【幻想庭園】悪意の連鎖

■シリーズシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:9〜15lv

難易度:難しい

成功報酬:7 G 56 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月13日〜12月22日

リプレイ公開日:2005年12月23日

●オープニング

●信じている
 ウィンチェスターからキャメロットに戻ってすぐに、アレクシス・ガーディナーは再び依頼を出した。
 内容は、ウィンチェスターを支配するバンパイア、イーディスの駆逐と彼の従者の救出である。
「分かっていると思うが、油断するとちょび髭達と同じく死ぬ事になる」
 険しい表情で、アレクは冒険者達を見回した。
「自警団は排除したが、あの狼達もイーディスの手先だと思っていいだろう」
 以前、イーディスが現れた村でも、狼が彼の周囲に現れていた。偶然とは思えない。
「まだまだ隠し玉があるかもしれんな」
 呟いた冒険者に、アレクが頷く。
「万全の準備を整えても足りないかもしれない」
 バンパイア、しかも「貴族」と呼ばれる上位種を相手にするのだ。通常のモンスターと同じように考えていては大怪我をする。大怪我どころか、命さえも失いかねない。
「バンパイアを倒せるものは限られてくる。通常の武器ではまず効果はないだろうな」
 淡々と語るアレクに、冒険者達は疑問を抱いた。
 彼の従者であるヒューイットがバンパイアの疑いをかけられた時には、あれほどまでに激高したのに、ヒューがバンパイアに囚われた今、これほどに落ち着いているのはおかしい。
「‥‥アレク」
「ん? なんだ?」
 顔を上げたアレクに、冒険者は尋ねようとした言葉を飲み込む。
 平気なわけがない。
 無理をしているのが見てとれるアレクに、彼らは互いの顔を見合わせた。
「‥‥ヒューなら大丈夫だ」
 不意に、アレクが呟く。
「だが、もしも‥‥」
 スレイブにされてしまったならば。
 言いかけて、冒険者は躊躇した。言葉にすれば、本当になりそうな気がしたのだ。
「俺はヒューを信じる。ヒューは大人しく囚われているような奴じゃない」
 きっぱりと言い切ってはいるが、アレクの表情は苦しげだ。
「そう思うのなら、なんでそんなに辛そうなのよ」
 心配だと、大きく顔に書いてある。
 そう指摘した女冒険者に、アレクは僅かに動揺を見せた。
「こうしている間にも、ヒューやウィンチェスターのどこかに捕らえられている人達に危険が迫っているかもしれない。心配なのは私達だって同じだわ。だから、アレク」
「大丈夫だ。きっと」
「そうやって自分の不安を紛らわせているだけじゃない」
 アレクは苦笑を浮かべた。確かにそうだと肩を竦めて、彼は仲間達をまっすぐに見据える。
「俺が大丈夫だと思うのは、根拠がある。それは、ヒューがイーディスの手に落ちたからだ」
 何を言い出すのだと、冒険者はアレクに非難の目を向けた。
 だが、彼は気にする様子もなく言葉を続ける。
「詳しい事は俺が語っていい話じゃない。けど、ヒューがイーディスに捕らえられたなら、中から打ち崩す機会が出来るかもしれない」
 爪が食い込むぐらい握り締められた拳が震えているのを、冒険者達は黙って見つめた。
「俺は、信じる」

