●リプレイ本文
穏やかな時が流れた。
それはこれから起きるかもしれないものを忘れさせる程に。
「もう、ダメですよ。どんな簡単な依頼に見えても保存食を忘れちゃ‥‥はい、どうぞ」
そう言ってシエラ・クライン(ea0071)はレオンロート・バルツァー(ea0043)に保存食を差し出した。
フライングブルームで少し遅れて合流した彼女には少し、保存食の余分があった。
「すまない。皆の邪魔にだけはならないようにしようと思ったのだがな」
言いながら食事を口にするレオンロートの背後で
「ゴメンね〜」「ごめんなさい」
同じように仲間達から食料を差し出された者の声が聞こえる。シエラは小さく苦笑した。
「ちょびっと、油断しちゃった」
軽く頭を下げるティズ・ティン(ea7694)はぐるぐると鳴るお腹を押さえパンに手を伸ばす。
一方のアリエス・アリア(ea0210)はまだ躊躇いの手だ。
「どうした、食べないと持たないぞ」
兄のように優しくアリオス・エルスリード(ea0439)はアリエスに声をかける。ちなみに保存食の提供は彼ではない。
「あ、はい。すみません」
それでも、まだ手は動かない。本当の提供者クウェル・グッドウェザー(ea0447)も心配そうに見つめる。
彼の視線の先には馬に揺られて疲れた顔を見せる母を、懸命に介護するベルの姿が見えた。
「そう心配しなさんな、伯爵も疲れが溜まってたんだよ」
荷物を降ろすのを手伝ってアーウィン・ラグレス(ea0780)が軽く声をかける。
「まぁ、私達がちゃんと護衛するから、気楽にいていいよ〜、って説得力ないか?」
頭を掻くティズの言葉にありがとうございます。とベルは笑った。先行し偵察をかって出た彼女の騎士レイン・シルフィス(ea2182)がいない分、仲間達はベルを心から気にかけ、支えようとしていたのだ。
「まあ、そうですの?」
「ええ、月夜の告白は、金と銀の輝きが月光に触れて、とても美しく‥‥」
いつも、遠い夢を見つめているような瞳を持つ夫人は、まるで少女のように李彩鳳(ea4965)の語る娘の話に目を輝かせた。
「これが、少しでもきっかけになってくれればいいんだがな」
「くだらんな‥‥」
前を見る‥‥。そんなギリアム・バルセイド(ea3245)の言葉をゼディス・クイント・ハウル(ea1504)が軽く鼻で吹き飛ばして見せた。
ゼディスは仲間の思いなどは見ていない。彼が見ているのは羊皮紙。何故か気になって、知っている仲間から聞いたデビルの資料。
生態も、能力も殆ど解っていない。だが、かつて戦った時見た敵と一番よく似ている‥‥グリマルキン。
「おい!」
アーウィンが上げかけた拳を当のギリアムが押さえる。
「まあまあ。仲がおよろしいですこと」
アリシア・ハウゼン(ea0668)がホホホと笑い、二人は無言で顔を背ける。
バラバラのように見える行動。だが、そんな諍いさえも暖かい。
仲間達、その奥に流れるものをアリエスは感じた気がした。
視線の先にはいつも冒険者に、母に気を配り、くるくると働く少女の姿が見える。笑顔が見える。
(「この銀の輝きを守りたい」)
仲間達の思い。それは一つだ。
「私は‥‥何ができるでしょうか?」
(「許される為の契機が欲しいのかもしれない。変わる為の、それを‥‥」)
思いながらアリエスは顔を前に、手をパンに向けた。ある思いを決意しながら‥‥。
シャフツベリーの街についた冒険者達を最初に出迎えたのはレインだった。
偵察をし、一足先に街に着いた彼はその入り口で手を差し伸べた。
「お帰りなさい。ベル」
彼の言葉がベルにはまるで街からの声に聞こえた。
彼女にはこの地での記憶は無い。いや、生まれたときから一度たりとも踏み入れたことの無い、初めて来た場所だ。
「なのに、どうして‥‥」
