●リプレイ本文
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分国セレ。王城に程近い位置に建つ筆頭魔術師ジョシュア・ドースターの邸から上がる素っ頓狂な声は一つ、二つではなかった。
「どういう事ですかっ!」
己の耳を疑う勢いで聞き返すレイン・ヴォルフルーラ(ec4112)に、師は相変わらずの陽気な笑い方。
「ほっほっほっ呑み込みが悪いのぅ。それでは一人前の術師とは言えんぞ?」
「冗談を聞きたいわけじゃありませんっ」
「わしは至極本気じゃ」
本気と言いながらも食えぬ笑顔に、小さく息を吐いたのはアリシア・ルクレチア(ea5513)である。
「‥‥先日何があったのかはレインさん達からお聞きしました‥‥。それ故に以前から師が仰られていた、雪原に封印された力の解放が必要だという事も、判ります」
ですが‥‥と表情を沈ませる彼女に、ドースター。
「別嬪さんは憂う姿も美しいの」
ほっほっほっ、と。
(「やっぱ一度旦那に斬らせろ!」)
笑う魔術師に胸中で毒を吐くのは滝日向だ。一方、少なくとも表向きは楽しんでいるのがレン・ウィンドフェザー(ea4509)。
「おししょーさまと『対決』なのー、もえるシチュエーションなのー」
「もえますか‥‥」
ぽつりと呟いたセシリア・カータ(ea1643)は些か困惑の表情で他の面々を見遣る。難しい顔で佇む華岡紅子(eb4412)や、呆れた様子のアリル・カーチルト(eb4245)、厳しい表情のフルーレ・フルフラット(eb1182)。それぞれに思う所があるらしく、けれど直接的な彼の弟子では無いから口を出せず戸惑っているというところか。それはセシリアも同じだ。騎士であれば、戦うべき時には戦う。その決意に迷う事など無いけれど、皆の反応を見れば決して望まれた展開でない事は疑いようがなかった。
「‥‥っ、本当に、ドースター先生とシェルドラゴンさんと戦わなければならないんですか‥‥っ?」
「そうじゃ」
レインの再度の問い掛けに師は躊躇う事無く応じる。
「我が友シェルドラゴンが封印する力を欲するならば、あやつを倒し、その力で以て力を奪うがよい。――とは言え、あやつはわしの大切な友じゃ。独りきりで戦わせてはあまりにも可哀相だからの‥‥わしはあやつと共にそなたらと戦うぞ」
冒険者達は息を飲む。
そう語るドースターの表情がいつになく読めなかった。
「そなた達は、わしら二人を相手に勝たねばならぬ」
突き付けられた試練に、弟子達は――。
同時刻、セレとリグの国境付近で隣国の様子を伺っていたのはソード・エアシールド(eb3838)とモディリヤーノ・アルシャス(ec6278)の二人だ。
彼らは二人共、大切な人が隣国に潜入している同士。セレの騎士からリグの騎士へ、彼らに此方へ戻るよう言伝を頼んだと聞いた日からその人の帰りをこうして待っていた。
「‥‥皆さん、ご無事ですよね‥‥」
モディリヤーノの言葉に、ソードは勿論だと思う。‥‥けれど、気安く言葉に出来る返答では決してなく、辺りには自然と沈黙が落ちる。
――それからどのくらいの間、そうしていただろう。
ソードが不意に上空を仰いだ事に特に意味は無く、それを目にしたのも偶然。
「あれは‥‥」
空を翔る一頭の魔獣、あまりにも優美で荘厳な姿に付いた名はグリフォン。
「っ、勇人殿か!?」
思わず声を荒げれば、姉から聞いた覚えのある名前にモディリヤーノも即反応。
「えっと‥‥そうだ!」
思い立つが早いかの魔法詠唱、淡い緑色の光を纏った彼は風刃を決して相手に当てぬよう注意しながら空に放つ。
「気付いて‥‥!」
心に念じながら、射程を越えて消え行く魔力に。
不意にグリフォンがその動きを止め、騎乗していた人物が下を見る。
「勇人殿!」
「――ソード、か?」
彼らは合流を果たした。
その頃、会議室でセレの騎士達を相手に頭を抱えていたのはシャルロット・プラン(eb4219)である。
