●リプレイ本文
ソールズベリではない街を眼下に見つめ、応接室で待つ彼は呟いた。
『許されよ、皆。拙者どうしても確かめたいことがあるのである』
エーヴベリーの若い指導者達はその人物の訪問に首を傾げた。
空飛ぶほうきと武装、最低限の荷物だけを持ってやってきた人物は彼らにとっては見覚えの無い人物だった。
「拙者、マックス・アームストロング(ea6970)と申す冒険者である。ジェームス・モンド(ea3731)殿からよろしくとのことである」
ああ、と彼らは笑顔になる。懐かしい、尊敬すべき名。と同時に目の前の人物の素性を信じた。
彼は挨拶もそこそこに本題に入る。
「どうぞエーヴベリーの遺跡への入室許可を頂きたい。ことはソールズベリの命運、そして友なる冒険者の命に関わることなのである!」
それは、突然の願い。本来ならば一族以外の者が入るべきではない聖地への。
だが偽りの無い真っ直ぐな眼差しに、彼らは頷いてマックスに道を開く。理由は聞かないでくれた。
そして道は開かれる。暗い闇の彼方に待つ少女の元へと‥‥。
遺跡に立つ冒険者は十人。最初にこの地に立った時と同じ。
自分達を誘う闇の穴を見つめながら陸奥勇人(ea3329)は腰に手を当てた。
「さて、今回は全員そろったことだし前回よりもう少し進めるかな」
アシュレー・ウォルサム(ea0244)は微笑みながら頭を掻いた。周囲の様子を見ていたイグニス・ヴァリアント(ea4202)がああ、と顔を上げる。
「前回は大分負担をかけてしまったようだな。だが、それでも事を成したあたりは流石だ。今回は前回の分も増して全力で依頼を成功させるとしよう」
「気にしなくていいですぅ。改めてお帰りなさい。おまちしていましたぁ〜」
イグニスだけでなく、夜桜翠漣(ea1749)や黒畑緑朗(ea6426)も照れた顔を見せた。
これから行く所が例え死地であろうとも、この笑顔があり、仲間がいる限り先に進める筈だと確信できる。
「マックスの情報を待ちたいところだがあるが、そうも言ってられない。できる限りは先に進んでおこう」
「門番は残り二つ。風と水が消えたわけですから‥‥火と土ですね」
「水の精霊があれだけの強敵だったんですぅ、土と火も同程度の強敵と考えて行きましょうねぇ」
ジェームスの広げた地図を見ながらケンイチ・ヤマモト(ea0760)は呟く。エリンティア・フューゲル(ea3868)も頷いた。
東と西の玄室から力は消え去った。
東西南北、四つの部屋に精霊が封じられていて、その全ての精霊を解放することが奥に進む鍵であるのなら、残るは確かに二つだ。
「おそらく土の部屋にはエレメント、スモールヒドラが、火の部屋にはサラマンダーが封じられている可能性が高いと思う。これは30年前のウイバーンと前回のサーペントからの推察でしかないけれど‥‥」
だが、それを言うロット・グレナム(ea0923)の言葉には信頼性がある。精霊の知識において彼に匹敵する者はそういない。胸元を気にしながらも彼は知っている限りの情報を仲間達に説明した。
「‥‥本当は、精霊と共存し、心を通わせる為に学んだことなんだけど、今、ここで俺にできるのは還してやることだけ‥‥だから、せめてそれを全力で‥‥」
握り締めた思い、胸の鼓動。
「ロットさん‥‥、そして皆さん‥‥」
彼の思いを懐の中、一番近くで感じていたギルス・シャハウ(ea5876)は身体を抜き出すと仲間達に向き合った。深い思いを込めた瞳で。
「いろいろ‥‥思いました。自分はここにいていいのか。役に立てるのか。皆さんの邪魔になるのではないかとも‥‥」
だが、今、彼に悩みはあっても、迷いは無い。
