【道を継ぐ者】夢へ至る書

■シリーズシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:普通

成功報酬:6 G 10 C

参加人数:8人

サポート参加人数:5人

冒険期間:08月25日〜08月31日

リプレイ公開日:2008年09月05日

●オープニング

●女帝来訪
 アルトゥール・ラティシェフから久方ぶりの連絡があったのは、前回の呼び出しから二ヶ月程が経過した夏の日。
 過ぎ去った月日は、噂が噂で無くなるのに十分な時間でもあった。
 ──現領主が引退し、アルトゥール・ラティシェフが正式に領主となる。
 噂でしかなかったはずの情報は、就任式の報せという形をとって冒険者の耳にも届いた。それは、優秀な医者であり、薬学者でもあったアルトゥールの望む道が完全に断たれたというなによりの証。もう、彼に退路は残されていない。
 老いてもいない領主が引退するのは、領内で発生した一連のデビル騒動の責を負うというよりも‥‥夫人の背後にいるエカテリーナ大公妃の影響が大きい。大公妃は現在の領主よりも、自分に近しい思考回路と柔軟な発想力を持つ甥に、国王への牽制役を課したかったのだろう。
 それはただの推測でしかなかったが──遠方であることを理由に嫌いな国王の前に姿を見せぬ女帝が、古き家系ではあるが、たかだか一領主就任式のためだけにキエフ公国を訪れている事実が、更なる憶測を招いていた。
 邸内で唯一心安らぐ空間。誂えられたソファに寝そべるアルトゥールの眉間には、見ることの少ないシワが現れていた。従兄弟の身を案じ、ペトルーハことピョートル二世はハーブティーの香るカップを置いて語りかける。
「母上に気兼ねする必要はないですよ、アル」
「伯母上の機嫌を損ねるなんて愚挙は犯したくない。古き貴族とはいえエカテリーナ様に睨まれれば影響は小さくないだろう?」
「‥‥すみません」
 ペトルーハが謝ることじゃないだろう、とアルは肩を竦めた。しかし、その胸中は穏やかではない。あるはずの猶予は奪われ、しかし冒険者との距離は縮まっていない──その事実が、アルの心を急かす。
「ピョートル、伯母上にうちの騎士だ楽師だと紹介できる人はいると思うかい?」
「冒険者として紹介する分には構わないと思いますよ。グリゴーリーの影響か、母も最近は冒険者を見直していますし。けれど、ここの者として、となると‥‥アルが紹介できると思っているのも数名でしょう?」
「まあね。騎士とするからには僕と領地を優先して考えられなければ困るし、薬学者として継ぐのなら多少のリスクを省みず薬を優先してほしい‥‥高望みじゃないと思うんだけどね?」
 今度はペトルーハが肩を竦めた。薬至上主義のアルトゥールの望みは、彼の目から見ると高望みに見えなくもなかった。
 確かに、表立って現れないハーフエルフ至上主義思考はロシア王国に漫然と広がるものであるからまだ理解もされようが‥‥彼個人の嗜好となれば、余程彼に思い入れを抱く者でなければ理解できまい。彼の家族のように、理解しようという努力すらしないだろう。
「まあ、紹介すれば意外と伯母上のお気に召す者もいるかもしれないし、やる価値はあるかな‥‥」
「アルトゥール様!」
「反論は聞かないよ、ヴァレリー。時間を惜しむならリスクを背負うのは仕方のないことだろう? 納得してもらえなければどこに影響が出るか‥‥それくらい考えの回る者たちだと信じてみることにしよう」
 声を荒げた近衛騎士に冷ややかな視線を投げる。余裕がないのは彼自身であろうに、その眉間からはいつしかシワが消え、その表情はどこか他人事のようにもみえた。
「警備も足りているし、料理人も足りている。足りないものは何だと思うかい?」
「薬師と答えさせたいのでしょう? けれど、それだけの知識が彼らにあるのですか」
「今まで薬物の調合について調べてきた僕の研究資料を貸すつもりだ。必要な薬について‥‥いや、僕の知る全てについて、余すところなく載っているからね」
「それならば構わないのではないでしょうか」
 従兄弟殿の言葉に笑んで、アルトゥールはヴァレリーにギルドへ依頼を届けるよう指示を出した。