●バンパイアの居城
 体中が痛んだ。
 そろりと指を動かして、口元に固まった血をこそげ落とすと、彼は身を起こした。
 あちこちの傷も、どうやら血は止まったようだ。
 手についた血を見つめて、彼は自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。
 辺りは一面の闇。
 けれど、見張りがいる気配はない。
「やはり‥‥」
 言いかけて、彼は口元を押さえた。
 体が震える。
 今も、自分は恐怖に呪縛されたまま。あの頃と何も変わってはいないのか。
 光溢れる世界がある事も知らず、ただ闇の中で這いずっていた頃と同じなのか。
「いや、違う」
 ゆっくりと、彼は立ち上がった。手探りで壁を伝って歩き出す。
 ギルドで読んだ報告書によると、ウィンチェスターの人々がどこかに捕らえられているはずだ。彼らを助け出さなければならない。
 奴は、自分の事など気にも留めていないに違いない。スレイブと同じ、意思を持たぬ者として。
「違う」
 どこからか遠吠えが聞こえて来る。
 それも1つではない。
 あの時‥‥、騎士達がウィンチェスターへと雪崩れ込んだ時に襲って来たのは、犬によく似ていた。恐らくは狼だろう。
 気をつけなければならない。
 人々を助け出せたとしても、狼に襲われてしまっては何にもならない。 
 冷たい石の壁を辿り、どこまでも続く階段を降りる。
 城の造りというものは、多少の違いはあれ、どこもある程度は同じはずだ。捕らえた者を閉じこめるとしたら、塔か地下か。貴人達が生活している場所から出来るだけ離れた所に牢を造るはず。
 どれくらい階段を下ったのか。
 やがて、彼は最下層へと辿り着いた。
 階段はもうない。その代わりに、今度は石造りの廊下が現れた。
 その先に、何かの気配がある。
「‥‥そこに誰かいるのですか」
「誰!?」
 即座に返って来た声は、若い女性のもの。
 声がした方へと足早に近づいて、彼は見つけた。
 格子のはまった通気口から漏れる月明かりの中、牢に閉じこめられた者達を。服装から判断するに、聖職者達のようだ。
 駆け寄ると、他の者達を守るように1人の少女が飛び出して来た。
「近づかないで!」
「私はヒューイットと申します。皆さん、お怪我はありませんか?」
 警戒心も顕わに見つめて来る少女は元気そうだ。少しほっとしながら、牢へと近づく。
「もう少し我慢していて下さい。きっと、脱出する手段を見つけますから」
「‥‥あなた、人間なの?」
 問われて、彼は足を止めた。
 懐を探ると、携帯していた薬を取り出す。
「ご心配なく。あなた方の味方ですから‥‥。少しですけど、薬です」
 格子ごしに少女に薬を手渡すと、彼は牢の中を確認した。数人の影が見える。彼が何を見ているのかに気づいて、少女が小声で囁いた。
「皆、‥‥その‥‥凄く疲れているの。早くここから出してあげたいんだけど」
「分かっています。必ず助けてみせますから、気をしっかりと」
「おい、お前」
 牢の中から響いた太い声に、彼は闇を透かすように目を眇めた。
「自警団長のロナルドさん。私達を守ってくれて‥‥でも‥‥」
 石壁から伸びた鎖が、1人の男を繋いでいる。
「ついさっき、デールが来て、隣の牢にいた奴らを連れて行った。家に戻ってもいいと言ってな。だが」
 ロナルドの言葉を継いだのは、少女だった。
「変な事を言っていたの。恐ろしい狼が街に入り込んでいるから気をつけろって。その狼を連れて来たのは冒険者だって」
「デール?」
 それは何者だろう。
 眉を寄せた彼に、ロナルドが警告を発した。
「デールはずる賢いやつだが小心者だ。逃げ出す事はあっても、バンパイアに取り入るなんて危険をおかす奴じゃない。奴の後ろには誰かがいる。気をつけろ」

●噂
 自警団が壊滅すると同時に、捕らえられていたウィンチェスター市民の一部が解放された。
 だが、それはあくまでも「ウィンチェスター」の中だけの話。外へ逃げ出す事も出来ず、恐怖に怯えながら過ごす彼らの間に、急速に1つの噂が広まっていた。
 それは、街に現れては人を襲い、肉を貪る狼の噂。
 群れを率ている銀の狼は、バンパイアのように人の血を啜り、おぞましい化け物にしてしまうと‥‥。

●今回の参加者

 ea0479 サリトリア・エリシオン(37歳・♀・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea1442 琥龍 蒼羅(28歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea2699 アリアス・サーレク(31歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2834 ネフティス・ネト・アメン(26歳・♀・ジプシー・人間・エジプト)
 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea3385 遊士 天狼(21歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea4137 アクテ・シュラウヴェル(26歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea6870 レムリィ・リセルナート(30歳・♀・ファイター・人間・ノルマン王国)

