●リプレイ本文
冒険者ギルドは、明るいとか賑やかとか、そのような雰囲気とは無縁の空気を纏っていた。
「ベネットが庇ってくれなかったら、今頃ベルは‥‥」
落ち込み、顔を下に向けるレイン・シルフィス(ea2182)。顔には不安が、眼には後悔が溢れている。
「うじうじしている暇は無いぞ。レイン。嫌な感じがする。こいつはこの間、盗賊共を殺した奴と同じヤツじゃないのか?」
ドン!
誰もが聞こえるような音がする。ギリアム・バルセイド(ea3245)の強い力で背中を叩かれて、レインの背中は真っ直ぐに伸びた。
「そうですわ。それに私も、今回の件に‥‥作為的な何かを感じますの。盗賊といい、今回の謎の獣といい‥‥」
李彩鳳(ea4965)は言葉を濁したが、彼も、また仲間達も、そのことを感じている。
「ただの魔物が理由なくこんな事件を起こすでしょうか? 正体は明確な目的を持った高位の魔なるものと考えて自然ですわ」
「高位の魔物‥‥。あの石の中の蝶に反応した‥‥デビルでしょうか?」
アリシア・ハウゼン(ea0668)の声を聞きながらクウェル・グッドウェザー(ea0447)は顎に手を当てた。その指には石の中の蝶と呼ばれる指輪が嵌まっている。今は勿論動かない。
「可能性はある。だが‥‥今はまだなんとも言えないよな。もう少し調べてみないと‥‥」
確かにアーウィン・ラグレス(ea0780)の言うとおりここで考えていても結果は出ない。村人を安心させることが何より先決だとレオンロート・バルツァー(ea0043)も思う。
「急いで村に行きましょう。こうしている間にも被害は広がっているかもしれませんから」
そう言ったアリエス・アリア(ea0210)の言葉に冒険者達は頷き、立ち上がった。
「それから、今回は警戒の対象に、ベルを加えたほうが良いかもしれないぞ」
「どうしてです?」
クウェルの問いにギリアムは胸のうちをまだ完全には明かさなかった。それは、根拠の無い予感だったからだ。
「恋する男達の心配を少なくする為、とでも言っておこう」
ちらりと、レインを見ながらギリアムは告げた。見るとレインだけはまだ立ち尽くしている。
「どうしたんです? レインさん? まだお悩みですか?」
心配そうにシエラ・クライン(ea0071)は顔を覗き込むが‥‥彼は唇をキッと噛んで首を横に振った。
「考えていた事があるんです。どなたか、キャメロットで調査をして下さる方はいませんか?」
「えっ?」
冒険者達の多くの目線がレインに向かう。動かないのは部屋の端にいるゼディス・クイント・ハウル(ea1504)くらいだろうか‥‥。
「ベネットさんは商人、その関係者などはどんな人物か、調べたほうがいいと思うんです。ひょっとしたら彼は‥‥」
実は思い当たることが無いでもなかった。ただ、これも今の時点では全く根拠も何も無い予感、というよりカンだった。
ベネットと同じ色をした目と、髪を持つ少女に以前出会ったことがある。外見も、かもし出す空気もまるで違うけれども‥‥。
「ひょっとしたら、彼は‥‥。あ、人手がいなかったら僕がしますけど‥‥」
「それでしたら、私の友人に調査を手伝ってもらいましょう。実は謎の獣の事が何か解らないかと調べてくれている知人がいるのですが、他の友人にも協力を仰げば少しは何か情報を集められるかもしれません」
だから。手を上げたクウェルはそう繋いでレインの方を見る。彼の手にほうきを握らせて。
「はい。レインさんは、一刻も早く村に向かって下さい」
様子を見守る仲間達の笑顔は優しい。レインは心からの感謝で頭を下げた。
「ありがとうございます。‥‥では、お願いします」
空飛ぶほうきで先行した者、魔法の靴を使って早足で歩いた者、自分なりのペースででも急いだ者。
そして、友達に調査を依頼し、手配をし、鷹杜紗綾から調査結果を受け取ったクウェルが馬で、最後に門を出た。
仲間の姿は既に見えない。だが、スグに追いつける筈だ。
