●リプレイ本文
低い地鳴りが辺りを震わしている。今宵の夜は鈍色の雲に覆われて分厚い。湿気を吸った空気は腫れた様に重たく沈む。金物の擦れ合う音、嘶き、ざわめき。地鳴りのような響きは幾千の人馬の歩み。暗い夜の中を無数の影が蠢いている。
「‥‥はっ‥‥‥‥!‥」
馬の背に揺られながら、男の意識は不意に覚めた。いつからまどろんでいたのか。馬上で手綱を握りながら、男は小さくかぶりを振った。
「‥ここは‥‥」
「如何されました、日高殿?」
月光のように澄んだ声。脇を振り返ると、そこには巫女装束の少女が、騎馬武者の背に乗せられてこの人馬の列に続いている。
「将門軍の将である日高雄之真殿ともあろうお方でも、この強行軍はお辛いご様子ですね」
彼女は平将門が後の新皇となる男であることを見抜いた巫女。数多の事象から真実を見抜く不思議な瞳を持つ少女。名をミズクという。
「‥ミズク殿‥‥‥我らは一体‥」
「何を仰います。新皇様はこれより弟君であらせる将頼様を頼られ、上州を目指す途上ではありませんか」
ミズクの隣にはやはり騎馬武者に伴われて側女の姿がある。異国人の娘であるルリア・プリエスタが微笑みかけた。
「先の戦で遂高殿を失い、その心労たるやいかばかりか。さぞやお疲れなのでしょう」
時は神聖暦864年冬。将門軍は多摩川の対陣を経て、討伐軍を振り切って北上のさなかにあった。大軍の追っ手を背に感じながらの、夜を徹しての強行軍。今宵もまたぎりぎりまで夜の帳に紛れて上野入りを図る。
ふと日高は前方を遠く眺め渡す。分厚い夜の奥へと呑み込まれていくように、長蛇となった人馬の群はどこまでも続いている。気がつけば誰も言葉を口にする者はなく、黙々たる行軍はまるで一足ごとが恨みを刻むかのごとくだ。日高にはそれが当て所のない亡者の行軍のように思えて、彼は思わず身震いした。
「いいえ、そうではございませんよ日高殿?」
振り返るとミズクが微笑んでいる。吊り目がちな双眸は微笑むと糸目になり、どこか愛嬌を与えている。
不意に雲が過ぎり、月が顔を覗かせた。冷たい月光が闇夜に降り注ぐ。キンキンと冷えた音を伴うような青白い光は、ミズクの細い体を浮かび上がらせた。白雪の肌は後光が差したかのように淡く金色に輝いて見えた。
「心配には及びません。新皇様を脅かす武を有した将などこの日ノ本にただの一人もおりません。この戦は反って新皇様のお力を誰もに目の当たりとさせる結果となりましょう。何も、心配などいりはしないのです――」
神聖暦一千年、江戸。
「何だかまた酷く嫌な夢を見た気がする」
明け方近くに飛鳥祐之心(ea4492)はひとり目を覚ました。何だか酷く疲れる夢を見たようだ。それもここ暫く、ずっとこの寝覚めの悪い思いが続いている。
嫌な気分を振り払うように彼は寝床から飛び起きた。手早く身支度を済ませ、家を飛び出る。その手には一通の書簡。それは依頼人の一族へ宛てたものだ。怪死の真相は未だ明らかではないが、掴んだ手掛かりを元に仲間達は東国一帯へと飛んでいる。その旨を依頼人へ一筆したためた書状だ。
「さて、俺もうかうかしてられないか」
文を飛脚へ預けると飛鳥は冒険者ギルドへと馬を走らせた。同じ頃、ギルドにはすでに加藤武政(ea0914)の姿がある。
「いやー、自分が依頼人になってみると意外に緊張するもんなんだな」
加藤の依頼によりギルドには『探索、将門の遺産を探そう!』と書かれた告知書が張り出された。予算4両から手数料など諸費用を引けば、この額の報酬で雇えるのは駆け出しが精一杯。とはいえ、今は猫の手も借りたい気持ちだ。
「それから番頭、これも頼むな」
手渡したのは道志郎へ宛てた手紙。那須動乱や神剣争奪でたびたび噂となった道志郎が今度は上州で動いているらしい。そんな話を加藤もまた耳にしていた。
「あの気に入らない冒険者の代表気取りの道志郎に頼み事するのは癪だけど、これも割り切ってかなきゃなっつーことでさ」
