●リプレイ本文
血の匂い濃く、不快を極めるような重い空気が流れるその一室に、いま久方ぶりの光りが射した。
なるべく音を立てぬよう気遣いながら卓に白い器を置いたのはリール・アルシャス(eb4402)。それにイドゥンのりんごを摩り下ろした飛天龍(eb0010)、彼ら二人が見守る中で慈愛に満ちた白い輝きを放つのはイシュカ・エアシールド(eb3839)だ。
リラが瀕死の重傷を負ったと馴染みのギルド受付係から知らされたイシュカは、自分の持つ力が役に立つはずと、ソード・エアシールドの協力を得て此処まで赴いて来たのである。
魔法のりんごによってリラが負ったダメージを幾分か軽減させ、落ちた体力と気力を補わせた段階で用いられた白魔法リカバーは、無残に抉れた傷を綺麗に治癒させていく。
先ほどまでは酷く荒かった呼吸も落ち着いて行くのを見て取り、冒険者達はもちろんのこと、リラが横たえられたベッドにしがみ付いて彼を案じていたユアンの強張った表情にもようやく笑みが戻った。
「師匠! リール姉ちゃんっ、リラさんが‥‥っ!」
「ああ」
「ユアン、もう大丈夫だ」
リールが小さな肩を抱き締めて告げれば、幼子は満面の笑みで頷く。
「ありがとうイシュカ兄ちゃん!」
「‥‥お役に立てて‥何よりです‥‥」
子供の真っ直ぐな感謝の気持ちに若干押されつつも、イシュカも柔らかな笑みで彼に応える。
「しばらくは休ませておいた方がいいな」
天龍の言葉に異を唱える者は無く。
「‥ここは、私が看ておりますので‥‥、お二人は少し休まれては如何でしょうか‥‥」
「いや‥‥。カインの事もあるし、調査に向かった勇人と昴の方も気掛かりだ。休んでいる余裕はないだろう」
「私も、少々相談したい事があるのでアベル卿に会って来ようと思う。――ユアンは少し休んだ方が良いと思うが」
それぞれに今後の予定を論じれば足下から幼子の決意。
「師匠が休まないのに俺だけ休むなんて出来ないよ! ‥じゃなくて、出来ないです!」
言い直すユアンの眼差しは真剣そのもの。
結局は天龍とユアンが共に過ごす事で一先ずの行動が決まり、彼らはイシュカを残し静かに部屋を後にした。
一方、キース・ファラン(eb4324)は石動香代と共にカインの部屋を訪ねていた。と言っても互いの顔を合わせるわけではない。
リラが負傷して戻って以降、予断を許さぬ状況の中では誰も彼の事を気に留めていなかったのだが、しばらくして村人の一人が「ナナッシュの様子が変だ」と領主に報告に来た事で事態が発覚。
石動兄妹が彼に会おうと行動を起こした事で、彼の記憶が戻っている事を知るに至った。
しかしそれ以降の進展は皆無。
取り戻した記憶の中に何が有ったのか、彼は誰とも関わろうとしなくなってしまったのだ。
「カイン、お願いだから出てきて! 話をさせて!」
扉越しに長年の付き合いを持つ香代が声を掛けても何ら反応を示さない。
まるで中は無人のような静けさが返るばかりだ。
「カイン!」
呼び続けてそろそろ四日。
どちらにも折れる気配はない。
「‥‥カイン‥っ」
自分の声が届かない事に顔を歪める彼女を、キースは傍で見守っていた。根を詰めすぎているように感じれば声を掛け、しばらくは互いに休んだ方が良いと休憩を促す。
「きっと大丈夫さ、時間は掛かるかもしれないけど必ず声は届くよ。ずっと一緒に冒険して来た仲間なんだから」
無邪気で明朗とした言葉は、不思議な力を彼女に――そして姿を見せない扉の向こうの彼にも与える。
「ありがとう」と返す彼女の声は震えていた。
