志道に心指す 第三話/拾参「死屍奮迅」
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■シリーズシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:8 G 76 C
参加人数:12人
サポート参加人数:4人
冒険期間:06月22日〜07月02日
リプレイ公開日:2007年08月06日
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●オープニング
「き、貴様、何奴ッ!」
「道志郎、大丈夫か!誰か灯りを!」
「みんな散るな、固まれ!敵襲だ!」
初夏の生暖かい空気が、急速に乾いて張り詰めていく。途端に上気しだした体と対照に風は宵闇へ冷え込んでいくようだ。仲間の発した警告の声が、暗い山野へ木霊する。
「何者だ」
「分からん。だが手練だ」
「気をつけろ、まだそこらにいるぞ」
濃い闇の中で影が動いた。潜み忍んだ危険がその輪郭を縁取っていく。
その気配は涼しげな声となって道志郎へとその姿を現した。
「‥‥この俺が仕損じるとは‥‥よほどの強運を持っているようだな」
「暗闇からの突然の奇襲。その手際、忍びの者か」
夜半の高鈴山。
男は闇に溶け込んでその姿を見せはしない。
ただ、冷えた刃を喉元に突きつけるような殺気だけが道志郎へ向けられている。
「貴様が知る必要はない。黄泉人の眷属か、或いは奥州の手の者か‥‥いずれでも構わん。『お社』へ近づくならば」
――その命、摘むまで。
闇の向こうで、何者かが再び得物を構えた。その気配だけが肌を通して伝わってくる。
いつ仕掛けて来る?
一行に強く緊張が走る。その中、道志郎が誰何を発する。
「それ程の腕、江戸でもそうは見ない。名のある忍びとみた。名は何と」
「敵に名乗る名など持たない。だが」
初太刀を躱わしたその運に免じて教えてやろう。
「俺の名は――」
■□
冒険者が道志郎救出を成して五ヶ月――。
北の石橋宿と高鈴山に黄泉人の不穏な動向を認めながらも、道志郎はいまだ手を出せずにいた。救出作戦の折に黄泉兵を刺激したことが、一行の思いも寄らぬかたちでわざわいしたのだ。水戸近辺の魔物の動きが活発化を見せ、事態を重く見た水戸藩は街道を封鎖、水戸以北への民の通行を禁じた。
その間にも、常陸の北を覆う瘴気は日増しに濃さを増し、豊かだった土地は静かに死に絶えつつある。
解放以後に水戸以北に出来あがりつつあった幾つかの集落もすべて再び闇に沈んだ。水戸を襲った悲劇の日から、もう二年。なぜ黄泉人は水戸を襲ったのか。その答えもまるで見えぬまま、黄泉人は不気味な沈黙を続けたままだ。
道志郎が再びギルドを訪れたのは、そんな水無月も初めの頃だった。
「――水戸に漸く変化の兆しがあった。北へ、発ちたいと思う」
伊達の江戸支配もようやく落ち着きを見せ、江戸の都市機能は新領主の下で早くも動き始めている。冒険者ギルドもまた、通常通りの活動を始めている。伊達の膝元とあって源徳勢力による依頼は掲示板から姿を消したが、裏では名を伏せて密かにそういった依頼が持ち込まれることもあるようだ。
「済まないな。政変で江戸へも戻れず、機を逸したまま今まで掛かってしまった」
関所が固く閉ざされたことで手出しが出来ないでいる間に江戸では政変が起こり、次代の関東覇者・奥州伊達氏の下で諸大名の勢力図は塗り変わった。
この源徳の失脚により源徳の親藩たる水戸藩も抜き差しならぬ状況になりつつある。目下、関東に残された源徳勢力は、相州(神奈川)、野州(栃木)、房州・総州(千葉)、後は武蔵豪族達。この中で総州は上総に当たる常陸国は、すぐ北に奥州との境を持つ危険な地勢にある。黄泉人騒動の影響で余力の無い水戸藩は守勢を固め、情勢が落ち着くまで領内外の行き来が厳しく制限されていたようだ。
「ようやく監視の目が緩んだのはここ10日程の間だ。状況は正直な所、かなり悪い。だがこれ以上手をこまねいていては完全に機を逸する。時機は万全とは言い難いが、発つことにした」
水戸から街道を北に、助川の宿へ。そこから北西の山野へ分け入った高鈴の山中に、御岩神社はある。
三本杉で知られる、常陸国でも随一の修験場。
三叉の神木になぞらえた三種の神器をいただき、その社は伊邪那美命を祭る。そこへ黄泉が動きを見せている。黄人襲来の真相に迫るため、道志郎は一路黄泉の国へ。水戸の関所は通れない。道なき山野をひた走る強行軍だ。今回もまた、過酷な旅路になるだろう。