「ですが、今はただ、僕を待ってくれている仲間の為に、この命を賭けたいと思います。その為にここにきました。だから、皆さん、僕が途中で倒れても、目的達成までは引き返さないで下さい」
それは、彼の本心からの言葉だった。だが
ポコン。
軽い、本当に軽い拳骨がギルスの頭上に落ちる。勇人が柔らかい目で笑う。
「馬鹿なこと言ってんな! 相手の手強さが判った所で、こっからが正念場だ。人数は元通りでも楽は出来ねぇんだ。頼りにしてるぞ!」
「その通りです。私達が勝つ為には誰一人欠けてはならない。仲間も、そしてルイズさんに、ライルさん。そしてローランドさんも‥‥」
ウインクするように翠漣はギルスを見た。彼も、彼女もそして皆が自分を信じている。
「解りました。申し訳ありません。そうですね。ルーニー君とファニー君も心配して待っててくれてるでしょうから〜」
心を自ら縛っていた戒めが解けるような気がして、ギルスも思わず笑顔になった。決意は変わらない。だが、少しだけ気持ちが軽くなる。
「さて、待っててくれている奴らの為にも、いっちょ行くか!」
合図は‥‥必要なかった。
「月の女の言葉は気になります。でも、先に進むしかないですね。少なくとも今は」
「悩むのは後にしよう。行くぞ!」
同時に立ち上がった冒険者の間を風が、流れていく。
「皆! 大丈夫であるか!」
「あ〜、マックスおかえり‥‥」
階段を登りきったアシュレーは駆け寄ってきたマックスにそれだけ言って膝を、地面に付いた。
「しっかりするのである!」
彼の身体を支え、横に運ぶ。地下の階段を上がってきた冒険者達は一様に困憊の顔をしている。
あちらこちら破けた服、土とほこりにまみれた身体。傷こそ殆ど見られなかったが、土気色した顔はため息と共に。
彼がここに戻るまでの間、彼らがどれほどの戦いを為してきたのか。
マックスには想像も出来なかった。
「しかし、全員無事で良かったのである」
「本当に‥‥我ながら良くやったもんだぜ」
勇人は嘆息した。今、自分達は太陽の下に戻ってきた。
ほんの数時間前、死さえも覚悟した戦いを繰り広げてきたのがまるで夢のようである。
扉に描かれた土の精霊紋を確認し、彼らは石の取っ手に触れた。
ここに立つまでに万全の注意を払って歩を進めてきた。時折、誰かが見ているような視線を感じながらも前を行く。
そして、辿り着いたのだ。
「待って下さい。気休めかもしれないけれど‥‥」
石と石の隙間に翠漣はダークを刺して目を閉じた。
ダークは他にも用意をしてきた者達はいるが、今は翠漣に任せ他の用意をすることにした。
「水の精霊があれだけの強敵だったんですぅ、土と火も同程度の強敵と考えて行きましょうねぇ」
言いながらエリンティアは地魔の指輪を填めた。精霊と戦うのに精霊の加護を持つ指輪というのも不思議な感じがするが、できることは全てしておくつもりだった。
同様に結界の準備、魔法の準備をしている仲間もいる。
ふと、まだ浮かない顔を消すことが出来ない仲間に、目が留まる。まるで、家族か友を倒すような瞳の青年。
彼の震える肩をそっと叩いた。驚きに身体を震わせる友をロットさん、と呼びかけて微笑みかけてみる。
「精霊は死ぬのではなくぅ、自分達の居場所に還るだけですぅ」
大して効果は無いと解っている。でも、その一言でスッと肩の力が抜けたようにロットは笑顔を返した。
「‥‥ああ。解ってる」
(「精霊達がそれを望むのなら‥‥」)
「そろそろいいですかぁ?」
「ええ。OKです」
石に膝をついていた翠漣が立ち上がる。白い光を両腕に抱き、ギルスも頷く。
ジェームスは渾身の力を込めて石の扉を思いっきり開いた。
