【道を継ぐ者】盲いた墓守

■シリーズシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:10 G 95 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月13日〜09月23日

リプレイ公開日:2008年09月26日

●オープニング

●守人の夜
 鍋の中には夜を迎える暖かいミルク。
 三つ目の壷から木の匙で一杯流し込まれたのは蜂蜜。
 盲いた少年にとって、与えられた小屋と守るべき墓だけが自由に動ける空間だった。

 ──にゃぁ‥‥

 か細い猫の鳴声。
「‥‥猫?」
 少年が首を傾げる。村から外れた丘の上にあるその墓地を訪れる猫など殆どいなかったのだ。
 イスを立って5歩。角度を変えて7歩。右手がドアノブに掛かる。

 ──ギィィ‥‥

 軋んだ音は湿り気を帯びていた。
 耳を澄ますが、何の音もしない。
「‥‥気のせいだったのかな‥‥」

 ──にゃぁ‥‥

「やっぱり猫が? どこかな‥‥おいで」
 しゃがみ込み、手を伸ばしながら小さな声で呼ぶ。

 ──にゃぁ‥‥

 手に触れる柔らかな感触。
 けれど、その体毛は湿り気を帯びていて。
「雨が降るのかな‥‥乾かしてあげるよ。朝になったら出ておいき?」
 喉を撫でるとゴロゴロと低い音を立てた。

 やがて、夜をも塗りつぶすように──強い雨が降り始めた。
 雨音は遠く赤く染まる街から漂う香りを消してしまう。
 そして少年の盲いた瞳は、空を焦がさんと燃え上がる炎を映すことはなかった。


●新たなる領主
 黒い雲が重く垂れ込める空。月明かりは遮られて見えない。
 湿り気を帯びた空気は埃臭く、その臭いは重厚なカーテンに遮られることはない。
 羊皮紙を差し出した騎士の動きに合わせるように、燭台の明かりが緩やかに揺れた。
「‥‥また火災か」
 与えられた羊皮紙をマーブルのテーブルに投げ捨てて柔らかなイスに身を沈めたのは、拝領したばかりの若き領主。
「これだけ続くのならば放火か‥‥犯人の目処は立たず、と」

 領民の家が燃えた。

 家畜の為の干草が燃えた。

 共同風呂が火を放たれた。

 水車小屋が燃やされた。

 そして今日は、教会の礼拝堂に小火が出た。

 比較的大きな村だった。

 その村の外れには、亡き兄の墓がある。墓守は盲いていて、犯人が物音を立てねば気付きもしまい。
「‥‥犯人を捕らえなければな」
「人手を割きますか」
「そうだな、騎士を‥‥いや、冒険者を。犯人の姿が見えないとなれば、彼らの分野かもしれない」
 沈めていた身を起こし、テーブルに投げ捨てた羊皮紙を拾い上げる。
「ヴァレリー、被害の状況を正確に調べてくれ」
 冒険者が犯人を必ず捕らえると信じて、人手と金銭で被害者への支援を行う体勢を整えることに決めた。
「冒険者ギルドに行かないといけないんですよね? 僕が行ってきます、キエフへ行く用事もありますし」
「‥‥悪いね、キミにこんなことを頼める立場ではないんだけど」
「公国は違うけれど、セベナージの領民も同じロシア王国の国民ですから」
 穏やかに微笑んだ従兄弟殿の言葉に甘え、急ぎ、馬車の用意をさせるのだった。

 黒く重い雲は消えることなく、今日も空を塞いでいた。



 幾重にも垂れ込める空の下、招かざる客が村を訪れようとしていることなど、
 ‥‥領主アルトゥールも、騎士ヴァレリーも、墓守テオも、知る由もなかった。

●今回の参加者

 ea3026 サラサ・フローライト(27歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea3947 双海 一刃(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 eb5612 キリル・ファミーリヤ(32歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb5631 エカテリーナ・イヴァリス(24歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb5758 ニセ・アンリィ(39歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)