――そして数日の後――。
混乱する水戸藩の隙を突いて北へ抜けた道志郎は、跋扈する不浄な魔物を打ち倒しながら高鈴山まで進んでいた。
「この辺りなのか、例の社は」
「ああ、そうだ道志郎」
御岩神社は眼と鼻の先。だが参道周辺には百からの黄泉の軍勢が蠢いている。山間を夜陰に紛れながら近づくのが精一杯だ。山道を避けて裏の斜面へ回り、三本杉を目指して道なき急斜面を這い登る。今宵は新月。木々の闇が、社へ近づくその影を覆い隠してくれる。
「‥‥黄泉の軍勢の気配が妙だな。今にも動き出しそうだ」
「悪い予感がする。急ごう」
その時だ。
「―――何奴だッ!」
「くそッ、見つかったか。皆、敵襲だ!」
闇から現れた襲撃者。
その見えない刃は道志郎の体を掠めた。
「初太刀を躱わしたその運に免じて教えてやろう。俺の名は――雲野十兵衛」
男、忍びの雲野の殺気は道志郎の喉元へ鋭く突きつけられている。
「『お社』へ近づくならば、その命、摘むまで」
「誰の差し金か知らないが、俺は奥州の者でも、まして黄泉人の仲間でもない。源徳でも、いや、どの大名の手の者でもない」
「不可解な。では、お前は何者だ」
「俺の名は道志郎。ただ日ノ本がため、民がため。国を憂う一介の在野の士だ。常陸の民が危機に瀕するのを黙っては見ていられない。俺が動く理由はただそれだけだ」
雲野がじっとこっちを見つめる気配がする。張り詰めるような緊張を伴って再び山林へ沈黙が訪れた。数呼吸の後、その緊張がふっと緩んだ。
その、瞬間に。
――――。
―――ゴゴゴゴゴゴ‥‥。
「な、何だ今の地響きは!」
「‥‥麓からだ、まさか、黄泉軍が‥」
「まさか。もう始まったか‥‥」
暗闇で雲野の影が踊った。
「巫女様をお守りせねば。‥‥くそ、不覚!」
雲野の気配が踵を返した。向けられていた殺気が消え、山野を蹴る足音が社へ向けて斜面を駆け上がっていく。一瞬遅れて、道志郎たちもすぐに動いた。
「どうする道志郎!」
雲野の気配は瞬く間に斜面を駆け上がっている。参道には、麓から押し寄せる黄泉の軍勢。百は下るまい。あれに飲み込まれでもしたら、ひとたまりもあるまい。だが、このままでは確実に黄泉の軍勢は社を飲み込むだろう。
もはや、一刻の猶予も残されてはいなかった。
「‥‥やるしか、ないのか」
「道志郎、お前、その腕」
自由の利く左腕から、ぼたぼたと血が滴っている。上腕に深手。
だが道志郎に痛みを意に介している時間などない」
「俺は、覚悟は済んでいる。皆の力を、貸してくれるか?」
●リプレイ本文
「道志郎さん、大丈夫ですか!!?」
慌てて駆け寄ったイリス・ファングオール(ea4889)が負傷した腕を取る。捲れた覆い布からカンテラの灯りが山野へ漏れる。黒崎流(eb0833)が苦々しそうに麓を振り返った。日向大輝(ea3597)の声にも緊迫ものが混じる。
「どうする黒崎さん、社まではまだあるぞ! 社を守るも『巫女様』と噂の神器の脱出の時間を稼ぐも、麓から進軍してくる黄泉の軍勢を迎撃しないと‥‥!」
「まずは社だ!道志郎殿を守りつつ先を急がねば!」
陸堂明士郎(eb0712)が旅荷を投げ置いた。クーリア・デルファ(eb2244)が道志郎へ肩を貸し、近くの木へもたれかけさせる。
「まずは治療だ」
「道志郎さん、はやく腕見せてや」
グラス・ライン(ea2480)が祈りの言葉とともに傷口へ手をかざす。神輝が腕を満たし、見る間に傷が塞がっていく。道志郎が腕を伸ばしつ曲げつしながら確かめるが支障はないようだ。
「問題なく動かせるかな?」
「少し痛むが大丈夫だ。助かる、グラス」
グラスが微笑を浮かべる。
「えへへ‥‥。良かった」
「状況はそうも言ってられぬぞ」
不破斬(eb1568)が道志郎へ呪符を手渡した。麓から参道を進軍してくる黄泉軍より先に社へ辿りつき、迎撃の態勢を整えねばならない。今は寸刻も惜しむべき時だ。カイ・ローン(ea3054)がイリスの肩に触れて素早く十字を切る。
「せめてもの護りだ。イリスさん、他の仲間にも手分けして神の加護を」
「分かりました。すぐに」
もたもたしている間はない。すぐに態勢を立て直して策を講じねばならない。陸堂が着流しに掛けたたすきを縛り上げ、腰の刀を確かめた。
「不破殿、道志郎殿をまずは社へ。然る後に境内に防御策を築き迎撃の構えを執りたい」
「ならば自分らがその時間を稼ごう」
流が頂を振り返る。
