●リプレイ本文
●小保丹
「ははぁ、小保丹ですか、近頃評判で、それを作ったのは小さなお店なんですがね、大々的に売り出して大きく儲けた方もおりましたねぇ」
比良屋主人を相手にそれを聞きに来たのはリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)と嵐山虎彦(ea3269)。
聞かれた言葉に頷きながら荘吉へと言いつけ、帳簿と何やら袱紗に包まれたものを持ってこさせると、帳簿を受け取る主人に袱紗を開く荘吉。
「‥‥これは?」
「まさかたぁ思うが‥‥」
「小保丹ですよ? 蓑屋さんという元薬師がうちから材料を仕入れて作っているんで、お裾分けいただきまして」
改めて帳簿を確認して一つ頷くという主人。
袱紗の中には爪の先程の大きさの丸薬と、油紙に包まれた粉薬が包まれています。
「丸薬は一度に半粒、疲れがきついときには一粒飲むんだそうで‥‥材料としても蓑屋さんとのお約束で全てはお教えできませんが、組み合わせで害になるような物もありませんしねぇ‥‥」
「その蓑屋ってところで普段売っているのかい?」
「いいえ、蓑屋はあくまで作るところですので、井富屋と三日月堂という薬問屋で売り出され、井富屋はそこそこの値段で買えるので庶民に手が出しやすく、すぐに売り切れてしまうのが特徴ですね」
嵐山の言葉に首を振る荘吉、どうやら井富屋という薬問屋には好感を持っているよう。
「三日月堂さんは‥‥その、高級志向をくすぐる、と言いましょうか‥‥少々値が張ると‥‥」
苦笑気味に言う主人に首を傾げるリーゼ。
「高級志向?」
「ええ、お得意様や紹介がある人にしか売らないとかで‥‥砂糖などで甘くして飲みやすくなど、色々とやっているようなのですが‥‥」
「貧乏人は近付くなって訳か、気に入らないね」
「三日月堂さんは他の御店を下に見ているので、蓑屋さんの小保丹も半ば強引に話を付けた様子で‥‥井富屋さんに話を付けるのは可能ですが、三日月堂さんとはお付き合いがありませんからねぇ‥‥」
比良屋の言葉に礼を言って2人は席を立つのでした。
●運び込まれた珍客
「‥‥なんだ、あれは?」
天風誠志郎(ea8191)がそう言って見る視線の先には、酷く小柄な男がしっかり縛られ牢へと入れられるところでした。
「へぇ、なんでもお頭の縁者のところで捕らえられた、『音無の兵吾』と申す穏行に長けた男とか‥‥」
牢番はそう言うと、風斬乱(ea7394)へと顔を戻します。
「えぇと、それで‥‥」
「男の死んだときの状況と‥‥遺体を改めたのは誰だ?」
「は‥‥町医者で、なんでも狐とか‥‥?」
「‥‥狐? あぁ、出原か」
「知っているのか?」
「あぁ、先日出た依頼に少し関わっていたらしく、名だけはな」
牢番の言葉に反応する誠志郎に目を向け風斬が尋ねれば、誠志郎は頷いて腕は良いらしい、と答え。
「で、ですが、あっしにはどうしても、孝助どんが居眠りなんて信じられねぇんでさ」
「だが、目が覚めて血の匂いがし奥を見たら、牢にいた男が死んでいた、そう言ったのだろう?」
「そりゃあそうなんですがね‥‥」
誠志郎の言葉に目を落とす牢番、風斬はふと口元に小さく笑みを作ります。
「殺されたのかもな」
「へ‥‥?」
「何、勘だ」
ぽかんとする牢番に小さく息を付くと風斬は続けます。
「仏は見飽きるほど見ていてね。疑惑を捨てられない時には何かあるってことだ」
「へぇ‥‥しかし、舌を噛んで‥‥」
「知っているかい? 死に勝る恐怖って奴が世の中には存在する」
「‥‥死に、優る恐怖‥‥」
そう繰り返す牢番へ目を向けると、立ち上がる風斬。
