●リプレイ本文
山野に半ば埋もれるようにしてたつ古城は、東へ伸びる尾根の陰になって闇の中にある。昼でも薄く影を落とすそこは夕刻ともなれば一層暗く、窺うものの視線を阻む。だが闇に生きる忍びたちにとってはなんら障害にはなりえない。
江戸を離れ二日、忍び達は古城を窺っていた。周辺を油断なく探る影は榊原信也(ea0233)だ。柔らかい腐葉土は足音を殺す。そこにいた痕跡の一切を絶つように彼は限界まで砦へと近づいた。遠目にははっきりと分からないが野盗の姿も見て取れる。丸太を組んだ砦には常に見張りの姿があり、警戒の手に緩んだ様子は見えない。仕掛けるにしてもそう容易ではないように見えた。
「‥‥ったく、俺が何でこんなに動かなくちゃならねぇんだ」
ぶつくさいいながらも偵察だけはこなすと、信也は更に砦の裏手へと回りこむ。そこは切り立った崖に面しており敵の侵入を寄せ付けない。ここから落ちれば眼下の岩場へまっ逆さま。まず命はないだろう。
「これじゃ、ここからの侵入は無理みたいだね」
それを覗き込みながら霧生壱加(ea4063)は手にした地図へ書き込みを入れていく。壱加は今回も偵察に徹している。
「こんな小娘が野党の仲間にっていうのも不自然だろうし」
裏方に回された壱加は少し残念そうな様子だが、めげた風はない。適材適所、いずれ彼女の力が必要となる場面だってある筈だ。
「ま、今回も大人しく周辺の調査に回るね」
壱加の地図には獣道や逃げ道に使えそうな下山ルートが細かく記されている。周辺の地理を粗方纏め終えると壱加は手近な木へよじ上って砦へ目を凝らす。
「あれは‥‥」
崖際には柵が覆っている。そこへ浪人風の男が姿を現した。その傍には手下と思しき取り巻きたちと、そして風守嵐(ea0541)だ。
「見ての通り、日を避けてしか生きられぬ‥‥腕は確かだ」
「頭、こいつがその仲間になりてえって奴でさあ」
素性を偽った嵐は潜入しての内部工作の任についている。取り巻きから紹介された嵐は簡潔な言葉で野盗達への仲間入りを求めた。
「所で、ここへ来る途中に街でこんな噂を耳にした。明日あたり、懐持ちの良い行商が夕刻にそこの街道を通るらしい‥‥小銭稼ぎに襲ってみる気は無いか?」
嵐が頭目の反応を窺う。男は少しだけ怪訝な表情を覗かせたが、その違和が形を取るには至らなかった。
「確かに俺もそんな話を聞いたことがある。いい儲けになりそうだ。仲間に入る土産金はそれで負けといてやる」
嵐の仲間入りを認めると頭目はそのまま奥の部屋へと引っ込んでいった。
「潜入は成功したみたいだね〜」
同じく白井鈴(ea4026)もその様子を窺っている。顛末を見届けると鈴は小さく胸を撫で下ろした。
「さてと、僕も自分のお仕事がんばらないとね」
日も暮れて随分と絶つ。だが敵の人数や夜間の警備体制など調べることは多々ある。陣取った木の天辺で腰をすえ、欠伸を漏らしながら鈴は砦へと目を凝らした。
そして決行の朝。仲間達は最終打ち合わせを迎えている。
「警備の配置、脱出経路と野盗の人員、一通り調べはついたようですね」
風森充(ea8562)が集まった情報を纏めて作戦の細部を詰める。これだけ入念に調べ上げれば手抜かりもないだろう。
「後は中にいる嵐さんが上手に誘導してくれるとは思うけどね」
念のためにと、壱加がそこへ外部から見て取れた中の様子を書き加えた。鈴も夜通し調べた夜間の警備体制を報告する。
「僕はお仕事も終わったし、後は潜入して頭領さんやっつける人達にお任せだよ」
昨晩は結局夜通しの調査になったのか目には隈が差している。普段は危なっかしいくらいに元気な鈴だが、今日は心なしかいつもより疲れて見える。
「いっつも心配されるけどお約束はちゃんと守ってるし頑張ってるもん」