「確かにそなたの経歴は素晴らしいものだが‥‥前回の事もある。易々とそなたの作戦を受け入れるわけにはいかない」
確固たる姿勢を崩そうとしないセレの騎士団長。
シャルロットは改めて今回のセレ訪問以前に自らが行なって来た事の説明を繰り返した。
ウィルで自らが依頼人となり、セレに蔓延る魔物討伐依頼を出し、オーブル卿へ寒冷地での運用実験を行なうとしドラグーンの申請を行なって来たこと。
結果としてドラグーンは使用許可が下り、今回の往路ではシップに乗せて持ち込む事が出来たが、同機の激寒冷地使用を前提としていないオーブル卿はこの話にほとんど興味を持たず、率先した人員派遣も無いまま。セレ領内に『魔物が蔓延っている証』が無いこともあってギルド側としても対応に苦慮している。
しかしそれすらも前向きに捉えるのが歴戦の航空騎士団長。
「確かに前回の件で私は過ちを犯しました。ですが、それが今回の好機を生むとも考えます。魔物は組織だって動き、セレに被害を与えることで分国の力を圧倒すると共に難民を災いの元凶とし、セレ内に不協和音を撒き散らせる事だと留意しましたが、結果はあの通り、単独で現れ、己の盾となっていたリグの民を燃やしながらセレの人々を嘲笑い帰って行った。ずば抜けた力があるのは確かですが、あまり賢くないタイプでしょう」
冷静に分析する彼女の言葉に思わず頷いてしまうセレの騎士達だった、が。
「それはどうかな」
不意に上がった声はいつの間にか姿を現していた天使レヴィシュナ。
「この世界では『精霊を嘆かせし者』を名乗っていたあの魔物‥‥ジ・アースでは『ワル』と呼ばれるが、決して阿呆ではない。ましてやアレの主が判った今となっては、あの行動も奴等の作戦の一環だったのだろう」
「判った?」
リグにいる魔物の正体が判ったのかと身を乗り出すセレの騎士達へ、天使が促したのは背後に控えていた冒険者。
「貴方は‥‥!」
その姿に誰もが瞠目する。
数ヶ月振りに見た彼とは風霊祭の武闘大会で手合わせした者も少なくなく、シャルロットも彼の事は知っていた。
「陸奥さん‥‥」
「久し振り、か」
「リグにいた彼らが帰還したのか!?」
興奮した口調で問い掛けて来る騎士達へ、彼は自分だけが先行して戻って来た事、他の仲間はソードとモディリヤーノが迎えに行った事などを説明する。
「で、こっちは作戦会議の真っ最中だと聞いたんでな。その前にリグにいる魔物の事を知らせた方が良いと思ったんで来てみたが‥‥」
案の定だと彼。天使は軽く頷くと、告げる。
「リグにいる魔物、こちらの世界では『死淵の王』と呼ばれているらしいが、聞く外見から判断する限りジ・アースで言うところの『バールベリト』だろう」
「バールベリト‥‥? その魔物とは一体‥‥」
聞き返す騎士達に、天使は冒険者達の顔を順に見遣る。
「説明は一度で済ませたい。隣国の冒険者達が戻るまでしばらく待ちたいのだが、良いだろうか?」
その言葉に否を唱える者は、無かった。
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『死淵の王』の正体等を含み、リグに赴いていた冒険者達と一通りの情報交換を終えた彼らは各々に会議室を後にする。
その中、モディリヤーノに声を掛けたのはアリル。
「どうした? 額、真っ赤だが」
「え‥‥っと、少し凶暴な猫に引っ掛かれて‥‥」
「ドースターの爺さんの飼い猫か?」
「いえ‥‥」
そうしてチラと見るのは姉の顔。彼女の方も弟の視線に気付き、彼が何を話しているのか察したのだろう。
「こんな処に居るのが悪い。まだ病から回復したばかりだと言うのに」
「っ、姉上を心配してはいけませんか!」
モディリヤーノが思わずムキになって言い返せば姉も応戦。言い争いを始める二人を眺める仲間達の視線には「微笑ましい」という情が浮かぶ。
「‥‥仲が、よろしいのですね‥‥」
呟く親友の表情から、ドースター師からの試練を聞かされたが故の強張りが薄れている事に気付いたソードもまた失笑する一方では、レンが小走りに師ドースターへ近付き、先日以来姿を現さない月姫セレネの状況を尋ねる。
