お江戸に暮らせば  如月

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:1〜5lv

難易度:易しい

成功報酬:5

参加人数:10人

サポート参加人数:1人

冒険期間:03月01日〜03月06日

リプレイ公開日:2005年03月08日

●オープニング

 ギルドへやって来たのは意外な顔だった。
「おや、竹之屋の。珍しいこともあるもんですな」
 番頭は会釈すると、やってきた竹之屋の主人を迎え入れた。
「聞きましたよ。何でも神社の催しは大成功だったとか。‥‥ひょっとして例の」
「いや、今日はそういう荒事を持ち込みに来たわけじゃねえんです」
 そう言って畏まった主人の横から馴染みの顔がひょっこりと首を伸ばした。魚売りの親爺だ。
「やっさんが何か悩み事があるみたいだったからよ。こっちに相談したらどうだいって俺がすすめたんだ。いやいや、ちゃんと今日は報酬のある仕事の話だよ?」
 親爺へ眉を顰めながらも番頭は二人を中へ案内する。
「まあそう畏まらずとも。とりあえず奥へ、お話を窺いましょう」
 主人はここ数ヶ月の竹之屋の繁盛振りを語りだした。看板娘の八雲に、用心棒の朱。少し前からお手伝いに顔を出すようになったお千ちゃん。他にも駆けつけてくれた多くのお手伝いのお陰もあって神社の催しも大成功に終わった。欧州の変わった料理は珍し物好きの江戸の庶民に受け入れら、勿論のこと竹之屋の献立も評判は上々だ。
「それで確信したって訳です。ウチの店はあの松之屋にも引けを取らねえって。今が勝負時なんじゃねえかって」
 懐から金貨を二枚取り出すと、主人は頭を下げた。
「番頭さん、お願ぇだ。ウチの店が松之屋と勝負する場を作って下せぇ!!」
「新芽が張って草木が生えるから生更木(如月)ってーしな、新しく何かやるにゃあイイ季節ってー訳だ」
 大手である松之屋との勝負が実現すれば竹之屋の知名度も上がるだろう。だが漠然と勝負といっても、どうしたものやら困りものである。番頭は渋い顔をしていたが、やがて頷いた。
「分かりました。松之屋との直接対決‥‥どういう形で実現出来るか私には見当もつきませんが、そういう事に長けた冒険者も必ずや見つかりましょう。この話、お請けしましょう」

 その竹之屋ではお千ちゃんが主人の留守を預かっている。昼の忙しい盛りを過ぎた頃とあって客の入りもまばら。
「朱って名の用心棒は来てるか」
 そんな折に竹之屋を尋ねる男がいた。
「朱さんですか? それなら確か『修行に行くんやー』ってお休みとって旅行中です。何か言伝でもありましたら‥‥」
 そこまで言ってお千ちゃんの言葉が止まった。訪ねてきた男は神社の催しの際に竹之屋と揉めたあのヤクザ者だ。
「そうかい。邪魔したな」
 それだけ言うと男は踵を返す。不安げな顔でお千が見送る。ふと男が振り返った。
「おっと。ここまで来ときながら話だけして帰るってのも何だったな」
 お千へ近づくと男は懐へ手を伸ばした。
「これで適当に見繕ってくれるか。ちっと小腹も空いてきた頃合だ」
 財布から一掴みに金を卓へ乗っけると、男は椅子へ腰を下ろした。きょとんとしたお千だったが、すぐにお盆を持って厨房へ走る。
「はい、ちょっと待って下さいね。すぐにお持ちします!」

 さて。長屋では。
「あ、祐衣ちゃん」
 唯吉に声を掛けられた祐衣がびくりと振り向いた。今日も今日とて通りから長屋を窺っていた所のようだ。
「実はきよのことなんだけど‥‥」
 不安げに視線を送る祐衣へ唯吉が続ける。
「ちょいと数日長屋を開けるんで、できれば預かって欲しいんだけど」 
「む‥‥」
 意外な申し出に祐衣はなぜか顰め面。
「な、なぜ私があんな娘の‥‥」
 とは言いつつも頬がちょっと緩んでいる。嬉しいのを無理やり噛み殺したのでちょっと複雑な顔だ。
「ど、どうしてもというなら、引き受けてやれぬことも吝かでは‥‥」
 もごもごと祐衣。その様を唯吉は暫く黙ってみていたが、やがて口を開いた。
「まあ、とりあえず上がるかい? 今日はきよもいることだしさ」
 それにコクリと頷くと妙に素直に祐衣が従った。やがて長屋からは楽しげに嬌声が漏れ始める。それに舌打ちし、長屋の陰から男が一人姿を現した。
「なるほどな」
 戸板の陰から親子の姿を見届けると、男は表へ出る。お江戸は如月。春を間近に陽気が溢れ、新芽が小さく顔を出す。とはいえ春の夜はまだ肌寒い。上着に重ねて更に一枚。羽織れば顔もすっかり見えない。
「ケッ‥」
 やがてその背は往来の人通りに紛れ、いつか見えなくなった。

