●リプレイ本文
凍て付く冬の空気が街道を走る者達の身体に絡みつく。
白い息が立ち込める中を、彼らは目的地に向かってひたすらに進んでいた。
「寒いな。だが‥‥これくらいが俺たちには丁度いいか」
雪色の髪を靡かせながらルカ・レッドロウ(ea0127)は空を見上げる。
鈍い灰色の厚い雲に覆われた空は、見えない冒険者達の未来を暗示しているようで気を滅入らせる。
だが、それを振り切るようにルカは前を向いた。
彼の視線の先には鋼のごとき背中が見える。
「随分、真剣な顔をなさっていますわね。思いつめておられなければ良いのですが‥‥」
「いや、どっからどう見ても思いつめてるでしょう? まったく真面目すぎる」
藤宮深雪(ea2065)の心配を遠慮も容赦も無く肯定し雪切刀也(ea6228)はため息を付いた。
思いつめているのは仲間達も同様。多分、自分もその中に入る。
(「あの子と約束、守れるかな?」)
微かな思いに首を振る。個人的な感情等は今はどうでもいい。ただ、自分の為すべき義務を果たすだけ‥‥。
「中心人物は、やはりテイニス‥‥。信仰心深い子供達はやはり体を盾にしてでも、彼女を守ろうとするのでしょうか?」
唇の横を噛んでアルテス・リアレイ(ea5898)は呟く。覚悟はしているとはいえ、子供達との戦いは避けたいと、どうしても思ってしまう。
それは、おそらく全員同じ気持ちだろうが‥‥
「子どもと戦わずに、というのは、ちと甘すぎるのではないか?」
あえてシャルグ・ザーン(ea0827)はそんな希望を口にする若い仲間に厳しく告げた。
「その通りでしょう。ですが、戦い方はいろいろあります。その中においてできる限り被害を少なくすることは不可能ではない筈です」
夜枝月奏(ea4319)はそれに対して答え、皆で幾度と無く考えと意思をぶつけ合った。
そして今、目的に向って歩んでいる。
「この戦いは負けられない。絶対に勝って‥‥あいつらの闇をここで終らせるんだ」
肩に乗せた鷹を労わりながらキット・ファゼータ(ea2307)は手を握り締める。
手と一緒に結ばれた思いをティアイエル・エルトファーム(ea0324)はそっと笑顔で頷き、包み込む。
「うん、そうだよね。これは、人を傷つける為の戦いじゃない。救う為の戦いだから‥‥」
「‥‥後悔はしたくないからな‥‥。最後まで‥‥」
シスイ・レイヤード(ea1314)は彼なりの決意を紡ぎ、セレス・ブリッジ(ea4471)は前を向く。
後ろを振り向いている暇は無い。
ただ、戦って勝つ以上のものが求められる戦いにおいて、見つめていいのは前だけだからだ。
「‥‥あの男は、解っておるのじゃろうか?」
この戦いの幕引きにおいて、重要な意味を持つ男の背中を見ながら黄安成(ea2253)は自分が何をすべきかを考え続けていた。
館の中からトトッと走り出てきた深雪を、館の前で待つ冒険者達は出迎える。
「お待たせしました」
ペコリと下げる頭に
「どうだった?」
と槍を担いだまま騎士が問う。はい、と頷いて彼女は笑顔を見せた。
「話は付けて参りました。遺跡周辺の人払いと、ことの終了までの安全確保をサーガ家は請け負って下さるそうです」
元々遺跡周辺は通常人が近寄るようなところではないらしいし、それからさらに人を払ってくれるというのであれば一般人が巻き込まれるよう心配は無いだろう。
「家に残されていた子供達もサーガ家が保護して下さっているそうです。彼らは子供で、それほど教義に染まっているわけではないので落ち着いた後、正しく指導していけば今後大きな問題は無いだろうと言っておられました。私も、そう思います」
何人かの子供達に会ってみて深雪はそう確信できた。
