●リプレイ本文
● 1
王都から離れた土地に暮らす人々にも、人間として恙無く生を全う出来る暮らしを――。
その足がかりとして国境を越えられる知識・技術の普及組織を設立すべく動き出した日向の呼びかけを受けて集まった冒険者達は、受付係の厚意で使用許可を受けたギルド内部の会議室において企画書作成のための話し合いを始めていた。
組織の名前、活動理念、方針、普及していこうとする技術。
何事も「検証してみなければ実現の可不可は判らないから」と、思いついた案はとりあえず声に出してもらっていたが、聞けば聞くほど、この世界に無いものが増えて行く。
それは同時に、天界と呼ばれる世界で暮らしていた彼らと、この世界に暮らす人々との生活の差だ。
「古き良き時代」という言葉がある。
「無い」事が不幸だとは限らない。
だとしても、その結果として目に映るのが以前に訪れた村の暮らしならば、改善する方向へ国を動かす事に迷いはない。
「とりあえず‥‥、情報伝達技術の普及を図るには製紙技術や識字率の向上が欠かせない、か」
日向の呟きに間を置かず挙手したのはイシュカ・エアシールド(eb3839)。
長く冒険者として数々の依頼に関わってきている彼は、日向よりもよほどこの世界の情勢に詳しい。
「製紙技術といえば‥‥、確か‥‥何れかの領土で開発された方がいらっしゃいますから‥‥、こちらで大々的に普及活動を行うとしても、‥‥まずはその開発を援助されていた領主に、何かしらの許可を求めなければならないのではないでしょうか‥‥」
「それって、その領主が特許権を持っているってことか?」
「トッキョケン?」
耳慣れない言葉を聞き返すのはレイン・ヴォルフルーラ(ec4112)だ。
彼女はウィルの公用語であるセトタ語に関してはこの中の誰よりも長けており、華岡紅子(eb4412)の提案で企画書の清書を任されたのである。
そのため、仲間達の話し合いの内容も細かく記録しており、アトランティス出身ゆえに知らない単語は積極的に学ぼうとしていた。
「トッキョケンって何ですか?」
「俺も自信はないけど、確か技術とかの発明者や考案者に対して独占的にそれを使用する許可を政府‥‥いわゆる国、だね。そこから与えられた権利のことだよ」
国塚彰吾(ec4546)の説明に、日向はコクリと頷く。
「言い方を変えれば、そういう権利が認められていないなら誰がどこで同じ技術を発明しようと自由って事なんだが‥‥」
言いながら、彼は自分の発言に眉を顰めた。
「いや、今のはナシな」
それではまるで法の抜け道を利用して儲けようとする肝の小さな悪党だと胸中に呟く彼の思考を、同郷の紅子、彰吾は何となくだが察した。
「まずはその領主サマのところに出向いて、協力を仰ぐ方向で話を進めたらいいんじゃないかしら」
「同感」
二人の援護を受けて、日向は失笑。
「ま。もしもその領主が自分の懐を潤す事しか考えていないような奴なら、その時はその時だな」と、些か悪い顔で言う。
「識字率の向上については、やっぱり学校とか、そういう場所で皆で習うようになるんでしょうか?」
ソフィア・カーレンリース(ec4065)の問い掛けに答えたのも、やはりイシュカ。
「そうですね‥‥教える者と習う者がいれば‥‥青空の下でも勉強は出来ますし‥‥」
子供達を相手に教えた経験を踏まえて語る彼は、ふと思い当たったように顔を上げた。
「‥どちらかというと‥王都にある「庶民の学校」に協力を求められませんかね‥‥?」
そちらについては自分も関わっている事業だから話しを通す事は可能なはずと続ける彼に、ならばそちらにも協力を頼んでみようという話になる。
農耕、漁猟、牧畜、林業、製紙、織物、教育、医療、情報通信。
次々と出される案を、レインは準備した羊皮紙を無駄にしないよう気配りながら丁寧に記録していった。
「その村にとって必要なものも異なると思う。そういった調査も必要だな」
リール・アルシャス(eb4402)の発言は尤もだ。
各地の土壌環境を含め、適正な技術等を波及するためにはやはり国を挙げての調査が必須だろう。
前回の依頼で最も国に近しい立場からゴーレムを貸与されたルエラ・ファールヴァルト(eb4199)は、ならば先ずは自分が国王への謁見を求めると告げた。
