●リプレイ本文
○隠された真実への道筋
依頼開始日初日、三人の依頼人達は冒険者ギルドに呼び出された。
同じ時間を指定され呼び出された為にかち合う扉前。
「あっ!」「なにっ?」「えっ‥‥?」
出会った三人、彼らはそれぞれに顔を見合わせ、声を上げた。
だが、それ以上の言葉も表情も顔に出さずに扉を開ける。
「ようこそ。待っていたぜ」
彼らを出迎えたのは猫を抱えた冒険者。その腕に抱えられていたのは
「「「ミカエリス!」」」
紛れも無く依頼人達が探していた猫だったのだ。
「う〜ん、よくわからないですねぇ〜」
呟いたエリンティア・フューゲル(ea3868)は珍しく、はあ〜、と大きな溜息を一つ吐き出す。
「う〜ん、〜〜〜ですねぇ〜、はあ〜〜〜」
肩の上で小さな妖精が、言葉尻を真似ながらはあ〜と溜息をつく真似をする。
それを見て、小さく頭を撫で微笑みながら
「考えすぎ、だったんですかねぇ〜。はああ〜〜〜」
彼は、もう一度珍しく、本当に珍しく深い、深い溜息をついたのだった。
元を正せば今、エリンティアが見ている指輪は同じ依頼を受けた冒険者仲間リ・ル(ea3888)の所有物である。
彼がこの指輪をどんなに大切にしているか判っているので、粗雑には扱っていないしそうするつもりも無いがこのまま見ているだけの調査ではやはり限界がありそうだった。
「石を外したら何か仕掛けが出てくるのでしょうかぁ〜? でもぉ〜、う〜〜ん、やっぱり拙いですよねえ」
右から、左から。角度を変えて指輪を見つめる。
でも、今のところはどこからどう見てもただの指輪でしかなかった。
「確かに珍しい石ですけどぉ〜、石の色が濃すぎて思ったのとは違いそうですねぇ〜」
エリンティアがこの指輪に何かがある、と感じたのはほぼ直感に近いものだった。
この依頼において、事態解決の鍵を握るのはこの指輪であると思ったのだ。
例えば遠い国のある種の古い鏡には下地に凸凹を付ける事によって絵を浮き上がらせる仕掛けがあるのだという。
それに似た仕掛けがこれにあれば、と思ったのだがどうやら、それは的外れのようだった。
陽の光や月の光。さらには陽妖精に頼んで暗闇の中で光も当ててみた。
部屋の中を少し暗くして、陽妖精にライトの魔法を使って貰ったりもしたのだ。
「リイン、お願いしますねぇ」
妖精少女は主の頼みを受けて指示通りに光を放ったが、結果は同じ、何も手がかりらしきものは浮かび上がってこない。
「これ以上やると本当に、指輪を壊してしまいますねぇ〜」
諦めたように息を吐き出してエリンティアは指輪を箱に戻した。
「絶対にこれに何かある、とおもったんですけどねぇ〜」
先入観は考えを狭めてしまう。少し気分を入れ替えようと立ち上がり、窓を開け、身体を伸ばす。
「おや♪」
開けた窓向こう。偶然にも猫が大きく身体を伸ばし欠伸をしているところだった。
「あのボス猫さんにも、早くあんな風にのんびりさせてあげたいですねぇ〜。さて、次はどうしたものか‥‥」
とにかく、この指輪は誰にも渡せない。
仲間の安全の為にもしっかりと預かっておかなくては。腕組むエリンティア。
だが、彼にはまだそれ以外の行動。そのアイデアが思いつかずにいたのだった。
○依頼人達が望むもの
路地裏の小さな酒場、呼び出された黒宍蝶鹿(eb7784)は注意深く周囲を観察し、
「あまりキョロキョロするな。こっちだ!」
呼びかけれた声に、その場所の方を見た。
「何よ。急に呼び出して。煮え切らない返事してたくせに。コリン」
「大きい声を出すなよ。誰が聞いてるか解らないんだぞ!」
「聞かれて拙いような事をしているの?」
という思いと言葉を飲み込んで蝶鹿は自分がコリンと呼んだ男の側に座る。
「この間の件はどうなったんだ? 猫が見つかった。と連絡があったぞ。それなのにあいつらはこっちに渡してこない」
イライラとした声と態度でコリンはテーブルを指で叩く。
少し前の冒険者ギルドでの会話を思い出したようだ。
『猫は、こうして確保した。だが‥‥見ての通り興奮してるんでな。暫くここで預かろうと思うんだがいいよな?』