「孫子に曰く、山を絶(こ)ゆれば、生を視して高きに処(お)るべし。身軽な者で参道に先回りし、先鋒を挫く」
流に視線を振られ、斬が無言で頷く。
だがその表情は厳しい。十倍以上はある兵差。それは流も承知の上だ。
「大丈夫だ、不破殿。敵は走勢なれどこの険路。まだ、策はある。天を知りて地を知れば、勝、乃ち窮(きわ)まらず、だ。今回は優秀な忍びも増えた。彼らにも期待しよう」
不意に。
流の後ろの闇で影が立ち上がった。道志郎とは旧知の忍、榊原信也(ea0233)だ。
「敵勢の規模と布陣、まずはそれでいいな。‥‥すぐに報せる」
それだけ伝えると信也の気配が闇に溶ける。機に敏く熟達の忍たちが同行していたのは僥倖だった。情報に先んずれば、流の兵法が道を見出してくれる。支度を終えた羽鈴(ea8531)も彼らの策に異はない。
「この社が長きに渡って敵の手に落ちなかったのは巫女の力に拠るものだと思うネ。緊急状態ネ。社を護って戦うべきだと私も判断するネ」
「俺もそれしかないと思う」
日向が頷き返す。クーリアも道志郎へ肩を貸しながら賛成の意を示す。
「ええ、ここは一度退いて態勢を整えましょう。しかし、また無理をしましたね。ほんとにしょうがない人だ‥‥」
仲間達の意見は一致を見た。
陸堂が最後に道志郎へ視線を向ける。
「道志郎殿」
「陸堂さんと流の策を信じよう。だがここは命を捨てる場に非ず。犬死は無用。山を降りる時は皆一緒だ。イリス、この符呪は持っていてくれ。後でまた落ち合おう」
「は、はいっ」
先をいく流に灯りを持ったイリスが続き、一行は二手に分かれて行動に移った。
暗い山野に浮かんだ明かりは、幾度かその場で瞬いた後にやがて頂へ向けて上り出した。道志郎達はそのまま社へ向かうことを決めたようだ。離れた木々の上から様子を窺っていた風守嵐(ea0541)はそれだけ確かめると視線を麓へと移す。
(「‥‥社で黄泉を迎え撃つか。ならば‥」)
必要なのは敵の動静。道志郎へ如何に勇将猛者がついていたといえ敵の兵数も覚束ないでは危うい。兵数・兵力を探り上げ、逸早く仲間の元へ報せねば。道志郎についていた信也も動いている筈だ。呼ぶ子笛を鋭く吹く。放った鎖分銅を枝に掛けて飛ぶと、嵐は暗き山野に躍った。
既に仲間の忍達は高鈴山に散っている。音無藤丸(ea7755)も麓へ向かって走っていた。
「いきなり敵の進軍にも会うか」
脳裏に過ぎるのは、姿を現した凄腕の忍び。雲野十兵衛。
「よもやあれだけの忍びが出てくるとは。では拙者達も忍び方としての能力を活かすとしましょう」
印を結ぶ。紫煙がのぼり、それを突き破って藤丸の巨躯が闇夜を駆けた。
参道から徐々に迫りつつある敵軍に先回りして、流ら身軽な者達は参道を目指して一足先に斜面を駆けている。残された道志郎も陸堂らと共に社を目指していた。
さっきからグラスの足取りがふらついている。不意に足を踏み外しそうになった彼女の背を斬が咄嗟に片手で支えた。
「グラス殿、大丈夫か」
体の小さい彼女には過酷過ぎる。その横では陸堂も苦しそうに息を切らしている。たまらず歩みを止め、陸堂は重武装の躯をふらつかせた。
「す、すまない」
大きく肩を上下させ申し訳なさそうにする彼へ斬が視線を移し、次いで道志郎を見遣った。
「俺なら平気だ。それより、大丈夫か陸堂さん。クーリアさんも無理はするなよ」
「構わない、先に行ってくれ」
陸堂の言葉に道志郎は困惑を浮かべる。
斬が無言で草鞋の緒を締め直した。
グラスが困ったような笑みを向ける。
「えへへ‥‥ウチは体力ないもんな。道志郎さん、必ず後から追うから心配せんでもええんよ」
「アタイも約束する。なに、少し遅れるだけだ」
「道志郎、社は我々も敵と見做しているようだ。乗り込むのは覚悟を必要とするだろう。いいな」
まだ困惑したままの道志郎。
彼へ陸堂が改まって顔で視線を向けた。
「道志郎殿、畏れながら申し上げる。貴殿は我らの依頼主。上に立つ者には立つ者の務めがある。僭越ながら、人の心を識るのは貴殿の類稀なる資質。なれど器の中身を識ろうとも、囚われては愚行というもの」
「‥‥分かった。今は一刻を争う。俺たちは先を行く。だが見捨てる訳ではないぞ」
「この遅れは我らの不覚。その分は働きにて返させて頂く」
道志郎を見遣って斬が頷く。頷き返すと、道志郎は斬と共に山野を駆け上った。
一方、流らは漸く参道へと辿り着いている。
幸い敵の姿はまだない。流が辺りを窺う。
「もう少し上った所で陣を敷こう」