●リプレイ本文

●闇
 それは深夜の出来事だった。
「あれは‥‥」
 漆黒の中に染み出した紅。
 不意に立ち上がった双海一刃(ea3947)の視線を追ったフィニィ・フォルテン(ea9114)は、目を見張った。今まさに教えていたアバドンの戦禍を連想させる空。急ぎ振り返れば、生徒たるサラサ・フローライト(ea3026)は仲間達を叩き起こしていた。
「急ぎましょう」
 目を覚ましたキリル・ファミーリヤ(eb5612)はバックパックを担ぎ上げた。テントは後で回収に戻れば良い。襲うというのなら夜盗にくれてやる。
「先行くゼ」
 木臼に乗ったニセ・アンリィ(eb5758)が夜空へ浮かんだ。彼を追い、仲間達も夜の街道を走り出す──!
 辿り着いた街では、闇夜を舞台に炎が踊り狂い、沸き立つ煙は炎を映して暗闇を紅く染め上げていた。勢い衰えぬ炎を纏ったのは比較的大きな家屋。悲鳴が飛び交う中、或る者は遠巻きに見つめ、或る者は桶に水を汲んで走る。
「井戸はどこですか。泉でも構いません」
 背後から放たれたミィナ・コヅツミ(ea9128)の声に、人垣が割れる。おずおずと指差された方向で忙しなく走り回るのは自警団だろうか。
「眺めていても消えません。できることをしなさい!」
 左腕のリボンも金の髪も黒と紅に染めながら、エカテリーナ・イヴァリス(eb5631)の凛とした声が住民達を叱責する。
「まだ、まだ中に──!」
「ダヴァイ!!」
 皆まで聞かず、掛け声とともに叩き付けられた大剣が扉を割る。
「ニセさん、失礼します!」
 桶に張った水を躊躇わず巨体へぶちまける。そして自身も水を被り、キリルは炎に巻かれた家屋へと飛び込んだ。
 そうして、駆けつけた冒険者の手により辛くも一人の男性が一命を取り留めた。

●癒
 パタン、と後ろ手に扉を閉める。仮宿たる宿屋の食堂には、数名の仲間が待機していた。
「どうですか、容態は」
「だいぶ煙を吸っているが、命に別状はなさそうだ。今はミィナがリカバーを施しながら様子をみている」
 良かった、と文字通り胸を撫で下ろした手を見習い医師は目聡く捉えた。
「フィニィ、手を」
 井戸での水汲みを手伝った手は擦り切れ、所々血が滲んでいる。作成したばかりの写本を片手に薬草をすり潰し始めたサラサから視線を外し、一刃は荒く息を吐いた。
「早すぎる」
 犯行は予想していたが、このタイミングは予想外だった。崩れた作戦もいくつもある。
「でも、先行ってもらってよかったよ。村長さんに何かあったら大変だもんな」
 皆が徒歩だったら状況は激変していたはずだ。荷物を置いたばかりのシュテルケ・フェストゥング(eb4341)は、そう仲間を労う。
 村長の無事さえ確認すればこの場に留まる必要は無い。火災に遭遇したことで大々的に動く口実もできた。
 多少の調査後に交代することを約束し、ミィナを残して三々五々、村へと散っていった。

●児
 立て続けの火災に怯える子供たちにはリュドミールとアルトゥールを称え歌うフィニィの周りに輪を描いていた。
 歌い終え、拍手を受けるフィニィは子供たちの前にしゃがみ込んだ。
「最近何か変わった事はなかった?」
 視線を交わす子供たち。穏やかな笑みで恐怖心を打ち消そうと試みながら、尚も言葉を重ねる。
「どんな事でもいいの、気になってる事があったら教えてくれない?」
「変わったことはないけど」
 まるで悪いことをしているかのように声をひそめて‥‥
「エレナのとーちゃんが死んだよな」
「かーちゃんたち、自殺って話してたぜー?」
「事故ってゆってたわよ」
 小さな小さな社交の場。飛び出した言葉に、フィニィも声をひそめた。
「‥‥それはいつ頃の話?」
「風呂が燃えた後だよな」
 『エレナのとーちゃん』の風貌を教えてもらうと、気分を変えるためにまた一曲、明るい歌を披露した。

