禁猟区の掟  ゴイサギの夜

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:3〜7lv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:9人

サポート参加人数:1人

冒険期間:06月21日〜06月28日

リプレイ公開日:2005年07月02日

●オープニング

 一の辻を風が吹いている。その風は通りを練り歩く幾つもの草鞋履きの音をしていた。風が運ぶのは恐怖と暴力。若い餓狼たちは二の辻を抜け出し、的屋の縄張りである一の辻へ踏み入ろうとしていた。
 ガキの一人が露店を蹴り飛ばす。それを皮切りに通りのあちこちで露天商の悲鳴が上がる。吹き抜けた後には何も残さない暴風だ。通りには無残に潰れた野菜や踏み砕かれた売り品が転がっている。
「ショバ代に苦しんでンだってな?」
 先頭に立つのはキミ。
「もうあんなオヤジ達にへこへこすんな。俺らの下につけ」
 怯える露天商たちへキミは冷たい視線を向ける。
「落ち目の的屋にしゃぶられるくらいなら俺らについた方がマシだ」
「そこまでにしときな、坊っちゃんたち」
 野次馬を掻き分けて現れたのは的屋の留守を預かる帳脇だ。
「痩せ狼がこれまた思い切ったことをしたもんだねぇ。誰の入れ知恵かあ知らねえが、食らいつく相手を間違えちゃあいけねえや」
「――食らいつく?」
 それは群れの奥から聞こえた。ガキどもから進み出たのは餓狼党を率いるあの男だ。
「違うぜ。食らいつくんじゃねえ。俺たちゃ狼だ。喉笛ってのは掻っ切るもんだ。だよなあ、キミ?」
 男の合図でガキどもが帳脇の両脇を抱えて膝立ちにさせる。その両膝をキミが踏み砕いた。情けない悲鳴をあげなかったのは流石と言っておこう。帳脇はくぐもった呻き声を上げただけだった。それが男の嗜虐心を煽った。
「おい」
 男が顎で促す。その先には樽が。男はにやりと笑った。
「せっかくだ、俺たちのやり方ってのを最後に教えてやるか」
 餓狼の一人が帳脇の顎を樽にかけた。帳脇の鼻っ面をキミが叩くと噴き出した血が樽を薄く満たしていく。
「いつまでもつか、こいつぁ見ものだぜ」


 四の辻の遊郭。窓から差し込んだ西日に照らされてその青年は目を覚ました。薄暗い西向きの二階の一室、そこはここ三月ほど青年が通いつめたおかげで事実上の貸切になっている部屋だ。最後の一月に至っては殆ど飽くこともなく毎夜通い続けているというから酔狂なものだ。
 どこからそんな金を工面したのかと遊女達は密かに噂したが、男が言うには江戸で一発当てた山師だという話だった。眉唾モノの話ではある。真に受けた者こそ殆どいなかったが、他に思い浮かぶ理由もなく、時期に誰も不思議に思う者はいなくなった。
 隣で寝息を立てる女を一瞥すると、青年は床を這い出た。緩慢な動きで着物を手に取り支度を始める。薄暗い部屋には、すうすうと女の寝息が響いている。傾いた日が部屋を照らし出した。赤い光に男の姿が浮かび上がる。
 男が纏うのは白い装束だ。見た目にも分かる滑らかな柔らかさは絹織物。その肌もまるで女のように透き通って白い。細くて綺麗な指をしている。その指が、そばに掛けてった羽織を掴んだ。光沢のある濃紺の生地は素人目にもかなりの値打ち物だと分かる。なかなかの洒落者のようだ。男はそのまま階下へと降りていった。
「おや、夜烏(よがらす)さん。もうお帰りですか」
 振り向いた番頭が会釈すると、青年は懐から金貨を投げて寄越した。
「ああ。この街にはずいぶん世話になったな」
「へ?」
 素っ頓狂な声をあげたのも無理はない。青年はそれだけ言い残すと、着のみ着のままで通りへと消えていった。


