●リプレイ本文
ギルドへ届けられた書状は、おそらくは御岩の社の縁者の報せ。道志郎の窮状を伝えているに違いないと冒険者達は意を読み取った。だが、そこにあるべき雲野の名はない。
なぜ依頼人は名を明かさなかったのか。
“彡”の文字とは何を意味するのか。
そもそもなぜ、依頼という形がとられたのか。
その内容はなぜ伏せられていたのか。
――冒険者達は、何を託されたのか。
■□
神聖暦一〇〇二年、霜月半ば。
道志郎はいまだ野に身を迷わせ、常陸の地に獄を抱いている。彼の大望が声となって世に届くか否かは、ひとえに冒険者の手にかかっているのだ。
江戸ではアルディナル・カーレスや鳴滝風流斎らの手を借りながら、陸堂明士郎(eb0712)がこれまでの水戸絡みの依頼を報告書に纏めた。道志郎の身柄についても自身の率いる誠刻の武の同志であるアルスダルト・リーゼンベルツを頼って手を打った。上州金山の地頭代補である彼を通して、執政の由良具滋から釈放の嘆願書をと願い出たが『他国の内政に干渉するなど出来ぬ』と厳しい返事。だが代わりに、身元を保証する親書を認めてもらうことが出来た。
精一杯のことはやったつもりだ。後は事に臨むばかり。
既に冒険者達は各々の考えで動き出している。
カイ・ローン(ea3054)らが向かったのは水戸の吉田神宮。御岩神社とも親交のある城下一の社だ。
「道志郎さんたら水臭いな、一人で無茶して。何の為に俺達がいると思っているんだ」
「道志郎さんは囚われのヒロインなのですね」
並んで歩くのは七瀬水穂(ea3744)だ。道志郎とは神剣騒動の折に酒場で論を戦わせた仲。神皇側についた水穂はあの時は敵味方に分かれたが、国を想う気持ちは同じだ。彼の窮地を耳にし、はるばる水戸へと駆けつけている。
同行する日向大輝(ea3597)が苦笑交じりに呟いた。
「便りが来たと思ったら囚われの身か‥‥、確かに無沙汰は無事の便りっていうけどさ」
仲間の不破斬(eb1568)から預かった紹介状を神職へ手渡し、調査への協力を願い出る。
斬の手紙には高鈴山での戦いが記されている。
「なんと、あの御岩神社へ行かれたと申されるか」
「黄泉の軍勢が取り巻き、社を落とそうと狙っていた。巫女の法力で辛うじて持ちこたえてはいたけど」
「‥‥信じられぬ。確かに、巷で噂に流れていたとも聞くが、まさか」
あの御岩神社とて流石に一年以上の長きに渡ってとなれば、とても。神職は一行の話を信用しきれぬ様子だ。大方、社が無事であってほしいという民草の願望が噂に形を変えたものであろうと神職は語った。事実証拠もなく、ホラ話と笑われても仕方がない。
「‥‥社の資料を漁りたいというのであれば、断る理由もないが」
「ありがとうございます。でも、お社のことと巫女さんのことは本当なんです。今も、社へは不破さんが向かっています」
御岩神社の窮状を伝える書状を貰えれば、水戸藩を動かせるかもしれない。
斬は単独で社を目指している。
「此度も己が責、必ずや果たしてみせる」
関所のある水戸の街を大きく遠回りし、道なき道を進む。見渡しのきく平野が続くこの常陸では身を隠して進むのは困難だ。夜陰に紛れて足を進めるしかなくては歩みも酷く遅く、何よりも、荒野を跋扈する魑魅魍魎の化け物どもが行く手を阻む。
(「流石に忍びのようには行かぬか」)
辺りに複数の気配。シビトか、或いは怪骨か。所詮は雑魚だが、数に頼られると苦しい。囲まれて手傷を負う前に片付けねば。
静かに得物を抜くと、斬は低く構えを取る。
「何人も己が役割阻みはさせぬ」
以前にも増して魔物の気配が多い。しかも心なしか強力な魔物が多くなってきている気がする。
道のりは、半年前に社を目指したあの時よりもはるかに厳しいものになるだろう。
社を目指したのは斬だけではない。風守嵐(ea0541)もまた雲野との接触を期して北へ向かっていた。
(「依頼人の“彡”はやはり雲野だろうか‥‥礼を言うぞ」)
武家の渡部夕凪(ea9450)からは水戸武士のことは話に聞いている。
