【黙示録】混沌の楔 2

■シリーズシナリオ


担当:月原みなみ

対応レベル:フリーlv

難易度:やや難

成功報酬:5

参加人数:9人

サポート参加人数:2人

冒険期間:03月06日〜03月21日

リプレイ公開日:2009年03月15日

●オープニング

 ● 理由

「‥‥判った、話そう‥‥。だが、聞いた君達が後悔しても責任は持たない。‥‥我々セレ分国は、君達をリグの国へ向かわせるわけにはいかないのだから」
 セレ分国のヨウテイ領、領主アベル・クトシュナスはそう前置きして目の前に集う冒険者達に事の子細を説明し始めた。
『それ』が始まったのは、カイン・オールラントが記憶を失った状態で保護されるよりもずっと以前――セレの地に度々カオスの魔物が群を成して現れるようになった時期と重なるという。
 時折、風に乗って北から流れてくる血の匂い。
 偵察に向かった騎士達は、隣国リグから此方への国境を越えようとして力尽きたと思われるエルフやドワーフ達の骸を幾度と無く発見し、埋葬した。このような事が度重なれば、セレ側としても隣国に事情を問わねばならない。こうして遣わされた使者は、その後、無事に戻ったものの、数日後には変死。
 彼が唯一持ち帰った情報――。
『リグの王、グシタ・リグハリオス様は実に健勝、国境を越えようとして息絶えた民についても調査し、必ずやその結果をお報せ下さるとの事でした』という言葉はいまだ果たされていない。
 それからもセレは極秘に調査を進め、その度に偵察に向かわせていた騎士はきちんと帰って来ていたのだが、つい先日、五人の騎士が消息を絶った。彼らが寄越した最後の知らせは、こうだ。
『カオスの魔物に似た姿形を持つゴーレムを確認。調査を続行する』
 それが何であるのか、実際に目にしたわけではないセレの者に確証を得る術はない。しかしこれが真にカオスの魔物に類するゴーレムであるなら、それに王が関与していないわけがなかった。
「セレは、この調査をカインに命じた。もし見事にこの役目を果たせたならば彼が犯した罪を許すという条件の下に。‥‥だが、さすがにこのような話を自分だけの胸に留めておくのは辛かったんだろう」
 カインは友人であるリラ・レデューファンに話してしまった。そしてリラは、他の者に知られれば皆が同行すると言い出す、だから誰にも言うなと口止めし、たった二人、リグの国へ潜入したのだ。
「君達は、二人が何も言わなかったのは君達を危険な目に遭わせたくないと思っての事だと考えているのかもしれないが、それは違う。占い魔法で視た光景を、このまま自分達が何もしなければ戦争が起こるのではないかと言ったが、それも間違いだ。君達が動こうと動くまいと、戦争は起きる。これまでの調査結果を鑑みても、リグは戦争こそを望んでいるからだ」
 現状、外から見るリグの国は平穏だ。
 異変に気付いたのはセレが陸続きの隣国であったからに他ならない。
 ゆっくりと、密やかに。
 静かに、‥‥風が病んでいく。
 何かは蝕まれてゆく。
「セレがリグから飛来した魔物達の襲撃を受け続けている事も考えれば、リグの狙いは自ずと限られる‥‥ならば我々は、これを迎え撃たねばならない。‥‥今がどういう時か、判ってもらえるか?」
 明日にでも戦争が起きるかもしれないという逼迫した状況の中、どうして彼らをリグの国に向かわせられるだろう。
 危険だと言うだけではない。
 セレ縁の冒険者達がリグに侵入したと知られれば相手方に宣戦を布告させる格好の口実にも成り得るし、冒険者達の中にはセレ以外の分国や、王都に縁深い者も少なくない。
「これはリラ、カインとの約束でもある。我々は君達をリグに向かわせるわけにはいかないし、無理にでも国境を越えると言うならば、その時は君達を拘束する――いいね?」
 アベルは念を押すように、その言葉を繰り返すと、フロートシップを手配。王都で情報を集めていた冒険者も乗せて、彼らを王都ウィルへ送り戻したのだった。