大地の奥の奥。石に囲まれた迷宮だというのに、そこから溢れるのは土の匂い。
掲げられたギルスの光が見せるのは一面の岩山。サーペントの時と同じ程広い部屋にはただ、岩が積み重なっている。
「何もいないのか?」
盾を構えたまま、ジェームスはゆっくりと足を部屋へと踏み入れた。
「気をつけろ! 足元!」
「何? ‥‥うわああっ!!」
まるで、地震のように足元が揺れる。なんとか体勢を整えて後ろに飛び退ったジェームスに寄り添うように冒険者達は部屋へと踏み込んだ。
ギルスは背後に向けてホーリーフィールドを展開する。これで、少なくとも暫くはイレギュラーの介入は無い筈だ。
その頃、前方を見据える冒険者達は息を呑む。
岩に見えたのは『彼』の指先、山に見えたのは『彼』の背中。
「‥‥スモールヒドラだ」
ロットは唇を噛み締めながら仲間達に指示する。スモールヒドラ。岩石の身体を持つ地のエレメント。
「魔法や攻撃は効きづらい筈だ。気をつけて!」
言いながらロットはそれを証明するように呪文を唱えた。薄茶色の光に包まれるスモールヒドラにまず打ち付けるはライトニングサンダーボルト!
バチン!
地面と平行に、一直線に雷の波が舞う。だが、地に下りた雷鳴となって響く筈の魔法は、微かに小さな光が岩の上に弾けただけ。
岩の身体に完全に吸い込まれ消えた。
「やっぱり。魔法の使いどころは気をつけろよ!」
声は確実に仲間に届いた。前衛と後衛に分かれてフォーメーションを組んで動く仲間達を確認し、ロットはスクロールを持ち直した。
薄闇の中を切り裂くように矢が奔る。だが、それは石に向けて矢を打つようなもの。硬い背には何の効果も発揮しない。
「くそっ! やっぱ硬いか。狙うなら慎重に身体の隙間だな」
舌を打ち、アシュレーは中衛から、後方へと後退した。
前衛ではジェームスや、緑朗が軽く攻撃をしかけては後退するようにスモールヒドラを牽制する。
剣が岩を掻き、相州正宗が岩を切る。
だが、元より硬いその身体か、それとも魔法で強化されたのか、攻撃は弾かれ二人は後退した。それぞれに武器を握り締めたその時
『グオオオオ!』
スモールヒドラの首が大きく持ち上がった。全身が茶色に光ったと同時、可聴音ぎりぎりの低い唸り声が、部屋全体に響き渡った。
「くっ!」「なんだ!!」「か、身体が‥‥」
「どうしたんだ!」
風のように身軽に動いていた前衛の四人が殆ど同時に膝を付いた。
後衛の冒険者達には何があったのか解らない。駆け寄る意図間もなく一番近くにいた緑朗に直進した頭が、牙が襲い掛かる。
「うわああ!」
直撃を避け、肩で逃げるのが精一杯。大地に結ばれたような足は鋭い牙に噛み砕かれる。
「大丈夫ですか?」
近寄り、緑朗を背後に庇った翠漣自身も、足は重く、身体は縛られたように動かない。
「これも‥‥魔法でしょうか? とにかく下がって下さい」
「かたじけない」
前線に立つ戦士たちを縛る大地の呪縛。このままではあの鎌首が再び持ち上げられた時、誰かが死ぬ‥‥。
「そんなことはさせません。動きを封じて見せます。シャドウバインディング!」
光の殆ど無い、闇の部屋。頼りはいくつかのカンテラとギルスのホーリーライト‥‥。
もたげた首の影に向かってケンイチは呪文を放った。
一瞬凍ったように、スモールヒドラの頭が止まる。
だが、振り砕くような動きと共に、呪文は砕けまた深い唸り声が響いた。
「影が‥‥もっとはっきりしてないと」
ケンイチは悔しそうに手を握り締めた。
僅かな隙、なれど確かな隙。前衛の達にそれは必要な時を稼いだ。壁際に下がり、息を整える間を。
「ファイヤーボム!」
「ウインドスラッシュ!!」