「エーヴベリーは良い街です。子供達もきっと健やかに過ごせるはず。‥‥あの子達の為にも、やっと平和なったエーヴベリーで、無法な事はさせません!」
無垢な笑顔で元気に庭を走る子供達。希望に満ちた表情は幸せそのものであるが故に、少し心が痛む。
「‥‥あの子達、笑えるんだ」
子供達の様子を見て、小さくティアイエルは呟いた。
その声は小さく、聞き入れた者は少ない。
彼女は思う。どんな形であれ愛を受けていない子供に笑顔は生まれない。テイニスを庇おうとした子供達といい‥彼女はひょっとして‥‥
「テイニスって‥‥子供達にはちゃんと愛情を与えてたのかな」
ふと、そんなことが頭を過ぎる。そして‥‥
「ヴィアンカ‥‥両親の記憶がないの‥‥かな? 捨てられたと思ってるのかな? だから、テイニスを慕ってるのかな? もしそうならば‥‥悲しいな」
あの少女と戦いたくは無い。いや、彼女だけではない。子供相手に戦いたくない、傷つけたくない‥‥でも、そんなこと言ってたらこちらが危険に晒されてしまう。
「でも‥‥最後まで希望だけはない。うん。それしかないもんね」
彼女の呟きが聞こえたのだろうか。微かに笑みを浮かべパーシは歩き出す。
「パーシ卿」
「なんだ?」
先を行くパーシの顔を秦は見つめる。そして、仲間達の顔も。
「ここが終点と言うわけではないですよね。ここは止まった時を取り戻す場所。一番大事な場所かもしれませんが、ここで終わりではない。ここから進み始める事を忘れないで下さい」
死んではいけない。命を捨ててはならないと暗に言っているのが仲間達にも解った。
「勿論です。同行する皆さんを誰も死なせないよう行動するつもりですし‥‥僕も死なないつもりです」
「当たり前だ。絶対に死んだりしない。まだまだ、俺はやりたいことがあるからな。‥‥とりあえずは、パーシ、あんたとのリベンジを!」
キットは前を行く背中を見つける。
だから、死ぬなよ。とその真っ直ぐな瞳が言っているのを肩越しにパーシは見て、肩を竦めた。
「リベンジか‥‥。俺に勝てるつもりなのか?」
挑発するような言葉にキットは即答する。
「そんなのやってみなきゃ解らないだろう!」
そう、やってみなければ解らない。状況は世辞にも良いとは言えない。
希望はシャルグの言葉を借りるなら蜘蛛の糸のように細い。それでも、やってみなくては解らないのだ。
「ああ、そうだな‥‥」
一瞬、愛しげに冒険者を見つめると、改めてその視線を前に、揺ぎ無い意思を込めた背を冒険者に向けた。
「行くぞ! 終らせる為に。始める為に‥‥」
「イエス。マスター。任せておきな」
小さく息と苦笑を飛ばしてルカは頷く。続いた冒険者達の頬にも未来を信じる笑顔が浮かんでいた。
ウエストケネットはエーヴベリーの街から歩いて四半日というところにある古い神殿遺跡である。
元はエーヴベリーの古代遺跡群の一つで、紀元前の神殿であったという噂もあるが遺跡に溢れているこの地方では取り立てて珍しいものではなく、放置されるがままだった。
かつて、深雪が足を運んだエーヴベリーサークルから南。
朝と言える時間帯にエーヴベリーの町を出た彼らは、昼過ぎにはそこに辿り着いていた。
街道沿いの木の影には彼らを見つめる瞳と飛び立つ鳥がいた。だから、彼らはこの中で待ち構えているだろうと解っている。
そう。見張りの存在を冒険者たちは放置した。
彼らは待ち構えているのだから奇襲など無意味だろう。
ならば全力で立ち向かい、全力で叩くのみ。
「さて、命令してくれ、マスター。俺はアンタに従う」
丘の上の神殿を睨みながらルカはパーシに問うた。
神殿を見上げる森の入り口。ここが最後の相談の場になるだろう。