「リリィさんの村における悪政の件も陛下のお耳に入れておいた方が良いと考えます。万が一、件の領主が村に戻り再びの悪政を強いては、ようやく復興に向かった村の人々が再び貧困に苦しむ事になりかねませんから」
「ああ。なら、そちらはよろしく頼む」
「ええ」
「‥‥それにしても」
ふと硬い声を押し出したのはソード・エアシールド(eb3838)だった。
これまでの案を冷静に聞いていた彼は、今回の企画書製作にあたって実現可能と考えられる案を検証するにも、絶対的に時間が足りない事を認識していた。
「何か‥‥もっと短時間で効果を実証出来るものがあれば、企画書を認めてもらうにも貴重な実績となるんだがな」
たとえば天界の植物など‥‥と考えを巡らせたところで、脳裏に浮かんだのはいつだったか聞いた「じゃがいも」という名の野菜である。
どんなに荒れた土地でも比較的容易に育てられる上に栄養価も高い食物として、一部で栽培されているはずだ。
そう聞いた彰吾は大きく頷く。
「種芋を数個でも貰えたら、増やして行く事は可能だね。これも特許の関係で問題なく俺達に普及させる権利があればの話だけど」
苦笑交じりの言葉には、他の面々の間にも笑いを滲ませた。
「それじゃ、まずはこの辺りで、どこまでが実際に普及可能かを検証するとするか」
「了解」
「はい!」
かくして冒険者達は動き出す。
● 2
別々に行動することになった冒険者達の中、ソフィアとレインが向かった先は顔馴染みの牧場経営者宅である。
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げる少女達を出迎えた彼女、セゼリア夫人は、先日の依頼で荷馬車や花、野菜の苗などの手配に力を貸してくれた人物でもある。
「本当に助かりました、ありがとうございます」
「どういたしまして」
にっこりと微笑みながら応える彼女は、しかし寂しそうにレインの頭を撫でている。
「今度は動物さんの耳を付けて来てねとお願いしたはずでしたのに‥‥」
「はっ。えっと、次回には必ずっ」
まさか本気だったとは‥‥、とレインは胸中に呟きながら慌てて答えた。
「約束よ?」と再び微笑まれて、少女の背筋に流れる冷たいもの。
水のウィザードは少々困った相手に借りを作ってしまったようである。
「それで、今日は何のご用? 荷馬車ならいつでもお貸しするけれど」
「いえ。今日は、また別のお願いがあって来ました」
即座に首を振り、そう前置くのはソフィア。
「まぁ何かしら?」
僅かに身を乗り出して興味が引かれた様子の夫人に、少女達は自分達が始めようとしている運動について説明した。
畑仕事に向かない土地でも出来る仕事の一つとして牧畜という案も挙がっていたのだ。
「僕は森とウィルでの暮らししか知らなかったから、この間の依頼はショックでした‥‥」
「私もです」
エルフ族という森と繋がりの深い暮らしをして来たソフィアにとっても、王都で生まれ育ったレインにとっても、そこから遠く離れた土地の暮らしは良くも悪くも衝撃だったようだ。
「畑としては適さない土地だとしても、お肉や乳製品、羊毛の生産とかなら出来るかなと思ったんです。牧畜のノウハウを教えてもらう事は出来ませんか?」
「そうね‥‥」
少女達の話を聞き終えた夫人は、難しい顔で口を開く。
「牧畜のノウハウを教える事は簡単だけれど、この仕事も適した土地でなければ長くは続けられないものよ?」
どんな動物であれ、生活の中に関わる家畜の飼育となれば緑豊かな土地は必須。
まして相手が生きた動物である以上は食事を欠かせないし、病気にもなる。
様々な形で膨大な費用が掛かる。
中途半端な頭数の飼育は、かえって経済を圧迫するだけなのだ。
「それに寒さには強くても暑さには弱い動物がほとんどだわ。ウィルで極端に暑くなる事は滅多にないけれど、そうなった時に対処する術もきちんと用意しておかなければ動物達は全滅するわね」
「そんな‥‥」
考えていた以上に厳しい現実に、少女達は沈痛な色を滲ませた顔を見合わせた。
夫人は「ごめんなさいね」と申し訳無さそうに微笑う。
