禁猟区の掟  ヤマネコの夜

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:5〜9lv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:10人

サポート参加人数:6人

冒険期間:10月18日〜10月23日

リプレイ公開日:2005年10月26日

●オープニング

 白九龍が重蔵から手配してもらった隣村のあばら家。その土間を掘り起こして埋められていたのは数百両の大金。状況を考えるに、例の盗まれた五百両ではないか――? 重松に出入りしていた彼にもその噂は聞こえている。騒動や厄介事からは身を置き、ひっそりとこの地に身を潜めるつもりが。知らぬ間にその渦中に迷い込んでいたことを知り、彼の背を冷たいものが伝う。
 百両箱へは再び土を掛けて臼で跡を塞いだ。おそらく他に村の者で気づいている者はいまい。塒を出た彼は鎮守の森へと彷徨い入る。このことはまだ誰にも話していない。だがいつまでもこのままでは居られぬだろう。事態は彼一人の手に負えない方向へ既に走り始めている気がする。どうする? 誰なら信用できる‥‥? ふと脳裏にあの老人の声が過ぎる。
 ――その時は、必ずこの重一へ声を掛けるんじゃぞ?
 その時だ。彼の視界に、暗い夜の森を見下ろしてて飛ぶ一羽の鳥。それがふらふらと彷徨うようにして森の中へと消えていった。それはよく見たシルエット。
「ジューイッ‥ジューイッ‥‥」
 あの奇妙な鳴き声が鎮守の森へと木霊する。誘われるように彼はその声の元を目指して奥へと足を踏み入れていく。不意に彼は足元へ視線を落とした。
「‥‥‥‥‥‥!‥」
 そこには土に混じって赤茶けた染み。それが点々と森の奥へ進んでいる。指先で掬うと、彼は表情を険しくする。
「ジューイッ! ジューイッ‥‥!」
 急かすような鳥の鳴き声。風が吹き抜け、ざわざわと葉音のざわめき。深夜の森は、誘うようにその黒い口をあけていた‥‥。

 三の辻に氷神将馬の姿がある。
 夜烏探しなどで世話になった界隈の飲み屋には、しっかり飲み代を落として礼は済ませた。夜烏達の死体はまだあがらぬらしい。大金をばらまいて派手に鳴らしてみたが、まだ獲物が食いつく気配は見えない。今日もまた時間とタネ銭だけが解けていくかのように見えた。
「連日連夜の御大尽遊びとは、武家の三男坊にしては過ぎた遊びだ」
 そんな彼の前に現れたのは切れ長の狐目をした男だった。歳のわりに白髪が多く、光線の次第で時折銀髪のようにも映る。
「繁華街を流して何やら探しているようだが、人探しならこの俺が――」
 言いかけた男を彼は言葉半ばに片手で制した。
「情報屋か。だが生憎と情報源には事欠かぬものでな」
「だから困るのだ」
 そういうと男は肩を竦めて見せる。
「この界隈でのネタは俺の売り品でな。飯屋に来て自分で飯を作られては商売も上がったりだ。それに本職に任せておいた方がうまいネタにありつける」
 男が笑った。視線が交差する。
「うまいネタなら素人仕事だが俺にも自信があるのだがな。が、確かに本職を差し置くのも無粋な話だったな。――四の辻の廓に宿を取ってある」
「俺は三の辻の居酒屋、狩座屋だ」
 再び視線が交差する。それだけ言葉を交わすと二人は別れた。氷神はその足で廓へと戻る。騒動で得た金は殆どここで使ってしまった。注意を払って探ってみたが、彼の様子を窺う気配は今の所見られない。廓には意外にもというか、ヤクザと的屋いずれの息も掛かっていないようだ。
 ただ、ひとつだけ気になる噂。
「はぁ。もう十年二十年もも前の話になりますが」
 随分と昔だが、この鬼哭にはエルフの遊女がいたらしい。こんな辺鄙な土地で、しかも遊女とは珍しい話だ。そういえば死んだ情報屋がそんな風なことを話していた記憶がある。
「はい。先代の話では、街の侠客の親分衆に随分とご贔屓にして頂いたという話で」
 十年二十年前の話となると噂では鬼哭で血みどろの抗争が起こっていた頃だ。その頃町で伸していた者となると、抗争で死んだヤクザの親分か、抗争の火種を作った的屋の先代か。
「――臭いな」
「は? ‥も、申し訳ございません。すぐにお召し物も取り替えさせて――」
 店の者にさせるようにさせながら、彼は思案げに俯いた。随分と金は掛かったが手がかりのようなものにはありつけた。ここから先は一人では手が足りないやもしれぬ。情報屋を頼るか、或いは信の置ける者を探すか。いずれにせよ後はこの尾を手繰り、真相に食らいつくまで。彼は鷹揚に頷いた。
「うむ」
「お酒の用意もできてございます。ささ、奥へ」