 ──就任式の間、薬師として控えるように、と。それだけの依頼だった。

●就任式の準備
 いつになく賑やかな邸内。それは就任式とそれに伴うパーティーの準備のためだった。
 ドゥーベルグ商会から届けられた食材は新鮮で見るからに美味しそうで、料理人たちの心は浮き足立つ。
 片や騎士たちは、訪れたエカテリーナ大公妃やその近衛騎士グリゴーリーらの視線を感じて常日頃以上の緊張感を漲らせていた。
 エカテリーナ大公妃は穏やかな微笑みでそんな騎士らを労いながら、傍らのグリゴーリーへ囁く。
「ふふ、アルトゥールは面白いモノを飼い始めたらしいわね」
「エカテリーナ様‥‥此度の来訪は就任の儀に伴うもの。お戯れはお控えください」
「見定めるのもわたくしの仕事ではなくて?」
 ころころと楽しげに笑う大公妃にそれだけの分別が欠けているはずもなく、いつも通りの杞憂で終わるのだろうとグリゴーリーは続く言葉を飲み込んだ。

●今回の参加者

 ea3026 サラサ・フローライト(27歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea3947 双海 一刃(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 eb5612 キリル・ファミーリヤ(32歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb5631 エカテリーナ・イヴァリス(24歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb5758 ニセ・アンリィ(39歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)

●サポート参加者

ゴールド・ストーム(ea3785)/ イリーナ・リピンスキー(ea9740)/ ファラ・アリステリア(eb2712)/ シャリン・シャラン(eb3232)/ 鳳 令明(eb3759

●リプレイ本文

●揺れる馬車──初日
 馬車の振動が身体に伝わる。
「アルトゥール様‥‥」
 晩夏の陽光に似合わぬ翳りを帯びた表情を浮かべるキリル・ファミーリヤ(eb5612)の隣には、苦笑いを浮かべるミィナ・コヅツミ(ea9128)の姿があった。
「落ち込んじゃ駄目ですよ、キリルさん」
「まあ、当然の対応だが‥‥」
 ぼそりと呟かれた双海一刃(ea3947)の一言に、また落ち込むキリル。ラティシェフ家の紋を抱く馬車にぞろぞろと冒険者が乗り込むことなど許可されようはずがなく、用意された二台目の馬車が冒険者へと宛がわれた。アルトゥールの乗る小ぶりで豪奢な馬車に比べ、冒険者が乗るのは大雑把で大柄な馬車。それでも乗合馬車に比べれば随分と乗り心地は良く、恥じぬ程度の装飾が施されていた。送迎用に使っている馬車だろうか。
 ちなみに、アルの馬車は近衛の一人が御者を勤め、前後左右をきっちりと騎馬が固めている。末席に馬を連ならせたシュテルケ・フェストゥング(eb4341)は彼らから少しでも学ぼうと、一挙手一投足を真剣に見つめていた。
 同様に、少しでも学ぼうとする者は馬車の中にも──‥‥
「お目にかかれて光栄です。私はサラサ・フローライトと申します、以後お見知りおきを」
 ‥‥こんな感じか? 尋ねたサラサ・フローライト(ea3026)へ、即席礼儀作法教室を開いていたカーチャことエカテリーナ・イヴァリス(eb5631)がアドバイスをひとつ。
「もう少し笑顔を浮かべた方が好感を持たれると思います」
「え、笑顔か‥‥」
「カーチャさんもダナ」
 楽しげに笑う生徒のひとり、ニセ・アンリィ(eb5758)の言葉にカーチャは大真面目に頷いた。
「ええ、私にとっても課題です。皆さんが簡単そうになさるのが不思議で仕方ありません」
「騎士の方ならば、笑顔がなくても真摯な印象を与えられると思いますよ?」
 フィニィ・フォルテン(ea9114)の咄嗟のフォロー。ならば私はなおさら努力せねばな、とサラサはぎこちない笑顔を浮かべた。