泣きたくなるほど、懐かしいのだろう。
零れ落ちる涙とその細い肩。
見守る会どころではない人々の前で、だが無防備に涙を流す少女を彼は優しく抱きしめた。
大切な人を守る為にどんな時も真っ直ぐなベル。
でも、その本質はか弱い少女15歳の女の子なのだ。
「多くの人々を護り、救う‥‥そんなクレリックにベルならなれますよ。そんな君を必ず守るから」
自分を見守る優しい眼たちと、空気。そして暖かな温もりに彼女は小さく頷いた。
暖かな出迎えから数刻。彼らはもう一つの出迎えを受けることになる。
奥方と、その護衛の集団は、何の問題も無く屋敷に招き入れられた。彼女は召し使いに促され館の奥へ。
冒険者とベルは応接室で待たされた。
待つこと数刻。
かつて、領主が出迎えてくれた応接室でよく知った、人物が、だが初めましてと頭を下げる。確かに『彼』と初めて出会う。
『あの時』とは別人だ。と先行していたレインでさえ、驚くほどに。
「ベネット‥‥さん?」
驚くように問いかけるベルに彼はニッコリと笑って頷いた。
「あの時は本当の事を言わなくて申し訳ありませんでした。改めて自己紹介致します。ベネット・レイ・ゴンゼルと申します。この街出身の商人の息子です。よろしくお願いします」
礼儀正しく頭を下げる彼に、手を差し出されたベルは戸惑いを越えた困惑の表情を見せていた。
揺れる肩をそっとレインは支え、目の前の人物を改めて、キッと睨む。
「あ、あの‥‥りょ‥‥いえ、お父様は?」
躊躇いがちに聞くベルにベネットは彼の自室を指し示した。
駆け出していくベルをアシュレー達は追いかけた。一度だけ足を止めて仲間達に視線を送り、クウェルが最後に部屋を出ると室内はたった一人の商人と、数名の冒険者だけになる。
「あの方が、噂のマリーベル様ですか。野で育ったながらにアレだけの気品。やはり聖なる地の姫君と言うことでしょうか?」
1対多数。絡み合う視線を平然と受け流して笑う目の前の男にアリシアは優雅に微笑みと言葉を贈った。
「ベネットさん。貴方は商人と、おっしゃっていましたわよね。それが今は執務代行ですか‥‥ただの商家の長男にしては重責を担っていますのね?」
「いえ、単に執務や税制などについて意見を求められているだけですよ。計算事は商人は得意ですしね」
あっさりと、あまりにも自然に彼が答えるので、思わず拍子抜けする。とっさに言葉に詰まったアリシアの後ろから今まで言葉少なに見ていた黒髪の青年が前に立った。
「初対面ではないはずだが挨拶はまだだったな。名乗っておこう。ゼディス・クイント・ハウルだ」
彼はそう言うと目の前の人物をじっと見つめる。射抜くような鷹の目にも似た視線にベネットは肩を小さく揺らした。
「何か、私に問題でもおありですか?」
「いや、この間とは本当に別人のようだと思ってな、随分洗練された身のこなしだ」
「ああ、それは俺も思ったな。あんた、実は結構できるんじゃないか?」
ギリアムは腕組みしながらソファから身を動かさない。困ったような顔をしてベネットは苦笑し答える。
「まあ、護身程度には。行商をする商人は、真っ先に狙われますからね。武器などを扱うことも多いのでその性能も知らなくてはなりませんし」
「じゃあ、あの時は?」
と誰もが口には出さない。この男はかつて、盗賊に襲われたと、ボロボロの姿で現れたことがある。
「まあ、腕に少しは覚えが、と言っても腕の立つ集団の盗賊などには役には立たない程度、ですけどね。数年ぶりに故郷に戻る直前だったと言うのにその節は、いろいろお世話になりました」
冒険者の思いを知ってか知らずか、彼はそう言う。その頬には微笑が消えない。
「で、さっきアリシアも言ってたが一領民に過ぎない奴が領主の仕事に口を挿んで良いのか? 伯爵の許可は得たのか?」