「アスティ。いい子で待ってて? 必ず戻ってくるから。ね?」
付いていきたいと、尻尾で答える犬に懸命に言い聞かせてからティアイエルは相談に入ってきた。
全員が揃ったのを確認して彼は答える。
「俺が望むことは一つだ。テイニスを追い詰める。その隙を作ってくれ」
「解った。拙者ら全力を尽くし、彼らを止めよう」
シャルグは静かに頷く。ここで言う彼らとは無論、子供達のことを意味する。
奥に篭っているか、余裕を持って出てくるか解りはしないが少なくとも、彼女に危害を加えようとするならば彼女の腹心であろう大人達や『使者』である子供達が邪魔をしてくるはずだ。
一番辛い役を押し付けた形になる。普段のパーシなら絶対にありえない事だ。
だが彼の冒険者を見る表情は、辛そうでも、申し訳無さそうでも無い。
何も心配していない、という信頼の顔‥‥だ。
「パーシ卿。絶対に全員生きて帰りますよ。何が何でもです」
「無論だ。これ以上誰の命も失わせはしない」
刀也の問いかけにパーシは頷く。それを聞いて安心したという表情を見せてから
「では、確認を。最初は隊列を組み‥‥そこから‥‥」
基本陣形をシャルグが仲間に説明し、冒険者達はそれを聞いた。
冒険者達が道を作り、チャンスがあればパーシはテイニスに向って突進する。
真剣な最終確認が練られる。
「キット!」「キットさん」
その時、相談の最中、ルカと秦が、一人の人物を静かに手で招いた。
「何だ?」
できればパーシに聞こえないように、と囁かれた耳打ちを聞いたキットは微かに眉を上げる。そして‥‥頷いた。
「俺に何を期待しているのか知らないが、それが作戦上有利な展開が見込めると言うのなら従う。っていうか、そのつもりはあったしな。でも、その時には黙ってパーシに従うなんてこと、俺はしないぞ」
「私は‥‥それを期待して押しているのですよ。多少こちらの手は減るでしょうが‥‥何とかしてみせますから」
「ボウヤ。できるな?」
「ルカの方こそ、無茶すんなよ。俺は、誰も死なせないように動く。助けに行けるようになるまで‥‥死ぬなよ」
膨れた顔のキットの顔を笑顔で見つめて、ルカは右の拳を突き出した。答えるようにキットの左拳が迎える。
「「約束だ!」」
拳の先に触れたぬくもりを確認して彼らは笑顔と笑顔、心と心を交換した。
開け放たれた扉の無い入り口を入り、冒険者達は遺跡に乗り込む。
明かり取りの窓さえも殆ど無い暗い石造りの空間の中、チリと‥‥深雪の持つカンテラの油が爆ぜた。
思った以上に広い部屋。静かな空間。
だが‥‥
「いるな‥‥」
「ええ、いますね」
「横と‥‥前に数はやはり十人‥‥以上?」
「お待ちしておりましたわ。パーシ様。冒険者の皆々さま」
「!」
かけられた声に冒険者達の背が揺れた。
「‥‥テイニス!」
安成は前を見た。
薄暗い部屋の奥。祭壇があるらしいとパーシが言った部屋の中央から聞こえる声。
薄ぼんやりとした部屋に目が慣れると微かなカンテラの灯りの奥に人影が立っているのが解る。
「お待ちしておりましたわ。我々の悲願が遂に叶う時がついに‥‥」
夢見るような声。そして声を取り巻く呼吸音。
深雪はカンテラを上げた。微かな光の向こうで笑う女の笑顔が見える。
「やはり出てくるとはな‥‥よほど自信があるのか? おぬし?」
ワザと嘲笑するように安成は言葉を叩きつける。返事は無言と笑みのみ。自分の勝利を確信したような笑顔。
「悲願など叶わぬ。お前の望みと悪事は、ここで終わりだ!」
冒険者を軽く押さえる様に一歩前に出る。テイニスはさらに笑顔になる。横に立つ少女に笑顔を贈って。
「いいえ、私たちの望みは叶いますの‥‥。必ず。ねえ、ヴィアンカ?」
ギリッ!