馬の手綱に力を込めた。
仕事帰りのアーウィンを子供たちが取り囲んでいる。
「‥‥と、言うわけだ。世界は広いんだ。遠いジャパンという国にはいろいろ面白い食べ物とかもあるんだぞ」
「お兄ちゃん、もっとお話して?」
アーウィンの膝の上に身を乗り出してくる子供がいる。うーん、とアーウィンは考える仕草をした。
「お話しするのはいいんだが‥‥」
どうしようか‥‥、もう日が暮れかけている。
と、アーウィンは村の入り口に仲間の影を見つける。最後にやってきた仲間達の到着だ。
「悪い。‥続きは明日だ。夜更かししないでイイコにしてろよ」
つまらないと言うように唇を尖らせる子もいたが、直ぐに素直に頷いて家へと戻っていく。
「よう! 思ったより早かったな」
「いやいや遅れて申し訳ない。観客にして演出家なシロウさんもお楽しみにしていざ参らん」
「芝居がかった挨拶はその辺にしておきましょうか? で、どうでしたか? こちらの様子は‥‥」
「それがな‥‥」
レイヴァント・シロウ(ea2207)を軽くいなしたクウェルはとりあえず、こっちへ。と手招きされる。
村に一件だけの宿屋兼酒場が冒険者達に解放されている。先に来た仲間もそこにいる筈だから。アーウィンはそう言って歩き出していた。
時折すれ違う村人が、冒険者達にそれぞれ挨拶をしていく
あんな事の直後なのにその笑顔は強く逞しく‥‥
「にがよもぎな苦境の中で咲くのはいかな花か? それは笑顔と言う強く、美しき花」
すれ違った働き者の背中に向けてレイヴァントは心からの礼を捧げていた。
「さて、何から話したらいーかな?」
小首を傾げるティズ・ティン(ea7694)にまずは最初にしたことから、とレインとアーウィンが話し始める。
フライングブルームで最初に駆けつけた彼らが、まず最初にしたのは、村からの正式依頼解決の為の家畜の把握だった。
「大丈夫‥‥僕達が来たからには安心して下さい!」
レインの堂々とした言葉に村人達は安心の顔を見せ、協力を約束した。
だが羊の見回りがてらやってきた農場で
「ねえ、フリード。村の家畜をなるべく一箇所に集めることはできませんか‥‥?」
「無理!」
聞いたレインの問いにきっぱり、はっきり即答でフリードは答えた。
「どうしても?」
苦笑しながらレインは問うが‥‥フリードは広がる緑の草原を指差した。
「あのさ。ここは、僕の家の農場だけどここだけで‥‥いろいろあって少し減ったけど3〜40は羊がいるんだ。村の半分は山羊や羊を飼っているし、僕のとこよりももっと沢山飼っている人もいる。人間よりも羊や鶏が何倍も多い村。全部足せば100や200じゃきかないから、一箇所に集めるのは難しいんだよ」
「確かに‥‥そうだね」
「でも、夜に家畜を外に出さないようにするのは、大丈夫だよ。囮になるように何件かの家で少し羊を出しておいて貰うこともOK。たださ、扉を破ったりはしないけど、小さな窓くらいなら入ってきちゃうんだよね‥‥」
ということは屋根の下でも狙われる可能性はあるのだろうが‥‥敵の動きを見る為にもこの方法でいいだろうと思う。
「で、行かないでいいの? ‥‥ベルの所に」
真剣に考えていたレインの背が動いた。‥‥別に避けていた訳ではない。ただ、少しだけ足が止まっていたのは事実だろう。
向こうからアーウィンも戻ってくる。
「‥‥安心されよ、村の衆〜!」
第二陣の仲間もやってきたようだ。
ここは行くべきだろう。
何より、一番会いたかったのだから。
「ええ、行きます‥‥」
背を向けたレインを見送り、フリードはため息をついた。そんな彼に向こうから元気な声が駆けてくる。
「フリード〜。来たよ〜。災難続きで大変だね。でも、私ががんばるから大丈夫!」
少し辛い顔を笑顔に変えてティズを迎えた少年。
強い心を持とうとする彼を、その様子を彩鳳は遠くから黙って見つめていた。
「やっほー! 元気してた?」
