志道に心指す 二
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■シリーズシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:1〜5lv
難易度:難しい
成功報酬:4
参加人数:10人
サポート参加人数:4人
冒険期間:11月23日〜12月04日
リプレイ公開日:2004年12月02日
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●オープニング
『既に‥‥馬鹿なッ! 既に、し、死んでる‥‥!』
(「――私の志した道、それは士道に生きるためなのか?」)
『殺ったのは誰だ!』
『分からぬ! ともかく灯りを!』
(「それとも、まだ見ぬ誰かのためか?」)
『あっちだ、あっちの林に逃げ込んだぞ!』
『逃がすな、追え!』
『待って下さい、まだ息があるかも知れません! 怪我の手当てを!』
(「或いは、今目の前で苦しむ人の為なのか。――だが、いくら考えても、そこの所がどうしてもまだ分からないんだ。俺の志とは、進むべき道とは??」)
『どうするんだ、道志郎!! 指示を、指示をくれ!』
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥。
‥‥。
道志郎が江戸へ戻って数日、再びギルドに那須への探索依頼が張り出された。
「すまない。またこんな条件で集まってもらうことになって」
二度目の那須行。報酬もない悪条件は前回に同じである。彼らが次の目的地として選んだのは、自殺した僧侶達に名を連ねていると噂されていた高僧のいた寺院。事件の影に何かきな臭いものを嗅ぎ取った冒険者達は手にした僅かばかりの手掛かりを頼りに那須へ飛んだ。北の地に微かに臭う悪意の正体を暴くために。
寺院のあるのは以前訪ねた寺からは南東の方角、だいぶ江戸よりの位置。江戸の城下から徒でも五日といった距離だ。門前の小僧に身分と用件を告げ、寺の者に取り次いで貰う。那須でもそれなりに大きな寺院となると以前訪ねた小さな村のそれとは違う。奥へ案内された一行は、応対に出た老僧侶と面会した。
「数ヶ月前にここの名のある僧侶が自害したとの話を聞き、江戸より訪ねてきた。僧侶達の自殺に纏わる一連の噂を追っている者だ」
「‥はて‥‥?」
老人は眉に深い皺を刻み、やがてこう答えた。
「知りませぬな。我が寺院で自殺した僧などおりませぬぞ? 夏に亡くなった僧もおりましたが、それも天寿を全うしてのこと。与太話を真に受けてこんなとこまで旅をして来られるとは、とても正気とは思えませぬな」
那須での偶発自殺の噂が江戸に流れ出したのが十月も終わりになってからのこと。最後に自殺を遂げたのは先の寺の住職で、それが一月ほど前。事の起こりはもっと以前の夏辺りまで遡ることとなる。そのどれも与一公が大きく取り上げることもなく、先の住職についても自殺として処理がされたことを考えれば、おそらくは他の事件も同様なのであろう。現時点では彼ら僧侶達の自殺を関連付けて考える要素など一つもないのだから。そもそもの話が、所詮は怪しげな噂話に過ぎないのだ。
「お引取り願えますかな、若武者殿?」
前回の嵐の調査では、那須の領有では鬼騒動とギルドの話題で持ち切りといった具合で偶発自殺の噂はほとんど聞けなかった。那須ではその噂はもう終わった事であって今更そんな古い話を持ち出す者などいないのだ。露骨に道志郎を皮肉って言った老僧侶は早々に部屋を後にし、残された若い僧侶が一行を門の外へ送り出した。
無言で寺院を振り返った道志郎の顔は険しい。若い僧が道志郎に何かを差し出す。手拭だ。自分の落としたものだと気づいた道志郎が慌てて受け取る。すまない、と一言。それには答えず、青年が小さくお辞儀をする。それに送り出されて一行は寺院を後にした。
「最早是までか」