「もしもセレネさまがかいふくしていたら、まえのおししょーさまみたいにおくってもらいたいのー」
「ほっほっほっ」
言われたドースターは楽しげに笑い。
「その発言はマイナスじゃの。あの地の力を解放するための鍵となるのがそなたらの役目。雪原に一歩踏み入った瞬間からあやつはそなたらを試しておるのじゃ、楽をしようなどと考えてはいかんぞ。そもそも、セレネはいまだ姿を見せぬ‥‥『精霊を嘆かせし者』に近付き過ぎた影響は相当のものじゃったのだろう」
「ですが‥‥」
言葉を重ねるのはアリシア。
「でしたら、ドースター師はどのようにしてシェルドラゴンの場所まで?」
「無論、そなたらと共に歩くのじゃ」
「一緒にですかっ?」
驚きの声を上げたレインに師は頷く。
「とは言っても、そなたらがわしに付いて来られたらの話じゃがの」
そうして意味深に笑む師に弟子達が嫌な予感を抱く頃、会議室に同席していたアベル・クトシュナスは自分がリグへと送ったリラ、カイン両名に歩み寄る。
「何はともあれ、生きて戻ってくれて良かった」
開口一番にそう彼らを労ったアベルへ、当の二人は左右に首を振る。
「大した情報も持ち帰る事が出来ず‥‥結局は、セレの地で被害を出してしまいました」
「覚悟だけじゃどうにもならない‥‥俺には、何も‥‥、っ!」
すっかり気落ちして返す、そんなカインの背を唐突に叩いた小さな手。
驚いて振り返れば立っていたのは――。
「リィム‥‥」
「キース殿まで‥‥」
「カインさんは頑張ってましたよ!」
会議の中でも懸命に彼をフォローしていた鎧騎士達にアベルは頷く。
「充分だ」
その一言には全ての思いが込められていて、俯き、唇を噛み締めるカインの肩をリラが抱く。
そんな二人の様子に少なからず安堵した冒険者は続ける。
「――アベル卿。俺も色々と考えたんだけど、幾ら確固たる証拠がないからってリグの現状は放置しておけるものじゃない。出来れば、リグの状況をコハク王からジーザム陛下へお伝えする事は出来ないだろうか」
そしてそれ以上の事も可能であればかつて世話になったグロウリング卿にも――そう訴える彼へアベルは頷く。
「判っている。今日の話をお聞きになればコハク王もウィルへ使者を送る事に否はないはずだ」
「うん」
「だが‥‥」
それ以外の者に伝えるにはまだ懸念事項が多過ぎる、慎重に過ぎればそれこそ手遅れになると話し合う彼らの姿を、少し離れた位置から見ていたのはフルーレ。
「‥‥、っ」
不意に視線が重なり、思わず顔を逸らしてしまった。
(「今のはあまりにも失礼だったでしょうかっ」)
急に不安になり、再びそっと視線を戻せば、彼は何事も無かったかのように他の冒険者達と話し合いを続けており、‥‥思わず切なくなってしまった。
「フルーレ?」
「っ、何ッスか!」
呼ばれて慌てて我に返れば隣にいたのはアリル。
「いや、俺はこれから工房に出向いてナン‥‥じゃねぇや、以前に天使が絡んで開発していたゴーレム武器なんかの貸し出しが可能かどうか聞いて来るってのを伝えておこうかとな」
「そ、そうでしたか‥‥ご苦労さまですっ」
「あの爺さんとシェルドラゴンが封印してるっつーデカイ力だしな‥‥魔物が狙って来ないとも限らねぇし用心に越した事はない」
「同感ッス」
そう応じる彼女の瞳には騎士の力強さが宿るから、大丈夫そうだとアリルは思う。
「じゃ、また後でな」
「お気をつけて」
そうしてフルーレが見送る彼を、シャルロットも。
「よろしくお願いします」
「おー」
去り行く背中に声を掛け、視線を戻した先には手の中の『日記帳』――正確には秘密裏に潜り込ませていた部下からの報告書だ。
一通り目を通したシャルロットは、その表情のままで部下に一言。
「ご苦労でした『兎耳のレイ』」
「‥‥!」
真顔で。
きっぱり。
ただ一言。
「すいませんでした‥‥!」
言うが早いか涙を流して逃亡(?)。そんな部下を嘆息一つで見送るシャルロットだ。