 ● 月姫と、天使と

『‥‥彼らに、あのような言い方はないと思うのです‥‥』
「なぜ人は戦を起こす事無く生を尊べないのか‥‥」
 上品な和装が美しい月姫セレネと、純白の衣が眩い天使レヴィシュナと、加えて邸の使用人にまで物言いたげな視線を注がれているアベルは「やれやれ」と肩を竦める。
「レヴィシュナ、貴方は工房で重要なお役目があるのでは?」
「私の出番はまだ先だ。今頃はユリエラとアイリーンがいつもの日課の最中だろう」
「ああ、なるほど‥‥」
 天使の返答にアベルは軽く額を押さえ、苦笑交じりに答えた。そんな彼に、更に言葉を重ねるのは月姫セレネ。
『わたくし‥‥心配でなりません‥‥北から感じられる不穏な気配は日に日に増してゆき、とても恐ろしい事が起きようとしています‥‥リラも、カインも、わたくしを呼んでは下さいません‥‥このままでは、あのお二人が‥‥』
「あの二人はその覚悟で行ったのですよ」
『まぁ‥‥』
 酷い人だと皆から責めるような視線を向けられた彼は、思わず失笑。少なからず良心が痛んだのか、または自己弁護も必要だと思い立ったのか。
「私は言ったはずですよ、彼らが動こうと動くまいと戦争は起きると」
『‥‥?』
「要はバレなきゃ良いのです」
 アベルの言葉の意味を掴みかねて眉を顰めるセレネとは対照的に、ふっと目元を綻ばせたのはレヴィシュナ。
「だが、国境を越えようとしたなら騎士を向かわせ、彼らを拘束するのだろう?」
「しますよ。私にも、一応の立場というものがありますからね」
「しかし私とセレネは、セレの民ではないな」
「ええ」
 アベルの返答にレヴィシュナは得心した。
「私は天使。地上に現れた悪魔――この世界ではカオスの魔物と呼ぶのだったか‥‥これらの存在に対抗するための力を人々に与える者だ」
「ええ。それがあなたの役目ならば、セレの者にあなたをお止めする事は出来ません」
 一国の伯爵と、天使の遣り取りを、月姫は何度も左右に首を傾げながら聞いているしかなかった。

●今回の参加者

 ea3329 陸奥 勇人(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3651 シルバー・ストーム(23歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 eb0010 飛 天龍(26歳・♂・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb1592 白鳥 麗華(29歳・♀・鎧騎士・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb3839 イシュカ・エアシールド(45歳・♂・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 eb4324 キース・ファラン(37歳・♂・鎧騎士・パラ・アトランティス)
 eb4402 リール・アルシャス(44歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb4856 リィム・タイランツ(35歳・♀・鎧騎士・パラ・アトランティス)
 eb7871 物見 昴(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

