●リプレイ本文
「‥‥やっぱり、簡単には行きそうもないわね、これって」
葦が生い茂る隙間から湿地帯の様子を眺めつつ、エルドリエル・エヴァンス(ea5892)が呟いた。
「まあ、言ってしまえば砦を攻めるわけだしな。楽ではないさ」
天那岐蒼司(ea0763)が、戸板に泥を塗り付けつつ、言う。矢避けのための盾だ。補強のためにロープも巻いてあった。泥も補強と、あとは火矢対策の為もある。
「参ったな、大家さんに怒られちまう。修理代はワリカンだぜ」
出来上がった品を見て、苦笑するリ・ル(ea3888)。彼もまた、家の戸板を外して持参していた。この仕事が終わってもまだ使えそうなら持ち帰る気もあるが、たぶんそれは期待できまい。
「‥‥さて、聞いてもいいかな」
湿地帯のほぼ中央、相手が陣を張る小高い島へとじっと目を向けていた少女に、ナラク・クリアスカイ(ea2462)が声をかける。
「なに?」
少女──この仕事の依頼主であるラウラが振り返った。蒼い瞳に宿る光は相変わらず強く、声も表情もほとんど愛想がない。
「これからまみえる事になるであろう相手の事だ。特に首領とその取り巻きは、一筋縄では行くまい。となれば、少しでもその情報が欲しい」
じっと、仮面の奥の瞳で少女を見るナラク。落ち着き払っているという意味では、こちらもまたラウラに負けてはいないだろう。
「‥‥そうね。でも、あたしもそんなに詳しいわけじゃないわよ」
やや沈黙の後、ラウラは話し始めた。
「あの男──首領のザムゥが連れているのは、闘気魔法を使う騎士と、炎の精霊魔法を使うウイザードよ。騎士の方は、普通の剣と、魔法で生み出した剣──オーラソード、だったかしら、その2本を用いた二刀流を使うわ。ウィザードの方は、やや後方で援護、補助、かく乱をやるって感じね。そしてザムゥは‥‥勝つ戦いしかしない。そういう奴」
「‥‥勝つ戦い?」
それを聞いたスピア・アルカード(ea2096)が、眉を潜める。
「勝つと判断したら一気に攻め、負けると思ったらどんな犠牲を払ってでも自分は逃げる。その辺の勝負事の判断に、おそろしく鼻が利くって事」
「‥‥なるほど、それは手強そうだ」
ラウラの説明を聞いて、蒼司が言った。
「敵は仲間を仲間と思っていない‥‥危なくなればすぐに切り捨てる、という事か」
エヴィン・アグリッド(ea3647)の目が、島へと向けられる。
「あそこに近づくのであれば、その事を全員が念頭に置かねばならないだろう。しかし、確かに戦いとはそういうものかもしれないが‥‥俺は気に入らん」
不愉快そうに、表情を険しくさせる彼。
「それと、もうひとつ」
ナラクが、続けた。
「ザムゥという首領はワーウルフなのだろう? 残念ながら、ここには武器に付与できる精霊魔法や闘気魔法を使える者はいない。通常武器が効かん相手に一体どうやるつもりだ?」
じっと、ラウラに目を向ける。
「‥‥君の持つ、その蒼い剣が特別なものならば話は別だが」
「‥‥」
ラウラも、ナラクへと振り返った。
「これに、そんな特別な力はないわ」
やや間を置いて、彼女は無造作に腰の短剣を抜く。陽光を受けて輝く、蒼い刀身‥‥。
「綺麗よね、それ」
九重玉藻(ea3117)が、いつのまにか側に来て、刃に顔を近づける。
「蒼いのは、特殊な染料を定期的に塗っているからよ。錆止めと、装飾の意味でね。それを除けば、これは普通の短剣だわ。ただ‥‥」
「‥‥ただ?」
一瞬だけ目を細め、ラウラは言った。
「これは、母親の形見よ。だから、特別と言えば、特別かもしれないわね」
そう告げると、再び腰の鞘に収め、全員を見回す。
「奴が出てきたら、あたしが足止めをする。そこを魔法を使える者全員で、攻撃魔法を集中させて叩いて頂戴。この顔ぶれで倒せるとしたら、それしかないわ」
