芸術家の苦悩BR?―嘆きの祭壇―

■シリーズシナリオ


担当:やよい雛徒

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:9 G 96 C

参加人数:14人

サポート参加人数:14人

冒険期間:08月09日〜08月24日

リプレイ公開日:2005年08月20日

●オープニング

『君達は将来僕達と同じモノを守る。女が助かる代償に親愛なる方が犠牲となるんだ』
 そしてその逆も然り。
 かつて故人が残した言葉の断片。呪いとなりて脳裏を掠める。
 其れが果たして何処までのことを指していたのか、今となっては知る由もなく。
 そして時に、闇を知る翁は口々に同じ事を若い世代に語り継ぐ。
「‥‥さん最後に言ったんだ。バースの北や東の貴族達はシキタリに縛られとる。いいか坊主、このパーティに出席した連中は罪人に連なる血筋の末だ。今日の集いに参加した貴族に『情を持っちゃなんねぇぞ。つらい思いをするからな』って」
 長く続きし嘆きの円環。やがて時は容赦なく押し寄せる――‥‥

「その目の傷、一体どうしたと言うんだリミンズ! 誰か、クレリックを!」
 創作活動の為と頻繁に旅行へいってしまう愛しい相手。ようやく戻ってきた大切な音楽家は、息も絶え絶えにキャヴァディッシュ伯爵の胸の内に倒れ込んだ。太刀でやられたような深い傷が片目を潰している。音楽家の残る瞳から溢れるような涙がこぼれ落ちる。
「その声は、私の伯爵様であらせられますか。悔しい、お顔が見えない。このリミンズめをお許し下さい。貴方の元へ帰る途中、野党に襲われたのでございます」
「安心しなさい、すぐにお前の美貌、取り戻してやろう。忌々しい野党共め」
 此処から離れた路地に私を襲った野党共が潜んでいる。しらばっくれるのが目に見えているから、どうか貴方の力で野党共を捕まえて、裁きをと。伯爵は半ば愛人と噂される音楽家を抱きかかえ、労りながら言葉を聞いていた。リミンズの言葉を鵜呑みにする伯爵。
「最後に幾つか、お願いが。以前からお願いしていたマレア・ラスカの絵の件で」
「おお何でもいいなさい。お前の為ならばいかなる芸術品でも手に入れてくれようぞ」
 音楽家が禍々しい笑みで微笑んだことに、伯爵が気づいたかどうか‥‥
 
 マレアはウィタエンジェの格好から梔色と緑のドレスに着替え、キャメロットのラスカリタ伯爵家別宅に軟禁されていた。窓の外から姿が見えぬように気を配りつつも、明るい陽の下を切望するように眺めやる。何故、平穏に暮らせなかったのか‥‥
「ミッチェル、知ってた? 小川は収束し始めている。星は一つに戻ろうとしている。皆の宝石が分岐点から新たな道を切り開く者に託される。同胞達は運命に従属する術しかもたない。呪わしい限りね、‥‥遠い罪は忘れてはならない、けれど」
「仕方ないさ。封印石を作り出した者が決めた事だ。子孫に罪を償えと」
 マレアが長い間持っていた宝石がミッチェルからBRに渡され、BRから封印を施す者に全て渡される。下階では今頃、集められた冒険者達が複雑な顔をしていることだろう。
「‥‥海の向こうで暮らした時ね。確かに楽しかったの、ほんとよ」
 新しい出会いと親しい友人達と、血の繋がった家族とで暮らした日常が霞のように遠い。