元より噂話の類から始まった話、当然の成り行きといえば仕方のない所だ。だが先の調査で何かの手応えをつかみかけていただけに悔やまれる。その心境は如何ばかりか。彼の額を汗が一筋伝っている。拭おうとした道志郎の手が止まった。
「これは?」
広げた手拭には擦れる文字で殴り書きがされていた。『喜連川』そして『トラ』とある。振り返ると男の姿はもう門の奥に遠くなっていた。
「‥‥喜連川‥確か、寺のすぐ横を流れている河の名前がそうだったな」
横から覗き込んだ冒険者の一人が寺院の脇へ視線を巡らせながら呟いた。
「寅の刻ならば、暫く時間を潰せる宿なりとる必要があるな」
そして深夜。寅の刻。静まり返った川の畔で、冒険者たちは見た。
「既に‥‥馬鹿なッ!」
川べりに提灯の灯りを見止めて歩み寄った先にあったのは、草むらに転がる提灯と、血達磨の若い僧侶の姿だった。
「既に、し、死んでる‥‥!?」
「殺ったのは誰だ!」
緊迫感が空気を塗り替える。不意に提灯の灯りを遮って何かが一行の前を横切った。明暗。草むらに飛び散った鮮血の赤。雲間から覗く淡い銀光。ほの灯りに照る枯れた草色。川面に映った朧な月は横たわる僧の瞳に同じ鈍色を返す。そして横切った影は一瞬の金色。
「獣だ、奴は獣のような姿を‥‥」
「あっちだ、あっちの林に逃げ込んだぞ!」
河原に怒声が木霊する。道志郎の肩が小刻みに震えていた。このような惨状を目の当たりにしてあの若さでは無理からぬことだが、事態は緊急を要する。
「待って下さい、まだ息があるかも知れません! 怪我の手当てを!」
誰かがそういった次の瞬間、和紙を焦がして提灯に火が燃え移り、零れた油を伝って炎は瞬く間に枯れ草に燃え広がった。もはや、一刻の猶予も残されてはいなかった。
「どうするんだ、道志郎!! 指示を、指示をくれ!」
●リプレイ本文
行動は迅速に、それでいて慎重に。
何かが動き出そうとしている。その前に。
「ちぃ! 面倒な事になった!!」
鋼蒼牙(ea3167)が荷物を投げ出して短刀を抜いた。枯れ草が燃え広がっては手遅れとなる。延焼を防ぐために刈り取る他はない。
「‥‥‥ぅ‥‥ぁぁ‥」
だがこの事態を前にして、道志郎は呆然として肩を震わすだけだった。炎に照る彼の顔はそれでなお血の気が引いたのが分かるほどに蒼白だ。
「時間がそう無いんだ、さっさと目を覚ませ!! 今をどうするかで、後の事が大きく変わるんだぞ!!」
(「道志郎さん、震えとる場合や無い。貴方の予想は間違いやなかったんや、こんな事でもたついとる様やと事件は解決できんよ。自分を信じるんや、うち等もついてる」)
グラス・ライン(ea2480)が道志郎の袖を引き、そして彼に頷き返す。倒れ付した僧侶を木賊真崎(ea3988)が引き起こした。酷い傷だ。喉、側頭部、肩口、胸と鋭利な刃物で切り裂いたような傷が深々と赤い口をあけている。僧侶の目に光はなく、呼吸も疾うに停止している。
(「あかん‥‥此処まで重いと回復は難しい、うちの腕では未熟やわ」)
グラスが苦しげに眉を寄せた。咄嗟にアルカス・アルケン(ea6940)がアイスコフィンの詠唱を始めた。だが魔法が発動するまでの十秒間の猶予は、この容態を前にしては途方もなく長い。
「まずい、怪我人をどかすんだ! 煙を吸わせるな!」
すぐ脇にまで迫っていた炎を川の水で濡らした厚手の上着で叩き消し、鋼が叫ぶ。すぐさま真崎が男を抱きかかえ炎から遠ざけ、片手で手荷物をまさぐり薬壷を取り出した。それを横から抱き取ってイリス・ファングオール(ea4889)が真崎に代わって封を開ける。
「死んでは駄目です!」
薬を含むと、イリスは躊躇うことなく口移しで一気に僧侶の喉へ流し込んだ。
(「モンスターに襲われても、でも、私でもまだ生きているから‥‥」)
一秒でも早ければ、もしかしたら助かるかもしれない。その思いが彼女を突き動かしていた。
「僧が生きているならば必ず助かる! 呆けていないでなすべきことをしなされ!」
