●リプレイ本文
戌の刻、夜五つ。
遠くに鐘の音を聞きながら、物々しい警備の中で刺客が門を潜る。今日は椿の簪を挿したマリス・メア・シュタイン(eb0888)はけばけばしい衣装に身を包んでいる。
「乱ちゃん、何してるの。さっさとしなさい」
振り返ると、お供の風斬乱(ea7394)は門衛に止められている。
「これがないとどうも腰が落ち着かんのだよ、ダメかね?」
乱が刀を指して小声で言うと、門衛の男は僅かに迷いを見せる。その呼吸を乱は見逃さなかった。
「用心棒が刀を持っていないのもアレだろう? まだ弱輩組ゆえこんな招待状しか持っておらぬ。俺とあんたの仲だ‥よろしく頼むよ?」
自嘲気味に口にするとぽんと男の肩を叩いた。金を掴ませると、男は黙って乱を中へ促した。ニヤリと笑みを浮かべて乱がマリスへ続く。その様を、氷雨雹刃(ea7901)は満足げに見届けると門衛へ懐の小太刀を預けた。
(「「俺はいい‥‥あいつが持っていれば十分だ」)
宴の席は屋敷の最も奥まった部屋。マリス達が通されたのはその手前の三間の広間で、ここは賭場が立っている。奥の部屋へ招かれるのは主だった大物だけ、招待客の子分や小者の侠客は満足に目通りも叶わぬようだ。潜入を果たしたロックハート・トキワ(ea2389)は己の見込みの甘さに心中で呪いの言葉を吐いた。
(「この招待状はどうやら紹介状の添え書き程度の価値しかないようだな。事を起こすまでにせめて標的は確認しておきたいが、何か打つ手は‥‥」)
武装した用心棒を侍らせた奴らが標的。分かりやすいことこの上ないが親分衆の待つ部屋は襖一つ隔てた向こう。屋根裏に身を潜めた鳴神破邪斗(eb0641)は冷静に成り行きを見守っている。
「‥‥さて、今回は新入りが本当に『使える』のか証明してもらおうか」
鳴神の視線の先で、マリスは浮かぬ顔だ。
(「はァ‥‥前回は散々だったなぁ‥‥何でこんなことになっちゃったんだろ‥」)
察した乱が小声で囁きかける。
「微笑んでいるだけでいい‥‥後は俺がどうにでもする」
流石に渡世人の乱はこういう場は慣れたもので、座へ溶け込むのにさして時は要らなかった。巧くマリスを立て、他の客へ酒を勧めながら時を待つ。やがて機は訪れる。
亥の刻、夜四つ。
酒も進んで宴もたけなわとなる頃合。遂に奥の部屋からマリスへお呼びが掛かった。
「綺麗所がこんな末の席で燻ってんのも何だ、親分がお呼びだ」
乱が巧く立ち回ったのが目に留まったらしい。千載一遇の機。この機に仲間達も敏感に反応した。隅の席で盃を傾けていた氷雨が既にひっそりと厠へと立っている。
人目がないのを確認するとその手が素早く襟元へ伸びる。綻びへ指先を当てると、糸を引いて器用に襟を裂く。薄紙の包が現れた。中を改めると白色の粉末。掌に握り込むとすぐに席へ引き返す。部屋へ戻るとちょうど乱が隣の部屋へ入ろうとする所だ。すれ違い様に氷雨の肩が乱へぶつかる。その一瞬で包は乱の袖に滑り込んだ。乱が中継し、すぐさま包はマリスの手の中へ。
マリスが顔を強張らせた。
(「‥‥でも請けたからにはちゃんと依頼は果たさないと。この痺れ薬を何とかして‥‥」)
標的に盛ったら、それが合図。騒ぎに乗じて皆が一斉に事を起こす手筈。
同時刻。
屋敷の裏手に刺客達は雌伏している。
「屋敷の奥に感アリ、っと。断定はできないけど、取り敢えずもうこれで行くしかないね」
彼岸ころり(ea5388)が宴会場の呼吸反応の動きから推測して標的の特定を試みたが、それだけでは絞り込めない。大まかな見取り図に×印を書き込んで宴会場のおおよその位置だけ把握する。