「え? でも、そんな事をしたら、あなたも一緒に‥‥」
「言ったでしょう。それしかないの。剣を使う者は、取り巻きを近づけさせないで」
目を丸くする玉藻が言葉を全部言わないうちに、ラウラはぴしゃりと返答していた。迷う、などという様子は微塵もない。
「‥‥むちゃ、だ‥‥」
その魔法を使える者の1人であるエイス・カルトヘーゲル(ea1143)が、ぽつりと言った。
しかし、
「あんた達は、獣人がどんな生物か分かってないのよ。甘く見ていたら死ぬわ。死にたくなければ、あたしのやり方に従う事ね」
ラウラは、もう決めたようだ。
「‥‥このお嬢さん、最初から命を捨てる気か?」
「そうとしか思えないわよね、これって‥‥」
蒼司が声を潜めて玉藻に囁き、玉藻も嘆息しつつ肩をすくめる。
実は前回の依頼以降、玉藻は自分なりにラウラの事を調査してみたりもしたのだが、詳しい事は良く分からなかった。ただ、依頼を受け付けたギルドの方も、依頼人の彼女の素性などは把握していないらしいという事は判明した。収穫らしい収穫といえば、それくらいだ。
「君が十分強いのは、この前の戦いで理解した。が、自分で弱点だと思う所もあるのだろう?」
「‥‥当然よ。でなければあんた達を雇ったりしないわ」
ナラクの問いかけに、すぐにそうこたえるラウラ。
「なら、話は早いわよね」
それを聞いて、エルドリエルが笑った。
「そっちの希望は聞いたから、次はこっちの番ね。依頼主のあなたに指図する気はないけど、でも同じ目的を持つ仲間としての御願いを聞いてくれない?」
「‥‥」
返事は、ない。
とはいえ、拒否の言葉もないのだから、聞く気くらいはあるのだろう。たぶん。
「水中には何が何匹潜んでいるかわからん。足場を崩されて水に落ちた所を魔法で攻撃されてはたまらんからな。まずはそいつらを片付ける。餌で釣って、足場の良い所まで誘い出し、魔法で動きが鈍った所をやる。それが済んだら突撃だ。できれば梯子を確保してくれ」
と、続けてリルが簡単に冒険者達が打ち合わせてきた作戦を説明する。
「とまあ、そういう風にやりたいんだけど、どうかしら?」
エルドリエルが微笑みかけると、
「‥‥了解したわ」
とだけ、ラウラは言った。
「よし、それじゃあもうひとつ、ついでに頼みたい事があるんだがな」
出来上がった戸板の盾を担ぎ上げつつ、リルが前に出てくる。
「実は盾は初めてなんだ。準備運動がてら、前みたいに模擬戦をやってくれないか? 一丁頼むよ」
屈託のない笑みで言ったが、
「それはやめておいた方がいいわね」
「ありゃ」
あっさり断られ、その場で少々たたらを踏んだ。
「あんたの腕前なら、即実戦でも問題ないと思うわ。それに、せっかく造った盾の強度を減らす事もないでしょうし、体力も温存した方がいい。まず、短時間で勝負はつかないだろうから」
「‥‥うむ、確かに理屈だな」
頷くスピア。
「ま、そっちがそう言うなら、そうしとくか」
リルも、おとなしく引いた。顔に少々笑みが浮かんでいる。ラウラに腕前が確かだと言われた事が満更でもないようだ。彼女はお世辞を言うようなタイプではありえないので、まず本心なのだろう。
「‥‥いく、か‥‥」
最後にエイスが短く言い、全員が”島”の方へと向き直る。
過酷な戦いが、始まろうとしていた‥‥。
「‥‥来たか」
島の見張り台に立つ者から報告を受け、一党の首領、ザムゥがテントから姿を現す。両脇には、それぞれ騎士とウイザードを従えていた。
「なるほど、わざわざ矢避けを持ってきたか。さすがにただの馬鹿じゃねえな。どれ、とりあえず手並みをみせてもらおうか」