 飢狼のヤクザ襲撃騒ぎで鬼哭はにわかに殺気立っている。だが張り元の釈放を機に、情勢とは裏腹にお上の態度は軟化の兆しを見せている。
「なんでも飢狼のガキが下手人だったんだって?」
「ああ。例の盗人殺しだろ? 的屋の張元もとんだ濡れ衣だな」
「だが、そいつヤクザに殺されちまったってんだろ」
「それじゃ、あの糞忌々しいお役人サマ方もこれ以上は町にいる理由もねえな」
 街ではまことしやかにそんなことが囁かれ始めていた。残るお上の懸念は、飢狼のガキどもがこれ以上妙な動きをしないかということだけだ。その機をヤクザの客分の静月千歳が見逃す筈もなかった。
「貴方達の為に、ご両親がどれだけのお金を払ったかご存知ですか? 捕まれば今度は出て来れませんよ?」
 飢狼のガキどもの多くが、鬼哭に住む町人達の子倅。彼らの素性は既に調べ上げてある。巧みに弱みを突きながら、甘い言葉で囁き掛ける。
「何でアンタがンなこと教えてくれんだよ」
「私は善意で言っているだけですよ? あくまでも私は善意の第三者。未来ある若人が道を誤るのを黙って見過ごせはしないだけの話です」
 二の辻、飢狼党の行きつけの酒場。
「――何で今日は誰も来てない?」
「それが‥‥」
 飢狼の溜まり場に顔を出したのはいつもの半分もない。黒狼も含めて十指に満たない数だ。右腕でもあったキミ亡き今、飢狼の結束は揺らいでいた。
 その話を伝え聞き、千歳は一人ほくそ笑む。
「これでこの街も凌ぎやすくなるでしょう。望む形は自壊。痩せ狼には似合いの最後です」

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 盗人殺しの捜査中だった官吏も遂に町を去るときが来たようだな。ヤクザも的屋も、そして目を付けられている飢狼にとってもお上の存在は目の上のこぶ。事によると協力してお上が街を出るまでやり過ごすということになるかも知れぬ。奴らがいたのではお互い派手にはヤリ合えぬしな。抗争を始めるために敵同士が手を組むというのも、また妙な話だが。兎も角も、こういう時は先行きが読みにくい。俺のネタを買っておいて損はないぞ。なんだ、名前がないでは不便か? なら銀狐の秀とでも呼べ。
 さて、そうだな。この間、三の辻に診療所ができたそうだ。五十文で診療を請け負うそうだ。噂では街の情報を流せばタダで診て貰えるともいうが。俺としては余り歓迎できる話ではないが、あそこはヤクザの息が掛かっているからな。ん? 筋者の話か? そうだな、飢狼に流れ者の僧兵が出入りしているようだな。腕の立つ奴らしい。注意をしたほうがいいだろう。
 だが今は何より的屋の出方次第だろうな。助っ人が出入りしているらしい。ショバ代の回収やら滞っていた仕事もキッチリこなしているようだな。何よりあの十人殺しの張元が戻ってきたのが大きい。牢で苛め抜かれたらしくて足を悪くしてるらしいが、侮らぬことだ。老いぼれてはいるが、腕が立つ以上に頭が切れる。
 ん? 重一老? そうだな。
「ま、なるようになるじゃろ」
 とのことだな。

●今回の参加者

 ea0063 静月 千歳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea2657 阿武隈 森(46歳・♂・僧兵・ジャイアント・ジャパン)
 ea3619 赤霧 連(28歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9237 幽 黒蓮(29歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb0812 氷神 将馬(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1119 林 潤花(30歳・♀・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb1160 白 九龍(34歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb1513 鷲落 大光(39歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1540 天山 万齢(43歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