抱きかかえられていたのは一瞬の事。顔を蹴飛ばして床に下りた猫をどこか嬉しげに見送って笑うリルは依頼人達にそう言った。
無理に連れ帰れば逃げ出しかねない猫と有無を言わさないリルの言葉に、三人の依頼人は頷くしかなかったのだ。
その悔しい思いを蝶鹿にぶつけるようにコリンは声を荒げる。
「ああ。でも、それは仕方ないのよ。今回の依頼を仕切っているのがリルなんだけど、あいつが猫を見つけちゃってね。報酬を吊り上げて独り占めしようとして、でしょうね私達に渡そうしないのよ。直ぐに依頼人に渡さないのもそのせいだと思うわ」
肩を竦めながら蝶鹿は、くすと笑う。余裕のある笑みだ。
「なんだ? 何か言いたそうだな?」
彼女とは正反対。余裕の無い顔をしていたコリンは上目遣いに蝶鹿を見る。
「このままだと、財宝の鍵とやらはあんたの手には入らないわよ。あいつは強いの。名声もあるしね。しかも猫好きで有名。簡単に手出しできないわよ。あんたには‥‥ね?」
「だから、何が言いたい?」
「あの男は猫だけじゃない。指輪も両方確保して隠してるんじゃないかって思うのよ。言ってたでしょ。指輪持ってないって」
「ああ、そんな事を言っていたな」
頷くコリンに蝶鹿は胸を張る。
「だからそうなら隙を見て奪って見せるわ。私ならそれができるの」
自信ある態度、自分と同じ空気を感じるもの。そう、見たのだろう。微かに唾を飲み込んだコリンの目に黒い光が灯る。
「本当に、やれるんだろうな? 裏切ったりしたら唯じゃすまさないぞ」
脅迫に似た言葉にも臆する事無く蝶鹿は頷く。
「勿論よ。けど、その前に知っている事は教えて頂戴。こっちは信用を削って、仲間裏切るんだから、隠してる事は聞かせなさいよ。でないと出なきゃ安心して踏み切れやしない!」
暫く、考える仕草をしたコリンはもう一度、周囲を見回した上で
「解った。話せることは話してやる。だから、その代わり必ずこちらに情報をよこす事。そして猫を捕まえてくるんだ」
そう蝶鹿に命じたのだった。
(「あれ? 指輪、じゃなくて‥‥猫なの?」)
ほんの少し感じた疑問を蝶鹿は表に出さず、コリンの話に耳を寄せたのであった。
酒場の外で二人の女性が顔を見合わせている。
「どう思うであるか? シュザンヌ殿」
コリンと蝶鹿。彼らは確かに注意深く周囲を伺っていた。
だがいかつい男性ならともかく、女性の特に二人組などには意外に注意の目がいかないものなのだ。
「‥‥あいつは、本気で裏切る気なのね‥‥」
だから気付かなかった。女性が二人。彼らの様子を伺っていた事に。
「冒険者ギルドで猫を見せられた後。あの二人がひそひそと話をしているのを見たので、もしかしたら、と思ったら大当たりだったのである。どうやら組むパートナーを変える気の様であるな」
外見にそぐわぬ口調で話す葉霧幻蔵(ea5683)
ちなみに今の外見はたおやかな女性の姿。男性である事、忍びの技を持っていること。この姿は変装術であることはシュザンヌには説明している。
「そうね‥‥。私は信じていたのに‥‥。一体、何の為に私は‥‥」
悔しげにシュザンヌは唇をかむ。
その表情には信じていたものに裏切られた純粋な憎しみがあった。
「知ってるでござるよ、貴殿と彼が“実は”な関係なのを‥‥」
冒険者ギルドでの会合の後、シュザンヌにそう切り出した幻蔵はコリンの裏切りを知らせ、実際に蝶鹿との会見を見せることによって彼女の不信感と本音を引き出そうとしたのだ。
そして、それはもう半ば成功しつつあるようだ。もう一押し。
「許せない。信じていたのに‥‥」
「そんなに許せないのなら、拙者が力になってしんぜようか?」
僅かに涙ぐんでさえいるシュザンヌに幻蔵はそう声をかけた。
「えっ?」
「もし貴殿が望むなら拙者、お金次第でバレない様に貴殿の恋敵を処理するでござるよ」
「? 本当に‥‥‥?」
驚いて下を向いていた顔を上へと上げるシュザンヌ。その瞳を見つめ無論、と幻蔵は頷いた。
「拙者、貴殿のような美しい女性が悲しむ姿は見たくないのである」
胸を張る幻蔵。だが‥‥と突然言葉を濁らせるフリをする。