水戸武士道には弱いものを守るという気風が強い。それゆえ、黄泉の襲来にも領民を守ろうとして多くの犠牲が出たのだとも。だがその血脈は幼君光圀にも受け継がれている。若き藩主は、忠信厚き家臣達に支えられながら常陸の解放を願っている。
だからこそ気になるのは、内通者の存在。
幼君の周りに、もしも叛意を隠す者がいたら。幼き光圀にはまだそれを見抜く力はあるまい。
裏切りと策謀は、裏の世界の住人の戦場だ。
水戸藩の裏に入り込む為には、御庭番衆に近づく他はなかろう。
「御頭の慧雪は手練と聞く。覚悟の上だ。」
関所は夜陰に乗じて大凧で越えた。そのまま風を掴まえ高鈴山を目指す。しかしその道は容易ならざる。夜空を駆ける大凧に幾つもの異形の影が迫る。痩せ細った鷹の体に、ひょろ長く伸びた首。以津真天だ。
身動きの取れぬ凧の上。満足に抗うことも出来ない。たちまち化け物は凧に群がった。こんな所で死ぬ訳にはいかない。お庭番への渡りをつけて貰うためにも、何としても雲野の元へたどり着かねば。失速する凧を嵐は遮二無二立て直す。
「人ならざるモノ共に、日の本の戦をいい様にされてなるものか‥‥!」
再び水戸城下。牢に冒険者達の姿がある。
道志郎の所在は程なくして知れた。伝の文言を頼りに探し歩くと、無宿人として投獄されているらしい。牢番に身元を明かすと、クーリア・デルファ(eb2244)は面会を許された。
「また無茶をしたようですね。腕の具合も本調子で無いのに‥‥」
「暫くだ。悪いな、心配かけてしまって」
今も痺れの残る右腕を撫で、十字を切る。
と、その後ろからイリス・ファングオール(ea4889)ひょこりを顔を出した。
びし、と片手上げて。
「おやぶん、おつとめご苦労さまです!」
「イリス。来てくれたのか」
「牢屋に入れられていると噂に聞いたときは驚きましたけど、元気そうでよかったです。‥‥シャバの事は私たちにお任せしておつとめがんばってくださいね」
冗談めかして口にすると、イリスがそっと道志郎の手を取る。
クーリアも近況を伝えて聞かせ、道志郎を励ました。分かってはいた事だが道志郎の元に情報はない。今は再会を喜んでいる時間ではない。二人はすぐに牢を後にする。
「今は無理をせずに動かず静養すること。動かないといけない時に動ける為に力を蓄えておいてください。捕まったのは天の計らいですよ。落ち着くことで今まで見えなかったものが見えることもありますしね」
「‥‥では、ひとまずはさよなら‥です♪」
イリスが手を振り室を出て行った。
帰りしな、クーリアが牢番に金を握らせて頭を下げた。
「差し入れを頼む事もあるかも知れない。少ないが、その時は目溢しを頼みます」
「道志郎さんが早く解放されることを願ってます」
イリスが深々と頭を下げるる。
「この人は今までにたくさんの人を助けて来ました。今もそうして自らを危険に晒して、ここに囚われることになりました」
木っ端役人にこんなことを言っても困らせるだけなのは彼女にも分かっている。だがせめて、それだけでも知っていてほしい。身の丈以上の大志を抱き、今も不遇の身にある道志郎の思いを遂げさせるため。
思いを一つに今も各地で動く冒険者達の下へ、やがて好機は訪れる。
ルーラス・エルミナス(ea0282)は以前に水戸藩の依頼を通じて水戸藩士の古賀という若侍と知り合ったことがある。彼を通じて本多忠勝殿への伝を手繰り寄せられるかも知れない。
今、ルーラスは城下の寺を訪れていた。
「ご住職様はおられますや。以前に藩からの依頼で、水戸藩士の侍達と共にシビトの群れと戦ったものです。聞けば、犠牲となった藩士達の御霊はここで供養されているとか。今日は、江戸より花を手向けに参りました」
「これはこれは。遠きところからよくぞ参られた。江戸の民も苦境にあると噂に聞こえております。御霊も慰められましょう。どうぞ、こちらで御座います」
黄泉人襲来の折に犠牲となった侍達は、死後にシビトと成り果てて更なる悲劇を呼んだ。ここには彼らの遺品がこの寺に集められ、供養されているという。霊前に花を添えて手を合わせると、ルーラスは切り出した。
