●リプレイ本文
○冒険者達の思い
冒険者達は街道をひた走る。
ある者は箒で空を飛び、またある者は魔法の靴で休むことなく走り続けた。
そして、それができない者達も全力で。
「‥‥出来る限り急がないと」
息を切らせながらも藤宮深雪(ea2065)はまだ遠い目的の地を見つめる。
「これ以上‥‥被害を出させません。絶対に」
決心を自分自身に言い聞かせるように口に出してまた歩き始める。
比喩でなく暗雲立ち込めるエイムズベリー。
その決意をあざ笑うような黒い影の存在を感じるのは、幻だろうか。
「‥‥‥‥‥‥。はい、いいですぅ〜。これで、暫くは大丈夫だと思いますぅ〜」
ヘキサグラム・タリスマンから目を上げ、エリンティア・フューゲル(ea3868)は仲間達にニッコリと微笑みかける。
村でただ一軒の宿屋での作戦会議。
当然変な黒猫に近寄られるわけにはいかない。
「まあ、本当に厄介な相手が本気を出せば気休め程度ですけどねぇ〜」
「それでも、無いよりはマシだ。あいつの影があるんだろう?」
「ええ、まあそうなんですけどぉ〜」
いつに無く歯切れ悪く、テンションの感じられないエリンティアの返事にレイ・ファラン(ea5225)は苦笑する。
正直なところを言えば冒険者達の心境は被害者であるところのエネベーザ老には無い。むしろ今回の首謀者であるエスタへの同情に傾くだろう。
「恋人がいる相手から無理やり婚約者を奪っておきつつ、その相手を信じず不幸にしたというのがそもそもの原因だからな。まったく、腐れた爺だぜ」
「守る奴がいけ好かない。これも奴の策略かねえ」
クオン・レイウイング(ea0714)の溜息に閃我絶狼(ea3991)の吐息が重なった。
「そうだと、思われますわ‥‥。長老からお話を伺ったのですが‥‥。私、本当に悲しくなってしまいましたもの」
セレナ・ザーン(ea9951)も俯く。
結婚と言うのは女性にとって一生の大事だ。誰でも幸せを夢見る。
たった一人が、考えを変えていればこんな事にはならなかった。
全ての原因は、あの老人にある。
だが
「まあ、話を聞く限り爺さんが恨まれるのも当然。‥‥自業自得だとは思うが、かといって見捨てておくわけにもいかないからな」
「依頼人がエネベーザという人を救いたいというのなら、私はそれを果たすよう務めるわ。それが依頼を受けるということだから」
レイとクァイ・エーフォメンス(eb7692)二人の新しい協力者の言葉が冒険者の心の迷いを一度取り払う。
「はい。僕もカルマさんやジュディスさん、エスタさん達を救うと割り切ることにしました」
「このまま、好きにさせるわけにはいきません!」
手を握り締めるワケギ・ハルハラ(ea9957)と山本修一郎(eb1293)の言葉が冒険者全ての覚悟を代弁していた。
よし、と頷きレイは相談へと話を戻す。
「さっき、墓地に行って調べてきた。ズゥンビを人が操るってのはクリエイトアンデッドの領域だからな。案の定。墓場荒らされていたぜ。特に領主の一族のあたりがな」
十数体の墓が荒らされすでにその主を失っていた。
今は目的地である領主の館近辺で唸り声を上げていることだろう。
「ただ、屋敷を取り巻いているズゥンビの数は思ったより少なかったな。‥‥屋敷を最初に襲った時は違っていたのかも知れないが、今、屋敷の周りにいるのはスケルトンっぽいのが数体ってところだと思うぜ」
「それくらいなら、いけるかな。勿論援護がなければ‥‥だが」
簡単な見取り図を示したレイの指を見ながら絶狼は呟いた。
目的は領主館からの閉じ込められた領主の奪還。
その仕事に彼は二人の依頼人を連れて行こうと考えていたのだ。
