【嘆きの聖女】嵐

■シリーズシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:8 G 10 C

参加人数:4人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月18日〜05月28日

リプレイ公開日:2009年05月26日

●オープニング

●何処かで
 微妙な唸り声を上げて、彼は呼んでいた書物を放り投げた。かさかさに乾いた羊皮紙のそれは、しかるべき場所でしかるべき者が見たならば、狂喜乱舞しかねない品なのだが、彼の探している物ではなかったらしい。
「人の世界はちょっと引っ込んでる内に色々変わっちゃうから面倒だよ」
 静かに茶器を置くと、埃で汚れた手を軽く拭って白い器に手を伸ばす。
「王宮図書館かケンブリッジにでも行って来ようかな。あの辺りなら、体系的に分類ぐらいはされてるだろ?」
「‥‥ご自身が‥‥ですか?」
 驚いて問うと、彼はこくんと頷く。
「あー、そう言えば、ケンブリッジで学食奢って貰う約束してたっけ。あれも、まだ未回収だよなぁ」
「お命じ頂けるのであれば、私が調べて参りますがか」
「邪魔だ」
 畏まって頭を下げた途端に、冷たい声が降った。
 主のものではない。
 冷たく蔑むような視線で見下ろして来る青年に軽く会釈を返して、一歩下がる。
「半端者は出ていけ。目障りだ」
「オレイ。それは「僕の」だよ」
 その意味は分かるね?
 顔色を変えて、跪いたオレイを満足げに見遣ると、彼は軽く手を振った。退出していいという合図だ。
 もう一度頭を下げて、外へ出る。扉を閉める瞬間、聞こえて来たのは「聖女」という言葉。
 何度か、その言葉を聞いた事がある。
 逃れられぬ血の宿命に打ち拉がれた地で、そして、自分をただ1人の身内としてうっとおし‥‥過保護な程に愛してくれた叔父が赴任した地で。
「もう私には関係ない事だ‥‥」
 呟いて、彼は黴くさい匂いの充満する部屋から外へと続く階段を上った。

●噂話
 ポーツマスの街はざわついていた。
 一時期より廃れたとはいえ、流通の要所たる港町だ。様々な地方からやって来る商人達から噂が伝わるのも早い。
「魔女狩りだとよ」
「女がデビルと通じて皆を騙していたらしい」
「いや、俺は女がデビルだと聞いたぞ」
 商人達の話は、同じ酒場で酒を飲んでいた者達の耳にも当然入る。
『魔女狩り』
 その言葉から、この街の人々が連想するのは記憶にも生々しい惨劇だ。
 モンスターの蹂躙から領主を失った人々は、モンスターを恐れる余り『異端』とされる者達を「保護」という名目で捕らえて来た。『異端』とは、どこか人と違っているように感じる者達の事であって、今となっては彼らが本当に『異端』の者であったのか確かめる術もない。
 多くの者が投獄された。
 領主不在でポーツマスの庇護下にあったサウザンプトンからも多くの者が連れて来られた。
 今は受け入れられつつあるハーフエルフは、真っ先に捕まった。森でひっそり暮らしていた者も、幼い子供も関係なく。
 そして、投獄された塔の中で、彼らは本当に人外の者となり、街に恐怖をもたらしたのだ。
 真実、人外の者であったのは、『異端』を集めていた本人、人外の者に殺された領主の妻であった女だったのに。
 人外の者に踊らされ、多くの犠牲をだしてしまったという過去。
 口さがない商人達の噂話は、未だ彼らの中に残る深い傷を遠慮なく抉っていく。
「それがさ、そのデビルの女っていうのがまた狡猾で、怪我人を治して村人達の信頼を得ていたというぜ」
「その怪我だって、本当は自分が襲ってつけた傷なんじゃねぇの?」
「自分がつけた傷を自分で治す奇跡の乙女ってか〜?」
 がははと笑い合う商人達に、酒場にいた者達の顔色が変わった。
 病気や怪我を癒す女なら、この街にもいる。
 けれど、彼女は聖杯に関わった聖女のはずだ。
 互いに見交わし、無言でカップを口へと運ぶ。
 飲んだエールがやけに苦く感じられた。