アルテスは横を見た。表情は形相というわけではない。だが、彼の口元で鳴った音の正体に気付けば彼がどんな思いで今の言葉を聞いていたか解る。
「ふん。どうやら聞いた数より人が少ないのお。二流司祭に愛想をつかして逃げてでもいったか?」
挑発する安成にテイニスは眉根を上げるが、軽く笑いで流した。
「我々が求めるのは真の賢人のみ。愚か者に用はありませんわ」
軽く手を上げる。周囲の闇に沈んでいた影たちが動き出す。それと同時にテイニスはヴィアンカと共に背後に下がり見えなくなった。
「待て!」
扉が開き、閉じる音。それを確認し近寄ってくる影。
背中を集め密集体型を取る中、
寄って来る影に向おうとする槍をスッと伸ばした手が止めた。
「アルテス‥‥」
「パーシさんの己の過去との決着‥‥邪魔をするつもりはありません。どうか先へ」
「ここは、お任せ下さい」
「‥‥その為に‥‥来た。足止めはして‥‥おくから」
冒険者達の言葉に一度だけ閉じた目が、嬉しそうに開いて輝く。
武器を構えなおす。身を落とす隙の無いその動きはイギリスが誇る円卓の騎士。雷の騎士と呼ばれた最速の戦士の速攻の構え。
敵に飛び込み蹴散らす先陣の雷。
「あいつらは任せた。俺は、奴を止める。‥‥パーシ・ヴァルの名に懸けて」
「‥‥解りました。でも、一つだけ。貴方は今、騎士としてここに居るのではない。そして信念を突き通すあまりに、己を忘れぬように」
「ここまで来たのです。我らは‥‥どうか、一人で背負い込まないで」
誓いを受けとめながらもパーシに声をかける。それは、共に戦ってきた一人の仲間への思いだ。
「パーシ! 俺も一緒に行く。止めても無駄だからな」
横に少年が立つ。真摯な瞳で怯えることなく惑うことなくパーシを見つめる。
「ついて来れるのか? 加減なんぞしないぞ」
馬鹿にしているのか、それとも‥‥。嘲笑を孕んだ口調に顔を紅くした少年は握りこぶしで答えた。
「馬鹿にするな! お前のほうこそのんびりしてたら追いてくからな」
「クッ‥‥」
振り返るルカの瞳が笑っている。敵の刃はもう届いてもおかしくない位置にある。
「こっちは大丈夫だ‥‥アンタはさっさと、アンタ自身の決着をつけてきなァ、パーシ・ヴァル!」
構えた日本刀で彼が行くべき先を指し示す。
「‥‥‥‥」
同時、踏み切った金の雷と黒い風が疾駆する。
通りすがり、槍の柄で払われた影たちの手足が止まりその隙を冒険者達は反撃の初手に変えた。
雷と疾風を止めようとする影をナイフの一閃が阻む。
「‥‥あいつ」
ルカは隣に立つ安成を見つめた。彼にも聞こえたはずだ。
「あの二人、どっか似てるやもしれんな」
「ボウヤが将来あんなになるのは想像がつかないがねぇ」
笑いながらそんな軽口を叩く。
パーシは言った。
「子供達を頼む」
キットは告げた。
「子供達、殺すなよ。絶対に!」
先に向おうとする影、近づいてくる影。無垢な闇達。
「‥‥これで終わりにする‥‥絶対ッ」
鮮烈な光と風が、闇の教会に広がって吹き抜けた。
ザクッ!
