●リプレイ本文
●衝撃
「っ‥‥あれは――」
時永貴由(ea2702)はその瞬間を目にして、血の気が引くのを感じていました。
それは初日の夕刻、もう一組の石榴が末薪の新伍と接触を始めた、その時のことでした。
注意深く石榴の身辺やその周囲に意識を向けていた貴由は人遁で浪人姿をしており、警戒中のその視線の先に過ぎったのは不慣れな様子のもう一組に参加していた人間の姿。
焔が居たのは石榴が新伍との繋ぎのためにやってきていた蕎麦屋の近くにある、新伍の配下が関わっている様子のとある茶店でした。
嫌な予感を感じつつも飛び出すわけにも行かないと視線を周囲へと警戒するように向けた貴由は、それまで通行人と思っていた1人の男の様子が只ならぬ事に気が付き、物陰から飛び出したい衝動を堪えます。
「いけない‥‥」
口の中で思わず小さく呟き、飛び出せばどうなるか迷うように石榴の居る方へと目を向ければ、障子を開き剣呑な光を浮かべている新伍に気が付いて、飛び出せばどうなるかを理解し唇を噛む貴由。
今出れば総てのことが水泡に帰し、石榴の身も危うくなり、下手をすればどちらの盗賊も逃がしてしまう。
自身の身よりも何よりもそれだけは避けなければいけない事態と思い、焔が歩み寄った男に早く気が付き離れてくれることを祈る貴由ですが、焔はスクロールを取り出し茶屋の裏手を伺うように近付いていて。
一太刀。
素早く抜き放った刀を大上段から振り下ろす男、崩れ落ちる焔に向き直るのを見て絶望的な思いで間に合わないながらも出るかと覚悟を決めかけた貴由。
「人殺し――っ!」
「何してやがるっ! こんな往来でよっ!!」
石榴より近いところにいたからでしょうか、声と共に飛び出してくるのは茶屋の表で話していた若い男達、その男達をよくよく見れば白鐘の紋左衛門配下の若衆のようで、力が抜けるような感覚を覚えて貴由はそちらを見つつも震える息を吐き出して。
「だが、これで新伍が怪しめば‥‥」
緩く息をつき蕎麦屋の店内や往来の人々がざわつく中、ちらりと新伍の方を盗み見れば、一瞬視線があったような気がして肝が冷える貴由ですが、どうやら新伍は店内に他に誰かいないかと視線を巡らせただけのようで。
「‥‥出るぜ、姐さん」
低く微かに耳に聞こえる声に貴由が意識を集中させれば、同意した様子の石榴と2人店を出て、入口あたりで交わす言葉が聞こえて。
「‥‥‥じゃ、姐さん、残念だが今日は日が悪い、また、こちらから繋ぎの方法を連絡するまで、大人しくしていて貰えるな?」
有無も言わせないような低い新伍の声、勘定を蕎麦屋へと払い焦る心を必死で落ち着かせ、新伍の歩き去るのを追うのでした。
●焦躁
「んだってっ!?」
「若頭、面目ねぇっ!」
氷川玲(ea2988)が上げる声に、白鐘の若衆の2人は額を擦り付けるかの勢いで頭を下げていました。
そこは留八配下の塒を見張るために頼んで借りた見張所、その2階で氷川は九十九嵐童(ea3220)とレーラ・ガブリエーレ(ea6982)、それに浪人姿の長谷川平蔵とが留八についての捕縛や連絡関連の打ち合わせをしていたところ。
そこに泡を食って裏口から駆け込んできたのが若衆2人です。
「ちょい待て、お前ぇらもっと落ち着いて説明しろ」
若衆が駆け込んできた時点で嫌な予感を氷川は覚えていましたが、新伍に感付かれた可能性が高いとの報告は、それこそ今回の探索が始まって間もない時点でもたらされるには想定外過ぎる言葉です。
