禁猟区の掟  クチナワの夜

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:6〜10lv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:10人

サポート参加人数:5人

冒険期間:11月18日〜11月23日

リプレイ公開日:2005年11月27日

●オープニング

「聞いたか? 例の噂」
「ああ、勿論よ。銀蔵親分も漸くやってくれるか」
「これまで随分と我慢させられてきたからな。いよいよかと思うと血が沸くぜ」
「まったくだ。俺は今度こそは大勝して負け分を取り返さねえとな。今から楽しみだな」
「で、いつだ? 例の大花会が開くのは?」
 遂に官吏が去り鬼哭は元の無法の街へ逆戻りした。残ったのはもともとこの街にいた下っ端役人だけ、そいつらは侠客連中が怖くて見て見ぬ振りの腰抜けども。いよいよ派手な抗争が始まるのではないかと街は色めき立っている。
 三の辻外れ、重松。
「楽しみじゃなあ」
 通りを見ながら重一が呟いた。その傍らには情報屋の銀狐の秀の姿。
「重一老は、やはり蛇(くちなわ)の銀蔵が的屋と飢狼を叩くとお考えで?」
「堅気のわしがそんなもんを楽しみにするワケがあるか、この馬鹿モン。ワシが楽しみと言ったのは、銀蔵ンとこの盆の話じゃ」
「と、いいますと」
「例の騒動でかれこれ半年以上も賭場が立っておらんじゃろ? 今度の盆は銀蔵一家の健在振りを示す良い機会じゃろうが。これは久々の大花会になりおるぞ」
「なるほど」
 秀が頷いたのを目の端に留め、重一がやれやれとばかりに嘆息する。
「ワシもちょっくら顔を出してみるとするかのう。お年玉にはまだ早いがの、鼻タレ小僧どもに小遣いついでに金でも落としていってやるかいの」

 隣村の社裏、鎮守の森。
「キミ兄ィ、そろそろ聞かせてくれよ」
「そうだぜ、何で俺らに黙って消えようなんてしたんだよ、兄ィ」
 杜の鎮守の木に身を隠すキミの元には、彼を慕って飢狼を抜けた数人の少年達が集っていた。目を覆うばかりだった傷も今ではだいぶ塞がってきている。まだ満足には起き上がれない状態だが、傷が元で命を落とす心配はもうないようだ。
「‥‥悪ィ」
「キミ兄ィ‥」
「黙って消えたことは謝る。けどよ、ああでもしねーと官吏連中も消えちゃくれなかったろうし、それに‥‥」
「それに?」
 少年達が聞き返すが、キミは目を伏した。
 様子を見に来た阿武隈森が見かねてこう問いかける。
「で。どうすんだこれから」
 黒狼は飢狼を率いていよいよ戦争を始めるつもりだろう。もう暫く待てばキミの傷も完治する。さて、その後はどう動きべきか‥‥?
「あー、ったく。辛気臭いツラしてんじゃねえよ。んな顔してっと治る傷も治らねえぜ?」
 少年達は二の辻界隈には近寄らず、この鎮守の大樹が溜まり場になっている。すぐ裏手の的屋の連中は薄々気づいているようだが、飢狼の主である黒狼との繋がりがないと見ると暫く泳がせて様子を見るつもりらしい。
 そんなキミ達の様子を、白九龍も時折こっそりと窺っている。そこに赤霧連の姿がないのを見て、彼は嘆息した。
(「‥‥連へはまだ文は届いていないか」)
「しかし‥‥」
 あれから彼は土間の金を掘り起こして畑に埋め直した。別の瓶に移し変えて隠し、臼の下には元通り空の百両箱を埋めてある。ただ一つだけ腑に落ちないのは。
(「掘り起こした金を数え直したが、五百なんてモノではなかったな。なぜだ‥‥?」)
 彼は眉根を顰める。埋められていたのは全て数え合わせて、実に千両近い額であった――。

 三の辻、銀蔵の屋敷。
「いよいよ明晩は大花会だ。客人の前で無様は晒すんじゃねえぞ」
 銀蔵一家では二十人からの子分が最後の準備に慌しくしている。屋敷は襖が取り払われ、4間の賭場が立っている。そうして子分へ発破をかけると、銀蔵は今度は客分の静月千歳へこう声を掛けた。
「で、先生も胴を引いちゃどうだ?」
「私が胴師を、ですか?」
 今回は半年振りに銀蔵一家の健在を示すデモンストレーション。普通の盆とは違う、大花会だ。街のチンピラ連中の他、近隣から名うての博打打や侠客も銀蔵一家の様子を探りに顔を並べるだろう。そしてその花会の報せは、敵対している的屋と飢狼の元にも届けられた。
 両者ともヤクザが幅を利かすのは嬉しくないだろうが、この日ばかりは粗相はできぬ。粗相をすれば銀蔵の顔に泥を塗るだけではすまない。名だたる客人の手前、自らの名を下げる羽目にもなる。侠客連中にとって面子は命よりも重い。
 そんな大舞台だからこそ、胴師を勤めるというのは大変な重役である。
「なに、男ばかりの鉄火場に綺麗どころがいるだけで華がある。それも先生ほどのキレ者ならガワに舐められることもねえ」
「‥そういうものでしょうか」
「心配なら取り巻きの子分から出方を選んで構わねえ。回銭は俺の持ち出しだ、派手にシキを沸かしてくれ」