「だが、見ればあの男も冒険者を味方につけ、しかも、かなりの腕を持つ様子。一筋縄ではいかぬようでござるな。報酬は成功報酬でいいとして、事故死か病死にでも見せる手でもあれば話は早いのでござるが‥‥」
「時間はかかってもいいわ。もし、できるというなら‥‥やってちょうだい」
両の手をまるで空気があの男の首であるように握り締めてシュザンヌは言った。
幻蔵は、少し瞬きした。
まさか、本当に依頼をしてくるとは。
つまりはこれ以上情報を引き出すのは不可能だということ。
そして、同時に彼は気付く。下手に返事はできない。
万が一ここで頷いてしまったら、冒険者が殺しの依頼を受けてしまった、ということになる。
そんなことになったら、冒険者ギルド。ひいては冒険者全体の信用問題だ。
「本当にいいのでござるか?」
一時の気の迷い。そう信じて確認するように問いかける。
だが、シュザンヌの思いと言葉は変わってはいなかった。
「‥‥とっくにもう、後には引けないもの。一人殺すも二人殺すも一緒よ。あいつだけを幸せになんかさせない!」
「シュザンヌ殿。それは‥‥どういう‥‥」
「あっ!」
ハッとした表情で口を押えて彼女は言う。
「そんな事、どうでもいいことよ。とにかく、やるなら急いで! 後でまた来るから‥‥」
言い残して逃げ去るように去っていった彼女の瞳。
「あれは‥‥涙?」
そこに微かな光る雫を見たような気がして、幻蔵は暫く動く事ができなかった。
こうして二人の依頼人にそれぞれ一人ずつの冒険者が張り付き、その本音を伺っていた時、ジョン・トールボット(ec3466)もまた三人目の依頼人の身辺調査を行おうとしていた。
彼自身はよくある先祖の財産を食いつぶし続けてきた没落貴族である事は解っている。
家族も無く、騎士として仕官しようとすることもなく、遠い昔の夢をまだ見続けている愚かな男だ。
彼がどのような経緯で富豪とはいえ、商人のビンシャーと知り合ったのか。どういう友人関係だったのか。
あの男はまだ何も語ろうとはしていなかった。
「猫嫌いのくせに猫を探す。ミカエリスだけは平気、ということはあるまい。むしろ、予想が当たっていればミカエリスこそが奴が一番恐れる猫である筈。リル殿の予想通り、あの夜に何かがあったのだとすれば‥‥」
そう、最後の夜。ビンシャーが死に、ミカエリスが家を出たというあの夜、何があったのか。
もし知る事ができていれば、事件の真相に大きく迫れるかもしれないと思ったのだ。
その判断は間違っていなかったと今も思っている。
ちゃんと身体が動いていれば。
「くそ‥‥。恨めしいな‥‥」
疲れからか、崩れた体調からか思い通りに動けなかった事を悔しく思いながら、ジョンは今頃調査などに動き回っているであろう仲間達の無事と成功を願っていた。
○見つかった真実と『猫』
「今日、コリンを連れ出す。と蝶鹿は言っていた筈なんだが‥‥」
門の外で様子を伺うリルに
「外で張り込みをするには少し寒い季節になってきましたものね」
カノン・レイウイング(ea6284)は同意するように頷いた。
防寒具があっても冷え込みが身に染みる十二月のイギリス。
あまり待ち時間が長くならないように、と祈る冒険者達の願いに答えるようにそれから直ぐに屋敷の扉を開けて出て行く男性の姿が見えた。
ここは、今は亡き宝石商ビンシャーの家。
今はここにいるのはビンシャーの妻ガラテアと、その使用人のコリンだけ。
コリンが外出した今はガラテアだけの筈だ。
「行こう。カノン」
「はい」
コリンの姿が街へと消えていくのを確かめてから二人は頷きあい、屋敷の中に入っていく。
このすれ違い。それが生む結果をまだ知らずに。
二人の冒険者の来訪をガラテアは迎え、受け入れた。
椅子を勧められて数分。どちらもなかなか言葉を切り出せない。
続く沈黙を断ち切ろうと周囲を見回していたリルは
「趣味のいい丁度がまだ残っていますね。特にその暖炉の上の猫なんかいい感じだ」
そう言って褒めるように微笑んだ。褒められたほうも微かに嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。夫が気に入っていたものですわ」
