Russian Labyrinth〜炎の涙〜
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■シリーズシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:8 G 76 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:05月05日〜05月10日
リプレイ公開日:2007年05月18日
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●オープニング
●夜と闇の狭間
夜の葉陰、幾重にも重なる闇のヴェールの向こう側。
鉛色のモノたちがひしめき合い、ざわりざわりと肌が粟立つ不快な声を立てる。
──アレは我らがもの‥‥
──取り戻せ、取り戻せ‥‥
闇よりもなお深い闇の中で、ソレが瞳を開けた。氷雪を思わせる蒼い瞳。
一瞥されたざわめくモノたちが怯えたようにぴたりと動きを止め。
──アレは在るべき主の下へ‥‥
──憎き金と銀を打ち崩せ‥‥
夜陰に溶けるように消えていった。
残されたただ一対の蒼き瞳は、まどろむように降りてきた瞼に覆われて闇に紛れた。
●セベナージ領主ラティシェフ家
人が歩くと空気が動き、燭台の灯火がゆらりゆらりと揺れる。
決して留まる事のない流れを示す炎は闇をも許さぬように輝き続ける。
照らされた部屋には人影が二つ。炎を映してハニーブロンドがオレンジに染まった中年の女性と、栗色の髪の青年だ。
「希望の慟哭、悦びの紅蓮舞う 炎の涙」
青年が古い羊皮紙を指でなぞる。描かれたのは大きな雫型のガーネットを誂えたブローチ。余計な宝飾は少なく、至ってシンプルなデザインだ。
「そのブローチの在り処が特定できたのですか?」
「ええ。僕が医師として取引しているノルマンの女商人ルシアン・ドゥーベルグ。領内の廃村で彼女が入手したようです」
女性──母クリスチーヌ・ラティシェフの言葉に頷きを返すアルトゥール・ラティシェフ。この宝飾品シリーズにデビルや蛮族が関わっていると知ってから、母は意欲的だ。妾腹の長男リュドミール、正室の次男アルトゥール。長男として物心つかない頃から帝王学を学ばされてきた兄は、クリスチーヌがリュドミールを嫌うように、生まれた弟を毛嫌いした。
そして、彼らが望もうと望むまいと、相続争いは発生した──
「貴方の趣味が初めて役に立つわね、アル」
羊皮紙に置いた手に手を重ねて、クリスチーヌが微笑んだ。彼女が自分に何を望んでいるかは知っている。これはチャンスだと考えていることもありありと解る。欲ではなく、彼女を支えているものがプライドと意地だと知っているから、アルトゥールは母の手を離せない。
「話の解らない相手ではありませんし、計算もできます。今後の取り引きとデメリットを踏まえればすぐに渡してくれるでしょう」
(‥‥まったく、我ながら母上には甘いな)
くるくる巻いた豊かなハニーブロンド、自嘲しながらも彼女が望むままであろう答えを返して。そして傍らに置いた『森の揺篭』へ視線を落とした息子の脳裏では、根源的な疑問が鎌首を擡げていた。
(デビルと蛮族が狙う‥‥美術品としての価値ではないだろうけど、さて‥‥)
●ドゥーベルグ商会キエフ支店