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 いよいよ目障りな役人どもが鬼哭宿を去ったな。これで裏家業の連中も大手を振って仕事に励めるというものだ。俺も仕事の口が増えて願ったりだ。
 さて。街の酒場筋では大花会の話で持ちきりの様子だな。前のは銀蔵が3代目を襲名したお披露目だから、実に七年ぶりの花会だ。寺銭は5両といやに高いが、祝儀と思って気前良く払うことだな。花会に行くなら最低でも一人十両はタネ銭を用意して行った方がいい。盆を囲むのもそれなりの侠客と博打打ということになるだろう。このくらい用意できぬようなチンピラはお断りということだ。重一老や的屋の張元も顔を連ねるという噂だぞ。行儀の悪い真似をして摘み出されぬ様にな。
 種目は賽本引きだ。胴芯は百両で三本立つらしい。ときたま負けて熱くなった胴師が焚くこともあるが‥‥ああ、「焚き」とは胴師がもう一戦続けてやるという意味だ。焚きになるってことは親の大負けの流れだから、胴芯は胴師持ちになるな。まあ滅多にないことだから覚えてなくとも構わぬさ。
 そうだな。的屋の助っ人の奴が隣村に塒を借りたらしいな。奴らのせいで飢狼の息のかかった所へはロクに食い物も回らぬらしい。いよいよ痩せ狼といった風情か。飢狼は‥‥どうだろうな。奴らにタネ銭が用意できるかどうか。できぬならできぬで、器量のない者として連中より下に格付けがされてしまうことになる、面子のためにも何とか潜り込みたい所だろうよ。そうさな、他にやってきそうな連中というと‥‥。目つきの鋭い偉丈夫がいたら気をつけることだな、この辺の酒場じゃちょっとした顔役の侍だ。侮りがたい男だぞ。
 ん? 俺か? 野暮用で少し邪魔する予定だ。なに、ちょっとした文を届けねばならんのでな。あっちで会ったらよろしく頼む。では、な。



*用語解説
 盆:賭場のこと。
 胴師:二つの賽を壷で振り、目を出して勝負する役。
 ガワ(側):賭場の客のこと。
 出方:賭場のレフェリーの役。関西では「合力」と呼ばれる。胴師の脇に控え、配当計算などを行って胴師を助ける。
 回銭:親の持ち金の全体のこと。賭場ではこれを幾つかの胴芯に分けて勝負が行われる。
 シキ:賭場のこと。座敷に由来する。
 胴芯:胴師が勝負に使う親の持ち金のこと。この賭場では、親が胴芯の倍勝つか、胴芯が解けると勝負が終わる。
 賽本引き:親の出した賽の目の合計を当てる博打。所謂、丁半博打とは違う。合計が6を越えた場合は6を引いた数が目となる。

●今回の参加者

 ea0063 静月 千歳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea2657 阿武隈 森(46歳・♂・僧兵・ジャイアント・ジャパン)
 ea3619 赤霧 連(28歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9237 幽 黒蓮(29歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb0812 氷神 将馬(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1119 林 潤花(30歳・♀・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb1160 白 九龍(34歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb1513 鷲落 大光(39歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1540 天山 万齢(43歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

安来 葉月(ea1672)/ 風斬 乱(ea7394)/ 大平 泰山(eb1644)/ 呂怒裏解守 世流万手主(eb1764)/ サクラ・スノゥフラゥズ(eb3490

