●リプレイ本文
穢土を焼き払い焦土に帰す江戸の大火。江戸の街が経験するこの未曾有の大火事――後に史上最大の大火と呼ばれることとなるこの事件の伏線はもう随分と前から密かに進行していた。彼らもまた、そんな大きな歯車の一つであった。
江戸の冒険者長屋を歩く二人の華国人がいる。最初の火元から出火が確認される僅か十数時間前のことである。町内をつぶさに見て回るのは白九龍(eb1160)と林潤花(eb1119)。長屋の配置や防火・消火設備の位置。それらを細かく確認して歩く彼らを不審に思う者はまだいない。辺りは流れ者の冒険者達の長屋街。借家を探して歩く姿も別段珍しくない。
やがて彼らは町の端の用水へとやってくる。橋の袂で画材を広げて筆を走らせていたのは天山万齢(eb1540)。今日は抜けるような晴天。画家でもある彼は次の作品のモチーフを探して町中を写生してきた所だ。
「どう、天山くん? 仕事は捗ってるかしら」
「いやー、大変な仕事請けちまったな。ま、貰えるもん貰えりゃ、ナンだってやるけどね」
そういうと天山はラフスケッチを手渡した。覗き込んだ二人が満足げに頷いてみせる。記された画題には『水路のある風景』。
クルディア・アジ・ダカーハ(eb2001)の棲家は秋葉町にある。ギルドの鬼退治依頼の出発を間近に控え、装備品のチェックに余念が無い。やがて全ての準備を終えると彼は驢馬を連れて町を後にした。
横山町の問屋街では藁を背負って歩く鷲落大光(eb1513)の姿が見られる。
「さあて、今回はひっそりとやるか」
収穫を終えた百姓から集めたそれは草鞋職人に売りつける。売れ残った分は馬に引かせ、彼は町へと消える。
そして人形町。
日が傾き始め、長屋の彼岸ころり(ea5388)の塒に西日が差した。やがてそれが彼岸の顔を照らすと、眩しさから彼岸はまどろみより覚める。大きく伸びをして嘆め息一つ。その手が枕元に伸びる。そこには四つ折に畳まれた一枚の水路図。それを手に取ると彼岸は塒を抜け出した。
月は巡り、夜半。風は北西の強風になろうとしている。
はァと吐いた息が白い。林は両手に息を吹きかけ、妖艶な笑みを見せる。
「冷えるわね。この寒い江戸の夜を盛大な焚き火で暖めてあげる。黒煙と真っ赤な炎で夜空を私色に染めあげる最高の芸術ね」
「へへっ‥‥芸術たぁ姐さんも巧いこと言う」
「盗み、襲撃、暗殺‥‥今まで色々とやってきたが、まさか江戸の街に火を放つ羽目になろうとはな‥‥」
八つ半の鐘。白が草履履きで地を踏みしめる。
「そろそろ時間だな。江戸の空を大火で真昼の太陽の如く照らしに行くか!」
小伝馬町、牛の中刻。
「江戸が火に包まれる――。何処かで聞いた気がするが‥‥まさか自分がその側に回るとはな」
夜陰に紛れてウェス・コラド(ea2331)はそこを訪れていた。
(「近頃江戸では様々なモノが動き始めている。誰かがその舞台に上りたいのなら、手伝ってもやろう」)
その横には鳴神破邪斗(eb0641)の姿。
「‥‥江戸に火を放つ‥か。実に面白い趣向を凝らしてくれるものだな、我等が依頼主は。引っ掛かる所はあるが‥ここは素直に愉しませてもらおうじゃないか」
「うーん、焼殺はボクの趣味じゃないんだけどな。え?人より家を焼けって? ごもっとも♪きゃはははは♪」
彼岸の場違いな笑声が辺りに響く。クルディアも姿を見せると聰暁竜(eb2413)が切り出した。
「――――――では、始めるか」
小伝馬の周囲を囲む大伝馬、小舟、堀留には空家が多く、冒険者の少なさから一帯の消火活動は弱い筈だ。何よりここには伝馬町牢屋敷がある。夜間の移動ルートから放火ポイントまで鳴神が入念な下調べを終えている。後は手筈通り運ぶだけ。時期に南の空き家へ仕込んだ発火装置が最初の火種を作る頃だ。一行は空き家の固まる北部へと走る。
彼岸が空き家へ火をつけ、そこから更に周囲の空き家へ順番に松明を投げ入れていく。聰も持ってきていた油や火種を全て投げ入れた。強風に煽られて炎は瞬く間に長屋を包んだ。