●リプレイ本文

●信頼関係?
「これ以上は聞かない。が、ヒューが動く確信があるんだな?」
 尋ねた真幌葉京士郎(ea3190)に、アレクシスははっきりと頷いた。そんな依頼人に「そうか」と短く返して、京士郎は傍らで腕を組み、黙り込んでいたアリアス・サーレク(ea2699)に視線を向ける。
「ヒューが‥‥もし、彼が中から動くとしたら、どんな行動に出ると思う?」
 重い沈黙の後、アリアスはアレクに問うた。表情が厳しいのは、真剣さの現れか。
 そんなアリアスの問いにしばらくの間考え込んで、アレクは、言葉を口にする事で考えをまとめているかのように、ぽつりぽつりと語りだした。
「あいつは、大人しく捕まっている奴じゃない。従順なフリをして、何をどうすれば有利になるのかを考えている。何通りもの手段をな」
 普段の主従の姿を頭に思い浮かべ、思わず納得し、何度も頷いてしまった京士郎とアリアスは、突き刺さるアレクの視線に咳払いを1つ。
「で、具体的には?」
「冒険者ならどうする?」
 意地悪く問い返したのは、意趣返しに違いない。
 やはりお子様だとため息をついて、京士郎が答えた。
「まずは、自分がどこにいるのを確認するだろうな」
「その後は、出入り口を確保する」
 続けたアリアスに、そういう事だとアレクはウィンチェスターの街並みを見つめた。
 自警団を壊滅させた事で、隠れ潜んでいた街の人々が表に出たのだろうか。以前よりも人の姿が増えている。まだ太陽が高い時間だから、バンパイアが化けているという可能性は低い。
「捕らえた奴らの話では、聖職者達はイーディスの城に監禁されているらしい。ヒューが城にいるならば、彼らの事にも気付いているだろう。共に脱出出来る機会を伺っているはずだ」
 京士郎とアリアスもアレクの意見に同意する。
「機会、ね。それを、あたし達が作ればいいわけね」
 鎮魂剣「フューナラル」を握り締めると、レムリィ・リセルナート(ea6870)は立ち上がった。
「作ってあげようじゃない。でも、その機会を無駄にしたらレムパンチよ、ヒュー!」
「‥‥ちなみに、脱出成功した場合は?」
 イーディスの城へと剣を向けて宣告したレムリィに、おそるおそるアレクが尋ねる。主としては、従者の未来が気になるらしい。
「当然! 心配かけた代償としてレムパンチねっ」
 どちらにしても殴られる運命のようだ。
 その時は口出しはすまいと、従者思いの主は心に決めた‥
「ところで、アレクは剣を使えるの?」
 ‥時に、不意に発せられたレムリィの疑問。触らぬ神に祟りなしと準備に専念していた仲間達の手が止まる。そういえば、彼が戦っている姿を見た事がないような気がする。
「アレク、足手まといにさえならなければ、それでいいぞ」
 ぽんと肩を叩いたのはサリトリア・エリシオン(ea0479)だ。何故だか深く同情しているようである。
「大丈夫よ、アレク。あたしと一緒にいましょうね」
 こちらはやたらと嬉しそうなネフティス・ネト・アメン(ea2834)。非戦闘員の仲間が出来たと思っているのだろう。
「だーじょーぶ。アレクにーちゃ、天が守ったげりゅのー♪」
 常日頃、周囲が保護者(大人)ばかりである遊士天狼(ea3385)は、ネティとは逆の理由から嬉々としてアレクの服を引っ張った。
「いい? 天の側から離れちゃめっ! なの」
 彼にようやく出来た被保護者。お兄ちゃん気分で天は厳めしい顔でアレクを見上げる。大人から見れば、お子様が顔を真っ赤にして力んでいる微笑ましい光景だが、保護対象として認定されてしまった本人は、それどころではない。
「あのな‥‥」
「心配はいらない。いざとなれば、俺が守ってやる」
 大刀を手に取り、緩やかな坂道を下り始めた琥龍蒼羅(ea1442)が、ふと立ち止まって振り返れば、
「アレクさん、この上、貴方までいなくなられては助けるのが大変です。単独行動は厳禁ですよ」
 と、アクテ・シュラウヴェル(ea4137)が釘を刺す。
 仲間達から気遣われ、アレクはふるふると拳を震わせた。
「俺はっ騎士だーーーっ!」
 えええええっ!?
 どよめいた冒険者達を誰が咎められようか。いや咎められまい。
「騎士‥‥これが騎士‥‥」
 衝撃にくらりと蹌踉めいたアクテを支えて、蒼羅は重たい雲が垂れ込めた冬の空を見上げたのだった。