●場
 僅かな情報を探しに現場を訪ね歩く者たちもいた。
 一刃は火元の砂をつまみ臭いを嗅ぐが、人の鼻には限界がある。次いで藤丸に嗅がせると、ぱさ、と尻尾を動かした。
「‥‥面倒な」
 雨の中でも燃えたということは燃料の痕跡の可能性があり、それがなければ逆に魔法の可能性が跳ね上がる。
 先ほど訪れた水車小屋に油は無かった。──だが干草には撒かれていた。その現場によって色々だったのだが、雨が降った日の火災で必ずしも油が使われたわけでもない。
「共通点はナイってコトか」
 やれやれ、とニセは頭を掻く。
「だが、それが情報になる。通常ではない手段とカモフラージュ」
「ソレカ、単独の犯行ではナイ‥‥どっちにしてモ、厄介ダナ」
 石の中の蝶は、未だ静かに羽を休めたまま──‥‥

●視
「特に図形にもなりませんね」
「無関係に見えてなにか縁があるのか‥‥」
 簡易的な地図を描き額を寄せ合っていたカーチャとサラサはどちらからともなく溜息を零す。
「礼拝堂と村長の家はパーストが使えるか‥‥仕方ない」
 何がしかの事件現場を覗くことはトラウマを抱える高い可能性も秘める。サラサにも、未だ忘れ得ぬ惨劇がある。
 けれど──恐れることはできなかった。
「‥‥男が火を‥‥あれは、松明‥‥?」
「どんな男です?」
「顎鬚、赤毛、鷲鼻‥‥それからげじ眉」
「エレナさんのお父さんに似ていますね」
「だが、彼は死んでいるはずだ」
 風呂が燃えた後に命を断ったのだから、村長の家に火を放つことはできない。
「‥‥デビルでしょうか‥‥」
 二人は調査を続行する。漆黒の可能性を胸に秘め──‥‥

●墓
 墓守の家の扉が音を立てずにそっと開いた。じゃり、と、一刃の砂が音を立てる。
「‥‥誰、ですか‥‥?」
「へっへー、俺だよ♪」
 笑って抱き上げた男の顔に触れ、墓守は驚いた声を上げた。
「相変わらず軽いな、ちゃんと飯食ってるのか? 仕事とか一人暮らしには慣れたか?」
「はい‥‥皆さん、良くしてくださるので‥‥」
 立て続けの質問がくすぐったくて少年ははにかんだ笑みを浮かべ、確かめるように友人の顔に触れた。
「そうそう、お土産あるんだ。レフさんからの伝言」
 本当は手紙を届けたかったのだが、ニセの言葉がシュテルケの行動を補正していた。
 ──テオボーイが処刑されてないのが公になるとアルさんにも影響がありそうダゼ。
 案の定、父親は息子が遺体も残さずに死んだと聞いていた。だから──死んだ地に行くが送る言葉はないかと訊ねた。
「それでも父さんはテオのことが大切だし、大好きだぞ、ってさ」
 不意に耳に飛び込んだ懐かしい名と言葉に口を噤む。そんな友を下ろし、掌にシンプルな首飾りを乗せた。
「俺からは聖なる守り。不運を払ってくれるんだってさ」
「それじゃ、僕からも‥‥いつか渡そうと思って、最初に貰ったお給金で買ったんです。シュテルケさんの不運を、払ってくれますように」
 手探りで自分の首に掛かっていたお守りを外し、シュテルケへ差し出した。
 まるで二人の想いのように──瓜二つの首飾りだった。