躊躇いの無い一閃が男の腹を裂いた。
キットは手早く手当てをして、ロープで縛る。テイニスたちが通ったと思われる通路を守るのは大人の神官が二人。
素早い動きと繰り出してくる迷いの無い攻撃魔法に、駆け抜けるパーシの足は僅かに止まった。
そう、僅かに。
彼らが迷いが無いのであれば、パーシの槍に躊躇いは無い。
魔法を受けてもその歩みを止めない彼が、一度己の間合いに敵を入れればもうクレリックごときには逃げられなかった。
「だあっ! もう無茶しやがって! アンタに痛覚無いのかよ!」
「小さい事を気にしてたら大きくなれんぞ。ああ、さっきのダーツの援護は助かった」
「小さい事ってなあ! まあいい。多分、あそこだな‥‥」
「ああ、気配を隠すつもりも無いようだ」
ポーションを呷ってパーシは前を見る。キットが指し示した扉が最奥であることは解っている。
「行くぞ‥‥!」
「解った」
暗闇の向こう。二人は扉を開ける。そこには‥‥
覚悟と思いを決めていたが故に、思ったよりそれは容易であった。
「止めて下さい! 誰かを傷付ける事なく、普通に暮らす事だって出来るのに‥‥大勢の血を流させてまで成し遂げる事に、何の価値があると言うんですか!」
深雪は言いながら不可視の聖なる守護の場を展開させた。
躊躇い足になる子供達を
「何をしているのです? 貴方たちは使者となった者。神の意思を伝える使いなのですよ!」
動かす声がする。それは、テイニスに似た、惑いの無い大人の声。
指示する声が神であるかのように、子供達はナイフを振り上げる。
拙いが、確かな意思の元に振るわれたその足と刃を
「大地よ!」
「風よ!」
紡がれた魔法が止めた。風に動きを止められ、反転した大地に行動の自由を奪われた子供達は
「キャアア!」
さらに吹きすさぶ風によって、壁に叩きつけられた。
「悪いな‥‥当たったら‥‥自分の運のなさを‥‥怨めよ」
唸り声を上げて蹲る子供達の意識を前衛の戦士たちは刈り取っていく。
「くっそおお!」
倒れたままの手を呪文で伸ばした少年の手が伸びる。持ったままのナイフを手近な冒険者に向けて。
「くっ!」
安成は肩口を手で押さえた。伸びてきた手は掴んで渾身の力で投げつけた。目眩が告げる意味は知っているが即座に薬で吹き飛ばす。
「我らが父の名にかけて!!」
年長の少年が祈りを神に捧げる。再現神の力は黒い光となって前衛で剣を振るう冒険者に向っていく。
その衝撃に抵抗して、彼は全力のスマッシュで応戦する。死んではいないだろうが、衝撃で暫くは死んだほうがいいくらいの苦痛があるだろう。
周囲を確認するようにルカは鼻を動かした。鉄の匂いが鼻に付く。しかし死の、命が消えていく匂いはまだ無い。
仲間以外の匂いを探す。多分あと二〜三人。
「! アルテス! そっちの影から誰か来る!」
「はい! ‥‥君達には、まだ未来があるんだ。こんな事をしちゃいけない!」
ナイフをナイフが弾いた。魔法が子供の動きを凍らせる。彫像のごとき少年の手からナイフを奪い取り、彼は遠くに投げた。
訓練を受けた暗殺者とはいえ、相手は子供。
子供であるという油断と、奇襲のアドバンテージが無ければ小さい身体は明らかに戦闘には不利であった。
まして、戦いに慣れ、覚悟と対策を用意した冒険者相手には。
「‥‥貴方が、子供達の指導者ですか。この子達とは違い、貴方は信じる神に誓いを捧げていると見ます」