道志郎へ真壁契一(ea7367)の叱咤の声が飛ぶ。
「追って下さい! また人が襲われるのは駄目です」
振り返ったイリスは足元が覚束ないで、顔は道志郎同様に血の気が引いている。怪物に肉親を殺された経験を持つ彼女にとっても、この惨状は目の当たりにするには辛い光景だ。だがイリスはそれでも挫けない。
「正しいと思う事を‥‥正しい事をするときには、神様はきっと助けてくれます」
イリスの指先が道志郎の唇に触れ、彼女の表情に健気な笑顔が覗いたかと思うと全身が優しい光に包まれる。
「祝福と神のご加護を。大丈夫ですよ、こっちの事は私たちに‥‥」
「道志郎!」
その名を強く御影涼(ea0352)が叫んだ。涼の瞳へ視線を返す道志郎の目に、再び意思の力が灯る。まだ力なく開けていた唇を閉じ、道志郎は口元を引き締めた。首を巡らし、その目が川原の状況を捉える。
「グラス、イリス、怪我人は任せた! 火の手は枯れ草を刈り取って抑え、魔法で鎮火を! 獣はどっちに逃げた!?」
「向こうの林だ、道志郎。既に信也と焔麗が追っている。行くぞ!」
涼の視線へ道志郎が頷き返す。二人は駆け出した。
「何を優先させるかは経験から自ずと判る、だが一瞬の躊躇が大きく情勢を変えてしまう事を忘れるな」
「あ、ああ!」
荷物をかなぐり捨て、榊原信也(ea0233)は真っ先に獣を追って駆け出していた。狩りの心得もある彼は、林を疾走しながら、だがそこに微か残る痕跡を見逃さぬよう自らに強いる。
「逃がすかよ!」
松明の炎が風に煽られて強く揺れた。心臓が早鐘を打っている。だが信也は確かにその背を捉えていた。姿こそまだ見えないが、漂う獣臭は隠し切れない。その背中へ信也は全力で追いすがった。
(「道志郎は任せたぞ、涼!」)
真崎の持っていた霊薬の効き目か若僧は辛うじて死の淵で踏み止まっていた。川原沿いの道へ男を横たえると、服を剥ぎ取り袖口で血を拭う。並んで口を開いたその裂傷はおそらくは爪によるもの。推察するに、大型の肉食動物か。控えていた仲間が唱えた魔法で傷が徐々に塞がって行く。
(「貴方は高僧が自殺したのを知っているんやね。もしかして他の事件も知ってるん?」)
閉じられた男の相貌をグラスが見守る。やがて傷は完全に塞がったが男の意識は戻らない。毒にやられた様子も見られない。頭部に負っていた深い傷が気に掛かる。
「どいて下さい、皆さん」
アルカスが皆を下がらせ、片手で結んだ印を僧侶へ向けた。
「ひとまず彼にはお休み頂くことにしましょう」
淡い光が彼を覆ったかと思うと、川辺を漂っていた湿気が若僧の周りで急速に凝固し、巨大な氷を形作る。
「く! 消火作業をするとは思わなかったよ!」
延焼を食い止めていた鋼も何とか事を治めることができたようだ。
(「核心には近づいてるようだがな‥‥」)
まさか新調した防寒着がこんな形で役に立つとは思いもよらなかったが、枯れ草を刈り取って時間を稼いでいる間に仲間が魔法の詠唱を終え、何とか鎮火に成功する。
「これで少しはやりやすくなるはずだ」
急ごう、荒い息で鋼がそう告げる。それに答えて真崎が小振りの剣を抜いて頷いた。
「これを」
鋼へ真壁が松明を手渡した。
「皆がここを離れては万が一の時に危険。拙者が残りましょう。くれぐれも無茶はなさらぬな」
「そっちもな。先に行った奴らが足止めできてたらいいが」
このまま追っても今からでは叶うまい。信也達の追走を見守っていた別の仲間の手引きで、保険の意味も込めて獣の逃走した先を予測して回り込むような道筋を取ると、鋼たちは駆けて行った。
「我々も行きましょう、長居は無用ですぞ」
「せやな」
涼の指示で仲間の一人がここ近辺に緊急時の隠れ家を探しに出ている。流石にこの急変は想定外にしても、今頃は都合の良い場所を見つけた頃かもしれない。早くに宿を引き払い、荷物と馬を連れて身を隠すべきだろう。グラスが連れていた驢馬に若僧を乗せると、そうして一行はすぐに川原を離れ、闇に紛れた。