湿地帯を縦横に走る桟橋の上に現れた冒険者の一団を見ながら、ニヤリと笑う彼。やはり、最初から自分が手を出す気はないようだ。
「野郎ども! 遠慮する事はねえ! ハリネズミにしてやれ!!」
弓を持った連中の中からそんな声。すぐに、おおーと蛮声が上がり、彼等は次々に矢をつがえ、冒険者達へと向けて‥‥放つ。
「任せろ!」
リルと蒼司が前面に進み出、戸板の盾を斜めに構えた。
やや間を置いて、軽い衝撃とやや重い音が連続する。
周囲の葦原と水面にも、数本の矢が飛び込んでいった。
と‥‥きゃっと小さい悲鳴を上げて尻餅をつく女性がひとり。
「だ、大丈夫!?」
慌ててエルドリエルがその前にしゃがみ込む。彼女の前で板を寄せ集めて作った急造の盾を持ち、思わぬ角度からの矢に備えていたエルミーシャ・メリルが、よっこらしょ、と服をはたきながら立ち上がると、
「あはは、ほら、当たりましたよ〜。ミーシャもエルさんを立派に守れるですぅ〜」
矢の突き立った盾をエルドリエルに見せ、嬉しそうに微笑んでいた。
「あのね‥‥」
その様子を見て、肩を落とすエルドリエル。
「盾役は俺達に任せて、隠れていた方がいいぞ」
蒼司が、背中越しにそう声をかけた。
体力的に不安のあるエルフのクレリック、しかも女性が盾役をやるのは、やはりちょっと無理があるだろう。
「できればそうしてもらえると、私も助かるわ」
「え? そうなんですか〜? エルさんがそう言うならぁ〜」
小首を傾げて微笑むと、素直に後方に下がる彼女である。
それを確かめると、ようやく安心したように、エルドリエルがほっとため息をついていた。
矢が止んだタイミングで、一同はじりじり前進を続け、水際まで来ると一旦止まる。
「‥‥では‥‥はじ、める‥‥」
今度は、エイスが前に出て来た。手にはいくつかの皮袋を携えている。
彼は盾のすぐ後ろにしゃがみ込むと、袋をいくつか桟橋の前方に放った。
あまり大きくもないそれらの中身は‥‥動物の血と、肉だ。
落ちた弾みで口が緩み、血が流れ出して桟橋の隙間から水面へと流れ落ちていく。
そのまま、矢の攻撃を耐えつつ、待つ事数分‥‥。
「‥‥出たぞ。あそこだ」
スピアの目が、それを捉えた。僅かな水面の揺らぎ。それが、次第に桟橋へと近づいてくる。
視力に優れたナラク、エヴィン、エルドリエルらも気がついた。
上空からテレスコープで周囲を監視していたシフールのニューラ・ナハトファルターも、指をさしてその位置を示す。
「一体なんだ?」
蒼司が尋ねた。彼とリルは盾の陰なので、前方が上手く確認できない。
「よくわからん」
正直に返答したのは、エヴィンだ。実際、それは水中では非常に見えにくい”何か”だった。
「あいつ‥‥身体が半透明なんじゃない?」
エルドリエルが、そう指摘する。
‥‥その通りだった。
桟橋の脇にぷかりと浮かび上がってきたのは、ぶよぶよとしたアメーバー状の粘塊だ。表面が波打ち、いやらしく蠢いている。
「‥‥ウォータージェル」
そう、ラウラが呟いた。
半透明の青い身体を持った、不定形のモンスターである。主に水中に潜み、水辺の生物を捕食しているのだが、その身体の特性から、水中では非常に発見が困難となる。接触する事で相手を強酸で溶かし、やがては体内に取り込んで消化する‥‥というのが、こいつの攻撃方法だ。また、その強酸は金属も腐食させるため、金属鎧や刀剣の類もあまり通用しない。
‥‥そんな事を、ラウラは手短に説明した。
「そう‥‥か‥‥わかった‥‥」
それを聞いて、エイスが魔法を紡ぎ始める。
「味わえ! 人狼に従えられた愚かで悲しきものよ!」
エヴィンも前に出て、同じく魔法を発動させた。
青い光と黒い光。2種類の魔の輝きが彼等の身体を包み込み、力となって放たれる。
──キュゴッ!