そこへ旅装束の丙荊姫(ea2497)もやってきた。
「近隣の村で聞き込みを済ませてまいりました」
野盗が居つくようになったのはここ一月余りのこと。この辺りを狩場にしている猟師の話では、砦はとうに朽ち果てているらしい。塀や柵は新たに野盗が建て直したようだが内部はかなり荒れ果てているとのことだ。
「ありがと丙さん。なるほどね。これだけ情報が揃ってれば備えは万全かな」
「ええ。そのようですね」
荊姫が旅装束へ手を掛けた。それを取り払うと、そこには忍び装束が。取り出した黒頭巾で髪を隠すと荊姫は表情を引き締めた。
「では、行きましょうか」
「野盗の頭目暗殺でござるか」
甲斐さくや(ea2482)は古城にいた。仲間から警備体制を伝え聞いた彼は、内部の警備に隙がないかを調べるため砦へと潜入していた。忍び足の達人である彼からすれば、足音を消して忍び入ることなど造作もない。
「まずは武器庫を見つけたいでござるが‥‥」
だが初めて入る砦内部、そう易々と目的の部屋を探し出すことはできない。うろうろと砦内部をさ迷う甲斐、これでは幾ら足音を殺したとて見つかるのは時間の問題だ。
「おい」
突如、背後からの声。
「俺だ」
驚いて振り向くと、そこにいたのは隠だ。忍び装束の彼も同じように潜入してきていたようだ。
「これ以上中にいるのは危険だ。すぐに脱出しよう。己を過信していては危険か否かの判断を誤るぞ」
できれば敵の武器に細工を施して無力化を図りたい所だが、ここで作戦が露見してはそもそもが台無しになってしまう。
「お前の忍び足の腕は買っているが、自慢の技も仲間の助けがなければ活かしきれんぞ」
「‥‥不覚。肝に銘じるでござるよ」
そこへ嵐も二人の気配を察知して姿を現した。他の野盗に見つからぬよう砦内を先導しながら二人を外へ案内する。
「どのみちこれから行商を襲撃する時間だ。すぐにその準備が始まるだろうから細工の時間はないな」
「分かったでござる。私達はこれにて砦を離れるでござるが、くれぐれも油断なきよう」
最後に甲斐が最終打ち合わせ事項を伝え、そして暗殺作戦が開始された。
「どうか、い、命だけはお助けください!」
「その荷は全部やるから、頼む、見逃してくれ!」
砦のある山を下りたその先の脇の街道。嵐の情報通り、その比の夕刻になって街道へ現れた行商人を野盗達は襲撃していた。振り売りの二人組みは酒を商っているようだ。
「命拾いしたな。これで勘弁しといてやるから、とっとと失せな!」
命乞いする彼らから野盗が大徳利を巻き上げる。二人組みは一目散に逃げ出した。
「よぉし! 今夜はこいつで酒盛りといこうか!」
「新入り、手前ェの歓迎の酒宴だ。先に潰れたらタダじゃおかねえ!」
こうして夕刻間近の時間から砦では嵐を交えての酒宴が始まった。襲撃がおそろしくうまくいったと野盗も上機嫌で酒盛りは続けられた。そして夜。
「ここはもういい。見張りは俺が代わろう」
酔い覚ましにと席を立った嵐が見張りの男へ交替を申し出た。気をよくした男が場を離れ、やがてその後姿が見えなくなると嵐は暗がりへ合図を飛ばす。
「無事に事を運べたようですね」
振り売りの扮装から忍び装束へ着替えた片桐惣助(ea6649)が、合図へ無言で頷いた。後ろには仲間達も控えている。嵐の手引きで忍び達は次々と門を潜って古城へ侵入した。酒宴は丸太を組んだ塀の上で行われている。夕刻の内に野盗から奪われるように仕向けた酒には心を静める効果のある薬草が入っている。飲酒後で代謝が回っている状態だと眠気を誘発しやすいだろう。
「何だお前ェら、もう潰れちまったのか?」