●悪意ある眼差し
 何度目かのウィンチェスター潜入。
 よく知った街並みが以前と違っているのは、家々に明かりが点り、人々が戻って来たからであろう。だが、彼らは堅く扉を閉ざしているか、通りを行く冒険者達に敵意ある眼差しを向けてくるばかりだ。
「親の敵でも見るような目だな」
 居心地の悪い視線の中で、アリアスがぽつりと漏らす。
「あながち外れてはいないだろう。何しろ、狼を連れて来た「冒険者」だからな」
 淡々と答えた蒼羅に、京士郎が面白く無さそうに肩を竦める。
 人々が囁き交わす言葉の断片を繋いでいくと、そういう事になっているらしい。狼とは、前回、襲って来た集団の事だろう。
「血を吸うバンパイアウルフもな。俺達はすっかり厄介者だ」
 聞こえた絶叫に、ぼやいていた京士郎が刀の鞘を払う。悲鳴と共に、通りにいた人々はすぐさま家の中へと戻り、ばたばたと扉や窓を閉めていく。閑散とした街の中、悲鳴の主だけが何事かを泣き叫んでいる。
「子供が!」
 アクテが指し示した先に、赤ん坊をくわえた狼がいた。悠々と通りを歩いている様は、落ち着いて食事が出来る場所を探しているかに見えた。
 ちっと舌打ちし、京士郎は狼の真正面へと走り込んだ。
 反対側に回ったのは、アリアスと蒼羅だ。
「血に飢えた狼よ、お前のその牙、俺が叩き折ってやろう! 幕府の臣たる牙、烈風の京士郎、参る!」
 冒険者達に囲まれても、狼は赤ん坊を離そうとはしなかった。間合いを詰め、上段に構えた刀を一気に振り下ろす。ぎゃんと一声鳴いた弾みに、くわえていた赤ん坊が放り出された。
 反射的に腕を差し出し、倒れ込みながらも赤ん坊が地面に激突する寸前に受け止めた蒼羅に、ネティと天が手を叩く。
「もう大丈夫だ」
 しかし、母親は、恐怖と敵愾心も顕わに蒼羅の腕から我が子を引ったくると、いずこかの家の中へと消える。
「やれやれ。だが、どうやら奴も出て来たようだ」
 鋭いアリアスの眼差しが睨み付けた屋根の上、数匹の狼を連れた銀色の狼が、冒険者達を冷たく見下ろしていた。

●気まぐれ
「つまらん」
 ゴブレットに注がれた血は、床に倒れ伏している娘のものだ。
「暇潰しにでもなるかと思ったが、犬どもとじゃれてばかりだ」
 床に落としたゴブレットが、乾いた音を立てて砕け散った。破片を拾おうと手を伸ばした拍子、死んでしまった娘の虚ろで白い膜が張った瞳と視線が合った。助けられなかった事への謝罪を心の中で繰り返し、唇を噛み締める。
 ぴたりと動きの止まった彼の手を、男は躊躇いなく踏みつけた。ゴブレットの破片が手の皮を突き破り、激痛が走る。
「この街にも飽いた。馬車を用意しろ。忌々しい太陽も通さぬ馬車だ」
 声を漏らすものかと懸命に堪えた彼に、男は抑揚ない声で言い放った。
「それと、地下からこの羊皮紙に書かれてある文字が読める者を連れて来い」
 ぎり、と手を踏みにじり、彼の目の前へと羊皮紙を落として、男は部屋を出る。その目的が何なのか、彼には知る術はない。血が溢れる手を抱え、彼は外から聞こえてくる戦闘の気配に耳を澄ませた。
 あともう少しで、待ち望んだ機会が訪れたのに。