秦がゆらりと剣を一人の女性に向けた。子供達を指示し、檄を送っていた娘。追い詰められながらも彼女は懸命に刃をかわす。
何度か打ち付けられる魔法は彼の手を爛れさせる。それでも、彼は向き合う事を止めなかった。
「貴方‥‥お強いですわね。我が神が認める賢人、なのかもしれませんわ」
笑顔で告げるが彼女の呼吸は荒い。限界が近づいているのであろう事を察し、秦は剣を微かに下げた。
「私の友人なら貴方たちの信じるものを認めたうえで戦うのでしょうね。でも私は認めない。貴方達の神を否定します。‥‥だから肯定する為にでいい、生き残って下さい」
「えっ?」
渾身の力で彼は床を蹴った。剣が彼女に迫る。真っ直ぐなその軌道を避けようとかわしたその時
「‥‥あっ」
彼女は崩れ落ちる。初撃はフェイント。かわされる事を計算した動きに流石に対応しきれなかったのだろう。
「これで‥‥雑魚は‥‥片付けたかな?」
「おそらく‥‥。この部屋にはもういないようだから」
息を切らせる秦の背中を守るようにシスイと刀也が確認する。
子供十人に大人が一人。
いると言われたシフールと大人あと二人の姿は見えない。
「悪い予感がする。先を、急ぐぞ。皆!」
シャルグが背後を振り返る。倒れた子供達の治療と拘束を手早く終えると彼らはパーシ達の後を追っていった。
「無事でいろよ! パーシ、キット!」
命の匂いは消えていない。それだけを心の支えにルカは仲間の背後を守るように駆け抜けた。
(「ダメだ‥‥。これは、幻なんだ!」)
そう思いながらもキットは身体が動かないでいた。
突入した部屋は想像とは真逆に光に溢れていた。
開かれた窓に日常に装飾された部屋はまるで、普通の家のよう。そこには家族の帰りを待つ愛らしい少女と、美しい女性がいた。
「‥‥キャロル」
喉から振り絞るようなパーシの声にキットはテイニスの目的をここで始めて看破する。
彼女の目的。それは賢人の入手。
パーシの心の傷を知り、娘を手にしている。
そして、この幻影。美しい笑顔の女性が誰か、キットは知らない。
だがおそらくパーシのたった一つの弱点。
「‥‥あなた!」
「キャロル!」
笑顔の女性が突然血にまみれる。彼女が手を伸ばす。救いを求めるように。
だが‥‥パーシの手は彼女に届かず、細い血にまみれた手が彼の頬を撫でた。
「どうして‥‥こんなものを‥‥」
足元には娘の死体。腕には妻の亡骸。ただ見守るしかないキットにもそれは悪夢の光景だった。
そこに、光が指す。
暗いが神々しい存在、神と呼べる者が彼に、手を差し伸べる。
『この光景を繰り返したいか? 選ばれし賢人よ、神の守り手となりて汝の罪を消し去るのだ』
パーシは下を向き、手の中の妻を見つめている。そして‥‥神の方を見る。
(「いけない。あの手を取ったら!」)
「ダメだ!」
キットは力の全てを声にして、思いを放った。
「自分の運命を呪うな。パーシ! 確かに自分の大切な存在を失って理不尽に思うかもしれない。でもそうして経験した事、感じた事を後世の者に伝える為にお前の人生はあるんだ。それを神なんてものに預けるんじゃない!」
『黙れ。下郎!』
「うわあっ!」
黒い天罰がキットの腹にめり込む。言葉が止まる。神がもう一度パーシの方を向く。パーシの視線は神を見つめている。
『神の僕となれば、悔いは消え新たに守る者を得る。さあ‥‥』
差し出された手。救いの光。それを‥‥
シュン!
