【傀儡の旋律】影は茶番にほくそ笑む。

■シリーズシナリオ


担当:蓮華・水無月

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:7人

サポート参加人数:-人

冒険期間:11月26日〜12月01日

リプレイ公開日:2009年12月02日

●オープニング

 もう少しショックを受けるかとは、思っていた。彼の死を告げた時の話だ。覚悟をしているとは言っていたし、幼馴染とは言え長く会ってなかった相手でもあった。だが、大きく目を見開き唇を戦慄かせた後、数日落ち込む様子を見せた後は以前と変わらず仕事に精を出していた。
 それが空元気だとも思ってはいた。だが些細な、例えば時折向けられる物言いたげな眼差しや距離感が掴み切れない苛立ちや、そんなものを差し引いても妹は立ち直ろうとしていると感じていた。
 だがそうではなかったのだろうか、とグウェインは馬車の中のティファレナを見上げる。憔然とした眼差しで膝の上の自分の両手を見下ろす彼女の内心は見えない。
 数日前、ティファレナは仕事でミスをした。冒険者ギルドに張り出した依頼に、故意に出現モンスター情報を記載しなかった疑い。依頼人は確かに彼女にその事実を告げたと主張し、同僚はオーグラの話は確かに出ていたと証言し、ティファレナはオーグラの話をした事実を認めた。
 だが故意に、という部分だけはゆるゆる首を振って否定した。

『よく覚えてませんが、後でやはりオーグラではないと考え直したのではないかと』

 実際、依頼人の話だけからモンスターを特定するのは困難を伴う。故に、疑いが晴れた訳ではないがティファレナは自宅謹慎という処分でひとまず落ち着いたのだ。
 多分、妹はグウェインが思う以上に、そして彼女自身が思う以上にショックを受けていたのだろう。だかららしくない判断ミスをしたのだ。
 グウェインはそう結論付け、妹にしばらく実家でのんびりして来い、と薦めた。妹はぼんやりした眼差しでそれに頷いた。
 不意に、ティファレナの眼差しが膝の上から兄に向けられる。

「兄さん、何か父さん達に伝言はありますか?」
「ん、別にねぇ」

 妹の言葉にひょいと肩をすくめた。若い頃にやった馬鹿のせいで両親のグウェインへの心証はよろしくない。必要な事はシフール便で送ってあるし。
 その事はティファレナも知っていたから、呆れたため息一つを吐いたきりだった。実家までの同乗を頼んだ家族に声をかけ、動き出した馬車が小さくなるのを見送って。

「レギンスさん、お久し振りです」

 振り返ったら、いつの間にかそこに居た顔見知りがそう言った。旅の魔法使いマリン・マリン。いつでもどこでも月道で移動出来る彼女に、いつの間に、と尋ねるのは無意味だ。
 だからグウェインが聞いたのは別の事。

「お嬢さん、だいぶ元気になったのか?」
「はい! 今日はちょっと身体慣らしも兼ねて、ご自慢の妹さんを見に来たんです」

 にっこり笑ってそう言ったマリンに苦笑する。夏の最中にカオスの魔物に囚われ、秋の始めに冒険者達に救出されたアルテイラの彼女は目下、ウィルからはるか離れたリハン領の山奥で静養中だ。身体慣らしにもほどがある。
 それに肝心の妹はまさにその、リハン領にある実家に帰って行った。完全なすれ違いだ。
 そう告げると、マリンはガッカリした顔になった。度々グウェインが妹の事を語るので、とっても興味があったらしい。
 だが居ないものは仕方ない、と大人しく帰りかけたマリンは、不意に真剣な顔で振り返った。

「レギンスさん。何か、ありましたか?」
「‥‥は?」
「この辺り、少しですけどカオスの魔物の気配がします。今は居ないみたい、だけど――地獄で会った魔物に似てる気がして」