ミリコット・クリス(ea3302)/ 利賀桐 真琴(ea3625)/ 大平 泰山(eb1644)/ パーノッド・エイブシン(eb1648)/ 聰 暁竜(eb2413)/ ノールズ・ジェネヴァ(eb2552

●リプレイ本文

 ヤクザの旅籠、二階の一室。
「――気になる話ですね。それは確かなことですか?」
 静月千歳(ea0063)はそこで言葉を止めるとふと通りを見遣った。表では飢狼どもが何か大声で歌いながら通りを歩いている。千歳が眉を顰めると、気づいた三下が口を開いた。
「こないだの晩からあの調子で。あの妙な歌を四六時中ってんだから敵いませんや」
 逆境の飢狼は結束を高める為に党歌を作ったと専らの噂だ。千歳がクスリと笑みを零す。
「フフ。粋がっていてもまだ子供ですね。尤も私には痩せた遠吠えにしか聞こえませんが。それより――」
「へぇ。ウチの者が殺ってねェのは確かです。お上があげたってぇのもついぞ聞かねぇ話で」
「とするとやはり、彼は生きて――?」

 三の辻外れ、重松。
「‥重一おじいちゃん、どうしよう、私‥」
 重一の膝で、幼子の様に赤霧連(ea3619)が丸まっている。
「‥どうしよう、キミ君が死んじゃったよぉう」
(「ねぇ、私は‥‥」)
 私は、何を話した?
 何を伝えることができた?
 何をでしゃばっちゃったのかな?
「だってだって‥‥」
 キミが声を掛けてくれたこと。それが連には嬉しかったのだ。重一が黙って連の白い髪を撫ぜた。連の赤眼は更に紅く泣き腫れ、透き通る肌は蒼ざめて白い。か細く震える肩を重一が掻き抱いた。連が呟く。
「‥‥時がね‥止まってしまったの‥‥でも、それでも私は逆らいたかった‥‥動かしたかったのに‥」
 キミの訃報を境に、鬼哭の空気は変わろうとしていた。
 前の晩。
 真夜中の街道に怪しげな一団がある。先頭の馬から女が一人飛び降りた。幽黒蓮(ea9237)だ。
「さてさて、禁猟区のお祭り、次なる一幕は狼狩りにございます。‥‥って感じかな?」
「奴らは張元に濡れ衣を着せた。詫びをいれてくるまで許しはしない」
 馬首を進めた鷲落大光(eb1513)が冷酷に言い捨てた。傍らの従者へ指示を出すと忍びは街へと消える。彼らは的屋に与する者達。鬼哭の狂犬こと黒蓮と、非情なる流浪の侍、鷲落。そして最後の一人は。
 不意に二人の足元へ影が伸びた。馬上にあっても一際高いその巨漢は天山万齢(eb1540)。張り付いた笑みの下に修羅を飼う人の世の鬼。
 天山が鷲落へズダ袋を無造作に投げて寄越した。
「大事なタマだ。無駄打ちスンナよ」
 鷲落を顎で使うと、今度は脇に控えた二人の尼僧へ指示を飛ばす。馬の嘶き、二人もやがて街へと消える。天山が手綱を引いた。
「行くぜ」
「了解っと。んじゃ行きますかー。しっかし、あんだけ幅利かせてた飢狼も落ちたものよね。でも、窮鼠が猫を噛むのなら窮狼は何を噛むものだか分かったもんじゃないし‥‥ねぇ?」
「拙者の知ったことではないな。畜生は所詮、畜生だ。餌に飢えれば屍を晒すのみ。人間様には刃向かえぬ定め」
 三人の影が間道に伸び、それはやがて隣村へと消えて行った。
 その飢狼は――。
 黒狼のやり方への不満が弾け、恐れから党へ残る者とで飢狼は二分していた。キミを慕っていた連中は千歳の策で飢狼を離れ、打ち寄せられた朽木の様に場末の酒場に集っている。
「ったく、シケた面しやがって。あんだけ息巻いてても、やっぱりヤクザは怖ぇか?」
 現れた阿武隈森(ea2657)は少し酔っている様だった。ふとそうやって自棄酒を煽る自身の姿を省み、彼は酒瓶を投げ割り、拳を壁へ叩きつけた。
「あー!畜生! うだうだしててもしょうがねぇ!」
 砕けた壁材がパラパラと床へ落ちる。
「俺らで探すんだよ。肝心の死体を見るまでは俺らの中じゃキミはいつまで経っても死ねねぇだろ」
「だよな‥‥」
「キミ兄ぃの最後を見届けるまでは、やっぱ」
 情報屋によると博徒も役人も死体を持っていったという話はない。最後の目撃例は役人と派手な立ち回りを演じ、深手を負わされて一の辻へ逃げたということだ。
「人生は短ぇ。辛気臭い顔突き合わせて管なんざ巻いている暇はねえ。そうと決まったら善は急げだ。な?」