ジュディスとカルマ。二人の子供達を。
「確かに。復讐に心囚われたエスタ殿達を救えるのは、カルマ殿と‥‥もはや彼だけであろうからな‥‥」
胸元に手をやりながらマックス・アームストロング(ea6970)は呟く。
それが、どういう結果をもたらすかは解らないが一番、やりたいことを彼らは諦めるつもりは無かったのだ。
「できる限り援護するわ。だから頑張りましょう‥‥」
立ち上がり、それぞれの準備に動き出す冒険者達。その中で
「悪いな。クラウス、あんたの墓前への報告の前にもう一仕事せにゃならんようだ。もし、できるなら‥‥力を貸してくれよ」
疾風のごとく駆け抜けていった。
もうひょっとしたらこの世のどこにもいないかもしれない存在に思いと言葉を残して。
○待つ者
翌日。
ズゥンビが跋扈するエイムズベリー領主館前。
突入のタイミングを計っていた冒険者達は
「そういえば‥‥ヴァンアーブルさんはどうなさったのでしょうか? 村に着いてから姿が見えませんけど‥‥」
「「「「「「「「「えっ?」」」」」」」」」
全員がその深雪の一言で表情を蒼白へと変えた。
「深雪‥‥。お前さんと一緒じゃなかったのか?」
絶狼は唾を飲み込む。
ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)は高速移動手段を持っていなかったから、てっきり深雪と一緒に来ているものと思い込んでいた。
「はい、一緒に村までは来ましたが、その後‥‥! まさか単独で行動を!」
「馬鹿な! 相手が誰だと思ってるんだ? 単独行動は即命取りになりかねないんだぞ!」
その恐怖を身に染みて知るレイが声を上げたその時。
「シッ! あれを見て下さい!」
指を矢尻にかけてクァイが声を上げた。視線の先には門の周囲を行きつ戻りつするズゥンビが見える。
そして足元には省みられず捨て置かれた何かの塊‥‥!
「あれは‥‥まさか」
目を閉じ、スクロールを広げたワケギは瞬間、声を上げた。
「ヴァンアーブルさん!」
自分の声に驚き慌てて口元を押さえるが、幸いズゥンビ達が声に気付いた様子は無い。
声を潜め、仲間達に向けてワケギは告げる。
「倒れているのは間違いなくヴァンアーブルさんです。息はあるようですが、怪我は酷そうです」
「‥‥予定変更。先にヴァンアーブルを救出する。行くぞ!」
声と同時、クオンとクァイの矢が音を立てて飛んだ。
ヴァンアーブルの前と横、両方に立っていたズゥンビの眉間に突き刺さった矢は一瞬でズゥンビ達の偽りの命を絶ち、それに気付いたようなズゥンビ達の足をも止める。
そうなれば事は一瞬で片付いた。絶狼、マックス、レイの三人がそれぞれ一体ずつ残りのズゥンビを倒す。
絶狼がヴァンアーブルを連れて仲間の下に戻るまで数分もかからなかっただろう。
「しっかりして下さい! ヴァンアーブルさん!!」
深雪がかけた二度目のリカバーの白い光が消えた時。
「あ‥‥うん‥‥。何が‥‥あったのだわ?」
横たえられたヴァンアーブルが細く目を開けた。
「良かった。覚えておられますか? ヴァンアーブルさんは今、あの館の前に倒れていたんですよ」
まだボーっとした表情で深雪の言葉を反芻していたヴァンアーブルは、思い出した、と言うように手を叩き身体を上げる。
「ああ。思い出したんだわ。エネベーザさんに悔い改めてもらおうと思って、水と少し食料を持って空を飛んだのだわ‥‥」
ヴァンアーブルは必死で思い出そうとしていた。あの時、何が起きたかを。
「絶対エネベーザさんに謝らせる! のだわ」