「けれど動物を相手にするという事は、生きた命を相手にするということなの。私達が生きるための犠牲になってくれるの。そんな子達を無責任に育てる事だけはして欲しくないのよ」
「はい‥‥」
夫人の言いたい事は二人にもよく判る。
同時に、やはりこの人は動物が好きなのだと実感した。
「動物を飼えば牧畜が出来るわけじゃないんですね」
「ええ」
まずは設備を整えるところから始めなければならないとなれば、その実現には無理があるかもしれない。
少女達から重苦しい吐息が零れ出そうになるが、それよりも早く夫人が再び口を切る。
「ただ、住み込みで人を雇う事は可能よ?」
「――え?」
言われた内容が飲み込めずに聞き返せば、夫人はにっこりと微笑んだ。
「敷地内に小屋が幾つかあるの。人が寝泊りするには修繕の必要があるけれど、それは冒険者の皆さんがお手伝いして下さるでしょう?」
「はぁ」
いまいち理解に苦しんでいる少女達に、夫人は更に続ける。
「この近辺の牧場や畑のご主人達とは長いお付き合いだし、冒険者の皆さんが暮らし改善の為の運動を始めていると聞けば喜んで協力するでしょう。季節によって仕事は変わるけれど、通年でも、忙しくなる時期だけでも構わないわ。遠方の方々に働きに来てもらって、お給料と一緒に牧畜や農業の知識、技術と、場合によっては苗や動物を故郷に持ち帰って頂ければ牧畜もゼロからのスタートではなくなるのじゃないかしら」
「あ‥」
ようやく夫人の意図を察した少女達。
「最初から村の方々にやらせるのではなくて、まずは今現在、牧畜をしている家の人達に声を掛けて働く場所を確保するなら現実的ではなくて?」
「はい!」
やはり得るべきは専門家の知識だ。
少女達は確かな一案を仲間達の元に持ち帰る事が出来そうだ。
*
同時刻、製紙業を普及させるべく動いていたのはリールと彰吾の二人である。
かつての製紙関連にはルエラも関与しており、彼女もこちらに合流出来れば良かったのだが、その立場故に上の人々にも縁深い彼女には、彼女にしか出来ない役目があった。
そのため、製紙関連の調査はリールと彰吾の二人に任されたのである。
「私達では件の領主殿にお会いする事は難しいだろうから、あくまで情報集めに止まると思う」
そう前置きするリールも貴族の一人だ。
まだこちらの世界には疎いという自覚がある彰吾は素直に彼女の言葉を聞いていた。
「先ほど日向殿達が話されていたトッキョケンだが、私の知る限りウィルには存在しないと思うんだ」
「え?」
「これまで聞いた事が無かったし、何より天界から来た方々が伝える知識ならば、どこの領地で同じ技術を保有していても特に不思議はないからな」
「そういうもの、なのか‥‥?」
故郷とはあまりにも異なる認識に彰吾は軽いめまいを覚えた。
額を押さえた彼にリールは表情だけで笑み、彼を促して歩を進める。
「最も、改良時間が長ければ質も良くなるだろうから、やはりその領主殿にはお会いしたいかな」
「だよなぁ‥‥」
*
一方、これまでの数ある資料から諸々の技術者の名前をリストアップしていたのはイシュカと紅子。
場所は受付係の厚意によって貸し切りとなっている会議室。
情報元は主にギルドに保管されているこれまでの報告書だ。
「あら。この人の研究は面白そうね」
「‥‥この方も‥‥興味深い研究をされていますね‥‥」
今回の依頼は、冒険者達が興そうとしている組織を後押ししても良いと考えている分国セレの貴族、アベルへの企画書の提出だ。
しかし提案した内容が実現可能かどうかは調べて見なければ判らず、かと言って成功例を出せるほどの時間的な余裕はない。
そこで、過去に行われて来て成功している天界の知識等を用いた活気的な事例を片っ端から調べていたのである。
製造、教育、医療、農耕、娯楽――。
また紅子には、それらの事業の中枢に立っている友人アレクシアス・フェザントがいる。
冒険者であると同時に一領地を治める彼もまた、今回の企画書の出来次第では彼女達の運動を支援したいと申し出てくれている他、その立場における可能な範囲のデータを提供してくれた。
それらの情報に目を通しながら、
「ん。この貴族サマなんか冒険者への心証は良さそうね」