「へ‥‥ですから、飛んでもねぇことに‥‥俺らが茶店ん入って店の様子とかそれとなく見ていたら、あからさまに窺がってるお人がおりやして、陰の方に何やら巻物らしきのを出しながら入っていって、血相変えた男に斬り付けられてやして‥‥」
「‥‥どういうことだ?」
嵐童も流石に当惑したように僅かに眉をあげてみれば、レーラが首を傾げて。
「‥‥もしかして、むこーの組の人じゃん?」
連絡の為に顔を覚えていたのか、若衆の説明する様子に合う人間を思い浮かべて声を上げるレーラに氷川も思いが至って軽く舌打ちをし。
「ちょい待て、そんじゃそいつに捕まったとかいうんじゃねぇだろうな?」
「いえ、捕まえようとしてやしたんで、人殺しだと俺らが騒ぎ立てて、怯んだ隙にひっ抱えて逃げて来たんでさ。ですが、面目ねぇ、俺らが連れ去ったのぁすぐにばれやす。若頭の仕事の足ぃひっぱんたんじゃねぇかと‥‥」
「この通りでさっ!」
再び頭を擦り付ける若衆たちですが、部屋の雰囲気はどこか張りつめたものが切れたかのようにわずかに緩んで。
「いや、良くやった。捕まえられてりゃもっとやばいことになってた」
「‥‥運び込んだのは、役宅、か‥‥?」
「いえ、念の為、狐ん先生ん所に放り込んでから、役宅に知らせを持って行って貰って、俺らはこちらに‥‥」
その報告に頷くと、氷川は後で旨い酒でも飲ませてやろうと笑い、嵐童はもう一方の留八の塒に張っている聰暁竜(eb2413)へと繋ぎを付けに行こうと言って席を立ち。
「レーラ」
「何? 鬼平のおっちゃん?」
「お前ぇ、今はここに俺ゃ居るから護衛は平気だ、ちょいとひとっ走りしてきちゃくれねぇか?」
「んー? あ、了解じゃん、舞さんところに行ってくるじゃんー!!」
ぱたぱたと下の階へと駆け降りて、裏から駈け出して行く馬の蹄の音を聞きながら、氷川と平蔵は薄く開けた障子から目当ての建物を見やって。
「‥‥‥万一、あそこに駆け込もうとでもいう賊がおれば‥‥」
「打ち入る前にゃ誰も入れねぇさ」
刀を引き寄せ僅かに目を細める平蔵に、やり場のない怒りを向けるかのように、氷川もじっとその建物を睨めつけているのでした。
「‥‥そうか‥‥あの宿には、引き込みがいるようなのだが、それを探る暇もなかったわけだな」
僅かに眉を寄せ表情を曇らせるのは逢莉笛舞(ea6780)。
駆け付けたレーラの大慌ての報告を読み取り理解した舞は、もどかしそうにそう言うもレーラに頷いて見せて。
「あやしー人いるの?」
「確証はないのだが、昨年末より新しく入った飯炊きの男が、な‥‥」
「んー、なんとか調べられればいいじゃん‥‥」
むうと困ったように眉を寄せるレーラですが、僅かに首を振る舞。
「顔はしっかり覚えた、他に出入りしている怪しい様子の者がいないということは、まだ仕事が先か、既に手筈がすべて整っているか‥‥」
「じゃあ、今は‥‥」
「留八の捕縛を優先するしかないのだろうが‥‥。留八の捕縛は‥‥?」
「うん、たぶん明日の夜明けまでには決行だと思うじゃん? 新伍に完全に逃げられちゃったら、大変じゃん‥‥」
「‥‥‥こちらも確認を急ぐことにしよう。その旨を伝えて頂けないか?」
「わかったじゃん、任せるじゃ〜ん」
「何かあれば、定刻にくるであろう若いのに頼むから」
急ぎ市内へと戻っていくレーラを見送ると、舞は深く息をついて宿への侵入を試みるために立ち上がるのでした。
時間は僅かに遡ります。
取調室から響き渡る剛三の悲鳴と天風誠志郎(ea8191)の声を聞きながら、お梶は音無藤丸(ea7755)の差し出す饅頭と御茶を、怯えたように震えつつなんとか口にしていました。