 気をつけて下さいね、と言い残してマリンは繋いだ月道へ消えて行った。それを見届けずグウェインは真剣な顔になって、盛大に舌打ちして走り出す。
 マリンを夏に捕らえた魔物のうち、一匹は倒した。だがその魔物が主様と呼んでいた魔物の事は不明だ。恐らく遥かに強いのだろう、と予想されている程度。
 カオスの魔物というだけでもやっかいなのに、そんな高レベルな魔物では一溜まりもない。万全を期してウィル内をくまなく捜索すべく、グウェインは職場に向かったのだった。





 久しぶりの実家はなんだか、他人の家のような気がした。
 確かに自分が育った家の前で、ティファレナはそんな感想を抱いてしばし立ち尽くす。ウィルへ出て長いせいだろうか、どんな顔で入っていけば良いのか判らない。
 そうしているうち、扉は中から開いた。記憶の中より少し年老いた顔を出した母が、ティファレナを見て呆れた顔になる。まるで兄のような顔だと、思う。
 そう考えてティファレナは少し顔をしかめ、浮かんできた感情をやり過ごそうとした。平常心、と自分に何度も言い聞かせる。この頃では兄の顔を見るたびに浮かんでくる、その感情。
 母はティファレナから荷物をひったくるようにして家の中に連れて行き、温かいハーブティーをドンッ! と大きなカップに注いでよこした。なみなみと入った薄緑色の液体を見下ろして、姉と呼ぶ女性の事を思い出す。思い出し、押し殺しかけた感情がゆらりと首をもたげるのを感じる。
 飲み込むように、ティファレナはカップに口をつけた。香り豊かなお茶が喉の奥を滑り落ち、一緒に感情も押し流す。そうして飲み込み、押し殺そうとする。
 なのに。

「――そうそう、あんたまさかハルスタットの馬鹿息子に会ったりなんか、してないでしょうね?」

 ウィルでの生活や兄の様子など、息つく暇もなく矢継ぎ早に尋ねてきた母が、その延長で確認する様にそう言ったから。

「‥‥ぇ」
「あんたがウィルに居る間にね、あの馬鹿息子、魔物になって帰ってきたんですって。怖いわね、ご領主様と冒険者が退治してくださって一安心だけど‥‥あらあんた、ギルドで何も聞かなかったの?」
「‥‥イザヤお兄ちゃん、は」
「姉の方だってもう魔物かも知れないわよ。会いたいって言われても絶対に近付くんじゃないわよ、昔から何でだか懐いてたけど、あんたみたいな子は良い餌食なんだから‥‥」
「イザヤお兄ちゃんを悪く言わないでッ!」

 せっかく押し殺そうとした感情が、怒りがこみ上げてきて、瞬間、手がつけられなくなった。一刻も早く母の言葉を止めたくて、考える前にテーブルの上の花瓶を引っつかみ、母目掛けて力の限り振り下ろす。
 ガシャンッ!
 激しい破砕音と、水音と、それに混じって母の悲鳴が聞こえた気がした。だがそんな事より、母の言葉が止まった事に安堵し、ティファレナは荒い息を吐く。
 怒りが彼女を支配する。どうして誰も彼もがイザヤを悪く言うのか。判ってる、かオスの魔物の手先になったからだ。でもそれは事情があって、イザヤはエイミを助けたくて、それで。
 なのにどうして皆がイザヤを悪く言う。レイナの事を悪く言うのだ。何にも知らないくせに。何にも知らないくせに、どうしてまるで、自分達だけが正義みたいに。

(お兄ちゃんとお姉ちゃんを悪く言わないでよ‥‥ッ!)