●狂気の中で
「ヒュー!」
 城の中へと駆け込んで、アレクは声の限りに叫んだ。
「ヒュー!! どこにいるのッ! 観念して大人しく出ていらっしゃいッ!」
 続くレムリィの怒声に、天が震え上がった。悪戯が見つかって、母親から隠れている時の恐怖が蘇ったのだ。もしも、彼がヒューの立場なら、絶対に出て行かない‥‥出て行けない。
「決着をつけるぞ、イーディス」
 刀に残る狼の血を振り払い、蒼羅は正面の階段を駆け上った。ウィンチェスターに悪意の種を撒き、人の心を汚した憎むべき敵は、この上。とうとう、この時が来たのだと、蒼羅の中に静かな闘志が湧き上がる。
 そんな蒼羅の隣に並んだのはアリアスだ。
「今度こそ、吸血鬼を永劫の闇へと返す!」
 決意の籠もる声に、蒼羅も力強く頷いた。
 駆け上がった2人とは反対に、地下へと続く階段を駆け下りたのはサリとネティだ。追って来る狼の侵入を阻んだのは、天が呼び出した蝦蟇だ。弾力のある艶々なお肌に激突した狼が、きゃいんと鳴き声を上げた。
「にーちゃ、ねーちゃ、天、こんじょーいれてがんばりゅね! がぁくん、わんわん、めっすりゅの!」
 天の声が聞こえたのか、蝦蟇がのそりと動き出す。僅かに開いた隙間から飛び出して、天は印を結んだ。扉の前に集まっていた狼達が飛び掛かって来る寸前に、呪が完成する。
「わんわん、ねんねすりゅの!」
 春花の術の効果で、狼達が次々と横たわっていく。だが、中には術を免れたものもいる。
 仲間の異変を感じ取り、天に向かって牙を剥いた狼は、背後から忍び寄って来た影によって切り伏せられた。
「きょーしろーにーちゃ!」
「よくやったな、天」
 ぽんと天の頭を1つ叩いて、京士郎は眠りにつく狼達を見回した。
 一方、城の地下へと降りたサリとネティは、にわかには信じられない光景に出くわしていた。
「ご老人‥‥」
 最初の潜入時、彼女達を助けてくれた老人が、牢の格子を力任せに揺らしている。石造りの廊下には老婆達が何かに群がっている。彼女達の体越しに見えたのは、革の長靴。
 サリの喉が鳴った。
 喘ぐように口を開く。息苦しい。うまく空気を吸い込めない。
 背後で息を呑んだネティの震えが伝わって来て、サリは我に返った。
 呆けている場合ではない。
「サリ、モニカさんが!」
 牢の中、動けない人々を庇い、シルバーダガーの切っ先を老人に向けているのは、ウィンチェスターの修道院で知り合った修道女だ。
「モニカさん!」
「気をつけろ! そいつらは、もう人間じゃない!」
 注意が逸れた2人に、鎖に繋がれた男が警告を発すると同時に、床に蹲っていた老婆がサリへと襲いかかる。
 咄嗟に、サリはワイナーズ・ティールを振り上げた。
 反撃を受けて、老婆は耳障りな声でわめき散らす。それは、男が言う通り、既に人間の言葉ではなかった。
「見て! あそこに倒れているのって、自警団の‥‥!」
 ネティの叫びに、剣で牽制したまま視線を走らせる。
 床に倒れているのは、確かに何度か遠目に見た男だ。首筋や腕から血を流し、顔色は土気色。生きているとは到底思えなかった。
 デールの死体から老人達へと視線を移す。
 狂気に取り憑かれた赤い目、涎を垂らしている口の端から覗くのは鋭い犬歯。
「サリ、誰か見つかった‥‥って、何? 何が起きてるの!?」
 廊下を駆けて来たレムリィを新た獲物と認識した老婆が奇声を上げて飛び掛かる。反射的に剣を振り上げたレムリィに切り裂かれ、老婆はもんどり打って倒れた。
「ご老人、せめて魂が安からん事を」
 鎮魂の祈りを口に乗せ、サリは剣を構え直した。
 老人達もギラギラと目を光らせ、今にも掴みかからんばかりだ。
「目を瞑って!」
 瞬間、暗い地下で光が爆発したように思えた。
 2人の背に庇われていたネティが、ライトの呪を唱え、手の平に光球を生み出したのだ。その光は決して明るいものではなかったが、蝋燭の灯りだけの薄闇に慣れた目には強く感じられた。
 そして、それは老人達を怯ませるに十分な光であった。
「レムリィ!」
「分かってるわ!」
 目を押さえて呻く老人達に、サリとレムリィは迷いなく剣を突き立てた‥‥。