「重一老。大変なことになりましたな」
 久しぶりに訪ねた重松は髄分と賑やかだ。男は、重松を出入りしている面々を横睨みに顔を顰めた。
「おうおう。よく来たの。おーい、白さんや。茶を入れてくれんか」
 店の奥を振り返って声を掛けると、重一は男を座敷へ通した。 
「しっかしあの下手人は、――抜きおったんじゃろ?」
「はい」
「弱ったことになったのぅ。掟は絶対じゃからの。的屋も報復せざるを得んじゃろうな」
 的屋に雇われた噂の狂犬が刺された事件では、一時は華国人の女が挙がったもののすぐに釈放された。犯行時には鬼哭にいなかったとすぐに調べがついたのだ。
「それが‥‥」
 男から一の辻の揉め事の話を聞かされ、重一の表情は途端に険しく変わる。狙われた帳脇は無残にも死体で発見された。
「脇貸をやられたとあっては的屋も黙っとる訳にはいくまい。下の者にも示しがつかんからの」
「では」
「じゃが抗争になってもつまらん。的屋もここは堪えて何とか手打ちに出来ればそれが街のためにも一番じゃろうて」
 その時だ。店の奥から娘がひとり顔を覗かせた。
「うー、あー」
 暫く前からいつくようになったミキだ。重一へ鋭く視線を向ける男へ、老人は首を振って答える。
「構わん。今更居候が増えた所で誰も気にすまいて」
「では私はこれで。まだお上の目もあります。このまま事が穏便に済んで、早く元の鬼哭に戻ってくれれば――」
「馬鹿モン」
 不意に老人の顔に鋭いものが覗く。
「的屋も一人殺(と)られとるんじゃ。血ィ見ずに終わる筈もあるまい」
 大将首か、それに準じる首級。金も武器もシマもない餓狼が手打ちに持ち込むならば、差し出せるのはそれしかない。
「なるほど。釣り合う首が必要という訳ですか」
 鬼哭に新たに起こった二つの事件。それを一手に解決する道が一つだけある。そう。流れ者の華国の女を生贄にすればいい。あの晩にいなかったと調べがつこうと、ヤクザ連中を前にそんな言い分は通用しない。その首一つでどちらの事件も手打ちにできる。餓狼に吹いていた風はいまや逆風に変わろうとしていた。


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 おいおい、聞いたか? 餓狼の奴ら、遂にやりやがったな! 所詮ガキどもってんで玄人連中も大目に見てきたが、こればっかりは見過ごせネエかもな。まあよ、的屋の奴らは張元の釈放に動いてるこったし下手に動けネエ。何とか抗争は避けてくれりゃあ、街のためにもいいんだがよ。
 で、ああ情報な。ヤクザの屋敷に流れモンが出入りしてやがるな。そいつがクソ度胸ってのか? 貸元に生言いやがったらしくてな、無理な頼まれ事されて困ってんだとよ。まあ考えようによっちゃ、器量を見せるまたとねえ機会だ。あすこの親分はキップがいいからなあ。ああ、あとヤクザの店に新顔のシフールが入ってんな。なんでも小間使いだって話だがね。それから例の山師がついさっき郭を出たってよ。胡散くせぇ男だぜ、ありゃあ? 噂じゃあ野郎に騙されて金奪われたって話も聞くね。
 それより話があるって? お業? ああ、四の辻の傍で商売してやがる夜鷹だな。なんだってまたそんな中年女を。郭にいきゃあもっとマシなのが抱けるぜ。昔は‥‥‥へへ。もっと上玉もいたっていうがなあ? それよりよ、こらぁとっときのネタなんだがが、ヤクザの店の小間使いが使い込みしてやがったって話だ。誰にもいうなよ? ヤクザも身内の恥を外にゃあ知られたかねえだろ。必死で隠してっからな。あすこの客の娘さんがとっ捕まえたって話だ。今は、屋敷ン中だろうね。俺の知る限り使い込んだ金はもう男の手にはネエ。だが落とし前はつけなきゃなんねえ。野郎が今どんな目にあってんのかは考えたくもネエな。必死になったヤクザってのは怖いぜぇ? もうとっくに吐いちまった後だろなあ?