 どうして自分がこんなに怒っているのか判らないけれど、怒りが止められない。物音に気付いた近所の人達が驚き顔で飛んできて、家の中の光景を見て恐怖した。誰かが呟くのを、確かに聞いた。
 やっぱり、カオスの魔物の幼馴染だから。
 その瞬間、ティファレナは沸き起こってきた更なる怒りに絶叫した。





 湖の畔で、彼女はふと眉を寄せた。

(魔物の気配‥‥近いです)

 ウィルでも感じた気配。だがこちらの方が強く、生々しい。
 彼女はしばし思案して、相棒たる白亜の魔杖に声をかけた。まずは冒険者ギルド。一緒に行ってくれる人を探しに行くのだ。

●今回の参加者

 ea2449 オルステッド・ブライオン(23歳・♂・ファイター・エルフ・フランク王国)
 ea9494 ジュディ・フローライト(29歳・♀・クレリック・人間・イギリス王国)
 eb4199 ルエラ・ファールヴァルト(29歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb7689 リュドミラ・エルフェンバイン(35歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb9949 導 蛍石(29歳・♂・陰陽師・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ec4427 土御門 焔(38歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 ec6278 モディリヤーノ・アルシャス(41歳・♂・ウィザード・人間・アトランティス)

●リプレイ本文

 旅の魔法使いを名乗る少女は、冒険者ギルドの片隅で相棒の白亜の魔杖を抱き、冒険者を待っていた。日頃は陽気な彼女の顔は、些か不安に揺れている。かつて自らが地獄に捕らわれた時の事を思い出しているのかもしれない。
 だが行くと決めた彼女の傍らには、ジュディ・フローライト(ea9494)が思わしげな表情で立っている。

「地獄で会った魔物と近い気配‥‥噂に聞く『主様』でしょうか?」

 彼女自身はかつて、精霊の言葉を騙るものと名乗る魔物と対峙した。その魔物からは『主様』の事は一言も出なかったが、かつてマリンを地獄に捕らえた魔物『死屍人形遣い』は件の魔物が同じ主に従う魔物であると示唆していた。
 ならばこの件、単なるカオスの魔物騒ぎではない。何より、つい先ほどギルドに届けられた騒ぎを聞けば、その想いは強くなる。
 彼女の気持ちを代弁するように、オルステッド・ブライオン(ea2449)が重々しく呟いた。

「‥‥ティファレナさんに魔物の影、か‥‥」

 冒険者にとって、ギルドの受付嬢は最も接触の多い相手だ。さらに彼女の兄グウェインは元冒険者であり、引退した今も度々冒険者と依頼に同行している――仲間、または身内のような相手。その彼女がこの騒ぎの根幹に居るとなれば、日頃とは違う気持ちで依頼書を見つめたのも当然かもしれない。
 こんな事態になっては連れて行かない訳にはいかないと、職場から文字通り引っ張って来られたグウェインはそわそわギルド内を歩き回ったり、かと思えばボーッと虚空を見つめたり。さっきから目を覚まさせようと何発となく殴っているのだが、一向に落ち着く気配がない。
 いい加減顔の形が変わりそうなので、オルステッドはため息を吐いて手を下ろした。真面目な話、殴る方も痛いし。その頬をさすりながらまたイライラと歩き回るグウェインに、打つ手なしと肩をすくめる。
 だが気持ちは判らないでもない、とモディリヤーノ・アルシャス(ec6278)もその知らせを聞いた時の衝撃を思い、息を吐いた。蘇るのはかつての依頼――ティファレナが泣くと言った言葉に微笑って逝った男。彼の姉はモディリヤーノに、自分よりもティファレナが心配だ、と言っていた。
 何としても止めたい。だがその為には手荒な手段に出なければならない事もあるだろう。それを頭を下げて謝罪したジュディに、青年は苦い顔になった。かつてカオスに落ちた幼馴染に妹を傷付けられただけで『殺す』と息巻いていたほどのシスコンが、果たして何処まで理性で動けるものか。
 だが幸いと言うべきか、土御門焔(ec4427)は報告書以上にはその時の状況を知らない。