まるで泣くのを堪えるように。
*
「この辺りか?」
「ああ。位置は間違っていないけど‥‥」
陸奥勇人(ea3329)と物見昴(eb7871)、そして石動良哉の三人が佇むのは数日前にリラが負傷した場所。
ずっと捜し求めていたルディ・オールラントが何の前触れもなく彼らの前に姿を現した土地である事に間違いはないのだが、同時に嫌な予感が現実のものとなるだろう不安が増す。
「‥‥おまえ達が止む無く倒した動物達の死骸が無いのは何故だ?」
一応は疑問形でそれを口にする勇人だが、彼もとうに答えを知っている。
「各村の遺体を火葬させるって話しも進めていかんとならん時に‥‥」
眉を顰めて言う勇人の手には、天龍から預かってきたダウジングペンデュラム。
「わざわざ自分で出て来たのは邪魔されたくない何かがあるからか、――ならば尚更こっちが手を止めている訳にゃいかねぇな」
「あぁ」
表情を改め、そこから捜索を開始する。
良哉が二人に同行を申し出たのも、ルディが仲間の命を捧げる方向で動いているらしいとの情報を得て、自身を囮にする覚悟をもってのことだ。
――‥‥もうすぐ時が満ちる。そうなればこの世界も、あの世界も終わりだ。俺は妹を殺したのと同じ力で、妹を死なせた全てを壊してやる‥‥!
彼が去り際に残したと天龍から知らされた台詞が、更に彼らを突き動かす。
「この世界だけでなく、あちらの世界とも言うなら繋ぐ方法なり道なりを見つけたって事か」
「さてな」
昴の予測に、勇人が嘆息混じりに返す。
その真偽のほどは掴めずとも彼らの信念は変わらない。
「何であれ止めてやるさ、必ず」
それが彼ら共通の想い――。
●
国内の調査・偵察の幅を広げるためにもゴーレムグライダーの使用許可をもらえないかとアベルに相談し、自分の所有機を貸す事は出来るが空中戦に向かないグライダーを操縦中に万が一の事があってはと渋られたリールは、しばらく考えさせて欲しいという言葉を受け入れて領主の館を後にした。
その帰路、訪ねたのはカインの元。
部屋の扉の前には香代が居り、傍近くの壁際に佇んでいたキースは、リールを見止めて片手を挙げる。
「リラさんは?」
最も気掛かりな事を問い掛ければ、香代もハッとして彼らを振り返った。
「ああ、もう大丈夫だ」
「そうか、良かった」
「あぁ‥‥リラ‥‥っ。カイン、聞いたでしょう? リラは助かったわ、回復しているの。もう大丈夫なのよ、だから‥‥お願いだから貴方も前に進んで‥‥っ、私と同じ過ちを繰り返さないで‥‥!」
悲鳴とも取れる訴えに、震える肩をキースの手が包む。
リールも沈痛な面持ちとなり、その扉に手を置いた。
出て来いと促すばかりでは頑ななその心を解かせないのなら、必要なのは時間。
「‥‥何があったにしても、生きていてくれて良かった。きっとエイジャ殿もそう思っている」
声は届くだろうか。
相変わらず外の彼女達に聞こえるような反応は、無かったけれど。
*
数日を経てリラの容態はすっかり安定し、立ち上がって歩くのに何の苦も無くなっていた。
それでも数日寝込めば体力は確実に落ちているだろうと、勘を取り戻す意味も含めて天龍が手合わせを提案したなら、その様子にユアンが大興奮と、一時現状を忘れるような和やかな時間が過ぎていく。
が、現実は容赦ない。
調査から一度戻った勇人の話を聞くや否や雰囲気はガラリと変わり、調査結果をアベルの元に持って行くのは昴。
良哉はユアンと共にカインの部屋へ向かい、室内に留まった面々で話し合われるのはルディの件。