「ご住職様、不躾な願い出で恐縮ですが、もしも水戸藩の古賀殿が見えましたら、この文をお渡し願えませんでしょうか」
「古賀殿に? それでしたら」
と、住職が本堂を振り返る。
「ちょうどあちらへ見えておる所に御座いますぞ」
堂から侍達が姿を見せた。既知の顔を見つけ、ルーラスは胸を高鳴らせる。文が届くまで時間を見ねばならぬだろうと覚悟していたが、千載の機。伝を取り付けるには今しかない。
「これは暫くです、古賀さん」
「‥‥貴殿は、もしや」
「その節はお世話になりました、ご無沙汰しております」
慇懃に礼を取るとルーラスは用意してきたその台詞を口にした。
「黄泉人の動向とその危険性に付いて調べた報告書をお渡ししたく御身をお探ししていました。ここを訪ねれば或いは古賀殿とお会いできるかと思いまして」
「知り合いか、古賀」
傍らの侍が鋭い視線を向ける。
古賀が姿勢を正した。
「は。シビトとの戦いで肩を並べた冒険者のルーラス殿です」
「古賀さん、そちらの御仁は」
「我が藩の重鎮である本多忠勝様だ。今日はかつての部下の霊前を訪ねられるということで私もお供させて頂いていたのだ」
彼が噂に名高い闘将忠勝。
水戸が軍を動かすという情報が本当なら、間違いなくその中心にいる人物だ。
「あの時は江戸の民にも世話になったな。ここに眠る同胞に代わって礼を言うぞ。では、俺は城へ戻らねばならぬのでな。早々だが、是にて失礼仕る」
今を逃してはならない。その背をルーラスが呼び止めた。
「忠勝様」
「何だ、俺にまだ何か用か」
「私は道志郎という侍の下、黄泉人に対抗するために動いています。忠勝様のお耳に入れたいことが御座います」
「ならば後で使いを寄越す。藩吏に仔細を伝えるがよい」
「お待ち下さい」
追い縋るルーラス。
「事は急を要します。内密にお話があるのです。我々の拠点である旅籠へお越し頂けませんか」
「不心得者めが。控えぬか!」
怒声がびりびりと辺りを振るわせた。
藩政の実力者に対して直接上申をするだけでも無礼であるのに、話があるので出向けというのでは怒りを買うのも無理はない。それも然るべき場所で一席設けるならまだしも旅籠のような場へ呼びつけようというのだから非礼の謗りは免れない。
「どうかお話だけでも。我々は水戸の民を助けたいのです」
「忠勝様、せめて話だけでも耳に入れられては」
古賀に請われ、忠勝は足を止めた。
「道志郎と申したな。その者が何者で、何故お前らのような冒険者が動いている」
ルーラスは語った。
道志郎の依頼によって集められた仲間がいること。そして今も仲間達が方々で動いているだろうこと。陸堂がただ一人旅籠に残ったこと。
「して、その仲間とやらはどこへいるのだ?」
水戸を去る前に落ち合うとの決まりだが、皆がどう動いているかは彼も知らない。
「そ、それは‥‥」
「なるほど、それでその陸堂と申す浪人が一人で残っていると」
と、古賀。
「この忠勝も舐められたものよな。俺には素浪人の一人で事足りるとは」
目通りが叶ったとして仲間達全員が許されるとは考えづらかっただろうが、道志郎が表舞台に立てるか否かを分ける時。一丸となってあたるべき事であったはずだ。
「道志郎さんは関所破りの罪で水戸藩に投獄されてこのままでは動くこともままなりません。我々の話をお聞き下さい、そして道志郎さんの釈放を――」
「分を弁えぬか。下郎めが」
今度は振り返らない。
肩を怒らせ、忠勝は去っていった。
■□
その日の夕刻。
陸堂は、肩を落として宿へ戻ったルーラスを出迎えた。
「ルーラス殿、首尾はどうだ」
彼の様子を見てすぐに予感が走る。
「‥‥まさか、ルーラス殿‥」
考えが甘すぎた。
