【オモイロンド】4・聞こえしか主の御声

■シリーズシナリオ


担当:外村賊

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:1 G 94 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:12月01日〜12月08日

リプレイ公開日:2005年12月11日

●オープニング

 洞窟だった。暗く湿って、どこかから染み出してきた水滴が、一定の間隔で滴り落ちる。
 聞こえるのは、滴が地を打つその音と、シャトンの祈りの声ばかりである。
「天にまします我らが父よ‥‥願わくば御名を崇めさせたまえ、御国を来たらせたまえ‥‥」
 救世主の欲する書簡は揃わず、少年は冒険者に奪い返された。主の王国に至るために与えられた試練は、ことごとく失敗に終わっていた。
 書簡の最後の一編は、ドレスタットに。考えれども、これを手にする望みは薄かった。
「‥‥」
 目の前に立てかけた、赤子ほどの大きさの黒十字架を見つめる。
 頭に浮かんで消えていくのは、全ていい訳だ。己の力不足であることは、承知しているのだ。
 主の与える試練、神の国に至るまでの最後の試練。生半可な気持ちで挑んだつもりではなった。
「私に下された試練は、必ず――」

――シャトンよ――
 
 響く水音を押して、低い声は洞窟に染み入るように荘厳に響いた。聞き知ったどれとも違うその声にはっとして、シャトンは立ち上がった。声の主を探そうとはしない。ただ立ち尽くし、震えるまでに身を強張らせる。
 聞き知ってはいないが、よく知る声。
「わが父‥‥」

――罪なる世界を討てよや。我は汝の剣とならん――

「ああ‥‥」
 しかられる子供のように、竦んで両手を組み締める。
「口惜しい‥‥父のお力を借りねばならないとは」
 絞るように言った言葉には、声は答えなかった。
 気配を感じて、シャトンは振り返った。外へ続く細い道。
 ひた、ひたり。
 水音がする、湿気た、暗い穴。
――ぉぉ‥‥ん。
 遠くから響く獣の咆哮を、聴覚が捉えた。入り口の方を見張っていた神聖騎士が、駆け寄ってくる。シャトンの教えの通り、この世の全てを捨てた無表情だが、どうしても、動揺を隠しきれていない。
「シャトン様。入り口の近くの柴が突然燃え出し、その奥にフィールドドラゴンが――私をじっと見て、吼え、去っていきました‥‥。‥‥この山中に不可思議な」
「主の遣わされた御使いでしょう。来るべき日に力をお貸しくださるのです‥‥」
 じっと見つめる騎士に、シャトンは静かに返す。
「いまだ聖地に残る、戦える者を呼び寄せなさい。ドレスタットに攻め入り、今度こそ書簡を手に入れるのです」