「あの場所に何かあると思ったが、人数にしても前回より少なかったのにルディが姿を現さなかったのが気掛かりだ」
眉を顰めながら言う勇人に、リラは思う。
「恐らく‥‥、前回の件で君達の強さを知ったからだろう。女性二人にシフールの飛殿‥‥見た目にはアニマルモンスターで対応出来ると予想しながら全く歯が立たなかった。無暗に手を出せば自らが危険だと判ったはずだ」
「なるほど」
些か腑に落ちない点もあるものの、そう言う事かと一先ずは納得する。
「ともかく、リラが無事に回復したようで何より」
勇人に背を叩かれ、リラは頭を下げた。
「心配を掛けてしまいすまなかった‥‥、狂化の事を持ち出され動揺してしまうなど、私もまだ脆い‥‥」
「それは仕方ない。だが、俺達はそう簡単にはやられないし、リラが狂化させられたとしても必ず止めて見せる」
だから安心しろ、と。
天龍から告げられた力強い言葉を胸に留め、リラは前線への復帰を誓う。
「ルディの目的は仲間の魂を集める事で間違いないように思う」
「デビノマニにでもなるつもりか」
最もルディと接近し、多くの言葉を聞かされたリラの断言に天龍は考える。
デビノマニ――ジ・アースではデビルと契約し重ねた悪行の数々によって堕ちた者の事をそう呼ぶ。
「相手がカオスの魔物であるアトランティスで、それをどう呼ぶかは知らないが‥‥、今度は自分がその力を得て、妹のような存在を自ら増やそうとしているように思えた」
「親しい者の魂を数多く手に入れれば魔となる、ということか?」
デビルには縁の無いリールの問い掛けに応えるのは勇人。
「そいつにとって、その行いがどれだけ卑劣で残忍なものかというのが基準だったはずだ。あえて親しい者と限定されてはいないだろうが、少なくともルディにとってはエイジャやリラの魂を奪う事が魔物の力を得る近道だったんだろう」
「‥‥そんな事を妹君が望んでいると思っているのだろうか」
沈痛なリールの呟きには、誰も何も応えない。
答えなど判りきっている。
「あとはカインか‥‥」
今日も彼の部屋の前には香代とキース、そして精神的な回復を願ってイシュカが同席しているが、経過は聞かずとも知れる気がする。
問題は山積みだ。
と、そこに駆け戻って来た昴だが、その顔色は良くない。
「どうした」
一瞬にして室内の彼らにも緊張が伝染り。
「‥‥アンデッド達が向かっているのは、どうも例の『壁』のある方向らしい」
冒険者達は目を瞠る。
――‥‥もうすぐ時が満ちる‥‥
去り際、ルディが言い残したのを聞いたのは天龍。
この世界も、あちらの世界も破滅させてやると。
それを聞いた場所から調査を進めた中で最も大きな結果と言えば、先日のアニマル達の死骸が現場から消えていた事。
その足取りを追う内に、木々の合間に点々と落ち悪臭を放つ物体に気付いた。――腐敗した肉片だ。
最初は僅か数個。
進む内に増えて行くそれは、注意深く見てみると各方面から集まって来ているように思われ、アンデッド化した遺体が夜ごと同じ方向へと移動していく光景が脳裏を過ぎる。
オーガ族に襲われた村々の遺体がどうなっているのか、村人達に確認するよう頼んでも良い顔をしない。
精霊の御許へ旅立った者達の眠りを妨げるなと嫌な顔をする。
ならば試しにと、真夜中に忍んでオーガ族を葬ったと聞いた土を掘り返してみれば、朽ちた遺体は其処にあった。
だが、あった物が全てかと問われれば、答えを知る者はない。
残された側と、消えた側。
ならば消えた側が向かう先には何がある?