小さな水の瓶と一欠けらのパン。それだけを持ってヴァンアーブルは空を飛んでいた。
少し、高めに空を飛んでズゥンビの凶刃から身を避ける。
「逃げて、隠れているなら、多分、やっぱり二階なのだわ」
窓から二階の木窓、その隙間の様子を伺う。
時々部屋の中にもズゥンビらしき影やいやな匂いがすることがあるが、今のところ目に付くズゥンビは古い泥のついた白骨化したものばかりで「死にたて」のようなものはない。
「まだ、生きてくれているといいんだわ‥‥。ん? ここなのだわ!」
二階の一番端。物置のような所にヴァンアーブルは死体とは違う人の気配を感じた。この屋敷で今、生きている者と言えばエネベーザだけだろう。単純にそう考えた。
「エネベーザさん! 悔い改めるの‥‥だ‥‥わっ!」
だから、注意も躊躇いも無く、一気に窓から中に潜入したのだ。
けれど、彼女が見たものはヴァンアーブルの予想を遥かに超えていた。
そこは物置のようでありながらそうでない、寝室だった。
寝室というからにはベッドがある、そのベッドには‥‥白骨化された死体が横たわっていたのだ。
そして、そこにいた、彼女が感じた生きた人の気配は‥‥
「エスタ‥‥さん?」
「貴方は、冒険者‥‥どうして‥‥ここに?」
死体の前に膝を付き祈るエスタだった。
彼女は顔を上げて、こちらを驚いた表情で見つめる。
その悲しくて虚ろな眼差しに、ヴァンアーブルの喉が音を立ててつばを飲み込む。
「! 貴方を止めるために来たのだわ。復讐は虚しい、もう誰も望んでいないのだわ。止めるのだわ!」
胸元に組んだ手が離れ、エスタは首を横に振った。
「止めるわけにはいきません。お母様は、まだ‥‥ここにいらして、復讐を望んでおられますから‥‥」
微かな呪文詠唱、ヴァンアーブルが止める間もなく高速で完成した呪文はベッドの中の骸骨の頭をもたげさせた。その恐怖にヴァンアーブルの膝が震えた。
「な! なんなのだわ!」
足を精一杯前に出し、逃げようもしくは呪文を唱えようと動こうとしたその時。
「彼女を‥‥追い出して‥‥」
スケルトンは動いた、ヴァンアーブルを外へと追い立てるように一歩、一歩と近づいてくる。
窓への直線距離が50cmを切ったその時。
「今だ! なのだわ」
ヴァンアーブルはとっておきの呪文で、自分を追う敵の足止めを狙った。
「スリープ!」
だが、術者にならともかく、ズゥンビそのものにスリープが聞くわけは無い。彼女はそれに思いつかなかった。
となると攻める手立ては後一つ。だが、今できることは別な一つしかない。
「逃げるのだわ〜〜!」
窓から後ろを向いたまま空を飛んだ。彼女は思っていた。
「外に出れば、こちらのものなのだ‥‥! うわああああっっ!!」
その背中が羽が、黒い炎に焼かれるまで‥‥。
冒険者達は溜息をついた。
事情と思いがあったのは解る。けれど‥‥思わずにはいられない。
どうして出る前に教えてくれなかったのか。と。
「単独行動は命取りだ。次に同じことがあったとき、生きていられるかどうか解らないぞ」
諌めるレイにヴァンアーブルは頭を下げた。
それは、間違いなく事実だからだ。
「でも、今のお話には大事な情報がいくつもありましたわ。ヴァンアーブル様は命がけで情報収集をして下さったのです」
セレナの慰めにほんの少しだけ立ち直ったヴァンアーブルをさておき、冒険者達は頷き語る。
「つまり、二階の右端の部屋にエスタがいる、ということか。エリスは一緒かどうか解らない」
「白骨のズゥンビというのがエリス様の亡骸である可能性もありますが」