 さて。再び翌日に場面を戻そう。
「お蔭様で無事に開設できましたよ☆ これはお礼の品です。お納め下さいですよー♪」
 ヤクザの屋敷をミィナ・コヅツミ(ea9128)が訪ねている。
「おう。悪いな。これは祝儀だ」
「有難うございます。それで‥‥」
 ミィナはおずおずと切り出した。街はまだ物騒、診療所にも警護がほしい。
「いいだろう。で、どうだ。診療所は」
 諸々の準備は人を雇って万事済ませ、診療所は住民の憩いの場として機能している。
「はい。順調ですよー。‥‥それより、さっきから何だか外が騒がしいですね」
 往来には歌う飢狼の姿。その目には隈が差し、顔は熱に浮かされた様で何だか気味が悪い。周囲の視線を集めながら彼らは二の辻へ消える。それと入れ替わりに通りへ現れたのは偉丈夫の侍。偉気高に背を逸らし、腕組みをして通りへ鋭い視線を絶えず走らせている。氷神将馬(eb0812)だ。
「仕方が無い、奴に頼るとするか」
 足を止めたのは狩座屋。
 網を張っても大した情報は得られず、何より余りに何も無さ過ぎた。だからこそ浮かんだ新たな疑問。奥に座っていた銀狐の秀を目に留めると、向かいに腰を下ろして開口一番こう放った。
「二十年前の抗争の最後を良く知っている上に、それを俺に話してくれる人物を紹介してくれ」
 と同時にまだ残っていた金を放り出す。秀はそれを受け取ると身を乗り出した。
「俺だ」
「―――手打ちには第三者の介入があったんじゃないか?」
「俺も直接知っている訳ではないと断っておく。先ずそれはない。事を収めたのは的屋の先代張元だ。ヤクザの先代が殺られて、後は向こうの代貸と二人で話をつけたそうだ。代貸はもう十年も前に死んで銀蔵に跡目を譲ったし、先代の張元も引退しているがな。俺の口から言えるのはここまでだ」
「その頃居たエルフの遊女が色々関係があるって小耳に挟んだんだが?」
「――アンタ、何が言いたいんだ?」
 不意に秀の声が陰を落とす。氷神が答える。
「この街の、三勢力以外の存在の証明」
 夜烏らを消した連中は動きを見せなかった。そうまでして存在を隠したいのだとも見れる。廓が侠客連中の管理下でないのも妙だ。
「どうもそんな連中が存在しないだろうか? 例の抗争後から鬼哭の均衡を図ってきた町民側の勢力があるとかな‥‥」
 その言葉半ばで秀が強引に口を挟んだ。
「悪いがおしゃべりは是迄だ。今日はもう引き取って貰えるか? 今度こそは客のようだ」
 秀が指した方を振り返ると白九龍(eb1160)が暖簾を潜る所だ。氷神が憮然と立ち上がる。
「腕利きだと聞いていたが期待外れだったな。やはり手前のことは手前で片付けるのが良さそうだ」
 振り返りもせず彼は店を後にする。入れ違いに白が席へつく。
「さっきの侍、随分と険しい顔のようだったが――」
「そういうアンタは野良仕事の帰りか?」
 入り口を振り返った白へ、秀が彼の下穿きの汚れを指していった。白は慌てて泥を払う。
「‥‥何でもない。五百両のことについて聞きたい」
 問いかけた白の瞳へ秀が目を合わせた。じっと覗き込む。秀が口にした。
「――ないな」
「重松に変わりは」
「それもない。重一老もミキも元気にやっている」
 白が目を細めた。が、すぐにいつもの表情に戻ると。
「そうか。では用件だ。連へ匿名での手紙を頼む」
 文には拙い字でこう記されてある。
 鎮守ノ森、大木ノ下、手負イノハグレ狼アリ――。