或いは、冒険者の間では少しは名が売れているという驕りがあったのだろうか。相手は一国の政に携わる武士。一介の冒険者が藩政に口を挟むことは無礼との認識はあったが、ならば謝意を表せばよいという訳でもあるまい。水戸藩にとっても利のある話であること示さねば、身分卑しき冒険者と面会を持つに忠勝の面子が立たぬ。来る黄泉人との戦に馳せ参じることを条件にとは考えていたが、女子供を含むどこの馬の骨とも知れぬ冒険者がたかだか10名ほどというのでは安すぎるだろう。
「黄泉人の脅威討つ時は今を置いてないというのに」
陸動が報告書を握り締める。
もっとも、それも如何程の交渉材料となったかは知れない。水戸城解放に関わる依頼の殆どは水戸藩直々のものであり、報告書は藩に届けられている。残る道志郎の依頼したものに関しては藩法に触れる際どいものもあり、不心得者の謗りは免れかっただろう。
せめて、うまく雲野存命の札を切る機を作れていれば。
陸堂はその場に立ち会えなかった己の不甲斐なさを呪った。
「雲野殿存命の証左も示せぬのではまともに取り合って貰えぬのも無理もないが、しかしその目隠をした男は凄腕の忍びで、御岩で巫女を守ってた。そして名を告げたのだ。雲野十兵衛と‥‥」
その雲野が道志郎へひとときの信を寄せたのは、何故であったか。不意に、江戸で仲間達を見送った黒崎流の声が脳裏によみがえる。
『皆が何故、道志郎に惹かれ集ったか‥‥それさえ忘れていなければ、陸堂殿ならば大丈夫だろう』
道志郎にはただの冒険者や武芸者でなく、この乱世で人を率いる人物になってほしいと彼に将器を見出したのは、他ならぬ陸堂だ。忍びらを始め幾人かは離れて動くにしろ、道志郎の下に冒険者達が集っていることを示す必要があった筈だ。
冒険者を繋ぐ縁。
ただそれだけが、いま道志郎の手にあるものなのだから。
(「その器の中身足らんとするこの俺が、この様でどうする‥‥! 済まない、道志郎殿‥‥」)
この破れが決定的であった。
独自に伝を使って忠勝へ働きかけていたグラス・ライン(ea2480)の試みも苦い結末を迎えている。
「うちはマハラさんの紹介できたグラス・ラインや。よろしゅうな」
浮かべた微笑に門衛は答えない。
「ここはお前のような者のくる所ではない。忠勝様はお会いにならん」
「なんでやー? マハラさんからの手紙は届いてるんやろ?」
かつて忠勝の配下『黒牙衆』であったマハラ・フィーを通じて送った書状には、道志郎への面会を所望する旨がしたためられている。
「話は聞いておる。忠勝様は取り合うなと仰せだ」
「道志郎さんは北の情報を得る為に石橋宿の関所で捕えられてるようなんや、うち等は御岩神社が黄泉人に襲われてるのを救いにもいったんや。うちは騒ぎで傷つく人を減らしたいんよ。活動の許可を貰いたいんや」
「ならん、くどいぞ小娘」
元忠勝配下の紹介状といっても、年端も行かぬ少女が供も連れず一人で訪ねてきたとして、それも得体の知れぬ咎人の素浪人へ面会をして欲しいなどという要望に、忠勝が応えるだろうか。かえって、マハラ自身の信用を落とすだけだ。
(「厳しくても話せる方とマハラさんは言ってたけど‥‥ウチみたいな子どもではあかんかった。ごめんな。道志郎さん、ごめんな‥」)
この場に陸堂ら仲間達がいなかったことが悔やまれる。元黒牙衆の伝は確かに大きい。体裁を整えて門戸を叩いていれば面会は叶っていたに違いない。陸堂の用意した言葉では説き伏せるは出来なかっただろう。だが、少なくとも忠勝と繋がりだけを残すことだけはできたはずだ。
仲間達が共に動いていれば、窮地にあっても互いに助け合い、活路は見出せたかもしれない。手分けして独自に動いているといえば聞こえはよいが、連携と統制の取れぬ冒険者はただの烏合の衆。遊軍だけの軍隊が戦に勝てる道理はないのだ。
水戸藩士との接触を図ろうとしていた榊原信也(ea0233)も何も果たせぬままでいた。
水戸城に出入りしている藩士を観察して幾人かの顔を覚える所まではよかった。彼らに近づき、酔わせて情報を引き出そうという考えだったが、そもそも、水戸の藩士が庶民に混じって安酒場で飲むはずもない。もっとも、好機が訪れていたとしても、亡き頼房の時代から清廉を教えとして育てられてきた水戸武士たちがそんな安い手に引っかかりはしなかっただろう。