「エネベーザの爺さんがいるのは、二階では無いかも知れない。そうであっても表向きの窓がある方角から見え食い場所だってことだな。そして中にもズゥンビはいそうだ。と‥‥ジュディス。カルマ‥‥」
振り返り、絶狼は今まで一言も発しなかった最後尾の依頼人。ジュディスとカルマに頭を下げた。
「聞いての通り、館の中はかなり危険だ。‥‥それでもできるなら一緒に来て欲しい。必ず、守るから‥‥。頼む」
と。
昨夜、絶狼はジュディスとカルマ。二人の元を訪ね、エネベーザ救出に力を貸して欲しいと頭を下げた。
『普通に考えると連れて行った方が危ないんだろうが、どうも引っかかるんだ、エリス兄妹の父親が爺だったらあんたら二人も呪いの対象、狙われる可能性は十分ある‥‥エリス、エスタが望む望まないに関らずな、悪魔との契約ってのはそういうもんだ』
『それに、何より力ずくでなく、亡きエリス様の魂を救うには、ジュディス様のご協力が不可欠です。
ご同行いただけませんか』
冒険者達の依頼に、一も二も無くジュディスは頷いた。
『勿論! おじいさまもおばあさまも助けたいもの』
『僕は、母さんの気持ちも解るから本当は邪魔はしたくない。けど‥‥』
カルマの歯切れは彼女に比較すれば悪いものではあったが、それでもカルマも自らの意思で首を縦に振る。
『けれど、このままじゃ母さんは救われない。憎しみと復讐に囚われた母さんを、一度も笑顔を見せたことの無い母さんを。‥‥父さんの分まで母さんを助ける為になら‥‥行くよ』
マックスが見せたクラウスからの最後の手紙は、確実な言葉となってカルマの心に訴えてくれたのだ。
冒険者達が心配だったのは、彼らが悪魔に支配されていること。
そして心の奥底にエネベーザへの恨みを持っていること。
だが、魔法もだが何より澄んだ瞳が彼らの思いに嘘は無いと教えてくれている。
「おじい様と叔母様を助け出しましょう」
「母さんを、救って下さい」
二人の願いに冒険者達は勿論異論があるはずも無い。
クオンは頷き、胸に手を当てて誓った。
「よし、冒険者のプライドにかけて守ってみせる。必ず」
と。
「ジュディス達は爺様のところに直進。俺達は今もそこにいるかどうかは解らないがエスタのところに向かってそれから行く」
「シャドーブレード、ジュディスを守るんだ。絶対に離れるなよ」
「ワン!」
カルマの護衛とジュディスの護衛。それぞれに役目を決め、冒険者達は身構える。
「なら、急ぐぞ。またズゥンビどもが集まってきた」
レイが声を上げる。前より数が多い。二度目の突入のチャンスを逃したら三度目は無いだろう。
「ごめんなのだわ。私のせいで」
落ち込むヴァンアーブルをそっと深雪は抱き上げた。
「大丈夫です。行きましょう?」
「人間のぉ〜 呼吸音は二つですぅ〜。どちらも二階にあるようですぅ〜」
エリンティアの言葉に冒険者達は武器を握りなおす。
「‥‥援護します!」
クァイの弓弦の音がスタート合図だ。
「GO!」
レイの言葉に冒険者達は走り出し、一気に屋敷への突入を開始した。
それを言葉通り援護射撃し道を開き、やがて一人残された、いや残ったクァイは
『単独行動は命取りだ。次に同じことがあったとき、生きていられるかどうか解らないぞ』
仲間の言葉を反芻しながらも
「みんな。無事で‥‥私は、私の務めを果たすから」
決意を固め、館に背を向けて歩き出していた。
○届けられた言葉
それは、さながら目的に向かって突進する猛獣のごとき迫力だった。
館の外に集まったズゥンビ達は数こそ少し多かったものの冒険者達の腕にかなう力量は持っていなかった。
「おりゃあああ! そこを退くのである〜〜!」