 ――前の晩。
 白は鎮守の森にいた。点々と続く染みを辿り、ナシマツの呼び声に誘われて奥へと分け入る。そこで彼が見たのは、木々の陰に体を横たえて彼を睨みつける手負いのキミの姿であった。
 腹を押さえたボロ布は血がこびり付いている。息は荒く顔は少し熱っぽい。言葉はなく、ただ刺す様な視線を向けている。全身の毛を逆立てる様な強い警戒の態は手負いの獣を思わせた。白は即座に踵を返したが、ふとミキの顔が過ぎり諦めたように足を止めた。
「穏やかな日々‥‥と云うヤツにはつくづく無縁らしいな‥‥」
 やがて戻ってきた彼の手には森で摘んだ薬草。
「これでひとまず命は助かる。あとは貴様次第だ‥‥」
 治療の間もキミは警戒を解かなかったが、緊張が切れたのか彼はいつしか寝入っていた。その体を持ち上げ、森で一番大きな鎮守の木の虚へと連れて行く。枯葉を敷き詰め、枕元へ握り飯を置く。
 その時だ。
「なんか出てきそうな森だな‥‥ま、一応こっちも調べておくか」
 森の入り口から人の声。阿武隈だ。白が素早くその場を立ち去る。入れ違いに阿武隈がキミの姿を発見した。治療の跡と人の気配。寝顔を目にして安堵を見せると、彼は髪を掻き毟って叫んだ。
「あー、もうワケ分かんねえぞ? 一体どうなってやがる!」
 キミの深手は酷く膿んで熱を持っているが今は小康状態にあるようだ。だが街へ運べば人の目もある。窮した彼が頼ったのは。
「もう、出張サービスなんてやってないんですよー?」
 夜半に連れて来られたのはミィナ。キミの意識はなく、ものも言えぬほど体は衰弱しきっている。傷薬を塗りこむとキミが呻き声を漏らした。
 ミィナが受け取った報酬はキミ生存の情報。但しヤクザへ流せばすぐ飢狼に足が付く。報せは暫し彼女の手に留まることとなり、千歳ら博徒の耳へは届かなかった。
「秀さんの所にもキミ君の情報はありませんでしたか」
 翌日、千歳は狩座屋を訪ねている。
「では質問を変えましょうか。遊郭でキミ君の面倒を見ている人物は一体誰なんでしょう」
「父親が大金を楼主へ掴ませ、その恩義で小間使いとして働かせて貰っていた様だな。最近は飢狼に入り浸りで寄り付かなかったようだが」
 その他にも各勢力の動向を事細かに。全てを聞き終えると千歳は最後にこう質問した。
「この鬼哭に三勢力の他に組織がある、ということはありませんよね?」
「ないな。もし在るとすれば――」
 秀がニヤリと笑う。
「三勢力に付け入らせず、尻尾も出さずに陰から街を仕切る。この街のどこに、そんな器量のある侠客がいるというのだ――?」
 雑貨屋・重松。
「てへへ、もう大丈夫です。泣くだけ泣いた、弱音も吐いた、ついでにお腹もすきました!」
「ほうかほうか。そらぁ安心したわい」
 柔和な笑みを見せ、重一が食べ物を取りに奥へ消える。再び座敷へ戻ると、連は店を後にしようとする所だった。
「勝手にどっかにいってしまうキミ君なんて大嫌いです。だから、文句の一つ二つ言いに行ってやります」
 顔面パンチ、シッペにデコピン。
 怒って泣いて。
 ついでに『ありがとう』の言葉も添えて。
「もう意味不明ですネ」
 照れ交じりに胸を張ると。
「では、ヤクザさんの大親分に会いに行ってきますネ☆ ミキちゃん、元気でネ。重一おじいちゃんの言うことちゃんと聞くんだよ?」
 ミキの頭を撫でると、連は腰へ刀を差した。
(「小さな勇気、三人揃えば何でもできると思ってました」)
 叶わなかった望み。でも心に残った思いがある。
 人を傷つけるのでなく、生かす為にこの剣を振るう。
「全部、取り返してきちゃいますネ♪」
 連の心は蒼天の剣。くよくよめそめそ、凹んだり、たとえば泣いたり迷子になったりしても、つるぎは決して折れはしないのだ。