ウォーターボムとブラックホーリー。
異なる魔法が同時にモンスターの身体の一部を吹き飛ばし、水の中へと逆戻りさせていた。
「‥‥へえ、やるじゃねえか。こっちのペットの情報も漏れてたようだな。引っかかりやがらねえ」
ウォータージェルが弾き飛ばされ、水柱が上がるのを眺めながら、ザムゥが呟いている。ただし、顔にあるのはニヤニヤした笑いだ。戦いの雲行きが怪しくなってきているのは見れば分かるはずなのだが、何か他の事を考えているらしい。
「で、どうする?」
騎士が尋ねると、
「何人か下に降ろす。俺とお前も、折を見て降りるぞ」
冒険者達の方に目を向けたまま、こたえた。
「俺は?」
「お前はここで待て。援護はいらねえが‥‥まあ、やりたきゃ好きにやるんだな」
ウイザードの方にはそう告げると、矢を撃ちまくっている手下の所へと歩き出す。
「おいてめえら! やめろやめろ! 矢がもったいねえだろうが! この役立たずどもが!!」
手近な奴の背中を蹴り付けつつ、そうどやしつけるザムゥであった。
「‥‥矢が止んだようだな」
戸板の陰から顔を半分覗かせる蒼司。
「見ろ、奴ら、降りてくるようだぞ」
ナラクが、島の一角を顎で示した。柵の間から、木の梯子が桟橋へと下ろされようとしている。
「突っ込むなら、今だな。乱戦になってしまえば、奴等も簡単に矢は撃てまい」
「‥‥奴等が仲間を仲間と思っていればの話だがな」
「その時は、相手を盾にすればいいだけだ」
エヴィンの台詞に、スピアが言った。顔に恐れは、ない。
「‥‥ここから、が‥‥ほんばん‥‥だな‥‥」
水面に視線を走らせつつ、エイスも言う。ウォータージェルに魔法は当てたものの、倒すまでには至っていない。こちらにも気を払う必要があった。
「さて‥‥それでは突入といこうか‥‥」
先程とは違う魔法の詠唱を開始するエヴィン。
島から降ろされた梯子から、剣を手にした4人程の男が桟橋へと下ってくる‥‥。
「ほーっほっほっほっほっほっほ! 光の彼方に影ありき、影の果てより忍び見参! 九重玉藻、ここにありー!!」
いきなり、場にそんな声が高らかに響いた。と、思ったら、桟橋の上を疾走の術で怒涛の如く走り、島へと接近する人影。言うまでもなく、玉藻だ。他の冒険者達から密かに離れ、まったくの別方向からのいきなりの出現であった。
「な、なんだぁあの女!?」
当然、それを発見した賊一党は彼女へと注意が向く。島に残った連中が矢を玉藻へと放とうとしたが‥‥。
「俺はグループうめ☆連合、かつお梅のよしお! 今日もガンガンぶっこんで行くんで、そこんトコ夜露死苦!」
また違った方向から、片手に『グループうめ☆連合』と描かれたキンキラキンの旗、片手に梅干を持ったきむらよしおが現れた。ジャパン語しか話せないが、どっからどうみても怪しさ炸裂な言動と雰囲気は万国共通かもしれない。
「また妙なのが現れたぞ!」
「どうすんだオイ!」