*用語解説
 山師:投機事業を生業とする者。儲け話で大金を騙し取る詐欺師を指す場合もある。
 夜烏:サギ科の鳥であるゴイサギの別称。夜行性で烏に似た鳴き声をあげて飛ぶことからこの名がついた。

●今回の参加者

 ea0063 静月 千歳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea1462 アオイ・ミコ(18歳・♀・レンジャー・シフール・モンゴル王国)
 ea3619 赤霧 連(28歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea9237 幽 黒蓮(29歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ea9771 白峰 虎太郎(46歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb0812 氷神 将馬(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1119 林 潤花(30歳・♀・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb1160 白 九龍(34歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb1435 大田 伝衛門(36歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)

●サポート参加者

ミリコット・クリス(ea3302

●リプレイ本文

「今ノ人、重一老のオトモタチあるか?」
 重松では白が店仕舞いの支度の最中だ。重一を訪ねてきた男を見送って、白九龍(eb1160)は老人へ問いかけた。白が店に出入りするようになって初めての顔だ。線の細い体つきで物腰も柔らかだが、眼光の鋭い細い吊り目が組し難い印象を与えている。
「何してる人アルか? 怖ソウな人たったアルねぇ〜」
「なに、古くからの馴染みじゃよ」
 重一は柔和な笑みを崩さない。白の意図を推し量るように瞳を覗き込むと、やがてこう口にした。
「それより例の的屋殺しの件は、やはりガキどもの首で手打ちになるようじゃぞ?」
 その噂は既に飢狼の耳にも入っている。
「ほんと血の気多すぎね」
 例の男の隣は林潤花(eb1119)の定位置だ。常ならば二の辻の酒場は飢狼の連中で騒々しいのだが、今日ばかりは水を打ったように静かだ。
 掟がまかり通っているのはヤクザと的屋が潰し合いの共倒れを避けるためだ。疲弊したもう一方の息の根をヤクザが止めるのに、もはや掟も何もない。飢狼にある光物は男の日本刀とキミの短刀くらいのものだ。仮に的屋を潰せたとしても、ヤクザに掟を破る口実を与えてはとても玄人連中を相手に戦えそうにもない。
「キミ、お前いってこい」
 無情にも男が告げる。
「あァ? ンで俺が‥‥。俺はゴメンだ」
 憮然としてキミが席を立った。
「元はといやあの女の案だ。アンタの首が惜しけりゃ、林にけじめ点けさせりゃイイ」
「ばぁか。俺が死んじまったら飢狼も死んじまうだろうが。それにな」
 男は林の肩を抱き寄せた。
「こいつは俺の女だ。となりゃあ、もうお前の首しかねえだろうが」
 キミと男の視線が無言でぶつかりあう。林がやれやれとばかりに間へ入った。
「しょうがないわね。こうなったら私の首ごときで手打ちに出来るような甘っちょろい状態ではなく、互いに退けない憎悪と怒りの全面抗争まで持っていきましょう。あっちが体制を立て直す前に一の辻の縄張りから的屋を締め出すわよ」
 何にせよシノギがないままでは先は見えている。くすくすと林は笑みを漏らす。
「それに今回は心強い助っ人を用意してるわ。20年前の鬼哭の再現といきましょう?」
 同じ頃。的屋の白峰虎太郎(ea9771)は一の辻の牢屋を訪ねていた。
「事情によりこの宿に居続ける事ができなくなった」
 格子越しの張元は前よりも随分と弱って見えた。
「そうかい。済まなかったねぇ。流れ者のあんたに厄介を押し付けちまって」
「見込んで貰ったが最後まで果たせず申し訳ない。帳脇亡き後の跡目を選んで貰えれば俺から伝えておく」
「‥あんた、俺の子分を殺す気かい?」
 器量のない者を据えた所で行く末は高が知れている。残った仲間は街から逃げるようにと、張元は白峰へ伝えた。
「落ち目の俺らにヤクザもいつまでも甘い顔はしねぇ。街にいちゃ皆殺しさね」
 だがいまさら尻尾を巻いて逃げるような仲間達ではない。張元にも、勿論白峰にもそんなことは分かってはいるが。所詮は余所者。彼らの生き死になど係わり合いのないことだ。ふと少女の顔が浮かんだが、白峰は冷徹に振り払った。情を掛けたのも手札として使えると考えたからに過ぎない。この町を出ればもう二度を会うこともあるまい。一礼すると白峰はその場を辞す。
「‥‥俺は餓鬼に用がある」
「止めときな。報復なんざ今時はやりゃしねぇよ」
 振り返ると、張元は哀哀とした眼差しで彼を見ていた。牢に通い詰めてから初めて見せる表情だ。それを白峰は前に一度だけ目にしたことがある。以前にヤクザ絡みの一件で倅をなくした時と同じ顔だ。
 最後にもう一度だけ、張元は白峰の双眸を覗き込んだ。
「あんたの命だ。好きに生きな」
 チクリと胸の痛みを覚えた気がしたのは、気のせいだろうか。それには答ぬまま白峰は去った。