エヴァーグリーン・シーウィンド(ea1493)/ ソード・エアシールド(eb3838

●リプレイ本文


「そうか、ばれなきゃいいのか」
「ばれなきゃいい、か」
 どこからともなく彼らの耳を打ったその言葉に、キース・ファラン(eb4324)は「ふむ‥‥」と何かを考え込み、陸奥勇人(ea3329)は苦く笑う。
「そうと決まればいざリグへ。――ですが、ばれなきゃいいんですって、要注意ってことなんじゃ?」
 白鳥麗華(eb1592)がふと思い当たったように小首を傾げれば、事情を聞き駆け付けた物見昴(eb7871)が複雑な心境を滲ませた息を吐く。
「そりゃ悪党の台詞じゃないのか」
「まぁ、国境を侵犯しようってんだから、似たようなものだろ」
 応じるのは石動良哉。これからの旅に彼は勿論のこと、妹の香代、そしてユアンも同行する事に決めた。
 皆で迎えに行くのだ、仲間を。
「馬車の用意が出来たよー」
 車に馬を繋いで戻って来たリィム・タイランツ(eb4856)が明るい声を上げると、全員の視線がそちらを向く。
「‥‥では、私は此処からはセブンリーグブーツで移動します」
「ああ。俺は馬車だな」
 シルバー・ストーム(ea3651)、飛天龍(eb0010)が順に各々の移動手段を仲間に知らせる。彼らはこれからセレへ移動し、以前に一度訪れている温泉地で合流、セレからリグへの国境を越えようとしているのだ。
 武闘大会に参加した事で鎧騎士達の目標となった冒険者もいるなど、このメンバーの顔は首都に近付くほどセレの人々の間に知れ渡っている。行動を分けるのもあちらの目を欺く一手。慎重に過ぎるという事は決してない。
 服装にも普段と異なる目立たないものを選び、顔を隠せるようフード付きの上着を羽織る者も。
「――行こう」
 リール・アルシャス(eb4402)の言葉に添えられるのは、此処にはいない仲間の無事を願う気持ち。
 もう一度、会えるように。
「俺は単身空の旅だ」
 相棒のグリフォン鳳華の首筋を撫でる勇人の背後には、彼の肩に手を置いて宙に浮く陽霊・悠陽の姿も。この子がもう少し成長したなら「私も一緒」と拗ねたかもしれない事を言いながらグリフォンに跨る。
 シルバーはブーツ。
 キースは戦闘馬。
 その他の面々は馬車での移動、合流地点は以前に一度利用したセレ分国内の温泉地となるわけだが。
「? ソード‥‥?」
 イシュカ・エアシールド(eb3839)は、自分を見送りに来てくれた親友ソード・エアシールドの姿に、ほんの僅かに目を丸くし、次いで眉を顰める。
 歩き方が変だ。
 彼が纏った漆黒のマントの向こう、見える長い銀髪は。
「――‥‥ソード!」
 まさかと目を疑う。
 けれど、それは紛れも無くジ・アースに残してきた義娘エヴァーグリーン・シーウィンドに違いなかった。
 驚愕に言葉を失っているイシュカに、少女は言う。
 不機嫌と言うよりは拗ねる声音で。
「‥‥結構怒ってますの。農場の皆にお願いして、お休み貰って来たですの」
「ぁ‥‥」
 咄嗟の反応も出て来ないイシュカの様子に、少女は、笑む。
「でも‥‥パパ、昔からずっと何かに怯えてて心配だったけど‥‥今は影薄れてるから‥‥逢えなくても生きてるなら、それでいいから」
「エリ‥‥」
 久しく本人に向けては呼べなかった愛称。
 ‥‥ずっと直視出来なかった姿。
「俺の言葉だけでは、引き止める自信がなかったからな‥‥呼んで来た」
「ソード‥‥」
「生きて帰って来い。必ず」
 答えは一つ。けれどそれを上回る驚きに声が出ずにいるイシュカ。その背を押したのは馬車で共に行くリールの遠慮がちな呼び掛けだった。
「イシュカ殿」
 出来ればゆっくりと話させてあげたい。
 だが、出発の時間。
「‥‥っ」
 行かなければという焦りが堰き止められていた言葉を押し出す。
「‥‥大丈夫、死んだりしません。必ず生きて戻ります」
「ああ」
「約束ですの」
 笑顔での別れはいつ以来か。
 愛する者達に見送られて動き出す馬車の上。
「‥‥カイン様達の事、言えませんね‥‥」
 苦笑交じりのイシュカの言葉には昴が嘆息。
「男ってのは皆そうなのかい?」
 視線を向けられた天龍と良哉はそれぞれに難しい顔。一概には肯定も否定も出来ない難しい質問である。
「‥‥戦争なんか、なくなるのが一番だよね‥‥」
 不意に零れた言葉は、ユアンの。
 子供の甘い考えと言われればそれまでの戯言は、けれど、理想だった。





 ウィルからセレまでの道中は、空路を行く勇人も陸路を行く他のメンバーにも、いたって何事もなく過ぎ、リィムに御者を任せる馬車組では、主にその車中で情報の共有化を行った。
「‥‥方針としては全員セレの国境を越えてリグに向かい、レデューファン様とカイン様を捜索、合流してお二人の任務を手伝う‥‥これでよろしいですか?」
 イシュカの確認に応じるのはリール。
「その予定だが‥‥」
 肯定の返事には、しかし複雑な心境が滲むようでもあった。
 彼女は現地でリラ達の捜索の手助けになるよう、彼らの似顔絵を描いて仲間に手渡すつもりでいたが、その二人もまた秘密裏にリグに入国している事を思い出した。その似顔絵を見せながら足取りを追えるのはセレまでだ。リグでそれを続け、万が一にも聞いた相手が悪かった場合に何が起きるか。
 此方側には相手の素性を知る術がない。
 ただでさえ情報の不足している彼らにとって、リグで直接二人の足取りを追うのは危険極まりない行為ではないだろうか。
「ただでさえリグの動向は怪しい‥‥リラ殿達がいま何処で、どのような状況にあるのかも判らない上に、敵となる相手が何処に潜んでいるのかを把握できない内は、彼らを探している者がリグ国内にいると伝わってしまうような行為は慎んだ方が良いのかもしれない‥‥」
「それは一理ある」
 隠密行動を主とする忍びの昴が同意する。例えば薬売りなどに変装して敵国の中枢への潜入を果たそうとしていた時、自分の知らない場所で、自分の似顔絵を見せながら探している誰かの情報が先に相手に伝わってしまったら、どうだろう。
 罠を張られ殺されるか。
 捕らえられて、口を割らせるための拷問に掛けられるか。
 いずれにせよ此方の行動が彼らの身を危険に晒す事は充分に考えられるのだ。
「セレに辿り着いた難民達から情報を聞くのは構わないと思うが‥‥リグに入ってから二人を捜す方法は考え直した方が良さそうだな‥‥」
 しかし考え直すにしても情報が足り無過ぎる。
 天龍が難しい顔で呟く頃、御者台にいたリィムは馬の歩調の変化に気付いた。空を見上げればもう間もなく陽精霊の時間が終わろうとしている。
「今日はこの辺りで休もうか」
「ああ」
 馬の健康管理はリィムの担当。
 その彼女が言うのだから、誰一人異論などなかった。