●今回の参加者

 ea0440 御影 祐衣(27歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea0592 木賊 崔軌(35歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea1636 大神 総一郎(36歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea6194 大神 森之介(33歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea6649 片桐 惣助(38歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea6923 クリアラ・アルティメイア(30歳・♀・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 ea7692 朱 雲慧(32歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea8432 香月 八雲(31歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea9861 山岡 忠臣(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb0943 ミリフィヲ・ヰリァーヱス(28歳・♀・ファイター・人間・フランク王国)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352

●リプレイ本文

 通りをクリアラ・アルティメイア(ea6923)が走ってくる。息を整えて暦を取り出すと、きょろきょろと辺りを見回した。
「はわー。これは、やっぱり、私に言えと言う事なのでしょうかー。そうですよねー? ですよねー? よねー?‥‥と言う訳でー」
 念のため辺りを窺う。声を潜めて。
「今月もまた回想シー‥‥」


第4話 人事を尽くして!

 大神家は御影家とは屋敷続きになっている。従兄弟同士での行き来も多い。今日も大神森之介(ea6194)が御影家を訪れると、何やら普段と様子が違う。ふと、御影祐衣(ea0440)が廊下を横切っていく。その後ろにはきよの姿だ。
 出迎えた涼が苦笑交じりに説明すると、森之介も最初は驚いたようだったがすぐに唇の端に笑みを浮かべる。
「きよちゃん、祐衣と遊んでやってくれるかい?」
 冗談めかして言うと、きよの頭を撫でて微笑む。
「私が斯様な御守を引き受けねばならぬ道理はないのだが、唯吉が是非にもと縋るので‥‥」
 憮然として祐衣。とはいえ、たいして汚れてもいない部屋を片付けてみたりと朝から落ち着かない様子だったのな秘密の話。
「そ、そうだ。森兄、那須で負った足の怪我はまだ治ってはおらぬかったな」
 きよを振り返った祐衣はなぜか誇らしげな笑顔。
「過酷を極めた戦の武勲ぞ、おきよも興味あるだろう」
「こんなもん見せてどうする、おきよちゃんを怖がらせるじゃないか」
 森之介が苦笑しながら祐衣の頭を小突いた。
「‥‥わ、私は‥‥ただ‥‥その‥‥ごめんなさい‥‥」
 男の子でもないのに傷等に興味を持つと思っていたのか。凱旋した兄達を誇りに思う気持ちもあったのだろう。きよの前で張り切っている所にちょっと悪いことをしてしまったかも知れない。途端にしゅんとした祐衣へ、森之介は目を細めた。
「祐衣はいい子だな」
 小突いた掌を返すと、小さく頭を叩く。不思議そうにしているきよへも左手でぽんぽんと、そして。
「わっ」
「きゃっ」
 二人を抱きすくめた。
「も、森兄、な、何を‥」
 ぎゅっと強く。温もりを噛み締めるように。二人を離すと、祐衣の抗議には取り合わない。何事もなかったように森之介は口を開いた。
「そうだ祐衣、絵双六があっただろ。おきよちゃんに見せてあげたらどうだ?」
「なるほどそれがあったの。うっかりしていたが、おきよもこれならば楽しめようほどに」
「絵双六?」
「ならば教えよう、うむ、私の部屋へ来い」
 きよの手を引き、祐衣が部屋へと消えていく。その背を見送る森之介には優しい微笑み。そして涼を振り返る。
「さて、と。涼、この間の義勇軍への支援金の件だけど」
 ふと、二人とも同じ顔で見守っていたのが可笑しくて、二人は声を漏らして笑いあった。