余裕など、無い。
シェルドラゴンとドースターの試練を明日に控え、前夜、冒険者達はセレの樹上都市を支える魔法樹の根元に集まっていた。
夜闇に紛れ、月精霊達の輝きの下で奏でられるのはソードが親友のためにウィルから持って来ていたウァードネの竪琴。
添えられる歌声は冒険者達が連れていた精霊達のものだ。
「‥‥セレネ様‥‥私達は、帰りましたから‥‥」
「大丈夫かセレネ。長らく留守にして悪かったな」
リグから戻って来た冒険者達が、月姫のために祈る。
「‥‥リグの民を守れなかった事も、セレネ殿についても‥‥申し訳ない」
ソードが詫びれば彼らは首を振る。
応える言葉は、無かったけれど。
「‥‥悔しいわ」
ぽつり、楽の音から少し離れた場所で呟いたのは紅子。
「何も出来なかった‥‥それでも、まだ私に出来る事はあるかしら‥‥?」
普段とは違う弱々しい声音は隣に並ぶ日向を戸惑わせもしたけれど。
「当然だろ」
肩を抱き、伝える言葉はそれ一つ。
「だから此処に居る」
明日にも魔物との戦が始まるかもしれない、そのような場所に立つ事を選んだ、その気持ちが既に力になっている。
国の。
世界の。
精霊の。
そして、人の。
「‥‥」
紅子はその腕を日向の背に回す。
「しっかりしなくちゃね‥‥」
「‥‥俺は、悪い気はしないけどな」
そう言って彼が微笑えば、彼女も微笑う。
大丈夫、独りではない。
たとえどんな明日が来ようとも――。
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「では、参りましょう」
「はいなのー」
レイン、レン、アリシアと。
三人が各々の身体をロープで結び、始発点で待機する仲間達に別のロープの端を預ける。
「私達が真っ直ぐに進んでいる事を示すものですから、どうかよろしくお願いします」
「お任せ下さい」
応じたシャルロットの背後には、ドラグーン等を積んであるフロートシップが試練後の魔術師達を迎えに行くと言う名目で用意されている。
「‥‥先生も一緒に身体を結びますか?」
昨日も抱いた嫌な予感を更に増幅させながらレインが問えば、案の定。
「ほっほっほっ」
ドースターは淡い緑色の光に包まれ、発動したのはレジストコールドだろうか。寒さ対策としてこれ以上のものはないだろう。
だが、それだけではない。
「まさか忘れてはおらぬな? この地の吹雪はシェルドラゴンが認めぬ者の進路を阻むためのもの――わしの立ち入りを阻害するものではないのじゃよ」
「――」
「では、また後での」
十秒後の、更なる魔法発動はリトルフライ。
「ほっほっほーっ」と笑いながら青空の下を飛び去る師に。
「うわぁ‥‥」
弟子達は呆れて言葉も無い。
とんでもない爺さんだ。
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三人の弟子達が、それぞれに連れて来た精霊達と身を寄せ合いながら雪原を進むにつれて辺りは以前と同じように吹雪き始め、彼女達の進路を阻んだ。
「相変わらず‥‥っ、凄いですね‥‥」
「前回は風のウィザードさんがご一緒して下さいましたからこの風を避ける事も出来ましたけれど‥‥」
今はそれも出来ず、レインが持参した特殊な防寒着を着込むなどしても、三人の道程は前回にも増して厳しいものだった。
その頃、じょじょに強まる雪と風の壁を前に待機組の表情も浮かなかった。
「‥‥大丈夫かしら、彼女達」
「信じるしかないというのは、辛いな‥‥」
紅子、モディリヤーノが呟く。こちらもレインが用意していた防寒具を借りるなどして寒さ対策を施していたが、足元から冷やしていく冷気は身体の芯から凍えさせられるようで酷く厳しい。この中を女性三人が足で移動しているのだから、平気なわけがなく。
かと言って、此方もただ待っているわけではなかった。