●リプレイ本文

 官吏も去り、町は再び裏家業の連中の手へ戻ってきた。これまで小競り合いの続いていた鬼哭の町、これを機に血の嵐が吹き荒れるものと誰もが思っていた。しかしそんな不安とは裏腹に何事もなく日々は過ぎ、年の暮れを間近にした冬の鬼哭はのどかなものである。一の辻では的屋方の侍、鷲落大光(eb1513)が露天商を集めて何やら催しを始めている。
「秋の味覚といえばやっぱり茸、これをしっかり堪能して冬支度としゃれ込もうじゃねえか」
 去り行く季節の境目に『鬼器街茸祭り』。二の辻への入り口辺りに組んだ屋台では、大量に仕入れてきた茸を鷲落が売り品にしている。露天では茸汁も振舞われなかなかの賑わいだ。縄張りである一の辻界隈がこれで活性化すれば露天商からのアガリも安定し、地盤もいよいよ磐石だ。最終的には鬼哭の町興しも見据えた計画であるという。
 香ばしい匂いに釣られて、腹を空かせた飢狼のガキどもも通り向こうに姿を見せた。
「心の広い拙者からの提案だぜ。今なら張元に誠心誠意詫びを入れれば許してやってもいいぜ」
「あら。狼を餌で釣ろうなんて、間抜けな狩人もいたものよね」
 路地から顔を出したのは林潤花(eb1119)。視線が絡み合い、一呼吸ほどの間。林が踵を返すと飢狼もそれに従った。鷲落が肩を竦める。
「まあじっくり考えな。間違えても盗みに入ろうなんざ思わんことだな。まあ、尤も腹を空かしたガキ共にゃそんな余力はあるわけねえか!」
 それには答えず林は去っていく。
(「フフ。いい気になってられるのも今のうちよ。もうすぐ‥‥楽しみね」)
 さて、その頃三の辻ではミィナ・コヅツミ(ea9128)の診療所が今日も営業を始めている。
「お蔭様で滑り出しは順調です。お礼に銀蔵親分さんにはお祝いの品をお送りしないと☆」
 入り口には天下無双の四文字ののぼり。今朝方お手伝いと一緒に取り付けたものだ。天下無双診療所という何だかやけに勇ましい名前までついて順風満帆。今宵は欧州で仕入れてきた酒を手土産に花会へも遊びにいく予定だ。
「そういえば阿武隈さんにお渡しした御薬酒はちゃんと届いたとこでしょうか」
 同じ頃、鎮守の森。
「そうか、お前は来ねえか」
 阿武隈森(ea2657)はキミの元を訪れている。花会へ誘いに来たのだが、キミの傷はだいぶよくなったとはいえ余り無理をしては傷に障る。
「悪ぃな、オッサン」
 そう答えたキミの表情には、前に会ったときと比べてどこか晴れやかだ。ふと阿武隈がキミの顔をまじまじと眺めた。不思議そうにしているその瞳をじっと覗き込んでいたが、やがて。
「その様子だと心配はいらねえみてえだな。安心したぜ。手が要る時は駆けつけてやるから、自分でやれるところまではやってみろ」
 そう笑うと、持ってきていた酒を投げて寄越す。
「傷が塞がったらまた暴れようぜ」
「オッサン‥‥」
 阿武隈は踵を返す。振り返らずに手を振ると、そのまま森を後にした。
 鬼哭への道へは、今日はいつもより人気が多い。今夜はいよいよヤクザの花会。噂を聞きつけて近隣の町村からもちらほらと人が集りつつある。彼らが向かうのは三の辻のヤクザの屋敷。その中にはあの重一の姿もある。
 ふと老人は足を止める。振り返るとそこには白九龍(eb1160)。白がそっと跪く。
「大花会に出向かれると聞きお供をさせて頂きたく参りました。状況が状況だけに万一の事もあります、どうかお傍に‥‥」
「まったく。秀もおしゃべりがすぎるわい」
 苦笑まじりに重一。
「わしのことは心配いらんがの。ま、爺が一人で出歩いて何ぞ心配かけるのも宜しゅうないか。さて、白さんや」
 重一が微笑みかけると白は無言で頷く。二人は揃って屋敷へと向かった。