 やられたな、と言ったのは城から帰ってきた冒険者達の内『マレアの存在を知る者』を伯爵家の使用人を装って呼びだした多数派参謀だった。場所はキャメロットのラスカリタ伯爵家別宅。少数派の参謀ポワニカは贄姫を守るとして先日の戦乱の後始末に走り回るウィタエンジェ行動を共にしており、家には軟禁中のマレア以外、事情を知る者は他いない。
「それがどうしたと」
「分からないか。親愛なる方から話を聞いたが、最悪の場合に贄姫となる契約を交わしていたそうじゃないか。しかし彼女はいない。完全封印の為の犠牲者は、親愛なる方と敵の手にあるブランシュだけだ。前に文献を話しただろう‥‥最悪『贄姫は死ぬ』事になる」
 ――我が封印石と咎姫をもって――‥‥
 長年捧げられてきた贄姫の存在。彼女達の首を捧げた仮封印の記録。
 予想外の出来事の末元凶となる敵をうち倒すに至らず、結局、封印石と贄姫をもって封印を行う他に道は無い。重要の贄姫はと言えば、ウィタエンジェは既に戦争においてアーサー王等に謁見し、助力した伯爵の一人として名を連ねている。容易には殺せない立場の人間となった事を覚えて置かねばならない。
 彼女は意図せず贄姫より生きる道を選んだと言う事だ。
 実際、仮封印には封印石が用いられていなかった。過去の封印は、身全てを封印に用いた可能性はある。負担を考えれば封印石がある今、命までは投じる必要はないのかも知れない。だが封印方法は神殿に、そして古代魔法語を専門的に扱える者は限られている。
 場合によっては、彼らが守り続けた贄姫が封印の為に命を落とす。
「一を犠牲に百を助けるか、百を犠牲に一を助けるか。世の中ってのは上手くいかないことだらけでな。‥‥封印は絶対事項だ。仮封印の状態では近い未来に、自然であれ故意であれ破られる。その前に完全に封じてしまう必要があるのは理解できているな」
 多数派の協力条件はマレアの生存と無事。ウィタエンジェがいない今、封印の犠牲になるのは一人だ。何人かが取り返そうと願った存在を、最悪、彼らの手で殺さねばならない時が訪れるかもしれない。贄姫は他にいるが、存在を知っている者は口を閉ざすのか。
 重い話を参謀は切り替えた。
「盤に石を填めるのは、大した問題ではないと思う。降参する風に見せて明け渡すこともできるだろうし、封印方法を知らぬふりで自力で石を填める事も、考えつく事は多いだろう。レモンドの話に寄れば、親愛なる方の生存は漏れていないと聞いた。宝石が破壊されている事実も漏れなかった以上、残りの一つを求める可能性の方が強い」
 古代魔法語を専門的に扱い確実に封印を行う者、贄姫、騒ぎ立てるであろう封印の下から解放を求める真の契約の一族達を引きつけ沈めるハーフエルフ、そして彼らが封印を行う間、バートリエ達を引き離し、彼らを確実に守れる存在が必要不可欠。
 発見された広い祭壇でネイが様子を見ているそうだが、バートリエは常に神殿にいて、プシュケの姿も時折見かけるという。操られているように見えたと報告を受けた。操られているなら洗脳を解く必要もある。
 対策をこれから練らなければならない。祭壇の上の扉にある盤までは入り口からおよそ二十五メートル先である。
「君達の信頼できる仲間を集めればいい‥‥対策を練る傍ら冷静になってくれ。万が一の場合に、気持ちの整理をつけてくれと言うのかな。争うのはやめてくれ。それは無益な事しか生まないからな」
 悲しい、諦めの声とともに。

 そうして冒険者達はキャメロットのラスカリタ伯爵家の別宅に集う事になる。
 闇を知る者、仲間から打ち明けられた者、彼らの行動で未来が決まる時が訪れようとしていた。

●今回の参加者

 ea0254 九門 冬華(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea0286 ヒースクリフ・ムーア(35歳・♂・パラディン・ジャイアント・イギリス王国)
 ea0321 天城 月夜(32歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea0393 ルクス・ウィンディード(33歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea0836 キラ・ヴァルキュリア(23歳・♂・神聖騎士・エルフ・イギリス王国)
 ea0850 双海 涼(28歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea1519 キリク・アキリ(24歳・♂・神聖騎士・パラ・ロシア王国)
 ea3109 希龍 出雲(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea4471 セレス・ブリッジ(37歳・♀・ゴーレムニスト・人間・イギリス王国)
 ea4844 ジーン・グレイ(57歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea5352 デュノン・ヴォルフガリオ(28歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5410 橘 蛍(27歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea6426 黒畑 緑朗(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea9535 フィラ・ボロゴース(36歳・♀・ファイター・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

