●リプレイ本文
●目覚め
六月二十一日。到着から一晩が過ぎたモン・サン・ミシェル修道院での一日目の朝が訪れる。
一行の誰もが目覚めた瞬間に砂と土で汚れている自身に気がつく。記憶はあったが、疲労で朦朧としていてあまり気にせず寝てしまったのだ。
ポーレット・モラン(ea9589)、エミリア・メルサール(ec0193)、ステファの女性三人は、ミカエル・テルセーロ(ea1674)、クレー・ブラト(ea6282)、レオパルド・ブリツィ(ea7890)の男性三人が休んでいる部屋を訪れた。
他の巡礼者から沐浴の出来る場所を教えてもらったので、行こうと誘ったのである。
小島には雨水を貯めておく貯水槽もあったが、北側には真水の湧く泉があった。言い伝えによると、祈りに応えて天使ミカエルが示してくれたのだという。
移動する最中、一行は周囲の景色を眺める。教会施設が島の頂上にあり、少し下って巡礼者用の建物が並ぶ。
石材を始めとする様々な物資が置かれている。これからさらなる増築が行われる予定らしい。一部はすでに着工していた。
沐浴を済ませて身綺麗にし、貸してもらった修道士や修道女の服に袖を通す。
「汚れたままだったからしょうがないけどぉ‥‥、これからはちゃんと聖務とミサに出席するわ〜」
部屋までの帰り道、ポーレットは仲間の目線に合わせて飛んでいた。他の者達も全員が出席するつもりである。
「そうそうっ〜、ステファちゃん、落ちかけたとき怪我してない? ちょっと屈伸とかしてみてくれるぅ?」
ステファの歩き方に不自然さはなかったが、念の為にポーレットは確認を願う。肘、足首など、どこも問題はなくて冒険者全員がほっとする。
「修道院は規則正しい生活が基本ですが、こちら特有の仕来りとかあるのでしょうか?」
エミリアは自問しながら、ステファをちらりと眺めた。ステファは修道院生活が初めてのはずだ。フォローはするが、出来る限り彼女の自主性に任せるつもりでいた。
「保管されている聖書とか、閲覧させてもらえるかな。建物とかも興味あるけど」
クレーはモン・サン・ミシェルでの日々を主に読書で過ごすつもりでいた。もちろん建物にも興味がある。ガーゴイルの石像から始まって、出入り口上部を飾るタンパンの彫刻に、レリーフなどいろいろな場所で見かける。興味は尽きそうもない。
「僕も興味あるよ。一緒に頼んでみよう。ステファさんはどう?」
ミカエルがクレーにニコリと頷いた後で、ステファを振り向く。
「わたしもご一緒させてもらいます。楽しみですね」
ステファはミカエルに会釈した。
「僕もそうするつもりです。読んだり写本をしたいと考えています」
レオパルドはふと今は満ちている海を眺める。噂では北海、ドーバー海峡周辺で十五日前後に津波が起きているという。直前の十五日に被害はなかったのか、修道院長との面会の際に聞いてみるつもりである。
部屋に戻ると使いの修道女が訪れる。望むのなら明日午前のミサが終わった後、修道院長と面会が出来ると。
ステファが代表して一行全員の面会を申し出るのだった。
●面会
二日目、一行全員がミサに出席し、その後で修道院長との面会となった。
礼拝場内はとても明るい。屋根が木製のおかげで窓がたくさんあるおかげのようだ。
「パリから巡礼に来られたそうですね。まずはこちらをお渡し致しましょう。モン・サン・ミシェルを訪れた証となるはずです」
修道院長が一行全員に手渡したのは、『ミカエルの十字架』である。巨大貝の殻を削って作られ、彫られた溝には赤色が流し込まれていた。一見すると真っ赤な十字架のようにも見える。
一行は感謝の言葉を口にする。そして一人ずつ修道院長との会話時間が用意される。
「夢を観たのです。天使ミカエル様が現れる夢をです。恐れおおくはありますが、ミカエル様は亡くなった兄に似てました。モン・サン・ミシェル修道院がミカエル様を称える場所だと聞き、決意したのです――」
ステファは巡礼の理由を述べた。
「ステファさんのお兄様が天に召されている証拠でありましょう」
修道院長は胸の前で十字を切る。
「お聞きしたい事が御座います」
エミリアはこれまでの修行について修道院長に相談した。修道院長はエミリアを別室に呼び、いくつかの試しを行った。すぐに礼拝堂へと戻ってくる。
「ビショップへの承認には様々な手続きが必要となります。パリの大司教に一筆したためましょう。パリに到着したのなら立ち寄りなさい」
「ありがとうございます」
エミリアは深く祈りを捧げた。
「書庫への入庫許可はもらえませんか? 是非閲覧をお願いします」
クレーが閲覧の許可を修道院長に訊ねる。加えてレオパルドが写本をしてもよいかと付け加えた。