「俺に神の救いは必要ない。俺は‥‥自らの意思でこの道を選んだのだから‥‥」
迷い無き槍の一撃が切り裂いた。彼は立ち上がり目の前に立つ『神』を切り伏せる。
手には自らの槍で指したのか、血が滲んでいる。
「後悔は限りなく、いつも心はやり直しを願い迷う。だが‥‥あいつが言ったとおり後悔も迷いも、全ては俺を作るもの。今、この時生きるパーシ・ヴァルを作るもの。だから、俺は俺の意思を誰にも預けない。自らの生きる道と意味は自分で決める。この槍は王と、守るべきものの為に!」
『だってさ‥‥君の負けだね。テイニス?』
「‥‥あっ?」
霧が晴れるように目の前が明るくなった。キットを支えるパーシの足元には腹を裂かれたテイニスが、口元から血を吐き出す。
怯え震える少女。そして‥‥
「もう終わりか。まあなかなか面白かったよ」
心から楽しげに笑うシフールがいた。
パーシの手が槍を握りなおす。背後から冒険者達が部屋に走り込んでくる。
倒れた場所から懸命に何かに手を伸ばす女を楽しげに見つめて彼は笑っている。
テイニスに駆け寄る安成。
治療を手伝う者も、そうでない者も彼から目を離せなかった。
「お前は!」
圧倒的な敵の数、戦力差だというのに、そのシフールは楽しそうに、余裕さえ感じさせる。
「教えてあげようか。冒険者? テイニスがなんでこんなことをしたのか?」
飛びかかって捕まえたい気持ちを彼らは懸命に抑える。
彼の手の中には小さなナイフがあり、そのナイフは事態が解らす虚ろな顔の少女の首に向けられているのだ。
「なんで‥‥? 神の意思の具現化では‥‥」
深雪の疑問にシフールは楽しそうに首を横に振る。
「テイニスはね、そこの騎士が好きだったんだよ。一目ぼれってやつ? 神の意思とか、そんなのも、まあ、あるにはあったんだろうけど、本当の目的はパーシ・ヴァルさ。彼を手に入れたかったんだよ」
「な、なに?」
「あっ!」
ティアイエルは口を押さえた。そう言われれば‥‥。
自らを救った騎士、その妻を憎み、その娘を手に入れ、自らを追わせ手に入れようとした。
「テイニスの父親は、もっと黒くて面白かったんだけど、テイニスは女の子だからねえ、一途すぎてさ。まあ、おかげでわき目も振らずにここまで来たわけなんだけど」
馬鹿にしたように笑う微笑は悪魔に似てさえ見える。クッ‥‥と誰もが口元を歪めた。
「お前が、テイニスたちを操っていたのか?」
「操るなんて人聞きの悪い。僕は父親との知り合いのよしみで彼女を守ってただけ。面白かったからね」
「ふざけるな!」
荒げたキットの言葉にそれでもフフと彼は笑う。
「まあ、十分楽しんだからね。じゃあ最後にプレゼント!」
「待て!」
静止の声と同時、少女の足元が弾けた。
「キャアア!!」
高い悲鳴と泣き声が部屋に木霊した。それは怯えと痛み、苦痛と恐怖が生み出したもの。
「怪物が近づいてくる! 助けて! テイニス! 神様、助けて!」
自らの闇に捕まった。今、何も見えていない。
「死んで! 消えて! ヤダ〜!」
あのシフールが、幻影でも見せているのだろうか?
