●リプレイ本文
くすりと赤い唇の端に微笑が浮かぶ。
鼠を前にした猫が嗜虐心を刺激されたかのような、そんな色を瞳に浮かべ、ロヴィアーネ・シャルトルーズ(eb2678)は口紅をつけた指先を楊朱鳳(eb2411)の唇にあてた。
「ふふふ‥‥観念なさい!」
楊の顔が真っ赤になる。しかし、その表情のどこかが泣き顔になっているのは、なにかトラウマを刺激されたのかもしれない。
「ロ、ロヴィおば‥‥姉さん!」
「せっかくの美人ぶりを披露するチャンスじゃない。お姉さんは、うれしいわよ、あんたが美しく着飾って、ドレスを着てくれるなんて――」
楊をベットの上に押し倒すと、ロヴィアーネは、左右の手に道具をもちだして、楊に化粧をはじめた。
「なにをやっておるのかのう?」
「さぁ?」
毛翡翠(eb3076)はベルティアナ・シェフィールド(eb1878)は、仲のよい叔母と姪の痴態をちらりと横目で見ながら、自分たちは、ドレスをふたりでああだこうだと言いながら、着せあいっこをしていた。
そんな四人のいる部屋にはロヴィアーネが持ち込んできたドレスが山のようになっていて、そんな脇にはひっそりとアリアドル・レイ(ea4943)が手配した楽器の箱が転がっていた。藁のつまった、その箱の中にはきらめくものがある。
その頃、当のアリアドルはリュートを手に、楽団の仲間たちと打ち合わせをしていた。気のいい楽士たちで、金払いがいいとかで毎年やってきているという。ただ、例年同じメンバーが呼ばれることはないし、あまり屋敷の中をかってに動き回らないでくれとも言われているという。
(「それにしても――」)
とアリアドルは思った。
自分をのぞいた全員が女性の楽士であるとは、さすがに、この屋敷の主人だというところであろう。そういえば、自分がこの場にいることができるのも、仲間を材料にしての交渉のおかげなのだ。
「さあ、お呼びがかかったわ」
年長の女がそう言って、アリアドルたちを促した。
会場に入る。
天井が高く、また広い場所だ。かつて教会として使っていた場所だといい、またかつての戦争時には、とある騎士団がこの屋敷に泊まり、そこにいた美しい娘を賭け、戦い、そして全滅したという逸話があるという。
その不気味な逸話から抜け出しだしてきたかのように、その場にいたのは、美しく着飾りながらも、暗い顔をした少女や女性ばかりであった。
「風習だって聞いたけれど、どんな人が選ばれるの?」
楊が、世間話のような感じで、そんな少女たちに尋ねる。
どうやら、この舞踏会はある種の美人コンテストであるらしい。ただし、この屋敷の女主人のきわめて個人的な志向に基づくもので、その時の気分でその年の美姫が決まるのだという。
「選ばれると、何かいいことがあるの?」
という問いの返事に楊はひとり、苦笑する他なかった。よりにもよって、ドゥブロフカの愛しい人になれるというものであったのだ。
「一緒に踊りませんか?」
「えッ?」
「せっかくの機会ですものね、楽しみたいとは思いません?」
そんな楊にベルティアナが手を差し出していた。しばらく、とまどい、やがて楊はにっこりと笑った。
「喜んで」
ベルティアナがゆったりとしたスカートの裾を持ち上げ、中腰になっておじぎをすると、貴人めいた風貌の女は、少女の手をとった。
ふたりは、踊り始める。
「はじめてなんですね」
「わかりますか?」
「これも貴族の嗜みですから。そうそう、私の動きにあわせてください。楊さんは武道で鍛えていますから、じきに慣れてきますよ」
「そうだと、いいんですが――」
可憐なステップとしなやかな動きに、赤と青のドレスの裾が揺れながら回り、やがて、ふたりは会場の華となっていく。王子と王女の踊り。もし、そこが絢爛豪華な舞台の上であるのならば、ふたりは、そう見えた事であろう。
楽団員のひとりがアリアドルに目配せをした。
ふたりにあわせたリズム、メロディーで音楽を奏でろというのだ。