(「急に軍備を整え始めたのが誰の意見なのか知りたかったんだがな‥。黄泉人と繋がっている人物がいるとしたら、幼い光圀公なら自分の思いのままに操ろうとしている可能性もある。光圀公の周りで何かが起こっているはずなんだ」)
軍備拡張の話はまだ市井へは噂にものぼっていない。ただのガセというのでなければ、この情報は水戸藩にとっては秘中の秘。多くの藩兵の命を左右する軍事機密だけに、外へ洩れるのは藩の命脈に触れる。それをあえて調べ上げ、伝えてきたのであろう依頼人のことを思うと、同じ忍びとして身の震える思いだ。
命がけという言葉だけで語るに余りあるものがある。
(「となれば、いま不用意に城へ近づくのはまずいな。これ以上は城方の忍びに気取られるかもしれないか‥」)
信也ほどの忍びならば、他にその腕を活かす場さえあれば大きな力となっただろうに、惜しい。
一方でクーリアは旅籠で金物の修繕をしながら噂に耳を傾けているが、ただの留守番程度の役しかできぬままでいた。
「そうか、知らないならいいんだ。で、包丁の切れが悪いということだったね。あたいが研ぎ直しますよ。あたいは鍛冶師なんで、時間があれば鍛冶の腕を高める為、鈍らせない為にもね」
もっとも、もし何か耳に出来たとしても、素人が噂に聞けた程度のことでは、お庭番を抱える水戸藩も掴んでいるだろうが。
早々に吉田神社の水穂たちと別行動を取ったカイも同じく行き詰っている。出立前には伊達軍から何か情報を引き出せないかと知人の磯城弥魁厳を頼ったものの、言葉に明るくない異人に出来ることなど少なく、収穫はゼロ。カイ自身も水戸で調査を試みはしたが。
「外国人ゆえに客観的にこの国の歴史を見れるのは利点かな? でも日本武尊や東征の資料なんて、水戸のどこを当たればいいのかな」
歴史に詳しい所を探そうにも、何のあてもなく別行動を取ってしまったものだから、貴重な滞在時間を無為に浪費してしまっただけだ。黄泉人の関わっていそうにないものにまで範囲を広げて虱潰しにというのでは、たとえ専門家でも手に余る。
「たぶん不思議な剣やつわものが出る話なんかが怪しいと思うんだけどな」
ただの素人が考えなしに動いて何とかなるものではない。仲間と作戦をすり合わせておいたほうがいいのではという思いはあったが、かといって手立てがある訳でもなく。こんなことなら、まだ吉田神社に残って仲間を手伝っていた方がよかった。
その吉田神社も、成果は芳しくない。
日向は御岩神社の神器について話を聞いているが、やはり直接的な文献は御岩の社でなければ手に入らなかったようだ。
(「そういえば、剣がどんな力を持っているか巫女さんも分からないといっていたな。これじゃ無理もないか」)
神職の話では、三種の神器は社の本殿に安置され、外部の者は目にすることすら叶わないのだという。日向が歯噛みしていると、神職はこう付け加えた。
「ただ、一つだけ噂に聞いたことがある」
それは勾玉にまつわる話。
「まだ若い頃、御岩の社で修行を積んでいた頃に先代の巫女から話に聞いたものだ。勾玉は三本杉の神気を蓄える力を持っているのだと。もし本当なら、数百年に渡って膨大な神気が蓄えられていたことになる」
もっとも、その力が何の為にあるのかは想像もできないが。そう神職は結んだ。
貴重な話を聞けたと、日向が頭を下げる。
(「‥‥強大な神気力‥いったい何のための力なんだろう‥?‥‥」)
一方の水穂は文献とにらめっこしている最中だ。
「黄泉人の事件には神話にある日本武尊の伝承が関係するのだと思うです」
黄泉人の存在は歴史から抹消されたのでは。
それが水穂の考えた可能性であった。
「古の言い伝えでは、日本武尊の東征で蛮族が討伐されたといいます。それがもしも黄泉人だったと仮定すると、これまで見えてこなかったことが分かるかもしれないのです」
「水穂さん、進んでるか?」
「正直煮詰まってるですよ。日向さん」