曲がり角を背にしてして道幅の細った坂道をその場と定めて隊伍を組む。一行は素早く態勢を整えた。鈴が仲間へ闘気を分け与え、流も自らの得物を闘気で満たした。日向が小太刀の握りを確かめながら辺りを見回す。
「こう木々が多いのではファイヤートラップは使えないか」
小細工は使えそうにない。後は各自の鍛え上げた技だけで百の敵勢に相対せねばならないのだ。カイが槍の穂先から覆いを外して軽く得物を振るった。
「所で、上の時間稼ぎのためとはいっても、別に殲滅してしまってもそれは問題ないよね」
意を図りかねるといった顔の仲間へ小さく肩を竦めて返し、カイはこう続けた。
「俺は今までの冒険で五百体の敵を倒した。それに比べれば、まだ五分の一だ。そう考えたら囲まれさえしなければどうとでもなりそうじゃないか」
強がりの類だが、口だけでもそうしていなければ正気ではこんな戦になど臨めるはずもない。日向も表情に差した暗いもの噛み潰しながら麓を見下ろした。
「意志を持たない不死者の群れだから頭を討てれば勝機もすこしはあるはず。というかそう思わないとやってられないな」
苦笑を隠そうともせず嘆息付く。
その時だ。
「来たアル!」
鈴の声が鋭く闇を裂いた。
麓へ続く暗い夜道。暗闇の奥から湧き出るように、死者達の群れが姿を現し始めたのだ。風が死臭を帯びている。心なしか空気が死体のように冷たく表情を変える。イリスが目を瞑って無心に十字を切る。
「どうか、どうか神の加護が皆さんのもとへありますように‥‥!」
参道に待ち受ける一行を見止めたのか、敵軍の動きが変わった。徐々に速度を上げ、冒険者たちを呑み込まんと殺到する。その殺気を跳ね返すように、暗闇を裂いて伸びるカイの槍が光る。
「さて、ここよりは通行料で命を置いてって‥‥って誰も持ち合わせていないようだね。なら、あの世にお帰り願おうか」
参道の途上で怒号があがった。
次いで、剣撃の音が甲高く夜を切り裂く。山野に木霊するその音は、山中に伏した信也の耳にも届いていた。
「‥‥始まったか」
必要な情報にいては嵐へ伝えた。後は彼から流へ情報が渡るはずだ。嵐との連携は数年来の手馴れた者。流への連絡は彼に任せ、信也は手早く次の仕事へ入る。
「今の俺には他にやるべきことがある。この森の中では得意の火遁は使えんが、ならば別のやり方をとるまでだ」
参道を進む敵の後続を見定めると、闇に紛れて距離を詰める。
敵軍の只中へ肉迫し、奴らの力を削ぐ。
危険は承知の上だ。
「暗い木々の影が俺の気配を隠してくれる。犬死する気はない、必ず生き抜いてやる‥」
敵の先陣は流たちとの先頭を開始したが、後続は今も続々と社を目指して進軍していた。参道脇の木々の上に身を隠した嵐の眼前を続々と黄泉軍が通り過ぎていく。
あらかじめ決めて置いた合図で信也からもたらされた指示は、敵軍の規模と編成、そして軍の動きについての情報の入手。目を凝らし、敵勢の様子を目に焼き付ける。
(「敵の主力は怪骨に死霊侍。死人憑きは雑兵と言った所か。おそらく死食鬼も混じっていることだろうな。一体いったいは敵ではないといえ、この数は脅威だぞ」)
それを眺めていた嵐は不意に瞳を見開いた。
後続の一部隊へ噂に聞いた鎧武者の一団が紛れいてる。精気のないシビトとは見間違えようもない。間違いない、生きた人間だ。
(「‥‥不味いな。急いで報せねば」)
嵐の読み通り、先鋒のシビト達は流らの敵ではなかった。
参道では流らが雑兵を蹴散らしている。
(「行ける‥‥この分なら十分戦えるぞ」)
先手を打って飛び出した流が囮になって敵の出足を止めている。味方から離れすぎて突出した形だが、シビトの攻撃を鉄扇で巧くいなしながら敵を寄せ付けない立ち回りを見せている。先鋒が立ち往生したことで寡兵の不利は減じた。カイが槍で間合いを取りながら敵を押し返し、抜けて来た討ち漏らしは日向が小太刀で迎え撃つ。鈴も日向を助けて善戦している
「日向さん、止めの一撃は任せたネ。私は非力だから足止めに専念するから、連携でカバーしあうネ」
それが結果として、負傷のリスクを最低限に避けることに繋がる。この兵力差だ、小さな傷でもじわじわと広がっていずれ致命傷になりかねない。
その時だ。日向を振り向いた鈴の背へ、シビトが一斉に襲い掛かった。だがそれは虚しく空を切る。躱わされたと敵が気づいた時には、鈴は身を沈めて反撃の体勢に移っている。固めた拳は龍が如く天を駆け上る。必殺の龍飛翔がシビトを粉砕する。
「やすやすとは触れさせないネ」
鈴の足裁きは羽根でも生えたかのように軽やかだ。シビトでは相手にならない。だがそれも敵の力が弱い間までのことだ。