持ってみると軽い木彫りだ。金銭的価値は大してあるまい。
だが流石、猫好きと目利き商人が購入したもの。それは部屋に良く似合っていた。
暖炉の上から、一点を見つめる猫の右と左に座る猫の像は何か遠く、きっと空の月かなにかを‥‥見つめているよう。
神秘的なその様子に猫好きのリルは嬉しそうに微笑んでいた。
他のものも褒めようと周りを見回すが、それをガラテアは手で制した。
「ミカエル‥‥いえ、ミカエリスが見つかったと聞きました。あの子が見つかったというのに、私に何の御用ですか?」
静かに諦めたように彼女は微笑む。その頬や手に微かに見える痣。
それが意味する事をなんとなく察してカノンは少し下を向いた。
彼女はある意味覚悟を決めている。
これ以上は彼女をかえって緊張させるだけかもしれないと察し、リルは猫の像を元の場所に戻して頷いた。
「じゃあ、社交辞令は抜きにする。ああ、ミカエリス。猫の方だ。これから便宜上ミカ猫って呼ばせてもらうけど、気を悪くしないでくれ。そいつは確かに見つかった」
「そうですか」
寂しそうに彼女は微笑む。
「多分、解ってると思うが、貴方は正式な依頼人じゃあない。だから、本来なら貴方に猫を、ミカエリスを渡す事はできないんだ。渡すとしたらコリン、になる」
「はい‥‥」
リルの言葉にガラテアは静かに頷いた。やはり覚悟はできているというところだろう。
「単刀直入に言うが、あんたはもうコリンにも必要とされてないだろ? 指輪の所有者。正当な財産権の持ち主としか見られてはいない筈だ」
下げられた頭が肯定の印。カノンは自分の考えが当たっているであろうことを確信していた。
「猫がコリンをはじめ、誰の手に渡っても多分、あんたの望む結果は得られない。解るよな‥‥」
「はい‥‥。全ては私の罪と裏切りが招いた結果です」
ガラテアの言葉には諦めの色が漂っている。
「だが、コリンからこっちも聞いているだろうが俺達はミカエリスをまだ誰にも渡していない。正直、渡したくないんだ」
こちらには彼女は頷かない。コリンから聞いてはいたが理由が解らない、という思いからだろう。
「誰かにミカ猫を渡してしまえば依頼はそれで終わり。だがコリンは隠し資産が目的でシュザンヌはその愛人、バルドロイは猫嫌いだ」
「私達は別にお金が目的ではない、と前にも言いましたわ。猫のミカエリスさんは今の自由をたのしんでいらっしゃる。それを人間の下へ返すというのならせめて彼が幸せでいられる場所に返したいのです」
リルとカノンはそれぞれに言ってガラテアを見つめる。
視線が言っていた。
(『貴方は、猫のミカエリスを幸せにできるのですか?』)
と。
「正直、俺はまだあんた自身も信用しきっちゃいない。けど、猫好きの本能みたいなもので解るんだ。あんたは猫を嫌っちゃいない。だから、聞いておきたい。貴女はもし隠し資産が手に入ったらどうするつもりだ? 猫を飼いたいのか? それともその財産でぜいたくでもしたいのか? コリンの事は抜きにして答えてくれ」
真っ直ぐにリルの瞳がガラテアを見つめる。
ガラテアの逃げ逸らしかけた顔を、指の猫目石の指輪の光が、鎖のように引き留める。そして、暫し。
「財産など、もう要りません。ミカエリスに謝ったら、私はその足でキャメロットを離れようと思っています。故郷に帰る為に‥‥」
彼女ははっきりと冒険者にそう答えた。
「猫を、ミカエリスを飼う気もないんだな?」
リルの確認する言葉にも返った返事は頷き。
「私には、その権利は無いと思っていますから」
その答えにリルとカノン、冒険者がどういう印象を持ったかどうか解らない。
けれども、微かに応接室の空気は変わった。どこか優しさを帯びたものに。
「ならば、できるだけ教えて欲しい。ミカエリスとビンシャーの死因。そしてその前後の依頼人達の様子を詳しく、だ」
「貴方に嘘がない限り、私達は約束を守ります。貴方のお力になるという約束を‥‥」
二人の冒険者達はガラテアに向かって微笑む。差し伸べられた手と心。