深追いしては危険との判断から、土地の者に何があるのか確認してから実際に行動を起こそうと、ヨウテイ領に戻ったわけだが、そうして教えられた物が『壁』。
近頃、各地域に突如現れたと言う巨大な『壁』が聳え立っていると。
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「以前にも話した通り、ほとんどの村がオーガ族の襲撃を受けて様々な被害を受けている。その現れた『壁』からは珍しい宝石類が採掘出来て、しかも商人に売るとそれなりの代金で引き取ってくれると言う。村の者達の生活は困窮しているし、中には休む間も惜しんで掘り続けている者もいると報告は受けていたが‥‥」
アベルはそう告げたきり黙り込んでしまった。
誰が何の目的でそのような壁を生じさせたのか、要因の一端を、セレを訪れた冒険者達は掴もうとしている。
それを知るアベルが言葉を失うのも当然だ。
――‥‥もうすぐ時が満ちる‥‥
その言葉が『壁』の崩壊を意味するのなら。
――‥‥この世界も、あの世界も‥‥
その言葉がカオスの魔物に堕ちようとしている者の妄言ではなく事実だとするなら、被害は、決してこの世界だけでは留まらない。
「この世界の人々は自らの手で破滅を招く事になる」
重苦しい響きを伴う恐ろしい予感。
●
「いい加減にしろ!」
カインが引き篭もっている部屋の扉前で怒鳴るのは良哉。
とうとう我慢も限界と、真っ先に痺れを切らしたのが彼だった。
ドカッと乱暴に蹴りつければ、背後からキースに抑えられる。
「落ち着け、家を壊したらどうする」
「そんなの後で直せばいい!」
「けどユアン達が驚いている」
言われて見遣ればキースの言う通り、イシュカとユアンが若干青い顔で後方に下がっていた。
「な」
「あ、あぁ‥‥ごめん」
己の短慮を恥じながら呟く良哉。
しかし彼の気持ちも判らなくはない。イシュカがメンタルリカバーを試すも心の傷はよほど深いのかこれといった改善は見られず、ユアンに声を掛けさせても反応はゼロ。
言葉というよりも、気持ちの通じない相手との意思の疎通ほど困難なものはない。
感情が爆発しても仕方ないだろう。
「少し気分転換した方がいい。良哉も、‥‥香代も」
「ぇ‥‥」
不意にキースから声を掛けられて応えた彼女の、血の気のない顔色。
「イシュカさん、この二人の精神面の回復もお願い出来るかな」
「ええ‥‥私に出来る事でしたら‥‥、何なりと‥‥」
キースの提案に、同じく回復が必要そうだと感じていたイシュカは何の躊躇いもなく頷く。
「ユアン、おまえも二人の傍に居てやってくれな」
「うん」
「‥‥では‥、‥‥一度、部屋に戻りましょうか‥‥?」
イシュカに促されて歩き始めた石動兄妹とユアン。
と、香代が心配そうにキースを振り返る。
「大丈夫」
笑顔で応えれば、彼女の表情にも微かな笑みが浮かび、四人をその場で見送ったキースは、先ほど良哉が蹴り飛ばした扉に手を置いた。
この扉の前で、仲間達が何度も声を掛けた。
勇人はエイジャの言葉を借り、天龍は家族としての責務を説き、イシュカの用いる魔法を満たす慈愛の念は、間違いなくその心に変化を齎すはず。
しかしカインは未だに姿を見せない。
リラや良哉、そして香代は、あんな顔で落ち込んだままだ。
「‥‥異国の騎士殿」
キースは呼びかける。
他に聴く者のない、その場所で。
名ではなく、あえて他人行儀な呼称を選んだのはカインが記憶を失っていた理由を、彼がただ弱いからだけでは無いと思えばこそ。
「異国の騎士殿。何か人に言えぬ事実を既知の事と思う。‥‥だが、せめて貴殿を心から心配している仲間に顔を見せてはもらえないだろうか。あのような彼女達を見ているのは、正直、辛い」
呼び掛けに返るは沈黙。
それでも諦めず待つ事、数分。
カタン、と室内から物音が響いて続くは足音。
「‥‥君一人か?」
警戒した問い掛けに頷く。
繰り返される沈黙、しかし今回は、それも長くは続かない。
あれほど頑なに閉じられていた扉が、いま開こうとしていた――。