 冒険者ギルド。
「壁画は守ったが、書簡は奪われたままシャトンに逃走を許した。‥‥が、村人に死人がなかった事と、この小僧が戻ったことは、よしとしようか」
 不承不承と言った口ぶりではあるが、ダリクは安心した空気を漂わせていた。隣のハーラルは、ばつの悪そうな顔で、半分ダリクの陰に隠れて冒険者を見ていた。その様を片眉を上げて見咎めると、ダリクはハーラルの後頭部を力強く小突いた。
 勢いに押されるまま、つんのめり、よろめきながら前へ出る。それがきっかけになって、堰切ったように謝罪の言葉が飛び出した。
「あのっ‥‥ごめん! おいら、ひどい事したって‥‥」
 頭を下げると、チェインヘルムがずり落ちそうになる。慌てて支えて、そのままもう一度頭を下げる。
「狂化の時の事、覚えてないんだ‥‥。ダリクに聞いて、みんなを攻撃したって‥‥ごめんなさい‥‥ごめんなさい」
 頭を下げたまま何度も謝る。
「顔見知りが近づいたら暴れだすなんて、厄介な。元に戻すのにどれだけ苦労したか、思い知れよ」
「うん‥‥」
 ダリクの言葉に素直に頷く。と、ダリクは不可解そうに眉をしかめた。
「ん、まぁ‥‥そうだな」
 急につっけんどんな返事になる。いつもどおり突っかかってくる事を想定していたのかもしれない。調子が狂ったのか、居住まいをただし、ダリクは冒険者に向いた。
「それはそうと、シャトンの居場所が分かったぞ。前に牢屋で冒険者が聞いてきた合流場所近辺を探させたんだ。気づかれないように近づければ、一網打尽にできるかも知れん」
 それはここから三日ほどの、炭鉱跡だと言う。本拠地は別にあるようだが、戦いの出来る者だけを選って壁画の村の近く陣取っていたようだ。
 ダリクの説明に、ハーラルが表情を曇らせた。
「そこ、おいら達のアジトだよ」
「ジョーヌのか」
 ダリクが聞き返せば、ハーラルはこくりと頷く。彼がもといた山賊団ジョーヌは、ほとんどが騎士団にとらわれ、頭と残党はロキの手下として遺跡の島で潜伏している。アジトはもぬけの殻であった。
「なんとなく覚えてる‥‥あの、シャトンって女の人。前に会ったことがあるんだ。アジトに何度か、紫のローブを着た男と一緒に来てた。記憶が飛んでるから‥‥多分、狂化させられてたんだと思う‥‥」
 一つ一つ、大事なものを取り出すように、ハーラルは口を動かす。それは、山賊仲間を思って黙秘し通していた、団の内部情報である。
 思いつめるように間を空け、やおらハーラルは顔を上げた。黒い目に、何かしらの決意が見える。
「おいら、案内するよ。中入り組んでるし、迷うとマズイだろ。隠し通路もあるから、向こうが知らなきゃ不意をつけるかも‥‥」
「けどお前、狂化は大丈夫なのか?」
 一人の冒険者が心配そうに訊ねると、ハーラルはうん、と返事を返す。それは力強い頷きだった。
「おいら‥‥皆に助けてもらって、嬉しかった。ハーフエルフってバレて、態度が変わらなかったの、お頭以外で初めてだったから‥‥そんな人ってたくさん居るんだって、安心した。だから、大丈夫」
「じゃ、今度こそ書簡を全部そろえて、壁画の中の『宝の道標』とやらを拝ませてもらうじゃないか」
 しどろもどろに言ったハーラルを小突いて、ダリクは不敵に笑みを作ってみせる。
「余力があればシャトンを捕縛する事。何せロキに近しい、重要参考人だ」

●今回の参加者

 ea8147 白 銀麗(53歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea8221 シエロ・エテルノ(33歳・♂・ナイト・人間・イスパニア王国)
 ea8537 ナラン・チャロ(24歳・♀・レンジャー・人間・インドゥーラ国)
 ea9387 シュタール・アイゼナッハ(47歳・♂・ゴーレムニスト・人間・フランク王国)
 ea9513 レオン・クライブ(35歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ea9517 リオリート・オルロフ(36歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)
 eb2259 ヘクトル・フィルス(30歳・♂・神聖騎士・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 eb3346 ジャンヌ・バルザック(30歳・♀・ナイト・パラ・ノルマン王国)