ガラテアはそれに答えるように静かに、だが、強い眼差しで頷いたのだった。
今回の依頼においてある意味一番足で稼いだと言えるのはティズ・ティン(ea7694)とエルティア・ファーワールド(ec3256)であったろう。
彼女らはジョンの分も含め、細かい調査に全力を尽くしたのだ。
ことは二年前もの話。覚えようとしないことなど、人は直ぐに忘れてしまうものなのだ。
それを彼女らは懸命に追い求め探した。
まずは使用人仲間や商人の家などをあたり、二年前宝石商のビンシャーに仕えていた者から探し始める。
それから探したのは医師。
ビンシャーと彼の息子ミカエリス。
その死亡を調べた人物を探し出して何かを覚えてはいないか、聞こうとしたのだ。
遠い未来だったなら、いろいろと記録も残っていてもう少し調べやすかっただろう。
だが、細かい死因調査など難しいこの時代。
数日をかけた依頼の結果、得られたものは噂話と所見に過ぎなかった。
「でも、その噂話がけっこう重要だったんだよね〜」
ティズは冒険者ギルドへの帰路、エルティアにそう話していた。
「ビンシャー家のね、メイドさんと話ができたんだ。バルドロイのうちにいた子とも。そしたらビックリだよ。バルドロイはね、ビンシャーさんが死んだ日に、手を真っ赤にして帰ってきたんだって、その血は自分の血だったらしいけど、鋭い何かで引き裂かれたような深い傷だったようだって」
直接話を聞いた少女が手当てをしたわけではなかったが、その噂が真実であれば、冒険者が立てた仮説への穴がまた一つ埋まる。
その後、ビンシャーが猫を遠ざけるようになった事。酒に溺れ財産をさらに食いつぶすようになった事からもだ。だが‥‥
「どうしたの? そっちが集めた情報と何か食い違う?」
ティズはぶつぶつと呟き続けるエルティアの顔を覗き込んだ。自分の考えに落ち込んでいた彼女はティズに気がついて慌てて手と顔を振る。
「違いますが‥‥私が会った医者の話だと人間のミカエリスさん、ビンシャーさん。どちらの遺体にも外傷はなくて、病死と思われるって‥‥」
『まあ、確かに健康だったミカエリス君が、急に衰弱していったのは不審に思うところがある。体調を崩したにも急すぎたからな。けど、ビンシャーの死因は病死だよ。何らかのショックを受けて心臓が止まってしまったんだ』
ビンシャーのかかりつけの医師は、そう話したという。葬儀を取り計らった教会の司祭も同意見だった。
『ビンシャーは年齢のせいか身体も弱っていたし、ちょっとしたショックなどで心臓が止まってしまう事は十分にあると思う。自分の命がそう長くないと感じていたふしもあるしな。バルドロイとは古馴染みで仲は悪くなった。幼馴染でありながら苦境に立っている友人を助けたいと思っても不思議は無いのではないかな?』
古くからのビンシャーとバルドロイ。両方の知り合いで、正直で有名でもある医師の言葉。嘘を言っている様子はなかった。
『バルドロイも昔はけっこうな猫好きだった筈なのだが、あの怪我以降は病的なまでの猫嫌いになっていたなあ。まあ、あれだけ深く猫に傷を付けられれば仕方あるまいが‥‥』
「ちょっと待って! バルドロイが事件の晩怪我をしたって‥‥猫にやられたってことなの?」
「ええ、そうだと言っていましたが‥‥」
頷くエルティアの手をティズは真剣な顔で引いて、言った。
「ちょっとしたショックで心臓が止まってしまう事がって言ってたんだよね。そのお医者さん。なら、こういうことは有りえないかな? 借金を申し込みに行ったバルドロイがいる。ビンシャーがそれを受け入れずに口論になり、バルドロイが彼を突き飛ばすとかでショックを与える」
「! それでビンシャー氏が死亡した。そして、それを目撃されたか何かでミカエリスに反撃を受けてバルドロイは怪我をし、猫のミカエリスは家を出てしまった。逃げた猫の背中に血が付いていたというのはバルドロイの返り血で」
「現場を目撃したコリンとシュザンヌがバルドロイを共犯にしたてて、一緒に屋敷を探すが財産を見つけられず何かヒントを持つであろう猫を別々に追う‥‥?」
繋がった!