 リールと麗華が馬達を近くの川辺に連れて行き、水を飲ませ毛繕いなどしている間、天龍はずっと難しい顔で考え込んでいるユアンのために「手合わせでもするか」と声を掛け、体を動かす事にした。食事の用意はイシュカと昴、香代が担い、リィムと良哉は周辺の薪集め。今夜も野宿になるのだから火の確保は欠かせない。
(「‥‥のは判るが何で彼女と二人なんだ!?」)
 それは周りの気遣いというか何というか。
 前回、ひどく微妙な形で会話を終えてしまった手前、良哉としても複雑な心境であるわけだが、複雑と言うならば途中で話を終えられたリィムも同じ。仲間達の存在は背後に感じられるものの、薪を集めるために木々の密集した場所へ入って数分。
「‥‥良哉くん」
「な、なんだっ」
 呼ばれると同時、あからさまに警戒する彼にリィムは苦く笑んだ。
「‥‥ごめんね」
 謝罪の言葉に、良哉は目を丸くする。
「聖夜祭の時にしても、‥‥その後の事にしても、キミをからかうつもりは全くなかったんだけど‥‥そう感じさせてしまったのはボクが悪いから‥‥ごめん」
「――」
 咄嗟の反応が出て来ない。
 これまでの彼女の言動を思い返せば、このように思い詰めた表情で静かに語り掛けられる事すら意外なのに、‥‥謝られた。
 心底驚いた様子の良哉から、リィムもその心境を察したのだろう。
 やはり苦く笑う。
「ボクは自分だけが良かれと勘違いしまくった事ばっかやってたのが恥ずかしいです」
 あの日の宴を一緒に楽しみたいと思ったこと、戦地では一緒にいれば心強いと思ったこと、その気持ちに偽りなど無かったけれど、言われて思い返せば良哉の気持ちを無視した行動だったと判る。出会って間もなく、言葉を交わした回数も数えるほど。中にはそれでも問題ないという男もいるだろうが、少なくとも良哉はそこまで器用ではないのだ。
「ほんと、ごめん」
「‥‥えっと‥‥」
「でもね!」
 何かを言い掛けた良哉の言葉を遮ったのは、その先を聞くのが怖かったから。返るのが例え拒否でも、せめて自分の気持ちは伝えたい。
「でも‥‥、ただ、ボクはキミと友人でいたい‥‥、それだけはどうか信じて欲しい」
 真摯に訴えてくる彼女に良哉は困惑。
「いや‥‥つーか‥‥」
 慣れていないのだ、こういうシチュエーションは。
「‥‥やっぱり判らん」
「え?」
 良哉は頭を掻く。
「自分で言うのもナンだけど、俺と友達になったって苦労するだけだぞ? リラ‥‥は今はいないが、香代に聞けば俺がとんでもない兄貴だって事くらいすぐに判るだろう」
「‥‥それは、うん‥‥」
 妹から聞いた話を思い出せば確かに問題の多い兄なのだが、そんな話もリィムには楽しかったわけで。
「‥‥友達から、やり直していいかな?」
「まぁ‥‥それなら‥‥」
「やった!」
 良哉が答えるや否や表情を輝かせたリィム。
「じゃあ、早速提案。旅芸人の偽装の練習とかもしてみたらどうかって思うんだよ。キミはボクよりずっと耳が良いみたいだし!」
「はぁっ?」
 がしっと腕を取られた良哉は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっ、待てっ、イキナリそれか‥‥! つーか立ち直り早過ぎるだろ!?」
「それがボクだよ♪」
 転んでもタダでは起きないのが信条。
「横笛なら持って来てるから、良哉くんが笛を奏でて、ボクが軽業を披露! どう?」
「どうってな‥‥!」