●サポート参加者

レオパルド・ブリツィ(ea7890)/ フィーネ・オレアリス(eb3529

●リプレイ本文

「もうすぐ隠し扉に着くよ。こっから先は、声聞こえるかもしんないから、呪文かけといて」
 ランタンの明かりだけが、周囲を照らす。細く狭い、荒く削り取られただけの穴。先頭を進んでいたハーラルは、やおら止まって振り向いた。
 向こうで白銀麗(ea8147)とレオン・クライブ(ea9513)が答え、詠唱を開始する。
 既に入り口の手前で大半準備は整え、後は『合図』に乗じて攻め込むばかりだ。シエロ・エテルノ(ea8221)はにやりと不敵に笑った。
「また狂化したら承知しないからな」
「わ、分かってるよ」
 ハーラルの返事は慌てた口調で返ってくる。不安だからと言うよりは、過日シエロに思い切り抱擁された後遺症であろう。子供への愛情表現といえばこれだろう、とシエロは嘯いたが、人と接するのに恐怖心を抱いていた本人は大いに困惑した。
「信頼してるよ」
 ジャンヌ・バルザック(eb3346)も励ますように言う。
 そんな言葉を聴いたのは、どれだけ前だろう。
 知らぬ間に口元に笑みが浮かんでいた。
「すぐ向こうに、二人いる‥‥人だ」
 ブレスセンサーを成就させたレオンの、静かな声。周囲に緊張が走る。
「出来うる限り慎重に事を成しましょう」
 銀麗が言い、その姿をずるりと崩す。

 木漏れ日が差す、森の中。
 坑道の入り口からさほど離れぬ茂みの中で、ヘクトル・フィルス(eb2259)は立っていた。その手には巨大な角笛が握られている。呪文を成就させたシュタール・アイゼナッハ(ea9387)が気遣わしげに坑道の方へと目を向ける。
「入ってすぐに、大きなものが動き回っておるのぅ。大きさから言って、やはりフィールドドラゴンか‥‥」
「気付いたそぶりは?」
「心配ない」
 シュタールの答えに、ヘクトルは満足げだった。
「そうかい。じゃあ、盛大に気付いてもらうとするかね」
 目の前に角笛を構える。そして、命一杯息を吸い込むと、力任せに角笛へと流し込んだ。

 グオオォォォォォォ‥‥‥‥!

 地の底を揺るがせるような巨大な音が響き渡る。坑道から、呼応するように咆哮が響いた。
「よっしゃ、いくぜぃ!」
 角笛を投げ捨て、ヘクトルは坑道へと突入していく。
「がんばって!」
 ナラン・チャロ(ea8537)の声援を受けて、リオリート・オルロフ(ea9517)とシュタールも続く。
 恐ろしい声が坑道を満たしていた。
 角笛にすっかり興奮した二体のフィールドドラゴンが、ぎらぎらと目を光らせ、足を踏み鳴らし、しきりに吼えている。
「黄土の竜‥‥!」
 シュタールはその一体に見覚えがあった。とある貴族のドラゴン、ロキらに攫われ、行方不明であった。鼻息荒く、リオリートの前に立ち塞がる。
「しかし‥‥フィールドドラゴンがここまで凶暴になるとは――」
 ドラゴンの中でもっとも温厚とされる種類である。ヘクトルの角笛せいではないだろう。リオリートは不穏なものを感じる。
 リオリートはぐるりと見渡した。こういった坑道では換気の為に穴があけられている。それを塞いで空気を薄くすれば、外へ誘導することが出来るのではないかと考えていた。
 戦術として思いつきはしたものの、詳しい構造が分からない。これから探し回るには時間が掛かりすぎた。
(「仕方ない、手荒な真似はしたくないが――」)
 日本刀をすらりと抜く。
「さぁ、来い!」
 もう片方のドラゴンは、ヘクトルへと突進する。ヘクトルは豪胆の笑みを浮かべ、月桂樹の木剣を前に構えた。
 強靭な牙がその身に迫る。