だとすればある意味一番危険なのはバルドロイである筈だ。そして、彼らは指輪を追ってはいなかった。彼らが探していたのは‥‥猫。
「ねえ、猫のミカエリスの側にはリルが付き添ってる筈だよね」
「ええ、あ、でも、今日は蝶鹿さんがコリンを連れ出すからガラテアのところに行くと‥‥」
二人は顔を見合わせると同時、走り出す。
一番大事だったミカエリスの警護。
担当する筈のリルに生まれてしまった空白の時間。
そこを埋める役を冒険者達は決めてはいなかった。
懸命に走り続けてたどり着いた冒険者ギルドで、彼女らを迎えたのは何かが倒れる音と扉が開く音。
「ちょっと! 待ちなさいよ!!」
蝶鹿の悲鳴にも似た声の響きと、逃げ出す男達の足音だった。
○残された『鍵』
蝶鹿は後に後悔してもしきれないと思った。
猫のミカエリスの警備状況をコリンに話してしまった事を、だ。
「リルが夜昼無く猫に張り付いているわ。いない時は冒険者ギルドに預けている筈。でも、リルがいない時もある筈よ。その時は知らせるわ」
信用を得る為に彼女はコリンとの打ち合わせの時にそう約束した。
リルには許可を得ていたが、リルがいない時、誰がミカエリスを護衛するか確認してはいなかったのだ。
まさか、誰もいないとは思わなかった。
外出したコリンはバルドロイを呼び出し、二人で冒険者ギルドへと向かう。
「何? まさか、強引に連れて行くつもりなの?」
懸命に二人を止めようと蝶鹿は動くが、男性二人。
しかも、形式上の依頼人に手出しはできない。
「何か、問題があるのか? 我々が猫探しを依頼したのだ。そして、猫が見つかった。引き取るのに何の不都合もあるまい!」
バルドロイは前に立つ蝶鹿を吹き飛ばすように手を横に払う。
それにぶつかるほど彼女とてドジではないが、二人の足は今も止まる事を知らない。
「で、でも。あいつを敵に回したらやっかいよ?」
「だから、奴がいない今がチャンスなんだろう? 心配するな。情報料にちゃんと報酬は出してやるよ」
にんまりとコリンは笑う。
「そんな‥‥」
(「どうしよう、どうしよう、どうしよう‥‥」)
思いながらも蝶鹿は男達の足を止められない。
せめて、ミカエリスの側に誰かがいることを願いながらもう既に冒険者ギルドの扉を開けてしまった二人の後を追いかけて中に入る。
そこに広がっていたのは最悪の状況だった。
中にいたのはギルドの係員と、猫が二匹だけ。
「なんですか? あんた達は?」
「ギルドに依頼を出したものだ。捜索を依頼し、見つかったという猫を引き取りに来た。連れていかせてもらうぞ!」
言ってバルドロイは猫達を睨みつける。正確には彼が睨んでいるのは、一緒にくつろいでいたもう一匹の猫を守るように立ちはだかっている銀と黒のサバトラ猫なのだが。
「見つけたぞ。ミカエリス。さあ、俺のところへ戻れ! お前に隠された鍵をよこすんだ!」
シャアアアー!