アリアドルは笑って、その希望に応えた。
音楽にあわせ、ふたりは踊る。
周囲の踊りはやみ、そこは、ふたりだけの舞台へと変わっていた。
「あのふたりは、なにをやっておるのじゃ?」
息抜きに紅茶を飲んでいた毛が、その騒動に振り向かえり、目を点にしていた。そういえば、普段ならば、そんなつぶやきに突っ込みをいれ、踊り子の片割れをからかうであろう姿はいまは見えない。
拍手が聞こえた。
きょうは黒いローブに全身を隠したこの屋敷の主、ドゥブロフカである。
「今年の美姫はきまったの」
その声に、会場全体に声なき安堵の声があがる。
「彼女の目は絶対に見ないでください」
「ええ‥‥」
楊はベルティアナに注意を促した。
「さあ、こちらへ来ぬか――」
マントの下からドゥブロフカの手が誘い、ふたりはドゥブロフカの私室に通された。
ドゥブロフカはベットに腰掛け、淡い銀色の輝きを身に纏うと、ローブの下から長く細い足を組んだ。そして、ローブの下から今年の美姫たちを見つめる。
ふたりは、その視線を外そうとした。
しかし、それはふたりの心の中に直接、語りかけてきたのである。
(「さあ、なにを恐れておるのじゃ?」)
※
メイド長が舞踏会の終了を宣言して、他のメイドたちが残った客の対応にあたった。しだいに人影が消えていく頃になって、ようやく楽団員たちへの賃金の払いも終わった。
「じゃあ、私はこれで‥‥」
そう言って、アドリアルは楽団員と別れると、その背中から、また、会いましょうという気のいい声が返ってきた。人ごみにまぎれて、メイドを捜す。
(「いた!」)
メイド長の後をつける。
そして、その部屋を見つけた。
覗き込むと、ちょうど部屋に戻ってきたメイド長が糸の切れた人形のように力なく椅子に崩れたところであった。そして、その周囲には、死んだようなまなざしのメイドたちが椅子に腰掛けていた。
「やはり――!?」
リュートを取り出すと、アドリアルは音楽を奏でた。魔法の力で魅入られたと彼が信じる娘たちを救おうというのだ。
望郷の念をいだかせるような――たまたま異国で生まれ育ったという楽団員から教わった――音楽を奏でる。
ゆらりと、うつむいたまま、メイドたちが立ち上がる。
「よかった‥‥さあ、こちらです。お帰りなさい」
アリアドルは笑顔を見せて、メイドたちを安心させようとした。その瞬間、メイドたちが髪をふりみだし、その手にはナイフがきらめいた。
「甘いんだよ!」
アドリアルが反応できなかったであろう、その不意打ちから彼を救ったのは、意外なところから姿をあらわしたロヴィアーネであった。
メイドたちがいた部屋の壁がくるりとまわり、そこからあらわれたかと思うと、ハンマーをふるってメイドたちを屠った。その表情は、モンスターと戦う時のような冷酷なものであった。助けてはもらいはしたものの、なにごとか言いたげなアドリアルを静止するとロヴィアーネは寂しそうに笑った。
「残念だけれど、この娘たちは、もう人間じゃないの‥‥――うまく化粧をしているけれど、ズゥンビよ。わからないって? それは、化粧をする者だけができる見分け方があるんだね。そして、この屋敷の主人、あれも、もう人間じゃない‥‥――そう言えれば、どれだけ気が楽なのかしら――」
そういって、ロヴィアーネは肩をすくめた。
「どういうことですか?」
「話を聞いただけじゃダメよね。私ってば、ほら、屋敷の中を調べるっていったじゃない? それで、あっちこっち見ているうちに、本当に迷っちゃったのよ、そしたらなんと地下にある湖にでちゃってね‥‥」
「湖?」
「ほら、この前の冒険で謎の水門を見つけたじゃない、あの水の出どこよ。やっぱり、この屋敷に繋がっていたんだわね‥‥あら、なんで、そんなことを知っているのか? って顔ね、それでね、私ったら、そこで自称、悪魔に出会ったのよ」
「悪魔と?」