目元に向けて微妙な時間差で放たれる攻撃に、ヒドラは首を大きく振った。
「身体はどうだ?」
下がった仲間達を庇うようにイグニスは聞く。息を切らせながら勇人は首を振る。痺れるような圧迫感は薄れつつあるがまだ残っている。
「ならば! ‥‥双撃の刃、その身に刻め!」
握り締めた短刀に力を込めてイグニスは剣で切り裂いた。
『ウオオ!!』
咆哮は確かなダメージが届いたと冒険者に知らせた。だが、それ以上の怒りもまた知らせる‥‥。
『グオオ!』
地面が揺れた。立っていられないほどに足元が震える。膝が落ち、盾を取り落とす衝撃。
次に来るのは大地の怒りか、それとも荒ぶる衝撃か。
目を閉じるその中で、唯一影響を受けない小さな影が、冒険者達の後ろから前へと出た。
「神よ。我と、我らの共に力を貸したまえ‥‥コアギュレイト!」
白い光が消えて‥‥今、まさに攻撃をしかけようとしていた首は、顎は彫像の如く止まった。
神の加護が奇跡の時を、冒険者に与える。
「‥‥今しか、チャンスは無い。皆!」
勇人は盾を捨て、全力で駆け抜けた。背後から動ける者全てが続く。
「サーペントは還りたかった所にに還ったよ、君達もあるべき所に還るんだね!」
弓に矢を添えてアシュレーは思いっきり引き絞った。
放たれた矢は、決定打では無かったかもしれない。それぞれの攻撃が硬い身体の奥に食い込んでいったから。
ただ、瞳に打ち込まれた二本の矢。それは確実にスモールヒドラに目を閉じさせた。
二度と開かない永遠の眠りへと。
奇跡なんて言葉は信じるべきではない。だが、どうしようもなくそう思えた戦いだった。
「怪我は、まあなんとかなるけど‥‥この疲労だけは、どうしようもないな‥‥」
息を吐き出しながら勇人は苦笑する。魔法らしい呪縛が解けたあとも暫く手の震えは止まらなかった。
「山を相手に戦ってたようなものだからな。まあ、良くやったと思うよ」
ロットは嘆息する。どこか寂しげに、どこか悲しげに。
「倒さねば解放できぬか。哀れなり‥‥。あれほどの強敵。滅多にあるまいに」
「そう‥‥ですね。どうせなら‥‥」
強い相手との戦いは時として心踊ることもある。冒険者として望みでさえある。だが、この戦いにはどうしても拭えない後味の悪さが常に残るのだ。
「疲れているところ、申し訳ないが、聞いていただけるか? 拙者の話を‥‥」
今まで看護と野営の準備に専念していたマックスは、突然そう切り出した。
「あ、そりゃあ勿論。どうだったんだい? そのコグリって子の話は」
「悪い奴じゃあなかったろう? ‥‥って、何かあったのか?」
言いよどむマックスの顔を冒険者達は覗きこむ。
「悪い奴ではない‥‥のだろうか? あの女‥‥」
いつも明るいマックスから想像もつかない複雑な思いを孕んだ言葉。手を微かに握り、彼は話し始めた。
身体を休める筈の一夜。だが話を聞く冒険者の心は休まることは無かった。
『私が、話せるのはこれだけ。もう言う事はありません‥‥』
彼女はそう言って目を閉じた。
マックスの家には一人の娘の肖像画がある。心の中にありて今も思うその姿に目の前に揺れる影は良く似ていた。
「では、民が先に王を裏切った‥‥?」
話を全て聞いたマックスは喉からそれだけを吐き出すのが精一杯だった。
もう、それを彼女は否定しない。
「どうしても、聞きたいことがある」
指を折りながらマックスは問いかける。精霊の正体、そもそもどうして遺跡に精霊達がいるのか、前回ルイズ殿が言ったことと、過去の真相。
タリエシンの真の目的、攻めて来た・協力した他国の魔術師とは何処の誰? そして‥‥他国から攻められておきながら何故、他国の魔術師と協力できたのか?