シャルロットを始め騎士達は魔物対策に余念がないのだが、香代の未来視で魔物の動向を探れられたらとの指示の際、探すべきはアトランティスの『精霊を嘆かせし者』なのに『ワル』で指示してみたりなど目立つミスが続き、微妙にセレの騎士達との信頼関係は揺らいでいたが、天使の協力も有り、試作段階とはいえ対魔物武器の準備は整っている。
今はただ待つほか無い。
三人の術師が、彼らのための扉を開く鍵となる瞬間を。
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雪原を進む彼女達は時間の感覚さえ狂わされながら、体力の限界を感じる前に身体を休ませ、食事を取り、また進む。
『大丈夫?』
『ぶ?』
レインに寄り添うフィディエルの言葉尻を真似るウンディーネはアリシアの友。
レンのアースソウルも、友を気遣うように決して傍から離れようとはしなかった。
「‥‥もう‥‥どれくらい歩いたのでしょう‥‥」
どれほど休んでもこれまで蓄積した疲労が彼女達の足取りを重くする。
寒さは痺れとなって手足を襲う。
「まだなのー」
そろそろ本当に限界だとレンが声を上げた、その時。
彼女達より少し前を進んでいたレインの愛犬、ボルゾイのフウがけたたましく吠え出した。
「フウ‥‥?」
その声を頼りに進んだ場所には、穴。
「あ‥‥」
前回も共にこの雪原を歩んだボルゾイは、その場所を覚えていたのだ。
「フウ‥‥!」
ありがとう、と。感謝の気持ちを込めて抱き締めればボルゾイは達成感に満ちた声で吠える。
そうして、前回は落ちたその穴を、今回は細心の注意を払って下る三人。
空洞には物音が響き、なのに静寂の帳が落ちたように静かだ。
闇ではない、薄暗いこの場所でうっすらと灯る光りは雪だろうか。そのあまりに仄かで繊細な輝きはひどく幻想的で、これまで全身で感じていた吹雪が嘘のようにすら思える。
「‥‥此処も、こんなに綺麗な場所だったんですね‥‥」
「ええ‥‥」
レイン、アリシアと呟き、レン。
「でぐちなのー」
少女の指差す先に、光。
出た先で待つのはあの日と同じ、亀のような甲羅を持つ胴体に、ドラゴンの首と蛇の尾。全長二十メートル以上の美しき青の姿。そして前回と異なるのは、そのすぐ傍に師ドースターの姿があった事だ。
「先生‥‥」
「前回よりも時間が掛かったのぅ‥‥。しかし風のウィザードが居ない中で、この所要時間は立派な合格点じゃ」
「でしたら‥‥」
笑う師に三人は構え、その動作に師は更に笑みを強める。
「どういうつもりかの」
「吹雪を止めて下さい。仲間が待っていますわ‥‥」
これまでの疲労から呼吸を弾ませながらも力強く言い切るアリシアへ、しかしドースターの返答は否。
「まだそなた達と精霊の子等の絆を示して貰ってはおらぬぞ?」
「――」
「精霊の子等をそなた達に託したとき、我等は言ったはず。シェルドラゴンに人間と精霊の信頼を示そうと言うのなら、その子らと絆を深め友情を育んでみよ。次にそなたらがこの地を訪れた時、その子らがそなたらを信頼しているとシェルドラゴンが信じた暁にはこの雪原への立ち入りを許可するとな」
「あ‥‥」
「思い出したかの」
三人はあの日、この場所で告げられた言葉を思い出す。
言われたのは確かに、そうだ。
ドースターは笑む。
「してそなたらは、この吹雪を止ますべく我等にどう信頼を示してくれるのか。――三人で我等と戦うか。その、雪原を越えて疲れ切った体で」
「‥‥っ」
約二日。本人達は正確にどれだけの時間が過ぎたかを認識してはいないだろうが、約二日間もの間、彼女達は猛吹雪の中をただひたすらに前進して来たのだ。
手足は痺れ、普段からは考えられないほど四肢が重く感じる。
頭の中も、暴風に吹かれていたのが未だ残っているかのようにぐらぐらと揺れている。こんな状態で戦うなど無謀でしかないだろう。
――だが。
「‥‥どのような状況だとて、人には戦わねばならない時があるのです」
アリシアは言う。
力を振り絞って。
「私は、師を信じます」
