お江戸に暮らせば  文月

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:フリーlv

難易度:易しい

成功報酬:4

参加人数:9人

サポート参加人数:3人

冒険期間:08月01日〜08月06日

リプレイ公開日:2005年08月10日

●オープニング

 今日は竹之屋を取り巻く恋模様のお話。
『八雲ちゃん、‥‥俺、ずっと前からキミの事が‥‥』
 店の常連である忠臣が看板娘の八雲を誘って二人で出かけたのが2月ほど前のこと。噂では忠臣が思いの丈を伝えたという話だが、その後も二人に代わった様子はない。ただ、あれ以来少しだけ、八雲の中で小さな変化が起こりつつあった。
(「あの時は眠かったのでよく覚えてないのですけれど‥‥」)
 もっとも傍目にもすぐには見えてこないその兆しに気づく者はほとんどいなかったが。たまにこうして仕事の合い間に視線を泳がせてぼんやりと考え事をしている。
(「ああ! あれはひょっとして、あ、あ、あ、あ‥‥」)
「愛の告白というものなのでは!!」
 いつの間にか顔が真っ赤になってしまっている。
「どうしましょう! ドキドキしますね! こんなこと言われるのなんて、生まれて初めてですよ!」
 本当を言うと、もっとずっと前に店の用心棒の朱が思いを伝えている。が、まったく分かっていないあたり、どれだけ八雲が色恋に鈍いのかが窺える。そう、八雲は初恋もまだという今時珍しいうぶな娘であった。
 長屋にて。
「で、話は分かったがなんでまた俺なんだ?」
 仕事帰りに八雲が立ち寄ったのは長屋だ。ちょうど顔馴染みの崔軌が様子見がてらにやってきている。
「‥‥という訳なのですよ!」
 八雲の話へ崔軌は黙って耳を傾ける。長屋の飼い猫のねここさんを撫でながら耳を傾ける崔軌へ、八雲は胸の内を打ち明けた。
「ひょっとして、これって恋でしょうか!!」
「こりゃまた急だが‥‥まあ、聞いてみりゃ確かにそうな話だがな」
「そうなんです! 何だか胸が苦しくなって、でも甘くて‥‥何だか朱さんと一緒の時のような‥‥?‥‥‥」
 語気を弱めながら八雲は小首を傾げて視線を泳がせた。その様をしげしげと見詰めながら崔軌は内心で考え込む。
(「なるほどな。山岡の告白がきっかけで自分の気持ちを意識し始めたってとこかな、こりゃ。問題は肝心の八雲の気持ちだが‥‥」)
 その崔軌を八雲が不安げな顔で窺う。やがて八雲は意を決してこう切り出した。
「そこでお願いです! 私の恋の手助けをして貰えませんか!!」
「って、八雲。俺の仕事が何だか分かってるか?」
「罠屋さんに頼めたことではなかったですね‥‥でも、ギルドへお願いするのも何だか変な話ですから‥‥」
 珍しく八雲がしおらしくなる。まあ店の連中に頼めた話でもないし、他に相談できる相手もすぐには思いつかない。崔軌は逡巡の後、苦笑まじりに頷いた。
「‥‥よかろ。ま、あながち間違ってなくもないあたりが何とも、な」
 そしてニヤリと笑うと、長屋を振り向いて。
「きよ坊」
「はい!」
 駆けて来たきよの頭をぽんと叩くと、崔軌は立ち上がった。
「仕事だ。準備はいいか?」
「うん、分かった!」
 それに答えてきよが仕事道具を引っ張ってくる。グラビルの案で料理対決の手伝いをすることになっていたきよだが、準備が休みの間はこうして崔軌の仕事の手伝いをしているという訳だ。
「木賊さん、引き受けてくれるんですね!」
「ま、せっかくのご指名だ。ただ受けるのも面白くねぇ。ここは一つ、罠屋らしく、な?」