「松之屋さんとの対決! 親父さんやる気ですね!」
 仕事着を余所行きに着替えておめかしした香月八雲(ea8432)。これからギルドへ行く所だ。依頼を張り出した所、早速引き受けてくれるという冒険者がいたと連絡が入ったのだ。
「お千ちゃん! 私が留守の間、お店をお願いします!」
 張り切って出かけて行くと。
「はわー。宜しくお願いしますー」
「クリアラさん!?」
 他に冒険者の姿はない。
「はわー。‥‥と言うか宣教師になってから一人も信者さんになって貰っていないのですー。そろそろ信者さんを獲得しないととクビになってしまいますよー。はいー」
 対決となれば人が集まるに違いない。噂を聞いた彼女は布教のチャンスと見て、何とか首を突っ込もうと考えたのだ。
「雑用係とかでも構わないのですよー。お願いするのですよー。するのですよー。ですよー」
 笑顔でしつこく擦り寄られると無碍には断れない。だが八雲もお気楽なのは一緒のようだ。
「クリアラさん、二人で頑張りましょう! 勝ち負けはともかく、楽しめる物にしたいですね! 頼りになる朱さんが居ないのは寂しいですけど」
 と、珍しくしょんぼりとした顔を覗かせたが、すぐに元気一杯に微笑んで見せる。
「松之屋さんが参加して下さるよう、ひたすら頭を下げてお願いしてみましょう! 駆け引きは苦手ですから!」
 八雲が小さく握った拳を突き上げた。
「孫子もこう仰いました! 押して駄目なら押し倒せ、と!」
「はいー!」

「松之屋と対決ねぇ」
 昼時を過ぎた頃になって山岡忠臣(ea9861)がぶらりと竹之屋へ顔を出した。
「名前じゃ完全に負けてるな。‥‥っと、こんな台詞を聞かれたら、お千ちゃんや八雲ちゃんに嫌われちまう」
「あ、山岡さん。お千ちゃんなら今お使いにいってるから店にはいないよ〜」
 出迎えたのは留守番をしていたミリフィヲ・ヰリァーヱス(eb0943)だ。
「それにしても前回はちょっと揉め事になっちゃったから、今度は頭にヤの付く自由業の人たちに話を付けておかないといけないよね」
 お盆を手にフィヲが思案げな顔を作る。
「けど、どうやって話を持ってたらいいのか見当もつかないよ」
「しょうがねえなぁ」
「え、なになに?? 山岡さん、当てでもあるの??」
 お代を置いて立ち上がると、忠臣は得意げな顔だ。
「ま、今回はちこっとばかし俺様の頼り甲斐ってのを見せるとするぜ。あの用心棒が不在みてーなのは好都合だ。この隙に八雲ちゃんとお千ちゃんを‥くっくっくっ」
「って、聞こえてるよ〜山岡さん〜〜」
 フィヲが腕を絡ませて体を寄せると、驚いた忠臣の瞳を覗き込んだ。背伸びして耳元で囁く。
「上手くいったら、報酬はお千ちゃん達とのデートでも良いよ♪」
 再び驚いた顔の忠臣の手を引いて、フィヲが笑う。
「行こっ♪」

 同じ頃。川原沿いの人気のない小道。
「わいに何の用や。言うとくけど引抜きの話やったらお断りやで」
 朱雲慧(ea7692)はヤクザ者に呼び出されていた。
「‥‥別に金のためっちゅう訳やあらへん。何ちゅうかな‥‥あすこは居心地がええねん、飯も旨いし、店の人も好きや。なんせわいは“竹之屋の用心棒”さかい」
 少し照れ臭そうに俯くと、朱は拳を握って男を向かい合う。
「そんかし挑戦やったら喜んで受けて立つで」
 深く息を吸うと、朱は全身に気合を込める。
「手加減抜き、正面からのどつき合いや。お互い殴り合わんと話が進まんタチやろ?」
「話が早ぇな」
 朱が不敵に笑むと、男も口元を僅かに緩ませて笑ったようだった。
「こないだは若いのが見苦しいトコ見せちまって悪かったな。だがこっちにも面子ってのがある」
 懐から出したのは短刀だ。
「あんた大した男だが、救ぇねえな。往来で組のモンに手ぇあげたんだ、落とし前つけさせてもらうぜ」
 男が刀に手を掛ける。
「止めておけ」
 不意に横合いから声が掛かる。川沿いの木陰から姿を見せたのは大神総一郎(ea1636)。
(「‥‥朱の事だ、私が手を出すまでの事もなかろうが」)
「彼は那須では鬼と渡り合った男だ。刀を抜けば困るのがどっちかは――少し考えれば分かるだろう」
 抑揚を下げた低い声が警告する。男の目が朱を窺い、そして総一郎の腰の物へ向けられる。張り詰めた沈黙。だが口を開いたのは朱だ。
「これはわいの問題やで。なぁに、これも用心棒の仕事のウチやって」
 総一郎へおどけて言うと、彼は背を向ける。ヤクザ者と向かい合った朱の背中は淡く闘気が立ちのぼっている。
「手出しは無用やで」
「‥‥そうか」
 それだけ聞くと、総一郎は目を細めて微笑を漏らした。
「ほな、恨みっこなしの決着と行こか!!」
「お互い因果な商売だな」
 男が刀を抜き、朱へ振り下ろした。呻きが漏れ、辺りに血飛沫が舞った。