●急転
「聖女の館」の聖女は、本当に聖女なのか?
 そんな問い合わせが領主であるウォルター・ヴェントリスの元に届くようになったのは、それからすぐ後の事であった。
 噂が広がるのは早い。
 そして、その噂に尾ひれがついているのも、よくある事だ。だが。
「知るか! そんな事は!! お前達が勝手に崇め奉っていたんだろうがっ!」
 問い合わせの羊皮紙を束にして投げ捨てると、ウォルターは頭を抱えて呻いた。
 羊皮紙での問い合わせを送って来たのは、裕福な商人やら豪農やら、そこそこ経済的に余裕がある者達だ。これまで何度か冒険者達に調べて貰った際に、聖女に寄付をしている連中として名前が挙がっていた者達でもある。
 大方、自分達が寄付した金が無駄金になるか否かを心配しているのだろう。
 欲の皮の突っ張った連中よりも、ウォルターが案ずるのはポーツマスの領民達の事だ。彼らはまだ、あの悲劇を忘れてはいない。
 今回の「魔女狩り」の噂も、離れた場所での話だと切り捨ててしまうには、あまりに生々しすぎる。
 この街で聖女として崇められているアンジェという娘は、己の身を顧みず、人々の為に力を尽くして来た。それを見ている者はちゃんといる。ただ、聖女の周囲でおかしな動きをしていた者も、いた。
 恐らくは問い合わせて来た連中からの寄付金や、様々な甘い汁を吸っている輩。そして、そんな連中を利用していたらしき者‥‥。
 そちらの尻尾を掴む前に、こんな噂が流れては、奴らとて警戒するだろうし、下手をすれば「聖女」を切り捨てて無関係を装うかもしれない。もしも、そうなったとしたら、奴らが擁護していた「聖女」はどうなってしまうのだろうか。
 与えられている「聖女の館」から放り出されるぐらいならばまだいい。問い合わせて来たーーー多額の金を注ぎ込んで来た者達に、嬲り殺しにされる可能性もある。噂の乙女と同様の目に遭うかもしれない。
 ウォルターは新しい羊皮紙を取り出した。
 冒険者ギルドに依頼を出すしかない。
 復興途中のポーツマスの内側は、人間関係の細い糸が複雑に絡み合って中の人間では辛うじて保たれている均衡が崩れかねない。それに、中の人間で彼が信頼出来る者もいない。
 頭に浮かんだ顔を振り払い、彼はペンを走らせた。
 依頼の内容は、第一に「聖女」の安全確保。そして、「魔女狩り」の噂の影響と、「聖女」を利用していた輩の動向調査。出来れば、噂に浮き立つ人々の沈静化も頼みたい所だ。
「‥‥人々がいなくなる一件も、解決していないのに」
 どうして、こう厄介事ばかり起こるのだろうか。
 深く椅子に体を預け、ウォルターは眉間を揉みほぐしながら溜息をついた。

●今回の参加者

 ea2834 ネフティス・ネト・アメン(26歳・♀・ジプシー・人間・エジプト)
 eb3387 御法川 沙雪華(26歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb3389 シータ・ラーダシュトラ(28歳・♀・ファイター・人間・インドゥーラ国)
 eb9534 マルティナ・フリートラント(26歳・♀・神聖騎士・人間・ノルマン王国)

●リプレイ本文

●肉親
 それを告げた時、彼は表情を消した。いつもの軽薄でいい加減な顔が消えて、昔‥‥、恐らくは姉を取り戻す為の孤独な戦いをしていた頃の彼がほんの少しだけ覗いた。そんな気がした。
「そうか‥‥」
 苦悩に満ちた呟き。
 彼が、長く手元に置いて主の元に戻さなかった甥を突然にサウザンプトンへと帰したのは、今回の事を予感していたからではないか。そう、ネフティス・ネト・アメン(ea2834)の直感が告げていた。
「あいつの事はともかく、聖女サマの事だが」
 口調が軽くなって、よく知った司教の顔に戻る。深刻な状況であるならば、もっと雰囲気が違うだろうから、今はまだ「聖女」は大丈夫に違いない。案の定、彼は拍子抜けするぐらいあっさりと、聖女の館への協力申し込みが受け入れられた事を告げた。
「前は門前払いだったのになぁ。あっちも背に腹は変えられんって事だろうが。だが、これで内情を掴みやすくはなった」
 以前であれば、冒険者が危険を冒して潜入し、館の内情を調べていた。そこから分かった不正経理の真相は、まだ明らかにされていないが。
「で、何の話だっけか?」
 一頻り語り倒した後で、彼はそう尋ねて来た。喋るだけ喋って、ネティの用件をすっかり忘れてしまったらしい。
ー‥‥ま、こーゆー人よね‥‥