 さて。その頃、竹之屋では。
「‥‥‥‥‥‥弱ったぜ」
 いつもの席で忠臣は浮かぬ顔をしている。料理対決の準備で愛しの八雲ちゃんへイイとこを見せようと頑張りはしたのだが。そのために実家に頭を下げにいった先でのことだ。実の母へちょっとした頼み事をするときについ口が滑ってしまったのだ。
「近い将来伴侶になる我が恋人の為にって、言っちまったんだよなあ‥‥」
 常から遊びまわっている放蕩息子が将来の伴侶を見つけてきたのだ。親御さんの心境を思えば、その後は容易に知れる。このまま放っておいたら事が大きくなってしまうかもしれない。まして、まだ八雲がこちらの気持ちにさえ気づいてないなどど分かったら‥‥
「‥‥シャレになんねぇ。こりゃなんとしてでも、もう一回きちんと八雲ちゃんに思いを伝えるしかねぇぜ。っても邪魔が入りそうなんだよなぁ。誰か手助けしてくれる奴がいるかもな」
 ライバルの朱は論外として店の連中にはとても頼めない。他を当たるとなると、親しくている森之介の顔が一瞬浮かんだが。
「‥‥だめだ。絶対オモチャにされちまうぜ」
 となると残ったのは‥‥
「お千ちゃん、お勘定だ」
 代金を置いて忠臣が立ち上がった。
「今日はもうお帰りですか? ゆっくりしていけばいいのに」
 お手伝いのお千がお盆片手に駆けて来る。忠臣がお千の手を取った。
(「ごめんよお千ちゃん、気持ちには答えてやれねえ。俺はやっぱり八雲ちゃんを愛してるぜ!」)
 などと勝手なことを考えて忠臣は店を後にする。
「つー訳で俺は愛に生きるぜ!」
 やがてその背が遠くなると、今度は厨房から朱がひょっこり顔を出した。
「どーしたんや? 山岡のやつ」
「さあ? どうしたんでしょうね?」
 首を傾げて返したお千へ、朱は肩を竦める。
「そんなことより仕事や、仕事! 今日はわいも料理の腕を振るうさかいな! これでもやっさんの見よう見真似で少しは巧うなったんやで!」
(「料理屋の男が料理のひとつも満足にできんようやったらあかんからな。八雲はんに相応しい男になるんや!」)
 何度も回り道をしながらここまでやってきた竹之屋の恋模様。はからずも忠臣の告白で生まれた八雲の変化を契機に、大きく動き始めようとしている。
 さあ、この恋いよいよ決着だ!

●今回の参加者

 ea0260 藤浦 沙羅(28歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea0440 御影 祐衣(27歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea0592 木賊 崔軌(35歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea2175 リーゼ・ヴォルケイトス(38歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea3988 木賊 真崎(37歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea7692 朱 雲慧(32歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea8432 香月 八雲(31歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea9861 山岡 忠臣(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb0943 ミリフィヲ・ヰリァーヱス(28歳・♀・ファイター・人間・フランク王国)

●サポート参加者

神薙 理雄(ea0263)/ 飛鳥 祐之心(ea4492)/ 大神 森之介(ea6194

●リプレイ本文

第9話 お医者様でも草津の湯でも

 宵の刻。近所の神社。
「なんだかちょっと大変なときにきちゃったみたいですね」
 いつもの面子に混じって所在なさそうにしているのは藤浦沙羅(ea0260)。春の催しで縁のあった沙羅は、今日ははるばる都から帰ってきた所だ。
「肝試しとは急な話で驚いたで。せっかくの夏やさかい、楽しまなな」
「つか今回のは木賊さんの計画かよ。乗ってはやるが、何か裏がありそうだぜ」
 朱雲慧(ea7692)と山岡忠臣(ea9861)も呼び出されているが、話が『街の罠屋さん』からということでどことなく警戒ムード。
「‥‥さては長屋の連中の為に、法外な依頼料でも取る気か」
「依頼料?‥‥」
 木賊崔軌(ea0592)が、香月八雲(ea8432)を軽く一瞥して含み笑いを漏らす。
「ま、考えておく‥」
 八雲から相談を受けた崔軌は、助手のおきよちゃんと一緒に今日の集まりをセッティングしている。
(「だ‥だめです‥‥今回は諺も何も出てきません! ‥‥恋の病は伊達では無いのですね!」)
 相談のことは皆には内緒だが、3人の関係は皆も薄々察している。今日は誰もが言葉少なでどことなく緊張した面持ちだ。それを崔軌が満足げに見回すと、ふと視線が沙羅と交差する。沙羅が小さく両手で拳を握って返す。
(「これはのんびり看板娘なんてしてる場合じゃないですよね! 私もがんばってみなさまのお手伝いします!」)
 さて。
「ええと、まず山岡さんと回るのですね!」
 肝試しは社をぐるりと回って本殿からてるてる坊主持ち帰るというものだ。一周したら八雲は相手を交代。ということで一番手の忠臣。持参の花束を手渡して八雲の手を取る。
「ふっ。気が利くのも良い男の条件ってもんさ」
 まずは忠臣の先制攻撃。普段の鈍い八雲なら気づかなかっただろうが、今日は恋する女の子。花束を手に取り頬を朱に染める。
「それじゃ行こうぜ、八雲ちゃん」
「は、はい!」
 二人は並んで境内の奥へと消えていった。
(「ま、結論は無茶だろう‥が」)
 崔軌がその背を見送って腕組みをする。
(「一緒に居てあったかい気分になるのはどちらか‥位は気付いてやれよ? 八雲」)