「いらっしゃいませ。おしゃべりしたいなら、先に注文してね。今日は何に‥‥」
 こちらは松之屋。八雲達を取り次いだのは看板娘の小梅ちゃんだ。
「今日は竹之屋から挑戦状を持って来ました!」
「竹之屋? 聞いたことないなぁ‥‥。とりあえず入って」
 奥へ案内された二人は用意してきた対決プランを熱心に説明する。
「勝負の方法は、お花見会場に出店を出しての売り上げ勝負を考えました!」
 時期に桜の花見頃だ。お祭りのように芸人や踊り子に楽隊を呼んで盛り上げれば人の入りも見込めるだろう。揉め事には用心棒を見回りに出せば町人も安心して楽しめる。そのまま屋台の売り上げも伸びるという寸法だ。手応えがあれば、街の行事として定着するかもしれない。
「賑やかにすれば、お祭り大好きな江戸の人達に沢山来て貰えると思います! 諺で言う『花寄り団子』ですよ!」
 八雲が小首を傾げてにっこりと微笑む。だが小梅の反応は芳しくない。
「そうは言っても、うちの店の常連は冒険者の人たちなの」
 大衆店の竹之屋を相手に不利は否めない。花見へ来た町人を常連に取り込めるかというと、客層の違いを考えればそれも難しい所だ。余り旨味のない話であるのも事実。
「松之屋さんは冒険者酒場ですよねー。冒険者は命がけで怪物と渡り合ったりして仕事をしているんですー。それが弱小店の竹之屋の勝負から逃げたとなると験が悪いですよねー?」
 割って入ったのはクリアラ。
「命掛けの仕事をやってる冒険者は験を担ぐものですよー。ここで退いたりしたら売り上げに響くかもしれませんよー。はいー」
 ちょっと意地の悪い所を突いたクリアラだが、当の本人にはそんな気配は少しもない。にこにこと微笑んでいる。小梅の答えはこうだった。
「その代わり、うちの店からも一つ条件を出すよ」
 単純な売り上げ勝負では若干分が悪い。そこでお互いに料理を一品用意し、その売れ行きで勝敗を分けようというのだ。
「竹之屋さんは勝負ができて万々歳ですー。松之屋さんも挑戦を受けて立てば冒険者の評判もあがりますよー。これならお互い旨味がありますよー。そして私は会場の端っこの方にジーザス教の詰め所を作って布教に励むのですー。はいー」
 クリアラが巧みな話術で話を纏め、ちゃっかり布教の約束まで取り付けてしまう。
「ありがとうございます! 正々堂々と勝負しましょう!」
「もちろん、負けないからね〜☆」
 そうして八雲達が竹之屋へ戻った頃には夕刻になっていた。店ではフィヲがお千と一緒になってお花見用のメニュー開発に取り掛かっていた。
「箸とかを使わずに片手でも食べられて、タレや何かで口や手や着物が汚れず、食べ終わった後に嵩張るようなゴミが出ない‥‥‥何が良いかな? こっちの焼き鳥って料理も良いけど、物珍しさが足りないしねぇ‥」
「ミリフィヲさん、お千ちゃん、お留守番ご苦労様でした!」
 料理の手を休めてフィヲが顔を起こす。
「まだ一箇所で専門にって気にはなれないけど、流れ板としてあちこち修行して回ってるから、何かあったらまた声をかけてね」
「地回りには俺様が話をつけといてやったぜ」
 奥で夕飯をとっていた忠臣も顔を出した。
「俺様よく遊び歩いてるから、ここいらじゃ顔が利くんだな。小者がその周りで騒がねー様頼んどいたぜ。みかじめ料も負けて貰えるよう言っといた‥‥こちとら小市民だからな」
「ありがとうございます!」
「お礼は八雲ちゃんとお千ちゃんと三人でデートって事で」
 と言いながらその手が八雲へ伸びるが、そこへお千が割って入る。
「だ、だ、ダメですよぉ! 八雲さんは渡しません!」
「はいー。仲がいいことは良いことですよー」
 とそこへ。仲良く手を繋いで祐衣ときよの二人も顔を見せた。
(「うーむ。可愛いお千ちゃんと八雲ちゃんの元気で素直な感じも良いが、祐衣ちゃんの一見凛々しそうだが可愛げのある所も捨てがたい」)
 いつの間にか若い娘さんに囲まれて何だか幸せそうな忠臣。
(「異国情緒溢れるミリフィヲちゃんや、耳のとんがった不思議な雰囲気のクリアラちゃんもなかなか。いっそ全員好きだーっ!と行けりゃあ良いんだが‥‥」)
 ふとその目が、祐衣の隣のきよへ向けられる。忠臣は苦笑を浮かべた。
「いくら俺様でも、きよちゃんはまだ早過ぎるかな。うん」
「「?」」
 不思議そうな顔で二人。きよの髪には赤い留め紐。聞かれると二人で顔を見合わせて笑う。そろそろ日も暮れる頃だ。
「あ、番頭さん」
「早く仕事を引けたのでな。夕飯でもと窺ったのだが、迷惑だっただろうか」
 少し申し訳なさそうに番頭。
「話は聞いたぞ。何でも旨く交渉を運んで話を纏めてしまったとか。人は見掛けによらぬものだな」
「はいー。旨くいくといいですー。」
 勝負の約束を取り付けた二人はその足で他の店も回って参加を呼びかけてきた所だ。
「やるだけやったら、後はもう結果だけです! 諺でいう『人事を尽くして店名を待つ』です!」
「おおぉ‥‥」
 ぱちぱちと拍手が起こり、竹之屋は嬌声に包まれた。如月は過ぎ、春はすぐそこだ。