加藤は今でこそ浪人の身だが出自は伊豆の侍。神剣争奪戦でも西国派につき、庶民連帯には煮え湯を飲まされた。とはいえ道志郎とその仲間が動けば、個人的感情はさておき心強いのも確か。考えあぐねた結果、上野の首塚の一件とその所見を纏めたを送ることを加藤は決めた。
「承知した。道志郎殿は冒険者の身ではないが、ギルドへは上州関連の依頼人として時折訪れている。次に彼が訪ねて来たら確とお届け致そう。それで、例の件は巧く進んでいるのか? 報告書に目を通してみたが、芳しくないようだが」
「三歩進んで二歩下がるってとこかね。首足胴体、残るは足だな。左右別々にあると、こちらも助かるんだけど」
肩を竦めて苦笑で返す。ギルドを辞すると、加藤は馬上の人となる。目指すは大手町の首塚。それが終われば今度はとある計画のために再び江戸一帯を駆け、師走に入れば次は上州へ。
「走れ、愛馬よ! 俺のこの燃え上がる情熱を満たすために!!」
上野と武蔵とを駆け巡る加藤武政の東奔西走がここから始まる。
上州新田群。
新たに見つかった首塚の調査のために嵐真也(ea0561)ら三人の仲間がこの地を訪れていた。騒乱の渦中にある上野は、特に新田領で厳戒な態勢が敷かれている。怪しげな冒険者の類は悉く関で厳しい詰問に晒された。その度に僧でもある嵐が当たり障りない範囲で事情を話して関を抜ける。
三人はもうじき例の首塚という所まで新田領に潜り込み、いま野営の最中だ。眠る風斬乱(ea7394)はふと視線を感じて夢より覚めた。気がつくと聰暁竜(eb2413)がじっと視線を落としている。体を起こして風斬は乱れた髪を掻き上げた。
「起きていたのか?」
「不寝番も必要だろう。―――うなされていたようだが、夢にまで将門を見たのではあるまいな」
「覚えがないな。俺は何か寝言でもいっていたか?」
「確か、『気を落とさぬことだ、日高』と、そう口にしていた。何か心当たりは」
風斬が首を横に振り、ふと沈思する。
やがて記憶を手繰りながらぽつりと口にした。
「将門の霊、俺を見て闇鴉と呼んだ‥‥どうやらそいつと俺は似ているらしい。面白いじゃないか‥奴と俺とに繋がりができたということだ」
そうしてニヤリと笑った風斬に、聰はどこか通じ合うものを見てふと目を細めた。それは武を頼って生きる者特有のある種の空気。問うような聰の視線に、風斬は臆面も無くこう答えた。
「勝ちたいね」
武の頂を追い極める一人の兵として、将門と刀を交える。ともすれば無謀な夢にも思えるが、風斬の覚悟は揺るがない。
「任しておけ」
(「あいつの住む街だ。居心地が悪くなるのも酷だろう。それに‥‥」)
不意に風斬の脳裏を気安い少女の顔が過ぎる。風斬が剣を手に取った。
「あいつがいる街で下らぬ理由で人を殺めさせはせんさ。将門の霊が俺を誰と間違えているかは俺には対して重要な事ではないよ。この糸を手繰って、奴を引き寄せるまでだ」
その二人の話し声に目が覚めたのか嵐もむくりと寝袋から起き上がった。
「闇は深まるばかり‥‥急ぐべきか、止まるべきか‥‥さて」
「諦めるな。こういうものは何かのきっかけで、一気に解決できる場合がある」
聰が窘めるが、嵐も既にその気持ちだ。
「うむ。もとよりその覚悟だ。仮にも義侠二文字を背に負ったからには不退転、常に全力、前に進むしかあるまい」
やがて日はのぼり、また夜がくる。翌日の夕刻に三人は第三の首塚へと馬を走らせた。新田の兵に見咎められては厄介だ。人目につく昼間は避け、夜陰に紛れて一夜の内に調査を済ませる必要がある。
「―――着いたぞ。ここだ」
聰が提灯に灯りをともし、封を破って祠内へ踏み入る。黴臭い空気が鼻腔をくすぐり、闖入者らを迎え入れる。嵐が中を隈なく探ると、やはりこれが将門の塚だというのは確かなようだ。装飾などの形式が、仲間から伝え聞いた大手町の塚によく似ている。大手町のものと比べて何十年も人の手が入っておらず、この塚の内部を見ればよりはっきりと時代の程が窺える。