「お待ちしてやした、重一老。ささ、奥へどうぞ」
 下足番に迎え入れられて二人は屋敷へ足を踏み入れる。奥の座敷へ案内されると、賭場には客が集っている。奥多摩界隈の主だった侠客に博打打、更にはあの飢狼の黒狼の姿や、近頃鬼哭の酒場界隈を流しているという侍、氷神将馬(eb0812)も見える。そこへ的屋の張元も手下を伴ってやってきた。
「クチナワ銀蔵の晴れ舞台とあっちゃ、見逃すわけにもいくめぇしな」
 その脇につき従うは、巨漢の浪人・天山万齢(eb1540)。それを見た白が内心で舌打ちする。
(「チッ‥‥あの野郎、こんな場所にまで‥‥‥」)
 鬼哭で繋がりはないが、天山とは縁浅からぬ間柄。こういう場で顔をあわせるのは避けたい所だ。そんな白の内心などは知らず天山は張り付いたような愛想笑いを浮かべて、ずかずかと奥の席へ乗り込んできた。
「いやー、この鬼哭でもこういう賭場が立つとは嬉しいね。今日は息抜きに楽しませて貰いたいね」
 天山は下足番へ刀を預けて、ヤクザと事を構える意思のないことをそれとなく示してみせた。だがその一挙手一投足はそれでもなお抜き身の刀を手にしているかのような殺気を内に隠している。そこに隙はない。侠客達も彼の実力に感づいたのか油断ない視線を向けている。
 ふと、それに混じって下座から向けられた視線に気づき、天山が足を止めた。
「こんなとこで姐さんと会うとは、こいつぁ驚いたね。今日は一儲けしにきたのかい?」
「あら、天山君。奇遇ね。黒狼様、こちらは的屋の助っ人の天山君よ」
「アンタが例の。やり手だそうだな」
 林は黒狼の供についてきている。黒狼の隣に控えめに座りながら、林は品のよい笑顔を浮かべて返す。黙ってみていた張元がまじまじと林へ視線を落とす。
「こいつは久しぶりだな、姉ちゃん。最初に会った時ゃあ暗かったから気づかなかったけどよ、こうして見るとなかなか愛想のいい姐さんじゃねぇか」
「まあ。お上手ね。ご無沙汰してるわ。ところで、膝の具合はその後いかがかしら?」
 といった矢先に、ブン、と林の眼前を杖が掠める。
「失礼。長い牢屋暮らしはこの歳じゃあけっこう答えるもんでね。こいつなしじゃあロクに歩けやしねぇのさ」
 張元がニヤリと笑う。お互い言葉には出さないが、互いに煮え湯を飲まされた相手同士だ。銀蔵や他の侠客の手前とあって大人しくしてはいるが、ピリピリした空気が漂う。
「まーまー張元も姐さんも。お互いお手柔らかにナ」
「てぇことだ。今後とも宜しく頼むぜ」
 そう言い残すと二人は中ほどの席へと向かう。
「まったく。二人揃って喰えない連中よね、黒狼様」
「あ、ああ。‥そうだな」
 このような大物が集る場は初めてなのか、黒狼は緊張した様子だ。その横顔を目に林はクスリと笑みをこぼす。その彼の隣には阿武隈。ガキどもの群でしかない飢狼にとっては今回の資金は大金。費用は全て阿武隈が用立てている。
「黒狼」
「なんだ」
「軍資金だ。五百もありゃあ足りるだろ。全部使い切るまでは帰ってくるなよ?」
 惜しげもなく大金を投げて寄越すと、阿武隈は席を立った。怪訝な顔をした黒狼へ、阿武隈は親指で奥の席を指す。ちょうどミィナが持参の洋酒を客に振舞っている所だ。
「ま、そういう訳だ。俺はあっちでご相伴に預かってくるとするぜ。お前はお前で楽しみな」
 異国の酒はこんな田舎では珍しい。葡萄酒に発泡酒、ベルモットなどは集った侠客たちに振舞われている。普段目にすることのない鮮やかな色をした酒は評判もいいようだ。
「皆さんもどうぞ。お酒、欧州でいつもより多めに仕入れてきました♪」
 そうして四半刻程が過ぎ、やがて。
「皆様、本日はよくおいでいただきました」
 障子が開き、廊下に羽織袴の銀蔵の姿。
「私、本日貸元を務めさせて頂く、銀蔵一家を預かりますクチナワの銀蔵です」
「そして私が――」
 その横へ静月千歳(ea0063)がすっと進み出る。
「最初に胴を引かせていただきます、静月千歳と申します。私の様な小娘には、胴師は大役。銀蔵一家では客分の身ではございますが、精一杯努めさせて頂きますので、どうぞ宜しくお見知り置きの程を」
 淀みない所作で恭しく頭を下げると、出方に伴われて席へと着く。
 出方が声を張り上げる。
「では胴芯は百から。ようござんすね?」
 さっきまでざわついていた座敷は水を打ったように静かだ。その静寂を破って、千歳の声が厳かに告げる。
「―――入ります」
 右に壷、左に賽。そっと掲げたかと思うと刹那。
 コッ‥‥‥‥―――――タンッ。
 賽の鳴る小気味いい音。壷を置き、千歳がそっと顔を起こす。出方が声を張り上げた。 
「入りました! さ、張って下せぇ!」
 それを合図に銘々が張り札を選びにかかる。阿武隈も無造作に手元の数両を引っ掴んでいの一番に張ってみせた。
「最初は四にしとくぜ」
 置いた札は一枚、スイチ(一点張り)だ。
「端からスイチたぁ、威勢がいいな」
「どれ、それじゃあ俺も少しは見習って派手に賭けてみるとするかね」
「じゃあ俺はその兄さんに通らせて(乗らせて)貰おうか」
 それを皮切りに他の客も続々と張っていく。阿武隈の攻めっ気に当てられる形で出だしから大きな勝負となった。思わぬ展開に重一が楽しげに笑みをこぼす。
「おうおう。こりゃあ威勢がいいのう。わしもそこの若いのに通らせて貰うとするかの」
 天山も五十両の入った袋を脇に置き慎重に札を張る。
「俺は手堅く行きたいね。まずは見だ、箱張りで3両ほどいかせてもらうぜ」
 他の連中も出揃うと出方が士気って叫ぶ。
「ささ。手、切って‥‥‥‥勝負!」
 と同意に千歳が壷へ手を掛けた。誰しもが固唾を呑んで見守る。千歳は、にこりと微笑を浮かべると、――――スッ。壷を開いた。
「1・3の四」
「どんぴしゃ!! こいつは幸先がいいぜ!」
 いきなりの高配当で阿武隈が思わずガッツポーズを見せた。他は大張りで外した者も多く、悲喜こもごも。出だしから胴芯が二十両も増える波乱の幕開けとなった。ミィナは巧く当てられなかったのか苦笑い。隣の阿武隈へ羨ましそうな視線を送る。
「いきなり大当たりですね。御見それしましたよー」
「賽本引きならほぼ運のみの博打だからな。要は勢いと気合よ」
 景気よく酒を煽ると、阿武隈は上機嫌で配当金を懐へ納めた。
「江戸の大ヤクザなら半端ゃない強運をもった胴師を抱えてるとこもあるって噂に聞くが、今日はその心配もねえしな」
「へー。そうなんですか。私はこういう遊びは初めてなんで全然です★」
「しかし関東じゃ手本引きで渋く遊ぶもんだがな。賽本引きとは珍しい。ま、俺にはこっちの方がまだるっこしくなくていいけどな」
 そこへ。
「では」
 頃合を見て再び千歳の声。
「2本目‥‥入ります」
 賽の音が響き、勝負は続く。今度も阿武隈が真っ先に張って見せた。
「よし、二本目だからここは2だな」
「私もあやかって同じ目に一点張りしてみます」
 今度も貼り札は一枚、強気のスイチだ。それを見せ付けられた客衆から静かにざわつきが起こる。
「ん? どうかしたか?」
 向けられた視線に戸惑いながら口にすると、重一が。
「お前さん、知らんのかい。4の目の後の2の目は、シニ(死に)ちゅうての。度胸のないモンにはよう張れん」
「は! んな小せえ事に拘っても楽しくねえだろ。
「では、勝負!」
「―――開きます」
 目は、ピンゾロのニ。
 ざわめきはどよめきへと変わる。このシニの振りで胴芯は大きく増えた。博打は素人の千歳だが、ひとまずはビギナーズラックといった所か。不意に客の一人がこう呟いた。
「おいおい。しょっぱなからシニとは、随分だな。女の胴師に出だしにシニで荒稼ぎと来た。こう出来過ぎた話だと、間違って芝居小屋にでも入っちまったかと思っちまうね」
 挑発的なその言葉に、千歳がキッっと男を横睨みにする。その視線をさらりとかわしながら男が声を顰める。
「ひょっとしてよ、‥‥イカサマ。だったりしてな?」
「言い掛かりは、止して下さい」
 挑発には乗らず、千歳は静かに賽を置いた。背筋をピンと張ると、堂々と男へ向き直る。
「それともこの私が、銀蔵親分さんの顔に泥を塗るような真似をするとでも?」
「そちらのお客さん、姐さんは今日初めて胴を引いてるんで。どうぞ、お手柔らかにお願いします」
 出方が凄むと男は肩を竦めた。千歳がにこりと微笑む。
「銀蔵一家、どうぞ大事にして下さいね」
 その言葉が合図だったように、千歳の手なずけた三下達が男へ無言で凄んで見せた。これには流石の男も舌を引っ込める。盆は何事もなかったように三本目へと入っていった。この対応に自然と客の千歳を見る目も変わっていく。イロモノと見られがちな女胴師だが、今日の千歳には波が来ている。どの客も漸く勝負師の目に変わり、札を握る手にも力が篭る。
 林も千歳の手際を間近で見せ付けられ、思わず舌を巻いている。
(「あれが噂のヤクザの客分ね。噂通り、なかなかの切れ者のようね」)
 千歳は何事もなかったかのように賽を握っている。そこに纏うのはある種自分と同じような匂い。謀に老長けた策士の空気だ。林はその様を遠めに妖艶な笑みを洩らす。
 種銭は小額の手堅い外賭けでトントンだ。一方の黒狼は二回とも大外して序盤から大きく凹んだかたちになっている。三投目からは客も派手な張りは控え、一進一退の展開が続く。その地味な流れに紛れるように、下座に座った氷神は気配を殺して盆に溶け込んでいた。
(「さて、情報屋に少々突っ込んだ質問をしてしまったが、あの反応は何かあるな」)
 彼が花会に現れた理由は一つ。
 狩座屋で秀と話しをして、氷神はある思いを抱いてこの場へやってきていた。――鬼哭を裏で監視している力がある。その思いはもはや確信へと変わっている。
(「とすれば、それを動かせる人物がいる筈だが‥‥」)
 浮かんでくるのは、話に聞いた一人の男。
 方々で昔話は耳にしてきたが、的屋の先代が死んだという話はまだ聞いたことがない。生きているとしても相応の歳になっている筈だが、語り草となった大抗争の主役だというのにどこへ行ってもその後の話を聞かないのも妙だ。或いはこの街を去ったのか、それともまだ鬼哭に居るのか‥‥。
 その瞳が捉えるのは重一。
 氷神は座敷の下座に大人しくして紛れているが、目だけはじっと老人の挙動を窺っている。その視線には既に白も気づいていた。
 重一が遊んでいる間も白はすぐ真後ろの壁に持たれて盆に目を走らせている。
(「‥何者だ。さっきから‥油断ならんな‥」)
 氷神へ油断なく意識を向けながら、その瞳は目だけで鬼哭の主だった者達の様子をも探っている。貸元の銀蔵に、的屋の張元。飢狼を束ねる黒狼も。鬼哭の顔が三人とも揃う滅多にない機会だ。三勢力の頭と、その側近の顔をしっかりと目に焼き付けて置く。
 派手なでだしから一転して、一本目の胴は長期戦となった。そうして夜もとっぷりと更けた頃だろうか。ヤクザの子分が銀蔵へ何事かを耳打ちし、銀蔵親分は暫し席を外す。何事か訝りながら白がその背へ視線を向けた時だ。
「白さんや、お前さんもちったぁ遊んでみるとええ。楽しいぞ?」
「‥‥老大がそう仰るならば」
 銀蔵へ向けていた視線を止め、白も貼り札を掴んだ。控えめな小賭けで重一へ乗る。今夜の重一はツイ手居るらしく、派手さはないが地味に勝ちを積んでいるらしい。白もその流れに乗りながら小さな勝ちを重ねていく。
 こうして花会の夜は更けていった。