「みたいなだ。ほら、そんな顔しないでくれよ。俺もこれから手伝うから」
「うにゅ。助かります」
社に通い詰めて何日にもなる。学識のある日向がいてくれるのは心強い。しかし、伝承に明るい訳でもない二人だけではまだ手に余る。斬や陸堂がその手の話には明るいと聞いていたが、少し齧っただけとはいえまったくの素人よりはずっとましだったろう。
「弱りました、お手上げですよ」
水穂が座敷に体を投げ出した。
水戸滞在までの刻限はもうすぐそこへ迫っていた。
イリスはひとり街頭に立って歌を口ずさんでいる。
(「‥‥まだここが平和だったころ当たり前だったことは、今思い返せば『ああ、あれが幸せだったんだな』って思えることが、きっとたくさんです」)
一瞬でも、ほんのささやかでも。
常世の国と呼ばれていた在りし日の、そんな時間を思い出せるような歌を。
(「そして、願わくは皆さんの未来に祝福がありますように‥‥Good Luck!」)
少女は祈る。
だが、迎えた結末は余りに過酷であった。
――高鈴山。
瀕死の体を引きずりながらも、冒険者は御岩の社へたどり着いていた。
高鈴山へごうごうと風の音が響き、空を黒雲が千切れながら流れていく。
冒険者は遂にその光景を目にした。
あるはずの三本杉はなく、がらんとした空間が口をあけている。
「馬鹿な‥‥」
力なく呟きが洩れる。
あの少女も、彼女を守る忍びの姿もそこにはない。集っていた人々も煙のように消えている。だが確かなのはそこかしこに残る殺戮の跡。
――もって二月。それが限界になるだろう。
脳裏に雲野の言葉がよぎり、次いで、江戸へ宛てた文の名が浮かぶ。
『杉』の『木』は失われた――。
(「既に、社は‥‥」)
水戸では、陸堂が最後の賭けに出ている所だ。
裃に身を包み、水戸城を訪ねる。
「自分は剣侠、陸堂明士郎と申す者。光圀公にお伝えしたきことが御座る。本多殿に取り次ぎを――」
「控えろ、下郎! ここはお前のような者がくる所ではない」
「水戸の民が為、何卒、何卒‥‥!」
道志郎を世へ出さんと願う冒険者達の前で、終に水戸の門は閉ざされた。
水戸到着から影で仲間を見守っていた音無藤丸(ea7755)の表情に差す陰は濃い。
(「厄介なことになりましたね」)
万策尽きた。道志郎の悲願も成らず、雲野との伝も失い、内通者の手がかりもついに得られなかった。
(「マハラさんからは、以前から水戸藩内に魔物と手を組む輩が暗躍していたと聞いています。敵の見えない戦いに勝算はありません。内通者の存在が気になります」)
雲野から話には聞いているが、それが水戸藩内のどこに潜んでいるかはまるで見当もついていない。何とか尻尾を掴もうとした藤丸は、到着以来イリスを影ながら見守って来た。
(「道志郎さんは良くも悪くも目立つ存在です。イリスさんのようにそれが拙者などより昔から行動を共にするのであれば知られていてもおかしくないと思いましたが、当てが外れましたか」)
こうなることは予想できたはずだ。イリスも道志郎の面会の以後は街を流していただけだし、それならばいっそ以後は別の策をとっていた方が良かったかもしれない。これは藤丸の失策だ。
ただ一つだけ気になった事がある。
(「時折、誰かに見られているような気配を感じましたね。それも、道志郎さんの牢の周りでも‥‥」)
見られたというよりは、気配を探し回る視線を感じ取ったというのに近い。
そういえば嵐も水戸のお庭番は手強いといっていた。道志郎のことはともかくとしても、これから軍を動かすという時期に膝元で怪しい動きがないように水戸の忍びは当然目を光らせている筈だ。
(「まだ私の存在まで気取られたとは思いませんが、もっと用心せねばなりませんね」)
依頼の期日は終わり、冒険者達は失意の内に水戸を後にする。
吉田神社では水穂らが調査を終えて去る所だ。
「貴重なお話をありがとうございました。これは少ないけれどもお布施です」
限られた時間で精一杯のことはしたが、思う成果は得られなかった。