 隣村、的屋の根城。
「先を越されちまったか」
 放った仲間の報告を聞き天山は張り付いた苦笑で頷いた。
 的屋へ大金を貸していた彼は更に百両もの額を上乗せして融資した。貸付金を一本化して月1割金利の総額230両の証文にする。
「貸し潰れられちゃァたまんねーしな。ついでだから利子の一部は差し引いてやるよ。俺って優しいねぇ〜」
 同じ頃、三の辻では子分を引き連れた鷲落が問屋筋を回っている。
「拙者とて商売のイロハくらいは弁えている。悪いようにはしない」
 界隈へ食料を流している問屋の取引先と、百姓の直売ルート。それらを調べ上げ相場の上を行く値をぶつける。無骨な侍に見えて鷲落には商才があった。卸売は的屋を介して行う。仲介料は取らないが、飢狼の身内への取引停止が条件だ。代わりに界隈を的屋が巡回して狼藉からの保護を約束する。
「話が呑めぬのなら仕方ない、御主の身体と取引相手に相談するしかないな」
 その効果は絶大であった。利に脅しを交えて取引を纏めると、問屋も小売や酒場もこれに従った。
「行儀の悪い狼どもも、これでお預けを覚えられるだろう」
「売り場の連中にも迷惑かけたしよ、今回限りの御奉仕だ。まぁ、二の辻だけでは売るなよ。あそこは物騒だからな。約束だぜ」
 様子を見に来た天山が子分へ指示を出す。品は的屋を介して市価の半値で流された。
 と、そこへ二の辻から黒蓮が青い顔で駆けてきた。
「ヤバイって! あいつら絶対正気じゃないってば!」
 飢狼には早く潰れてほしいが、ヤクザの漁夫の利は避けたい。怪しい動きがあれば奴らをヤクザへぶつける。得意の尾行で黒蓮は飢狼の動きを監視していた。
 黒蓮が見たのは、実におぞましい光景だった。
「全くキミを殺した博徒どもの口車に乗せられて情けない。尻尾を振る飼い犬に成り下がる気かって聞いたわよね。腰抜けと嘲笑われて惨めに一生を暮らすつもり? キミや末吉の無念を晴らさないでどうするの」
 その晩。林潤花(eb1119)は一人のバードを伴って現れた。
「不安な気持ちは分かるわ。けど抜ける前に黒狼様や仲間に会って思いを伝えなさい。皆きっと分かってくれる。まずはそれからよ」
 同年代のしがらみもある。ほぼ全員が溜まり場へ集った。共に酒を飲み、キミの死を悼む。バードが歌い、仲間達もまた歌う。酩酊と音楽、友との一体感。昂ぶりは恍惚となり空間を満たしていく。その中で林が甘く囁く。
「あなた達は狼。狼の群れ。誰よりも強い‥強い‥強い‥‥‥」
 酔いは回る。やがて歌に乗る言葉へ徐々に毒が混じっていく。その歌が煽るのは不安。敵愾心。怒り。恐怖。憎悪。言霊には呪いの力が篭っている。呪歌は飢狼達の精神へ変調を及ぼしていた。
 それは洗脳。
 極まった黒狼が大声で何かをぶちあげているが、それも掌中。操り人形に囲まれて悪魔が笑う。歌声は止むことはなかった。


 数日後。
 何事もなく日々は過ぎ、遂に官吏は鬼哭を去った。その頃には的屋は完全に息を吹き返していた。天山が張元へ尋ねる。
「あんたはこの街をどうしたいんだ? 俺も安くない金払ってんだ。聞かせて欲しいね」
 それに答えて振り返った張元の目は、ぎょろりと異様な眼光を放っていた。それは肉食の獣の目だ。
「一度牙を剥きゃァ喉笛まで喰らいつくのが獣じゃねぇのカイ?」
 しかしその光はすぐに瞳の奥で濁って消える。
「だが、ま。獣ってのは誰かの下についた時から牙ァ抜けちまうんだ。俺ももう20年もぬくぬく暮らしてきちまったからねェ」
 嘆息すると、飼い猫のように首をすぼませて張元は目を細めた。
 鬼哭に訪れた一時の凪。それは嵐の前の静けさなのか。いよいよ状況は収束に向けて動き出す。