●火消し
 木陰で人を待ちながら、マルティナ・フリートラント(eb9534)は道行く人々の様子を観察していた。
 大人達は誰もが不安そうに表情を曇らせ、中には憤慨したように、自分は「聖女」が怪しいと思っていたのだなどと大声叫んでいる者もいる。「聖女」の真贋は、ポーツマスの人達にとって、今、何よりの関心事なのだろう。
「人というのは困ったものですわね」
 マルティナの丁度後ろ、背中合わせの形で座っていたのは御法川沙雪華(eb3387)だ。
「噂というものは怖いものです。昨日まであれほど慕っていた方を悪し様に罵るようになるのですから」
「そうですね」
 以前、聖女に会う為に信奉者達の中に紛れ込んだ事がある。あの時、聖女に寄せられていた絶対の信頼は、1つの噂話で呆気なく崩壊してしまった。それが信じがたくて、変わってしまった街の人々から目を逸らす。
「それで、聖女様のご様子はいかがですか?」
 話題を変えようと、マルティナは警護の隙をついて館へと侵入している沙雪華に問うた。聖女がネティ達が知るという「本物」の聖女であるならば、このような噂に動じるはずがない。奇妙な確信が彼女の中にあった。
「聖女様は、いつもの通りです。頼って来られる方を癒し、祈りを捧げておられます」
 ただ、と言葉を濁すのは、聖女を取り巻く状況が悪化しているからか。沙雪華は口惜しそうに吐息を吐き出した。
「領主様と司教様の遣わして下さった方々が、おかしな動きをする方を防いでは下さっていますが」
 聖女とて全ての命を救えるわけではない。献身的な介護と、聖なる母の癒しの力とで人々を癒しているが、僅かな希望に縋ってやって来て、絶望して帰っていく者がいないわけではない。そういった者達が、噂に踊らされて聖女の化けの皮を剥ぐと息巻き、館へと乗り込んで来る事態も起きている。
「‥‥皆、怖いのです。きっと」
 演説をぶっている男に目をやって、マルティナは呟いた。
 聖女を非難する人達の気持ちも、困惑して縺れた思考の糸を解いていけば理解出来る気がする。この特殊な過去を持つ街では、自分の尺度で判断してはいけないのだ。するりと解け始めた思考の糸を手繰り寄せながら、マルティナは立ち上がった。
「マルティナさん?」
「私は、私に出来る事から始めます。実体のない噂が始まりなら、それを打ち消す「真実」で悪意ある流言はある程度抑えられると思いますから」
 シータ・ラーダシュトラ(eb3389)が戻って来るのを待っていたけれど、ただ待っているだけでは能がない。
 沙雪華へとにっこり笑ってみせると、マルティナは行き交う人々の中に姿を消した。

●噂の真相
「つまりぃ、その奇跡の乙女を魔女だって言ってた奴はデビルでさあ、円卓の騎士見習いのモルモル様がもう解決しちゃってるのよねぇ」
 酒のカップをだんと卓に叩きつけると、シータはここぞとばかりに語り出す。
「モルモル様の手際の良さったら無かったって話だよ。さっすが次期円卓候補だねぇ」
「ふぅん」
 気乗りしない様子でエールをちびちび飲んでいるミリセントに、シータはこめかみに青筋を浮かべて耳元に口を寄せる。
「ちょっとミリセント? もっとマシな反応してくれないかなぁ?」
 はいはい、と肩を竦めて、ミリセントは些か大袈裟な程驚きを示してみせた。
「なっ、なんですって!? デビルの罠だったの!? まあ、なんてひどい」
 よよよと泣き崩れるミリセントに、数名の下僕(らしい)が慌てて駆け寄って来て彼女の機嫌を取り始めた。
「お嬢は見かけよりも傷つきやすいんだぞ!」
「余計な話をして泣かすのはやめてくれ」
 街の荒くれ達に宥めすかされるミリセントが、シータを見て男達に分からぬよう小さく舌を出してみせる。呆然としている間に、ミリセントは他の店へ飲み直しに出掛けてしまった。
 シータが我に返った時にはもう遅い。
「デビルの罠? どういう事だ?」
「魔女はモルモル様という御方が始末したのか?」
 真実を、そして噂のタネを求める者達に囲まれて、シータは大きく息を吐き出して、がっくりと肩を落とした。
「逃げるなんてズルイよ‥‥ミリセント‥‥」

