禁猟区の掟 ミミウサギの夜
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■シリーズシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:5〜9lv
難易度:普通
成功報酬:4
参加人数:10人
サポート参加人数:2人
冒険期間:05月13日〜05月18日
リプレイ公開日:2005年05月21日
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●オープニング
「ねえ、キミ君?」
月は半ば雲に隠れて、鎮守の森は淡い光に包まれていた。月の光は柔らかい。今宵は満月だ。
「なんだよ、急に」
傍らの少女を見遣り少年は口を開いた。月光に照らされた少年は十と数えないまだ幼い顔。小さな子供の背丈ではいちばん低い枝にも届かない。見上げた枝葉に銀光が透けて、その緑は輝いて見えた。その下を幼い二人は手を繋いで歩いている。
「うれしいな」
ぽつりと少女が呟いた。
「キミ君はうちの友だちだもん」
赤い着物を来たその少女はやけに小柄な体躯をしている。その体躯は年の所為にしてはやけに華奢だ。その小さな耳はうさぎのようにツンと尖っていた。
「ねえ。また来てくれるよね?」
それは遠い記憶にいた少女。幼いキミは照れ交じりに口篭る。
「うちとの約束、キミ君はゼッタイ守ってくれるもんね。あしたの夜はなにしてあそぼっかな。ねえ、また来てくれるよね?」
そこから先はもう何年も経った今でもはっきりと覚えている。キミの目を覗き込んだ少女は、ふと眩しそうに月を見上げる。満月はもう雲から出ていて、まん丸の月を見上げた少女の顔に銀光が降り注いでいる。もう一度キミへ向けたその表情は無邪気な笑顔。答えを待つその顔に、キミは困ったような笑顔を漏らす。曖昧に口を濁して、それきり。その約束が守られることはもう二度となかった。
「‥‥‥‥‥‥クソッ‥」
その記憶の横顔が連と同じ赤い瞳で、キミは無性に苛立っていた。
(「とうに過ぎ去ったこと。もう二度とやってこない時、か」)
それは残酷なまでに残酷で、冷酷なまでに冷酷なことば。
「過去は過去でしかない、分かっちゃあいるけどな‥‥」
ただ一言。
そのひとことは、少女をコロス――。
江戸、冒険者ギルド。
「ああ。あの依頼か。ありゃあ終わったよ」
鬼哭宿で起きた殺し下手人探しは、匿名の投げ文によって大きく進展を見せた。
『的屋の報復が恐ろしいため名を書かないことをお許し下さい。盗人殺しの夜、約束の金は如何したという争う音が聞こえ、興味本位に覗いてみると的屋の若い衆が盗人と争っているのを見ました』
官吏は的屋の根城へ踏み込み、親分を捕縛した。張元もこれに素直に応じ、今は取り調べの最中だそうだ。
「殺しは否認してるようだが、お上もはいそうですかと通すわけにも行かんだろうからな。まあそのうち拷問にでもかけられりゃあ口も割るだろ」
鬼哭の傍の寒村。親分のいない的屋は窮地に立たされていた。白峰は以前の依頼が縁で訪ねてきたものの、例の捕縛騒動で何とも後味の悪い再会となってしまった。再会を祝した酒宴もお開きとなりその晩は社で一泊することとなった。
気分が優れないせいか、どうも寝付きが悪い。僅かに残った酒気の酔い覚ましにと社の裏手へと足を伸ばすと、土蔵の跳ね上げ戸が開いている。その先の鎮守の森に少女の姿を見た気がして彼は森へと分け入っていた。
そこにいたのは赤い着物を来た少女。着物の上からも分かる膨らみかけの胸が年の頃を窺わせる。物音に気付いて少女が振り返った。驚いた少女は目を見開く。
「あー。あーー」
その声は言葉にはならない。歩み寄る彼へ向けた視線は拒絶の意思を表している。
「ううー‥」
「先生」
不意に掛かった声は的屋の子分のものだ。
「そいつぁ先代の隠し子でして」
言い辛そうに子分は語気を弱めた。
「忌子って訳でさあ。それに、ちょっと気が触れてやして。ああして土蔵に閉じ込めてるんで」
白峰はそれにどう応えてよいか分かりかね、彼は噛み殺したような苦笑いを漏らすだけだ。
「‥‥あー。あーうー」