 轟音は穴倉を揺るがし、支え木をきしませ、土の塵を降らせる。ドラゴンの咆哮に、シャトンは祈りの姿勢から立ち上がった。
「侵入者――!」
「私が」
 動きかけたシャトンを制し、神聖騎士が剣に手を掛ける。音の響いた入り口の方へと、歩んでいく。シャトンは静かに見送った。
 予期もせず冷たい風が吹いて、立ち尽くすシャトンの裾を、揺らす。
 それは十字架を掲げた壁であった。複雑に隆起した岩の隙間から、這い出る生き物があった。チェインヘルムのハーラル。そして、
「ごきげんよう」
 赤き髪の騎士、シエロ。
 シャトンは恐怖に目を見開き、しかしすぐにきっといかめしい表情に戻して、神聖騎士の名を呼んだ。しかし彼が戻るよりも早く、シエロの後ろからジャンヌが、迎え討たんと飛び出す。
――分断される!
 危機を察し、自ら入り口のほうへ向かおうとするが、自然な動きでシエロが立ち塞がった。
「ようやくゆっくり話が出来るな」
 彼の後ろを、レオンとハーラルが通り過ぎていく。
 かつて共に組し、離れていった者達。
「シャトンさん‥‥今こそ立ち止まり、その身を省みる時です」
 岩と見えたものが融けるように崩れる。形を整え現れた僧侶は、そういって彼女を見た。
 シャトンは唇をかんだ。

 入り口へ続く、長い一本道。転々と掲げられた松明の明かりを、抜き放たれた褐色の光が反射させる。
「やああっ!」
 小さいその身を勢いに乗せ、ジャンヌはアルマスで突き込む。騎士はすっと身構える。
 ガ――
 手の痺れ。ジャンヌは顔をしかめる。
 低い位置で構えられた盾に、剣は阻まれていた。
 横に振られ、バランスを崩す。すかさず剣が振り下ろされる。身をよじろうとしたが、携えたままのバックパックが、壁の出っ張りに引っかかった。
「きゃあっ!」
 十字を象った剣が、ジャンヌの肩口を切り裂く。鋭い痛みが走る。かろうじて体勢を崩さず、ジャンヌは飛びのいた。
「ジャンヌ!」
 後ろからハーラルたちが追いついてくる。騎士は改めて盾と剣を構えた。
「神に背きし者どもめ、裁きを受けよ!」
「人々を守る、騎士の義務を忘れた貴方になんか負けない‥‥!」
 バックパックの紐を切り落とし、ジャンヌは再度剣を構える。
「ハーラル、あそこまでいける?」
 ジャンヌの視線は、騎士を通り越して、一本道の奥へ向かっていた。先には、広間の入り口が見え隠れして、人が一人立っている。
「こちらに気づいているのに動かない――多分見張り――書簡を守ってるんだと思うんだ。騎士は引き受けるから、あっちへ行ってくれる?」
 レオンは印を組んだ。ジャンヌ一人では騎士との勝ち目は五分ほどに思える。
 人間二人が行き違えるぐらいの広さの一本道。
 危険ではあるが、有効な手段だ。
「ジャンヌ、一太刀浴びせて岩陰に隠れろ。ハーラル、後ろにいろ」
「やってみる」
「‥‥分かった」
 何をしようとしているのか、おおよその察しがついた。二人は、硬く頷いた。
「させん!」
 騎士は踏み切った。盾でジャンヌを押しのけてレオンの詠唱を止めようとする。あえてジャンヌはそれを受け、壁に打ち付けられた。わずか、傷が疼く。
 だが、最小限だ。
 ジャンヌは狙い済まし騎士の足元へ、剣を振り下ろした。
「はああっ!」
「っ‥‥!」
 騎士がよろける。種族の俊敏さを生かし、ジャンヌはすぐさま近くの岩陰に隠れる。おもむろにレオンが顔を上げる。
「ライトニングサンダーボルト」
 呟くようなレオンの声は、次の瞬間掌からあふれ出した轟音にかき消された。あちこちに爆ぜながら、青白い雷が坑道を貫く。
 騎士はまともにその電流を浴びた。雷に悲鳴が混じる。
 ハーラルは呆気にとられて、その様を眺めている。レオンは静かに、その背を押した。
「‥‥行け」
 ハーラルは鹿のように飛び出した。脇目も振らず駆けて行く。狂化の心配は同族のレオンの中にあったが、騎士を抑える為に、レオンもジャンヌも今は動けない。