正気を失い暴れナイフを振り回す少女を雷のごとき素早さで抱きしめた者がいた。
「パーシ!」
彼の腹には少女のナイフが刺さっている。どろりと温かく紅い血が流れる。
「‥‥止めるんだ‥‥ヴィアンカ」
周囲の悪夢が解けるように消える。自分を襲う者は消え、抱きしめられる感覚のみが残る。
「あ‥‥」
無骨な手が、娘を愛しげに抱きしめる。闇に落ちかけていた少女を抱き上げながら。自分を刺した手をそれでもパーシは放さなかった。
「俺は‥‥必ず‥‥守るから」
このままあの少女を闇に落としてはならない。冒険者は必死に駆け寄り少女の心の手を引いた。
「貴方は自身の昔の事を覚えていますか? 彼の手のぬくもりを覚えていませんか?」
「貴方は捨てられたんじゃない。愛されていたし、今も愛されているんだよ!」
「このスカーフを覚えているか? お前にこれを与えたのは誰だった? お前に姉はいない。いたのは優しい母と父だったろう?」
「‥‥ヴィアンカ。‥‥貴方のお父様‥‥ですわ」
えっ? 冒険者達は後ろを振り向いた。息も絶え絶えながらも安成の手の中からテイニスが妹のように思っていた少女を見つめる。
「‥‥私が‥‥貴方を‥‥誘拐しましたの。お父様の‥‥腕の中に‥‥お戻りなさい」
「お父様‥‥? ‥‥だって、私‥‥」
「お前の道はこれから照らしてやる。大丈夫だ、やり直せる。だから、呼んでやるんだ。このぬくもりを、この蒼を覚えているなら‥‥」
キットの手が震える少女の手に重なる。スカーフとぬくもりに震えが止まる。
「‥‥おとうさん? おとうさん!」
崩れるようにパーシの身体が地面に落ちる。それをシャルグと刀也が支えた。アルテスと深雪、二人かがりの治癒が始まっている。
パーシの命を繋ぎとめようと必死な者達の向こうで、安成は腕の中のテイニスを彼なりに優しく見つめる。
「死なせては‥‥やらないと‥‥いう顔‥‥ですわね」
ああ、と安成は頷く。
「死は救いでも神への神化でもない。ただ、神から与えられた試練から挫折して逃げる為の手段でしかない。死ではなく、生で汝は償わなくてはならんのだ。神と、人への償いを‥‥」
「私に、その資格は‥‥無いと思いますけど‥‥」
「神様に賢人。生きる事に必死になれば分かるよ。現実をどうこうするのは偶像ではない、自分自身なのだと。‥‥嫌が応にもね。歩いてみる気はないか? 賢人に縛られず、自分の足でだ」
数多くの命を殺めてきた。真の目的を神の御心に隠して‥‥。
だが‥‥涙目で父親を見つめる少女、そして‥‥自らが運命を歪めてしまった子供達。
「死を持って償うのは彼らを解放してから‥‥でしょうか?」
頷き見つめる瞳達に静かに微笑んで、テイニスは静かに瞳を閉じた。
「馬鹿か! 痛覚だけじゃなくて、後先考える頭も無いのかよ!」
帰り道、そんな罵声が途切れることなく続いた。冒険者がいることを信じてとはいえ、パーシの行動は怒られて当然だ。誰も止めない。
「大声を出すな。傷口に響く」
頭を抑えわざとらしく言う騎士にフンと少年は首を横に振った。
「お兄ちゃん、怒らないで?」
自分のせいで、と心配そうに覗き込む少女の瞳と目が合う。もう一度顔を背けた。
背後で、誰かと誰かがきっとククと笑っているのが想像付く。
「まあ、とにかく誰も死なせないですんだのはなによりでしょう」
刀也の言葉が全てを代弁している。
シフールには逃げられたが敵も、味方も誰も命を失うことは無かった。
事後処理はこれから。
現在エーヴベリーで保護されている子供達。
捕らえられた暗殺団の使者や大人者達の罪。そして、テイニス。
彼らの背負うべき十字架は決して軽いものではない。
無論ここにいる少女のそれも、だ。
だが、彼女の心は闇から解き放たれ、導き手たる光を見つけた。
彼らの心にも光が指すように冒険者達は願い、祈っていた。
少女は目を閉じている。
背に触れるぬくもり。今まで感じていた導きの手とは違う生まれたときから知っている暖かさ。
再び開いた蒼い瞳は最初会った時とは違う輝きで、父と、冒険者を見つめる。
紺碧の空に輝く太陽のように。
同じ色、同じ輝きを持つ空を、鷹が悠然と翼を広げていた。