ふと、グラスが振り返った。
(「そういえば、手拭に書かれていた文字『トラ』、本当に寅の刻のことを指していたんやろか? あの金毛‥‥うちには一瞬、虎に見えたような?」)
ふっと沸き起こった疑念、それは黒い不安となって次第に膨らんで行く。
(「日本には虎はまずもって居らん筈やのに――?」)
獣を追った李焔麗(ea0889)は林の中を駆けていた。信也よりも一瞬早く飛び出していたものの忍者の術には流石に及ばず、瞬く間に追い越された彼女は信也の松明を目印に追走していた。
(「一目でも、たったの一目でも獣の姿をこの目に焼き付けなければ」)
日頃の鍛錬からかまだ息は上がっていない。ならば信也が獣の足を止めることを信じて今は走り続けるだけだ。そしてその時は唐突にやって来る。遠くで灯りが掻き消え、暗い森に苦悶の悲鳴が木霊した。
「‥‥‥‥ぐゥ‥」
初撃は完璧な不意打ちだった。信也の手にしていた松明は瞬く間に薙ぎ払われ、獣が踏みつけたのか、焦げる様な音を立てて灯りは掻き消えた。暗闇。一瞬の暗転は信也から一時的に視界を奪い去る。漂う獣臭。真闇に危険が色濃く輪郭を縁取り始める。
「‥やれやれ、やっと止まったか‥疲れたぜ‥‥‥」
そっと懐へ手を伸ばすが、忍ばせておいた暗器は獣の爪に払われ乾いた音を立てて転がった。残りの武器はすべて川原の手荷物の中だ。新たに裂けた傷口が鋭く全身に警鐘を鳴らす。飛び退り、信也は樹木に背を預けた。
(「すぐに大人しくさせてやる‥掛かって来やがれ!」)
低い唸り声。向けられた殺気を肌で捉え、信也は身構えた。突進して来た所を直前でかわして、木へ頭をぶつけて動けなくなった所を捕まえてやる。だがその思考は、ある疑念により中断される。
(「まさか‥‥」)
その光景を、焔麗は見た。一際大きな咆哮の後、木々を照らして真っ赤な火炎が吹き上がった。そこに浮かび上がったのは、信也の姿と、そして異形の虎の姿だった。
『ンだよ、こいつ。妙な術使いやがって』
信也に爪を突き立てて吐き捨てたそれは、長身の信也よりも頭一つ抜けて大きく、そして二本の足で立っていた。
『チッ‥‥また出やがった。‥うぜぇ』
両の爪で僅かな間に三連撃、信也を斬って捨て焔麗に振り返ったそれは、牙を生やした虎の形相。爪を引き抜いて背筋を逸らすと、更に大きい。それは男の声で忌々しげに呟いた。
『‥ンどくせぇなア』
信也と焔麗を交互に見比べた獣は、それだけ言うと、身を翻し闇に消えた。信也が傷ついた体を起こし追おうとするが、駆け寄った焔麗が制する。
「深追いは禁物です。その傷なら尚のこと」
自らの防備の薄さに嫌な予感を感じた信也はその疑念に辛うじて救われていた。或いはあの場で火遁の術で勢いを削がねばそこで殺られていただろう。だが傷は重い。
「何事だ!」
「信也、大丈夫か!」
そこへ遠くで道志郎達の声が聞こえて来る。
「御影さん、ここです! 榊原さんが深手を‥‥早急に治療を!」
焔麗に抱きかかえられた信也の手には一筋の獣毛が。それは以前に見つけたのと同じ、金色の光を放っていた。
鋼達も獣を捕えることはできなかった。再襲撃も警戒した一行は、仲間の見つけて来た使われなくなった炭焼き小屋へと夜半にも落ち延びた。
「なるほど。ならば『寅』でなく『トラ』の文字だったのが気になる。虎の姿をした獣人‥‥となると‥」
「虎の銘を預かる妖怪ならすぐ浮かぶのは華国のモノやね」
グラスの言葉で涼が真っ先に思い浮かべたのは、夏祭の折の事件であった。
「――阿紫が再び争乱の火種を!?」
それは江戸の冒険者ならば知らぬ者はない華国の妖狐による騒動。逸る気持ちを抑えながら地図を広げる。信也の手に入れた獣毛を元に仲間の一人がバーニングマップを唱えると、那須近辺の地図上を北東へ向けて太い線が残り、その先は掠れながら広がって消えている。情報が少なすぎる。
「なあ? 自殺やと噂されとる僧の死亡時期と場所を頼りに道を絞れんやろうか?」