ギリアムは腕組みしたまま聞いた。だから、と彼はさっきのアリシアとの会話と同じ答えを言って補足する。
「伯爵様が倒れられたのが、私との謁見の直後だったんですよ。忘れ物をとりに戻ったら領主様が倒れておられて‥‥、で慌てられた執務官の方々のお手伝いをしているうちにいつの間にか。ああ、領主様のご許可は貰っていますよ」
完璧で、文句の付けようが無い回答に誰もが胸の奥がざらつような感覚を感じながらも、それ以上は追求できないでいた。
「で、皆さんは今後どちらに泊まられるのですか?」
「それなのですが‥‥奥方様やベル様の護衛もかねて、何人かこの館泊めて頂くことはできません?」
アリオスさんとギリアムさん。そして私、と彩鳳は指を折る。
「護衛? ですか? 一応この家にも警備の者はいますが?」
「いえ、特に他意はありませんわ? ただ、ベル様も見知らぬ土地では不安でしょうし、奥方様も心弱い方でいらっしゃいますしね。落ち着くまでお手伝いしたいだけですわ?」
これも、かまをかける意味の問いかけだった。ここで、彼が即答するようなら、疑惑はさらに高まるのだが‥‥。
「私に決定権はありませんので、後でご領主様に伺った方がいいかもしれませんね」
またかわされた。完璧な笑顔で微笑むベネットに冒険者は何故だか全員が、誰一人好感を持つことができないでいた。
「そうしよう。また後で話をさせてくれ‥‥。俺たちもちょっと見舞いにでも行ってくる。時間をとらせて済まなかったな」
引き際良く、ゼディスは身体を返す。退室間際、ああ、と思い出したように呟いた。
「グリマルキンというものを知っているか?」
「そのデビルが何か?」
即答、平然、そして微笑み。そうか。とそれだけ呟いてゼディスと、冒険者達はその場を離れたのだった。
「お父様‥‥」
祈るように少女はベッドサイドに膝を折った。
表情は明らかに悪い。白い顔はベルの指よりも血の気が無く、呼吸もゆっくりとどこか重苦しいようだ。
今は疲れて眠っているようだ、とベネットが言った部屋だったが、娘と冒険者達は静かに部屋に入る。
「毒‥‥にしてはおかしいな?」
アリオスは全身を一瞥して小さく呟く。
目だった外傷も無い。呼吸も荒くなる様子も無く静かに聞こえる。少なくとも体内機能を狂わせられるような毒とは違う気がする。
「ベルさん、念のために‥‥」
「はい」
司祭から貰った銀の十字架に祈りを込めて、ベルは呪文を詠唱した。
アンチトード。白い光は何の手ごたえも発せさせずに静かに消える。
「やはり、毒の手ごたえは無いようです。ではやはり、何かの病‥‥?」
「それは、まだ解りませんね。気休めかもしれませんが、僕も‥‥」
クウェルは聖者の指輪を填めると静かに目を閉じた。
「レジストデビル!」
反発の効果は出ない。ごく普通に魔法は発動される。つまりデビル魔法のようなものがかかっている訳ではないということ。
「やはり、病なのでしょうか?」
「極度の過労かもしれないと、言っていた。身体が重く、頭痛がする。身体の全体が上手く働かない‥‥」
少し遅れて部屋にやってきたアーウェンは外で聞いた医者の言葉を仲間に伝える。
「‥‥呪いとかの類であるとは‥‥考えられないでしょうか?」
突拍子も無いことかもしれないと思いながらもクウェルは考える。可能性はあるような気がした。
聞いて見ようにも領主はまだ目を覚まさない。ムリに起こすのも無礼なような気がして、ベルを残し冒険者達は一度部屋を出ることにした。
ふと、クウェルは指輪をもう一度取り出し祈りを捧げる。
こっちは、もっと気休めだろうが‥‥。
「神よ‥‥この者に幸運を‥‥グットラック」
特に反応は無い‥‥。目を閉じて部屋を出ようとしたその時。
「‥‥ベル?」
「お父様?」
「夢か、と思った。本当にベルなのか?」
ゆっくりと眠りから覚めて、身体を起こす‥‥。