 わぁわぁ言い合う二人が何を話しているかまでは聞こえなかったが、不意に耳を打った賑やかな声に兄達の小さな背中を見遣った香代は、彼らの楽しげ(に見える)姿に安堵の吐息。
「‥‥何をやっているんだか」
 一方で呆れた息を吐いたのは湯を煮立たせるのに火加減を見ていた昴だ。彼らが薪を持って来なければ、そろそろ火元が尽きそうなのだが。
「‥‥そういえば‥‥」
 ふと思い立ったように声を上げたのはイシュカ。
 彼は戸惑い気味に宙を見上げると、緊張した面持ちで虚空に呼び掛けてみた。
「‥‥セレネ様‥‥?」
 精霊たる月姫ならば、何処にいようと信頼する者の声に応えてくれるはず。そう信じつつも呼び声が固くなる彼の視界に、不意に光りが散った。
『――‥‥呼びましたか』
 穏やかで優しい声音は月姫セレネ。
 彼女の登場には周囲で各々の行動を取っていた全員が意識を傾ける。
「‥‥唐突にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません‥‥どうしても、確認させて頂きたい事と、お願いがありまして‥‥」
 恐縮するイシュカに、月姫。
『気に病む必要はありません‥‥貴方達は、わたくしの友‥‥友の呼び声には、いつでも応えましょう』
「‥‥ありがとうございます‥‥」
 精霊の言葉に心からの感謝を述べ、イシュカは本題を切り出す。
「では‥‥お聞きしたいのですが、セレネ様は、私達全員‥‥此処には居ない仲間も含め、十二名を一度に遠距離へ移動させるムーンシャドウをお使いになれますか‥‥?」
『ムーンシャドウ‥‥?』
 言われた術名にしばし悩んだ月姫は心苦しそうに左右に首を振った。
『‥‥残念ですけれど、全員は無理です‥‥お一人ずつでしたら、確実に五〇〇メートルほど先まで移動して差し上げられますけれど‥‥それも十二名とあっては‥‥』
 心を痛めて告げる月姫の様子に、イシュカは慌てて言葉を紡ぐ。
「‥‥いえ、移動の全てをセレネ様に頼るつもりなどありませんから‥‥どうぞ、セレネ様も気に病まれないで下さい‥‥、それと、お願いなのですが‥‥」
『ええ』
「‥‥私達は、これよりセレの地に参ります‥‥ですが、クトシュナス様に私達のしている事を聞かれても「知らない」とお答え願えますか‥‥?」
 遠慮がちなお願いに、月姫は笑む。
『ええ。貴方との約束‥‥守りましょう‥‥』
「‥‥ありがとうございます」
 深々と頭を下げるイシュカに笑み、周りで会釈する彼らに笑み、月姫は虚空に姿を消した。
 一つ、一つを確実に。
 それが今一番重要な事だから。





 数日後、彼らは当初の予定通りにセレのヨウテイ領領内にある温泉地で無事に合流を果たした。
「さて、ここからは時間との勝負だ」
 勇人のその言葉を合図に、スクロール魔法を駆使するシルバー、小柄な体格で有利に移動出来る天龍、隠密行動を得意とする昴が国境線沿いの様子を偵察に向かう。
 時期が時期だ。監視の目も相当厳しい事が予想されるため、二十四時間以上を掛けて警備の手薄な時間帯や場所、見張りの位置、交替の時間、また地理情報なども詳細に集める。
 更に、他のメンバーに比べれば顔が割れていない麗華は自身に簡単な変装を施して首都へ向かい、前回も話を聞けたリグからの難民が保護されている場所へ馬を駆った。
 一方で温泉地に滞在し単なる観光者を装うメンバーは、早々に素性がバレている気がしてならなかった。
 此処はアベル・クトシュナス直轄の領地であり、先日の風霊祭、武闘大会で目立ったのも、やはり要因の一つかもしれない。あちらも目立つような行動には出ないのだが、監視の目が常に自分達に向かっている事を自覚しないわけにはいかなかった。
「此方には観光で?」などと宿の主人に聞かれれば心臓が悪い事この上ない。
 些か嫌な雰囲気である。