 屋敷の奥の一室。
 シキを抜け出た銀蔵を待っていたのは意外な客だった。
「赤霧連(ea3619)です。銀蔵親分さんとは初めましてですネ」
 それを見た途端、銀蔵は鋭い視線を子分へ投げかけた。こんな夜にこんな子どもが紛れ込むとは。なぜ入れた、と銀蔵の目が無言で問い詰める。
「へぇ。それが、客人の渡世人の連れだってんでつい‥‥」
 そんな様子はよく分かっていないのか、連は緩んだ笑みで座布団にちょこんと座っている。ふと庭先から月へ目を遣り、連は遠い記憶の日へ思いを馳せる。
(「あの晩のキミ君はこんな気持ちだったのでしょうか?‥‥それだったら嬉しいですネ」)
 その連の前へ銀蔵はどっかりと腰を下ろした。
「で、何の用でぇ。俺も大事な客人を待たせてる身だ、時間は割けねえぜ」
「私がここに居る理由ですか? 私がここに居たいだけ、たったそれだけなんですよ☆」
 連の赤い瞳が丸く笑う。その笑みは、芝居小屋の千両役者も敵わない。でもそれはとても無防備で、危うげで。銀蔵はやりにくそうに珍しく嘆息して見せた。
「ぅぁー」
 連の横にはミキがぎゅっと袖を握ってついてきている。連に抱きつくと、その口に指をひっかけて端を
「わわわ、だ、だめですよミキちゃん」
「ぁぁー。ぅー?」
 とてもすぐ傍に賭場があるとは思えない暢気な空気だ。銀蔵はどうにも調子を崩されるようで苦虫を噛んだような顔をしている。
 その時だ。
 廊下向こうの盆から低いどよめきが洩れ聞こえた。何か動きがあったらしい。
「すまねえな。今日は俺に取っちゃ大事な日だ。後日俺の方から席を設けるから、今日は引き取ってくれるか」
「ハ、ハイ。何だかお邪魔しちゃったみたいで申し訳なかったですネ。ではまた来ますネ☆」