「はい、お倒れになったと聞いて」
そうか。薄く笑って彼は涙目の娘の銀の髪をそっと漉く。開いた瞼の下から少女と同じ色の澄んだ蒼い目が笑う。
「お加減はいかがですか?」
「頭痛と、身体の重さで、恥ずかしながらまともに頭が働かぬ。今、少しだけ身体が軽くなった気がしたな‥‥」
「御領主。無礼をお許し頂きたい」
会話を遮り、アリオスは簡単な事情説明と、宿泊の許可を領主に願った。彼は、当然それに頷く。
「諸君らを信じている。好きにするといい‥‥うっ」
ほんの僅かだったが良かった顔色はまた、悪いと呼ばれる部類に変わる。
「お父様! ムリをなさらずに休んで下さい」
その言葉に逆らうこともできなかっただろう。領主はまた起こした身体をベッドへと倒した。
今度こそ、冒険者達は部屋を出る。ほんの僅か怪訝な顔をしたクウェルを最後に‥‥。
合流後、なんとか意識の戻った領主に願った結果、冒険者が望んだとおり、アリオスと、ギリアム、そして婦人の護衛として彩鳳が領主館に泊まることになった。
また、シエラは代書人として執務の手伝いのさらに手伝いを行い、レインは時折ベルと、婦人の為に音楽を奏でる。
冒険者達の見舞いと来訪は、いつでも受け入れる。
その全てにベネットは首を縦に振った。
ベネット自体、領主館に泊まっているのだ。暫くの間の客分扱いというがあくまで使用人に近い身分。
領主直々の言葉に逆らえるはずも無いだろうが。あまりにも素直な対応にほんの少し驚きさえ感じる。
かくて数日が普通に過ぎる。
領主館に表立った変化は無い。領主の容態変化も同じ。
だが、シエラの心情は確信に近い形に変化しつつあった。
一緒に仕事をしてみてよく解った。このベネットという男は『商人』だと。
いや、紛れも無く商人であり、商人の立場から発せられる金銭関係の意見については正に的確そのものだった。
領内の知識も父に教えられたと言いながらかなり的確に掴んでいる。
加えて外国を歩いてきたというだけあって、観察眼や洞察力にも優れたものを見せていて、ほぼ、ディナス伯一人の指示に従っていれば良かった執務官達には頼りになる存在だったのだろう。
そして、もう一つ。
彼が動く事をシャフツベリーの執務官達が喜ぶ理由。
ゴンゼル家という大きな財布と、商人組合を敵に回さずにすむという大きなメリットは、いくつもの災害の復興にいくらお金があっても足りないシャフツベリーにとって重要なのだと知る。
あまり評判が良くなかったが、商人としては大きな力を持っているゴンゼル。
その息子が良く出来た人物で、しかも街の為に働いてくれている。
表だって顔を出す訳ではない。自分の力をひけらかすでもない。自ら進んで手伝い、給料を貰うでもない。
そんな姿勢はどうやら館の執務官だけではなく、緩やかに伝わる噂の中にも信用という財産を積み重ねていく。
(「でも、それが全て計算だとしたら」)
恐ろしい『商人』そんな思いをシエラはどうしても捨てきれずにいた。
「シャフツベリーかい? 神聖な土地だって言われているよ」
街の老人はそう言って
「何分来るのが初めてなんで‥‥この土地について、教えて貰えないかな?」
頭を掻くアーウィンに話をした。元々この近辺、ウィルトシャー地方は遺跡などが観光資源となりえそうなほど沢山ある。
北のエーヴベリーや、ソールズベリには巨大な古代神殿の跡と言われる建物さえあるのだ。
だが、ここシャフツベリーのそれは他の場所のそれとは少し、異なる。
聖杯探索の時に微かに噂になった昔語りが伝えられ、古いジーザス教と古代の異文化の伝説が両方生きているのだ。
「少し前、聖杯探索に円卓の騎士も来たって話もあるよ。特にご領主様の所は古い伝説を伝えてきたはずさ」
井戸端会議に混ざってみたティズにおばさんがそんな話をしてくれた。