「いよいよ状況が動き出して来たわねぇ」
 一の辻へ飢狼は現れた。キミと共にその先頭に立つのはあの幽黒蓮(ea9237)だ。
「誰のせいかは、こう横の方に置いといて」
 真実はどうあれ、表向きは林に刺されたことになっている黒蓮。その狂犬が飢狼と合流したという報せは瞬く間に鬼哭中の裏家業の連中に知れ渡ることとなる。
「餌を貰えばビジネスライクに付き合うのが私のやり方。それに後先考えるような女は『狂犬』なんて呼ばれないわ」
「‥‥俺はまだアンタのことを仲間と認めたわけじゃネエからな」
「獲物の喉笛に噛み付くのは狂犬も同じよ。同じ畜生同士、楽しくやりましょうか」
 店を畳もうとしていた露天商を飢狼のガキどもが襲い、的屋を誘き出す。その騒ぎを尻目に、野次馬に紛れて街を抜け出そうとする男がいる。四の辻の遊郭を抜け出してきた夜烏だ。
 着のみ着のままの姿はとてもこれから街を出る男の姿には見えない。旅荷も、それどころか馬すらもない。
「――まさか旅荷どころか足も用意せずに町を出ようとするとは、この俺も考えもしなかったぞ」
 不意に夜烏の細い手首を無骨な掌が掴んだ。虚を突いて有無を言わせず裏路地へと引き入れる。氷神将馬(eb0812)だ。
 お業から聞いた話を元に遊郭で夜烏の噂を聞き、逃げ足に使う馬を押さえたが夜烏には至らなかった。だが酒場でこれまで築いてきた人脈から夜烏を見たという話を耳にし、首の皮一枚といった具合で辛うじてこうしてその尾羽を掴んだのだ。
「お前、町から出て行くつもりだろ? お前の荷物を狙ってる奴らがいるぞ。なんなら、俺が荷物を運んでやろうか。報酬は‥そうだな、二百両でどうだ?」
 それに夜烏は、逡巡の後に半ば諦観の言葉を吐いた。
「そこまで知ってるなら下手な芝居は無用か。だが吹っかけすぎだ。せいぜい50がイイトコだ」
 その目に見据えられ、氷神が腕組みをして考え込む。駆け引きをしているようには見えないが‥‥。
「噂じゃあもっとあると聞いているがな。そんな大金を抱えて果たして逃げ切れるか――? 俺なら裏家業の連中とは繋がりもない。怪しまれずに街の外へ金を持ち出せる」
 噂という言葉に夜烏は僅かに眉を動かした。既に大金の噂がヤクザ達にも流れているなら夜烏が逃げ遂せるのも難しい。ならば氷神に金を預けて合流するといのも理に適っている。揺れる夜烏に氷神は止めを刺す。
「俺は絶対に裏切らない。信じるかはおまえ次第だ」
「まずは一つ」
 夜烏の目はじっと氷神の瞳に注がれている。彼は話し始めた。
「俺は鬼哭を出るが、すぐに界隈から去る訳じゃない。金は時間を置いて外へ運ぶ。二つ。俺にはもう一人仲間がいる。そいつにも分け前を出さなきゃならない。あんたに前金で出せてもその半分だな」
「フン。一筋縄じゃいかぬ相手だとは覚悟していた」
 20強と見れば言い値を一桁下回るが、今はこれを呑むに他はないだろう。何より時間もない。ここでうろうろしていては、いずれ人の目に留まる。夜烏は最後にこう口にした。
「三つ目だ。あんたの名前は?」
「俺は氷神将馬。なに、ただの武家の三男坊だな」