空魔 玲璽(ea0187)/ クレア・クリストファ(ea0941)/ 倉城 響(ea1466)/ シュナ・アキリ(ea1501)/ フォルテシモ・テスタロッサ(ea1861)/ 村雨 月姫(ea2346)/ 葉隠 紫辰(ea2438)/ 叶 朔夜(ea6769)/ モニカ・ベイリー(ea6917)/ アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)/ フレドリクス・マクシムス(eb0610)/ 黒畑 五郎(eb0937)/ ソムグル・レイツェーン(eb1035)/ マージ・アエスタース(eb3153

●リプレイ本文

 とある賢者は古びた本に質問を残している。答えを出すにはあまりにも考えねばならない文字の羅列。答えられぬ者がいると知ってあえて問おう、と賢者は最後に書き残した。
『現実に対して私たちが持つ観念が変われば、現実も変わるものだと思いますか?』
 そして。
「よ、芸術家、描く未来は決まったか。題材決まってねえとか言うなよ」
「あらやだ。大人数で軟禁部屋の人間に来るなんて。楽しい話じゃなさそうね」
 にょっと首を出した希龍出雲(ea3109)に続き、続々と現れる顔の群。
 キャメロットのラスカリタ伯爵家別宅で作戦を練る間、彼らの中でマレアの生存を知る者達は軟禁されている部屋へ訪れた。静寂に満ちた部屋の中に立つマレアとミッチェル。しばらく雑談を交えた説得が続いた。贄姫を連れて行こうとする者、反対する者。必ず血が流れることを知っていてか、その声はお互いの立場を知りながら真っ二つに別れていた。
 マレアが仲の良い娘達と雑談をかわす。元気のいい時は遠慮なく飛びついて猫のようにじゃれつき遊んでいた一年前を思うと、元気のなさは仕方のない事かも知れない。誰が最初だったか、話をきりだした後、キラ・ヴァルキュリア(ea0836)は窓辺に寄りかかった。
「結局の所、付いてくるの? どうしても、且つ危険を承知であれば付いてきてもいいわ」
 ジーン・グレイ(ea4844)もまた進み出る。椅子に腰を下ろしたマレアを見下ろす。
「守る対象が増えると足手まといになるが、どうしても来られるというなら反対はせん」
 言葉に刺が混じるのもまた無理はない。右と左という人物がいたとして、右を慕う者なら左を次に数え、左を慕う者なら右を次に数える。どちらを優先するか守るかなど、結局の所は総合的に導き出した利己主義の塊だ。どんなに美化しようとしても結果は同じ。
 水と油は相反するもの。フィラ・ボロゴース(ea9535)は沈黙したマレアを覗き込む。
「あたいはマレアの意思を尊重するよ。それで行くんだったら覚悟を決めろよ、あたい達はあんたを守るがその命をどうにかするのはあんた自身だ」
「‥‥守る?」
「何処か頭の隅で、お姉さまは行くんじゃないかって思って。お姉さまを止める理由が私にはない。止める事ができないのなら、生きて帰ることができるよう、守るだけです」
 双海涼(ea0850)がマレアの手を握る。並の冒険者以上の力があろうと、マレアが旅に付き添う場合の意味合いは『共に戦う』ではない。贄たる『犠牲』の意味合いだ。涼の様に賛成も反対もしない者は他にもいる。キリク・アキリ(ea1519)もその一人だ。反対していても反対しきれない、それは互いの立場を思えてこそだ。誰かが犠牲に誰かが助かる。
 九門冬華(ea0254)と天城月夜(ea0321)が近づいた。
「生きる事を諦めてはならぬでござるよ。覚えているでござるか、フォルシアの家で八枚の天使画を描いて早一年‥‥日溜まりの庭と家の風。また絵を描いて欲しいでござるよ」
「今まで自分の足で歩いてきたのですか? ただ流れを待つだけ? 地位・運命・罪・役目、人を縛る色々な事を忘れた貴女の本心ならばそれに異は唱えません。選択の時です」
 マレアは何度も複数の人間に助力を請われてきている。けれど言われるたび、問われるたび。過去一度として頷いた事がない。協力をせがむ声の多い中、動きが止まった。
「考えなければ楽なのに。私に決めろとは酷ね、冬華ちゃん。では私は‥‥共に行けない」
 何故だという声が口々に零れる。ついてゆくだろうと予想していた者にとっても予想外。
「長く黙っていた。其処へ行けば、きっと貴方達を裏切るから」
 ――静寂。冒険者達を裏切る、マレアはきっぱりとそう答えた。物憂げに俯く。ウィタ達が私を遠ざけたのも部屋へ軟禁したのも、スクロールで幼少時代の記憶を引き出されて以来だとマレアが答える。途端、リシーブメモリーで記憶を引き出した仲間の言葉で部屋の空気は混沌に変わった。マレアは契約の一族に好意を抱き、封印を憎んでいる。
「昔、実父に刷込を受けた。好きでも愛してもいないけど、記憶に呪いの焼印が残った。私は人を裏切る為の贄姫として幼少に度々教育を受けたそうよ。神殿へ行って、私が望まぬまま敵の仲間になる可能性の方が強い。私を慕ってくれる子がいたから帰りを待つわ」
 彼女の実父が何を考えていたかは不明だが、理性と無意識に嘖まれて、何も言わずに協力だけを要請されていたら、連れてゆかれていたら自分は『今』を裏切っていただろうと。
「守ってくれる仲間の前で、仲間を裏切りたくないから一緒に行けない。‥‥行けば贄姫のユダになる。光の申し子に、幸運を。私達が持つ信念も変われば現実も変わるそう信じてきて良かった。十年あれば、何でも出来ると信じていたわ。行って、皆帰ってきてね」