屋敷の周囲は手下供がうろつき回り、警備は恐ろしく厳重だ。単純に呼吸の反応だけでもこの界隈で百近くの人間がいるのに間違いない。対して、踏み込む仲間は僅かに五人。伝を当たって助っ人を集めようともしたがが予定が折り合わずたったこれだけの数。当初の手筈よりも大きく手勢を欠いての決行だ。尤も宴の期日が早かったとしても毒の調達に日数を要する為、いずれにせよ目論見通りには運びはしなかったのだが。
黒装束に身を包んだ白九龍(eb1160)が、墨で塗った顔の上から手持ちの布で顔を覆う。
「仕事はいい‥‥全て忘れる事が出来る。危険なら危険なほどな‥‥‥」
「嘆きと悲しみ、怒りと憎悪をこの世に振りまきましょう」
林潤花(eb1119)が続いたその時だ。屋敷の奥から微かに悲鳴が洩れ聞こえた。クリス・ウェルロッド(ea5708)がふと空を仰いだ。
(「殺人は悪。如何なる理由があろうと正義の殺人など存在しない。だが、滅す悪無ければ滅ぶ悪無し」)
悪を滅す悪を世が必要とするのなら、私は悪を引き受けよう。クリスは涼しげな表情の奥で自らの信仰の為にその手を血へ汚す覚悟を決める。たとえ神がそう望まなくとも、それで神の理想郷に近付けるのならば。
(「‥‥な〜んて。少し格好良い事言っちゃったり。‥‥そしていつか、私が滅ぶ悪になるのかな」)
クリスの前の前で、聰暁竜(eb2413)が右腕を覆った包帯を取り払った。毒々しい色に成り果てた異形の腕が露になる。この警戒では巧く潜り込むのは不可能。聰達は堂々と正門から侵入を図る。見咎めた見張りの制止の声を気にも留めず悠然とすれ違いざまに毒手の一撃。倒れた男の喉を彼岸が無慈悲に引き裂く。その遺骸へ林が触れると、黒い輝きに包まれたそれがむくりと起き上がった。
「さあ、私の可愛い下僕達‥‥暗く寂しいく、苦しいわよね。その苦痛を和らげるために黄泉路へ仲間を連れて逝きましょう」
「――――手強いぞ。ぬかるな」
聰が先頭へ立って迎え撃つと、脇を白と彼岸が固める。騒ぎを聞きつけてすぐに屋敷から子分達が詰め掛けた。
「手前ら、誰に喧嘩うってやがんのか分かってんのか」
「ヤクザ者に手向かいやがって生きて帰ろうたぁ思うなよ」
ヤクザの一人が小柄な白へ斬りかかった。難なく最小限の動きだけで躱わすと、すれ違い様の蹴撃。膝を狙った白の攻撃は外れたが、体勢を崩した所に聰の手刀が鳩尾へめり込んだ。血反吐を吐いて男がその場でのたうつ。今度こそ白の踵が男の喉を踏み抜いた。
白がヤクザへ一瞥をくれる。
「‥‥‥‥鈍すぎる。まるで児戯だな」
「くそ、すばしっこい奴め」
「一斉に掛かれ!」
三方から同時の攻撃。降り掛かる白刃の隙間を掻い潜ることなど白にとっては造作ない。半身を逸らせ、躱わし、掻い潜る。すれ違い様白が地を蹴った。
「‥‥‥‥?‥」
ヤクザ達がその動きを目で追ったその時だ。地を縫うように低く何かが駆けた。足を掬われた男達が転倒し、白が着地と同時に踵を返す。白の背後で三人がゆらりと立ち上がった。その目には生気はなく、虚ろな眼窩はまるで屍。
不意に林の声。
「私の指先で撫でられ狂わない男なんていないのよ。御覧なさい‥‥魅入られるように綺麗な光でしょう?」
妖術でひょろ長く伸びた異形の腕には青白く妖しい光が宿る。触れた者の正気を失わせ死者の如く変える魔の力。それが死角からヤクザ達を付け狙う。
「‥‥畜生、あの女を殺せ!」
「はい残念でしたー。きゃはは♪」
ヤクザ達は林へ襲い掛かるが、雷光を身に纏った彼岸がその背から首を掻いた。返り血を浴びながらもなおも刃を傷口へ抉りこむ。
「っと、あんまり切り刻まないようにしなきゃね♪ 大切な手駒なんだし」