「墓を暴くなど僧侶のやることではないが、この際だ。仏罰も恐れず、全て暴き立ててでも手掛かりがほしい所だな」
その時だ。聰が無言で仲間達へ視線を走らせた。
爪先で床を踏み鳴らすと、ある部分に差し掛かると反響音に変化が見られる。
「第一の首塚同様、祠の下に空洞があるようだな」
顔を見合わせた三人は互いに頷きあう。外から手頃な岩を持ち込むと、三人は力を合わせて床へ叩きつける。鈍いくぐもった音が洩れ、床石が埋没する。ひんやりとした空気が内部の空洞から僅かに顔をもたげる。提灯を手に聰が足を踏み入れ、二人も後に続く。
そこは小さな石室になっていた。石を組んだこの地下室の上にまた石の床を敷き、そこへ祠を建てたのだろう。これだけ深くに遺体を埋葬するとは逆賊の墓としては異例のことだ。誰がこの塚を建てたのかは分からないが、それを成さしめたのは親愛の情か、或いは恐れか。
石室の中央には棺が安置されていた。きっちりと札で封印が施され、びっしりと積もった土埃から見るに、外気に触れたのは埋葬以来これが初めてなのであろう。聰が脇の二人を窺うと、嵐らが促した。聰が石棺に手を触れる。風化した札はペリペリと乾いた音を立てて契れた。ざわ、と辺りに怪しげな雰囲気が漂い始める。微かな霊威が感じられる。石の擦れ合う重い音が洩れ、やがて棺は暴かれた。
聰が提灯の灯りを照らすと。
「――――思った以上に厄介な仕事になったものだな」
そこに収められていたのは、人間の胴。腰から下と、両手、そして首を切断された亡骸であった。それが一振りの太刀を伴って埋葬されている。古びた太刀だが、抜けば刀身は水に濡れたように妖しい光を放っている。
「太刀か。‥‥俺には無用の長物だな」
霊威を纏ったそれはなかなかの業物。将門の形見であろうか。嵐が遺体を調べ上げると、埋葬の様式などからして百年程前のものに間違いあるまいとの結論に達する。
「いずれにせよその太刀は将門の遺品の一つに変わりあるまい。ひとまず持ち帰るとしよう」
どうやらここは将門の胴塚であったらしい。これを見るに将門の遺体は少なくとも5つに割かれた。それが時を経て首塚として伝わっていたのであろう。おそらく東国各地にこのような将門の五体を鎮めた塚があるはずだ。大手町に一つ、多摩に一つ。そしてこの新田群。残るは、二つ。
「さて、どう打つ次の一手。それとも‥‥選択肢は残されているのかね」
早々に塚を後にした三人はその足で太田宿へと向かった。金山城の城下町で宿を取り、今後の方策を検討しあう。
明けて翌日は聞き込みが行われた。将門の足跡がかたちをかえて昔話や伝承として残っているかも知れない。数日の聞き込みの結果、やはりここにも将門の影がちらつく。百年程前の将門の乱において、将門公の軍が金山の城に篭ったという伝説が見られたのだ。詳しい話は残されていないが、幾つかの伝承によると、将門はこの地から更に北へ逃れたという。追い寄せる討伐軍も名立たる名将達の力を借りて悉く撃破する鬼神の戦振りであったという。だがあるとき、僅か一晩にて奥州の地で壊滅的打撃を受け、将門も討死する。だが当時東国随一の強さを誇っていた将門が敗れた理由も定かではなく、真相は闇の中である。
これらの記録は、風斬が江戸で仲間に調べさせた断片とも符合している。風斬がぽつりと洩らした。
「奴の野望が終わった場所、奴は最後に何を思ったのだろうな。無念‥いや、そんな小さい男ではないだろう?」
江戸で巫女に呼び出させた将門は、天下万民に恨みと痛みを知らしめると語った。その後に続けた句を思い起こし、風斬は目を伏せた。
「『そして‥‥』奴は、恨みを果たした後、何を望むのだろうな」
東国の王として夢見た覇が敗れ、逆賊として非業の死を遂げた将門。その真相は誰にも知らされぬまま時の為政者によって封印された。