「はい。金の指輪。ねぇちゃん達にからかわれても無視して。絶対無事に帰ってこようね」
 アリアドネと話していたキリクは人影を発見した。ディルス・プリスタン子爵の所へ赴いていたジーンが帰ってきていた。ジーンは例の教会の壁画をバース貴族の共有財産として保護できぬか、他の貴族がまたも手を出しにくい状況に出来ぬか提案に行ってきたのだが、どうやら無理だったようだ。領地の領主に反旗を翻した大罪人、その故人が残した絵を公に保護するには相当の理由がなければ不可能だ。いくら裏を知り、事実がどうあれ表向きの立場は重大。領土が乱れる事があってはならない。
「儂だけでないにせよ、甘く考えてしまっているらしいな。上の社会はどす黒い」

 ヒースクリフ・ムーア(ea0286)やセレス・ブリッジ(ea4471)、デュノン・ヴォルフガリオ(ea5352)が橘蛍(ea5410)や黒畑緑朗(ea6426)達が前回見つけた神殿へと向かう中、フィラと涼だけは地図から割り出した道の天井、地上の空洞を探して、仲間達が到着するまでの間、見つけては広げていた。脱出に備えてかは知らない。感情に縛ったロープを三本垂らして、荷を置き、洞窟の中に滑り降りて合流する。神殿にはプシュケとバートリエがいた。
「取引をしたいんです。プシュケさんの身柄と引き替えに宝石を渡します」
「ほぉう? 急に物わかりがいいじゃないか。その言葉、裏の壁にいる人の子に聞かせてやりたいね。クレアボアシンスでお前達の動きなど百も承知。見物しているのも‥‥」
 のんびり近寄ってきたバートリエの言葉を遮り、奥の壁から現れた仲間に宝石を投げ渡す。そちらは任せたと駆け上がる仲間と同時に、キリク達もバートリエを取り囲んだ。
「貴女にはいつぞやの借りがあります。借りは返さねば成りませんので」
 冬華が動いた。月夜も、ヒースクリフも、キリクも走る。「腕を上げたのか」という小さい呟きとともに、剣を抜き放ち、戦いが始まった。
「古より連綿と伝わる嘆きと血の輪舞曲、終わらせるタクトは我らの手に。ならば、それを振り切るまでさ、此処は人の生きる土地! 悪魔の蹂躙はゆるさん!」
 立ち向かうヒースクリフの背に隠れ、月夜がバートリエの気を逸らした。隙を生み出し駆け抜けざまに一撃を叩き込むが、軽傷にとどまってしまう。キラが睨視した。
「贄姫も確保した今、あんた達の野望もそこまでよ」
「どうかしら?」
 バートリエはサンレーザーを始め、陽の魔法だけにとどまらず、体術を心得、素早さは群を抜いていた。総員で襲いかかるキラ達をかすり傷や軽傷にとどめて、逃げるような仕草で仲間同士の撃ち合いを誘発する。逃げ足の早さ故、放たれた衝撃波が仲間に当たることもしばしば。ちらりと祭壇の方を一瞥する。プシュケに呼びかける仲間の姿が映った。
「ははは、莫迦め。呪いで音を奪った娘相手に、呼び声など通じるものか」
 事ある事に上空に逃げ、剣の脅威を逃れて魔法を繰り出す。
「卑怯者! おぬしは、中級悪魔のゴモリらしいでござるな、能力など仲間より聞いている。いざ、勝負でござる!」
「は、能力を知っているだって? 中級? ゴモリー?」
 バートリエが振り返った。げらげらと笑いながら。