訪ね来た訪問者が一言問いかけるに、彼女の表情は、ゴーストに表情と言えるものがあるとすれば冴えを失っていった。
『王に仕える二人の精霊は、古代より遺跡に眠っていた太陽と月の精霊です。元よりストーンヘンジは精霊を召還し繋ぎとめる神の寝所だったと言われています。ただ、その技は私達の時代にすら失われて久しかった‥‥』
そんな中、唯の精霊崇拝の街でしかなかったソールズベリに天才が現れた。彼はストーンヘンジから精霊を召還し、さらには解放して友としたのだ。
精霊達は彼を【晴れやかな顔を持つ者】タリエシンと呼んで、心から愛し仕えた。
『タリエシンは精霊に愛されし天性の魔法使い。彼が崇拝の対象でしかなかった精霊との契約を結ぶことでかの地は光の都と呼ばれることになりました。一魔法使いでしかなかった彼は王となり、精霊達を従え都に繁栄をもたらしました。ですが‥‥その恩恵を受けながら私達は恐れてしまったのです。精霊達と王のことを‥‥』
王の側に仕える精霊。人で無いものと心を通わせる王。
人でしかない臣下たちは密かに恐れていた。強大な精霊の力。味方の間は良くてももし王が手綱を外してしまったら。と。
いや、王がその力を思いのまま操ったら?
その不安に敵国の王子は付け込んだ。
彼は巧みに誘導する。
『精霊など人外のもの。それを操る王もまた人ではない!』
そして‥‥。
『精霊の消去を私達は王に迫りました。やがて‥‥王は民と精霊その間に挟まれ‥‥心を壊し‥‥民に殺されたのです』
けれども真の脅威はその後にこそあったのだとコグリは告げた。
王の失った精霊達が激怒したのだ。
『我らから王を、王から全てを奪った者達に裁きを!』
彼らはタリエシンの魂を抱き民に戦いを挑んだ‥‥。
神の寝所。精霊達の力を高めるストーンヘンジにこもり、人々にその力で罰を与える。
王を自らの手で滅ぼした彼らにできたのは、唯一つ。
遺跡の力を逆に回す秘術を行使すること。
精霊には無い命。『血』を使った封印の呪法。
『‥‥傲慢と言いますか? 精霊の力を自ら拒みながら、いつか再び取り戻せるかもしれないと願った私達を‥‥』
光の都が滅び、隣国に属して後ソールズベリの強き魔法は失われた。
自らの持っていた力より低い力の国に支配され、精霊達の加護を失い彼らは初めて自らが捨てたものの大きさを知る。
王の血筋を守り、いつか隣国の束縛から逃れ精霊達を、蘇らせることができるとかもしれないと封印の解呪の希望を残した。
ただ、罪の意識があった。自らが滅ぼした王への恐怖。
だから真逆の伝説を残す。封印を解いてはいけないと。
「封印を解きたくなければ自らの血を失わせればいい。けれども自らの血と封印の手段を守りながら封印を解いてはいけないと伝える‥‥矛盾した伝説。頑なに魔法に縛られた一族達。それが真実か‥‥」
『‥‥兄は、中でも特に王への忠誠と魔法の復活に望みを持っていました。魔法の力に溺れ、失われた王と過去を取り戻したいと願い暴走した彼を‥‥時ではないと私達は封じました。今は、それが正しかったと信じています』
「では、コグリ殿‥‥そなたの望みは‥‥‥‥」
最初のコリドウェン。そして死したあとも繋がれた永遠の罪人はその後、瞳を閉じ、口を開くことは無かった。
肌を焦がす熱さが冒険者達を包み込む。
服にかけた、僅かな水など直ぐ乾き、意味を無くす。
眩しい光と炎。暗いところなど一点も無い火山の火口のような熱さの中、冒険者達は最後の封印の獣。火のエレメント、炎のトカゲ、サラマンダーと対峙していた。
荒れ狂う炎の神。
昨夜のマックスの言葉が思い出されてならない。彼もまたかつて王を守る為に戦ったのだろうか?