同時に彼女達は、パトロンとなり得る可能性を持った貴族の名前も拾って行く。
日向は、この組織において冒険者からの資金提供は一切受けないと言い切った。
組織の活動をウィル全土に広めるには多額の資金が必要で、中には一貴族よりも私財を蓄えている冒険者もいるのに、だ。
理由は簡単。
国民が国に納めた税によって国民の生活が改善されなければ、意味が無い。
働いた分だけ自分達の暮らしが豊かになるという事を実感する事が大切だからだ。
寄付は受けないと言う日向に対し、イシュカは尋ねた。
「冒険者でかつ領主という方も何人かいらっしゃいますが‥‥そう言った方々が援助したいという場合、それでも資金提供はお断りされるのですか?」と。
対して答えは一つ。
「『領主』からの資金提供ならば受ける」
それはいずれ領主の財産たる民に還元されるのだから。
● 3
数日間を各自の調査に費やして、企画書を提出するまで後二日となったこの日。
ギルドの会議室に集まった冒険者達の表情は悪くない。
ソフィアとレインが持ち帰った牧畜関連の話は非常に現実味を帯びていたし、リールと彰吾が調べてきた製紙産業に関する情報も、彼らにとっては、どちらかと言えば有利な内容だった。
「実際にご本人にお会いする事は叶わなかったが、現状がどうであるかという情報は手に入れられた」
「それで?」
日向に促されて、リールは小さく頷く。
「イシュカ殿が言われていた通り、ホルレー男爵領の須藤まりえ殿という女性が製紙業開発に関わっておられ、その技術は相当のものだった。フオロから使いの方も見えて大々的に量産されるつもりであったようだが、原材料の確保などに問題が生じたようで、以降、話しは進んでいないそうだ」
「原材料、か‥‥」
紙と聞けば材料は「木」が一般的だが、この世界で何を材料としていたかという情報まではさすがに得られない。
難しい顔で考え込む日向に、リールは言う。
「確かにホルレー男爵領には製紙技術の第一人者がいるが、こちらが製紙業を普及させる事に、例の「トッキョケン」というのは気にしないで良さそうだ」
「え?」
「つまり、無数の天界人が召喚されている以上は製紙技術の知識を持った人が複数人いるのは当たり前のことで、別の土地で同じような製紙技術が開発されても何ら不自然な事はない、‥‥ってことだそうです」
彰吾の補足に、思わず言葉を失ってしまう日向。
ありがたいと言えば、ありがたい話だけれど。
「と言う事は、こちらもこちらで村の人達に製造方法を教えて普及させる事は問題ないというわけね」
苦笑交じりの紅子に、やはり苦笑を交えたリールと彰吾が頷き返した。
「『じゃがいも』もその例に漏れずだ」
声を上げたのはソード。
天界の丈夫な野菜を普及出来ないかと調査していたソードは、本当に偶然だったのだが、とある村で「買い物の途中にこちらに召喚された」という女性と出逢った。
彼女は国の「保護」が「監視」に思えてしまい、そんな生活が性に合わずに近くの村で自給自足の生活を送っており、彼女の畑に植えられていたのが「じゃがいも」だった。
「自分の食べる分しか植えていないらしく、量は大してないんだが、こちらが希望すればこの秋に収穫出来た分から幾つか種芋を譲ってくれるそうだ」
「じゃあ、それを足がかりに増やしていけば‥‥」
「ああ」
恐らくは「じゃがいも」ならば八割近い土地での栽培が可能だろう。
「よしっ」
一人一人の表情が明るくなったところで、ルエラは謁見して来た国王の言葉、そして縁あるセレの男爵との間で交わされた話の内容を全員に伝えた。
「リリィさんの村で悪政を強いていた領主については調査して下さるとの事でした。村の復興支援の件では皆さんの労を労っても下さいました。また、その翌日にはセレのアレックス男爵ともお会いして来ましたが、男爵は今回のパトロン候補になられたアベル・クトシュナス卿の事をご存知でした」
当初の予定としてはフロートシップ貸与の礼を告げるだけのつもりだったのだが、今後の運動がセレに関わるようならば縁ある男爵に前以て挨拶はしておく方が良いだろうとの判断から、今回の運動についても話す事になったところ、自然な流れでその貴族の話にもなったという。