不意に彼の裾を少女が掴んだ。驚いた白峰の顔を見上げ、少女は酷く無邪気な笑顔を見せる。少女に抱きつかれた白峰は困った顔を子分へ向けた。子分も肩を竦めている。ただ少女の視線から拒絶の意は消えていて、白峰は恐る恐るその背へ手を回した。
「ああーー」
少女の表情は安心しきった笑顔。尖った耳が彼の胸をくすぐり、少女へ視線を落とした白峰は期せずして頷いた格好になっていた。
「こいつぁ珍しい。先生を気に入ったようですぜ。ふらふら出歩いても困るんで、土蔵に戻して鍵を掛けといて下せぇ。それじゃあ」
子分は頷くと、こう言葉を残して去っていった。
「――よろしく頼みまさあ」
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何だか空気がきな臭くていけねえよ。にしてもよ、あんた、聞いたかい? 例の下手人探して張元が捕縛されちまったとよ。昔は十人殺しなんて呼ばれてたらしいしよ、たかが官吏の手下どもなんか一ひねりだったろうによ。ま、俺も噂で聞いただけなんだけどよ。二十年も前のヤクザと的屋の抗争ン時によたった一人でヤクザの連中を十人も血祭りにしちまったらしいぜ。それを先代の張元に認められて跡目を継いだんだってよ。
ともかく張元がいねえのは的屋にとっちゃ手痛いだろうな。いま叩かれちまったらひとたまりもねえだろうよ。ただヤクザもこの時勢で下手に動けば、それこそお上にしょっぴかれちまうからな。どっちみち例の盗人殺しの件が解決して官吏どもが町を出てってくれねえことには動きようもねえだろうがよ。だが張元もそこいらの小物とは違う、拷問でも口はわらねえだろうな。まったく、この町はどうなっちまうんだろうね。
そうそう。最近の噂といやあ、近頃は重松によく娘さんやらが出入りしてんな。一緒に見かけた華国人は隣村にヤサを借りるとかって言うじゃねえか。そうそう、あの社の傍のボロ家だよ。そういや三の辻の宿にもちょこちょこ出入りしてる余所者もいたって話だな。他にも何か聞きたいことがありゃあ、狩座屋に来てくれりゃあ相手するぜ。『土産』は忘れんなよ?
もっとも、俺ぁただの情報屋だ。たいしたことは教えてやれねえがよ。
●リプレイ本文
忘れてしまったお話。完結されたお話。無くしたモノは探せばい。失ったモノは取り戻せばいい。今からここから、続きのお話を始めましょう。
「だって、キミ君‥‥」
重松には今日も客の姿がある。
「やれやれ、己の非力さを知りましたわえ」
重一を訪ねてきたのは鴨乃鞠絵(ea4445)だ。
「御機嫌よう。良い日和でございますの」
店先のナシマツへそう挨拶すると、店の奥へと首を回す。
「ジュウーイチ‥」
「ほいほい。なんじゃ騒々しいのう」
ナシマツに急かされて座敷から老人が顔を覗かせた。口振りとは裏腹に来客があって老人は嬉しそうだ。
「おうおう、二の辻のガキどもにこっぴどくやられた娘御じゃな。今日はなんぞ悪さでもしに来よったやら」
「残念ですがあまり目立ちたくないですからの。命あっての物種と。教えてくれたのはこの街でございますし」
冗談めかした重一へ素気なく返すと鞠絵は軽く店内を見渡す。今日もまた白九龍(eb1160)が店の手伝いに勤しんでいるが、赤霧連(ea3619)の姿は見当たらないようだ。
その連はと言うと。
「何かが起こるそんな気がするのですよ☆ レッツいいこと、街へパトロールですよ♪」
街の入り口へやって来た連は鬼哭を探検するのだと赤い目を輝かせて張り切っている。誰かに会えるかもしれないし、誰にも会えないかもしれない。だが連には予感がするのだ。確かな予感が。
「第一回、萌さんと一緒にキミ君探索〜!」
が、その慧斗萌(eb0139)の姿が見当たらない。
「萌さぁ〜ん、どこですかぁ〜」
ちょっと涙目になりながら連。どうも今日もすれ違いになってしまいそうだ。薄々気付いてはいたけれど。それは迷子になる予感‥‥。
「なんとかなりますよネ?」
‥‥なりません(チーン)。
「さ〜て、萌っちも動くよ〜」
その萌は二の辻の酒場に跳ねっ返りのガキどもを訊ねている。いつも暢気な萌だが、この日はどことなく様子が違う。酒場には今日もガキどもと、それを束ねるあの男の姿がたむろしている。そして彼らに器用に取り入る林潤花(eb1119)の姿も。
「そろそろ的屋を孤立させるわよ。火種を撒くって楽しいわね」
「おいおい、危ねえ女だな」
男がそういいながら林を抱き寄せた。