彼等の出現で、やや混乱の気配を見せる一党。
「落ち着け馬鹿野郎。あいつらはどうせ囮だ。てめえらは数が一番多い所だけ見てりゃいいんだよ!」
しかし、ザムウがすぐにそんな指示を飛ばす。
「‥‥可愛くないわねえ、あいつ。まあ、でも、それならそれで、こっちはこっちの仕事をするだけだわ‥‥というわけで‥‥」
首領の台詞に顔をしかめる玉藻だったが、すぐに薄く微笑むと印を組み、術を発動させた。
「おいでなさい! エリザベス!」
ボン、と彼女の周囲に煙が上がり、その中から巨大なガマが飛び出してくる。大ガマの術だ。
さらに、用意しておいた皮袋を湿地帯の中に次々に放り込んでいく。中身はこれも動物の血であった。
ほどなくして、その場に波紋が広がり、何かが近づいてくる気配‥‥。
「エリザベス、分かっていますね?」
主が尋ねると、大ガマはゲェコと返事をして、水の中へと飛び込んでいった。
「調子はいかが? 私達もこっちに回ってきたわよ」
ちょうどそのタイミングで、エルドリエルとエルミーシャも隣に並んだ。エルミーシャの方はまだ盾をよいしょよいしょと引きずっている。なんだかよろよろしていて、見ていて割と危なっかしい。
「そうね。もうじき、大きな獲物が釣れそうよ」
振り返り、軽くウインクを返す玉藻。
と、その彼女の背後の水面大きく盛り上がり、ザパァッっと大ガマエリザベスが飛び出してきた。すぐ後には青い粘塊、ウォータージェル。
「ほらね、エリザベスが美人だから、すぐに引っかかった」
「‥‥みたいね」
どこか嬉しそうな玉藻をよそに、すぐにエルドリエルが魔法の詠唱を開始。エルミーシャはうわぁ〜おっきなカエルさん、と感心している。
大ガマを囮にして、この厄介者を引き寄せるというのが、玉藻の考えであった。
「くらいなさいっ!」
そして、再び姿を現したウォータージェルに、エルドリエルのウォーターボムが放たれる。
「いくぞ!」
桟橋を疾り、スピアが相手へと向けて突進した。
やや遅れてラウラ、さらにその後ろに戸板を担いだ蒼司とリルが続く。
たちまち矢が飛んできたが、相手は射手を削って下に手下を降ろしてきたので、飛来する矢の数自体は先程の半数以下であり、しかも散発的である。距離さえあればそう簡単に当たるものではなかった。
そして、降りてきた相手に剣を振りかざして突っ込むと、やはり同士討ちを恐れてか、矢はピタリと止まる。
「どけ! お前達に用はない!」
スピアのロングソードが唸り、相手を次々に水の中へと叩き込む。
後方からは魔法の援護。
さらにラウラと蒼司、リル等が来れば、少数の賊など敵ではない。
「この距離まで接近できれば‥‥遅れをとりはしないさッ!」
蒼司のその言葉の通りであった。
が、その場の相手を片付ければ、島の上にいる弓を構えた者達が、また遠慮なく撃って来るだろう。
そちらには、別の冒険者達が向かっていた。
──ゴッ!