店の奥に設えた豪華な調度の部屋。VIPルームらしいそこで、アルトゥール・ラティシェフはカップを傾けた。こくりと嚥下して、秘蔵であろう香りの良い紅茶を称える。
そして‥‥手にしたカップを置くと、含みのある笑みを湛えたままからかうような声色で女商人ルシアン・ドゥーベルグに語りかけた。
「実はね、大きなガーネットのブローチが欲しいんだ」
「どのようなデザインがお好みかしら? アルトゥール様がお気に召すような品は特注か取り寄せになってしまうようかもしれませんけれど」
「在庫はあるだろう? セベナージの廃村から持ち出した特別製のものが」
「‥‥そちらの話なのね」
椅子に背を預け、深く息を吐く。ルシアンを訪ねてきたということは、まだ手放していないことにも当たりがついているのだろう。アルトゥールの読みどおり、ブローチの価値と今後の取り引きを脳裏で計算しているようだ。
「まだ話せるほど具体的な事情は解っていないんだけれども、あのブローチ‥‥というか、あのシリーズをどうやらデビルと蛮族が狙っているらしくてね」
「真っ当な品ではなさそうな組み合わせですこと」
はあ、とため息をこぼし。
「そんなリスキーな品を貴方に逆らってまで商品にしようと思わないわよ」
「物分りが良くて助かるね。もちろん、長い目で見てもらって売却した以上の利は返すよ」
「ありがとう」
損得で考える二人の会話はとてもスムーズで、同席していた店員が目を丸くするほどあっけなく片がついた。
「でも、今手元にないのは本当なの。私が持っているより安全だろうからって、雛ちゃんに預けてあるから。持ってきてもらうように伝えるわね」
「いや、場所だけ聞ければ冒険者に向かわせるよ。手間を取らせて悪いね」
‥‥こうして、冒険者たちに召集を知らせるシフール飛脚が送られることとなった。
●和やかなキエフの日常
雲間からの優しい日差しを浴びながらスキップしている少女がひとり。
風呂敷包みを大事に抱えほんわりと頬を緩めた少女は、名を雛菊という。
「お買い物、お買い物っ。雛の大事なお買い物ー♪」
ジャパン人だと解る独特の服装は夜空の濃紺。闇を吸い込んだような漆黒の髪と瞳に桜色の玉簪がよく映え、彩りを添えている。愛くるしい大きな瞳と仕種に、道行く人も振り返って頬を緩める。
「こんにちは、お買い物かい?」
「こんにちはーなの。雛の内緒のお買い物はもう終わったなの。これから、冒険者のお兄ちゃんとお姉ちゃんに会うなのよ〜♪」
どこが内緒か詳しく聞きたくなるが、それはさておき。
──手を振って別れた少女が路地を曲がったところで、事件は起きた。
『見つけ、タ‥‥!』
『──!!』
たどたどしいジャパン語。本能の柔肌を鮫肌で舐め上げられるような根源的な不快感。反射的に少女は隠し持っていた小柄を逆手に構えた! そして素早く懐に飛び込むと、刃を眼窩に叩き込む!
『ゲゲ、効かネぇ!!』
耳障りな嘲笑。改めて見れば鉛色のそれらはデビルに他ならなかった。頭で理解するより先に小柄を棄て、髪を纏めた簪を抜き取ると、
『効かネ‥‥ぇ?』
油断した鉛色のソレの、反対の瞳を串刺しにする! のた打ち回るデビルを、冷徹な眼で見下ろした少女は止めを刺そうと抉り取った眼球を抜くこともなく簪を振り上げ──その瞬間、隠れていた2体目の鉛色が風呂敷包みを奪った!