「蔵書の閲覧については希望を叶えられましょう。ですが写本は特別な事情がない限り許可しておりません。閲覧だけでよろしいでしょうか?」
クレーは閲覧さえ出来れば問題はない。レオパルドは修道院長の言葉を受け入れた。
「ありがとうございます。僕も蔵書に興味あります。大切に拝読させて頂きますね」
ミカエルがお礼をいうと修道院長は微笑んだ。
「天使ミカエル様と同じ名をお持ちなのですね」
「僕なんかには、似合わないです‥‥」
「そんな事はありませんよ。どうかミカエル様のご加護がありますように」
修道院長は祈りを捧げる。
「十五日前後、海では津波が起こると噂を聞きました。津波の被害はあったのでしょうか? 一見したところ被害はなかったように思えますが」
「心配して頂いてありがとう御座います。普段より高い波はありましたが、被害といえるものは特に。地形のおかげでしょうか。しかし、ただならぬ状況なのは理解しております。考えられるのはデビルの仕業ですが、その正体は未だはっきりとしていません」
レオパルドの心配は修道院長に通じる。かなり気にしている様子が窺えた。
「デビルっていうだけで大変だし‥‥。ステファちゃんの観たミカエル様の夢は啓示なのかしら? 院長様はどう考えられてます?」
ポーレットは様々な聖書の逸話を思いだしながら修道院長に訊ねる。
「似たような伝承はいくつかあります。ですが、今回がそれと合致するかはしばしの時間が必要でしょう。注意にするに越したことはありません。それとかなり以前ですが、見張りの修道士からおかしなものを目撃したという報告もありました」
「おかしなもの?」
「それが曖昧な表現で‥‥。クジラではないかと問いただしたのですが、そうではないらしいのです」
ポーレットは修道院長への質問を止めた。直接目撃した修道士に話を聞いてみようと考える。
蔵書の閲覧から始まって、大抵のモン・サン・ミシェル修道院施設の見学が許可されるのだった。
●本
書庫で日々を送った冒険者は多かった。他の事を主にしていた冒険者でも何度かは訪れる。他で見たことがない本が本棚には仕舞われていた。
「いろいろとあるんだね」
ミカエルは仲間から借りたランタンで照らし、書庫に並べられた本を眺める。どれも大きく見えるのはミカエルがパラだからでない。人間にとっても大きくて厚く、重いものばかりなのである。
「こちらなんてどうでしょう? みなさん、興味があると思いますけど」
ステファが聖人が残した天使についての写本を手に取ろうとする。
「危な〜い!」
当然ステファ一人では持てず、レオパルド、ミカエルが手を貸す。クレーが持ってきた台車に載せられて、本は専用の机に移動させられた。
修道院の本だけあって、すべてがラテン語といってよかった。
書庫には冒険者以外にいなかったので、レオパルドが翻訳しながら音読を始める。ラテン語が苦手な者にもわかるように。
ミカエルの逸話はかなり多い。聖書にある竜との戦いや、ある書物にはモーゼに十戒を渡したのはミカエルだという説も載っている。
「ノルマンだけではない、いろんな地方のミカエル様の伝承が書かれてありますね」
レオパルドは感心した。整理された形で、天使ミカエルについてこれだけの資料があるのはモン・サン・ミシェル修道院だけだ。他にあるとすれば教皇庁ぐらいだろう。
戦いの天使とされているだけあって、かなりの人気である。
何日にも渡って、たくさんの本に目が通されてゆく。
(「黙示録‥‥蒼ざめた馬‥‥。蛇と呼ばれる――」)
クレーは一人の時に天使と悪魔の戦いについての資料を探しては目を通した。
「ジャパンの神社参りやイスパニアの巡礼地‥‥。共通点があるんだ。面白いね」
ミカエルは遠く離れた土地なのに、似た風習がある事に驚いた。月道のある現在なら理解できるのだが、記されているのはかなり昔の出来事である。
四人で読んでゆくうちに、ステファがパリを恐怖に陥れたノストラダムスの預言を話題にする。
預言とされた四行詩は聖書の黙示録を解釈し直したものだともいわれている。あくまで噂の域であるが。
結果として預言の脅威は去ったものの、パリを襲ったアガリアレプトの暗躍は未だ続いている。ミカエルではないものの、別の天使が降臨したというまことしやかな噂もあるようだ。
書庫にはエミリアの姿もあった。
他の四人と興味がずれていたので読んだ本は別である。だが、相手が読みたくなるような本を見つけたら声をかけあっていた。
(「なかなかありません。やはり遠い土地だからですか‥‥」)