 夜道を一緒に歩くのは初めてではないが、今日の二人はどことなくぎこちない。
(「熱くなっちゃいけねー。ここは一つ冷静に‥‥」)
 が、さっきから茂みや木陰で何やら誰かがいるような気配がする。時折、這うような物音が迫ってくるようにも感じられ、忠臣は小さく身震いした。
「なーんか嫌な予感がするぜ。八雲ちゃん、急ごう」
 崔軌が一枚噛んでいるとなると油断は禁物。八雲の手を引くと先を急ぐ。普段はああだが、やるべき時はしっかり行動力を見せる辺り、少し頼もしいかも知れない。不安げな八雲へ忠臣はいつのも元気な笑顔を向ける。
「怖がらなくてもいいんだぜ。俺がついてるから心配はいらねーぜ!」
 向かうは本殿。傍の茂みには既に脅かし役のチビ達が身を潜めている。
「‥‥来たな」
 引率役の木賊真崎(ea3988)が地の精霊の力を借りて二人の接近を事前に察知する。後ろのチビ達に合図を送り、二人が通り過ぎるまでを待つ。
「本番はそれから‥‥遊ぶのは後からゆっくりと、だな。だが脅かすのは一気に、かつ迅速に引く様にな」
 チビ達を振り返ると最期に念を押す。
「でないと逆に脅かされるぞ? 仕掛けに」
 チビ達がコクコクと頷く。
 本殿へは崔軌が本領発揮ということできよと一緒に罠を張っている。ミリフィヲ・ヰリァーヱス(eb0943)達の協力を得て昼間の内に準備は終えている。真崎も弟の崔軌から借り出された口だ。
(「‥正直、あいつの考える事が俺には皆目見当つかないんだが‥‥まあ、仕方あるまい」)
「‥しかし、お前も面倒嗅ぎつけてこんな話良く拾ってくるものだな」
「そりゃね。ま、嫌いじゃねえよ裏方は。真崎こそ先生役が様になってるじゃねぇか」
 軽口を叩きながらも兄弟の仲はいいようだ。
 その隣では沙羅がうっとりとした様子で溜息をついている。
「恋の三角関係ですかぁ‥‥あぁなんか素敵ですね‥‥」
 子供のお守り役には沙羅も買って出ている。チビ達と一緒になって怖がりながらだが、何よりチビ達に泣かれては堪らないのでそれが今夜は心強い。
 そうやっている内に遂に二人は本殿までやって来た。ここまでくれば人気もない。今がチャンスだ。
(「ミリフィヲちゃんやお千ちゃんやリーゼちゃんや裕衣ちゃんやクリアラちゃんには悪いが‥‥俺もそろそろ年貢の納め時って事かな」)
 本殿へ行くと設えた木箱の上に件のてるてる坊主。八雲が手に取ると。
「きゃっ!」
 仕掛けていた鳴り物が大きな音を立てた。
「おっと」
 驚いた拍子に忠臣が抱き寄せる。暫しの空白。忠臣が腕の力を緩めて八雲の瞳を覗き込んだ。
「八雲ちゃん‥‥俺はいっつもふざけてる様に見えなくもないが、この思いだけは真剣だぜ」
 結局また凝った台詞も出てこない。だがこうして気持ちを口にすると改めて自分の想いの深さを思い知らされる。
「俺は君が好きだっ!」
 ぎゅっと強く。抱きしめるだけで言葉はもう出てこない。八雲も前と違って忠臣の気持ちを意識し始めている。顔はとうに真っ赤で心臓は早鐘のようだ。
(「よく考えてみたら、生まれて初めて告白して下さった相手なのですね!」)
 胸の内に甘いものが広がる。くすぐるようなその心地は前にも感じたことがある。そんな気がして八雲は記憶を遡る。
 と、その時。
「恨めしい〜〜〜」
 どこからか低い呻き声が風に乗って聞こえてくる。脅かしに飛び出す機は図っていた子供達もギクリと身を強張らせた。木陰からゆらりと現れたのはフィヲ。白装束に身を包み、髪を振り乱した頭には鉄輪でロウソクが。フィヲは凄まじい形相で恨み言を呟きながら木の背を叩きつけている。一瞬、八雲が息を呑んでふらりと体がバランスを失った。
「大丈夫か八雲ちゃん」
 慌てて忠臣がその背を抱きとめるが。
 ズリ‥ズズ‥‥‥
 何かを引き摺るような音に振り返ると、脇の古井戸から這い出す人影。水の滴る単衣姿の女。体に稲光を宿し、振り乱した髪の向こうで。ギロリ。八雲と目が合う。
「‥‥わ、八雲ちゃん!!」
 その瞬間に忠臣の腕の中で八雲は気を失った。
「ま、マジかよ‥‥ツイてねぇ‥‥‥」
 またしてもイイとこで邪魔が入ってガックリ肩を落とす忠臣。何だかここまでやられると気の毒ですらある。見方を変えれば、これだけ袖にされ続けてもめげない忠臣も立派なものだが。結果、今回もあえなくフィヲ一味の連係プレーでチャンスを逃したのだった。
(「山岡さんには悪いけど、やっぱりボクは香月さんには朱さんと一緒になって欲しいんだ」)
 将を射んと欲すれば先ず、とは言うが。そういう詰めの甘さがどこか忠臣らしいといえばそうなのかも知れない。