 川原沿いの小道。
「悪く思うな。これで手打ちだ」
 袈裟懸けに斬られた朱の傷は、だが浅かった。朱の拳を受けた男は刀を収めて踵を返した。
「あんたみたいな任侠を知っとる人間なら客として大歓迎や。なんか用があるなら飯食いに来いや。但し、組の者が店に迷惑を掛ける様ならは容赦は無しや」
 笑顔で指を鳴らして朱。
「災い転じて‥‥って言うやろ?」
「お千ちゃんといったか。あの娘にまた食べに行くと伝えてくれ」
 振り返りもせず言うと、男はそのまま去って行った。それを見届けると、総一郎も無言でその場を後にする。その彼に寄り添うように従う影がある。片桐惣助(ea6649)だ。
「嬢の方は大事ありません。今は竹之屋へ出ていますが、時期に屋敷へ戻る筈です」
 御影家のお庭番は仮の姿。その正体は御影家に仕える忍びだ。総一郎へ朱の事情を伝えたのも彼だ。
「それから唯吉さんについても。江戸へ来る前は面打師だったそうです」
 だが評判はついぞ上がらず蓄えを食い潰すばかり。やがて女房に先立たれ自身も病で立ち行かなくなると、職を変えて江戸へ出てきたのだそうだ。
「ただ、ちょっと気になることが」
 惣介の話したのは長屋の近辺で唯吉親娘を窺う怪しい人影の噂だ。
「関係があるかどうかは分かりませんが、唯吉さんは随分と借金を抱えているようですね」
 数日開けての用事というのも、江戸を出て金主を訪ねてのこと。
「唯吉殿のことはもう少し調べてみる必要があるやも知れぬか。ご苦労だったな」
 一通りの報告を聞き終えると、総一郎は歩き出した。
「総さん、これからどこへ」
「瑞峰の道場を訪ねる」
 ふっ、と。総一郎の表情に温かいものが差した。
「あれより懇意にしていてな。様式や流派は違えども舞の道を歩む者同士、通じ合うものもある」
「そうでしたか。でも、出来れば早く帰って嬢を訪ねてあげて下さい。きよちゃんが来て随分と機嫌が良さそうでしたし、総さんも一緒ならきっと喜ぶと思いますよ」
 それに総一郎が頷いて返す。二人は日暮れの川原を後にした。