「だが、俺は毒がある花の方が好みだぜ」
その手が胸元へと伸びるが、林はそれを軽くあしらった。ガキどもを束ねる頭目とはいえ五つ六つも年下のガキだ、そう簡単には主導権を握らせない。振り返ると林は微笑んだ。
「ふふ‥‥急かないの。がっつく男は嫌いよ。まずは手を貸して欲しいわね」
「任せるぜ。アンタは何かとそういう方面に知恵が回るからな」
そういうと男はガキどもへ顎で指図する。
「俺の餓狼党だ、好きに使わせてやるよ。なあ、構わねえよなキミ?」
「御免だぜ。俺は女の下にはつかねえ」
憮然としてキミが席を立った。
「おいキミ‥‥‥‥!」
男の低い声が少年を制止する。振り返った視線が男とぶつかりあった。酒場へ鋭い緊張が走る。ガキ達が固唾を呑んで成り行きを見守る。男が口を開く。
「ったく、しょうがねえ野郎だな」
苦笑を浮かべて男は嘆息する。それだけ聞くとキミは酒場を去っていった。気を取り直して林が話を進める。
「そうね。的屋が周囲から孤立するように鬼哭の町に悪い噂を流布させるわ」
「‥‥ふ〜ん。萌っちは街中で噂を流せばいいんだね〜。ん〜ふふ〜、舞台と役者は揃ったね〜♪」
いつの間にか話に混ざっていた萌が机の上をぱたぱたと飛んで回る。それを目で追いながら林が済まし顔で口にした。
「鬼哭の町の未来を憂える善良な若者達が犯罪者の巣窟の的屋を倒すの‥‥くすくす、堂々と的屋の連中をボコれるわよ。そして的屋の利権はそっくり頂きましょうか。がんばってね」
今日も街の中心である三の辻周辺の酒場は賑わっている。
「世話になってたとこが潰されちまったのさ。仕方ないんで気晴らしに外の世界を見に、な」
彼は堀田左之介(ea5973)。以前にこの町で起こった事件にギルドを通して関わったことがある彼は、その時に杯を酌み交わしたヤクザの若い衆の顔を見つけて卓を囲んでいる。同じ渡世人同士ということもあるが元より気の置けない性格の掘田、その上口も達者となれば打ち解けるのに時間はいらなかった。
「後で知った事だが偽の投げ文が切っ掛けだったらしい、ったくざまぁねえよな」
カラっとした笑顔で堀田が笑う。ふと若い衆の一人が声を潜めた。
「おい。渡世人なら、言わなくても分かってンな?」
眉根を寄せた堀田へ男がやれやれと嘆息する。
「馬鹿野郎。ここいら仕切ってんのは誰だと思ってんだ。親分の所に顔出しにこいよ」
「んじゃあ俺らはこれから用事だからよ」
「おいおい、折角だしゆっくりしてこうぜ」
席を立った彼らは申し訳なさそうにこう答えた。
「それなが、さっきオヤジから呼び出されちまってな。また次の機会で頼むわ」
「そうそう、仁義通しに来ンのは忘れんじゃねえぞ?」
通り向こうのヤクザの屋敷では、静月千歳(ea0063)が貸元と面会していた。
「親分さん、先日の事件の事を、少し調べたいのですが、どなたか手の空いている方はいらっしゃいませんでしょうか?」
例の盗人殺しの下手人だが、千歳は若い衆の誰かが犯人だと睨んでいた。
「使える札は多ければ多いほど良いですからね。宝探しを始めてみましょうか」
「おう」
杯の手を止め、貸元は低い声で口にした。
「好きにしな。若い連中をつけてやる」
顎で指示すると、十人ほどの若い衆が千歳へ頭を下げる。
「あいつら、オイコラ言うだけでちっとも頭は使えやしねえ。面倒みてやってくれ。にしても――」
「なぜ余所者の私が、とお思いですか? ホンネとタテマエ。そんな事はさほど重要ではないのですよ?」
くすりと表情だけで笑うと、千歳はこう言い加えた。
「そうそう、若者衆の誰かが犯人であると言うのは、私の推測に過ぎません」
手口を見るに、腕はあるが後先を考えていない印象を受ける。ただそれだけのことだが、どちらにせよあの投げ文などは論外だ。何の根拠にもならない。
「もっとも、すべては私の想像ですけどね」
「上手い具合にやっているようで何よりでございます」
そこへ鞠絵が顔を出した。千歳が小さく会釈を交わす。
「さて、はて、面白き事が転がっておれば良いのですが」
「で、どっから洗うんでぇ?」
「そうですね。現時点で手掛かりとなるのは殺された男の塒でしょうか」
千歳が思案げに頭を巡らせる。流れ者が塒にできる場所などそう多くない。ヤクザの網に掛かってないとなると、後は女か旧知の友か、そういった所だろうか――?