マックスのいつにも増した猪突猛進さはフレイムエリベイションをかけてもらった仲間が目を丸くするほどであった。その迫力に押されてか、屋敷に入ってからはズゥンビ達の大した抵抗もなく冒険者達は先に進むことができた。
「マックス! 行き過ぎだ。階段はこっち!」
「あっ! ‥‥しまったのである」
手招きする絶狼の後を照れたように追うマックス。
「本当に間違いは無いんだろうな?」
目の前に広がる階段を見つめマックスは頷いた
「二階に上がって手前の部屋にエネベーザ。奥の方の部屋にエスタがいるのである! エリスは‥‥エネベーザの部屋に!」
ならば、予定通り。二つのチームは頷き合って階段を上がった。
「気をつけて!」
「そっちもな!」
二階にいたズゥンビはほんの数体。蹴散らして、冒険者達は手前と奥。
両方の扉を一気に開いたのだった。
暗い部屋の中ぼんやりと浮かび上がる白い祭壇の前で、彼女は祈りを捧げていた。
「‥‥母さん」
近寄りかけたカルマの肩を掴んで止めて絶狼は、母さんと呼ばれた人物を見た。
そこで祈りを捧げているのは一人の女性。
やつれ、憔悴した眼差しの一人の女である。
以前出合った時の男と見まごう程の目的への覇気は今の彼女には何故か、微塵も感じることができない。
「エスタ殿‥‥」
いくつかの呪文の用意をするエリンティアを隠すようにマックスと絶狼は、エスタに向かって一歩前に歩んだ。
エスタは反応せず、ただ祈りを捧げている。
一歩、また一歩と近づいていくうち冒険者達にも見えてきた。
祭壇の上に乗っているものの正体が。ベッドに横たわる白い白骨。
「エスタ‥‥それがエリスの亡骸か。あんたの幸せを奪った悪霊の本体か?」
「‥‥母さんは悪霊なんかではないわ。私にとって生きる支え。心の拠所だった」
「いや、悪霊だ! 娘を操り、その愛する人を殺し、その孫を苦しめて自らの復讐を狙う存在が悪霊じゃなくてなんだと言うんだ!」
今、エスタの側にエリスの霊はいない。
そう判断して絶狼はまっすぐに自分の思いをぶつけた。
話しているうちに段々、怒りが湧き上がって声が荒くなるのが自分でも解っているが止めることはできなかった。
「家庭を崩壊させて、顔も知らない、そしてひょっとしたら父親だったかもしれない男に復讐してその後何が残るってんだ? 自分の全てを、家族まで復讐に巻き込んでそれで良かったと、本当に言えるのかよ!」
「‥‥私には、それしかなかった。私が生まれた理由は他にはきっと‥‥無かったから‥‥」
力なく寂しげに笑うエスタ。彼女の思いを、人生を
「違うのである!」
マックスは全力で否定した。
「エスタ殿は、復讐の為に生まれたのでは無いのである! これを、見るのである!」
「これ‥‥は?」
差し出された羊皮紙にエリスは祈る手を止め、身体を意識をマックスの方へと向けた。
そこに綴られた言葉は、クラウスの死の直前の思い。
【私は今も、妻と息子を愛しています。
彼らが今、幸せに暮らしているならそれでいい。けれど、そうでないならもう一度、一緒に暮らしたい。
そして共に笑い合いたい。
悲しい思いをしてきた彼女にはその権利が、絶対あるはずだから‥‥】
「クラウス‥‥? あの人が私を‥‥?」
羊皮紙に手を伸ばすエスタの手が、心の動揺を示すように激しく触れている。
そんな彼女の手をとり、エリンティアは羊皮紙にそっと触れさせた。
「貴女は、ちゃんと愛されていたんですぅ〜。悪魔は契約者や契約者の周囲にいる人達を不幸にする事はあっても幸せにはしてくれないですぅ、クラウスさんの様に一途な良い魂を悪魔は好むんですよぉ〜」