遺跡をモチーフに彫金師達は独特な文様の宝飾品を刻み、磨く。
「最近、なんだか綺麗な石が見つかった、とかって聞くけどそれもあんまりたいしたもんじゃないと思うよ」
「別に、この街は他所のように大きな特色がある訳じゃあない。でも、人の心と街の美しさだけでは負けてないよ」
それが、シャフツベリーだと自慢げに冒険者と出合った民達は語る。
ありふれたようで、滅多に無い土地。確かにいい街だと冒険者は思う。
だが、何かに狙われるような理由。深く、大きな何かはまだ見つける事ができなかった。
特に大きな変化も無く、冒険者達も一両日にはキャメロットに戻ると言う日。
自室から出てきた人物にギリアムはよお! と明るい声で手を上げた。
「何か、御用ですか?」
そう笑って答えたベネットに、まあな、とギリアムは重く笑った。
これから夕食だから、その時にでもと通り過ぎようとするベネットを呼び止める。
「ちょっと、付き合ってくれねえか? この屋敷、家の前にちょっと広い場所があったよな?」
「いいですけども、何ですか?」
壁に飾ってあった飾り物の剣を、通りすがりに二本掴んで、ギリアムは黙って先を歩いた。
「私も、結構忙しいんですが‥‥」
「いや、そう手間は取らせないさ。仲間が噂で聞いたんだが、あんた結構できるそうじゃないか? まあ、軽い運動でもしないか?」
ついた玄関広場は夕暮れの濃紺に包まれているが、いくつかの明かりと冒険者達に照らされている。
ギリアムが投げた剣を、右手でベネットは受取った。
「やれやれ、何か疑われてでもいるのでしょうか?」
「疑われるような心当たりでもあるのか?」
感情無く切り込むゼディスの声にベネットの目が静かに光った。微かに肩を揺らして手の中の剣を握りなおす。
「‥‥いいでしょう。どうぞお手柔らかに‥‥」
「それじゃあ、行くとするか?」
「待って下さい!」
ふと、周囲の動きが止まった。今すぐにでも構えようとしていたギリアムは、その声の主に向かって振り返る
「何だ? レイン」
「ギリアムさん‥‥先に僕に相手をさせて下さい」
レイン・シルフィスは細腕の吟遊詩人。普段剣を持つような戦いをする者ではない。だが、小さく笑ってギリアムは無言で身体を逸らした。
剣と笑顔を渡して身を引いた彼に感謝を述べて剣を握り締めた。
「よろしく、お願いいたします」
「こちらこそ‥‥」
二人はそれぞれの瞳に何かを込めている。だが、訪れつつある夕闇がそれを隠した。
そして剣が‥‥動く。
(「これが、きっと最初で最後のチャンス‥‥」)
窓の外を見張るレオンロートに小さく合図してアリエスは窓の側の木によじ登った。
開けてある窓からそっと屋敷の中に侵入する。
身を翻して潜入に成功したアリエスをアリオスが首で促す。
頭を下げて身体を走らせる。この館に入った仲間達が与えてくれた情報。部屋の中の様子。見張りの経路。
全て頭の中に入っている。だから、今こそ何か証拠を掴まなくては‥‥。
「何か、隠されているはずです。きっと‥‥」
続き部屋の窓からそっとベネットの部屋に忍び込んだアリエスはそう呟いた。
毒を使っているなら空き瓶や解毒剤、呪いをかけているならその証拠。
見つかったら泥棒と言われても仕方の無い状況だが、必ず何かがある。そんな気がしたのだ。
テーブルの上、ベッドサイド。整理整頓された部屋のものをなるべく動かさないように注意深く手を伸ばす。
だが、目ぼしいものは無いように見えた。
「あれは‥‥?」
ふと、アリエスの目が何かを見つけた。部屋の隅に置かれたそれは彼の荷物なのだろう。
布袋、バックパック。小箱などが無造作に積み上げられている。
「ひょっとして、あそこに‥‥」
唾を飲み込んで手を伸ばしたその時‥‥、光が弾けた。
カンとも、キンとも表現しがたい鈍い音を立ててギリアムと、ベネットの手合わせは続く。