●羊皮紙の山──二日目
 『薬師』として控えることこそが依頼──故に、騎士たちへと挨拶をした一行は、会場から少し離れた一室を宛がわれた。
 騎士によれば、その部屋は、様々なパーティーから早々に退いたアルトゥールが薬師として控えるという名目で使用してきた部屋らしい。室内には、研究場所である離れと比較すれば遥かに少量ではあるものの、それでも豊富な薬草が揃えられていた。体調不良を訴える客人がいればすぐに通されることだろう。
 この部屋とは別に遠い客間も用意されていたのだが、『警備』としての観点からこちらを拠点とすることにしたようだ。
 部屋にキリルとニセの姿はない。アルトゥールの近くにいるのだろう。
 一刃やカーチャも邸内の確認と称し席を外している。
 部屋に残るのはミィナにサラサ、フィニィ、シュテルケの4人。
「就任式と妨害をキーワードにフォーノリッヂを使っていただいたのですが‥‥談笑しあう国王様と大公妃様が見えたそうですよ」
「‥‥ああ、それは妨害っぽいですね‥‥」
 友人シャリンの言葉を思い出して語ったフィニィに、ミィナは思わず苦笑した。反目しあう二人が表面上だけでもにこやかに談笑しあう、その場の空気はどれほど凍り付いていることだろう。それは確かにある種の妨害に違いあるまい。
「‥‥でも、防ぎようがないですよね」
 溜息を零したのはフィニィかミィナか。
「こっちの羊皮紙は写本用だな、何も書いてないや。薬草は全部、壷の中に名前を書いた木片が入ってる」
 確認していたシュテルケが声を上げると、サラサは数枚の羊皮紙を差し出した。
「これは目を通しておいた方がいい。基本的な処置が書かれているようだ」
「うわ、ありがとっ。写本も手伝えることがあったら言ってくれよな、頑張るから」
「もちろん、そのページはお願いするつもりですよ。ね、サラサさん」
 渡された羊皮紙には所狭しと文字が躍る。片手には収まらない枚数は、全体に比べれば圧倒的に少ないのだが‥‥それでも普段文字に親しまないシュテルケにとって頭痛を感じるには充分な物量だった。
「何かお手伝いすることはありますか」
「カーチャさん!! ‥‥半分手伝ってくれないかな」
 ひょっこりと顔を出したカーチャに助けを求める少年に、フィニィとミィナは顔を見合わせてぷっと吹き出した。
 羊皮紙は多く、二日間掛かりきりにならねば写本などできあがらないだろう。それは最初から解っていたことだ。
 それでも明日からの二日間に向けて、夜が訪れる前に少しでも進めておこうと彼らは手に手にペンを取ったのだった。

●深夜の邂逅──二日目
 ──夜。
 何より、運び込まれた研究資料は警備にかまけていれば目を通しきらぬほどで、サラサは細い月明かりと控えめに灯した燭台の明かりを頼りに、窓辺に腰掛け読み耽る。
「英雄譚よりつまらないだろう?」
 研究資料に没頭していたサラサは、不意の声に振り返った。
「アルトゥール‥‥さま」
「興味があるかい?」
 取ってつけたような敬称に興味は示さず、ゆるりと歩み寄りながら笑みを含ませ尋ねた。
 けれど、その瞳には真剣な光が覗いていて‥‥サラサは立ち上がり、正面からアルトゥールを見つめ返した。
「音楽で心を、薬学で体を癒せるように、より多くの者がより良く生きられる助けになりたい。その為の知識が欲しいし、学びたい」
「いい答えだね。写本作りは知識を蓄える上で有益だ、足りないものがあればいくらでも言うといい」
 飾り気の無い言葉。意識はしていなかったが、本心が真っ直ぐ伝わったのだろう。
 それ故に放たれたエールの言葉に、サラサは貪欲に喰らい付く。
「強いて言えば教師が」
 驚きを滲ませたアルトゥールは、楽しげに、満足げに、笑みを湛え‥‥右手を差し出した。
「言うね、サラサ。時間が許す限り足は運ぼう。その代わり、助手と呼べるレベルまで叩き上げる」
 それこそ望むところです、と応じたサラサの表情には、あれだけ努力しても巧くいかなかった微笑みが浮かんでいた。