島の上の陣地、そのほぼ中央にあった焚き火の炎が、不意に音を立てて大きく燃え上がったのだ。
「何だ! 何事だ!」
「誰か何かしたか!?」
弓を構えていた者達が、突然の事に背後へと振り返る。
「‥‥」
そんな中、やや離れた位置で、ただ1人、落ち着いた顔でウイザードの男が空を見上げている。青い空の中、ぽつんと見える小さな人の形‥‥。
「シフールだな。こちらの魔法と矢の射程外の高さを飛んでいる、か。あいつが何かやったな」
低く呟く男である。実際、その通りであった。上空にいるニューラが、油の入った壷を火の上に落としたのだ。当初は落とした後、サンレーザーの魔法で着火する予定だったのだが、この方が確実である。小さなシフールの身体では、ひとつしか壷を持って飛べないため、より確実な方法を選ぶのは当然の判断だったろう。
そして‥‥炎に気を取られている弓部隊の隅に、1羽の鷹が舞い降りてくる。
地面に降り立つと、すぐに見る見るその輪郭が崩れ、男の姿へと変わっていった。
「貴様等、どこを見ている。侵入を許したぞ」
ウイザードが真っ先に気付いて手下達に声をかけたが、
「その通り! だがもう遅い!!」
完全に人の姿に戻ったエヴィンが、自分の足を伸ばしつつ、鞭のようにしならせて低い位置の蹴りを放った。ミミクリーの魔法は、既に発動済みだ。
「うぉっ!」
近くにいた数人が、振り返る事もできずに足元をすくわれ、その場に転倒する。
「野郎!!」
無事だった奴が弓を向けたが、そいつもすぐに悲鳴を上げてその場を転げ回った。上空のニューラが、背中めがけてサンレーザーを撃ったのだ。
「まったく‥‥これだから雑魚は何人いても使えんというのだ」
舌打ちしつつ、ウイザードが鋭い目でエヴィンを見る。
──来る。
瞬時に感じ取り、退くか突っ込むかを考えて‥‥足が勝手に後方へと飛んでいた。嫌な予感、そして条件反射だ。
次の瞬間、ドン! と腹に響く轟音を上げて、目の前が赤熱した。爆炎が広がり、身体が空へと持っていかれる。間を置かず、さらにもう一回、ドカンと来た。今度は上だ。青空に爆発の華が咲き、熱風が吹き荒れる。
ファイヤーボム、しかも高速詠唱を用いた2連発だった。空へと向けて放たれたものはニューラ狙いだったが、もちろん射程外なので距離が足りない。が、爆風は上空にまで届く。ニューラはバランスを崩しながら、そこから離れるのが精一杯だ。一方、エヴィンへと向けた一発は、弓を手にした一党をも容赦なく巻き込み、吹き飛ばしていた。仲間の安否など、一切構わぬ攻撃である。
「‥‥ちぃ‥‥やってくれる‥‥っ!!」
飛ばされた空中でまた鷹へと変じ、一旦湿地帯へと逃れるエヴィン。モロにこそ食らわなかったものの、熱風で肌が少々焼かれている。それがなくても、態勢を立て直す必要があるだろう。
「ふん、どうやらここはもう終わりだな」
自分が焼き、地面に転がっている仲間を冷たく見下ろすと、ウイザードはまた魔法を使った。ファイヤーコントロールで燃え盛る焚き火の炎を瞬時に消すと、そちらへと歩いていく‥‥。
「威勢がいいな、てめえら」
湿地帯、桟橋の上にザムゥと配下の騎士が姿を現していた。
「どうやら、本気で俺らを潰す気でいやがるようだ。いいねえ、面白ぇじゃねえか。誰の差し金かは知らねえが、きっと俺達を相当恨んでるんだろうな、てめえらの依頼人はよ‥‥」
そう言いながら、ザムゥはたった1人を見つめている。薄笑いを浮かべながら‥‥ラウラを。
「‥‥」
彼女は、顔色ひとつ変えてはいなかった。
ただ‥‥強く握り締めた拳が震えている。
「落ち着け。あからさまな挑発に乗るな」
ザムゥの視線を遮るように、少女の前にスピアが立った。
「‥‥」
何も言わず、横から彼女の肩に手を乗せるエイス。
ラウラの言葉は、短かった。
「あたしが最初に言った通りにしろ‥‥」
低い、かすれ気味の声。
それと同時に、少女は疾る。
「待て!」
スピアが押えようとしたが、彼女の脇を風となって過ぎるラウラに、手が追いつかない。
「行っては駄目! 危険よ!」
ウォータージェルをなんとか追い払ったエルドリエルもこの場に駆けつけ、言っても無駄だと判断するや、ラウラの足元を狙ってウォーターボムを撃つ。無茶だが、このまま突っ込むのを見ているよりマシだ。
破壊音と共に、桟橋の破片が周囲に飛び散る。
それと一緒に、ラウラは跳んだ。一気にザムゥの元へ!