「カオスの魔物、ですか。騒動を起こすからには何か目的があるはずです」

 故に今彼女に出来る事として、焔はフォーノリッヂのスクロールで垣間見た未来を仲間達に伝えた。ティファレナが日頃の彼女からは想像もつかない恐ろしい顔で冒険者を睨みつけ、魔物に取り巻かれる光景。それはやはり、カオスの魔物の関与があるという事だろう。
 その言葉にリュドミラ・エルフェンバイン(eb7689)も眉を潜め、グウェインを見た。ティファレナが関係する報告書は少ないが、それらに目を通しただけでも一種危なすぎるグウェインの妹への溺愛ぶりは窺われた。ならばこの落ち着かない態度も頷けると言うものだ。
 だが冒険者は所詮他人。もし彼女が本当にカオスの魔物の影響下にあるとすれば、引き戻せるのは身内であるグウェインしか居ないだろう‥‥そう考え、冒険者達は気遣わしそうに男を見たのだった。





 何にしても、暴れているというティファレナを取り押さえる事が最優先だ。そう結論付けた冒険者達は、マリンが繋いでくれた月道を通り抜けた後、時間を無駄にせず行動を開始した。
 まずは導蛍石(eb9949)が仲間達にレジストデビルを付与する。カオスの魔物が関わっている可能性が極めて高い以上、対策は欠かせない。
 それが無事に終了した所で、ルエラ・ファールヴァルト(eb4199)は手近な村人にティファレナの居場所を尋ねようとした。だが誰も彼もが混乱に陥っている。さらにはグウェインの姿を見るなり、恐怖と嫌悪で逃げ出すものだから埒があかない。
 そのグウェインは、周囲の反応など知った事ではなく、チッ、と大きな舌打ちを一つ。

「ティーッ!」
「グウェイン様‥‥ッ」

 どこかめがけてまっしぐらに走り出した男に、ジュディが焦った制止の声をかけた。だがもちろん止まらない。止まるようなシスコンじゃない。
 後を追うかどうか悩み、だがジュディは首を振った。向かった先がどこだか知らないが、そこにティファレナが居るなら下手に近付くのは危険だ。彼女は魔物に憑依され、或いは操られている可能性が高い。グウェインが刺激すればもしかして、他の村人に魔物がターゲットを変える可能性もある。

「まずは村の方達の避難を優先致しましょう」
「解りました。マリンさんもお願い出来ますか?」
「では私は護衛を」
「私もお手伝いします」

 故にまずはなすべき事を、と提案したジュディに、頷いたルエラが旅の魔法使いにも声をかけた。それならば、とすかさずリュドミラと焔が手を挙げる。
 手っとり早く人々を逃がすのに、マリンの月道は有効だ。何より相手が『主様』だとすれば、この騒ぎの真の狙いはマリンと皓月という可能性もある。かの魔物は以前にも、その為に彼女を長らく地獄に拘留したのだから。
 混乱する人々は、なかなか冒険者達の話を聞きはしない。それでも何とか声を上げたり、肩を叩いたりして注意を引いて、少しずつ村人を誘導しようとする。頷いたマリンが相棒の魔杖を抱いて後をついて行きかけて、ふと冒険者達を振り返った。

「気をつけて下さい、ね。あの魔物の気配がします」

 石の中の蝶の警戒範囲は狭い。そちらに反応はまだないものの、カオスの瘴気に敏感な月精霊は何かを感じたらしく、注意を促す言葉を向ける。それでもこの場から逃げ出さないのが彼女の彼女たる由縁か。
 彼女に短く礼を言って、蛍石はデティクトアンデッドで彼女の言葉が正しい事を確認した。否、それが彼女の言う『魔物』と同一かは魔法では判らない。だが先程グウェインが走っていった方向に、多数の魔物の気配がある。
 とにかく、状況の把握を。モディリヤーノはレギンス兄妹の両親に話を聞こうとしたが、ようやく見つけた父親は「オレは関係ないッ!」と悲鳴を上げて逃げていった。母親は人々の噂によれば、生死が不明だと言う――魔物と化した(と信じている)ティファレナを恐れて、誰も近づけないのだ。