●式典の霹靂──三日目
 正式にセベナージを拝領するには国王の存在が不可欠。だが、このご時勢に国王が王宮をそう空けるわけにもゆかぬ。数日前にキエフに訪れたアルトゥールの用件は国王に拝謁することであり、セベナージを拝領することだった。本日行われる就任式は先日の就任式をなぞるお披露目である。ちなみに、国王の代役を前領主マルコが務める。
 式典の会場となるのは領主居城の一角にある礼拝堂。列席しているのは近隣の領主や有力商人、領内の街や村の代表者などである。そんな中、付き従う騎士の存在からだろうか‥‥異彩を放ち目を引くのはチェルニゴフ公国のヤコヴ大公、ノブゴロド公国のエカテリーナ大公妃、彼女の息子ピョートル二世の三名だった。
 静謐な空間が集まった人々の為に蒸し暑い空間となっている。ジーザス像の前まで歩み出たアルの前にマルコが立ち、朗々と声を張り上げた。
「汝は臣として──」
 ざわり。
 場を中断させるように、空気が動いた。現れたのは──
「ウラジミール様」「国王‥‥?」
『ウラジミール国王陛下、ご本人です』
 キリルとニセが視線を交わす。脳裏に届いた声は外で待機するフィニィのもの。
「構わぬ、続けよ」
「そういう訳にはまいりませんわ」
 穏やかながら有無を言わせぬ強さを滲ませた大公妃の言葉にマルコは深く頷いて場を明け渡す。鋭い視線を走らせた国王は、重厚なマントを引きずりながら膝を付くアルトゥールの正面に立った。
「汝は臣として余に忠誠を誓えるか」
「はい」
 礼式に則ったやり取りが繰り返される。剣が両肩に振り下ろされ、下賜され、そして宣誓──
「──この魂は領地と領民に捧げる」
 最後の誓いを終えたアルトゥールに、割れんばかりの拍手が捧げられた。

●列席の貴賓──三日目
 会場を領主居城に移し、祝いの宴と演目が変わる。
「さすがに緊張しますね‥‥」
 キリルの背筋を冷たい汗が流れる。アルトゥールの正面ではノブゴロドの大公妃エカテリーナとキエフ公国大公でありロシア王国国王でもあるウラジミールが穏やかな笑みを湛えて見詰め合っていた。ふと見れば、シュテルケはそんな貴人の様子にも気付かぬほどガチガチで、その姿がキリルを冷静にさせた。
「落ち着いていれば、あなたなら粗相はしませんよ。大丈夫です」
 穏やかな笑みで支えられ、シュテルケは白くなるまで握り締めていた手をなんどか開閉させた。じっとりと汗ばんでいる。
「ご紹介します。神聖騎士のキリル・ファミーリヤと‥‥騎士見習いのシュテルケ・フェストゥング。私の最初の仕事は彼の騎士叙勲となるかもしれません」
 キリルの胸中に苦い思いが滲む。そんなことは表に出さず、姿勢を正して自身の名を名乗る。
「ご紹介に預かりました、キリル・ファミーリヤと申します」
「シュテルケ・フェストゥングで‥‥と申します、よろしくお願いします」
 真似てシュテルケも姿勢を正す。そんな二人に、雲上の貴人の目が止まった。
「あら、貴方とは縁があるようですね」
「勿体無いお言葉、ありがとうございます。頂いたスカーフのご恩は忘れません」
「アルトゥールの為にも領民の為にも尽力するが良い」
「はいっ、ありがとうございます!」
 キリルと言葉を交わしたエカテリーナ、シュテルケに声を掛けたウラジミール。それぞれが別の方向へ去っていったのは場の雰囲気に気を使ったからかもしれないが──真相は謎である。
「ある意味、仲がイイのかもしれないナ」
「そうですね。僕としてはもっと仲良くなってほしいのですが」
 呟いたニセに、ピョートル二世‥‥ペトルーハが苦い笑みを浮かべた。
「公国ノ特徴モ正反対、損得モ相対スルとナレバ仕方ないかもナ」
「立場を超えて成立する友情というのもあるのですけれどね」
 ペトルーハはゴブレットを手ににこりと微笑んだ。
「貴方が騎士になるというのなら、僕は応援しますよ」
 二人の間に確固たる友情が築かれていることを知る者は、まだ、少ない。