「長谷川殿へ声をかけておこう、一人で詰めているのは危ないかも知れないからな」
牢番は2人ずつで牢の監視と牢周りの見回りを行うのですが、そこへ同心を増やして貰えるように頼もうと告げて、誠志郎と風斬は役宅の方へ歩いていくのでした。
「亥兵衛の旦那の所は大丈夫と‥‥孫次は今は大人しく舟越酒場の2階で寝泊まりしつつ、客の居ない時間は捕り物の手助けできるようにって、縄などの扱いを習っているってぇから、恐らくは大丈夫だろう」
そう言ってその店の主の持てなしである、質素ではあるが良く行き届いた昼餉の膳を受け取っていました。
「あとは‥‥過去に冒険者が関わったご老人と、同心達それぞれの密偵は単独では動かないように気を配られているようですし‥‥あ、どうも」
同じく李雷龍(ea2756)に昼餉を出し、愛想良く炊事場へと戻る主。
ここは平蔵の若い頃行きつけであった酒場の一つ『いそむら』で、主は平蔵時のあった堅気の人間で、今も2階や離れをいつでも使ってくれと提供し、2人ほど、密偵として使えるかと様子を見ている男達を預かってくれています。
「お二人とも、しっかりしていて、店の表は危ないだろうが、と専ら奥の間とかでなんですが、色々と家のことやら力仕事を手伝って下すって助かっていますよ」
「ですが、分かっている中でまだしっかりとした警備や連絡体制が出来てない野はここだけですからね、今のところ」
「あの2人は牢から出されて日も浅いから、へたに盗賊に見つかったら危険だしな」
そう言って、嵐山と雷龍は暫くはいそむらを拠点に密偵達の警護に当たることにするのでした。
●密偵たちの黄昏
「‥‥ここは‥‥盗賊宿と言うよりは‥‥」
小鳥遊美琴(ea0392)は暫くその茶屋の様子を窺っていましたが、確かに、一度気配を見破られそうになった様な男の出入りがあるのですから、怪しいと言えば怪しいのは確かなのですが、微妙な違和感に美琴は首を傾げます。
「あの人、また来た‥‥って事は、朝まで動きはないだろうな」
ここのところの様子と、監視をしていた者との話を総合し、付近で張っていた改方の者に後を任せてもう一件へと足を向ける美琴。
「そう、か‥‥こっちは入れ替わり立ち替わり、やばい面構えの男達の出入りが絶えねぇ」
美琴がやってくると、その宿の裏手にある蕎麦屋の2階から店の裏口を覗きながら言う御神村茉織(ea4653)。
「宿ならば人の出入りは多いからな、目立たねぇんだろうがな‥‥」
そう言いながら、何やら頻りに宿を気にする御神村。
「どうしたんですか?」
「いや、宿に長逗留って言うのはそう可笑しくはないんだが、妙な様子の男がいやがる‥‥」
そう言う御神村、軽く顎をしゃくってみせれば、宿の庭、上着を脱いで手拭いで身体を洗っている中年男の姿が見えるのですが、何か物音がするたびにびくついてそちらの様子を見るようで、身体を拭き終えると頭を振ってまるで逃げ込むかのように部屋へと引っ込む男。
「ここを張り始めて、すぐに?」
「いや、俺が来る少し前からで、どうもあそこの宿の主と知り合いのようなんだが」
そう言ってから顔を上げる御神村。
「ところで、小保丹の方はどうなった?」
「小保丹は井富屋の方は石榴さん達が買いそろえて調べて、変なものはなかったそうなんですが、三日月堂はどうも難しいらしくて‥‥」
そう言いつつも、微妙な表情を浮かべる美琴。
「どうした?」
「いえ、実は石榴さんが調べたときのことなんですけれど‥‥」
そう口籠もる美琴。
その1日ほど前、所所楽石榴(eb1098)は何とか井富屋で購入に間に合った小保丹を話のネタに、井戸端会議へと参加していました。