明るく元気な声が、小さな部屋に響いた。ベッドに横たわる青年と、その枕元に座る少女は同時に声の方へ顔を向けた。
「あ♪ 皆さん!」
晴れやかな顔で、ベルは声を上げて立ち上がった。嬉しそうに駆け寄ってくるベルに冒険者達も満面の笑みを見せる。
「この間は怖い思いをさせてすまなかったな」
「お怪我はありませんでしたか?」
「はい、あの時はろくにお礼も言えず、申し訳ありませんでした。助けに来て下さると信じていましたから‥‥、あ、ごめんなさい‥‥」
気が抜けたのか、ぽろり、ベルの頬から涙がこぼれる。
仲間達の肘や足に突付かれて、前に押し出されたレインは、ベルの肩にそっと、手を回す。
「君が‥‥無事でよかった‥‥」
「レインさん‥‥」
「いや〜、ドジを踏みました。皆さんに助けていただかなかったらどうなっていたことか、どうもすみませんねえ」
ハッとしたような表情を見せてから、ベルはゆっくりとレインの手から離れる。
夢のような時間のしゃぼん玉は、ベッドに横たわる、一応の怪我人からの声で壊れた。
「あ‥‥ベネットさん」
「怪我の具合は如何です?」
彩鳳の問いにベネットはよいしょと、身体を持ち上げる。
「おかげさまで、大分いいんですが、まだ傷は完全に塞がってはいなくて‥‥うっ!」
「大丈夫ですか? ベネットさん!」
顔を赤くして俯くベルは慌ててベッドに駆け戻り、呻き声を上げる青年の背中を擦った。
「ありがとうございます。ベルさん、お手数をおかけして‥‥申し訳ありません」
ニッコリと微笑んで、ベルの肩に両手を伸ばすベネット。その柔らかく甘い笑顔に何故か
(「‥‥ムッ‥‥」)
としたものがその場には多かった。冒険者達はアウトオブ眼中、蚊帳の外。少なくともベネットはそんな様子だ。
「ああ、ベルさん。少し‥‥手を貸して頂けますか?」
「はい‥‥」
ベッドの上のベネットの背中に手を回し、ゆっくりと寝台に横たえる。
「私、ちょっとタオル交換してきますね。あと何か持ってきますから‥‥」
「は〜い! あたしも手伝うよ〜」
外に桶を持ったまま駆け出すベルを女性陣が追った。
「‥‥誰とは言いませんけど、ベルさんの事をずっと心配していらっしゃる方もいる事ですし。よろしければ、看病は私に代わらせて下さい」
「ムリはいけませんわ」
そんな声はやがて遠ざかり、静かな部屋の中には冒険者とベネットだけが残される。
「この間は済まなかったな。何時までも寝ていると商売に差し支えるだろうから、これを渡しておくぞ」
ドン! ギリアムはベッドの横のテーブルに強い力で瓶を二つ置いた。それよりは少し穏やかにレインも一つ、瓶を置く。
「これは‥‥なんです?」
「商人なら、旅をする者なら知っているだろう? 怪我を治すポーション。効果は保障付きだ。これを飲めば一発で傷は良くなるぞ」
「傷を治すのにお役立て下さい、ベルを守って下さったお礼です」
「そんな‥‥愛する人を守るのは当然ですよ。それに監禁されていた中、僕は気が付いたんです。彼女をこれから命がけで守ろうと‥‥。それが僕の使命だと‥‥」
彼は微笑む。その笑顔は柔らかく見えて、実は違うように幾つもの戦いを潜り抜け、多くの人々と出会ってきた彼らには感じられた。
「僕はこれから愛する人の為に、自分の全力を尽くそうと思います‥‥負けませんよ」
「えっ?」
最後の声にレインは瞬きした。だが、それと同時にベネットが目を閉じ、ベッドに戻ったので話はそこで打ち切られた。
外に出て直ぐ、アーウィンはイライラとした顔で足元を蹴る。
「なんだ? あいつ!! あ〜、訳が解らないがいやな奴だぜ」
「‥‥彼も、ベルに心を奪われた者の一人、なのでしょうか‥‥」
「本当にそう、思うか? レイン?」
項垂れたレインにギリアムが問う。
「どういう‥‥意味です?」
(「あの男、纏う空気が只者じゃない。前に会った時は人好きのする笑顔に騙されたが、ただの商人じゃない。きっと‥‥」)
その質問に答えずにギリアムは一本のナイフをレインに握らせた。