 偵察から最初に戻ってきたのは昴。
 続いてシルバーが戻り、天龍、そして最後に麗華が戻った。
 彼らは見て来た内容を地理情報と共に羊皮紙に書き出して他の面々に説明する。
「こちらがリグ、こちらがセレだ」
 その間に引かれる歪なラインが国境。
「西は、シーハリオンの丘から連なる山岳。東側は主に森林だな」
「この山岳地帯だけれど、リグの西側一帯を覆っているそうです」
 天龍の説明に言葉を重ねたのは、リグの民から話を聞いてきた麗華だ。
「リグには現在、国王がおわす首都リグリーンを擁するリグハリオス領が領土の半分以上を占めていますが、この山岳地帯に沿うようにして、クロムサルタ領、ホルクハンデ領が並んでいます」
「クロムサルタと、ホルクハンデ‥‥」
 その名を羊皮紙に記入するリール。
 更に麗華の説明は続き、リグの国内情勢が明らかになる。
 リグで最も北に位置するホルクハンデ領の領主は四十一歳の男性。血気盛んな領主で、かつてリグハリオス家に権力を奪われた事に積年の恨みを募らせているらしく、彼のリグハリオス家への嫌悪感は相当のものだと民は語る。
 彼の住む都はオルタリカ。
 ヨウテイ領からは直線距離で四百キロ以上の道程になる。
 そしてもう一方のクロムサルタ領を治める六二歳の男性領主は、ホルクハンデ領主に比べれば物腰柔らかく、民に近い視線でものを見極める賢人だという評判だ。彼の住む都ロレルサルタは此処から直線距離にして三〇〇キロ前後。直線上には山岳地帯も含まれるため実際の移動距離は更に長くなるだろう。
「ちなみに、首都までは?」
 勇人の問い掛けに、麗華は難しい顔。
「あまり変わらず、三〇〇キロ弱‥‥ですがこちらは森林地帯を抜けて行く分だけ、他の領土よりは近く感じるかもしれません」
「‥‥だが、果たして真っ直ぐに首都へ向かって良いものか‥‥」
 先日のアベルの話が真実であれば、怪しいのは明らかに国王だ。
 リラやカインも、恐らくは首都に向かっているだろう。
 しかし‥‥。
「‥‥国境沿いの警備はどうなっていたのだろう?」
 そのリールの質問に応じたのはシルバー。ブレスセンサーに、エックスレイビジョンとテレスコープを組み合わせるなど、可能な方法は全て試して調べて来た。
「先ず国境線ですが、東の方はウィルとの国境も兼ねていますから警備も厳重です。こちらは考えない方が良いでしょう」
 国土のほとんどを森林地帯に覆われたエルフの国。
 その様相は陸続きのリグの国もさほど変わらないようで、国境付近もその大半が森の中だ。
 その森に、木々の生育を阻害しないよう考えられて設けられた関所にはセレ側に四名、リグ側に八名の騎士が常時付いている。その関所の東西に続く国境線上、等間隔に配置された騎士達。それだけを聞けば難民は全てリグ側の騎士に捕らえられ、セレに流れてくる事など出来ないと思われそうだが、一箇所、手薄になる場所があった。
 聖地シーハリオンの丘を守るように連なる山岳である。
 さすがに聖地付近に網を張るなどの行為は両国共に憚られたのか、その道程は非常に険しいけれど、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められた人々ならば万に一つの賭けにも出る。事実、無事にセレへ逃れて来ている人々がいるのだ。
「‥‥俺達もそこを狙うのが妥当だろう」
「やっぱりそうだよな」
 天龍の言葉に、キースが頷く。
「ユアンや、香代に山岳を登らせるのは心配だけど‥‥」
「‥‥ファラン様、その事でしたら‥‥」
 そうしてイシュカは、月姫セレネから聞いた話を語る。
「そうか、やはり全員を一度には無理か」
 月姫の魔法がどれ程のものかを気にしていた勇人も、ムーンシャドウの可能範囲に納得したように頷き、ならば、やはりユアンと香代を先にあちらへ送ってもらうのが無難だろうという話になる。
 本人を呼び、頼めるかと問えば答えは応。
「あ、それともう一つ」
 ふと思いついたキースが、セレネならばリグの国の情勢を現地に赴いて探る事が出来るのではないかと話してみると、月姫は苦しげに首を振った。
『‥‥あの土地は、もはや人の土地ではありません‥‥恐ろしく不快‥‥とても、長居出来る場所ではありません‥‥』
 カオスの魔物には敏感な精霊だからこその苦しみ。
 それを知り、キースは「すまなかった」とすぐに謝罪した。
「セレネを苦しめたいわけじゃないんだ。大丈夫、もし判るならと思っただけだから」
『ええ‥‥』
 申し訳無さそうに微笑む月姫に、キースも笑みを返し。
 しかしその内心には不安が募る。
 もしも本当にリグがカオスの力に関係しているのならば戦争は必至。鎧騎士という自分に出来る最大限の事をと思えば、無意識に表情が強張った。
「‥‥あの、お聞きしたいのですが、レヴィシュナ様が此方に来られる事は可能でしょうか?」
 イシュカの問い掛けには月姫の表情が再び曇る。
『‥‥残念ですが‥‥あの方は工房の傍を離れられないから、と‥‥、最初は、皆様をお助けするような事を仰っていたのですけれど‥‥』
「そうですか‥‥」
 俯く彼に月姫は再び詫び、彼女に詫びさせた事にイシュカが謝る。
 そうして謝罪を繰り返す二人に仲間達は失笑しつつも先へ。
「多少の悪路や渓谷は鳳華で一人ずつ越える事も出来る」
 勇人は相棒のグリフォンを撫でながら続ける。
「越えてから先の事もある。今夜決行といこう」
 集めて来た情報を元に、冒険者達は行動を決定した。