『だめ!! それは、雛の大事な‥‥っ!!』
『──赤いアレを、寄越セ』
淡い黒い光を発し、デビルは少女に『命じた』。魔法と言葉の強制力に抗えず、少女は‥‥隠し持っていたガーネットのブローチを、素直にデビルへと手渡した。
耳障りな笑い声を残して、隠れていた数匹の仲間と共に白や鯖虎、灰や黒など様々な猫へと姿を変えると、デビルたちは雑踏の中に逃げ出していった。少女は悔しそうに唇を噛み締めて‥‥滲んだ血にも気付かず、拾い上げた風呂敷包みを強く強く抱きしめた。
雲間からの優しい日差しは、涙と血を滲ませた少女を変わらず抱きとめていた。
日差しの穏やかだった、ある春の日の一幕は──激動の序章にすぎなかった。
●リプレイ本文
●襲撃された少女
風呂敷包みを抱き締めて悔しそうに唇を噛むのは一人の少女。
「雛ちゃん! どうしたんです!?」
「ちまっと探検隊の宝物、持って行かれちゃったのよ〜‥‥」
「ちまっと探検隊?」
少女と顔見知りらしいミィナ・コヅツミ(ea9128)が一目散に駆け寄り、膝をついた。噛み締めすぎた唇以外に怪我が無いことを確認し、一先ず安堵の息を零す。少女から毀れた言葉にシュテルケ・フェストゥング(eb4341)が首を傾げた。ギルドでそんな報告書を見たことがある、ような気がする。
「宝物って?」
「赤い宝石がくっついた、飾り物なの」
「ええ、それってまさか!? って、この子が雛ちゃん!?」
炎の涙をこの少女が持っていたことに驚き、それが想像していたよりも幼い少女だったことに再び驚いてシュテルケは目を丸くした。同時に、こんないたいけな幼子を急襲した何者かに苛立ちを感じずにはいられない。シュテルケの認識では、いや恐らく世界でほぼ共通する認識として、幼子は守らねばならない存在なのだから。
「雛菊、大丈夫だ。皆で取り返せばいいだけだ」
雛菊(ez1066)の頭を大きな手で撫でたヴィクトル・アルビレオ(ea6738)は、その衝撃があまり大きくないことに気付いた。彼女が本気で取り戻そうとすれば幾らでも追いかけようがあるだろう。
「‥‥『仕事』ではないのか?」
尋ねたヴィクトルへ雛菊は1つ頷いた。
「あのね、雛、他のお仕事で忙しかったの。だから、持ってるだけでいいって、拾っただけの物だから頑張らなくていいって言われたなの」
少女の濃紺の服装から『仕事』が触れてはならぬ忍びの仕事だと察したシオン・アークライト(eb0882)は──予断だが、流石にその服がヴィクトルの手作りだとまでは気付かなかった──雛菊にとって優先順位が低かったのであろう『炎の涙』について尋ねた。
「奪って行ったのはどんな人か、聞かせてくれるかしら?」
「あのね、人じゃないなの。デビルだったのよ」
「そんな‥‥もうデビルが!?」
フィーナ・アクトラス(ea9909)が短く悲鳴のように声を荒げ、シオンもデビルの行動の早さに舌打ちする。
「今度は、追う立場になりますね‥‥」
前回は奇襲を受け、6つの宝玉の1つを奪われた。立場が逆になったと呟いたスィニエーク・ラウニアー(ea9096)に、真幌葉京士郎(ea3190)も頷いて愛剣の鍔を鳴らした。
「ねえ雛菊、どんなデビルだったか覚えてる?」
「鉛色の‥‥えっと、雛知ってるの、インプってゆーの! 一匹だと思ってたら、すっごく沢山だったなのね」
「炎の涙を持って逃げたの?」
できるだけ詰問口調にならぬよう心掛けたシオンに頷いた雛菊は、思い出しながら彼女なりに一生懸命状況を説明する。
「全部猫さんに変身して、あっちに行ったのよ〜」
「猫‥‥」