だが、今はケンイチのテレパシーにさえ、返る言葉は無い。翠漣は額に光る汗を拭くことなく遠く紅い瞳を見つめた。
「‥‥どうせ戦うのなら封印される前、貴方達の意思の元、お互いの信念を賭け戦いたかった‥‥」
自らの腕で抱きしめる体が熱くなる。これは、決してサラマンダーの熱のせいだけでは無いのだろう。
「永き年月、思いさえも磨耗したか。‥‥ならば還してやろう。元よりこの刃は、それしかできない凶器だ」
「長引かせたらこっちが圧倒的に不利だ。短期決戦! 行くぞ!」
それしかない。冒険者達は剣を取り盾を握り締めた。
側に近寄るだけで、全身が焼けるように痛む。
剣を持つ手は焼けた石を掴むように熱く、喉もすでに呼吸するたび限界だと訴える。
それでも、冒険者達は挑み続けた。
前衛と後衛を巧みに入れ替え、ヒット&アウェイを繰り返す。
シャドウバインディングは影の無いところでは使えない。二度のコアギュレイトは渾身の身震いに弾かれた。
ならば、後は自らの腕と力で戦い抜くのみだ。
「全身を焼かれるよりははるかにましだ!」
自らの手を伸ばし、ジェームスは剣を振り下ろした。火を切りつけるような手ごたえの薄い攻撃はこれで何度目だろうか?
「‥‥ぐっ、うわああ!!」
攻撃を成功させた代償か、キルティングの服に火が燃え移る。じりじりと炎が服へと移る‥‥。
「ジェームスさん!」
突然、水の瀑布が彼の手の上で弾け流れた。水の殆どは火を消すよりも早く蒸発するが、少なくとも手の炎を消すことには成功した。
「大丈夫ですか?」
「すまない!」
腕を戻し、ジェームスは焼け焦げた腕を擦った。これくらいのダメージはまだ小さい方だ。
横に前に立つ仲間達、その服も、髪も、身体も黒を纏っていない者はいない
サラマンダーとの戦いは立っているだけで冒険者に苦痛を強いる。この部屋は全て『炎』の領域なのだ。
二連。アシュレーは弓を打ち込んだ、
だが矢もその身体に殆ど効果をなさない炎龍は、攻撃を首で回避して‥‥何度目かの火の玉を後方に向けて吐き出した。前衛を飛び越え、後方で弾ける炎の渦を避けざまロットは渾身の雷を放った。
「俺の全力で! 出し惜しみなんかするもんか!」
燃え盛る炎をすり抜けて、雷は確かにサラマンダーの身体に吸い込まれた。
火の爆ぜる音に低い唸り声が解ける。確かに、確かにダメージは敵にも入っている筈だ。
「これ以上は、皆保たないのである。ここで‥‥決める! うおおお!」
盾を持ったまま渾身のチャージングでマックスは突撃した。僅かに自らを包む光の壁が熱から守ってくれる。
熱い炎の鱗がマックスを押し返す。だが、一人は返せても、十の攻撃は破れない。
剣が、矢が、魔法が彼を打つ。
