだけのものかは分からない。
ましてや精神だけで本当に数百年生き延びてきたというのなら、正に驚異的だ。
「あなたは‥‥烈空斎殿、あなたは何故そこまでして人間にかけられた呪いを解こうとなさったのですか!? 人の身体を借りていくとはいえ、そんな状態では魂まで枯れ果ててしまう!」
『‥‥信じるのか、こんな化け物の言葉を。最後に戦士として散ることを望む亡霊に真実を見出せるというのか?』
「真実は一つとよく聞くがのう‥‥わらわはそうは思わん。一つの命が信じたもの‥‥それもまた真実ではないかと思うのじゃ。それに、そなたを信じても損にはならん」
「例え呪いや転生話が嘘でも構わないわ‥‥。少なくとも、私たちはそれを感じられるくらいの出会いを繰り返しているもの。だから、烈空斎さん‥‥あなたの最後の望みも、叶えてあげたいわね」
「しょうがねぇなぁ。相手がゴーストだってんなら俺たち魔法組みの出番だろ」
「‥‥僕も逃げない。一つの区切りをつけるために‥‥そして何より、あなたのために‥‥!」
冒険者たちは身構える。
烈空斎(の魂と言うべきか?)は、憑依していた初老の男性から離れ、開けた場所まで移動した。
ゆらゆら揺れる青白い炎のような身体には、雪すら素通りしてしまう。
『思えば長かった‥‥長い時であった。烈空斎、これが最後の闘いとなる。未来を掴んでみせい、戦士たちよ!』
「‥‥往くよ、みんな。それが‥‥烈空斎への最大の礼儀だ‥‥!」
「承知。藁木屋錬術‥‥いざ参る‥‥!」
ヘルヴォールの合図と共に、駆け出す冒険者。
長きに渡った堕天狗党との因縁の終止符は、もうすぐそこである―――
●未来へ
「‥‥終わった‥‥のかな‥‥。私は‥‥きっと、歩き出さなきゃいけない‥‥」
「そうだよきっと。これからが始まりなんだ。僕たちが進むべき未来は‥‥」
「俺たちの道が正しいかどうか‥‥それは行き着いてみなけりゃ分からねぇさ。だがよ‥‥」
「それでも、進むしかないわよね。堕天狗党の皆さんのためにも‥‥(溜息)」
全てが夢ならいいとか‥‥もしあの時こうしていたらなどと言う台詞は逃げ口上以外の何物でもない。
未だ雪の降りしきる竜ヶ岳だが‥‥そう、一つの闘いの決着は既についていた。
堕天狗党の壊滅。
これは動かしようのない事実であり、純然たる事実‥‥。
「烈空斎に取り付かれていた男性は、私が責任を持って京都まで護衛し、身元を確かめよう。そして蒼眞殿、蛟殿‥‥あなた方には何とお礼を言っていいのかわからないくらいです。私は‥‥」
「その先はよそう、藁木屋君。我々には縁があった‥‥それでいいのではないだろうか」
「そうだね。丹波に出張った時も、図らずもボクたちの中の4人までが参加したくらいだから」
「そんなこともあったのう。いや、あの時はきつかったのじゃ」
「‥‥正しいとか正しくないとかじゃない‥‥これが私たちの『今』なんだ。でも‥‥でも、感傷に浸るくらいは‥‥してもバチなんて当たらないよね‥‥?」
竜ヶ岳での攻防‥‥そしてそれぞれの想い。
それらを語りつくすには、まだもう少しだけ時間が掛かるのかもしれない。
だが今は休もう。
竜ヶ岳に散った、全ての者たちへの祈りを込めて―――