「奴ともう一度会う必要があるだろう。市子で呼び出すよりももっと強く奴を現世に呼び出す方法が必要だ」
それから気になる噂が一つ。
渡良瀬川の流域で四尾の狐が復活するという噂だ。以前に聰が耳にしたときは怪しげな噂話でしかなかったが、再び新田を訪れると今度は四尾復活とやけに詳しい話になっている。噂の出所は聰の知る限り新田郡ではなく、南の秩父郡から流れて来たものであった筈だ。
「‥‥妖狐か。気に掛かるな。だがいずれにせよあれは、下手な呪いなどより余程危険な相手だ」
折りしも、東国に飛び交う奇妙な噂はこの上野の地にて収束を見せようとしている。暗雲立ち込める中、はたして事態はどこへ向かおうとしているのか。嵐が呟いた。
「この事件と関わりが無いとも言い切れないな。だが俺達からすれば余りに事が大きすぎて、それが何によるものなのかは見えない。厄介な話だな」
「何か禍々しい大きな力が拮抗しているのが見えます‥‥」
所変わって、こちらは義侠塾舎。この秋に晴れて弐合生へと進級した風羽真(ea0270)は、塾舎内の屠処室(としょしつ)を訪れていた。対面に座るのは同じ弐号生のモハメド・オンドル。エジプト人の交換留学生だ。真はオンドルへ依頼してこの事件について彼に占ってもらっている所だ。
「大きな力‥‥オンドル、それは一体?」
「この東国一帯を覆う大きな力、どちらも酷く禍々しく邪悪な力。その二つの力が互いに食み喰らいあう大蛇の如く渦巻いている。それが共に江戸の地に被さり、害をなしています」
「‥‥むう。分かったような分からんような」
完全に行き詰った真は藁をも掴む思いで義侠塾にその手掛かりを求めていた。
「我ながら苦し紛れな手だと分かっちゃいるが‥‥ま、使えるツテは何だって試してみるさ」
屠処室の蔵書には太公望書院や少学舘といった怪しげな資料が並ぶ。『逆襲の騎馬民族』『有威挫悪怒離威 京王の死練場』『ユウキお姉さんのなぜなに教室』『世界の私塾ア・ラ・カルト』『10日でマスター デキル男の陰陽術』‥‥エトセトラ、エトセトラ。
将門を扱った資料は見当たらず、真は辟易する。
「しかし」
と、真。
幾ら神皇家に弓引いたからと云っても、ここまでその存在を抹消されるものだろうか。とりわけ、その最期に関わる資料だけはどこを探しても掠りすらもしなかった。これは奇妙なことだ。もしかしたら、と真の脳裏をある思いが過ぎる。
「実際の歴史では、一般に知られているそれとは別の側面が存在するのかもな?」
「ところで風羽殿、占いであれば私よりも塾長殿がより優れた技術をお持ちであると聞いたことがある」
「それは本当かオンドル」
「聞いたことがある。雄田島塾長は、華国の伝統的占いである殴千(ぼくせん)に西洋占星術を取り入れた独自の占い術を操ると」
早速塾長室の雄田島塾長の下へと向かう。
「風羽よ、先日の大火の折は大儀であったな。だが日ノ本の動乱は始まったばかり。嵐筆頭を支え、壱号坊どもの手本足る先輩として恥じぬよう、より一層励むがよい」
「押忍!ごっつぁんです!」
「話は聞いておるぞ風羽よ。これよりワシが全力で占ってくれよう」
言うが早いか塾長が拳を硬く握り締める。
「見よ、これぞ華国占術秘奥義・火死裏拿威(ほしうらない) 風羽、歯を食いしばるがよい!」
「押忍!塾長殿!!」
拳骨で頭に星が飛んだときには『ちょっとマズったかもなあ』と思ったが後の祭り。心の中でごっつぁんですと呟きながら真の意識は遠くへ沈んでいった。
江戸、某酒場。
「それで、そっちは何か進展でもあったのかな?」
「ええ。流さんの仰った通りで、正直私も舌を巻きましたよ」
黒崎流(eb0833)は先日渡りをつけた同心と頻繁に接触を持っていた。互いに掴んだ情報と共に意見を交換し合い、今後の展望を探る。