「‥‥ゴモリーねぇ。あはは、だからどうしたというのだ。人の子は五感に支配された世界しか見えない、哀れなものよ」
 にたぁ、と真紅に濡れた唇からどす黒い闇に滲んだ高笑を零しながら、いぶかしげな顔をした冒険者達に女の姿をした悪魔は近寄ってきた。衝動的に今が好機と刃を振りかざす。
「お前達の調べた書とやらに載っていた『ゴモリー』は『こう言う事』ができたかぃ?」
 ――ざぶ、とバートリエの腕が沈んだ。刃が敵の体を虚しく通り抜け、虚空を凪ぐ。ずぶりと肉体に沈んで姿が消える。『愚かなり』と仲間だった肉体が俯いた顔を上げた。
『愚にもつかぬ事を言う。人子の見聞きする世界など霞の片鱗よ。数百年も命を吸い上げ続けて公に近しき身となった我らを、凡庸な悪魔共と一緒にされては不愉快の極みね』
 バートリエに憑依された緑朗の肉体。ハンマーを難なくその手に操り、仲間の人質を盾に動きの遅いフィラやヒースクリフを狙って攻撃を繰り出してくる。これでは緑朗の体が傷つき、悪魔に傷を与えるのは難しい。消えることのない高笑は余裕か。
「次はお前よ、我が僕となれ」
 だが、この後肉体に憑依しようとしたり、男達を魅了して操ろうとしたバートリエの力は及ばなかった。何故か。そうならないように、別の班のバードがメロディーで歌い続けたからだ。
「洗脳なんて使うのか? その剣は飾り物か! 邪魔したきゃ、あたいらを倒してからいくんだな。絶対に邪魔はさせねぇ!」
 僅かな傷でも、一瞬の隙でも良い。一撃を叩き込むチャンスを願い。フィラは我が身を盾に危険な踏み込みを行う。その後ろからバートリエの動きが止まった所を計ってシルバーアローを向け確実に攻撃を加える蛍とデュノン、出雲。
「鳴弦の現世に縛られる魔の心に鳴り響けっ!」
「苦手な槍でもな、人間やったらできるもんでな! パン屋さんにも意地があるんだ!」
「俺達は悪魔のお遊戯にはつきあってられねぇんだよ。悪魔でも女の顔に傷はつけたくねぇな」
 バートリエは倒れない。
「フィラさん、蛍さん、デュノンさん、出雲さん避けてください。グラビティーキャノン!」
「ぐぁ、――は、遅いと言っている!」
 バートリエとの交戦は続く。ふと後ろにいたジーンの視線が祭壇に向いた。いや、正確に言えば祭壇に近づけさせないよう皆が気を配って祭壇を見ている。プシュケが祭壇に引きずり上げられ心臓部に剣があてられていた。贄姫に好意を寄せているらしい一人目は心臓を貫けず、役目が別の者に映る。忌まわしい血の儀式もこれが最後だが、
「さながら、神の贄に息子イサクを屠らんとしたアブラハムの心境か。笑えんな」
 聖書と異なり、神の制止は無く、代償となる羊もいない。ジーンは聖書を思い出して吐き捨てた。見守る中で贄姫の心臓に刃が刺さる。細い断末魔が駆け抜ける。救出対象を嬲り殺すような真似をしなければならない事が、どれほどの心労を招くのか。想像を絶する。
 鈍い光に続き、駆け抜ける閃光。祭壇に上がった者の魔力を吸い尽くした祭壇は輝きを静めてゆく。静寂が降りた。バートリエが異変を察した刹那、ふと聴覚に優れた者が異変に気づいた。キリクは「変な匂いがする‥‥」と壁の一点を見つめる。壁の亀裂が動いたような気配がした。