戦の流れの変化に、流は逸早く感づいた。敵勢に怪骨が混じりはめた。敵の主力が近い。襲い掛かる一体へ鉄扇を脳天に叩きつけて頭蓋を砕く。流は徐々に仲間の下へ後退しながら戦場全体へ間断なく注意を走らせる。
今のところ仲間の負傷はないに等しい。多少の怪我なら、後ろに控えたイリスに任せておけばいいだろう。もっとも、彼女の出番はまだ先になりそうだ。この状況にも仲間達はよく戦ってくれている。善戦する仲間達を前に、イリスは胸の十字架を握り締めて神へ祈った。
(「主よ、どうか我らをお守り下さい。そして、社に向かった道志郎さんも‥‥」)
道志郎は斬と共に遂に社へ辿り付いていた。
そこは、厳かな空気に包まれていた。血生臭い戦場とは無縁の澄んだ水を張り渡したような雰囲気がある。
霊場というだけでこれほどの清浄さをまとえるものだろうか。まるでここを流れる空気それ自体が邪を払う気を持っているかのようだ。だが、そんな聖域もその内には密やかな棘を隠し持っていた。境内に踏み入ろうとした二人へ、放たれた矢撃が襲い掛かる。
「道志郎!」
矢は道志郎の体を掠めて飛んだ。斬が進み出ようとするのを制し、道志郎が境内へ踏み入る。
「俺の名は道志郎。雲野十兵衛殿はいるか。社の巫女に取次ぎをお願いしたい」
返答の代わりに放たれた矢が、今度は足元に突き刺さる。
「害意はない。黄泉人の脅威から常陸の国を救いたい。既に仲間が参道で敵を足止めしている。だが長くは持たない。協力を仰ぎたい」
そこでふと気配を感じて、道志郎が振り返った。
いつの間に近づいていたのか斬の背後に立った雲野が刃を突き当てている。斬は驚きの表情を浮かべたが、すぐに諦めたようにこう口にした。
「俺は魔を狩り生きる者。だからこそここへ来たが、こいつらはそんなことすら関係ないらしい。困っている人を助けたい、ただそれだけだ。お主の邪魔になるような事はせん。ただ共に戦わせて欲しい」
「何がお前達をそこまでさせるのか理解できぬが‥‥道志郎といった。敵ではないという証左は」
「俺を信じてくれとしか言えない」
空白。
「―――一介の浪人風情がこれほどの危険を冒してまで常陸を救いたいなど、俺には信用できぬな。だが、黄泉人に敵対する者同士ということに間違いはなさそうだ。今は手を組もう。但し、社に害を成そうものなら命はないと思え」
「話は後だ。巫女に案内を頼む」
雲野が合図を送ると鳥居の影に隠れていた射手が彼らを招きいれた。雲野が先を行き社の奥へと案内する。境内にはちらほらと人の姿。風体は様々だがみな一様に武装して黄泉の襲撃に備えている。
「巫女様はこの奥だ」
「ティアラさんの話では少女と聞く。長い間の篭城には不安もあったろう‥‥半年も放置するしかなかったことが悔やまれる」
斬の問いに、雲野は小さく表情を翳らせた。
「着いたぞ」
やがて案内されたのは、御岩神社の御霊体である三本杉へ続く道だった。三叉に分かれた杉の巨木のたもと。地中から覗かせた根の中に抱かれるように、一人の少女が座していた。
その様を目にした二人が思わず息を呑んだ。
少女の足だ。うねる木の根に触れた白い腿が溶けるように杉と交じり合い、半ば一体化している。察した雲野が耳打ちする。
「社を黄泉の手から守るために、斯様なお姿に‥‥」
斬が沈痛な面持ちで頭を垂れる。
「駆けつけるのが遅れてすまなかった。遅れた分、意地でも守り抜いてみせる」
「聞かせてもらおう。この社の秘密を」
道志郎の真直ぐな視線を正面から浴びて、巫女は長い睫を伏せた。
「まずは御助力を感謝します。お話し致しましょう。この社の秘密について」
再び参道。
敵先鋒を相手取っていた冒険者達はシビトの群れの迎撃に成功した。だが喜んでもいられない。すぐに敵は第二陣を送り込むだろう。
敵軍の攻撃が止んだ間隙を突いて、嵐が彼らの元へ姿を現した。
「‥‥俺に分かったのはここまでだ」
「今はそれで十分だよ。後は引き際を見誤らないように気をつけるかな」
「俺は一つ気になることがある。いずれ落ち合おう」
それだけ言い残すと嵐は再び闇に消えた。
仲間達は荒い息を整えている。
ふと日向が社の方を見遣った。
「御岩神社の祭神は伊邪那美命・・・、確か国生みの神だったけかな。そして黄泉津大神でもある」
もしも、その力を体現するなにかがあるのなら。
「黄泉人がここまでご執心なのも納得できるか」
「噂をすれば影だ」
いよいよ第二陣のおでましだ。露払いの雑兵相手のようにはいかないだろう。ここからが本当の戦だ。