死体を蹴り倒すとすぐさま林が死兵として支配する。後方からはクリスの正確無比な矢撃が飛び、混乱の最中、聰を先頭に五人は玄関口まで踏み込んだ。
少し時を遡る。
マリスの悲鳴が屋敷をつんざいた。マリスから受けた盃を口へ運んだ大親分が痙攣して倒れたのだ。ただの痺れ薬と聞かされていたマリスは酷く狼狽し、徳利を取り落とした。それが合図だった様に、天井で窺う鳴神の下でヤクザ達が一斉に動き出した。
(「つまらない道徳観に苛まれるくらいなら、さっさと一線を越えることだ」)
ニヤリと唇の端へ笑みを浮かべ、鳴神が床へ飛び降りた。
「何者だ!」
十数からの用心棒に囲まれて座をぐるりと見渡すと、鳴神の目がマリスを捉えた。わなわなと震える彼女の双眸を見詰めながら唇だけで告げる。
『‥‥ようこそ、「こちら側」へ』
真っ先に反応したのはトキワだった。
「賊だ! そいつを逃がすな!」
隣の部屋から飛び込んでくる。鳴神がその機先を制す形でナイフを投げつけて迎え撃つ。横っ飛びに躱わすとトキワは柱に刺さったそれを抜いて鳴神へそのまま斬りかかった。
(「‥‥手は抜く、避けろ」)
二人が交錯し、剣撃を払った鳴神はそのまま体を捻って体勢を立て直すと胸の前で印を結んだ。用心棒達の間にどよめきが走る。呼応して表でも怒号が起こり、邸内は混乱と喧騒に包まれる。乱がマリスの手を引いた。
「ここは危ない、離れろ」
トキワと共に他の親分と一緒に廊下へと誘導する。その一部始終を氷雨は隣の部屋で窺っていた。騒ぎのドサクサに紛れて一人を殺る心算だったが、用心棒が警戒態勢を取るのを、標的に近づく方途を得られぬまま手を拱いて見ているしかなかった。
一度動き出した事態は加速度的に終局を迎える。部屋を逃れた乱はヤクザの手引きで裏手の台所へと逃れた。騒ぎが遠くなったのを見計らうと、乱が腰の物へ手を掛ける。逃げ遂せてヤクザ達の気が緩んだその刹那、黒刀が用心棒の首を刎ねた。
「裏切りはこっちじゃ常識だろう」
「‥‥祈る時間はくれてやる」
トキワもナイフで護衛の胸を抉って一人を仕留めた。
「て、手前ェら‥‥!‥‥」
「爺さん、十二分にこの世は満喫したかね?」
冷ややかな笑み。そこから袈裟懸けに一閃。男が死体となって転がる。
「風斬、俺達の分はこれでこなした。‥‥長居は無用だ」
後は仲間が巧くやってくれる。トキワがその場を去ろうとする中、だがマリスは呆然と立ち尽くしていた。
「‥あのヤクザのお爺さん‥‥は、早くお医者を‥‥」
振り返ると乱と視線が合わさった。乱は強い調子で視線を返し、首を振った。年も年だ、もう手遅れだ。
「立ち止まるな、覚悟を決めたのではないのかね?」
悪を引き受けるその覚悟を。今はただ強い覚悟が必要だ。手を血に染めた以上、是非もない。悩むなら後で幾らでもできるがここで死ねばそれもできない。不意に廊下を駆けてくる足音。と同時に勝手口へ通じる扉からもヤクザが現れた。挟み撃ち。どうやら作戦は失敗したらしい。ヤクザも馬鹿ではない。表の陽動だけでは手勢を引き付け切れなかったようだ。
退路を、斬り拓かなければならない。
「ある程度なら一人で何とかなるがこの数だ‥‥風斬、殿は任せた。マリス、お前も自分の身は自分で守れ」
トキワが先頭に立ち、マリスが簪を手に取った。
彼岸の声が脳裏に蘇る。
『うん、似合ってるよ♪このお仕事が終わったら、もっと似合うようになるかも‥‥なんて♪』
簪の先は鋭い尖り、刃を秘めている。生き残る為には、ただ覚悟が必要だった。
同時刻。
(「あらあら、お嬢ちゃんもやるわね。虫も殺さないような顔して、いったいどんな顔で毒殺したのかしら‥‥くすくす、大丈夫、皆そうやって手を汚していくんだから‥‥」)