 ナランはいまだ茂みの前。耳を澄ますまでもなく、激しい戦いの音が響いてきた。
 ナランは構えた。ローレライの竪琴。爪弾けば、楽しそうな音階が竪琴からあふれた。
「いまは暗い洞のなか♪ いつも夢見るお日様、空の下♪」
 邪魔するならメロディで操り、外に追い出すまで。
 懸命に、ナランは呪歌を歌い続ける。

 激しい衝撃がヘクトルを襲った。
 だが、それだけだった。
「あんたも修行が足らないんじゃないか? ドラゴンさんよ」
 フィールドドラゴンの牙は、食らいついた右腕に、かすり傷すら与えなかった。ヘクトルはそのまま、左の剣の柄を、ドラゴンの顎に突き上げた。
 悲鳴じみた咆哮を発し、ドラゴンはよろめき、あとずさった。
「ビカムワース!」
 奥でたたずむクレリックは詠唱を成就させた。黒い光がヘクトルを包む。
 しかしそれも、それだけだった。
「レジストマジックか!」
「後で相手してやるから、ちょっと待っててくれよ」
 余裕の態度を崩さず、ヘクトルは一撃ずつドラゴンにダメージを蓄積させている。
 クレリックは歯軋りした。主への祈りは効かず、遣わされたドラゴンまでが確実に押されている。
 黄土の竜が、怒りの咆哮を上げた。
 足下がうっすらと石の色へと置き換わり始めていた。慎重に後退するリオリートに何とか噛み付こうとするが、足は動かない。
「事が済むまでの辛抱だ‥‥我慢してくれ」
 印を解いたシュタールは、子供に言い聞かせるように言った。ドラゴンは彼の心を察する事もなく、怒り、もがいている。
「こっちも早いトコ頼むぜ!」
「うむ!」
 ドラゴン相手に余裕の受け流しをするヘクトルに、シュタールは向き直る。
「おのれ‥‥そのような魔法など‥‥!」
 クレリックはドラゴンよりもさらに怒りに震え、ロザリオを掲げる。ニュートラルマジックをかける気だ。
 しかし、突如その後頭部に、何か重いものが落ち、そのままクレリックは崩れるように意識を手放した。
「‥‥ふぅ」
 リオリートの刀の柄であった。
「多分あそこに書簡が‥‥!」
 走ってきたハーラルが告げる。
 リオリートは奥に目をやった。戦闘用具の詰め込まれた倉庫の風であった。
 冒険者達の到着が遅ければ、これらは何に使われたのだろうか。
「探そう」
 そら恐ろしいことを考えつつ、奥へと足を踏み入れる。