愕然と言葉を失ったのはシオンだけではない。この広く人々でごった返したキエフで、たった1匹の猫を見つけることがどれだけ大変なことか。しかも相手は姿を変える可能性も、キエフの民に襲い掛かる可能性も秘めている。確実性と迅速さが求められていた。
「炎の涙の護送が、デビルとはいえ猫探しから始まるとは思わなかったな‥‥」
思わず漏れた京士郎の本音に頷き、エルンスト・ヴェディゲン(ea8785)はバックパックからスクロールを1つ取り出して広げた。数分前の情景がエルンストの前に展開される。
「猫は10匹。問題の猫は毛並みが灰色で瞳がブルー。ブローチをくわえたまま貧民街へ向かったようだな」
必要な情報だけをしっかりと『視』ると、エルンストは手早くスクロールを丸めてバックパックへと戻した。
●追撃:第1幕
仕事に向かわねばならない雛菊から、とりあえず匂いを覚えさせてもらったエルンストのゼロ、フィーナのデノブ、スィニーのクルイーク、ヴィクトルのトゥマーン、ミィナのシルバリオスが大地に四肢を張り、風や大地の匂いを嗅ぐ。その間に飼い主である冒険者たちは手早く話し合い、攻撃方法や装備、使用できる魔法、ペットなどを総合しフィーナ、ヴィクトル、エルンスト、シオンが1班、京士郎、スィニエーク、シュテルケ、ミィナが2班と念入りに、実にバランス良く2班を形成した。
冒険者よりは遥かに鋭敏な嗅覚を持つ犬たちだが、当然ながらそれも種類によって個体差がある。狩猟に向いたボルゾイや隠密としての訓練を受けている忍犬に多少の利があるのか、ぴくん、と一寸早く流れた匂いを嗅ぎつけたのは、それら3頭だった。ちなみに狩猟用の犬は好奇心と自立心が強く、同じだけの絆を築いた状態であれば柴の方がより忠実に命令を聞く。
「これで騒ぎになったら本末転倒だからな」
引かれ始めたリードをしっかりと握り、犬たちが駆け出さぬよう細心の注意を払うヴィクトル。
「‥‥二手に別れる意味があるのか?」
一人、班分けに言及していなかったエルンストが溜息を零した。5頭の犬は同じ場所から同じ匂いを追っている。雛菊の匂いのする、犬たちが追うべき品は1つしかない──つまり5頭の犬たちは全て同じ方向に進もうとするわけで。
「匂いが別れることもあるかもしれませんしっ」
慌てて首を振ったミィナ、その可能性が低いだろうことにちいさく肩を落とした。こんな状況下で都合よく詳細な市街の地図が手元にある訳もなく、バックパックのダウジングペンデュラムも残念ながら使えないだろう。
「それはそれとして、だ。インプの特徴について詳しく教えてもらえるか」
見かねた京士郎がフォローを兼ねて声を掛けた。高位のデビルともなれば詳細に知る者はまずいないだろうが、インプであれば詳しい者も比較的多い。ここではミィナとヴィクトルが熟達しているようだった。
「インプは下級のデビルです。デビルが共通して持つと言われる通常の武器への耐性、他の生物への変身、多彩な言語、の3つの能力を持っていますね」
「なんにでも変身できちゃうのが厄介だよな、ちょっと前に会ったのはエルフに化けてたし。・・・、・・・・・・」
彼が遭遇したインキュバス=サッキュバスはエルフに変身していた──そのあられもない姿を思い出しぼふっと赤面したシュテルケに、スィニーはくすっと小さな笑いを零す。
「それから、魂の一部を抜き取る能力もあるな。その他にデビル独自の魔法を使う。フォースコマンドやエボリューションが有名なところだな」
「悪意ある悪戯を好みますが‥‥高位のデビルの使い魔をしていることも多いと言われています」
周囲の人々に聞かれぬよう声を潜め、二人のクレリックはそう締めくくった。
「下級の使い魔、という事は確実にそれを操るものが暗躍している‥‥という事か」