「この前の一件で斬られた男ってのは、さっさとこの町から出てきゃ良かったのに知り合いでもいたのかねえ?」
氷神将馬(eb0812)は今ではすっかり酒場の顔になっていた。官吏どもの調査は空振りに終わったらしいが、まだ諦めるには早い。何せこの街の連中ときたら底の所でどうにも意地が悪い。役人連中もまだハッキリしない部分があるに違いない。
その点、町人達から慕われている氷神には分がある。仮にも武家の育ちというだけあって態度の大きな彼だが嫌味な所がない所為かも知れない。男の寝泊りしていた所を聞き込んでみたものの、不思議と宿を使った様子がない。更に酒場で噂を集めた氷神はある情報に辿り着いていた。
「贔屓にしてた夜鷹ねえ」
男には馴染みの辻君がいるらしいのだ。そうして今、彼は隣村へと足を運んでいた。
「俺は氷神将馬だ。まあ、食うには困らん武家の三男坊だ」
その夜鷹が塒にしているのは村外れの廃屋。男が死ぬ前に隠した大金の行方、遂に氷神はその尻尾を掴んでいた。
「この街には昔の馴染みがいてな時々会いに来ているが、あんたにもそういう男がいるって噂を――聞いたんだがなあ?」
隣村、その社。
「‥‥やらせてくれるか」
白峰虎太郎(ea9771)は的屋の生き残りのために協力することを帳脇へ申し出ていた。近頃では餓狼党も特に力をつけてきている。張元の不在の隙を突いて敵対勢力が動き出してもおかしくない。
(「‥‥三竦み、か」)
張元の件は明かに陰謀だ。三竦みの状態になることを見越した何者かが、その均衡を壊そうと動いているのかもしれない。つまり的屋への宣戦布告――。張元は確かにこう言った。自分は無実だと。彼はもう決意を固めていた。
「ならば、‥‥待つ」
不器用な頑なさだが、白峰には他に取るべき道が思い当たらなかった。預けられた信頼へは誠心で報いる。多くは語らずともその行いはそれに足る。黒幕の割り出しの他、情報収集、噂の流布、土蔵の修復に張元の見舞い、成すべきことは山のようにある。
「忙しそうだね〜♪」
そこへ不意に顔を覗かせたのは萌だ。
「林さんが的屋さんを追い詰める作戦を練ってるみたいだね〜。的屋さんの悪口流すようにって頼まれちゃったよ〜」
あっけらかんと言ってのけた萌に悪びれた様子はない。推し量るように白峰が視線を投げかける。
「おまえ‥‥」
「あはは〜、どっちの味方だ! なんて凄んじゃダメだよ〜☆ 萌っちはどっちの味方でもあるし、そうでもないよ〜。だから、対価は求めてないじゃん〜!」
強いて言えば、『劇の演出』。そう答えて萌は無邪気に笑ってみせる。
「先生」
帳脇が合図を送り、即座に子分達が萌を囲んだ。
「どうします?」
出口を固めた子分が、音が洩れぬように戸を立てた。ここは鬼哭の外。そして萌はやくざとも的屋とも関わりのない流れ者だ。取り囲んだ子分が懐の短刀へ手を掛ける。
萌が羽根の動きを止めた。
「‥‥今、萌を斬れば林さん側の情報は入ってこないよ。それでもいいなら刀を抜きな!」
萌が凄んで見せた。豹変した彼女を量りかねて帳脇が白峰は視線を遣す。
「あはは〜、怒った〜? むきになっちゃだめだよ〜☆」
帳脇へ白峰は首を振って返した。厄介事を増やすのは得策ではない。それを受けて帳脇は子分を下げさせた。
「そういう訳なんで。シフールのお嬢ちゃん、今日は引き取っちゃあ貰えませんか」
子分が戸を開け、帳脇が愛想笑いで萌を送り出す。だがその目は少しも笑ってはいない。
「街までは近いようで案外かかるもんでさあ。夜道にゃあくれぐれもご用心ってことで、一つ」
「狩座屋の、あんたに客だぜ」
三の辻から暫く歩いて二の辻に差し掛かろうとする小さな酒場にその男はいる。
「さあ、キナ臭くなって来たわ。でも、こういう時こそ私にとっては都合が良いんだけど、ね‥‥?」
街の情報屋を訪ねて幽黒蓮(ea9237)は狩座屋を訪れていた。挨拶代わりの銀貨を差し出すと、黒蓮は男の隣へ腰を下ろした。