銀が白く光を返す。
「護身用としてベルに渡しておくんだ」
「ギリアムさん‥‥」
「結果として俺はベルを危険な目に遭わせているからな。それに渡すのはお前の方が適役だ」
「はい」
素直にギリアムの言葉に頷いて、レインはナイフを受取った。彼の目も鋭い力を見せる。
「もうじき、残りの皆も来る。ここからが、本番だ」
その場にいた、全員の頭が前に動く。無言で、静かに。
「僕、竪琴を弾いて来ますね。子供達との約束だから‥‥」
「あ、私もお手伝いしますよ。昔話でも聞かせてあげようかと」
「俺も、仕事が終ったら行くから‥‥」
それぞれが、それぞれの思いを持って動き始めた。
仲間の訪れと、まだ知れない敵を待って‥‥。
「で、襲われた家畜を見た結論は、やっぱり猫科の獣だと思う。ただ、大きさは通常の猫じゃない。爪の形からして1.5mはありそうだ」
「ふむふむ。やはり強敵になりそうだな」
アーウィンの報告を聞きながらレイヴァントは羊皮紙に村の簡単な見取り図や、必要な話。情報を整理するように書き留める。
今は、第一斑が見張り中。
交代までにできるだけ情報は確認しておきたいものだ。
レインは家々を回り、人々に安らかな音楽を贈っている。
アリシアは村長の元に聞き込みに、アリエスは家畜小屋の仕掛けの確認に行ったようだ。彩鳳もまた知人に忠告を。
そして、ゼディスは睡眠をとるとベッドに入りながら、眠れないでいた。
思考が‥‥止まらない。
(「‥‥俺達は『賊を処理する役』として利用されたわけだな」)
その思いはもう確信に近いものとしてゼディスの心を支配していた。
改めて確認したあの盗賊たちの持ち物にあったのは、先の戦いでオクスフォード軍から支給された武装品の一部であることはレイヴァント達の調査からもほぼ間違いないと確認できた。
あの戦いの後、逃亡などにより盗賊に堕ちた兵もいるかもしれないが、彼にはもっとはっきりとオクスフォード軍も持ち物を持つゴロツキ達に心当たりがある。
(「賊達はただの駒。ある目的の為に利用された。死ぬことさえ折り込み済み」)
賊たちが駒であるのなら、駒だけでチェスはできない。操る者が必ずいる。
(「あの男、ベネットとか言ったな‥‥」)
まだ確証は無い。だが、皆もうすうす気が付いている筈だ。眼を閉じてみる。眠れないのは解っているが、身体は休める必要がある。
(「まずは『謎の獣』の処理だな。そうすれば確実に事態が変化する。良いか悪いかは知らないが)
その目的の為にも‥‥。
最初の一夜は何事も無く過ぎた。
「見たまえ! 獣も私達に恐れを為したのだろう。まあ私達が来たからには謎の獣など出たら、瞬く間に退治してくれよう!!」
レオンロートが自信ありげに村人たちに告げる。見つめる彼らの眼にも喜びや安心感が見えるから、仲間達も少し照れくさそうにしながらも止めはしなかった。
冒険者達がいる、その安心感は暗くなりがちだった人々に間違いなく笑顔を与えてくれた。
村人たちは収穫に、羊や動物たちの世話に忙しい。子供達も懸命にそれを手伝う。辛い仕事ではあるが表情は明るかった。
穏やかで、静かな幸せそのものの風景。
それが、共に羊を追ったり、麦束を運んでくれたり、料理を作ってくれたりする冒険者達。
この風景は皆のお陰だ、と村の司祭はアリエスに感謝の言葉を述べた。
「ベルは最近、私の所に神学を学びに来ている。神に仕えると共に、大好きな皆を守る力を持てる様になりたい、と言っていた。フリードも頑張っているようだ。これも、君達のおかげだね」
「大切な場所、思い出、そして大好きな人。絶対に失って欲しくなくて‥‥失わせたくないです。‥‥ねえ、司祭様?」
「何かね?」
「もしもこの村と人の心を支えれたら‥‥主よ、彼方は私を許してくれますか?」
「汝は、既に許されている。罪に心囚われず、生きることだ。それを主もお望みだろう」
「ありがとう、ございます‥‥」