日本武尊の伝説はここ総州にも僅かばかり伝わってはいたが、東征の道筋は上野から奥州に入る、ここ常陸を通るのは異説の類。吉田神社にもそうゆかりはなく目ぼしい記述は見つからない。或いは黄泉人と東の蛮族との関係を疑った者が水戸藩内にいたかもとも期待していたが、空振り。東の蛮族についても分からずじまいだ。
(「ふむ。奥州の方で調べられれば文献が見つかる可能性もあるかもですね」)
と、いうことは‥‥。
水穂の表情が暗い予感に翳る。黄泉人は奥州との境から突如として水戸へ襲来した。そして、噂に聞く、シビトと同道していたという鎧武者――。
彷徨い出した思考は、だが、投げかけられた言葉を前に不意に掻き消える。
「黄泉人は、なぜこの常陸を狙ったんだろう。なぜ常陸が襲われなければならなかったんだ‥‥?」
これまで見てきた常陸の惨状がありありと思い起こされる。
まるで、腐肉から腐汁が染み、蛆涌き黴が生えるように。濃い瘴気に埋もれ行く常陸には不浄な魔物が跋扈している。
「前の調査でもそれが謎だったんだ。俺は石橋以北の地をこの目で見て来たぞ。どこもかしこも、聖域と呼ばれる所は汚しつくされていた」
黄泉人の目的は、この常陸を穢し尽くすことだけのようにすら日向には思えた。かつての常世の国の有様は、現世へと現れた黄泉の国のようだ。ふと思い浮かんだのは、黄泉津大神へと変じた伊邪那美命の伝説。生の象徴たる国生み神生みのその女神は、火の神を産み落とした傷で命を落とし、黄泉の国の主たる神へ姿を変えた――。
思案げに伏せた視線を日向が上げた。
「神職さん、イザナミを奉じる神社って他にはないのか?」
それに神職は黙って首を振るだけだ。
「この、常陸には」
御岩の社はそれだけかけがえない霊場であったのだ。おそらく、今回の黄泉騒動の中心にあったのは御岩神社。そして、そこから黄泉の軍勢が姿を消した今、事態は次の幕へと動こうとしているはずだ。
その御岩の社の惨状を目にした嵐と斬は、肩を落として水戸への帰途へとついていた。
目的を同じくする二人、協力して事に当たっていればもっと早く報せを持って帰れていただろうに。だが今はそのことはいい。それよりも、脳裏に浮かぶのは当然の疑問。
(「依頼人は何故、杉が失われていたことを知っていた‥?」)
それはつまり――。
どのような経緯で御岩が落ちたのかは分からない。だがそこから生き延び、報せを届けられる者となると雲野以外には思いつかない。
おそらく孤軍しているだろう彼の心境を思うに昂りを禁じえない。
江戸への文を送るだけでも敵に知られる恐れがあったに違いない。名前はもちろん、置かれた境遇を書き記すことはできない。彼ほどの忍びでも一人ではどうにもならぬほど事態は切迫している。そんな中、雲野が辛うじて助けを求めたのがあの僅かな文言の書状だったのだろう。白紙の依頼内容が、彼からの精一杯のメッセージ。雲野は確かに冒険者達を頼んだのだ。
それを見誤った冒険者の失策は大きい。
未だ姿を見せぬ敵に対して一手、いやもっと大きな遅れとなるだろう。雲野が何を託したのかは今も分からない。果たして、今から巻き返せるだろうか。
希望は、潰えたのだろうか――?
再び水戸。
以前の道志郎救出の依頼では、流が水戸で兵を集めて黄泉軍の牽制を行った。道志郎は捕縛されるまでの間、彼らと交わり黄泉への対策を捜し求めていたようだ。
流の配下でもある桐乃森心によって、イリスは彼らと引き合わされていた。
「道志郎の旦那は、俺達を庇って役人に捕まったんだ」
「黄泉との戦があるって話は本当か? 俺達はいつでも道志郎さんの下で戦うぜ」
青年が歩んだ道は無為ではなかった。
(「道志郎さん、‥‥聞こえますか? 道志郎さんの見た光は、まだ消えていませんよ。だから」)
イリスが空を仰いだ。
ここ常陸の空は、鈍色の空に覆われて暗い。だが日の差さぬほの暗い地の底でも希望の灯火は消えぬ。道志郎に光を見出した仲間達が、彼を支える限り。今試されているのは仲間達のその腕。彼の背を支え押し上げるその腕だ。