事実、その先の戦いは苦しいものとなった。
怪骨のような低級の妖怪はともかく、俊敏な死食鬼に集団でかかられると脅威だ。鈴はまだうまく立ち回ってているが、疲れのせいか動きも精彩を欠き足捌きにも切れがない。それでも敵は容赦なく押し寄せてくる。迫りくる攻撃の数々を躱わしながら、鈴は気力を振り絞りムロニの長針で強烈なカウンターを見舞った。
「アンデッドスレイヤーは伊達じゃないネ。用意しておいてよかったネ」
だが怪骨や死霊侍が混じり始めてからカイが押され始めている。槍では相性が悪い敵である上に、この狭い参道では柄で払うこともできない。
「黒崎さん、敵が勢いづいてきた。一旦引いて戦線を立て直そう」
「いや、それは賛成できないね」
向かい来る敵を払うは難く、逃げる敵を討つは易い。ましてこの坂道。その選択は敵の思う壺だ。流は皆へ呼びかけながら士気を鼓舞する。
「苦しい戦いになるが皆、気を抜かぬよう。今に準備を整えた陸堂殿らから連絡がある。それまでは何とか持ちこたえねばね」
「急いでくれよ陸堂さん‥‥、捨石になるつもりはないぞ」
表情に焦りの色を映しながら日向が心中で仲間を頼む。参道での戦いは激しさを増し、剣撃の悲鳴が幾度となく山野へ木霊する。
そんな中、参道の戦いを離れ、急な斜面を迂回する一団があった。
皆一様に押し黙り幽鬼のように歩を進めているが、その鎧の下に覗く肌は生気を持った人のそれだ。数にして十五。
「下命とはいえ、気が進まんな。神社へ刃を向けるというのは」
「そういうな、巫女を殺せばようやく国許へ戻れるのだ。薄気味悪い死人たちと行動を共にするのも気が滅入る故な」
「つまらぬ口を聞いている余裕はないぞ」
将だろうか、先頭を行く男が隊を振り返ると、武者達の空気が途端に張り詰めた。
「二の轍を踏む訳にはいかん。雲野にしてやられたのを忘れた訳ではあるまい。どこに耳目があるか分からん」
(「‥‥なかなかの勘の鋭さですね。私に気づいた訳ではないでしょうが」)
その背を窺っていた藤丸が思わず肝を冷やした。
敵軍に彼らの姿を見止めて影ながら追ってきたが、どうも雲行きが怪しい。藤丸が得物を抜いた。次の瞬間、脅威の跳躍で間合いを消した藤丸は十分に力を込めた剣撃を首根へ叩き込んだ。
だが。
「下郎め!」
鋭い金属音が木霊し、咄嗟に抜かれた小太刀が必殺の一撃を阻んだ。お返しにと放たれた剣撃を藤丸がとびすさって躱わす。仕損じたと思った時にはもう遅い。音もなく武者達が藤丸を取り囲んでいる。
「姿を見られたからには生きては返せん」
刃が藤丸の体を次々に貫いた。
腕が、足が、胸が、腹が、深い傷を負って夥しい血を吐き出している。死力を振り絞って藤丸が大地を蹴る。だがその背へと無常にも刃が振り下ろされる。力なく斃れた藤丸の巨体は、糸の切れた人形のように力なく転がり、暗い斜面の底へと消えていった。
「‥‥仕損じたか」
「だがあの傷では助かるまい。急ぐぞ、社はすぐそこだ」
武者達は残る斜面を足早に駆け上がった。
やがて森の木々の向こうに社が姿を現す。
「かかれ!巫女を殺せ!奴を殺して黄泉の軍を――」
ふと男は声を止めた。油断なく視線が走り、やがて拝殿の柱に止まる。
そこへゆらりと闇から姿を取ったのは斬。
「来たか‥‥我が間合い、踏み込みし時こそ己が最期と心得よ」
抜き身の小太刀が明かりを受け、光を返した。
「尤も、この場に踏み込んだ時点で、我が牙は貴様らを逃しはせぬ。不破の名にかけてもな」
斬の足元で小さく煙が上がっている。黄泉の者を阻む符呪の結界だ。この灰の傍でも支障なく動けるということは、一団が紛れもなく人であることの証。踏み込んだ一人を斬の小太刀が襲う。だが敵は難なくそれを受け止めた。組し難しと取ったのか、慎重に間合いを空ける。
「不破といったな。陸奥の技を使うか。面白い」
敵の動きは陸奥流のそれ。しかも一人ひとりがなかなかの手練だ。多勢に無勢。手傷を負った不破に鎧武者が止めを放つ。だが突如として放たれた鎖分銅が武者の足を打ち、斬の窮地を救った。闇に身を潜めた嵐の援護だ。
社の道志郎達へ情報を渡した嵐は、敵の動きを気取ってその背に回っていた。水際の防衛だが仲間の加勢が来るまでは命に代えても持ちこたえねばならない。
(「十五対二‥‥不利は歴然だが、数の上だけで捉えれるほど忍びの技は単純ではないぞ。味わってみるがいい」)
参道での戦いも窮地を迎えている。