エミリアが調べていたのはエジプトで問題となっていた『蛇・アポピス』についてである。
残念ながら詳しいといえる資料は存在してなかった。太陽神ラーにはむかった『混沌の蛇』であるなどは載っていたが、それ以上のものは存在しなかった。
●絵
「上からだと違ったように見えるわぁ〜♪」
ポーレットはモン・サン・ミシェル修道院の小島上空を飛んでいた。
眼下にある頂上付近の教会施設は十字架をかたどっている。
併設する建物はあるので厳密には凸凹しているのだが、基本は十字を描くように建てられているのは間違いない。
風が弱いうちにポーレットは全景の写生を始める。
モン・サン・ミシェルは太陽の傾きによって刻々と姿を変えてゆく。何枚描いたのか忘れるぐらいにポーレットはペンと筆を走らせた。
「津波の被害はなかったっていってたけどぉ‥‥」
ポーレットは小島の外縁部分で土が削られた個所を発見する。雨で流れたのではなく、一気に削られた感じだ。草木の状態からいって最近の出来事であり、まず間違いなく津波のせいだろう。
「レオちゃんには伝えておきましょ」
部屋のある建物に戻るとレオパルドに教えるポーレットであった。
●見学
全員で修道院を一緒に回った日もあった。
「ロウソクがたくさんあるね。マリア様の像だよ」
ミカエルが見上げるように像を見つめる。マリアが赤子のジーザスを抱きかかえている姿だ。
修道院には礼拝場は一個所だけではなく、いくつか存在した。地下にあったり、もしくは土台にする為に今は使えなくなった場所などいろいろである。
「たくさんの柱があるわぁ〜。ここも描かないとね」
ポーレットは散策の間を支える柱を縫うように飛んでみた。横断アーチがいくつもある。天井は低かったが、かなりの広さがあった。他にもポーレットは刻まれたレリーフや飾られている小さなミカエル像まで全てを描ききるつもりである。
海が見える踊り場で冒険者達は夕日を眺めた。
「夢の中のミカエル様に、お兄さんを見たって、どんな方、だったんですか?」
ミカエルの問いにステファが話し始める。
幼い頃のステファは今以上に虚弱で、少し遊んだだけでよく熱を出していた。兄はベットで寝ているステファを心配して楽しいお話をしてくれたという。
ところが元気だった兄が流行病で亡くなり、病気がちであった自分が生き残る。誰のせいでもないのはわかっているが、わだかまりが未だ心の中に燻っているとステファは吐露する。
「一緒に読んだ本の中にもあったでしょう。ミカエル様は、お兄さんはきっとステファさんを見守ってくれていますよ」
レオパルドは俯き加減のステファを元気づける。
「その通りや。元気だしてな」
クレーはステファの夢に出てきたのが天使ではなく悪魔だったのではないかと疑っていた。しかし修道院では何事もなくて杞憂に終わりそうだ。
「寝る前にお兄ちゃんの容貌教えてくれる? 人相描きしてみたいの〜☆」
ポーレットの願いにステファは『是非に』と返事をする。ミカエルの姿で夢に出てきた事も聞いているし、もしも美形なら注文された絵のモデルにするつもりでいた。
「旅の最後にはきっと答えが見つかっているはずです。旅の記録はつけられましたか?」
エミリアはステファに手記を書く事を勧めていた。今回の巡礼が先人の手記で始まったように旅の情報は貴重である。
ステファは書いていると答えた。ただ後に清書が必要なようだ。
「僕も書いているよ。文章と絵、両方の巡礼の記録を残すつもりなんだ」
ミカエルが丸めた羊皮紙を胸元から取りだして見せる。そして海へ振り向く。
「ここから見る夕日は、本当に‥‥。どうすればこの美しさを伝えられるのか、悩んでしまうけどね」
ミカエルが呟く。全員が太陽が沈むまで、その場を離れる事はなかった。
●帰り支度
十四日目、一行は帰り支度を整えていた。
別れの挨拶の為にもう一度修道院長と面会する。その際にポーレットは儀礼用短剣と天使ミカエルの絵を進呈した。モデルはステファの兄である。
もちろんポーレットはステファにも兄の絵をプレゼントしてある。とても大事にステファが仕舞っていたのがポーレットの印象に残った。
海で何かを見た修道士に興味を抱いたのはポーレットだけではなかった。数日前に全員で話を聞く。曖昧な表現であったが、どうやら巨大な魚のヒレのようなものを目撃したらしい。それがデビルなのかまではわからなかった。
見張りの修道士に潮の満ち引きについて聞いて帰りの準備のすべては終わる。
兄が亡くなってしまった事へのステファのわだかまりも、祈りによって大分和らいだようだ。完全に克服出来るかはまだ誰も知らない。
長いパリへの旅に備えて早めに就寝した一行であった。