「かぁーーーっ! 最後にやられちまったぜ」
 阿武隈が額を押さえて叫び声を上げた。千歳が賽をしまう。
「6ゾロの六。今ので胴芯は300を越えました。この胴、一本立ちましたね」
 この勝負で飢狼の黒狼が50両もの大張りを外した。この勝ちであわせて胴芯の倍額が親の元へ流れ、一本目の勝負は親の勝ちだ。なかなかの胴師ぶりに、思わず客からも拍手があがった。それを一身に浴びながら、千歳は手を突いて静かに頭を下げる。
 これまでの所、客は
見と勝負を繰り返して機を窺っていた天山も
「あーあ。やられちまったぜ。俺の俺の見せ場はなしか」
 他の客も似たり寄ったりだが、阿武隈だけは数両の額でスイチを続け、勢いに乗って大勝している。
「ま、男ならまだるっこしいのは抜きで一本勝負よ。張らなきゃ食えねえ提灯屋、勝つも負けるも時の運ってな」
「男らしいですねー。私も阿武隈さんみたいな大勝負をやってみたくなりましたよー」
「ま、お前さんはお前さんで自分の分を超えずに遊ぶことじゃな」
 阿武隈は重一と一緒にミィナへ博打の講釈を垂れながら、価値も込んだお陰で上機嫌だ。重一も相変わらず小さいながらも流れに乗っている。
「さて。ここらでわしゃ一息ついてくるかの」
 千歳の胴が終わって、次は銀蔵一家の抱えた胴師が二本目を受け持つらしい。ちょうどいい頃合と、重一は厠へと立つ。入れ違いに銀蔵一家の胴師が盆に立ち、二本目の勝負が始まった。それに紛れて白もそっと重一に続く。辺りに人気がないのを窺うと、重一が厠を出るのを待って話しかけた。
「重一老。お時間は取らせません。折り入ってお耳に入れたいことが御座います」
 そういって切り出したのは、先日棲家で見つけた例の大金のことだ。
「最初は例の斬られた盗人が持ち込んだものと疑いましたが、それにしては額が大きすぎます。それも途方もない額です。あれほどの額では、私の一存では如何とも決めがたく」
 重一の目を見ると、次の言葉を窺うようにじっと白の瞳へ注がれている。
「私としては重一老に託し、あの娘と隣村の為に使って頂ければと考えております。私には、あの金は決して世に曝してはならぬ物の様な気がしてなりません!どうか重一老の手で‥‥」
「白さんや。ようこの重一に話してくれたのう」
 彼の両肩に手を当てると、老人はじっとその瞳を覗き込んだ。
「大丈夫じゃ。その金のことは心配しなさんな。それより。よいか、誰にもこのことは話してはならんぞ? 時がくれば、いずれわしがきちんと使い途を考えるからの」
 その瞳は、白の心の奥底を見透かすように深く入り込んでくる。それに呑まれる様に、思わず白は頷いていた。
「――さて。戻るとするかの、白さんや」
 盆では二人目の胴師との勝負が大きな波を迎えていた。今度は博徒お抱えの胴師とあって危うげのない勝ち方を見せている。千歳に大負けした黒狼を的に賭けて、僅か数本で百両近くを持っていくという流れだ。
「重一老、待ってましたよ。一勝負お願いしますよー」
 ミィナも小賭けでちょこちょこと張りながら少しずつコツを掴んでいるようだ。重一を隣に呼ぶと、博打をしながら世間話にも花が咲く。
「噂によるとハーフエルフの気のふれた娘さんを養っておられるとか‥‥?」
「ミキのことかの?」
「もしそうなら、同族として、いえ、一介の医師として心の病を治して差し上げたいのです」
「こらまた。この町もいつからか物好きが増えたもんじゃな」
「あたしは自己満足第一の悪党ですから☆ 時折自分勝手に不要なお節介をしたくなるのですよ」
「アレはなかなか気難しい娘ごじゃからなあ。気に入らんモンには近寄らん。試すならウチにおるから好きにするがええ」
 重一は手堅い箱張りに時折スイチでの勝負を織り交ぜながら地味に勝ちを積んで安定している。勝負の熱は少し冷め、酒を楽しみながらミィナとの話に興じている。
「何かその方がそうなった原因に心当たりはございますか? 心の病は酷い体験が元になっているものですし‥‥、例えば、狂化して大切なヒトを害した自責の念に耐えかねて…とか」
 苦笑しながら重一へ顔を向けると、老人はミィナの顔をまじまじと見詰め返した。ミィナが首を傾げると。
「わしゃ、知らん」
 そういって重一が視線を逸らす。その時に、ふと。その視線が視界の端に氷神の姿を映した。さりげない動作だがその目は確かに氷神を捉えていた。その挙動に気づいて氷神がギクリと身を震わせる。
(「なかなか勘のいい爺さんだな。鬼哭のもう一人の顔役と聞いていたが、
 張り札へ手を伸ばす。ふと重一を横目に窺うと、その視線はじっと氷神の手元へ向けられていた。顔を上げた氷神へ重一が微笑みかける。そうすると老人は自分の張り札をそっと手元へしまう。重一の札は四。氷神は五。偶然ではなく、この花会が始まってからずっと氷神は重一より一つ多い目ばかりを張っている。
(「‥‥もうとっくに感づいて逆にこっちの出方をみていたとはな。勘がいいだけじゃなく油断もならんか」)
 そうする内に二本目の胴も立ち、いよいよ花会は最後の勝負を迎える。