●ウィンチェスター解放
「イーディスはどこにもいない。ヒューもだ」
 城の階段を駆け上がった蒼羅とアリアスが難しい顔をして告げた。
「あー、銀色の狼も、いつのまにか消えていた。途中までは、確かにいたんだがな」
 狼を相手にしていた京士郎と天も、気まずそうに報告する。そして、地下から聖職者達を助け出したサリ達も‥‥。
「アンジェがヒューに連れて行かれて戻って来ないって」
「どういう事ですか?」
 過敏に反応したアレクの腕を押さえ、代わりに尋ねたアクテに、ネティがぼそぼそと呟く。
「‥‥聖壁の文字を読める人はいるかって‥‥。それでアンジェが」
 差し出した羊皮紙は、ヒューが牢の床に落として行ったものらしい。そこに書かれてあったのは、聖壁に刻まれていた言葉。そして、血で記された「Portsmouth」の文字。
「彼は、アンジェを連れ出す時、見張りのデールさんに見えないようにこのダガーを渡してくれました」
 モニカが握り締めているのは、シルバーダガーだ。
「でも、何故ヒューがアンジェを?」
 尋ねたレムリィに、モニカは分からないと首を振る。
「何者かに命じられていたようだ。デールにそんな事を言っていた。馬車を用意しなければならない、とも」
 蒼羅に支えられていた自警団の真の団長、ロナルドの言葉に、京士郎は口元を歪めた。
「‥‥どうやら、ヒューは俺達に情報を残していったらしいな」
「イーディスとアンジェは馬車でポーツマスヘ向かった、か?」
 ポーツマスという単語に、天が目を大きく見開く。
「ポーツマス‥‥。エレクトラ姉ちゃのいるとこ‥‥?」
 何とも判断しようがなかったが、ヒューが残した情報を合わせるとそうなる。
「今、ヒューとアンジェで占ってみたんだけど‥‥」
 口元を押さえたネティの顔色が悪い。どうやら、悪い結果が出たようだ。
「で、どうだった?」
「‥‥一面の血。そこで冷たくなっている2人が‥‥」
 激しく頭を振ったネティを、サリが宥めるように抱き締める。
「どうして、こんな事になってしまうのでしょう」
 呆然とした呟きは、アクテのものだった。
 ウィンチェスターがバンパイアの手から解放された。
 喜ばしい事のはずなのに、冒険者達の胸に去来する感情は苦いものばかり。
 バンパイアが去った後に残されたものは、街の至る所に刻まれた傷跡と人々の中に落とされた悪意の種。自分が助かりたい一心で醜い心を垣間見せた人々のぎくしゃくとした関係は、何かのきっかけで脆く崩れかねない。
「舐めた真似をしてくれる‥‥ッ」
 柱へと拳を打ち付けたアリアスが吐き捨てた言葉が、彼らの中に積もった苛立ちを表していた。