そのダメージは遂にもう返すことが出来ないほどになっているのをもう、サラマンダー自身が理解していた。
どれが、致命傷になったのか解らない。ただ、唐突にそれは響いた。
「ーーーーー!」
無念の叫びか、悲しみの唸りか、それとも遥か昔、自らを捧げた王への呼び声か‥‥。
最後の最後、炎の龍は無音の唸りと共に、自らの身体を紅い光に溶かしていく。
純粋な炎に、冒険者達は一瞬、目を奪われた。あまりの美しさに。
それは、サラマンダーの最期。正しく命の炎。
一度だけ、大きく、高く燃え上がり炎は唐突に、そして静かに消えていった。
熱と光を失い闇に戻った部屋。
火のエレメントが自らの存在を燃やしきった跡に、残るものは何も無い。
一欠けらの肉体、一掬いの灰でさえそこには残らない。
冒険者の心と、身体以外には‥‥。
『‥‥還ったか‥‥』
微かな音が耳の横で鳴る。封じていた扉が開かれた音だ。
だが、そんな音など無くても『彼』には見える。膝をつき目を閉じているだけで金の光に包まれた彼は遺跡の全てを『見る』ことができる。
ふと、彼は立ち上がった。
王は奥で休んでいる。ルイズは側に付き添っているのだろう。
誰かがルイズを呼んでいるのも『見える』。遺跡を出ようとしているのも。
ルイズを呼んでやってもいい。だがふと、気まぐれを起こした。
立ち上がった影はすいと消える。いや、光となって扉をすり抜けていった。
返事が無い。何度呼んでも今回は何故か返事が無い。
「ルイズ殿! どうか、答えて欲しいのである!」
「ルイズ、今回も見ているんですよねぇ?」
空中に呼びかけた声に返る音は無い。
「仕方ない、一度‥‥戻ろう」
勇人はマックスとエリンティアの両方の背中を叩いた。二人は黙って首を縦に振る。
サラマンダー戦は他の二精霊の時以上に苦戦を強いられた。実害で行けば一番高かったろう。
いくつ薬を飲み、何度ギルスに助けられたか忘れた。怪我は癒えても内に溜まった疲労は消えない。何度闘ってもこれは慣れることが無い。
もし、ここで同レベルの敵に襲われたら間違いなく、即死する。
それでも、冒険者は呼びかけたいことがあったのだ。だが、呼びかけて返事が無いのならそれは拒絶。危険を意味する。
ならば、一度体勢を立て直すべきだ。
疲れた身体を引きずり彼らは立ち上がり歩き出す。自分の足で立たなければ帰ることはできないのだから。
カンテラの光だけを頼りに歩き続ける。どんなに疲れきっていてもダンジョンを歩く以上警戒は怠らない。
幸い敵に会うことなく、冒険者は進み、やがて十字路が見えてきた。
ほんの少し、油断したわけではないが肩の力が落ちた瞬間。
『‥‥封印を全て解いたか。ご苦労なことだな』
唐突に、通路に声が響いた。軽いが、冷たい声!