 温泉宿を出た冒険者達を、直後から尾行する者がいる。
 それに彼らが気付いたように、相手も気付かれていると判っているだろう。
 冒険者達にとってセレの人々は決して敵ではなく、また、セレの民にとって冒険者達は恩人だ。無益な争いなど誰一人望んでいない事は明らか。しかしそれでも譲れぬものがあるのだ、お互いに。
「――‥‥」
 もう国境線上間近の地点。
 勇人は天龍やキースと目配せし、その視線は最後にユアンに向けられる。
 それが合図。
「あの、ね」
 ユアンは声を上げ、すぐ傍の香代の手を引く。
「えっと‥‥」
 言い難そうに何かを訴える幼子に、香代が気付いた「ふり」をする。
「もしかして‥‥」
「うん‥‥」
「ダメでしょう‥‥? 出発前にあんなに‥‥」
 それが芝居であろうと、なかろうと。
 気付かれていようといまいと、構わない。
「子供だ、仕方さないさ。香代、付いてってやってくれ」
「‥‥ええ」
 勇人が言い、二人が彼らから離れる。
(「一、二、三‥‥」)
 各々の胸中で始まる秒読みは、三十秒まで。距離を取った彼らの傍に月姫が現れ、二人を順に先へ送り終えるまで――。
「ぁ‥‥!」
 森の中に散った光りは月姫の魔法。
「走れ!」
 小声の号令。
 直後に冒険者達は警備の手が薄い山岳地帯との接点目掛けて走る。
「待っ‥‥、っ!?」
 慌てて制止の声を上げかけた尾行者は、間近に接近していた天龍に気付かなかった。
「すまないな」
「‥‥っ‥‥待‥‥っ」
 腹部への強烈な一撃で相手の意識を完全に沈めて、天龍。
「許せ」
 一言だけを残し、仲間を追った。
「登れるか」
「行ける」
 山岳に足を掛け、昴を先頭に登り始めた面々。彼女の手と足が確実に前進出来る場所を探り当てて行く。
 天龍が戻ったのを確認して殿を務める勇人は、更なる追手を警戒して辺りに注意を巡らせるが、辺りは不気味なほど静まり返っている。もちろん彼らとて目立つ装飾や騒ぎなど起こしてはいない。それにしても今までの監視を振り返れば、此処に来て事が順調に運び過ぎている。
 ましてや難民の通り道。
 自分達の事が無くても警戒していなければおかしい場所だ。
「もう少し厳しいと思ったが‥‥」
 呟く勇人の脳裏に浮かぶのは領主の食えぬ笑み。
(「手心でも加えてくれたか、アベル卿」)
 何れにせよ、国境警備との揉め事が避けられるならば願ったりだ。一分一秒でも早く国境を越え、リグに渡るのが最良。
 闇の中、一片の明かりも無い山道を手探りで進む。
 ――しばらくは息遣いさえも抑えながら。
「大丈夫かい」
 先頭をいく昴が、度々後方の仲間に声を掛ける。
「リール、足元に気をつけろ。そこから先は斜面だ」
 人一倍夜目の利く天龍や、五感には優れている良哉の注意も受けながら慎重に。
「‥‥っ!」
 ガラッ‥‥と足元の岩が崩れて落ちそうになったイシュカを、キースが支える。
「大丈夫かイシュカさん」
「‥‥っ‥すみません‥‥ありがとうございます‥‥」
「さぁイシュカさん、こちらに手を伸ばして」
 差し出された麗華の手に戸惑いつつも、足場が崩れているという状況に意を決し、彼女の手に手を添える。
「‥‥お世話を、お掛けします‥‥」
「気にする事ないさ。こういう時の仲間だ」
「ファラン様‥‥」
 な、と笑うキースに、ほんの少し緊張が解れた気がした。
 そうして二時間近く、暗闇に沈む山道を登り、下り。
 立った大地はリグのはず。
「何とか越えたか‥‥全員無事か?」
 勇人の声に各々が応じる。
「ユアン達は‥‥」
「此処からはリグの国境警備と一悶着あるかもしれん、気を付けろ」
 意識を集中し、辺りを警戒する。
 そんな彼らに掛かった声は。
「真夜中の散歩はどうだったかな」
「っ!」
 一同が驚いて声のした方を振り返ると、樹の幹に寄り掛かるようにして佇んでいたのは工房から離れられぬと言っていたはずの、天使。
「レヴィシュナ様‥‥!」
 イシュカが思わず声を上げれば「しっ」と口元に人差し指を立てた。
「ここら一帯の敵兵はセレネが眠らせていったけど、静かにね」
「セレネが?」
 そちらに驚いて天龍が問えば、天使は頷く。
「長居は出来ないけれど、せめてと。この子達も無事だ」
 そう言いながら翼の向こうに示されたのは、ただ黙って仲間の到着を待っているしかなかったユアンと香代。
「師匠‥‥!」
「‥‥みんな、無事、なのね‥‥?」
 二人に迎えられて、キース達は自分がリグに来たのだとようやく実感する。
「セレの森は、楽に突破出来ただろう?」
「ぇ‥‥、あっ」
「私の腕もまだ鈍ってはいないようだよ」
 自分の腕を曲げて見せる天使に冒険者達は笑い、力を貸してくれた事に感謝する。しかし当の本人は何のその。
「礼の必要はない、私は受けた恩を忘れない」
 言い、指差すのは森の奥深くに潜む一点。
「此処から歩いて一時間くらいの距離だ。ドワーフの夫婦が経営している宿がある。悪しき力も感じられない。其処ならば、一晩くらいはゆっくりと体を休められるだろう」
「‥‥感謝する」
 得た情報に、しかし天龍は不思議に思う。
「だが、何故ここまで? 天使は工房から離れられないとセレネは言っていたが」
「人間とは厄介だ」
 不満そうな返答ながらも、その表情は明るい。
「私がそなた達を援護すると公言してしまうと国境警護の人員を増やさなければならないそうだ。故に表向きは無関心を通した方が、実際に行動する時に労力を最小限に抑えられるらしい」
「‥‥それをアベル卿が?」
「いいや、ドースターだ」
「――」
 筆頭魔術師がそんな入れ知恵をして良いのかとツッコミを入れたい衝動に駆られながらも、セレの騎士達と剣を交える事にならなかったのは、やはりありがたい。
「そなた達は、私の力も、セレネの力もむやみやたらに使わせようとはしない。その精神に私達は応えよう」
 自分で出来る事は自分でしようという努力。
「そしてセレの民は、必ずやそなた達の信頼に応えるだろう」
 どのような状況においても真っ直ぐに自分達と向き合おうとする冒険者達の誠意。その姿が国を動かし、精霊達を動かす。
「――そなた達の無事を祈る」