「あら、それ、今あちこちで聞く‥‥」
「うん、小保丹だよ♪ 僕の旦那様、最近忙しくしてるし‥‥お薬で少しでも助けになるならいいかなって思ってね?」
「ならそんな丸薬じゃなくって、精の付くもん食べさせてやんな」
がやがやと野菜を洗ったり洗濯をしたり、それぞれ忙しくしているおかみさん連中が笑いながら言うと、中の一人が何やら考え込む仕草。
「? どうしたのかな?」
「いえ、ねぇ‥‥近くの道場へとお手伝いしに行っているですけど、ちょっと妙な話を聞きまして‥‥」
そう声を潜める女性、小保丹を取り扱う三日月堂の男がご機嫌伺いに来る、武家の子息がいるようで、屋敷の中を嗅ぎ回っているようだ、と憤慨していたことを思いだしたのだと言います。
「でも、そのお坊ちゃん、小保丹を飲むようにお父上の後妻が言いつけて我慢して飲み始めたのだそうだけど、身体の調子が整うどころか‥‥体調が徐々に悪くなっていくからって、飲まずに飲んだふりだけしているそうで‥‥」
「妙な話だねぇ‥‥」
「うちの宿六のお師匠さんは、小保丹飲んで元気になってるそうだけどねぇ、井富屋さんの」
がやがや噂話に花の咲くおかみさん連中、その中の別の一人が、思い出したように顔を上げます。
「そうそう、三日月堂と言えば‥‥この間、殺されてたって言う、大工手伝ってた庄太さん、死ぬに3日前に、三日月堂に出入りしてたみたいだよ、なんか、中年の男と親しげに話ながらだったけど」
言われた言葉にはっとする石榴、死んだ庄太というのは殺された密偵の一人です。
「そう言えば、庄太も飲むだけで身体の仕組みが整うんだったら飲んでみてぇ、なんて言ってたよねぇ」
庄太は余程長屋の人達と上手くやっていたのでしょう、思い出してかしんみりとした様子で、そのおかみさんは言ったのでした。
「中年男か‥‥ちょいと気になるな‥‥」
美琴から石榴の話を聞いて、御神村は小さく呟き宿の様子を見ていると、やがて服を調え、どこかおどおどとした様子で件の男が姿を現します。
「出かけるか‥‥ここを頼む」
「はいっ」
「いや‥‥直ぐに綾藤へ‥‥」
他の者を呼びに行ってくれ、そう美琴に後を任せると、御神村は立ち上がって足早に下へと降りていくのでした。
●霞んで見える月
「あれ‥‥布断の侃二どんじゃあねぇか‥‥?」
いそむらで嵐山に覚えている盗賊の人相書きを作って貰っていた男の一人が顔を上げ、店の様子を窺っているのに、嵐山と雷龍は怪訝そうな顔をしちらりとそちらへ目を向けました。
ここ数日、新たに密偵が殺される様子もなく、2人とも警戒を続けながらもいそむらにちょくちょく立ち寄っては、役に立つ情報はないかと話し合ったりするようになっていました。
「なんだ、その、かんじ? ってぇ奴は」
「へい、人によっては仏の侃二って言いますが、俺等にして見りゃ臆病侃二って裏で呼ぶような、大人しい、錠前破りのおやじですよ」
「ただ、腕は良いが、どうにも気が弱くってねぇ‥‥堅気になったってぇ話だが、何でまた、あんなところでこの店窺ってやがる?」
妙な感じを受けたのか立ち上がりかける男を制して雷龍を見る嵐山。
「裏から頼むわ」
「はい、気を引いていてください」
そう言って裏口に回った雷龍ですが、店自体を窺う男達に気が付き小さく舌打ちをします。
「囲まれているようです、その2人を‥‥」
「お前等、ここの亭主のこと、任せるぞ」
がたん、音を立って席を立つ獲物を握る嵐山は表を窺えば、周辺にぽつぽつと窺える男達の姿が。