「だ、旦那、本当にあたしゃ詳しいことは分からないんだよ‥‥ただ、なんだか手が足りないからしょうがなく組んだだけで、そこまで仲が良いわけじゃないとか、剛三が話したぐらいしか‥‥だから、勘弁しておくれよ」
自身、まさか改め方の牢に留め置かれるとも思っていなかったようで、その挙句が隣室から響き渡る剛三の絶叫となれば、自身が苦しいから剛三を殺してくれと頼んでいたことすら忘れていて。
「難しいことを聞いているのではない、分かることだけでいいのです。人数や、引き込みについて何か言っていなかったか? 日程や‥‥」
「‥‥うろ覚えだから期待しないでおくれね? そう言えば、大きな市や祭りが立った数日後に押し入ることが多かったらしいよ、そういう時は客が金を落としたばっかりで、次の頃合いまで仕入れを多く入れちゃいないからあるとか‥‥あと‥‥」
「あと‥‥?」
「特に年末や行事などで御里へ戻る者とか挨拶回りなどでやってくる人がいるときは、引き込みの男が何やら薬を使って、泊り客ごととか‥‥」
思い出そうと額に手を当てて考え込むお梶、藤丸は眉をあげて口を開いて。
「引き込みの男が、毒を‥‥?」
「あぁ、なんでも腕の良い寡黙な小男がいるんだとかで、良く引き込みに使っているとか‥‥客に顔を出すものでもないし、店の物をみんな消しちまえば発覚することも少ないとか‥‥」
「顔はわかりますか?」
「いや、話にしか聞いてなくて‥‥でも、小男で入り込むのは、忙しい旅籠とか手が足りなくて困っている大店とかばかりらしいから‥‥」
お梶の言葉に、藤丸は頷くのでした。
そして、隣室。
「まぁ、最悪チャームという手段もあるけれど‥‥」
「どちらかというと、新伍の塒はその都度代わり、それなりの金額を握らせるからこそ、店なども多少のことには目を瞑るようだ、剛三が知っているところもいつ引き払われるかあまり予測がつかんな。留八は判明しているところで間違いなさそうだが‥‥」
助勢に来ていたエレオノールが言えば、誠志郎は難しい顔をして小さく唸り。
その傍ではレヴィンが、林檎と共に現状で判明していることを確認して纏めている最中で、漠然とした情報もだんだんと形が見えてきた、そう思っていた矢先でした。
「誠志郎、ちょっと‥‥」
厳しい表情で声をかけるのはリーゼ、その様子に伊勢同心へと剛三を任せ牢へと移動させて、リーゼを招き入れる誠志郎。
「‥‥まずいことになったようだよ。どうもこちら側のが1人、単独行動で涼雲さんところに担ぎ込まれたらしいの、玲のところの若衆に」
「‥‥なん、だって‥‥?」
リーゼ曰く、涼雲医師のところのお弟子さんが、若衆の話を書き記した涼雲の手紙を持って役宅へとやって来たそうで、ブレスセンサーで念のため周囲を確認しておいた後で良かったとレヴィンは小さく息をつき。
「それで、御頭には‥‥」
「すぐに若頭のところに行くって出て行ったらしいから、今頃耳に入ってると思うけど」
「‥‥捕縛を速めるより他はないか‥‥。忠次、直ぐに津村殿を!」
誠志郎に呼ばれてくわばらとばかりに調書きをまとめていた忠次は、言われてあわあわと取り調べの部屋を出ていき。
「なんにせよ、早めに聰にも連絡を取り、逃さぬうちに捕縛へと繋げねば‥‥いや、先に焦れた方が負けだな‥‥」
唸るように誠志郎は呟くと小さく首を振り溜息をつくのでした。
●決断
じっと暁竜が見据える先、そこには牽蓑の留八が塒と思しき建物がありました。
その建物にはここのところ張っていた同心たちの話からも人の出入りは限られており、また恐らくは留八がいるであろうことと、全くもって外に姿を見せないことが聞かされていました。