●神
 現場のひとつである教会には、キリルとミィナが訪れた。
 タロン神を奉じる教会はこれも試練と受け止め、強き心で乗り越えんと熱心に祈りを捧げ、調査へも積極的な協力を約束してくれた。
 けれど、その言葉に甘えたキリルの矢継ぎ早な質問にも有益な情報は見当たらない。夜半の火災となれば、教会は寝静まる。警備など、よほど大きな教会や良家の子女を預かる修道院にしかいないものだ。つまり、目撃情報も物音も何も無い。
「礼拝堂には、やはり蝋台程度しか火元はないのでしょうか」
「ええ。自警団の方に因れば、燃え広がった元は蝋燭ではなくジーザス像らしいのですが、もちろんそんな罰当たりなことをする者もおりません」
「失礼ですけど、この教会は内から塀の閂を外さなければ外部からは入れないようにお見受けします。当日、閂を忘れたなんていうことは」
 ミィナの言葉に首を振る神父。放火が相次ぐ中、そんな無用心なことはありえない。
「そうですか‥‥私達も慎重に調査します、流言飛語に惑わされないよう村の人に注意していただくようお願いします」
 閂を外さずに侵入するための経路は、上空か地中。どちらにしてもその技術を擁する者は限られる。
 二人は礼を述べると、一先ず教会を後にした。

●予
 集まるのは宿。今日は食堂でなく、その一室だった。
「皆一様に、燃え広がってから炎に気付いているのが気に掛かります」
 聞き込みを続けていたカーチャの言葉に、やはり魔法か、と米神を抑える。
「だガ、テオボーイの猫はデビルじゃなかったゼ」
「襲われるのがテオさんの所と限らないですよ?」
「けれど、アルトゥール様の依頼ですから墓陵を疎かにもできません」
「それに、これだけ無差別だと次の予測も立たない」
 ニセに限らず、ミィナやキリル、サラサの言葉も普段より心持ち荒い。それだけ状況が芳しくないということか。
 重い空気を払拭したのは物言いたげにしていたシュテルケだ。どうした、と一刃に促され、胸に抱いていた予測を語る。
「あのさ、干草以降燃やされてるものが少しずつ大きくなってるだろ?」
「そういえば、村長さんのお宅もも大きいお宅でしたね」
 フィニィの表情に明るさが戻ってきた。
「だろ? だから、大きめの建物を中心に見回ってみるのはどうかな」
 他に有益な予測も立っていない。
「組み合わせも考えなければな」
 肝心要の組み合わせについては、誰も、考えていなかった。
 視力に自信のありニセ、一刃、サラサを分けることだけを決め、それ以外の組み合わせについては詳細に決めることなく挑む。
 そして、夜が訪れる──‥‥

●夜
 漆黒の夜が訪れる。浮かぶべき星は暗黒の雲の彼方。
 見回りを決めてから三つの月が沈み、三つの日が昇った。そして僅かに絶望が漂い始めた四度目の月もまた、星と同様に厚き雲のカーテンに覆われていた。
 サラサとカーチャとキリル、ニセとミィナが二手に別れて村の警戒に当たる。それぞれ、しっかりと石の中の蝶を指に纏わせて。片や、月がないことを理由に、フィニィは宿で待機することを選んだ。
 そんな彼らに挑むように、数度目の炎が放たれた。
「‥‥鍋、焦げてない?」
 食堂でチコリの苦味に渋面を浮かべていたシュテルケは宿の主人に問い掛ける。
 ──鍋?
 怪訝な色を浮かべた飼主に共鳴するかの如く、藤丸が低く唸る。
「フィニィ、皆を呼び戻せ!」
「はい! 雲纏いし月よ──」
「うわああああ!」
 ペチカから溢れた炎は天井を焦がしみるみる広がっていく。
「親父さんはお客さんの避難を!!」
 炎の中に漆黒の口を開けるペチカへ、シュテルケは洗い桶の水を叩き込む。
 それでも燃え盛ろうとする炎──煽る風の流れを一刃の眼光は見逃さなかった。
「そこか」
 現れたのは、サラサがパーストで垣間見た男。
「デビルがいます!」
 蝶を確認したサラサの声に、シュテルケの目が鋭く光る。
「お前がデビルだろ! 逃がさないぜ!」
 踊りかかるシュテルケの足元からマグマの柱が屹立する!
「シュテルケ!」
 気遣う声を残しながら、白刃が踊る!
 確かな手応えを感じた一刃の前でニタリと笑った男は、炎を纏って飛び出した!!
「グゲゲ。俺は手を貸しただけ。ダケ!」
 叫ぶ男に銀の矢が突き刺さる!
「何に手を貸したんですか」
 キリルとカーチャ、男の前後を塞ぐ二人には一分の隙もない。
「アイツに、アイツラに。喜ばせてヤッタのさ、俺はイイデビルだからナ!」
「いいえ、デビルは存在自体が罪です」
 三方目の路地にはミィナと、彼女を覆う聖なる結界。そして上空に飛来した臼にはニセの姿。
 諦めたのか、男は炎を纏ったインプの如きデビルへと、その姿を変える──!!
 しかし、本性を現そうとも、炎を撒き散らそうとも、悪意を振り撒こうとも、多勢に無勢は変わらない。
「あの方の声は響いてル。まだ、マダ。これハ始まりダ」
 呪詛の言葉を残し、炎を纏いしデビルは消滅した。