瞼を伏せたアリエスの眼に何が映り、何が灯ったかは彼以外誰も‥‥知ることは無い。
「ご婦人、調子はどうですかな? よければこの特製ハーブティーを進呈してみんとすが‥‥一緒にお茶でも?」
優雅に礼を取ってお辞儀をするレイヴァントに婦人は、ニッコリと天使のように微笑んだ。
「ありがとう。貴方はベルのお友達?」
「‥‥ええ、そうですよ。レディ。どうぞお見知りおきを」
挨拶を、彼は丁寧に返し、お茶を入れた。彼は会うたび婦人と同じ挨拶を交わしている。
彼女は自分を見ていない。いや、周囲全てを見てはいないだろう。
彼女の世界の中にあるのは家族と、自分。ただそれだけ。
世の中にはいるのだ。このように恐ろしいことから逃げる事しかできない心弱き人が。
人の心はそう簡単には変えられない。だから、せめて‥‥思いを込めて入れたお茶をそっと差し出した。
トントン。
ノックと共に扉が開く。
「ベルさん?」
「ベル様ではありませんの。申し訳ありませんわ」
「すみません。彼女は疲れているようなので休んでもらいました」
トレイを持って入ってきたシエラと彩鳳はそう言って小さく笑った。苦笑の表情を浮かべるベネットのベッドの横に食事をそっと置く。
「あ、いや。別に他意はないんですが‥‥。ありがとうございます」
素直にお礼を言って彼は食事に手を伸ばした。
「あら、お薬をまだ飲んでいらっしゃらないのですわね」
テーブルに置かれたままの薬を見て、彩鳳は首を傾げた。
「ええ、貴重な品ですからね。何か申し訳なくて‥‥」
「気にすることありませんのに。早くお体を治す方が大事ですわよ」
「ご家族が心配しているんじゃありませんか? お仕事のほうは?」
シエラは彼とはほぼ初対面。不自然にならないようにさり気なく周囲の片付けをしながら聞いた。
「僕の放浪癖は承知ですし、店そのものは父の持ち物ですから大丈夫だと思いますよ」
さらりと、かわして彼は運ばれたスープを口に運ぶ。ものを食べている人物からはそうは話は聞けない。
「お茶など如何かな? っと、お邪魔であったか? 失礼を」
ハーブティーを運んできたレイヴァントもムリに話しかけはしなかった。だが『食べ方』でわかるものもある。
(「ふむ、貴族とはいかなくてもかなりな教育と礼儀作法を学んできた人物だな‥‥。しかも、身のこなしに隙が無い。あるとしたら‥‥ワザと作った隙?」)
あまり長居しても怪しまれる。
「じゃあ、私達はベルさんのお手伝いや夜の見回りの準備がありますから‥‥」
「ご苦労様です。獣退治においでになったのでしたっけ? どうぞお気をつけて」
「大丈夫ですわ。隠れて家畜を襲う程度の、臆病で姑息な獣ですので、我々に怖じ気づいて姿を現さないかもしれませんしね」
「ご心配感謝する。では!」
退室する彼らを、ベネットは表情を変えず小さく会釈して見送った。その変えない表情に何かがあるような気がレイヴァントと、背後で見ていたゼディスはしてならなかった。
「ねぇ、今、恋してる?」
皿を洗うのを手伝いながらティズは横にいるベルにそう聞いてみた。
「えっ? ‥‥はい」
「うわっ! ダレダレ? あたしの知ってる人かなあ?」
興味津々の顔で迫ってくるティズにベルは頬をリンゴ色に染める。
くすっ。ティズは自分より年上の少女に、何故か優しい見守るような瞳を贈る。
「大丈夫。きっと、その人も貴方のこと好きだから」
「ええ‥‥。でも、いつも守ってもらってばかり。だから、私は‥‥。」
頬をさらに赤くしながらベルは、服のポケットの中に手を入れた。
そこには小さなお守りと、さらに小さな布袋が入っている。
それを、そっと、強く握り締めて‥‥。
夜という名称の時間。
「これは!」
声を上げたクウェルの様子に、後ろでカンテラを掲げていたアリシアはハッと光を上げた。
影が走った。家畜小屋の屋根から家の屋根へと‥‥今。カラカラと鳴子の音もする。
「来ました。敵です。蝶も反応しています」