予備の地図に書き込みを終えると、そこには地図上を北西からから南東へ伸びる直線が出来上がっていた。グラスがそれを灰の道筋に重ねる。それはやがて直線上のある一点で交わった。
「ここや!」
擦れる灰の道の中、連ねる直線の交わった先には小さな寺院。そこで自殺者が出たという噂は聞かない。鋼が呟く。
「‥‥きな臭くなってきたな。いや、それは元々か‥‥」
「僧侶を襲った獣の正体。そして、今この地で何が起こっているのか」
不意に掛かった声は仲間と歩哨に立っていたアルカスのものだ。横から覗き込んだ彼はしげしげとその地図を眺めて見せ、やがて俯き考え込んだ。
「この図面、何か引っかかりますね。一度、ジャパンの宗教に関わる文献を洗ってみる必要があるかも知れません」
「私も、この間のデッドコマンドが良く分からない文字(?)だったので、それがちょっと気になってるです」
いずれにせよ、と真壁。
「僧侶が生きている以上、件の獣もこれを放っては置けますまい」
彼は氷付けの若僧を一瞥する。
「備えは万全。後は夜明けを待って僧を那須の街に運べば万事解決ですぞ」
それに異を唱えたのは涼だった。
「嵐殿の情報もある。江戸、那須共にどう利用されるか判らぬ以上、慎重な行動が肝要ではないか?」
「僧侶さん、お寺に戻すのは心配です。もし役人さんが引き取りに来ても、意識が戻るまでは私も絶対に離れません!」
こちらの動きを公にするのは得策ではないとする涼に、真壁はたちまち難色を示した。珍しくイリスも強く反発する。
「我々一行以外の人物は、全て怪しいと考えておいた方が良いかも知れません」
衝突しかけた真壁と涼の間に割り込んだのは最年長のアルカス。
「疑いすぎるのも少々心苦しいのですが、状況が状況ですので仕方ありませんね」
穏やかな彼の態度に毒を抜かれた二人が憮然としながらも従うと、アルカスは少しおどけて溜息をついた。
「しかし、難儀な事になりましたね。どうしますか」
小屋の裏手の薪置き場。真崎が一人、小袋の根付を弄びながら所在なさげに腰を下ろしている。髪止めの紐がいつもの白ではなく青に変わっていたのに気づいた者はおそらくいまい。その、意味する所は。
『呼んだか、真崎』
声だけ聞こえるのは風守嵐(ea0541)。
『読み通り、高僧の死は自殺。組織ぐるみの隠蔽が行われていた』
密かに寺院の内情を探った嵐だが、そこから事件に関わる何かを見つけるには至らなかった。
『他の自殺との関連を疑う要素はない』
身内の死にも体裁を取り繕うとは、流石は徳の高い大寺院、世間体への配慮も何とまた細かいことだ。
「こっちは次の目的地が決まったぞ。北東だ」
真崎の報告に黙って耳を傾けると、やがて嵐はこう呟いた。
『伏魔殿という言葉はこの那須の為にある様なものだな』
鬼騒動の裏で何かが動いている。それは最早疑いようも無い。
『分かった。若僧と接触した者を洗い直そう』
「頼む。それから焔麗がギルドの那須支局に向かってる。出来れば影ながら助力を頼む」
翌日になって那須城下へ向かった焔麗は、動乱の噂を聞いて流れてきた冒険者に紛れ支局で調査を行った。流暢にジャパン語を操る焔麗でも古い文献を調べるのは難しかったが、それを差し引いても成果は殆ど得られなかった。
「あの妖怪が那須の土着のものでないとすると、やはり華国妖怪でしょうか」
僧の自殺も前例が全くないということはないが、一連の噂と関連付けるには無理のあるものでしかない。作業を切り上げると、怪しまれぬ内に焔麗はそこを後にした。
そして。嵐も。
明けて翌日、寺院は若僧の失踪の対応に追われていた。姿を消したのは二人。
(「鬼騒動に比べれば、自殺の噂等誰も気に留めはしない‥‥実害がないからな」)
もう一人は先頃寺院の門を潜り仏道に帰依したという若い僧。青年が現れたのは丁度夏の頃であったという。それは昨晩若僧と接触を持っていた一人でもある。
「消えた青年僧侶か。顔は確かに覚えた」