流の推理では、現在までに見つかった変死は、すなわち戦死。戦においては討たれた首級は持ち去られるもの。また激しい戦ともなれば、腕や胴は傷を受けやすい。改めて傷の形状などを遺体が残っている限りで調べなおした所、どうも矢傷や刀傷にしか見えないものが多数を占めたという。まるで犠牲者は床の中で合戦を戦ったかのようだったと、同心は気味悪そうに洩らした。
「調べる程に、相手が人外の者であればどうにも我々奉行所の手には負えないと思い知らされる。ですが、たとえあやかしの仕業だとしても殺しは殺し。人として、いや人間だからこそこれを見過ごす訳には」
「そうだね。‥死んだ者達が、そのもの自身では無い死を背負わされたとすれば、それはまるで生贄だ」
不意に流の表情にも険しいものが走る。贄だとすれば、彼らは一体何の為の形代として死んで行かねばならなかったのか。
「或いは‥将門の兵か。だとしたら、百年前に死んだその者達が‥‥」
(「いや、まさか‥な」)
小さくかぶりを振ると、流は冷酒を煽る。再び顔を起こしたときには、もういつもの飄々とした彼に戻っていた。
「それじゃあ、今度は自分の情報提供の番だね。まま、一杯」
空いた同心の杯に酒を注ぎながら流が語って聞かせる。
上州の新田家に夏の反乱の折から三家臣と四氏族が合流し、新田四天王と並び証されて新田七党十一朗と呼ばれているという。その中に、九尾復活に暗躍した華国妖怪の影があるというのだ。
「まだ未確認ではあるけど、江戸の冒険者が近々太田宿に乗り込んで詳しく内情を探るそうだ。詳しいことが分かるのはまだ先になるだろうな。まあ、こちらは期待して待ってていいと思うけどね」
そういうと流は目配せする。
道志郎や多くの冒険者が上州で動いている。きっと近いうちに何かを掴んでくれることだろう。江戸の大火では九尾の狐が姿を見せたといった流言も火事の混乱の中で流れた。どうにも、東国に降りかかる災いの陰には何かの意思が垣間見える気がする。
「もし、神剣や反乱を含めた一連の騒動さえ妖怪の意思が絡んでいるとしたら――何もかも後手後手だね。さて、源徳公はどう動かれるのか‥‥」
「そうですね。江戸は漸く復興に力を入れ始めたようですが、今回の大火は余りに時期が悪すぎました」
昨年の百鬼夜行襲来に続き、傾国の大妖・九尾の妖狐玉藻の復活。更には記憶に新しい真剣争奪での一触即発の騒動。度重なる災いと政情の不審が重なった中で、極めつけの未曾有の大火災だ。街には失意と共に源徳への怨嗟がはびこり、東国の雄・源徳家康の威光はもはや地に落ちた。いつからか、江戸大火は源徳の失政を天が怒っているのだという噂も巷では流れ始めている。江戸と源徳を取り巻く流れは良くない方向へ向かっている気がする。
「実際、我々奉行所もあの大火には大きな痛手を受けましたよ。調べ直そうにも証拠の大半は焼失しました。おそらく、今回の事件はお宮入りにせざるを得ないでしょうね」
「火付けに妖怪騒ぎ‥‥正直、何が起こっているやらだ。だが、この時期に立て続けに起こる事件がおよそ無関係だとは思えないな」
或いは、江戸そのものを標的とした大呪。事件はその影響の一端に過ぎないのでは無いだろうか。
「ならば、向かうべくは呪いそのものではなく、そこに介在する何者かの意思。どれほどの規模かは想像も付かないが‥‥ま、必ず尻尾を掴んで見せるさ」
ひょいと帽子を摘み上げると、流は席を立った。その微笑に同心も小さく微笑んで返す。
「ええ、期待してますよ。これから先は私もどれだけ応えられるか分かりませんが、力が必要な時は是非」
固く視線をかわすと、二人は酒場を後にする。
今回、流は犠牲者の墓の所在ストアップしたものを密かに流して貰い、仲間のイリス・ファングオール(ea4889)に頼んでデッドコマンドによる裏付け調査を依頼している。そろそろ結果が出る頃だろう。
「不幸にも亡くなられた人達の魂が迷わないように、聖なる母の導きがありますように‥‥」