例えこのまま戦っても、大怪我や、死を覚悟するほどには至らない。力試しの範囲内に収められる、そう思うために必要なのが、師や仲間への信頼であると。しかしそれは「精霊との信頼」の証ではない。
答えではない。
「れーちゃん‥‥げんちゃん‥‥」
レンは精霊達の名を呼ぶ。
命令でも強制でもなく、共に困難に立ち向かう仲間として師とシェルドラゴンに対峙出来れば、それが信頼の証になると考えたからだ。
しかしこれも、この場に多くの仲間がいて、自らも全力で戦える状況であればの話。現状、勝つのが困難な状況であるにも係わらず戦いを挑むのは、無謀。ましてや戦いに挑む精霊の本心が信頼か命令ゆえかなど、どのように判断出来ると言うのか。
「信頼」の示し方が違うのだ。
それは、人間側から起こす行動では有り得ない。
「一つ聞こうかの。なぜ、戦力としてはそなたらより格段上の冒険者達を雪原の向こうに待機させ、そなたらだけで試練に挑む事を決めたのかの」
「‥‥シェルドラゴンさんの封印する力を‥‥解放した時を、魔物が見逃すとは思えません。もし襲撃された時に、全員があの雪原を越えた後で疲労していたら、魔物に勝てないと思ったから、です‥‥」
応えたのはレイン。
自分達以外の皆に待機して欲しいと最初に言い出したのは彼女だった。
「疲労すると判っていて、それでも尚、戦う事で精霊との信頼を示すつもりだったかの」
師の問い掛けにレインは唇を噛み締める。
「戦い、‥‥たくなんか、ないですけど‥‥でも‥‥っ」
言いながら、彼女はフィディエルの手を握る。
「フィリアさんに、シェルドラゴンさんを攻撃させるなんて‥‥そんなの、辛いですけど‥‥、でも、やると決めたからには!」
三人共の瞳に力が宿り、師は息を吐く。
「ならばそなたらの気が済むように――」
ドースターが手を翳した次の瞬間だった。
「! フィリアさん‥‥?」
フィディエルがレインの前に両腕を広げて立ち塞がったのだ。
「‥れーちゃん‥‥」
「メリュジーヌ‥‥」
精霊達がレンの、アリシアの腕をしっかりと掴み、‥‥庇う。
『戦わせないわ‥‥』
言葉を紡ぐのはフィディエル。
『私が力を貸せばこの子の心が傷付くの‥‥私は、そんなのはイヤ‥‥』
「フィリアさん‥‥」
彼女のように言葉は発せずとも、アースソウルも、ウンディーネも、友の腕をぎゅっと握り締めて何度も左右に首を振る。それはアータルも、レンが連れて来たスモールシェルドラゴンも同様、弱った彼女を戦わせる事を良しとはしない姿だった。
信頼は、示すものではなく。
示されるもの。
「――うむ、合格じゃ」
ドースターの言葉に、頭上、光りが射した。
●
三人の魔術師の努力あって雪原の進路を阻む吹雪は止み、ドースター師とシェルドラゴン、双方との試練に臨んだ冒険者達は、同時に『精霊を嘆かせし者』との対峙までも果たした。
これは偏にアリルとソードの懸念があってこそ叶った事態。
彼らのように魔術師の試練の意図を予測する者が無ければ、雪原は恐らく戦場と化し、果ては不意を打たれ冒険者側に犠牲が出ていた事も考えられる。
そしてこれはシャルロットにも言えること。
「同胞達が『聖域』と呼ぶ場所をゴーレムで踏み荒そうなどとは最初から考えていませんよ」
何事にもハッタリは重要だと語る彼女に、セレの騎士達は己の浅慮を恥じる。敵を欺くにはまず味方から、今回は正にその典型的な例だった。
そして此方も。
「レヴィシュナ様‥‥あの超越級のストーン魔法を解呪されたという事は‥‥、やはり、貴方の白魔法も‥‥」
「ん?」
この場で唯一の白魔法の使い手である冒険者の言葉に天使は肩を竦める。
「いや、あれを解呪したのは私ではなく、これだ」
そうして手の中に転がしたのは『コカトリスの瞳』。
「ドースターに言われて方々を探し回ったよ。まったく、人使いの荒い爺様さ」
「――」
絶句する彼に、レンやアリシアも。
「レンたちもかいじゅのおてつだいしたのー」
「敵を欺くには‥‥とドースター師も言われるので‥‥」
「私が超越クラスの魔法を扱えると知れば魔物共も慎重になるだろう? ゴーレムと同じさ、ハッタリも大事、ってね」