「母さん。もう、止めよう。僕は、母さんが復讐することで満足するなら、いいと思っていた。僕がおじいさんになることで母さんが喜ぶならいいと思っていた。でも‥‥母さんは一度も幸せそうじゃなかった‥‥」
羊皮紙をマックスの手から受け取り、カルマは母ごと、抱きしめる。優しそうに、そして‥‥大事に。
「もう一度帰ろうよ。昔みたいに。父さんがいて、母さんがいて一緒に笑いあったあの頃みたいに‥‥」
息子の手の中で、だがエスタは半狂乱になったように首を振っている。
「でも、許してなんかくれない。母さんは、私を見ているし、あの人は‥‥あの人を捨てた私の事を‥‥。私のせいであの人は死んだのでしょう? あの人はきっと恨んでいる!」
祭壇の白骨が目覚めるように身体を起こす。
立ち上がり冒険者を追い出そうというかのように動き出す。
「そうでしょうかぁ〜。そんなことは無いと思いますよぉ〜。ほら〜」
だが、その中でエリンティアはエスタに告げるように彼女の後方を指差した。
(「ずるいかもしれませんがあ〜、クラウスさんなら許してくれますよねぇ〜」)
そこには優しい笑みを浮かべるクラウスの姿が浮かんでいる。
「恨んでいたら、あんな笑顔はできないと思いますよぉ〜」
ぷつん、何かが切れる音がした。
それは‥‥何十年もの間張り詰め続けたエスタの緊張の糸だったのかもしれない。
「あなた‥‥カルマ。ごめんなさい。ごめんなさい!!」
ね? エリンティアの最高の微笑みに、そして我が子の手のぬくもりに。
膝を付き泣きじゃくるエスタを見つめ、絶狼は優しく微笑み、そして剣を抜いた。
「‥‥今、解き放ってやる。あんたを捕らえているものから」
頷いてマックスも剣を構える。
ガシュ。
微かな音が響いた後、残ったのは砕けた古い骨の破片と仲間。
そして悪夢の一つから開放された親子の姿だった。
部屋の奥の奥に倒れている男の姿が、見えた。
「エネベーザさん!」
奪取で近寄ろうとする深雪の前に、靄のような黒い『何か』が立ちふさがるように現れた。
『近づくな。この男に近づくな〜〜〜』
「あれがエリス。この事件の発端か」
冒険者にとって影にしか見えない悪霊。
だが、吐き気がしそうなほど濃く感じる念は彼女の恨みの深さを冒険者達に思い知らせている。
『あと少し、あと少しで終わる。この男さえ死ねば、私の‥‥私の恨みは、苦しみは‥‥この思いはきっと消える‥‥』
「そう、ですね‥‥。たった25年しか生きられなかった。やりたいこともいっぱいあったんですよね。貴女の思い。解らないけれど‥‥解ります」
セレナは影を祈るように見つめている。
幸せな結婚、愛する人との平和な暮らし。愛しい我が子の幸福。祝福された家族の未来。
『解るなら、黙っているがいい。この恨みを知らしめて、思い知らせぬ限り、私の心の闇は晴れることはない‥‥』
誰もが叶えられる筈の当たり前の願いを奪われた。その恨みは確かに深いものがあろう。
「でも!」
口調を強く変えて追求するようにセレナは言った。
「貴女は間違っている。エネベーザ様が恨まれるのはまだ許される。でも、その家族達に罪は無かった。彼らにもまた貴女と同じように当たり前の願いがあり、貴女は彼らからそれを奪ったのです!」
『煩い!』
力が抜けるような感覚をセレナが襲う。だが、それに耐えてセレナは『エリス』に話しかける。
「エリス様、あなたの実のお孫さんの言葉を聞いて下さいませ。‥‥ジュディス様!」
「お願い。おばあさま。おじいさまを助けてあげて‥‥」
エリスの影がざわりと動いた。人だったら怒りに身が震えたと言うところだろうか。
『その男は、お前の祖父などではない。お前の祖父は‥‥祖父は‥‥』