かれこれ数日に渡り、遺骸を巡る行脚は続けられた。一つひとつにデッドコマンドを掛け、今際の言葉を確かめる。その後は黙祷と祈りを捧げ、可能であれば遺族を訪ねて生前の話を尋ねる。
流石に同心の流した奉行所の情報は確かだ。訪ねたうち大火を乗り切って現存する分の遺体はほぼ全てが、例の変死体と同じく『奇妙な今際』の声を残していた。それも流の推理を下敷きに見れば、やはり戦場での死の心象のようにイリスには思えてならない。僅かな間に何人もの様々な今際の想いに触れ、イリスの胸は締め付けられる想いだ。その作業は剃刀の中をまさぐって何かを探すようなものだ。心はずたずたに切れ、割け、血を滲ませる。口を結んでいないと思わず悲鳴をあげてしまいそうになる。いつしか溢れた涙を止めることもできずイリスは一人でその困難に立ち向かう。
大手町の塚では、あれから再度の調査で地下に空洞が発見され、そこから石棺が出土した。中に入っていたのは男の右腕。試しに訪れたイリスはデッドコマンドを行使したが、腕は何も語らなかった。使者の言葉を聴くにはやはり首が足らないのだろうか。
「でも、これはきっと私にしかできないことだから‥‥私がしっかりしないと‥ですよね」
これまでの犠牲者は年齢も職業も多岐に渡り、まるきり無作為でそこに法則性は見て取れない。
「風斬さんのお話だと、将門さんの霊は、自分の国を踏みにじる民に恨みの念を知らしめるっていったそうなんですよね。それってつまり、この江戸に住んでいる全ての人が標的ということでしょうか‥」
そうしてほぼ一通りの調査を終え、残す所、あと一人。
ちょうど大火の後に亡くなったという犠牲者の遺体へイリスは耳を傾ける。
(「静かに眠っているところを起こしてしまってごめんなさい。でも、いま江戸中が大変なことになってて、それでみんな困ってるんです。だから、最期にほんのちょこっとだけでいいので。どうかお声を聞かせて下さい」)
静かに念じると彼女の体を淡い輝きが覆う。
やがてイリスの耳に聞こえたのは、この言葉であった。
――日高殿、無念だ。
‥‥。
‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「日高殿、私はもう長くは‥‥」
「馬鹿をいうな! 金山の城はもうすぐ目と鼻の先だ!」
行軍中の将門軍。日高雄之真の所属する旧坂上部隊は討伐軍との激戦によって多くの傷病兵を抱えている。今もまた、あの戦いを生き延びた彼の部下の一人が息を引き取ろうとしている。
「甘ったれるな! 死ぬのならば戦場で死んで見せろ、ここは貴様の死に場所なものか!」
日高の怒声が響く。だが彼へと返す瞳は弱々しく光を失おうとしていた。
「‥‥日高殿‥‥む、無念だ‥」
そうして男は息を引き取った。
「日高、気を落とさぬことだな」
横合いからかかった声は将門の闇鳩こと、風斬嵐だ。池袋の退き口で重傷を負いながらも生還を果たした彼も傷病兵としてここに運ばれている。
「俺とて池袋で数十の部下を全て失った身。気持ちは痛いほど分かる。だが我らに躯まで連れて行く力はない」
ドンと日高が具足を叩いた。亡骸を抱き起こし慟哭する。
「死ぬな! こんなところで死ぬんじゃねえっ! この俺と生き続けろ、お前の無念はこの俺が、この俺がずっと連れて行ってやる!!たとえ魂だけになってもその名と共にこの俺にしがみついていろ!」
落涙を止めようともせず日高は小柄を抜いた。逆手に握った刃を己が腕に向けると、切っ先がそこに血文字を刻む。平将門軍坂上遂高が将日高雄之真隊足軽――‥‥。
――再び江戸、冒険者ギルド。
「‥‥‥‥‥‥というような光景ですね」
飛鳥はギルドに依頼し、月魔法・リシーブメモリーの使い手を募った。覚えていないが嫌に尾を引き摺るの夢。一体自分は何を夢にみたのか。強く印象の内に刻まれ、にも関わらず失われた記憶を呼び戻すためだ。大金を積んで得た記憶とは『行軍中に死んだ部下の名を腕に刻んだ』というもの。