頭目はまだ杯を傾けているが、ちらほらと酔いつぶれる者も見られる。そこへ手早く事を終えて嵐も戻ってきた。頭目と言葉を交わし、彼を酔い覚ましにと裏手へ連れ出す。これで準備は整った。すぐさま荊姫が闇に紛れて手下達へ接近する。口元を引き結び、頃合を見計らって風上から春花の術を行使する。
(「薬草酒のせいで術にも掛かりやすくなっているでしょう」)
それに惣介が続き、甲斐もまた術を放った。更に駄目押しにもう一度術をかけると、野盗たちは揃って寝息を立て始めた。
(「手下が全員眠ったので、これで現場目撃者はいなくなりましたね。後は嵐さんが仕留めてくれるでしょう」)
惣介が手応えを感じて仲間を振り向くと、荊姫や甲斐も同じ思いだったのか満足そうな表情だ。3人は手早く残った酒の処分に取り掛かった。
同じ頃、嵐も頭目の暗殺の機を窺っている。密かに鬼毒酒を盛られていた頭目は悪酔いしたらしく、足元が覚束ない様子だ。
「なんでぇ。やけに静かになったな」
頭目が酒宴をする仲間の方角を振り返ったその瞬間。隙を突き、隠し持った手裏剣を突き立てた。だが嵐の膂力一撃で仕留めるには至らない。頭部に傷を負った頭目はよろめきながらも辛うじて持ちこたえる。しかしその時にはもう充が死角へと回りこんでいた。湖心の術で足音を消し去ってからの奇襲。だがこれだけの好機とはいえ、二人の腕の開きは余りに大きすぎた。手習い程度の腕では拳を当てることは叶わない。
「止むを得ん」
嵐が咄嗟に手裏剣を振りかぶった。今にも充へ掴みかかろうとする頭目の胸にそれが突き刺さる。再び大きくよろけた頭目が柵に手をついたそのとき。脆くなっていたそれは重みを支えきれずに大きく傾いだ。それきり男は遥か崖下へと転落した。嵐と充がそれを確認する。ふと視線を感じて首を起こすと、砦を窺う木々の中に壱加と鈴の姿が。
「縄を緩めて細工を施してたのがばっちり役立ったね」
「中で何かあったときサポートできるように、ちゃんと外で待ってるからね〜」
頭目の死を確認し終えた壱加らはそのまま砦の正面へと向かったようだ。作戦は遂に最終段階を迎えていた。
「‥これで残った証拠も全て灰だな‥‥」
信也が、砦を組んである丸太へ火をつけた。流石に信也一人では無理なので隠も彼を手伝って辺りに火をつける。そうして火勢が強まれば仕上げに信也が火遁の術で一気に焼き払う。勢いを増した炎は舐めるように古城を飲み込んでいく。
砦の各所で火の手があがり、やがて異変に気付いた手下達も目を覚ましたようだ。その頃には荊姫らも砦を脱出し、鈴らの手引きで周囲の木々から中を監視している。手下達は頭目の姿が見えずに右往左往するばかりのようだ。所詮は烏合の衆。いよいよ火の手が増してきたらちりぢりに逃げ出すことだろう。暗殺の対象はあくまで頭目一人。根絶やしにする必要まではない。
「‥‥お前らの殺害は依頼されてないからな、無駄に命を捨てるんじゃねぇよ」
そう呟きを残すと信也もやがて闇へと消える。既に下っ端から古城を逃げ出し始めている。主だった子分達は頭領の姿を探して砦の中を探し回るが、そこにいたのはまだ残っていた新入り――嵐だけだった。
「新入り、頭領はどこだ!」
そう怒鳴ったとほぼ同時に子分の目に崩れた柵が飛び込んでくる。嵐が崖下を差して何かを伝えようとしたが、燃え落ちた梁がそれを遮った。火炎が舞い上がり、それが晴れた頃にはもう嵐の姿はなくなっていた。微塵隠れを駆使した嵐に子分達は気付いた様子はない。丸太を組んだ足場も柵も丸ごと崩れて崖下へと転がったと錯覚したようだ。
「あのバカ、おっ死んじまいやがった‥」
「‥‥クソ! これ以上は俺達もヤベぇ。ずらかるぞ!」
こうして僅か一晩で野盗は頭領と根城を失い、ちりぢりとなった。一切の証拠は灰と消え、その真相を知るものは、いない。