炎に照らされてウェスが腕組みする。
「炎は勢いよく燃え上がる方が、眺める側は楽しいものだ‥‥」
火の粉は高く舞い上がり、時期に一帯が火の海に変わるだろう。大伝馬でも林ら三人が放火している所だ。
下見しておいた北部の空き家へ油を撒いて着火する。部屋を出ると白が戸板に楔を打って細工を施す。放火を終えると二人は南部へ放火し終えた天山と合流した。
「姐さん達は巧く行ったか?」
戻ってきた天山は返り血を浴びていた。白が頷く。林が口を開いた。
「さてと、火事といえば流言飛語よね」
「お、いいね。姐さん」
「油断はするなよ、潤花‥‥俺は町の東方面を当たってくる」
程なくして伝馬町は強い火勢に包まれた。半鐘が鳴り響き、街は俄かに慌しくなる。ここまでが第一の勝負。炎が広がるこれからが第二の勝負だ。
「きゃはは♪」
人形町は多くの冒険者が早くから火消しの元へ集っていた。それを尻目に彼岸は自宅へ駆け込む。何の躊躇もなく自室へ松明を放りつつ、黒装束に着替えるとそのまま横山町へ駆ける。同じく白も黒装束で夜を駆ける。向かったのは小船町。
(「‥‥思ったより警戒が強いか」)
目星をつけた北部へ回るが冒険者の姿が多い。
「お前、そこで何を‥‥‥おい、止まれ!」
「こっちだ! 火を持った奴がいるぞ!」
舌打ちし、白は路地裏へ消える。そのまま北上し堀留、馬喰、浜、久松と東部を縫うように駆け抜けて火種を巻く。目撃者は容赦なく喉を突いて仕留めて空き家へ放り込み、下調べした逃走経路から裏路地を抜けて手早く下町を後にする。彼岸も横山で火付けを終え、浜町へ移動した。空き家へ次々に松明を投げ入れ、夜陰に乗じて街を駆け抜ける。下町東部では各所で断続的に火の手があがった。
西部へは既に聰が向かっている。火消しの連絡拠点になってる本町南の竹之屋本店には冒険者が多く集っている。住人の見回りも活発だ。本町は諦め、本石へ抜ける。振り返れば南東方面の火勢が強い。竹之屋周辺の火消しも東部へ多く向かっている様だ。
「予想以上に冒険者の動きが早いな。‥‥流石、と言ったところか」
空き家へ火をくべると本石南部へ燃え広がっていく。西部は火の手があがっていなかったが、これで周辺の室、秋葉、本町に対する陽動となる。下町は一行の目論見通りに火の手に巻かれ様とし、冒険者達がそれを必死で阻む。ここで漸く動く男がいる。鷲落だ。
現れたのは本町南。その東側の用水路。
ここで一度長屋街の見取り図をご覧になって頂きたい。ちょうど本町の東には下町を南北に貫流する形で用水路が走っているのが分かる。この東西部を繋ぐのは本町南東部に架かる二つの橋のみ。そこは正しく長屋街の急所。月道貿易で急速に栄えた江戸の街が内に抱えた歪みそのもの――。
天山の水路図に目を落とし、鷲落が唇を歪ませる。彼は橋桁の裏から木箱を運び出した。中にはたっぷり油を染み込ませた藁が詰まっている。
「これからこの橋は通行止めだぜ」
二つの橋は僅かな時間差を置いて瞬く間に燃え落ちた。火消しにとっては間が悪いことに、本石の出火の報が東部へ届けれらた直後のことだ。東部の火消しは西部の火勢を確認する術を絶たれたまま西へ増援を向けるが、川を渡れずに立ち往生となる。
下町西部、本町。
「戸っ締まり用心 火の用心っ♪」
本通りでは町内会が巡回し、本石から飛び火した火の初期消火に力を入れている。そんな中、黒城鴉丸(ea3813)は自宅で時を待っていた。
「放火に躊躇などありませんが、依頼主に言われるままで疑問は無いのでしょうか皆さん」
林から貰った油は部屋の隅に投げ置いたままだ。本町を担当すると仲間には言って置いたが、どうせ遣り遂げたか否かは皆には分からぬならば危ない橋を渡る迄も無い。
頃合を見ると鴉丸は消火の輪へと加わった。後で何か言われても偽装工作の一言で言い逃れられる。身に降りかかる疑いも晴らせて一石二鳥の策だ。
(「後は作戦が成功すれば良し、失敗してもそれはそれで良し。どちらに転んでも安全、皆さんせいぜい頑張ることです、クックックッ」)