 その頃。入り口では朱が緊張した面持ちで自分の番を待っている。そこへリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)がふらりと現れ、朱へ声を掛ける。
「いやー。何だか面白そうなことになってるねえ?」
「あ、リーゼはん」
「私も色々と陰から見させてもらったよ。怯える八雲とかカッコつけようとしてすべる山岡とか、その様子をこっそり窺ってヤキモキしてた朱とか、ね」
 リーゼ姉さんにはお見通しだ。気恥ずかしそうに頭を掻く朱へ、リーゼが恋愛成就のお守りを手渡した。
「朱のこの恋、実ることを祈ってるよ」
 やがて帰ってきた忠臣と交替で朱と八雲が本殿へ向かう。
 気心の知れた仲だが、自然体を意識するものの今夜ばかりはうまくいかない。沈黙が続き、言葉にならない想いが膨らんでいく。
(「そういえば朱さんって好きな女性は居るのでしょうか。気になりますけど、聞くのが怖いような‥‥」)
 思えばこういう風に朱のことを考えるようになったのは忠臣の告白からだ。
(「ううん‥‥何で朱さんの事がこんなに気になるのでしょう? もしかして、私‥‥」)
 赤面しながら八雲が俯いた時だ。
「さ、着いたで」
 本殿へ辿りつき、朱が照る照る坊主の置かれた木箱へ手を伸ばす。
「‥‥あ、朱さん、そこは!」
 八雲の制止は一歩遅かった。朱が踏み板へ足を掛けると鳴り物が大きな音を立て、今度はそれと同時に茂みから子供たちが飛び出してくる。お化けの格好をした子供たちはおしくら饅頭のように二人目掛けて飛び込んできた。
「八雲はん」
「朱さん」
 揉みくちゃにされながら、二人の伸ばした手が繋がった時だ。
 ガサ‥ガサガサササ‥
 本殿の前へ異様な影が伸びてきた。ちょうどブリッジの体勢でかさかさと器用に動き回るのはお化けの格好をしたフィヲ。
(「さてさて、格好良く香月さんを庇ったり、ボクを退けたり出来るかな?」)
 薄明かりで見たその異様な体勢は奇怪な化け物の姿。
「わ〜〜っ!!!」
 止めにフィヲが大声を上げると。
「‥‥‥で‥」
「‥出たーーー!!」
 チビ達が一斉に逃げ惑う。蜘蛛の子を散らすような子供達の中、朱が繋いだ手を思い切り引き寄せた。
「八雲はん、こんな時は逃げるが勝ちや!」
「わ、ぇ‥きゃ!」
 お姫様抱っこすると全速力で駆け出した。本殿と仲間達の姿はどんどん遠くなっていく。少しだけ息のあがった朱が途切れ途切れに思いを口にする。
「ワイは‥八雲はんが大好きや。けど、八雲はんは誰か一人のもんやないんやとワイは思てるんや」
 朱の視線は真っ直ぐに前だけを向いている。その横顔を黙って八雲が見詰めている。
「竹之屋の‥‥ちゃうな、皆の八雲はんやさかい。考えてや? 八雲はんが居って、そこにワイが、お千ちゃんが、ミリフィヲや木賊はんやボン達が、いろんな奴らが集まって来とるやろ? 人徳やと思うねん」
 朱が俯いた拍子に二人の視線が絡まる。朱が照れ隠しに目を逸らす。
「せやさかい、ワイは八雲はんが嫌にならへん限り、見守っとく‥‥支えとくんや。八雲はんの本当に好きな人が見つかる迄な」
 とくん。
(「‥あ‥‥この感じ‥」)
 体を優しく包むような掌の感触。目を伏した八雲へ、冗談めかして朱が笑う。
「まぁ山岡のボンは情け容赦せーへんけどな」
 そして一瞬の沈黙。
(「――けど今だけは」)
 そこに続く言葉を飲み込もうとして、朱はかぶりを振る。やがて決心したように、朱はそれを口にした。
「‥‥八雲はんを独占させたってな」
 照れまじりの顔だが、優しい表情だ。八雲は朱の大きな背へそっと手をそわせた。夜は更けゆこうとして月は高く、境内に涼しい風が吹いている。上気する朱の胸板へ小さな吐息が当たる。その胸へそっと頬を寄せて。
「‥‥はい」
 八雲の声が、ようやく二人の時を刻み始めた。