「今、皆さんを呼びますわ! ムーンアロー!」
光を放った。これでも、見張りの仲間が来てくれる筈。
「うわっ!」
直後、先を走っていたクウェルの腕に衝撃が走った。盾が押さえた為、激しい痛みではない。だが、手が痺れる。
獣の突進の勢いがクウェルを地面へと押し倒す。
「クウェルさん!」
その喉笛に喰いつかんとする黒き影に向かってアリシアは瞬間、水の弾を打ち出した。
「ぎゃううっ!!」
とっさに直撃を交わしたものの、恨むような唸り声を上げてその影は空中に浮かんで彼らを見つめている。
アリシアとクウェルは体勢を整え、空を見る。そこには、人ほどの大きさの黒い豹がいた。背にコウモリのような漆黒の翼をはためかせて。
「あれは‥‥一体?」
「大丈夫ですか?」「アリシアさん! クウェルさん!!」
駆け寄って来た彩鳳とレインを見つけると、豹はさらに強く、翼をはためかせた。それが攻撃の合図。そう解った時には豹は突進してくる。レインに向けて。
「危ない!!」
「くっ、くそっ!! ‥‥させない! 僕が絶対に行かせるものか! 」
身体が軋みそうな衝撃と痛みに耐えながら、レインは敵を睨みつけた。攻撃直後の隙をついて彩鳳が短剣の素早い動きで切りかかる。
「ぐああっ!」
右足に一線が真っ直ぐに引かれた。
後方に回転しながらまた空へと逃れた奴の顔は人と同じであるなら、苦痛と憎しみに彩られているように見える。
「怖かったら小物らしく、尻尾を巻いて逃げてはどうですか?」
息を切らせながら彩鳳は敵に向かって言い放った。空中に居座られてはこちらが不利だ。なんとか逃がさないように。と。
獣もまた、自分を傷つけた相手を憎むように見つめている。また強く翼が動いたか。
そう思った時だ。
「皆! 無事か!」「大丈夫ですか?」
夜が白々と明けつつある、その光と共に冒険者が、一人、また一人と集まってくる。
「くっ!」
羽ばたいた翼は、冒険者の方、街のほうではなく、森のほうに背を向けていく。
「逃がしません!」「月の矢よ!!」
空に向けて、攻撃の手段を持つ者達は、全員が全力でそれを放った。
月色の矢が一矢、二矢。蒼い光も飛ぶ。だが‥‥
「えっ?」
冒険者は目を瞬かせた。呪文は全て、獣の身体に当たる直前で掻き消えるように散った。
「何故?」
「‥‥‥‥! 皆さん、どいて下さい!!」
「えっ?」
シュンシュン! 風切羽の鳴る音がした。アリエスの手から銀の矢が放たれる。真っ直ぐに、揺らぐことなく。
「うぎゃああ!!」
響き渡る黒い悲鳴が告げる。矢が翼に当たった。と。
同時に空から落ちていく。地面に向かって真っ直ぐに。
「落ちた! 皆、追いかけるぞ!!」
アーウィンの声に全員が走り向かう。
落下地点に向かうまで、いくつかの辻を曲がり、建物の前を横切った。
彼らが目を離したのはそう長い時では無かった筈。
だが、冒険者がその場に辿り着いた時、そこにはもうあの獣の姿は無かった。
身体を引きずったような後は残っていた。だが、それがある場所からフッと消えて後、手掛かりはどこにも見つけられなくなる。
人は、沢山いる。ねずみも、犬も猫も、鶏も、羊さえも沢山。だが
「一体、あの図体の怪物が、どこに消えたんだ?」
ギリアムのその答え、獣の姿は見つかることは、もう無かった。
致命傷に近い傷を与えたものの、獣を取り逃がした。
冒険者達はそれを村人に謝ったが、彼らは首を横に振り、逆に感謝の言葉を口々に言った。
「あれから、獣の襲撃は無くなりました。おそらく倒されたのでしょう」
「盗賊が来てからうなされていた子供たちが笑顔を見せてくれるようになりました。ありがとうございます」
人々の笑顔に励まされ、冒険者達は一度キャメロットに戻ることにした。
「何かあったら、すぐ呼んで下さいね」
獣避けの鳴子などの仕掛けのやり方を教えてアリエスは司祭や、村人に真摯な眼で告げる。
教会にこっそり置いてきた報酬に後で気付いて貰えるだろうか?