「それでも、私にはおじいさまが大事なの。たった一人の家族なの‥‥」
少女は無垢に微笑んで、膝を折り胸の前に手を組む。
『ジュディス‥‥』
影は少女を『見つめている』
その隙に深雪はエネベーザに近寄ると、魔法のフィールドの中、精一杯の治療を施し始める。
深雪の視線の先、戦いは続く。
『お前には、この男が大事だと言うの?』
「私には、優しくしてくれた、大事な大事なおじいさま」
『そんな‥‥』
「エリスさん。このままでは貴方達も、大切に想っていた人も、大切にすべき人も幸せになれない、そして貴方達は周りを、この村全てを恨み、滅ぼす事になります」
「なあ、あんた等の恨みがどうだかは知らないが未来に向って生きる二人が決めた事を過去に生きる連中がどうこう言うのは間違っていると思わないか?」
「これ以上、復讐に身をとして、生き残っているものを悲しませないで下さい」
聖水も、魔剣もその戦いには必要ない。ジュディスの、そして冒険者の一言一言が確実に『彼女』にダメージを蓄積させていく。
『私は‥‥間違っていたの?』
「憎しみに、憎しみで返しても心の傷は埋まることはありません。もっと深くなるだけです。どうか‥‥」
ワケギが精一杯の思いで告げたその時。
「ワシが‥‥悪かった」
『「えっ?」』
ワケギとエリス。そして冒険者達も全員が、吐き出されたその言葉の先を追う。
そこには、深雪に身体を支えられ、よろめきながら立つ老人がいた。
最初に出会った時の傲慢さは今は、微塵も感じられない。
目の前にいるのは哀れな全てを失った年寄り‥‥。
「おじいさま!」
『‥‥あなた‥‥』
ジュディスとエリス。そして冒険者の眼差し全てを得て、擦れた声で老人は話す。
「許してくれ、という権利がワシに無いのは解っている。だから、ワシを連れて行っても構わん。だが‥‥ジュディスだけは許してやってくれ。頼む‥‥。ワシのたった一人の家族なんじゃ‥‥」
瞬間、空気の色が変わったのを冒険者達は感じていた。
その言葉が口先だけのものだったら、彼女は決して許しはしなかったろう。
けれど‥‥
『あなたなど連れて行きたくはありませんわ。神の国でさえ、ヴァンフリート様との結婚を邪魔されたくありませんから』
微笑むような口調で言った彼女は、まるで溶けるようにその姿を消していく。
「許して‥‥くれるのか?」
頷くように微笑んだ、と感じるエリスの姿はもう、目を凝らしても見えない。
『あなたが、もし、生きている時にそう言ってくれたのなら、手を差し伸べてくれていたのなら私は貴女を愛せていたかもしれないのに‥‥』
そんな思いだけが伝わってくる。
ほんの僅かな行き違いが何故、こんな悲劇を生んだのだろうか。
『時は戻らない。けれども‥‥きっと‥‥間違いに気付いたのならやり直せる。私も‥‥あなた‥‥も‥‥ああ!』
消滅の瞬間、彼女は誰かを見つけたような仕草をしたように見える。
『ヴァン‥‥フリート‥‥』
誰かの元に駆け寄って、そして手をとり消えていった‥‥。
「待ってくれ! エリス、エリス!!!」
実のところ、それは幻のようではっきりと見えたわけではない。
声も聞こえたわけではないからその場にいた冒険者達の単なる思い込みに過ぎないかもしれない。
でも、信じたいと思った。思わずにはいられなかった。
エネベーザのたった一言の謝罪で、全てを許したエリス。
彼女が最後の瞬間に見たものが、愛した人の姿であった事を。
「おじいさま‥‥」
ジュディスに支えられ涙するエネベーザ。
最後の瞬間に、置き去りにされた。
それこそが、彼にとって何よりも辛く、苦しいエリスの復讐であった、と。
○悪魔以上の悪魔