とっさに冒険者達は身構える。前回、同じように現れた月の女。その時のように硬直などしていられないと、身体が、魂が告げる。
目の前に現れたのは男。金の髪、金の瞳。白い薄様の衣を纏って新たに現れた眼前の扉に寄りかかるように‥‥その男は立っていた。
「ソウェル‥‥」
振り絞った喉でロットは呟いた。前の戦いではろくに姿を見ることさえ叶わなかった太陽の男。
逞しく、吊りあがった目元は驚くほど静かで涼やか。なのに、どこか獣と賢者が合い混じったような不思議な印象を見せる人物に、正直彼は魅入られていた。
闘わなければならない相手。だが、同時に彼は、ロットが憧れ続けてきた『精霊』なのだ。
「何の用だい? ひょっとして、今からやりあおうってかい?」
「どうでしょう、エレメントを倒したご褒美に二人を返していただけるというのは?」
キリ‥‥。アシュレーの弓が矢を番える。翠漣が腕を上げて男を深く見つめる。
正直それが、脅しにもならないことは二人とも解っていた。疲労困憊の腕が揺れている。
それでも、攻撃をしかけられたら逃げるつもりは無かった。退却か、戦闘かそれを全身で測っている時。
『ルイズを呼んでいただろう。何の用だ?』
「えっ?」
弓が、腕が下がった。感情は音にならず、例えるなら熱の無い冬の太陽のように静かに彼はそう問うてきたのだ‥‥。
「あ‥‥っ! 叶うなら王に伝言と、手紙を」
マックスは慌ててバックパックから羊皮紙を取り出して差し出した。
差し出された手紙を無造作に男は受取った。手紙は軽く一瞥し手の中に握られた。
だが‥‥差し出されたもう一枚の羊皮紙を見た刹那、男の全てが変わった。顔色は白から赤へ。
目に見えるほどに殺気が燃え上がり、握り締められた短剣が上へと上がった。同時に羊皮紙は刻まれた。目に見えぬほどに。
「な、何を!!」
自らが描いた絵が粉と消えるのを、マックスは見つめる。男はさらにそれを踏みにじった。汚れた者を潰すように。
『あの女、まだこの世に在ったのか? 罪人が恥知らずな‥‥』
「それは‥‥やっぱり裏切ったのはコグリさんなんですかぁ?」
彼女は民が王を裏切った、と言った。強大な力を恐れ、精霊を恐れたと‥‥。
だが目の前の人物の纏う憤怒の意味は‥‥エリンティアは目線を逸らさず真っ直ぐに男を見つめた。
『俺は、ルイズと違う。‥‥人間が嫌いだ。身勝手なお前らが心底嫌いだ』
口元を歪めて男は呟いた。問いの答えの言葉ではない。だが、全身がエリンティアの言葉を肯定しているように見えた。
だが、それでも‥‥。男は殺気を放ちながらも続ける。
『封印を解いた事に免じてこの場で殺すのは止めてやる。とっと去って体勢を立て直せ。そして‥‥来る時は全力で来い』
「貴方達はタリエシンが好きなんですねぇ」
殺気の塊のようなだった男に向けて、エリンティアは微笑んだ。突然の言葉に男の瞳が見開く。どこか呆けた顔。殺気も弾けた様に薄くなる。
『な、なにを‥‥』
「いえ、なんでもないですぅ。では、お言葉に甘えて今回はかえりましょ〜」
明らかに困惑した顔の男に背を向けエリンティアは扉を開いた。冒険者達も警戒を抱えつつその扉を潜る。
「ご心配なくぅ。また来ます。その時は貴方達の本当の期待に応えられる様に頑張りますねぇ」
そう言って扉は閉められた。残された男は心底虚を付かれた顔をし、小さく、そして大きく笑い出した。
石の扉の向こうからでも聞こえるほどに。
エリンティアが意識してか、そうでなくか解らないが彼に残していったもの。
怒る気さえ失せる満面の笑顔。
それが、遠い昔を思い出させたからだということを、冒険者もそして彼自身も知りはしなかったろうが‥‥。
「笑い声? あやつが? 何故」
首を捻る緑朗にさあ? と冒険者達は肩を竦めた。
答えなど出る筈が無い。
とりあえず、また再び太陽の下に立つことが出来た。全員で。
それは奇跡ではなく、全力で役割を果たした結果である。
だがこの先、ソウェルが立っていた扉の向こうに立った時同じ結果を得ることができるだろうか。
まだ、確証は持てなかった。
「‥‥彼らは自分達の王と共に眠る事を望んでいる様な気がしますぅ」
微かな音と共に階段を登りきったエリンティアは一人呟いた。
軽い言葉に込めた思い。小さな約束。
「本当の期待に答えられるように〜」
次にこの階段を降りる時には、それが求められるのだろう。
きっと‥‥。