●女帝と騎士──三日目
 許可を得て予てより用意してきた‥‥現れたアバドンに、リュドミールとアルトゥールが協力し戦った様を歌詞とした歌を披露していたのはフィニィである。
「思ったより腕の良い楽師だったわけだ」
 歌い終えたフィニィにグレープを絞ったジュースを差し出して、アルトゥールは片頬を上げた。
「貴方が見つけた吟遊詩人かしら?」
「冒険者ですよ。領民の傷を癒す為に歌ってほしいとも思いますが」
 声の主を振り返ったアルは、そう告げた。
「そう、冒険者にしておくには惜しい腕だものね」
「勿体無いお言葉、感謝いたします」
 軽く膝を折り頭を下げた、その頬に滑り落ちた髪を掬い上げてエカテリーナは微笑む。
「‥‥髪はアップにした方が似合うのではなくて?」
「ありがとうございます。けれど‥‥」
 曇った表情に、エカテリーナは小さく溜息を零し、竪琴に添えられていたフィニィの手を取った。
「辛い思いをしたのね‥‥。貴方が髪を結い上げられるよう、わたくしたちも弛まぬ努力をしなくてはいけないわね」
 声を詰まらせる柔和な女性の言葉に嘘は無い。だからこそ、フィニィも鼻の奥がツンと痛んだ。
 邪魔にならぬよう少し離れても、その傍らの大公妃から眼を離さぬグリゴーリーは、女性と言葉を交わす主の息子へと歩み寄った。
「アルトゥール様があれだけ望まれていた道は‥‥」
「いい後継者を見つけたのだよ」
 控えめに訊ねた母の近衛グリゴーリーへ、ピョートル二世が笑いかける。
 彼が指し示したのは、具合の悪そうな男性を介抱するミィナだった。
「彼女はミィナ。それから、別室で控えているサラサ。どちらも薬草についての造詣は深い、彼の‥‥今はまだ助手だが」
 触診しながら症状を尋ねる。それが警戒していた毒とは酷似していないことに安堵する様も、カーチャと共に男性を会場から連れ出す様も、在りし日のアルの姿に重なるものだった。

●忍び寄る闇──四日目
 小さな物音を聞いた気がして、一刃はそれとなく深夜の会場を後にする。気配を消すのはお手の物、会場から一刃が消えたことに気付いたのは仲間と一部の騎士くらいだろう。
 昨今ではジャパン以外にも忍びは多い。この国にも、両の手では数え切れぬほどの忍びが確認されている。故に彼は、忍びであればこそ侵入可能な場所に当たりをつけていた。音は、そのうちの1箇所から聞こえた、ような気がしたのだ。
「来るだろうと思っていた」
「一刃お兄ちゃん‥‥」
 そして──そこにいたのは一人の少女。ゲルマンの血を感じさせる赤毛だが、確信じみた疑惑があった。そして、それは的を射ていた。
 彼が襲撃を警戒していたのは明白で、少女も足を止めた。彼がこの屋敷と──否、アルと関わりを持ったことは少女の耳にも入っていたのだ。一刃の方も、情報が入手されていることは織り込み済み。足を止めたということは、少女のターゲットが少なくともアルではないということだ。
「今日頑張ったら、アルお兄ちゃん、困る?」
「ああ。今日は、それだけ大事な日だからな」
「そっかぁ‥‥それじゃ、また他の時に頑張る」
 今日が特に近付きやすいだけ。地下牢に幽閉でもされぬ限り、近付き難い場所は少ない。命の恩人にそっと借りを返した少女は静かに闇に解けた。
「‥‥一刃お兄ちゃんは、アルお兄ちゃんを主にするの? それとも──」
 一緒に来る?
 その言葉は、ただ彼の耳にだけ届いた。

●招かざる客──四日目
「ふむ、既に国王様は帰られたようですな」
 突如会場に現れた男性に、誰よりも早く反応したのは冒険者だった。
 アルの前にキリル、ペトルーハを庇う位置にニセ。ヤコヴ大公を護ろうと踏み出したのはシュテルケだ。
 確認した避難経路を確保するよう位置を選びながら、カーチャは言葉を掛ける。
「招待状はお持ちですか?」
「なに、祝福のために立ち寄っただけですよ。これでも聖職者ですからな」
 無下にも出来ぬ言葉を吐かれ、左腕のレインボーリボンを押さえアルを振り返る。
「聖職者の仕事は既に済んだ、出直すといい」
 会話の隙に、ニセは水鏡の指輪を使い辺りを警戒する──他の姿は、ない。
「蝶に反応はないそうです」
 サラサから届いた言葉に、どうやら単身のようだと冒険者たちは気を引き締める。それならば、何をするつもりか。
 緊迫した空気を楽しむように仰々しく十字を切り、祈りを捧げる。
「アルトゥール様とセベナージ領に、幸福の種が振りまかれんことを」
「去れ、ラスプーチン」
「御心のままに」
 にやりと笑い、男は悠然と去った。
「‥‥すまない、魔法を使われた」
 追いかけた一刃の結果は芳しくなかったが、それでも彼の一連の働きは領主にとって充分な成果を見せていた。

 だが、男が蒔いたのは何の種か──それはまだ、解らない。