とりあえず、全員が、生きている者全員が誰一人欠けることなく戻ってくることができた。
ズゥンビ達も大半が崩れ、地面に伏している。
「まあ、上出来だな。余計なちょっかいが来ないで助かったぜ」
「ええ、‥‥彼らも後で埋葬してあげねばなりませんね‥‥。あら?」」
ホッと一息をついた頃だろうか。周囲を見回していた深雪は路地の向こうから歩き戻ってくる仲間達の姿に気付いた。
「あ、お疲れ様でした。皆さん、ご無事で何よりです」
「クァイさん。レイさん、どこにおいでになっていたのですか?」
「あの‥‥それは‥‥」
深雪のもっともな問いに、クァイは言葉を濁す。
「少しデビルを警戒していた。この辺にはもういないようだな‥‥」
庇うように笑ったレイの言葉に頷き深雪は、足を依頼人達の治療へと戻した。
ポン。
レイはクァイの肩を叩き目配せをする。それを受けクァイは考え込むように下を向いていた。
嘘は言っていない。だが、言っていないことが彼らにはあったのだ。
‥‥仲間の突入直後クァイはある存在の前に立っていた。
「復讐される資格について話があるの聞いてもらえるかしら」
『面白い。聞こう‥‥』
人の姿に変化することさえせず、高台から館を見つめていた者。
仲間達が幾度と無く探しても見つからなかったデビル、アリオーシュはクァイのダウジングペンデュラムの前にあっさりと姿を現したのだ。
実のところ、クァイは少しだけ後悔していた。
一人でここに来た事を。彼が本気を出せばおそらく自分は死ぬと見た瞬間解った。
でも、今、逃げるわけにはいかないのだ。一つは彼を仲間のところに行かせない為に。
もう一つはどうしても聞かなければならないことを、聞くために。
「復讐される側が何の力もない、弱い老人だった場合、復讐者の心は晴れないんじゃない? 貴方が彼らに復讐の力を与えたのは、それを狙ってのことなの?」
『復讐の‥‥力?』
その言葉を聞いた次の瞬間、アリオーシュは
『ワハハハハ。ハハハハハ!』
いきなり笑い出した。
「何がおかしいのかしら? 貴方が力を貸さなければこんな事にはならなかったでしょう?」
クァイの問いかけにアリオーシュは、心底おかしいと言う顔をして答えた
『お前達は誤解している。我らが今回為したことと言えば作戦のアイデアを与えた程度のものだ。そこに契約も我らが与えた力も無い。老人の家族を呪い殺したのも、女騎士の夫を殺したのも、そして作戦を整え実行したのも全て人が自らの意思でしたこと。愛する者の為にという理由で‥‥な』
「でも!」
言いかけてクァイは言葉を失う。話術など、彼の前には無力な事。
美しい外見と、圧倒的な力。そしてその説得力に、何も言えなかった。
『人というのは面白いものだ。我ら以上の情熱で人を恨み、憎み、そして殺める‥‥。その根源にあるのはいつも他者を思う心。人が愛と呼ぶ愚かな幻影‥‥。愛は我が領域。そして人は皆悪魔以上の悪魔を身に潜ませている‥‥』
「クァイ!!」
「! レイさん」
声と風を切る音。瞬きしてクァイは後ろに下がった。
デビルがさっきまでいた場所に刺さったダーツ。
いつの間にかデビルはもう姿を消していた。
黒い意思だけを残して。
ただ、アリオーシュが残した最後の言葉。
『愛は我が領域。人は皆、悪魔以上の悪魔』
その言葉がいつまでもクァイの胸から消えることは無かったという。
「で、どうする?」
レイは問う。
「全てを話すわ」
クァイは仲間達の元へと走る。
悪魔との出会いと言葉を伝える為に。
冒険者達は目的を達した。
結果はハッピーエンドだったと言えるだろう。
けれども、物語はまだ終わってはいないようである。