男爵によれば、アベルはセレ領内では珍しい人間貴族。
彼の父親が分国王に好まれて召抱えられた騎士の二世で、分国内では有名な人物だという。
まだ二十代後半の若輩ながらも、早々に隠居した父に代わって領地を受け継いだのが二年前。現在ではすっかり伯爵という身分も板についた人格者だと、評判は上々だった。
「人間貴族が珍しいのか?」
その辺りの情報にはまだ疎い日向が聞き返すと、メンバーの中で唯一のエルフ、ソフィアが「そうですね‥‥」と口元に指を当てて言葉を選びながら答える。
「エルフ族は割りと他種族に対して排他的なので」
「セレは分国王もエルフであらせられます。首都には「エルフの国」という俗名があるほどで、人口の八割近くが同族で構成されていたはずです」
ルエラからの補足を受けた日向は「へぇ」とさすがに少し驚いた様子だ。
「私も最初はクトシュナス卿はエルフだとばかり思っていましたよ」
「そうか、それは悪かったな」
日向は日向で、いまだエルフと言うとソフィアの他には会った事がないという状況だ。
身近にいるのは人間で当たり前という先入観がなかなか抜けずにいる。
「いえ」とさして気にした様子もなく微笑むルエラは、話を続けた。
「また、彼がギルドを訪ねていた本来の理由にも何か思い当たる事があるようで‥‥」
「本来の理由‥ですか‥‥?」
「ええ」
聞き返すイシュカに、ルエラは難しい顔で頷く。
「‥‥詳しくは話して下さらなかったのですが‥‥、クトシュナス卿が王都に来ているのなら近く冒険者達の力を借りる事になるだろう、と」
「――なにやら不穏な気配が漂うな」
軽い吐息と共に呟くソード。
人知れず身体を強張らせたのは、リールだった。
「ま、それも気になるところだが今は企画書の完成が第一だ」
「ええ。こっちも有名どころから、あまり知られていない人物まで、これはと思える技術者をリストアップし終えたわ。そろそろ清書を頼めるかしら、レインちゃん?」
「はい!」
紅子に声を掛けられ、ここからは自分の番だと張り切る少女。
「途中でイラストなどが欲しい場合には私も協力できる」
「よろしくお願いします」
リールとレインが声を掛け合う傍らで、ソフィアも紙とペンを手に手紙を書かなきゃと真面目な顔。
シフール便で、彼女の生まれ育った森の長老に豊かな自然を今回の運動のために少しでもいいから分けて欲しいと頼むつもりだ。
「一筋縄ではいかないと思いますけど、頑張ります!」
他種族に排他的と言われるエルフの郷を動かす橋渡しになる、それが彼女の目標だ。
「あとは電話についても有力な情報が欲しかったが‥‥」
「それがあれば色々と便利ですからね」
日向、彰吾が言い合う横では「それについても、面白い研究をしている人の名前ならリストアップしておいたわよ?」と一枚の羊皮紙をひらひら揺らす紅子。
これまで集めた情報を元に、冒険者達はいよいよ企画書の作成に着手した。
● 4
王都以外の地域の庶民を中心に、暮らしをより良くするための知識・技術の普及。
設備建設。
そういった事を目指す志を持つ者たちが集まる組織が、彼らの目指すもの。
そのためには様々なジャンルの協力者達のネットワークを築き、国の介入が妨げにならぬよう、暮らしを改善させたいと願う人々には余すことなく協力・支援出来るという基本の形を確立させなければならない。
この大地に生きる全ての人々が穏やかな夜を過ごせるように。
命の重さに異なる価値などないと、誰もが自覚出来るように。
まずは識字率の向上。
製紙業の発達。
これにより人々の間に情報を伝達させる。
他所の土地での通常の納税率を知るだけでも、悪政を敷かれている村の人々の認識は大きく変わるはずだ。
そのためには、場所などどこでも構わない。
字を教えられる教師を各地に派遣し、学びたい人々が自由に学べる環境作りが必須だ。
農耕、牧畜に関しては王都周辺の農夫達の協力を仰ぎ、地方の人々を住み込みで雇いながらその知識・技術、または苗なども給与と共に持ち帰らせる。
実際の仕事よりも先に設備を整えなければならない事業に関しては、まずは既に整っている場所での勤務から始め、行く行くは自営に移行していくのだ。