「探したぞ! 死ね!!」
声と共に、蒼い光と銀の光が流れた。空中で2本の短剣を抜き放ったラウラが、仇の首と心臓めがけて突きを放つ。
「へっ、やっぱりあの時の小娘か。生きているとは思ったが、こんな所でまた会うとはな!」
ザムゥもまた、剣と、そして短剣を抜いた。しかも、その短剣は‥‥蒼い。ラウラのものと形が同じで、刀身も蒼く染まっていた。ただし、ザムゥのものは所々が剥げ落ち、汚れ、下の鋼がはっきりと分かる。
──ギキィン!
鋼が噛み合う音が響き、片方の影が弾かれた。ラウラの方が。
「この蒼いのは俺も気に入ってるぜ。てめえのもよこしやがれ!」
「ふざけるなーっ!!」
一回転して足から着地すると、再びラウラは仇へと向かっていく。が‥‥その刃は目標に届かない。いずれも寸前でかわされ、もしくは弾かれていた。
「今行くぞ!」
蒼司が近づこうとしたが、
「‥‥おっと。他の奴の相手は俺がする」
剣を手にした騎士が、その前に立ち塞がった。
「ならお前の相手は俺だ!」
そこに、今度はリルが割って入った。手にした戸板の盾を相手に投げつけ、自分も一緒に突っ込んでいく。
ガッと戸板は簡単に受け止められたが、それで相手は身動きと、剣を振る自由を失った事になる。後は戸板ごと叩っ斬れば良い。リルはそのつもりで戸板に向かって大上段から斬りつけようとしたが、
「!?」
それよりも速く、突如戸板から何か光るものが生えた。ちょうど日本刀の刀身のような形をした、半透明で、薄く光る何かだ。それが、自分の腹のあたりを薙ぎにきた。とっさに盾で受けようとしたが、それをあっさりすり抜ける。
「‥‥つ!」
腕に痛みが走り、斬られた事をはっきりと自覚した。ヤバイと感じて足を止めていたので浅くて済んだが、あのっま突っ込んでいれば間違いなく腕と、腹まで半分切断されていたろう。
「ほう‥‥よく止まったな。勘は良いようだ。長生きできるぞ」
戸板が湿地帯へと放り込まれ、騎士の姿が再び露わになる。
先程と違っているのは、ただ一点。
騎士は、さっきまでは確かに何も持っていなかった方の手に、半透明で淡く光る刀を所持していたのである。
──オーラソード。
闘気魔法で生み出された、魔法の剣だ。
これは、生物の肉体やアンデッド、マジックアイテム等だけに切れ味を発揮し、その他全ての物体をすり抜けてしまうという特性を持っている。つまり、通常の防具などは一切無効なのだ。戸板をすり抜け、盾も問題としなかったのはそのせいである。
「お前等の貧弱な装備では、この剣は防げん」
事実を言い渡し、騎士が迫る。
「‥‥」
ならばと、エイスが魔法の詠唱を始めたが、
「魔法も使わせんよ」
騎士が走り、一気に接近してきた。
「下がれ!」
仲間に言いつつ、今度はスピアが前に出る。
しかし、結果は同じだ。普通の剣は受けられても、オーラソードの方は防御の手段を誰一人持ってはいない。せめて武器に付与できる魔法があれば事態も変わったろうが、残念ながらそれを使える者もゼロだ。
魔法で援護しようとしても、騎士はぴったりと仲間から離れず、それを許さなかった。使えば、こちらの誰かをも巻き込む‥‥そういう距離を常に保ちつつ戦いを仕掛けてくる。せめて足場が確保できれば回り込む事もできたろうが、ここは狭い桟橋の上だ。それすらもできない。
「何をしている! 首領はこいつだ! こっちを狙え! あたしに構うな! そう言ったろうが!!」
焦れたように、ラウラが叫んでいた。
しかし‥‥それもまたできない冒険者達。
「余裕だな、どっち向いてやがる!」
「ぐっ!」
ザムゥの膝がラウラの腹にめり込み、その場に崩れさせた。そのまま髪の毛を掴まれ、押し倒される。
「どうした? 俺を殺すんじゃなかったのか? あの役立たずのお仲間と一緒によ」
勝ち誇った顔で、笑うザムゥ。
「‥‥いいだろう」
「ん? 何がだ?」
「なら、攻撃しやすいようにしてやる、見ているがいい!」
叫ぶと、ラウラの身体がみるみる変化していった。
体毛が伸び、顔の骨格が変化して‥‥動物のそれへと変わっていく。
やがて、そこに現れたのは、1体の獣人。山猫の姿を持ったワーリンクスであった。
「どうだ! あたしも獣人だ! 人間じゃない! 遠慮なくやれーっ!!」
叫ぶ、獣人。
だが‥‥。
「‥‥」
それでも、冒険者達は‥‥攻撃をしなかった。
うすうすそうではないかと、感づいていた者も多かったのである。
「ははははは! できないってよ! お人好しが多いな! こりゃ傑作だ! ははははははは!」
哄笑する、ザムゥ。
「ああ‥‥まったくその通りだ。愛想が尽きる‥‥」
歯を噛みしめ、顔を背けるしかできないラウラだった‥‥。
‥‥その時、
「お行きなさい! エリザベーーース!」
──ゴパァッ!