肩を竦める天使を前に、胸中には「類は友を呼ぶ」なんて言葉が浮かんだが早々に掻き消した。ここは敢えて触れぬ方が身の為のような気がしたからだ。
一方で元気に紅子へ駆け寄ったのはレイン。
「フレイムエリベイション、ありがとうございました。おかげで『精霊を嘆かせし者』に気付かれないように皆さんの石化を解いて回れました」
「役に立てて良かったわ。レインちゃん、頑張ったものね」
「皆が一緒だったからです」
「でも、本当に御疲れ様だよ」
モディリヤーノにも労われ、少女は照れたように微笑んだ。
そうして、石化を免れドースター師と遣り合うことで無意識に囮役を買って出た形になってしまった騎士達は。
「くしゅんっ」
「はっくしょん!」
全身ずぶ濡れの状態で豪快なくしゃみを繰り返す。
「筆頭魔術師とは言え人が悪過ぎないか」
皆に毛布を手渡しながらソード。
「シルバー殿のスクロールも乾かすのに時間が掛かりそうだ」
「ほっほっほっ、魔法は精神に影響するものばかりではないのじゃ。地の利も巧く利用せねばの」
確かに、この零下二〇度近い空間で水を被れば全身がかじかみ、寒さも痛さになるは、風邪を引きそうだはで、堪らない。
『精霊を嘆かせし者』の炎で一時的に温まったにせよ衣類が乾くわけではないのだ。
そんな彼らに近付いたのはシャルロット。
「しかし‥‥『精霊を嘆かせし者』を逃した事は悔やまれますね」
「仕方あるまい、そもそもあれを捕らえるにはそなた達の作戦にもまだ穴がある。今回は此方が馬鹿ではないのだと思い知らせる事が出来ただけでも上々じゃ」
「‥‥では」
軽い息を吐き、肩を竦めた彼女は続ける。
「此処は一つアベル卿の領地にある温泉へ慰労会といきませんか」
「慰労会?」
「温泉に浸かれば全身水浸しの皆さんも少しは身体が温まるでしょう」
「シャルロット、ナーイス!」
ビシッと親指を立てるアリルに、温泉‥‥っと何故か頬を赤らめたフルーレ。
「アベル卿も事の次第を首を長くして待っておられるでしょうし、報告のついでに温泉に立ち寄っても大した遠回りにはならないでしょう」
「ふむ」
魔術師は自慢の顎鬚を手櫛で梳きながら、頷く。
「判った、そうするとしようかの」
「まぁ、素敵ですわね」
師の言葉に弟子達も喜び、ならば早速移動だと皆がシップに歩を進める。
「温泉つったら、やっぱ混浴だよな」
「混浴、ですか?」
「男女が一緒に入る風呂の事だよ」
「‥‥!」
「お。レインも一緒に入るかー?」
「なっ、ちがっ‥‥絶対に入りませんっ」
アリルとレインが言い合うのを聞きながら、
「それはまずいだろう」と呟くソードへ親友が声を掛ける。基本的に遠慮したい事ではあるだろうが、ソードの今の言い方には含みがあるように聞こえたからだ。
案の定、彼は言う。
「レイン嬢はつい先日結婚が決まったばかりだ」
「え‥‥」
「本当かレイン殿!」
「本当ですかレイン殿」
アルシャス姉弟の驚愕と。
「おめでとう、レインちゃん」
「めでたいッスね!」
紅子やフルーレにも祝われて顔を真っ赤にする本人。
そうして賑やかな一行がシップへと乗船して行く最後尾で、一時的にアリルから魔術師へ戻されたオーブが今度はリラの手に委ねられた。
「リグへ戻るのだろう? 持って行くが良い」
「‥‥しかし‥‥」
「今度は一人ではない。‥‥カインと二人でもない。そうだの?」
念を押すように確認して来る彼へ、リラはしばらく悩み抜いた末に頷く。
「はい‥‥仲間と、共に」
「うむ」
こうして、土の力を秘めたエレメンタラーオーブは冒険者達の手に委ねられ、また、冒険者の意見もあって王都へ送られた使者により国王と分国の連絡が密になったとの話も聞こえて来たが、その詳細が明らかにされることは無く。
この数日後、セレからウィルへ戻るフロートシップの船内には冒険者の数が往路の倍になっていた。最終決戦に向けて装備を整え直したいという希望があったためであり、いま、事態は大きく動こうとしていた――。