同じように、漁業は海沿いの街で。
林業は森近くに広がる街で。
地方の人々を雇ってくれる家を探し集めることを活動の一環とする。
そして特許権にこだわらなくても良いという世界の理を良いように解釈に、これらの活動内容は、資金面で協力してくれた貴族達が関与する領地には優先的に普及するという約束を以って数多の貴族達に呼び掛ける。
自分の領地に暮らす民の生活が潤えば、それは真っ先に領主自身の生活にも影響する。
たとえ高すぎる税率を農民達が自覚することで好き勝手な税率を定められなくなったとしても、その土地に適した仕事を一人一人が手に出来れば、収入はこれまでと比べ物にならない程に改善されるだろう――。
*
「なるほど」
企画書に一通り目を通したアベル・クトシュナスは、その面に楽しげな笑みを浮かべて見せた。
「魅力的な内容だね」
その一言に、集まっていた冒険者達は顔を綻ばせ、中には小さくガッツポーズを取る者も。
「領主の許しなく領内でこのような活動を行えば問題が生じるのは必定、だからパトロンになった貴族の土地優先で、とは道理にかなっている。――とは言え、実際にこれで生活が向上したという実例を示せなければ話に乗ってくれる者もなかなか現れないだろうね」
これまで通り自分の支配下で好き勝手な政治をしていた方が良いと、悪い奴ほどそういう考えの下で他人の侵入を快くは思わないはず。
「試しにセレ領内の土地で実験してもらおうかな、と思わないでもないけれど、それには技術者がまだ不足しているようだし?」
その名前はリストアップしたが、この一週間で全員から協力を求めるような余裕もなかった。
「そこに名前を挙げた人達からの協力を得るにも、やはり後押ししてくれる大きな後ろ盾があった方がいい」
「確かにね」
セレという一分国が彼らに協力していると聞けば、それだけで信頼度は格段に増すだろう。
アベルはその場に並ぶ冒険者の顔を一人一人見遣る。
途中、エルフのソフィアで視線を止め、彼女に微笑んで見せた。
「人間ばかりの意見で纏めた企画書というわけでもなさそうだし、まぁ途中で頓挫したとしても協力して損しかしないという内容でも無さそうだ。――この企画書は、分国に持ち帰ってもいいかな? うちの王様に通してみるよ」
「!」
わぁっと瞬時に盛り上がる場。
「お願いします!」と深々と頭を下げる少女達。
「ただ、一つ聞きたいんだが」
と、その低い声音には一瞬にして場が静まった。
アベルはじっと彼らを見つめ、企画書を指で叩く。
「君達の組織の『名前』はどうしたんだい?」
言われて「あ」と気付く面々。
「あー‥‥実は候補が有り過ぎて一つに絞れなくてな」
日向が頭を掻きながら言う。
暮らしの夢。
全土豊潤化計画委員会。
笑顔の輪。
明日への勇気。
暁。
縁の道標。
タンポポ会。
豊穣の種――。
一人一人が真剣に考えて名前を出し合ったのだが、これという一つが決まらなかったのだ。
「そう‥‥、まぁ急な話だったし、時間も充分とは言えなかったから仕方ないかな?」
楽しげな笑みと共に語るアベルは立ち上がりながら「ならば」と続ける。
「君達の決めた名前で、こちらは一種の通行証のようなものを発行しようと考えている。それを持っていれば地方に技術や知識の伝達を行うのに上の許可を仰ぐ必要はないという、いわば天下御免の許可証だね」
「許可証‥‥」
「俺はこの企画書を持ち帰って分国王に進言する。王が認めれば、まずセレ、ゆくゆくはウィル全土の有力者達に親書を送る事になるだろう。その結果、場合によっては技術者達の方から協力を申し出てくれるかもしれない。そうなった時に、彼らにこの企画書と同じ説明を行うのは君達に任せて良いのだろう?」
「それは、もちろん」
代表して日向が答えれば、アベルは頷く。
「君達の組織だ。時間は掛かってもいいから皆が納得する名前を決めておいてくれ。この企画書の件で、君達をセレに招く日もそう遠くないはずだ」
その言葉に一同は瞠目し。
「次はセレで会おう」
それは、アベル・クトシュナスが彼らの活動を支援するという約束に他ならない。
固い握手が交わされる。
冒険者達の国境を越える組織作りは、いま確かな一歩を踏み出したのだ。