「例の盗人殺し、的屋は濡れ衣だって話があるらしいじゃない? 的屋を嵌めそうなのは何処?」
「どういう風の吹き回しだい? アンタ、いつから的屋の飼い犬になっちまったのさ」
相変わらず話が早い。黒蓮は早速切り出した。
「今回は雇われただけ。この仕事限りの関係よ。ま、名を上げるついでって感じね」
黒蓮は懐から金貨を取り出した。これ見よがしに布で磨きながら口にする。
「張元が掴まって得をするのは何処? そこに手を貸している冒険者は誰?」
「へへっ」
情報屋が笑った。かと思うと、次の瞬間には金貨は男の手の中にあった。
「これが俺の流儀でね」
気を取られた一瞬の隙に掠め取られたらしい。
「それなら餓狼党に出入りしてる華人の女だな。ガキども、どうも的屋のショバを狙ってやがるみてぇだぜ?」
「根拠は?」
それに答える代わりに、男は懐から金貨を取り出して見せた。
「それがよ、さっきその女が俺んとこ来てな。的屋の悪い噂を流してくれって頼まれたのさ。普通は客の情報は売らねぇンだが、アンタにゃ特別にネタおろしてやるって言ったもんな? 俺はこれで義理堅いんだぜ?」
男は黒蓮へよく見えるように数え上げて見せる。全部で3枚。先日、黒蓮が掴ませたのと同じ額だ。情報屋が含み笑いを浮かべる。
「そうだ」
黒蓮がもう2、3枚銀貨を手渡した。
「噂を流してくれる? 狂犬は餌次第で誰にでも付く、ってね」
「へへ。まあそのくらいならお安い御用だぜ。これから一つご贔屓に」
日が落ちて、白は口を利いて貰った例のボロ家へ帰ってきていた。的屋の根城はその直ぐ裏だ。
「こんな所に社が‥‥すでに朽ちているのか‥‥?」
そしてその後ろに鎮守の森。ふと足を踏み入れていたのは、故郷の森に似ていたからだろうか。不意に過ぎった記憶の残り香を振り払うように、彼は小さく頭を振った。
「この感じ、懐かしくもあり忌々しくもあるがやはり心が落ち着くな」
奥へと分け入ると、地に覗いた小さな岩を見つけた白は腰を下ろした。辺りに人気のないのを確かめると懐から横笛を取り出す。奏でるその音はまだ拙いが、静かに音色を響かせる。
その時だ。
「何者だ!」
葉を踏みしめる音がして白は身構えた。誰何に答える声はない。身を強張らせながらも窺うと、そこにいたのは赤い着物の少女だ。
「あー。ううー」
「きさま口が‥‥すまん‥‥」
少女の様子を目にし、白は困惑を浮かべた。
「あー。ぁぁー」
その様は言葉にするなら無垢。邪気のない少女を前にいつしか白の警戒は消えていた。
「俺にも生きていればお前くらいの歳の妹がいてな、これはその妹の形見だ‥‥」
俯きならが白は漏らした。強く引き結んだ口元が哀しい。
「ぅー‥‥? ‥‥‥‥‥‥あぁっ‥!」
ふと少女が白の後ろを指した。いつからか人の気配がある。
(「聞かれたか?」)
だがそれは杞憂だ。
「み、道に迷いました‥‥」
迷い込んだのは連。鬼哭の外まで足を伸ばしたはいいが、お守なしには帰れなくなっていたようだ。警戒していた白だが、重松での顔馴染みというのもあったのだろうか、また腰を下ろすと彼は横笛を奏で始めた。鎮守の森へ静かな時が流れ始める。ふと少女が空を首を上げる。
「あーあー。うぅー」
空を仰げば、変わらずそこに。星振る夜空。離れた空の下で同じ月見上げて。彼も彼女も思い焦がれてるのだろうか。止まった時計、チクタク動く。いつかその時が来たならば。いや、まだ止まってはいない。小さな体。でも確かに動いてる。少女の胸の膨らみ。時はまだ動き続けてる。
「ぅぁ‥‥‥?」
少女が不安そうに声を上げた。連がその手を握る。
「迷わないで、大丈夫です」
連が緩んだ笑顔を向ける。迷子者が口にしては何とも頼りないことだが。赤い目の少女は揃って笑い合った。
忘れてしまったお話。完結されたお話。今からここから、続きのお話をはじめましょう。止まった時計、チクタク動く。
「キミ君‥‥ 誰がそれを終わりと決めたの?」