 夜烏と氷神が鬼哭を抜け出した後も一の辻の騒ぎは収まる気配を見せない。的屋が現れないのをいいことに飢狼も暴れ放題だ。その様を遠巻きに林が窺っている。
「くすくす、愚かなる短命種同士、互いに殺しあえば良いわ。不信、不安、憎悪、怒り、悲しみ‥‥鬼哭の名に相応しい状況ね」
 流石に前回の一件で懲りたのか身の安全に気を回しているようだ。野次馬に紛れながら煙草をふかし、的屋の現れるのを今かと待ち構えている。だが事態は既に林の掌中にはなかった。
「これ以上の狼藉は許さんぞガキども!」
 現れたのは手に手に得物を携えた官吏達だ。誰かがタレこんだのだろうか、否、これだけの騒ぎならお上が出張ってきてもおかしくはない。
「おい。どうすんだよ」
 振り返ったキミが問う。男が苦々しげに答える。
「もう十分だ。ずらかるぞ」
 だが。
「ガキどもが今日いう今日は逃がさんぞ!」
「例の投げ文も貴様らの狂言という情報もある、キッチリと取り調べるからな!」
 飢狼の退路を断つ様に通りの反対側からも役人が踏み込んだ。挟み撃ちだ。対する飢狼はほぼ丸腰。武器を持った連中に太刀打ちできよう筈もない。
「‥こいつぁ‥」
「‥‥‥‥やべぇぜ‥」
「ガキどもをひっ捕らえろ!!」
 飢狼が散りぢりに逃げ出し、お上がそれを容赦なく打ち据える。骨の砕ける音、悲鳴、一の辻はたちまち修羅場と化した。
「逃げろ、捕まンじゃねェ!」
 キミの目の前で仲間が次々に役人に捕らえられて行く。何人が無事に逃げおおせられるだろうかも分からない。怒号と悲鳴、それらがデタラメに交錯する。その喧騒を縫って、赤い着物の少女が駆け出した。
「キミ君、見つけました!」
 人ごみから飛び出してきたのは赤霧連(ea3619)。息を切らした連が真っ直ぐにキミへ飛び込む。
「バカ、おまえ、何でここに‥」
 連を受け止めたキミがよろめいた。その手が思わず連の肩を抱く。キミを見上げる連の瞳が揺れる。それを通して、連の胸中で出口を求めるように渦を巻く思いが、流れ込んでくる。
  ‥‥私を助けくれようとしてくれるじゃないですか
    ‥‥誰がそれを終わりと決めたのです?
   ‥君が君でいられるように
「私と彼ら、どちらを選ぶもキミ君次第です」
 鬼哭の西に陽が落ちた。連はにっこりと微笑んでいる。鬼哭が真っ赤に染まる。その色と同じ赤い瞳が遠い記憶の少女と重なって、夕暮れの一の辻から音が消えた。記憶の少女は今もキミの前で笑っている。覗き込まれたその瞳が揺らぎ、赤い瞳に見詰められてキミは上ずった声で唇を振るわせた。
「俺は‥俺は‥‥‥」
 その時だ。キミの視線の先に、騒乱の中を彷徨うもう一人の少女の姿が飛び込んでくる。揺れ動いていたミキの瞳が止まった。連がそこに見たのは、がらんとした何もない空虚。
 混乱の中をミキは何かを探すように彷徨っている。ふらふらと彷徨う小さな体が役人の胸にぶつかった。
「そこをどけい、娘!」
「ぅぅー。ぁー」
「邪魔だ! どかねば――」
 得物を振り上げた官吏は、そのまま言葉半ばで膝から崩れ落ちた。後ろに立っていたのは白だ。
「連がミキを連れて飢狼のガキに会いに行くと聞いて嫌な予感がしたが、やはりか」
「貴様‥‥!」
 襲い掛かった官吏を事も無げに交わして見せると、白は足払いで手玉に取る。
「余計な事を。何事も起こらねばいいと思っていたが‥‥」
「白さん!」
「勘違いするな。俺が重一とミキの身だけだ。あとの者達はどうなろうが知った事ではない」
 ミキの手を引くと白は一度だけ振り返った。
「知ったことではないが。――ミキの悲しむようなことだけは許さん」
 白が駆け出した。彼に手を引かれて野次馬の中へ消えながら、ミキは連へすがるような視線を向けている。
「‥ぅー‥ぁぁ‥」
 だが連が伸ばした手は官吏に阻まれて届かない。
「邪魔立てするか! さては貴様らも仲間だな!!」
 腰の物を抜いた官吏が連へ斬りかかる。それをキミの短刀が受け止めた。
「キミ君、私達も逃げましょう!」
 その手を連が引き、斬り結んだ官吏を蹴倒してキミが握り返す。ミキを連れた白の騒ぎに乗じて、二人は一の辻を逃げ出した。