嵐山が表から十手片手に出て行けば、斬り掛かってくる男の刀を十手で受けつつ踏み込み糸も容易く刀を折ってしまう虎彦、いそむらの中では昔を思い出すなどと暢気なご亭主の声が聞こえてきます。
「っ! これ以上は寄らせませんっ!」
裏口から近付く男に雷龍が立ちはだかり構えると、そこに駆けつけるリーゼ。
「大丈夫?」
目の前の男を木刀で思い切り殴り飛ばして言うリーゼに頷き、密偵とご亭主の様子を確認する雷龍。
表には誠志郎と風斬が駆けつけ、逃げようとした侃二ににやりと笑いかける風斬。
「仲間を捨てたのかね?」
問答無用の一撃が侃二の意識を刈り取るのと同時に、わらわらと蜘蛛の子を散らすように逃げていく男達。
「今の男達は雇われ者だったようだな、そこの男の指示で囲んでいたようだ」
そう言って峰でぼこぼこに殴られぐったりとしている布断の侃二を掴んで起こしながら言う誠志郎。
侃二を駕籠で役宅へと放り込ませると、一同は綾藤で顔を合わせました。
いそむらには念のため同心が浪人を装い泊まり込む手筈になったそうです。
「先程、泣き喚きながら少しずつ、音無の兵吾が口を割り始めた、といっても、牢内の盗賊の殺害についてだが‥‥」
綾藤へと行けば、そこに顔を出す平蔵はあくまで穏和な表情のまま言い、平蔵に付き従ってきていた忠次は真っ青な顔で何かを思い出したかのように目を落としました。
「じゃあ、やはり船虫の直次郎が関わっていた可能性が?」
「あの男、直次郎を裏切ったので、直次郎の顔で前に現れてやったと言っておった。薄暗い牢内で直次郎の声色をする兵吾に、直次郎に見つかった、どんな目にあって殺されるか、そう思わせるだけのことを、それまで直次郎の下にいたときにされていたらしいな」
平蔵の話では元々船虫の直次郎の手下だったその男は、報酬の良さに釣られて裏切ったそうで、裏切った先の盗賊と懇意にしていた村に暫くの間匿われていたらしいとのこと。
「それがあの村だった‥‥?」
美琴が控えめに聞くのに頷く平蔵。
「そうだ、平蔵さんっ、あの三日月堂の小保丹なんだけど‥‥」
石榴が口を開き、分かったことを報告すれば、三日月堂はどうやら金持ち高く売りつけるのはもちろんのこと、都合の悪い誰かを片付けるための少量の毒を仕込んだ物を、仲介された相手に売ると言うことをしていたそう。
「後は、大店の商人達に小保丹を付き合いがあるからと売るという形で繋がりを持ち、出入りをするようになっていたそうだな」
誠志郎が言えば、眉を寄せる御神村。
「密偵が殺された日、一緒にいた男ってぇのが、あの布断の侃二‥‥で、死んだ密偵は恩があったし堅気になった侃二を見逃して欲しいと‥‥だが、小保丹絡みで足を洗ってねぇと知り自分の上役の同心へと伝えようとして‥‥」
軽く突く身振りをしながら言う御神村になるほど、とばかりに頷く風斬。
「獄死した男、江戸を抜ける直前、どうやら三日月堂を出入りしていたらしい‥‥」
「じゃ、あの張っていた盗賊宿2件は一体?」
首を捻る嵐山に、御神村に確認をするかのように口を開く美琴。
「茶屋の方は、多分‥‥多分ですけど、どこかの盗賊の隠し金があって、そこで番をしている人達が住んでいるんだと思います。もう一件は‥‥」
「‥‥侃二の関わっている盗賊の、盗賊宿の一つ、だろうな」
言って、平蔵が戸を開ければ、既に辺りはすっかり暗くなっています。
「ご苦労だった、また、すぐに働いて貰うことになる」
そう言って各々を労う平蔵に、風斬は徳利に手を伸ばします。
「平蔵さん、去った者達に一杯やっておいてくれ」
「ああ、必ず‥‥」
頷いて受け取る平蔵。
窓の外には、月が雲で霞みぼんやりと光っているのでした。