「自称ね! しかも、想像していたのはちがって、そいつは宝玉だったわ。手の届かない湖の底で眠り、時々、水面のゆらゆらと光になっては異様な姿を水上に見せていたわ。死者を操れるそうよ。まあ、これは余談ね。そこで、いろいろとおもしろいことを教えてもらったわ。ドゥブロフカ、彼女の遠い先祖にはエルフがいたようね。そして、その悪魔にだまされていたようなのよ――」
※
「さあ、おいで――」
ドゥブロフカは、なまめかしい手つきで、ふたりを誘う。
しばらく間、魅了の魔法と、とある業を使い、心の中に繰り返し語りかけ、その気持ちを変えてある。もはや、ふたりの瞳に正気の輝きはなかった。
頭を覆っていたローブをとると、ドゥブロフカの若い顔があらわれた。まさしく美姫である。かつてその美貌ゆえに騎士たちを死へと誘ってしまった異端者。それゆえ、神ではなく悪魔の寵愛を受けることとなったという。
「やっぱり見間違いじゃなかったんだ‥‥」
楊は頬を赤らめ、ベルティアナの瞳もまたうるんでいる。
ふたりの美姫を手招きし、ドゥブロフカは、ふたりを胸に抱き、それぞれの唇の感触を楽んだ。ふたりのまなざしもまた淫蕩なものになっている。
「やはり若くて、美しいな。さあ、そなたらは私の若さをわしにも分けておくれ。そして、そなたらには永遠を与えん――」
舌なめずりをし、ドゥブロフカは、その首元に口付けしようとした。
その時、木の窓が壊れる音がしたかと思うと、その背中にすさまじい激痛が走り、ドゥブロフカの体が浮き上がり、そして、地面に激突した。ベットが鮮血に染まった。
「まったく、なにをやっておるのじゃ! 敵に心を奪われおって!?」
本当であるのならば、仲間と連携してする予定であった猪突拳を不意打ちでくらわせ、毛が叫んだのだ。舞踏会の後、三人のあとをずっとつけてきていたのだ。
ただ、部屋に入られたのは予定外で、解決策を思いつき、さらに実行するまでに時間がかかってしまった。
「まったく寿命が何年縮んだと思っておるのだ!」
「なにをするぞ!」
「借りるのである!」
ベルティアナのスカートをひるがえし――いっしょに着替えたので、どこに武器を隠したのか知っているのだ――一閃、毛はベルティアナの剣でドゥブロフカの顔を斬った。それもまた、不意打ちとなり、一筋の血がその額から流れる。
「これが最後だ!」
魔法を使われては勝てない。
つづけざまとばかりに毛は拳にすべての力を込め、生涯の中で幾度とないであろう、会心の一撃を放った。みぞを打ち、ドゥブロフカは血反吐をはいた。勝負はついた。
「‥‥これで、私の奥義伝承の為の修行は終わったな‥‥」
毛は、そうつぶやき背中を向けた。
ドゥブロフカの身体が崩れ、血が床に吸い込まれていく。
「さて‥‥次の目的は、なにがよいかな?」
まだ、魔法が解け切れていず、ぼんやりとしているふたりの仲間に、毛は笑いかけていた。
※
「そうだったのですか――」
それから幾日たったある日、その城にはアドリアルの姿があった。
もはや人の気配すらない、この城で月の精霊が語る過去の物語――パーストの魔法を使ったのだ――を聞き終え、彼の謡おうとしている物語の構想を纏めていたのだ。
それは、この冒険を始めた時から考えていたことであった。
「主題は、与え奪うもの。今は多くを与えても、やがて奪うものの数が勝るのが時。それに効する術を悪魔から授けられなかったのならば、あの女性も魔女と呼ばれることはなかったのでしょうか‥‥」
対照的に、悪魔と愉快な駆け引きをして、うまく逃げ切ったというロヴィアーネの顔が、ふと浮かんだ。うまくまとまらない箇所があったので、構想を練り直しながら、アドリアルは、そんなことを考えていたのだ。
「えッ?」
地響きが聞こえてきた。
始めは小さかった揺れがやがて大きくなり、地響きに応えるかのように、アリアドルの眼下に広がる遺跡群が青白く不気味なかがやきを発するのであった。