●嵐
 街での地道な喧伝活動の成果か、聖女に対する疑惑の声は次第に鎮まっていったように見えた。
「聖女」という存在が忌まわしき者でなく、自分達を癒してくれる存在だという事を、ポーツマスの人々は半信半疑ながら受け入れたのだ。聖女の館に雪崩れ込もうとしていた者達は勢いを失い、街角での演説にも誰も振り返らなくなっていた。
 噂というものは本当に怖い。
 そう呟いていた沙雪華の言葉を思い浮かべながら、マルティナは領主館へと続く道を歩いていた。
 今日一日の街の様子を依頼人に報告する為だ。
 だが、領主館に近づくにつれて、いつもと様子が違う事に気付く。なにやらざわついた雰囲気に、顔見知りになった門番に事情を尋ねると、どうやら聖女の館で問題が発生して、領主自身が聖女の館へ向かうらしかった。
「ご領主様!」
 今しも馬車に乗り込もうとしているウォルターを見つけて、駆け寄る。
「よろしければ、私も連れて行って下さいませんか?」
 一瞬、逡巡した様子を見せたが、ウォルターはすぐに頷いた。
 聖女の館へ向かう馬車の中で、マルティナは簡単にポーツマス市内の報告をした。噂は鎮火しつつあり、ネティの支援者回りも順調で、彼女が聖女が聖壁を発見した時に共にいた事が広がると、行く先々で歓待を受けるようになり、ご馳走やもてなし攻撃に閉口していることも。
「それなのに、一体何があったのですか?」
「詳しくは分からない。けれど、館につけている者が沙雪華から至急の連絡を預かって来た。大至急、館へ来て欲しいという言伝てを」
 何があったか分からない。
 夜闇に浮かびあがる聖女の館に、マルティナの心に不安が広がっていった。
「一体、何事が起きた!」
 案内も待たず、館の大広間へと踏み込んだウォルターとマルティナを迎えたのは、青ざめた顔で長椅子に腰掛ける聖女と、彼女を守るようにぴったりと寄り添っている沙雪華の姿であった。
 館につけられた者達も緊張した面持ちで聖女の傍らについている。
「早かったね」
 彼女らが座る長椅子の向かい側に座っていた人物がゆっくりと立ち上がり、彼らを歓迎するように腕を広げた。
「フランシス‥‥」
 親友の思わぬ登場に、ウォルターは衝撃を受けたように蹌踉めいた。咄嗟にその体を支えて、マルティナは澄んだ茶色の瞳でフランシスを見つめる。その視線を真っ直ぐに受け止めて、彼は微笑んだ。
「緊急事態って何!?」
「アンジェ、無事!?」
 知らせを聞いて駆けつけて来たらしいネティとシータも、凍りつく広間の空気に、そしてその真ん中に立つ人物に息を呑んだ。
「フランシスさん‥‥」
「お供をぞろぞろ連れて賑やかなご領主様だね。でも、ウォルター。そろそろ、その椅子を返して貰ってもいいかな?」
 小首を傾げると、艶やかな黒髪も一緒に揺れる。
「な‥‥に‥‥」
 突然の言葉に動揺したウォルターの震えがマルティナにも伝わって来る。事情はよく分からないけれど、それでも少しでも支えになれたらと、彼に添えた手に力を込める。
「何を言ってるの? フランシスさん。フランシスさんはウォルターさんの遠縁でずっと一緒に育って来た親友で‥‥」
 言い募ったネティが不意に言葉を止めた。以前、ウォルターとフランシスについて占った事がある。その時に彼らの未来を示したのは「離別」のカードだった。気の毒でウォルターには告げられなかったけれど。
「フランシス。そう、僕はフランシスという名前で育てられて来た。色々と複雑な事情があってね。僕の本当の名前はエドガーって言うんだよ」
 硬直したウォルターに、フランシスは畳み掛けるように続けた。
「そう、領主の継承権は君よりも僕の方が上。君は僕が持っていた権利を横取りしたんだ」
 彼が片手を上げると、雇われていた数人の男がウォルターを取り囲む。
「館まで丁重にお連れしろ。トム、聖女様も僕が保護をする」
 聖女の側仕えだったマルクが素早く動いて聖女の手を取った。庇おうとした沙雪華に、フランシス‥‥エドガーが笑いかけた。
「大丈夫。心配しなくていいから」
 やんわり窘められると強く出る事が出来ない。戸惑う沙雪華の手を丁重外して、マルクと呼ばれていた男が聖女を真実の領主を主張する男の元へと連れて行く。
「君達もご苦労様だったね。これでもう、依頼はおしまいだよ」
 その言葉で、彼らがこの地で出来る事は無くなったのだった。