全身の毛を逆立てるようにして威嚇する『ミカエリス』。
その身体は全身で拒絶を表していた。
「待ちなさいよ! 指輪はその猫持っていないって、言ったでしょ? 今、勝手に猫を連れて行ったらリルが持っていった指輪は手に入らないわよ。その指輪が鍵なんじゃないの?」
何とか引き留めようと蝶鹿はコリンの手を引く。
だが、コリンは、くくと、小さく笑って言ったのだ
「誰が、指輪が欲しいなんて言ったんだ? 鍵が隠されているのはあの猫。猫自体なんだぜ。なあ? バルドロイ!」
「えっ!!」
「ビンシャーはお前を手に入れることが宝を手に入れる唯一の方法だと言っていた。指輪は同じものが二つある。と、いうことはあの言葉の意味はお前の体内に鍵が隠されているということだろう。戻ってきてもらうぞ。ミカエリス!」
バルドロイは憤怒の顔で『ミカエリス』を見つめる。他の猫は嫌悪の対象であるが、ミカエリスだけは憎悪の対象であるらしい。どこから出したかナイフさえ握り締め『ミカエリス』を見つめている。
「ここであんまり派手な真似は拙い。俺に任せておけ」
一歩前に出たコリンは不思議な粉を撒き散らした。
(「これは、マタタビ? しまった!」)
蝶鹿が口を押えるとほぼ同時、目の前の二匹の猫達の身体がゆらゆら揺れ始める。
いかにボス猫であろうとも、猫の生理的弱点には抵抗できないのか。
引き留めるように『ミカエリス』の背後にいた猫がその背に爪を強く立てるが、その痛みさえも気付かないかのように二匹の猫達はやがてバッタリと倒れてしまう。
「まったく、手こずらせやがって!」
首元を強引に掴んでバルドロイは『ミカエリス』を持ち上げた。
「ん?」
見れば背中にしがみつくように爪を立ててもう一匹の猫が一緒にくっついていた。バルドロイはその猫を
「邪魔だ!」
無造作に振り払って落とす。
ドサッ。
「連れて行かせてもらう。依頼の報酬は置いていくぞ。お前用の約束の報酬は宝が見つかった後だ」
「ちょっと! 待ちなさいよ! その猫を殺したりしないでよ! 大事な鍵なんでしょ!」
男達は振り返りもしないで先に進んでいく。
蝶鹿は悩んだ。後を追うべきか、それとも‥‥
迷った挙句、蝶鹿は猫を選び手当てを始めた。
「何があったの?」「どうしたんです。一体?」
仲間達が戻ってくるまで、悔しい気持ちを噛み締めながら‥‥。
リルは抱いていた猫をそっと毛布でくるんで、テーブルの上に置いた。
それを気にするものはいない。
「すみません。守りきれなくて‥‥」
頭を下げる蝶鹿に冒険者全員が首を横に振る。
「貴方のせいじゃないですぅ〜。僕は完全に読み違えていましたからねぇ〜。不覚ですぅ〜」
エリンティアは悔しげに呟き、
「それは、拙者とて同じ事。思えば情報を得る為とはいえ人殺しを口にするなど冒険者としてあるまじき事だったのである。その上、肝心な時に役に立てず‥‥」
幻像も唇を噛み締めていた。
ほんの僅かなすれ違いと思い込み、そして情報収集を優先するあまり足りなくなってしまった依頼人達の行動の予測と対応。一つ一つは小さなミス。それが、最悪に近い結果を招いてしまった。
薬と手当てのおかげで猫の命には別状はないが‥‥
「だが、ミカエリスは敵の手に渡ってしまった。と、なれば‥‥鍵もまた‥‥。下手をすればミカエリスの命も‥‥」
「くそっ!」
ジョンの言葉にリルは床を見つめ手を強く握り締めた。
さっきの争いの血痕がいくつか残っている。
リルの猫が偶然か、それともリルの思いを受けてかミカエリスにしがみつき、それを払われた時のものだろう。
「あら? ちょっと待って下さい。あれは‥‥なんです?」
ふと、足元を見ていたカノンが声を上げる。あれ、と指差された先を冒険者達は見つめ、一番近くにいたエルティアが拾い上げた。
赤黒い何かが付着しているが不思議な光も放っている。
「これは‥‥鍵?」
それは親指の先ほどの小さな、小さな鍵だった。
鍵に触れた時、リルは思い出していた。
『人間不信なのかもしれないけど、世の中、色んな事があるんだから、それも楽しんだほうがお得だよ。ポジティブに生きなくっちゃ!』
『おいミカ猫、連中が来たらいい演技してくれよ』
冒険者達が猫達にそんな声をかけた時、あの猫は無反応ながらも悪い顔をしてはいなかった。
照れくさそうに背中を向けたあの時、見えた傷。
『それは、どうしたんだ?』
伸ばした手が微かに傷に触れた時の感触とこれは同じだと。
「まさか‥‥これが、隠し財宝の鍵‥‥か?」
血をふき取られた鍵は答える事無く、ただ月色の静かな光を放っていた。