最早敵の勢いは止められない。後方に控えたイリスにまでも敵の手が伸びている。怪骨が錆びた刃を振り下ろし、十字架を握ったイリスがぎゅっと目を瞑った。あわやという所で、出現した聖なる障壁がそれを阻む。
動きが止まった所へ今度はすかさず鈴の拳打が怪骨を打ち砕いた。だが疲れからか、拳に以前ほどの力はない。鈴は大きく肩で息をしながらも、途切れかけた闘気を再び搾り出して見せる。
皆一様に疲労が濃い。用意してきた薬瓶も底を突こうとしている。イリスも持てる力を尽くして魔法で皆を助けたが、もう限界が近かった。これ以上は犬死。流が退却を決意しようとした時だ。
「黒崎殿、皆!無事か!」
参道を駆け降りてくる男の姿。陸堂だ。振り返ると、背にした曲がり角の上に明るい輝き。グラスのホーリーライトが瞬いている。
「待ちくたびれたぞ、陸堂さん」
日向が手早く怪骨を仕留めると死体を敵へ蹴り返した。それを合図に冒険者達は一斉に身を翻して斜面を駆けた。亡者どももすぐに後に追いすがるが、後列のカイが素早く十字を切るとたちまち神輝の障壁が立ち塞がる。ちょうどイリスの結界と並んで道を阻んだ。
撤退の時間は稼げた。暫らく暗い参道を駆け上がると木々が切り倒されてバリケードが作られている。得物のハンマーを肩に担いだクーリアが仲間の無事を視界に捉え、表情を緩ませた。
「遅れてすまなかったね。その分、しっかりとあたいの仕事はこなせてもらったつもりだよ」
自慢の膂力で叩き倒した倒木は即席ながら効果は十分だろう。
「社を護る木には申し訳ないけど、倒させてもらったよ。黄泉兵の侵攻を防ぐ壁となってくれ」
バリケードへ日向がロープを投げかけた。クーリアがそれを掴んで引っ張り、手早く日向を引き入れる。後続の仲間達も次々にロープでよじ登った。
「陸堂さんも早く!」
武装の重い陸堂の姿はまだ遠い。咄嗟にバリケードの上にのぼったグラスが経典を手に叫んだ。
「ウチに任せてな! 陸堂さん、ちょっとどいてほしいんよ」
陸堂が脇の林へ飛び退くと、そこへ凄まじい暴風が吹いて敵軍を薙ぎ払った。敵の先陣が崩れた所へ、今度は凍てつく吹雪を浴びせる。それで起こった混乱を突いて木を影にやり過ごした陸堂がバリケードへ駆ける。
内側では仲間達が一呼吸をついていた。
「イリスさん、辛そうだな。これを使うといい」
「そんな、クーリアさん。ソルフの実だなんてこんな高価なもの‥‥」
「遠慮には及ばんよ。それより、皆に神の加護を祈っていて貰いたい」
再び十分な魔法の援護を受けることができ、冒険者達は活気を取り戻した。日向も再び全身に闘気を漲らせている。カイも味方の魔法の援護を受け、得物の槍を握る手にも力が入る。
「青き守護者、カイ・ローン参る」
そこからの戦いは、これまでの苦境が嘘のように一方的なものとなった。
迫り来る敵へバリケード越しにカイが槍で牽制し、また社から雲野の率いて来た増援も投石で助太刀をする。バリケードによじ登る敵には、冒険者達が当たり、盾を構えた重武装のクーリアと陸堂が矢面に立って強烈な叩き下ろしで敵を寄せ付けない。
「思い出す。幼い頃、教の刃として生きていた日々を‥‥」
一振りの戦槌となってクーリアは己の身を振るった。グラスもまた時に回復、また攻撃にと魔法の援護は出し惜しみしない。
「みんなどいてほしいんよ!‥‥アイスブリザード行くんよ!!」
強力な魔法の行使による消耗の激しさはソルフの実で補いながらの奮戦だ。グラスと、そしてクーリアと陸堂の二人が戦列に加わったことで一行の負担は大きく引き下げられた。それだけでない。社に近づくにつれて亡者の動きが明らかに鈍くなっているように感じる。
「社の清浄な気がそうさせるんやろうか。まるで巨大な結界やな」
「行けるぞ、これなら互角以上に戦える!皆もう一押しだ!」
道志郎も前線に姿を見せ、その後も戦いは一刻ほどに渡って続いた。激戦の末、敵が兵を引いたのは明け方が近くなってからのことだった。
敵の姿が見えなくなったのを待って、クーリアが小さく頭を振った。バリケードをさすりながら、安心した表情でこう漏らす。
「おかげで社を護る事が出来た。ありがとう」
敵の動きは麓の信也も察知していた。
「やれやれ‥‥終わったか。ま、俺も生き延びられたようで何よりか」
敵軍内に紛れ込み、夜陰に乗じながら小隊同士の連携や進軍を撹乱したりと、孤軍ながらも戦い抜いていた。
「さて、道志郎の顔でも見に行ってやるか」
同じ頃。境内の戦いも遂に決着を迎えていた。