 ――ベギッ。ピキピキペキ‥‥

「壁の亀裂? あれは一体。なんなんだ?」
「ぜ、全員逃げてください! 封印の完成で、ここは水没します! 急いで」

 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ!

 祭壇上の声を遮り、亀裂の走った壁が崩れて膨大な水が滝のように流れ込む。一カ所だけではない。向かいの壁、床もまた音を立てて亀裂が走る。底が抜けるような嫌な音を立てていた。このままではものの十分もせぬ内に水は神殿を埋め尽くす。
「温泉だ。此処はバースの傍だ、鉱泉があったって不思議じゃない。逃げよう!」
「ヒースクリフさんの言うとおりだな、全員退避! 急げ、飲み込まれるぞ! 走れ!」
 デュノンが叫ぶ。バートリエは儀式の間に傷を負っていた。「そのまま溺死してしまえ!」と呪いの言葉を吐いて虚空へ消える。一見してもかなりの深手を負っていた為、そのまま力つきて死ぬか、当分現れる事はないだろう。何より、この完成した封印を破る術は悪魔には無いのだ。
 水は勢いを増して床に広がってゆく。いいやそれだけではない。来た道に流れただけでなく疲労が限界まで達した冒険者達を一人ずつ飲み込んでゆく。
「主様つかまって!」
「アリアドネ!」
「フィラさん!」
「こっちだ涼! 早く来い!」
「急ぎなさい、死んでも知りませんよ」
「あちちち、煮えたぎった温泉は勘弁でござるよ」
「僕も同意見です」
 フライングブルームでかろうじて空へ逃れたアリアドネとキリク、フィラと涼は、同じく空に飛ぶフライングブルームに跨った、あるいはしがみついている冬華と月夜、蛍を見つけた。地上にはセレスがプラントコントロールで我が身を引き上げている。残りは?
「拙い、流されてる! あそこです」
 涼が指を差す。激流の中をヒースクリフ、キラ、出雲、ジーン、デュノン、緑朗の六名が流されている。物凄い勢いで鉱泉が流れ、途中、彼らが侵入した場所のロープにキラとジーン、デュノンが掴まった。すぐさまキリク達と月夜達が救出へ向かう。
「心頭滅却すれば火もまた涼し! おぉぉぉぉ!」
 なんと緑朗は果敢にも激流の中を泳ぎだした。完全に溺れている出雲とヒースクリフを救う為だ。ヒースクリフは真冬に川に落ち、真夏に温泉に流され、と考えてみると不憫であるが、懐かしんでいる場合ではない。緑朗はまず出雲を捕まえ、涼達に託した。次にヒースクリフをひっつかみ、自分共々陸へとひきあげて貰う。酷い状態になっていたのは言うまでもない。
 バートリエとの激しい交戦の末であった事もあり、逃げる際に押し寄せた鉱泉に足を取られて流され、溺死寸前で酷い怪我や火傷を負った者もいたが命を失わずに済んだ。ただし別班ではプシュケは一命を取り留め、彼ら冒険者達十二名も生還するに至った。
 忌むべきしきたりは湧き出た鉱泉に沈み、水の底に消えた。鉱泉は発見されていた通路を流れに流れ、幾重にも噂や話題を呼ぶ。
 冒険者達は後日、ラスカリタ伯爵のウィタエンジェに呼び出されることになる。