ノルドに近い洗練された彼の技と、レインはそれでも十合前後は打ち合った。
(「打ち合わせて貰った、という感じですけどね‥‥」)
レインはその様子を思い出し手を強く握り締る。剣を合わせて直ぐに解った。打ち合わせて貰っている。と。
彼は適当なところでレインの剣を飛ばし、勝利した。
唇を噛み締めるレインに、彼はニッコリ笑って言ったものだ。
「すみません。私の勝ちですね?」
そして、今はギリアムと打ち合っているのだ。
体格差もあり、直ぐに今回はベネットが劣勢に追い込まれていた。
数合、そしてまた数合。足して二十合ほどで決着はついた。ギリアムの力を込めた攻撃にベネットは膝をついて剣を取り落とした。
「降参です。やはり、実力のある皆さんにはかないませんね。まだまだ修行が足りません」
「いや、あんたも商人としては相当なものだぞ。商人にしておくのは惜しいもんだ」
本心で、そう言いながらギリアムはベネットに手を差し伸べた。
ベネットはその手を素直に取り、立ち上がる。
「もし、またお時間があれば、手合わせして下さい」
「ああ、こちらこ‥‥‥‥」
言葉はそこで遮られた。
バチン!!
大きな音がして、屋敷の一部屋の窓にからまるで雷が落ちたような白い光が浮かぶ。
「あれは‥‥」
「賊かもしれません。皆さん、来て頂けますか?」
走り出すベネットの後ろ、冒険者達はそれを追う。
一様に表情を蒼白にして。
鍵をかけたはず、というベネットの部屋の扉は内側から開いていた。
さっきの光は一体何かと思うほど、静まり返って、誰もいない。
「あれは‥‥幻だったのか?」
いえ、と首を振ってベネットは部屋の隅のバックパックから羊皮紙のスクロールを取り出す。床に転がった小箱をさり気なくカバンに入れて立ち上がった。
「誰かが、この部屋に侵入したようですね。念のためにかけておいたトラップにひっかかったようです。逃げ出した、ということは‥‥仲間でもいたのかもしれませんね」
「部屋に‥‥トラップを? ‥‥‥‥!」
言いながらレインは眉を微かに上げた。スクロールの呪文詠唱。彼が唱えたのはパーストの魔法だ。
「‥‥服も、顔も肌も汚れている。顔は隠されて良く見えないけれど赤い髪‥‥青い瞳。一体何故私の部屋に?」
完成した魔法を確かめて、彼は深いため息を付く。
ベネットが振り向くまで冒険者達は、懸命に努力していた。その思いを、表情を顔に出すまいと。心配という名の思いを。
「うわあ! アリエス! 大丈夫?」
「ダメージが大きいですわ、急いで部屋へ!」
蒼白のアリエスをレオンロートとアリオスは、ティズ達の促すとおり宿のベッドへと運んだ。
窓を閉め、扉を閉める。
手当てに走る二人を心配そうに見つめるアーウィンは、刹那振り返った。ドアの向こうに感じた気配。腰に手を当てる。
「私です。アリエスさんは、大丈夫ですか?」
「シエラ! クウェル!」
「クウェルさん、お待ちしていました。治療をお願いできますか?」
無論、とクウェルはベッドに向かう。白い光がアリエスに注ぎ、荒かった呼吸が元に戻っていく。
「良かった。もう大丈夫ですわね」
だが、ホッと息を撫で下ろしている暇は無い。
「何があったんですの?」
「説明します。でも、その前にアリオスさんは屋敷へ。家にいる筈の人物がいなくては不信がられます」
シエラの言葉にアリオスは頷いた。黙って部屋を出る。
駆け出したアリオス。事情を説明するシエラ。
二人とも知るチャンスはあったかもしれない。だが、気付かなかった。
石の中の蝶が、くるくると踊っていたこと。
街を失踪する影を空から見つめる者がいたことを。
翌日から、ベネットの動きはさらに活発なものとなった。
「領主館に泥棒が入った。盗難に注意し武器をそろえよ」
「奥方さまや、姫君の警戒も怠るな!」