やけに静まり返った本殿の傍には、血塗れの斬が力なく膝をついている。彼と背中合わせに流が首だけで空を仰いでいる。周りには鎧武者の亡骸が転がっていた。2人の手練と熟達の忍びの力をもってしてもギリギリの戦いだったようだ。嵐も負傷を免れなかったが、忍びの矜持か、傷ついた体を見せることなくいつの間にか彼の姿はなくなっていた。
長い一夜が明けた。
冒険者達は一人として欠けることはなかった。奇跡的といってもよい皆無事の生還であった。
そして朝。
「今までとても心細かったと思いますケド‥‥もう、大丈夫ですよ♪ 絶対絶対に‥‥」
イリスが気丈な笑顔を見せながら負傷者の治療を行い、神聖騎士であり医者でもあるカイもそれに加わった。
「さっさと黄泉騒動を解決して、水戸藩はその力を伊達に向けてもらいたいね」
その傍では、クーリアが道志郎の刀の手入れの最中だ。
「約束だからね。今度は、怪我をしないようにと約束した方が良いのかな?」
「それは難しいかも知れないな。でも、心には留めておく」
「道志郎、どうやらお前に小太刀の類は似合わぬらしい。これを抜け」
「ありがとう、斬。後で試してみるか」
そんな道志郎を、イリスが少しだけ拗ねたような幼い表情を覗かせて眺めている。その背を小さく蹴押して見せた。面白いように転んだ道志郎へ慌てて駆け寄る。
「わ、大丈夫ですか?」
そ知らぬ顔に少し悪戯心を浮かべて。
「大丈夫だ。心配はいらないよイリス」
「なら、よかったです♪」
(「‥‥もうしばらくは、またお手伝いさせて下さいね」)
それから程なくして、冒険者達は揃って巫女の下へと集められた。
道志郎と斬以外はまだ話を聞いていない。
知りたい事は山とあった。
陸堂が切り出した。
「神器についてお聞きしたい」
「聞けば三種の神器の一つは失われたという。これは本当なのか」
信也の問いに、巫女はコクリと頷いた。
「神剣、勾玉。そして銅鏡。それが社に伝わる神器です。盗まれたのは神剣。それがどのような力を秘めているかは私にも分かりません」
信也が思案げに顎をさする。
「行方知れずの神剣は黄泉人が持っているのだろうか。奴らの目的は銅鏡と勾玉かもしれないな。だが、何の為に」
「一つ気になるんだが」
と、日向。
「一体して社がこれまで黄泉の侵攻に耐ええたのか。俺はさっきの戦いで社の近くに漂う清浄な気のようなものを体験した。あれは神器の成せる技なのだろうか。奴らはその神器を狙っているのではないか」
「ご明察です。それは、この銅鏡の力によるもの」
巫女が三本杉の根元で祈りを捧げることにより、銅鏡の力を借りて社は神聖なる空気に包まれる。この杉を中心として近づけば近づくほど亡者は動きを縛られる。黄泉人襲来の混乱の中、辛うじて神社へ逃げ延びた者達は、この結界だけを頼みに永き歳月を耐えてきたのだ。無論、それも雲野のような手練の存在で辛うじて支えられているに過ぎない。
「ならば、今回敵の侵攻を許したのは何故なんだ。早く銅鏡を持って逃れるべきでは」
それに答える代わりに、巫女は杉根と一体化した足をさすってみせた。
「人に身に過ぎた力は命を削ります。結界と引き換えに私は霊杉に身を捧げねばなりませんでした」
陸堂が悔しそうに歯噛みする。雲野が表情を険しくした。
「それでは、巫女殿らはここから逃れることは出来ない訳か」
「俺がいる間は亡者どもは巫女様の下へは近づけさせん。厄介なのは奥州武者だが、将を討ち取れたことで後詰が来るまで暫らくは間を稼げるだろう」
もって二月。それが限界になるだろうと雲野は冷静に述べた。流が肩を竦める。
「こうなると水戸藩を動かさねば我らだけではどうにもならないね。さて」
道志郎らはこれから再び水戸へ戻る。
敵の意図が見えぬ中、今だ知れぬその目論見を阻まねばならない。
思いの他に苦しい道となるだろう。
最後に、グラスが巫女へ屈託のない笑顔を向ける。
「うち、友達になれるかな。今まで黄泉兵達に追われて疲れていると思うんよ。癒したいな」
「‥‥ええ。異国の幼き娘よ。また、見えるのを楽しみにしていますよ」
社へ戻った雲野へ、不意に姿を現した嵐が並んだ。
「敵の襲撃と奥州武者。貴様、何か訳知りの素振りだったな」
鋭い視線は一瞬だけ交わった。
雲野が返したのは、たった一言だけ。
「‥‥藩に内通者がいる」
それ以上の言葉はいらなかった。
厳しい表情を浮かべて、二人はそのまま交差した。嵐は再び影へと消える。
荒廃した異国の地。領主さえもこの国では安易に信じてはならない。道志郎の行く手に待ち受ける困難は、彼が思っているよりも遥かに大きなものになるだろう。