「‥‥状況は予想以上に悪化しているようだな‥‥」
「やはりこの状況‥‥ティファレナ様に魔物が憑依しての事、なのでしょう」

 オルステッドの苦い呟きに、沈痛の面持ちで逃げ惑う人々を見つめたジュディが頷いた。中には少なからぬ怪我人が居て、その誰もがティファレナの名を叫んでいる。カオスの魔物に成った、と。
 ジュディは持てる魔法の限りを尽くし、蛍石を手伝って魔法を付与して回る。とにかく止めなければならない、これ以上の被害を招く前に。
 避難完了を待つ事は出来ず、人の波を遡る様に走る。それはグウェインが向かった先で、魔物の反応が現れた先でもある。気休めにと、オルステッドがホーリーガーリックを齧った――魔から身を守る効果はなくとも、心を魔に打ち勝たせる願いを込めて。
 村は、広くはない。だが織物が盛んだと言う村のあちこちに織り上がった布や染色中の糸などがたなびいていて、ふとした風に煽られて冒険者達の視界と行く手の邪魔をする。
 そして、その先にティファレナ・レギンスは居た。足元には幾人かが倒れていて、呻き声を上げている。その中には先に走って行ったグウェインも居る――今のティファレナに容赦はない。そしてグウェインはどんな事があれ、愛する妹に手を上げる事はない。
 ゆらり、視線が冒険者の上に注がれた。明らかに正気を失っている瞳。怒りと悲しみがない交ぜになった表情。どうして、と唇がわなないた。

「どうしてオーグラに殺されなかったんですか‥‥どうして、お兄ちゃんを殺した貴方達が‥‥ッ!」

 怒りを、彼女は叫んだ。すでに彼女の中で、怒りは冒険者すべてに向けられている。冒険者を名乗る誰も彼もが、彼女の怒りの対象――だからこそ彼女はわざと、受けた依頼を改変した。
 幾人かが悲痛に顔を歪めた。だがティファレナの怒りはやはり唐突過ぎる。何より蛍石の魔法は彼女から、魔物の気配を察知しているのだ。
 ルエラとオルステッドが一歩前に出て、仲間を背に庇い彼女と対峙した。一体何が彼女を変えた? ギルド職員に過ぎない彼女に冒険者と同等の強靭な心と覚悟を望むのは無茶にしても、何もかもが不自然だ。
 気付けば辺りを魔物が取り囲んでいた。まるでティファレナに従うように、ティファレナを守るように――ジュディと蛍石が同時に警戒の眼差しで辺りを見回した。
 焔からは村人の避難はあらかた完了したと連絡が入っている。後はティファレナの足元に倒れている人々。運び出すにはリュドミラの所持する空飛ぶ絨毯などが必要だろうが、そもそも近付けなければ意味がない。
 蛍石が高速コアギュレイトを唱える――が、予想通り弾かれる。続けざまに放ったホーリーで、進路に飛び出してきた魔物が悲鳴と共にもんどり打った。
 それをただ怒りの表情で見つめるティファレナに、モディリヤーノが叫ぶ。

「レイナ殿が貴女の事を気遣っていたよ‥‥ッ」
「‥‥お姉ちゃん、が」

 その言葉に、ふとティファレナの表情が動いた。頼りない子供の様な、泣き出す寸前の顔。瞬間、確かに彼女の瞳は冒険者を見て、愕然とした顔になった。だが。

「‥‥ッ、お姉ちゃんを苛めたのッ!?」

 次の瞬間、更なる怒りに突き動かされたようにティファレナが吼えた。まるで突然に激しい感情が噴出したかのように。怒りに身を任せ、吼えたティファレナに呼応するように魔物が咆哮を上げ、冒険者と一般人と言わずその場に居るすべての人間に襲いかかった。
 このままではまずい。とにかく捕まえなければと、ルエラが魔物の間隙を縫ってティファレナに近付き、気絶させようとするが魔物が邪魔で近づけない。その様を見てティファレナが高笑った。常軌を逸した、耳障りな笑い声。
 すでに、ティファレナを捕まえれば事が収まる、という事態ではなかった。カオスの魔物に怯えたペット達が暴走し、混乱状態に拍車をかける。それを収集するための手段は最早、ない。
 焔とリュドミラが蛍石からテレパシーで連絡を受け、応援に駆けつけた。だがそれでも手一杯だ。魔物に喰われたり、ペットに踏み潰されたりした人々を救うのに蛍石とジュディは手一杯で、魔物へと手数を割く余裕はない。
 ウィンドスラッシュが唸り、オルステッドが舞う様に魔物を切り捨てた。その向こうで嗤うティファレナと、足元で血の気のない顔で倒れるグウェインを見て、いつの間にかその場に居た少女が険しい眼差しをティファレナに向けた――マリンだ。