「しかし、江戸が燃えて得する人間は‥‥」
同時刻、伝馬町。
仕事を終えたウェスは現場を離れる所だ。
「冒険者の力を弱めるのが狙いか、この混乱に乗じて直接行動を起こすのか‥‥。だが、これくらいでどうにかなる者達かな‥‥私も今後何に付くか分からないしな‥‥フフ」
仲間が去った後も彼は念力によって火種を空き家へぶつけ、延焼を起こさせていた。ウェスの能力ならば遠距離からも操作は可能。野次馬に紛れて散々消火活動を防止したお陰で、長屋を消し止めるのに連中も大分手間取ったようだ。事を終えて彼は人知れず伝馬を去る。
「何が起きようが、私は楽しむさ」
各所での火付けは全て完了した。馬喰町では黒子頭巾を被ったクルディアが町を去る所だ。逃げ出して暴れる馬で町は混乱している。置き土産に手近な厩舎へ火をつけよう裏路地へ入った時だ。
背後から投げかけられた声。振り返ると男が立っている。
「貴様‥‥」
男――陸堂明士郎の目がクルディアの持つ油に向けられ、陸堂は大槌を構えた。
「しゃーねえな」
クルディアが刀を抜く。左に十手を構えて迎撃の態。
「何者だ!」
答えを待たず陸堂は槌を振るった。首根を狙って一撃で意識を絶つ。だがそれをクルディアは待っていた。電光の迎撃。鈍撃を十手で弾くと男の脇を駆け抜ける。振り返るのと同時に、男は糸が切れた様に転がった。やがて地べたに赤い染みがじわと広がる。クルディアが刀を鞘に収めた時だ。
「‥‥アンタ‥そこで何を‥‥!‥」
不意にかかった声に振り返ると二人の冒険者。キルスティン・グランフォードとカイ・ローンだ。両手に小柄を持ったカイが荷物の槍へ手を伸ばす。
「どうせ何も考えていない下っ端だろ。口を開くなそのまま叩きのめされろ」
その隙はクルディアに取っては決定的だ。十分に重みを乗せた斬撃が無防備なカイを薙ぎ倒す。カイは辛うじて左の小柄で反撃を試みたが逆に重い二の太刀を受けて袈裟懸けに切り捨てられた。事態を把握したキルスティンが即座に迎撃の構えを取る。対するクルディアもカウンター狙い。動かぬ両者。暫しの膠着。それを破ったのはクルディア。
「‥‥暴れられねえんで鬱憤溜まってた所だぜ。はっはー!大サービスだ!」
クルディアが地を蹴った。大振りの剛剣。それが女の脇を捉える。否、捉えた筈だった。
「こういうのはね、先に動いたモンの負けなんだよ!」
剣は急所を逸れて筋肉に阻まれている。クルディアが気づいた時には遅かった。刹那、六尺棒が彼の頭蓋を砕く。
「それじゃ、大人しく縛につい――」
その言葉半ばでキルスティンの意識は絶たれた。最後に視界に移ったのは、眼前に振り下ろされる日本刀。まだ一呼吸の余力を残していたクルディアの渾身の上段。重みを乗せたそれはキルスティンの肩口を深く切り裂いた。
「‥命拾いしたなアンタ、いつもの得物だったら初太刀で殺してたとこ‥だ‥ぜ‥‥」
言い終えぬ内にクルディアも折り重なって倒れ込む。遠くに人の声。だが意識はそこで途切れた。
「な、何があった!!?」
「4人とも酷い重傷だ! 急いで竹之屋へ運べ!」
「こっちの若い方とデカいのは傷が酷い、あそこじゃムリだ!」
「小船の診療所に凄腕の医師がいる、そっちに運ぶんだ!」
再び本石。
「これだけ広がれば、そう簡単に消せはしないだろう。‥‥頃合だな」
火の回りを見届けると聰は西から町を逃れた。中央部でも天山と林が手分けして流言で混乱を煽っている。油臭くなった服は川へ捨てて、天山は町を立ち去る。町娘に成りすましていた林も変化を解いた。二人の流した西に妖狐出現との報に踊らされた冒険者は本町の橋手前で足止めを喰らっている。
「せいぜい右往左往してなさい」
それを一瞥すると林も人込に消えた。東でも鳴神が町を去る所だ。最後に一度振り返ると、江戸の空は一面真っ赤に染まっている。大輪に咲く江戸の華だ。
「‥‥さて、ここまで派手な事をやったのなら‥皆、今後は生半可な仕事では納得しないぞ。‥‥もし、俺達をまだ使うつもりなら‥‥如何出る?」