 肝試しも終わってチビ達を皆で送っていく。長屋では御影祐衣(ea0440)がお茶を用意して帰りを待っていた。
「皆の分まで用意しておる故」
「いやぁー。いい汗掻いたよー♪」
「八雲殿も。今日は随分と疲れたであろう」
 そこへ沙羅も加わり、いつしか話は互いの恋愛のことへ。
「沙羅もちょっと気持ちわかるなぁ・・・」
 湯飲みを手に沙羅が空を仰いだ。
「沙羅もまだ恋に恋してるって状態で、まだ恋ってよくわかんないもん」
「人に恋するという気持ちは判らぬではない」
 ふと祐衣が口を開いた。
「私とて好いた人がいる、困難な類になるが。朧げなものでなくはっきりと自覚した感情故どうにもならず辛いものだが好いた事を後悔はせぬ、寧ろ誇りに思っている」
 普段はそういうことは口にしそうにない祐衣の話に皆少し驚いた顔をしている。祐衣も少ししゃべりすぎたと思ったのか、居住まいを正すとこう結んだ。
「己を精進し、想い人に相応しい人間になること‥‥今はそれが目標だ。好いた気持ちは、理屈ではないからの‥‥」
「はい! お医者様でも治せないのなら自分で何とかしなくては!」
「何だかすごいなあ八雲さんは。自分から立ち向かえるのって。沙羅だったらそうはできないかも‥‥」
 一方で。
「よ。大丈夫か?」
「木賊さん」
 肩を落とした忠臣へ崔軌が湯飲みを手渡した。
「ま、いっぱしな姿だけ見せても仕方あるまい。しょーもないトコひっくるめてナンボって、な?」
 それでもダメなら諦めるしかあるまい。そう言って崔軌は試すように口振りを変える。
「ま、お前さんのことだから立ち直りは早そうに見えるが?」
 崔軌が長屋を振り返ると歓談する祐衣達の姿。忠臣は苦笑を漏らした。
「‥‥ありがとよ、木賊さん」
「なに、礼には及ばんさ」
 中立の立場でこれまで見守ってきたからこそ忠臣の影ながらの努力も見ている。どうやら実を結ぶことはなかったようだが、それ抜きには八雲と朱の仲も進展はしなかっただろう。
(「ま、そこが裏方の辛いとこだ。お互い、な」)


 帰り道。
「八雲、今日はどうだった?」
 リーゼが、八雲と二人になった所でそう切り出した。
「はい! とても楽しかったですよ!」
 そう答える八雲の瞳を覗き込むと、リーゼは一頻り頷いてみせる。
「恋愛ってものは本来男と女のかけひきだからね。八雲はこの手の事はてんでダメみたいだけど、困ったときは多少の助け舟は出してあげるから。これから先も、ね」
 お見通しとばかりにリーゼが含み笑いする。
「お姉さんに任せて。何せ六歳も離れてるしね」
「‥‥はい、お願いします‥」
 頬を赤くしながら頭を下げる八雲。リーゼは満足げに頷いた。
(「ま、くっつくにしろまだまだ気が抜けなそうだけどね‥‥やれやれ」)
 お互いに奥手な者同士のよちよち歩きではあるが。
 何はともあれ、おめでとう八雲ちゃん、朱君。