林の死兵と魔手は玄関付近を凄絶な戦場に変えていた。身軽さを活かした白が翻弄し、聰の毒手が行動の自由を奪い、クリスの援護射撃の下で彼岸の無慈悲な刃が確実に命を絶つ。
だが勢いがあったのも序盤だけで、決定力に欠けるこの面子では戦況は制しきれない。直にヤクザが手勢を分けて通りから回り込んで挟み撃ちにすると、状況は一気に劣勢へと傾いた。殿のクリスが真っ先に攻撃に晒される。
「‥しまった‥‥‥」
これでは撤退支援の狙撃にも移れない。スクロールを広げた隙だらけの所を狙われ、クリスが巻物を取り落とす。乱戦になれば手習い程度の腕では満足に魔法も行使できない。彼岸も魔法による護りを維持できず十手での防戦一方に追いやられている。護衛を失って一気に林までもが窮地に陥った。
一度傾いた流れは容易には取り戻せない。魔手で正気を失った者は死兵と似たような状態になるが、林の意思で支配できる訳ではなく、この劣勢ではそれが陰を落とす。しかも長引けばヤクザの手勢は増える一方。格下の相手といえ、休む間を与えずに畳み掛けられては疲労が重く圧し掛かる。
矢面に立って善戦していた聰の額に嫌な汗が伝った。傍らの白も攻撃を掻い潜って手傷も負わずに善戦しているが、敵の頭数を減らさねば死兵戦術は十分に効果を引き出し切れない。この場に攻撃に長けた仲間が肩を並べていてくれたらと、禁断の仮定までもが頭を過ぎる。
聰が眉を歪めた。
(「―――――――潮時か」)
邸内のマリスは無事に脱出できただろうか。今は報せを待っている余裕はない。
「彼岸、林、合図をしたら門から通りへ駆け抜けろ。――――振り返るな、行け!」
「分かった、落ち合うのは例の店で。‥‥お互い生きてたら、ね♪ クリスさんも行くよ!」
刀を振るう彼岸を先頭に三人が駆け出し、対峙していたヤクザ達がその後を追う。聰達を取り囲んでいた連中も手勢を分けようとするが、聰が白と共に立ちはだかった。
「白、―――死ぬな」
「‥背中だけは俺が守ってやる」
一方の宴会場でもまだ鳴神がヤクザの戦闘が続いている。鳴神が術の詠唱を終えるまでヤクザも黙ってみている訳はない。いかに身のこなしの軽い鳴神とはいえ手傷を負えば脆い。足に負った傷は枷となり、深手は楔となる。切り刻まれ、もはや命脈尽きたかと思われたその時だ。
不意に部屋の明かりが消えた。
暗闇の中、各所でヤクザ達の呻きが洩れる。
(「‥‥機は作った。鳴神、ぼやぼやするなよ‥」)
氷雨の仕業だ。手近な皿を割り、暗闇の中の早業で用心棒達の喉を裂いたのだ。
「何があった‥!」
「灯りをつけろ」
ヤクザが漸く灯火を点けたその瞬間、室内に影が躍った。突如として巻き起こった竜巻が畳ごとヤクザ達を巻き上げたのだ。一瞬の隙に鳴神が強行突破を図る。事を見届けて氷雨が何食わぬ顔でヤクザ達の中へ紛れた。凄腕の忍びである鳴神のことだ。囲みを逃れればあの手傷でも何とか追っ手を撒くくらいはできるだろう。
(「‥‥不甲斐ないな。周到に計画を練ったつもりがこの様だ。だが無事の帰還をもってひとまず良しとしよう」)
返り血はわざと自分の腕を切って負傷で誤魔化した。後は怪しまれぬよう流れに任せ、騒ぎが落ち着いた頃を見計らって去るだけだ。
一行全員が無事に帰還したのは明け方、暁七つの鐘近くのことであった。多くは瀕死の重症負い、傷一つなく生還を果たしたのは、氷雨の他には仲間に守られたマリス唯一人。ヤクザが事を公にすることはなかったが、多くの目撃者を残したことは後の禍根を残すこととなる。ただギルドには、小鬼退治で瀕死の重傷を負った間抜けな冒険者の記録が残るばかりである。