今まで、穏やかで、開かれていた領主館の門扉が閉められて、ものものしい警備が始まる。
「‥‥何が、あったのですか?」
「大丈夫ですわ。お心を強く持たれて下さい」
心細げに手を握る婦人に彩鳳は安心させるように微笑みかけた。
「ありがとう‥‥。娘が、娘がいなくなったら私は‥‥」
「大丈夫です。マリーベル様に危害は絶対に加えさせませんから」
奥庭に響く声に彩鳳はとっさに身構えた。ご機嫌伺いだろうか? 見るとベネットが立っている。
「お加減はいかがですか? 奥方様?」
「今のところは大丈夫ですわ。お仕事のほうはよろしいんですの?」
笑顔で彩鳳は訪問者に声をかける。肩の力は抜いたふりをして、実はまだ入ったままだ。
「ええ、大分区切りはつきました。周囲の警戒も強化しましたし、大丈夫ですよ」
「お見事な手腕ですわね。領主の仕事の代行もこなすなど凄いことですわ」
「人を動かすことができなければ、商人は務まりませんからね」
思いっきり嫌味が入っているのが自分でも解るが、目の前の男は気にした様子は無いようだ。
「泥棒に入られたのは、貴方のお部屋とのこと。しかもトラップが引いてあったとか。良いタイミングでしたわね。まるで何かが起こることを知っているかの様ですわ」
「いえいえ、私とて予想はできませんでしたよ。今回のことはね。まあ、警戒を強化するのには丁度良かったですけどね。この地はのん気すぎる。もっと周囲に目を向けるべきだというのに、街の中に閉じこもってばかりだ」
「この地は、穏やかで優しい。それが悪いとおっしゃるのですか?」
悪い、などとは言わなかった。彼は口元を微かに上げて婦人に礼をとると振り返る。
「明日にはお帰りになるのでしょう? 赤い髪のお仲間にどうぞよろしく」
彩鳳の歯が無意識に鳴った。それを聞くことも無く、彼女の視線を気にすることも無く、ベネットは悠然と仕事に戻っていった。
「どうです?」
クウェルは領主に祈りを捧げた司祭に聞いてみた。
「おっしゃるとおり、ご領主の病は呪いをかけられているようです。だが‥‥これは、かなりの腕の者の手によるもの。正直私一人の手には負えません」
まだ若い司祭はそう言って首を降る。ソールズベリと違ってシャフツベリーの街は豊かだが小さい。
教会を預かる司祭も高位の者ですらあまり高い力を持ってはいない。神聖騎士もごく僅かだ。
「ソールズベリの大司祭様、せめて高司祭であれば、なんとかなると思うのですが‥‥」
「そう‥‥ですか」
辛そうに唸り声を上げる領主を、彼の隣でベルが今も変わらず、懸命に看病を続けていた。
その日、キャメロットに戻る冒険者達を見送る者は誰もいなかった。
ベルはなんとか館の前まで見送りに出たが、外出はベネットと警備の者達に止められた。
「お役に立てなくて、申し訳ありませんわ」
俯くアリシアに、いいえ、いいえとベルは必死に首を降る。
「どうか、また来て下さい。お待ちしています」
「勿論、ベル。何かあったら呼んで。いつでもやってくるから」
彼女にそっと身代わり人形を握らせて、レインはそっとベルに微笑む。
今度は何度も、ベルの顔が前に揺れた。
彼らはそっと領主館を、そして、シャフツベリーを離れる。後ろ髪の思いでティズは呟いた。
「なんか、やばくなってきたね」
そう、やばくなってきた。
ベルを連れ戻すことも、領主の病を治すこともできなかった。
そして、ベネットの影響力はさらに増大した。
今、この地を離れたくは無い。だが、どうしようもない‥‥。
「事態が悪化しない事を祈るしかありませんわね」
「ベルさんと、ご家族に、そして、この地に神の恵みがあらんことを‥‥」
クウェルの、魔法ではない真摯な祈りの頭上で微かな影が動いた事。
知るのは風と太陽。
そして‥‥石の中で微かに動いた蝶のみだった。