「確実に、ではありませんが‥‥これだけ組織立っていれば、その可能性が非常に高いでしょうね」
考えたくはないし、自分たちがどんな事態に巻き込まれているのか、その片鱗も知らぬ。しかし、とてつもなく強大な事態に巻き込まれていることだけは──誰もが、肌で感じていた。
●幕間
人々の足元を駆け抜けていく沢山の猫。
驚いて足を止める者、バランスを崩し尻餅をつく者、慌てて引き返す者、全く厭わぬ者。人々の反応は様々だった。
「ふぎゃ!!」
「痛ッ!! ご、ごめんね」
長い尾を踏まれ飛び上がった猫がバリバリと踏んだ者を引っかいた。驚いて取り落としたバスケットが地面にひっくり返り、足止めを食った猫たちは足を止めた。
「大丈夫‥‥?」
踏んだ尾ではなく傷付いた片目に伸ばされた手をガブリと噛み、猫は落としたブローチを銜えなおして駆け出した。しかし、ぶちまけられた荷物と拾い集める人物を眺め、足を止めている猫が3匹──
──ギギ‥‥見つけタ。鍵、見つけタ‥‥
決して聞き取れない、強いていうならテレパシーに似た方法で、その情報はその場にいた『猫』たちに染み渡っていく。
そして3匹の『猫』は人気の無い路地裏で人波に紛れ、散っていった。
●追撃:第2幕
「羽ばたいたわ!」
シオンの声が短く告げる。宝石の中で小さな蝶がゆっくりと羽ばたいていた。ぐるりと見回すと少し先の路地から猫が4匹、冒険者を振り返っていた。
「あれかな」
シュテルケが仲間たちを振り返る。探査系の魔法はいくつも用意してきたが、スィニーが先ずブレスセンサーの呪文の詠唱を開始し、
「それは意味がない」
ヴィクトルに止められた。
「変身したデビルは偽りでも呼吸をするからな、ブレスセンサーでは感知できん」
そのヴィクトルがデティクトライフフォースの詠唱を始めると、
「あの、それも意味が‥‥」
今度はミィナがストップをかける。変身したデビルは偽りながら生命活動を行うためデティクトライフフォースには反応を示すのだ。
「あの‥‥スクロールでも良ければ‥‥リヴィールマジックがありますけれど‥‥」
そっと提案するスィニーの言葉に、二人のクレリックは首を振った。デビルの変身は彼らの特殊能力であり、魔法ではない。デビル魔法トランスフォームで変身させられた者であれば見分けは付くであろうが、少なくとも猫に変身している間は呪文の詠唱が行えずそうして巻き込まれている者がいる可能性はきわめて低いだろう。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「つまり、手詰まりってこと?」
冒険者を支配した静寂をフィーナが破った。
「残念だが、そのようだ」
「いや、まだ手はある。出来れば使いたくはなかったがな」
頷いたヴィクトルの言葉を否定し、エルンストはスクロールを取り出した。ムーンアローのスクロール──街中での攻撃魔法は好ましくないと知っていたし、ダメージが小さいため逃げられる可能性も高い。何より、デビルでなければダメージは己の身に降りかかる。できれば避けたかった、最後の手段。
「‥‥手伝います」
スィニーの好意をありがたく受け、エルンストは一番近くのデビルを指定しながらスクロールを読んだ。
銀色の矢が、猫に突き刺さった!
「任せろ!」
小柄なシュテルケが人波をすり抜ける! イシューリエルの槍が閃き、逃げようとした猫を貫いた!!
「きゃああああ!!」
周囲の悲鳴を他所に、血を流すでもなく、暴れる猫はシュテルケを睨む。
「その猫はデビルよ、逃げて!!」
叫びながらフィーナの投じたダガーはシュテルケに貫かれた猫を切り裂く!!