●望
 村に残り治療を続けることを選んだのは三名。
「そういえばさ、カーチャさんは仕官を希望しないのですか?」
「ええ、まだ目標に至っていないと再認識しました。キリルさんやシュテルケさんの方が、私の目標とする騎士に近いですから‥‥少なくともお二人を越えないと」
「あはは‥‥カーチャさんの理想は果てしなく高いですね」
 どこまでも実直なカーチャの言葉に、ミィナは乾いた笑いを零した。彼女の目から見れば、カーチャもまた騎士そのものの姿なのだ。
「ミィナさんは、ウィザードは」
「あたしは魔法も癒しの手段だと思うんですよね。だから、このままの道を歩んでいこうかなとー」
 耳に飛び込む二人の会話。彼らとは袂を別つかもしれぬ選択を秘め、一刃は、理想を抱く二人に淡い笑みを浮かべた。

●報
 インクの匂いがこびりついた執務室にアルトゥールの姿はあった。ノックして解ったことは、山のような羊皮紙を前にした領主の機嫌が悪いということだ。けれど、訪れた4人の冒険者はそれに怯まず、連続放火事件の顛末について報告を行った。
 そして──口火を切ったのはシュテルケだった。
「アルトゥール様、あいつと会う機会を作ってくださってありがとうございます」
 幾重にも重なる羊皮紙から視線を上げず報告を受けていたアルは、視線を上げ、口元を僅かに緩めた。
「偶然の産物にすぎない。まあ、叙勲前に目的を確認できたのならば幸いだ」
「それは私も同じです」
 進み出たフィニィへ、今度は億劫そうに顔を上げる。
「私の歌を、皆さんを癒す為に歌わせてください」
「重要なのは癒そうという意思だ。意思ある者を拒む道理はない」
 投げやりな返答なれど真意は伝わる。丁寧に頭を下げ執務室を出た二人から視線はサラサへ滑る。
「アルトゥール様のご都合で、少しでも技術を身につけたいのです」
「殊勝な心がけだね。それじゃ、今の僕に相応しいハーブティーでも淹れてもらおうか」
 それは僅かな兆候も見逃さぬ注意力を眼力を養う訓練。もちろん、見出した情報に即した調合や適切な手法などの訓練にもなる。そんな思惑に気付かず、けれど何か意味があるのだろうと信じてサラサは席を辞した。
 その姿を見届けず再び羊皮紙に視線を落とし、羽ペンを滑らせる。ニセはペトルーハと積もる話に花を咲かせているのだろう、残る姿はただひとつ。アルは彼へも声を掛ける。
「キリルも下がって良い。それともまだ何か?」
「僕の決意をお伝えしたいのです」
 サインを記した羊皮紙を隣の木箱へ移すと銀髪の青年へ顔を向け、続きを促した。
「おそばにいたいという、僕の自己満足です。でも、僕のすべてをかけて、貴方をお守りしていきたい」
「伯母上の喜びそうな言葉だね」
 次の羊皮紙を手にとり、文字へと視線を落としながら羽ペンを揺らした。
「覚悟は行動で示すといい」
 それ以上の言葉は発されず、キリルもまた執務室を後にした。
 後にハーブティーを届けたサラサだけが、少しばかり機嫌の良くなった師匠の姿を目にしたのだった──‥‥