「おぉっ!?」
ザムゥとラウラの真下から、巨大なガマが桟橋を突き破って現れた。
水遁の術で水中を移動してきた玉藻も、大ガマと共にある。
「今よ! 魔法で攻撃して!」
ラウラから離れ、飛び下がったザムゥに、直ちに魔法が集中したが‥‥その殆どは当たらず、騎士の方もそれを見て、撤退していった。
タイミングを合わせて、相手のウイザードがスモークフィールドで煙を張り、さらにアッシュエージェンシーの分身を複数置いてかく乱までされたので、追う事も叶わなかった‥‥。
「‥‥あたしと母親は、人里離れた山の中に、2人で住んでいたわ。父親は、あたしがまだ小さい頃に病気で死んだの」
ザムゥ達が去った後、治療を行っている冒険者達に背を向けて、ラウラは静かに語り始める。その時には、既にヒトの姿に戻っていた。
「母親は、剣とか、刃物を造るのが趣味でね、あたしの持っているこれもそう。腕は良かったと思うわ‥‥で、ある日、その噂を聞きつけたザムゥ達がやって来たのよ。自分のために、剣を作ってくれってね。でも、もちろん断った。奴がその剣をどんな事に使うかは、すぐに想像できたから。そしたら‥‥奴は一緒に連れてきた魔法使いに、自分の剣に魔法をかけるように命じて、それで母親を切り殺したわ‥‥笑いながら。もちろん、あたし達も戦ったんだけど、最後は崖に追い詰められた。あたしは母親に崖下に突き落とされ、母親はあたしのと同じ蒼い剣で向かっていって‥‥それでお終いよ。あたしは崖の下を流れてた急流に飲まれて流されて‥‥2日後に戻った。その時にはもう、家は焼かれ、母親は近くの木に吊るされて、鳥のエサになってたわ‥‥」
‥‥淡々と、まるで他人事のようにそう語る彼女。
「あたしは奴に全てを奪われた。だから、あいつを殺す。そのためになら、なんだってやってやるわ。あんた達にも、この際だからはっきり言っておく‥‥」
そして、ラウラは最後に、こう口にしたのだった。
「この先には、奴を本気で殺そうって奴だけついてきて頂戴。獣人に雇われるのが嫌だっていうのなら、あたしを殺してもいい。ただ、それは仕事の後よ。奴を殺した後に、あたしも好きにすればいいわ。とにかく、獣人を相手にして、十分に息の根を止める事ができる者、そして奴の取り巻きにひけを取らない者‥‥それだけの力なり知恵なりを持っている奴を雇いたい。あたしの希望はそれだけよ。実力があっても、やる気がない奴はお断りだわ。それを忘れないで」
最後まで冒険者達の方を向かず、それだけ言うと、彼女はそのまま立ち去っていく。
後には、沈黙だけが残るのであった‥‥。
■ END ■