 同じ頃。屋敷の外では。
「大花会ねぇ、さてさて、嵐の前の静けさ‥‥ならぬ、嵐の前の大花火大会、って所?」
 幽黒蓮(ea9237)は賭場には出ずに、今日も飢狼の様子を窺っている。
「有力者が一同に介するこの行事、何も起こらぬはずは無し、と‥‥誰がどんな『札』を切ってくるのかしら? 黒幕さんは今回大花会に行くみたいだけど‥‥逆に言えば、うちとかも頭がいないのよね。ある意味、飢狼にとっても最大のチャンス、って事だし」
 この機は今や下り坂の飢狼にとっては好機。動くとするなら今だ。そう確信した黒蓮の読み通り、飢狼は夜半に動きを見せた。連中の何人かが一の辻に現れたのだ。向かったのはその一角にある蔵。
「おい、確かにここなんだろうな」
「間違いねえ。噂じゃこん中に昼間の茸を隠してるって話だぜ」
「腹が減ってしょうがねえよ、とっとと頂いちまおうぜ」
 どうやら腹を空かせた一部の者が独断で動いているようだ。物陰から窺いながら黒蓮はやれやれと大きく肩を竦めて踵を返した。
(「狼が聞いて呆れるなー、これじゃ。こんなしょぼいの相手にしてもなー。一応、溜まり場の方も見に行ってくるか」)
 そうして黒蓮が去ると、ガキどもは物音を殺して蔵へ入り込んだ。
「あったぜ、食いもんだ!」
「あー、もう待てねー。ここで食っちまおうぜ」
「誰か火打ち石持ってねーか?」
「あ、俺」
「うおー、この匂い、たまんねー」
 茸と鍋道具一式、一緒に置いてあった藁を裏通りへ引きずり出すと、連中はその場で火を通して貪り出した。それをずっと遠くで見守る男がいる。鷲落だ。
「ツキヨタケ、クサウラベニタケ、カキシメジ。‥‥食用茸と間違えやすいが毒キノコの名前だが、知ってるか?」
「‥‥う‥腹が‥」
「‥痛ェ‥‥チクショ、謀りやがったな」
「やれやれ、人の忠告は聞くもんだぜ‥‥てめえらが食ったのは毒茸だ。助かりたきゃ今後、的屋に逆らわねえって誓いな! 約束した奴から助けてやるぜ」
「クソ‥俺らは狼だぜ。言いなりになってたまるかよ!」
 ガキどもは喉奥に手を突っ込んで無理に吐こうと試みる。苦しげなうめき声と共にビタビタと音を立てて異の中身を巻き散らした。苦しげに胃液を垂れ、荒い息を切らしながら雲の子を散らすように去っていく。後には鷲落の哄笑だけが残った。
「はっはっはっ!」
 と、そこへ今度は入れ違いに黒蓮が走って戻ってきた。
「ねーねー! 見てよこれー」
 通りへ投げ出したのは日本刀が一振りと、袋に詰めた保存食。
「なんか全然動きがなくてさー、ムカついて二、三人締め上げて吐かせようとしたらホントに何も企んでないのよこれが。仕方ないからとりあえず殴り倒して身包み剥いでやったんだけど、あいつらこんなの持ってるよ」
 ケラケラと笑いながら黒蓮は涙を拭った。鷲落が呆れてため息を洩らす。
「まったく。見境のない奴だな。飢狼も気の毒に」
「だってアタシは狂犬だしー? でも笑っちゃうなー。だってさ‥‥‥‥アイツら、あんだけイキがってんのに仲良く弁当食べてんだよ??」
 顔を見合す鷲落と黒蓮。やがて一の辻に二人の笑声が響き渡った。