 一の辻の騒乱も時期に収まったようだ。ヤクザの屋敷へ静月千歳(ea0063)は招かれている。
「不死人騒動の御蔭で、出立の予定がずれ込んでしまって。もう少しだけご厄介になります。それにしても、餓狼も思い切った事をしましたね。誰かに唆されたのでしょうか」
 飢狼へお上をぶつけたのは千歳の仕業だ。残った一方を潰すのは容易い。だが、万が一ということもある。店の者を使って千歳はお上へ陳情を入れたのだ。
「このまま好き勝手にされたのでは沽券に関わるというものです。今は未だ受身で十分です。窮鼠猫を噛むといいますが、噛んだからと言っても所詮は鼠。後に待つ運命は変わりません」
 元より最大勢力、いつでも相手を潰せる力があるのだ。小物の動きなどにいちいち腰を上げる必要などない。
「勢力図は塗り替える物ではありません。停滞が一番です」
 それより、と千歳。
「新しく入った小間使いが行方を眩ませたようですね」
 それは小間使いの代わりに雇ったシフールのアオイ・ミコ(ea1462)のことだ。つまらぬ悪さをしたようだが、下手な小細工などに引っかかる千歳ではない。身内の裏切りに親分は怒りを顕にしている。
「裏切り者の羽虫が。八つ裂きにするだけじゃすまさねえ」
 そんなことも知らずにミコは屋敷の屋根に上って、鷹の葵井と共に彼らの動きを待っている。
「微笑って、笑って、嗤って、哂って‥‥楽しませてもらうよ」
 ヤクザ社会で仁義に反した裏切りは絶対のタブーだ。捕まれば無事では済まされない。だが金のために、或いは戯れに禁忌を犯すものは後を絶たない。
「へへっ。毎度あり」
 狩座屋では大田伝衛門(eb1435)が情報屋に金を掴ませている。それも五両もの金だ。
「あんた程気前がよけりゃ他の連中には内緒で特別にネタを下ろしてやるぜ」
「街で一番の情報通と聞いておるからのう。宜しく頼めますじゃろうか」
 大田が頼んだのは裏家業の連中の悪い噂を流すこと。彼もまた大金の噂を嗅ぎ付けて街へ流れてきた一人だ。だが形振り構わぬ動きは危険を伴う。ガセを流したことがバレればタダでは済まされない。しかも三勢力全てを敵に回しては、それも余程の器量がなくては成せないだろう。
「そうそう。さっき入ったネタだがな、飢狼のガキの一人が斬られたってよ」
 騒ぎを逃げ延びた飢狼のガキが宿のすぐ鼻先で通り魔に襲われた。なますに嬲る惨い殺し方だったそうだ。襲われたガキはキミの住む四の辻の遊郭まで地力で這って、すぐに息を引き取ったのだという。白峰の仕業だろう。
「襲われたのは鬼哭の境界を跨いだ外っていうがね。ンな屁理屈がヤクザに通じる訳がねえやな。的屋もいよいよ命脈が尽きたな、こりゃ」
 これから街を去る男の、それも流れ者の彼の仕業とはいえ、この事件は更なる報復を呼ぶだろう。張元を失いながらも白峰によって辛うじて支えられていた的屋。その白峰なき後、子分達だけでヤクザや飢狼と渡り合うのは無理な話だ。ある者は町を去り、残ったものはことごとくが狩られるだろう。一人の男が振るった私怨の凶刃はそれを引き金の多くの命を奪うこととなる。
 何より不憫なのは何も知らないミキの身だ。的屋の血を引く娘だ。放っておけばいずれその身の上はヤクザにも知れる。そうなればどんな目に遭うか。運良く命だけは助かったとしても真っ当な生き方は望めないだろう。こうなっては、もう気が触れてしまっているのが少女にとって何よりの救いになるのかも知れないが。
「ンなこと、いつまで続ける気なんかね。ここの連中はよ」
 暴力は更なる暴力を生む。恨みはいつまでも残り続け、消えることはない。その連鎖は、冒険者たちにも止めることは叶わぬのだろうか――。