 シャトンは身を強張らせた。シエロは甘い笑みを浮かべて立っていた。
「タロットカードの、『愚者』の意味を知っていますか?」
 銀麗は静かに問いかけた。答えはない。シャトンは相変わらず、二人を警戒していた。
「私も伝え聞いた話ですが、愚者は自ら世界を回り、最後には真の賢人となるという意味を持つそうです。仏教でも、仏陀は菩提樹の下で己の無知を悟り、世界の真理を探し始めたといいます。愚かである者こそ、真実を求め、それを手にするのではありませんか?」
 それは法話であった。
「貴方のやり方は選別だけを重視し、人の成長を促すという重要な使命を蔑ろにしているのです。それでは到底真なる神の国へ行くことなどできはしません」
「主は私と共にある‥‥その声で私に使命を下された‥‥!」
 凛とした態度であった。その全てを信じている態度であった。しかし、シエロは冷静に聞き返した。
「それは本当に主の声だったのか?」
「不信心者‥‥!」
 シエロの視界に白銀の光がよぎる。上半身を反ってよける。シャトンが短剣を握っていた。
「それが導く者の態度ですか!」
 銀麗は一喝すると、シャトンは強張る動きで身構えた。再び静かに、銀麗は続ける。
「先日、貴方の『救世主』と戦いましたよ。存外たいしたことのない方でした」
「何――」
「私のブラックホーリーを、その身に受けて‥‥まるで抵抗など出来なかったようでした。黒の神に仕える者なら、この意味、お分かりになるでしょう?」
「‥‥嘘を‥‥!」
「試しますか?」
 銀麗は合掌した。
「まこと善なるものに仕える者ならば、傷は受けぬはずです」
――人の証明が何にならんや――
 荘厳な声が突然響き渡った。表情に喜びをたたえ、シャトンは見上げた。
「父よ‥‥!」
――我は汝と共にあり。汝と共にかりそめの世を破壊せん――
 今度の声には違和感があった。荘厳な響きは薄れ、徐々に棒読みになってきたのだ。最後には、くすくすと、嫌味な笑い声まで混じってくる。
 そうなればもう彼が姿を隠す必要はない。何もない空間から、炎が吹き上がる。シエロは縄ひょうを構えて睨みすえた。
「なあんて、神様ごっこはもう終わりだよ」
 二メートルはあろうかと言う、黒い翼の怪物。それは教会のガーゴイル像にも似ている。
「悪魔‥‥!」
「ロギっていうんだよ」
 悪魔は甲高い少年のような声で自己紹介した。言葉を失っているシャトンに向かって、ぞろりと並んだ牙を覗かせて微笑む。
「ロキ兄様が、シャトンは失敗ばっかりだからもういらないってさ。書簡も冒険者も、何もかも燃やしちゃえってさ。何もかも手遅れさ」
 にこやかな声で言うが早いか、ロギは腕を振り上げる。炎の壁がせり上がり、隠し扉を塞いだ。
「間抜けな人間、蒸し焼きになっちゃえ!」
 甲高い笑い声を響かせながら、ロギはその翼をはためかせ、坑道を通り過ぎる。過ぎざま、そこかしこにファイヤーウォールが作られていく。
「あははははは‥‥!」

 ナランはそれを茂みの中で見ていた。歌えども歌えども誰も出てくる気配がないので、これは放置プレイかといろんな意味でドキドキしていた頃だ。炎を纏った何かが飛び出し、坑道の入り口が炎の壁に包まれた。何かは、黒い翼を広げて空へと舞い上がり、やがて、消失した。
「みんな!」
 慌てて駆け寄ると、陽動組の三人とハーラルが、服に炎をちらつかせながら潜り抜けてくる。
「書簡は!?」
「へへ‥‥これさ」
 ハーラルはしっかりと、焼け焦げた木の箱を抱えていた。ハーラル達は幾つか炎をくぐったせいで、満身火傷を負っていた。といってあのまま効果時間が過ぎるまで中に居ては、焼け死ぬか窒息死していた事だろう。
「ドラゴンは石化しているから大丈夫だろう‥‥熱で割れたりしなければの話だがのぅ」
 シュタールは不安げに炎に包まれた坑道を眺めやった。
 ややあって、隠し扉の側からシエロ達が先と似た状況で現われる。シャトンはシエロと銀麗に抱えられるような格好で、それでも自分の足で歩んでいた。
「恐ろしい事を‥‥恐ろしい事を‥‥父よ、父よ‥‥」
 酷く震えているが、それは火傷のせいではなく、心の内から突き上げる恐怖がさせるものだった。
「乗り越えて見せろよ、それが黒の使徒だろう?」
 シエロは震えを止めようとするかのように、強く肩を抱いて、言った。答えは返ってこない。当然のことだと、シエロは空を仰ぎ見た。
 冒険者ほどの力があれば、火傷覚悟でファイヤーウォールを抜けられる事は悪魔だって予想できるはずである。
――ロキに与する悪魔、ロギ‥‥何者、何を考えている‥‥?
 それは行く手の雨雲を間近に見据えるような心境ではあった。それでも冒険者の下に今、書簡は全て揃ったのである。