「‥‥では捕縛を速めるということだな?」
暁竜が念のために確認すれば、嵐童は頷いて。
「それで‥‥見たところ動きはまだ何も?」
「ああ、ない。もっとも賊が理性的な動きをするとも思わん、気まぐれ、怖気付く、金銭的な問題‥‥幾らでも突拍子もない動きをしないとも限らんがな」
「‥‥‥‥まさかここまで切羽詰まるとも思っていなかったが、な‥‥兎も角、急いで捕縛に繋げないと‥‥」
「新伍の動きが読めない以上、今がその好機だ。刻限を合わせて打ち込めるよう、先方の同心達の手配とこちらの手勢を頼むと伝えてくれ」
「分かった。一度押し入る前にあの建物自体も確認しておかないと‥‥」
暁竜の言葉に嵐童は頷くと、愛犬の八房と伏姫に周囲の警戒を続けさせてそっと部屋を出るのでした。
●捕縛
ひっそりと静まりかえった江戸の町、時は明け方前、音もなく現れた一団が其の建物を囲み、各人が配置に就いたのを確認すると同時に、その建物の戸を、轟音を立て木槌で叩き壊すのは白鐘の若衆。
「なんでぇっ!?」
突如上がった音に飛び起きた様子の男が裏口へと走れば、川への退路を塞ぐようにして立ちはだかるのは暁竜と嵐童、それに忍犬の八房と伏姫。
「くっ!?」
身を翻そうとする男を暁竜が問答無用に素手で殴れば、その毒に昏倒する男、建物の中では複数の男達が蜂の巣を突いたような騒ぎようで起き出し、窓から逃れようと身を乗り出したりしています。
「凶賊盗賊改方である! 神妙に縛につけ!」
表では誠志郎と氷川、それに白鐘の若衆が退路を塞ぎ、飛び出してくる男達を手加減なしに殴り倒していきます。
「参るっ!」
「死にたくなきゃ大人しく殴られてろやっ!」
誠志郎が踏み込み氷川が続けば、挑みかかる者達を殴り倒し、階段より自身らを狙う鏃に目を向けた2人ですが、打ち出された矢は一瞬光る壁に阻まれて。
「あわわ、危なかったじゃん!!」
2人を守ったのはレーラのホーリーフィールド。
次の矢が番えられる前に既に氷川は男達へと辿り着いており。
「俺は気が立ってンだ‥‥分かるよな?」
にぃと浮かんだ笑みに男達の手から弓が転がり落ちて。
「牽蓑の留八っ! 逃げ道はないぞっ!!」
「く‥‥改方、か‥‥」
誠志郎がその紫に光る刀身を向ければ、忌々しげに顔を歪めながら恰幅の良い厳つい顔立ちの男は吐き捨てるように言うも、潔く手にしていた小太刀を投げ捨てるのでした。
もう一方の配下の塒は津村与力と浪人装いの平蔵、以下数名の同心の手によって押さえられ、旅籠の引き込みと思しき飯炊き男も舞によって逃亡されることを未然に防ぎ確保することが出来ましたが‥‥。
「‥‥末薪は逃げた、か‥‥」
「‥‥申し訳も‥‥」
綾藤の一室、報告をする貴由が僅かに悔しさを滲ませた声で言うのを、平蔵は首を振って低く笑うと、盃を差し出して。
「まぁ、一杯飲め‥‥。此度は不運ではあったが、運も良かったのよ‥‥」
「‥‥と、言いますと?」
盃を受け取る貴由に酒を注ぎつつ深く息を吐く平蔵。
「行く手をその場で起きていたどさくさで遮られていなけりゃ、お前ぇ一人で郊外どころか、近くの村まで追わにゃならねぇとこだった。気狂いのように後先考えねぇで襲いかかるような子飼いを抱えている奴の懐によ」
「ですが‥‥」
「お佐和にあれほど執着している末薪だ、必ず繋ぎは来る」
平蔵の言葉に貴由は小さく頷いて。
石榴の元へと繋ぎの知らせが届くまでの間、一同は手掛かりのない焦燥感に、暫しの間悩まされることとなるのでした。