「ありがとう。おかげでだいぶ事件は進展しそうだ。礼をいう」
平静に答えながらも、その背を冷たいものが伝う。
やがてギルドを後にすると、飛鳥は人知れず左の袖口を捲った。そこには、夢で伝え聞いたのと同じ文字が。薄皮をさいた生々しい傷跡は、『真』の文字の半ばまで書かれてそれきり途切れている。傷は浅いため、いずれ塞がり痕もさして残らぬであろうが、得られた手掛かりはこれからを左右するような貴重なものだ。
以前に依頼人の屋敷で寝泊りした際はなぜか魔除けの札が燃え尽きているという不可解な現象を彼は体験している。あの夢を見るようになったのもちょうどそれからだ。事件が何か超常的な事象であることは否定できない。となれば、その原因やからくりを理から探るのは難しいだろう。それを如何に鎮めるか。解決の糸口はそこに垂れているように見える。
義侠塾を足がかりに調査を広めた真も一つの答えに行き着いていた。
将門側の軍記である『将門記』は焚書され現存していない。朝廷側の正確な記録は厳重に管理され、到底冒険者の手が及びそうな気配はない。あるのは、「東国の王まで上り詰めた後に失脚し、北で討たれた逆賊」という従来どおりの将門史だけだ。中には池袋村で見つかったような正史と異なる記録もあるが、それらは概ね偽史と言わざるを得ないだろう。
イリスも依頼人を頼って藤原家側の記録を探れないが打診したが、現在では依頼人一族と奥州藤原氏の間に親交はなく臨む手掛かりは得られなかった。一族に伝わる古い資料を見ても、分かったことは「北で僅か一晩で壊滅し、打たれた」という記録ばかり。一見すると調査は無為に終わったようにも見える。だが真とイリスは、そこにとある共通点を見出している。
それは一つ。
「新皇側も偽史とされる民間資料も共に――」
「――将門さんの最期についての記録がすっかり抜け落ちています」
事件が将門の怨霊の仕業だとすれば、彼はそもそもなぜ怨霊となったのか。無敗を誇った将門軍は、なぜ僅か一晩の内に壊滅を見たのか。そしてそれらの記録は、なぜ現在までに伝わっていないのか。全ての謎はいま、将門最期の刻に向けて集約しようとしている。
そしてもう一つ、新たな可能性を見出した者がいる。
「来た来た来た来たーーー!」
加藤の下には依頼の結果が舞い込んできている。
この東国には将門の霊を鎮めた施設は一つもないとのこと。加藤自身も東国を駆け巡って将門の足跡を探ったが、池袋、多摩、奥州という道筋を辿っているらしいとの裏づけが取れた。そこから先までの調査は限られた時間では及ばなかったが、少なくとも東国に将門の死した地とされる場所はない。伝説が本当だとしたら将門はやはり東国ではなく奥州の地で死んだのだ。
「将門は、真実どこで死に、そして、将門の剣はいずこに?」
加藤が将門の最期にこだわるのには理由がある。この七日ばかりを掛けて愛馬を駆り、各地を見聞して辿りついた一つの答え。事件の原因が将門の怨霊によるものであるとしたならば。その死に様を調べ、将門の無念を鎮めることで災いをまだ静めることができるかもしれない。それは調伏。
怨霊といえど、鎮め、祀り、やがて崇めることで、逆にその力を使役することのできる御霊となる。
「例えば、蘇った将門公に大妖怪を討ち取らせる真似をする、んで、後ろから操りながら、疲弊した上州を平定、混成軍で日ノ本の覇権を握るとか、俺ならそうするかな」
問題はそれだけの大資金をどこから捻出するかだ。仮に将門を調伏する寺院を建立するのだ。とてもではないが、一個人の力では無理がある。何か大きな資本があれば別なのだが。よい策はきっとどこかにある筈だ‥どこかに利用できるものは‥‥‥‥。加藤の思考はめまぐるしく回転する。
「ここが正念場だな。今こそ燃え上がれ!! 俺の俗物パワー!」