「風の鋭き刃、悪しき者どもを切り裂け!」
エルンストの放ったウィンドスラッシュが猫を切り裂き、スィニーが指定した「2番目に近いデビル」で飛び掛ろうと身構えた猫が貫かれた。4匹ともデビルであることを確認し、スィニーはスクロールをエルンストに押し付けた。
「ここは私たちが‥‥」
「行け、エルンスト! 紅の涙に手が届かなくなる前に!」
「悪いわね、任せるわよ京士郎。フィーナ、ヴィクトル!」
貫いた猫からティールの剣を抜き身を翻すシオン。呼ばれた二人は視線を交わし、互いの愛犬に再び追跡を命じた。
4人の姿はあっという間に見えなくなり、それをチャンスと考えたのだろうか、不利を悟った4匹の猫はインプの姿に戻り逃走の姿勢を見せた。そうはさせまいとスィニーの放った雷光が空を焦がし、ミィナの聖光が仲間を守りデビルの力を削ぎ落とす。そして旋回していた京士郎の舞雷が遊撃の奇襲を掛ける! 2本のアンデッドスレイヤーとシルバリオスが3匹のインプを仕留めるまで、そう時間は掛からなかった。
「止めだ!!」
「京士郎さん、ちょっと待って!」
瀕死の4匹目に止めを刺そうとした京士郎を止めたのはシュテルケだった。京士郎と同様にインプに槍を突きつけて、じっと見つめ、声を潜めて甘い言葉を囁いた。
「デビルって人と取引をするんだろ、俺と取引をしないか? 誰に頼まれてブローチをどこに持って行くつもりだったのか素直に教えてくれたらここは見逃してやってもいいぜ」
悪い話じゃないだろ、と無邪気な笑みを零すシュテルケ。
「ぐぎぎ‥‥何モ知らナイのか、お前‥」
「話すか話さないか、選択肢はそれだけだぜ?」
肩口に槍を突き立てる。そのまま回転させると傷口がぐちゃぐちゃと音を立てて抉れた。
「主サマ、主サマに頼まれテグリマルキンのところまでダ」
媚びるような下卑た笑みを湛えたインプに吐き気をもよおしながら、シュテルケは槍を抜いて更に尋ねた。
「主って誰だ?」
「‥‥アバドン、サマだ」
カラン、と乾いた音がした。スィニーが振り向くと、ヘルメスの杖を落としたミィナががくがくと震えている。顔からは血の気が失せ、彼女らしくない蒼白な色を浮かべていた。そっと手を握ると縋るような視線を送られた。
アバドンがどこにいるのか、それを尋ねても明確な答えは引き出せなかった。どこへ持っていくのかを改めて尋ねても答えは同じ。地名を知らないか、話す気がないのか、それとも地名すらない土地なのか。遠く、とひどく曖昧な答えを何度も返すインプにこれ以上尋ねても無駄だろうと、シュテルケは槍を引いた。
「約束だもんな」
次の瞬間、羽ばたこうとしたインプを京士郎の槍が貫いた!
「可憐な少女を傷つけた罪、その身で償って貰う」
目を見開いたままさらさらと崩れていくインプへ、シュテルケは微笑んだ。
「俺は約束守ったもんね」
ただ逃げるだけならば『猫』たちは散ればよい。しかし守るべき者があるという慣れぬ状況が猫たちの足を引っ張っていたようだ。キエフの町から抜け出すより早く、明るく照らす太陽が沈むよりも早く、冒険者たちは『猫』を発見した。
「絶対に逃がさないわよ!」
デビルであることを確認するためにエルンストの放ったムーンアローを追い、フィーナのダガーが宙を裂く。
行く手を遮るように、主が放したリードを引き摺ったまま、犬たちが行く手を遮るべく回りこむ。
──ピィィィーーー!!
力いっぱい吹かれた呼子笛の音に押されるようにスレイプニルが駆ける!
「悪いけれど、それを奪われるわけにはいかないの。それに、デビルを生かしておくわけにも、ね」
馬上からシオンの剣が振るった一撃は命ではなく、武器を落とさせる為だけに磨いた技。狙い通りに落とした炎の涙を慌てて拾おうとした猫を、地面に縫いとめる程の鋭い突きが襲う!
「デノブ!!」
フィーナの声に反応したセッターが炎の涙を掠め取った!
「トゥマーン、ゼロ! デノブを守れ!」
ヴィクトルの声に犬たちは警戒を敷く。
ヴィクトルのブラックホーリーとシオンの剣、フィーナのダガー、エルンストのウィンドスラッシュが波状攻撃となり、連携を知らぬ猫たちには成す術がなかった。
すぐにインプたちが鉛色の正体を現したが、ヴィクトルに魔法を封じられ、フィーナのダガーにことごとく逃走を阻害され、挙句の果てには増援も到着し。
圧倒的な力の差を以って冒険者たちがデビルをねじ伏せたのは、雛菊が襲撃にあってからほんの数刻後のことだった。