「また‥‥私と皓月が目的、ですか?」

 にやり、と邪悪な笑みがティファレナの顔に浮かんだ。だが少女に気付いたリュドミラと焔が素早く守りを固めると、その表情はまた怒りにとって変わられる。
 ――やがて魔物がユレグ村から一匹残らず姿を消した頃、ティファレナもまた姿を消していた。





 村人の怪我は深刻なものからかすり傷まで様々だった。すでに息絶えている者も居たが、幸いにして蛍石の超越リカバーが幾人かの命は救った。だがそれでも間に合わなかった者も、居て。
 幸い病などを得た者は居ないようだが、とモディリヤーノは村人の暗い顔を見る。もしかしたら後日に症状が出るかもしれないが、今の時点では判らない。それより気になるのはグウェインに向けられる憎悪の眼差しだ。
 メンタルリカバーなり、話を聞くなりして心を癒そうとしても、染み付いた恐怖は消えない。ましてカオスの魔物に関わる事となれば、本能的な恐怖と嫌悪が先に立つ。
 一番最初にティファレナに殴られ瀕死の重傷を負っていた母親ですら、回復した事を喜ぶ村人は居なかった。カオスに染まった娘の両親、カオスに染まった妹を持つ兄。彼らもまた、人々にとってはカオスの魔物と同じだ。

「どうか、ティファレナ様をお責めになりませぬよう」

 それでもジュディは、切々とティファレナを弁護した。人は弱い生き物で、ましてティファレナが心に受けた衝撃を思えば尚更だ。悪いのは彼女ではなく、その心に漬け込み本来なら留まるべき一線を踏み越えさせた魔物の方。
 ジュディが弁護を続ける中、オルステッドは他の村人に魔物が憑依していないかを注意深く観察した。彼には判別する術は勘しかないが、魔法の使い手は全員村人の救護に当たっている。いざとなれば動けるよう、常に武器に手をかけておく。
 魔物の襲撃や恐慌に陥ったペットが壊した備品については、リュドミラとルエラが手分けしてチェックし、直せるものは直していった。と言って、余り数は多くないので、スクロールに書き留めるほどでもない。事前に念の為にと購入した木材などを使い、せめて元通りにと手を動かす。
 他の村人と同じく、冒険者によって回復して貰ったものの、出発前よりもさらに落ち込んだグウェインが、ぼんやりその様子を眺めていた。それからマリンに視線をやると、少女は申し訳なさそうに首を振る。
 確かにあの気配は地獄で会った魔物だったけれど。本当にティファレナに憑依していたのか、操って居ただけなのか――正体も、彼女には判らない。だが周囲にはもう魔物の気配はない、とだけ少女は断言した。

「グウェイン殿――もし良かったら、なんだけれど」

 モディリヤーノがそっと声をかけ、彼らの暮らす家でステインエアーワードを試させて貰えないか、と申し出た。もしティファレナが魔物に唆されたのなら、家で1人で居た時の可能性が高い。村では魔法を使ってもカオスの魔物が多すぎて何も判らなかったが、ウィルでなら或いは。
 ああ、とグウェインが落ち込んだ様に頷いた。この様子ではちゃんとこちらの言葉が聞こえているかどうかも怪しいが、一先ずはよしとする。
 だが一体ティファレナは何処へ消えたのか――それを知るのは難しそうだと、冒険者達はため息を吐いたのだった。