 その言葉を最後にセレ側へ戻るレヴィシュナは、国境を越えようとしていたと見られるリグの人々を共に連れて行く。どうやら、山岳の道筋の細さを事前に知っていた天使は、人々に待つよう促したらしかった。
 冒険者達は、せめてもの気持ちとばかりに幾つかの保存食を手渡し、彼らがどの地方から来ているのかなど二、三の質問にも答えて貰った。
 その答えを反芻しながら、彼らは天使が示したドワーフの夫婦が経営している宿を目指す。
「‥‥先程の方々も、リグハリオス領でしたね」
「セレで話を聞いた難民の方々も、大半がリグハリオス領からでしたよ」
 シルバーに、麗華が続く。
「よりによって国王が統治する直轄の領土から難民、か‥‥」
「宿のドワーフの御夫婦からも何かしら情報が入ると良いのだが‥‥」
 勇人、リールの言葉。
「そこで今後の拠点なんかも決められたら良いよね」
 リィムが言うと、キースがはっと思い出したように声を上げる。
「そうだ‥‥忘れていたけど、俺はリグの国と無関係でもないんだ」
 過去に幾つかの依頼を通じてリグの国と関った経緯がある。そのため、念には念を入れて『ギース・クァカン』と偽名を使う事にしたいと仲間に伝える。
「随分前のことだから、覚えている人もそうはいないと思うけど‥‥」
「‥‥慎重になり過ぎて困るということも、無いと思いますし‥‥」
「ああ」
 イシュカ、天龍と、順に皆が了承してくれるのを確認してキースは安堵の息を吐く。
「戦争が起きるかもということでしたし、傭兵募集などがあれば乗ってみるのもいいかもしれません」
 麗華の提案も吟味しながらの道中。
 昴は流れてくる風に眉を顰め、その先に目を凝らす。
「‥‥古戦場でも無いのに、空気が淀んでやがる‥‥」
 此処は、リグの国。
 森林のエルフ、山岳のドワーフ。
 闇の中に沈みつつあるひとの国――。