 再び盆。
 三本目の勝負も順当に親が勝ち、銀蔵一家の健在ぶりを示すには最高の巻く引きとなった。客も勝ったり負けたりと結果はそれぞれ。天山も最後に一勝負を決めてしっかり勝ちを取っている。
「こんなもんか。ま、小さくても勝ちは勝ちだけどナ」
 一方で阿武隈はというと。序盤ではかなり勢いに乗っていたが、二本、三本と二人の胴師にへこまされ気づけば百両近くの負け。ほとんどオケラになっていた。
「男は博打で身包み剥がされてはじめて一人前ってもんよ」
「阿武隈さーん。何で半泣きなんですかー?」
 黒狼も渡した五百を全部摺り、阿武隈の持ち込んだ軍資金は六百程が解けた計算だ。ミィナはというと4両浮いたが寺銭を引けば負け。だが診療所の宣伝にもなったのでよしとしよう。千歳も今回の堂々とした様で奥多摩の侠客に名を売る結果となった。
「さて、白さんや。帰るとするかの」
 と、そこへ声を掛ける男がいる。氷神だ。軽く挨拶を交わすと氷神は用意していた台詞を切り出した。
「ときに、ご隠居ぐらいの歳なら的屋の先代ってはどんな御仁だったか良くご存知で? いや、何。この鬼哭の昔話に少々興味があるのでな」
 重一はさして驚いた顔は見せない。好々爺の笑みで余裕たっぷりにこう口にする。
「アンタのことは耳にしとる。じゃが今日はもう遅いしの。お前さん、重松は知っとろう?」
「ええ。お噂はかねがね」
「わしゃいつでもおるからの、今度訪ねて来るとええ」
 さて、一方で的屋にも動きがある。
「おう。銀蔵、アンタとこうして顔をあわせんのも久し振りだな」
「そうだな、的屋とは暫く
「でよ、うちの先生が提案があるってんだけどよ」
 張元に促されて天山が割って入った。
「まー、折り入ってっていうことでもねーけどナ」
 平和な鬼哭こそがヤクザにも的屋にも互いの利。これまでのようだとヤクザはテラ銭が、的屋は売り上げが入らない。
「三竦みとか噂されてるがよ、今まで一度でも的屋とヤクザが事を構えた事があったかい? 面子を守るのも大事だが、他人に踊らされたままってェのは、なァ」
 天山が満面の笑みを投げかける。その様子を侠客連中がじっと窺っている。ここで銀蔵に選択肢は一つしかなかった。銀蔵が頷くと、張元がニヤリと笑みを覗かせる。成り行きを見守っていた客からも拍手があがり、ここにヤクザと的屋は一年近くに及んだ冷戦状態から遂に和解を見た。
「いやー、今日はホントに目出度い夜になったもんだね。ま、これからも一つ。鬼哭の繁栄のためにお互い旨い汁をすすってきたいもんだね」


 数日後。
「この間は悪かったな」
 日を改めて連は銀蔵の屋敷へ招かれた。
「で、話ってのは?」
「それは、初めの出会いのお話です」
 滔々と語ったのは、キミとの出会い。ミキとの思い出。思い返すと切なくて、恥ずかしくて、あったかい思い出。照れ交じりに連はそれを語ってきた聞かせた。
「あの晩の帰りに秀さんって人から手紙があって、キミ君も無事だそうです。今は隣村で養生してるそうですけれど、キミ君も元気にやってます」
 その拍子にミキが連に抱きついた。連も一緒になって抱き返すと、ミキの頭をよしよしと撫でてやる。ミキが気持ちのよさそうな声を洩らして、連の胸に頬を擦り付けた。連は顔を起こすと、ミキを抱きしめながら銀蔵へこう投げかけた。
「どうですか? 銀蔵さん、私の自慢のお友達なんですよ♪」
(「‥‥だからね、心配しなくても大丈夫です」)
 不意に連の瞳が揺れた。銀蔵が思わず息を呑む。銀蔵の前で、連は自信満々に胸を張っている。何も根拠などありはしないのに、連の瞳はずっと真っ直ぐだ。
「鬼哭の街の子供たちは迷いながらも真っ直ぐに育ってますよ?」
 こうして鬼哭には平和の時が訪れた。
 そして日は落ち、やがてまた夜が来る。その静かな時の中に、綻びのように街の片隅に灯りが浮かぶ。それは小さな炎。一の辻の露天にあがった火種は冬の乾燥した空気の中で瞬く間に燃え上がった。炎は風に煽られて隣の店へ引火し、あっという間にそれを包み込む。それを遠めに、炎に照らされて一人立つのは林。
(「天山君と鷲落君なら、この意味が分かるかしら」)
 風は折りしも北西からの強風。火の出たのは牛の中刻だ。舞い上がった火の粉は辺り一面に飛び火した。これから街を燃やし尽くすであろう抗争の始まりを暗示するように、炎は街を焼き尽くそうとその舌を伸ばす。


 ――遂に、火種は弾けた。