「少し遅れてしまったけど、今度収穫の祭りを行います。ぜひ、皆さんで来て下さい」
「お元気で‥‥」
村人皆に見送られて、冒険者達は村を後にした。
「空の敵に、手も足も出なかった。まだ俺には力が足りないと言う事か、ック」
俯くレオンロートに今は、誰も声をかけない。彼と同じ悔しさを大なり、小なり持っている。
だが、それを今は、口には出さなかった。
「それにしても、意外だったな。あの男、随分と素直に村を出たじゃないか?」
ふと、アーウィンは思い返してみる。冒険者達があの獣を退治した翌日、彼は一度家に戻ると村を出て行った。驚くほど素直に。
「書き置きが残っていたそうですわ。村とベルの為にできることをしてくる、と。どういう意味でしょうか」
(「盗賊の襲撃、謎の獣の出現‥‥。タイミングよく、立て続けに起こる災いにしてはできすぎているとしか思えないのですけど、誰が、何処まで仕組んでいるのでしょう‥‥まさか、彼が‥‥」)
シエラはずっとそれを考えていた。今は、答えの出ない問いだが。
「私達もずっとあの村にいるわけにもいきません。心配ですが、仕方ありませんわ」
今は、信じるしかない。彼らの未来を。
抱きしめたあの少年の勇気を‥‥。彩鳳は信じたいと思っていた。
それと、同じように少女の思いを信じるものが一人。
『いつも、一緒にはいられないけれど、信じてもらえますか? 私の思いを‥‥』
「ベル‥‥」
レインの手の中に握り締められたものの正体を、ギリアムも、アリシアも知っていた。だが「見守る会」としてはここは、今は大人しく見守ってあげようと思う。
大切な人を守ってくれるように。その贈り物には彼女の思いが込められている。
「僕も、信じるよ。君を‥‥ベル」
それは、彼女への思いと、小さな指輪だった。
「なんで、この村は狙われるんだろうね?」
「ふむ、何が目的なのであろうか‥‥。見る限り、特別な物は無いように思うのであるが‥‥」
ティズとレイヴァントの会話を聞きながら、ゼディスは考えていた。彼には見えるような気がする。
村人を、自分達を、そして盗賊たちさえも駒にして動かそうとする闇からの見えざる手を。
「あいつは‥‥一体何を考えているのだ?」
クウェルの頼みを受けキャメロットで調べものをしていた三人の冒険者達は、クウェル達が発ったその日の夜、自分達の集めた情報に少し驚いていた。
商人ゴンゼルの息子は少しは知れた武器を扱う商人。しかも、自身もかなりな剣の腕を持つ戦士だという。
黒髪、黒い瞳の若い戦士。そんな人物は山ほどいるが‥‥。
「武器商人か、やな感じだね」
似ているのか、似ていないのか解らない似顔絵を前にしながら彼らは仲間達の無事を同じ心で祈っていた。
「思ったより、手強いかな?」
手の中で金袋を弄びながらベネットは呟く。
この金は村の為に使ってくれと、ベルに渡したものだが、そっくりそのまま手付かずで戻ってきた。
「村の子を縛る貸しは作りたくない、ね。素晴らしい絆だね。ズタズタにしたくなるほど‥‥さ」
『主よ。私はあの冒険者どもに貸しがある。このままでは引かぬぞ』
肩の上から外見には似合わぬ、太い声が響く。
「ああ、勿論さ。手に入れる。全てを‥‥」
森の中に隠しておいた装備を身にまとって彼は笑う。
闇色の瞳、闇色の髪、そして闇色の心が輝いていた。