●リプレイ本文
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紺碧の海が、しみじみと。悲しみにも憂いにも染み付いたことのない明るさが一面に敷かれるなかを、水脈を切って進む一艘。
航海はひどく穏やかだった。ウィルマ・ハートマン(ea8545)にとっては、それがかえって煩わしい。帆柱をからかいに訪れる海鳥の一羽でも撃ち落としたそうにしているが、いつ矢を補充できるともしれぬ旅路のうちで無駄撃ちはできず、いよいよ暗鬱がかさむ。
「‥‥あれが、実は、海賊の手先だったりはしないだろうか」
馴れぬ俎上で、悪態すら精彩を欠く。出鱈目に任せるウィルマに、高槻笙(ea2751)は苦笑する。
「さすがに、ないとは思いますけど‥‥」
「にゃん、しらら、あんまり暴れすぎると海に落ちちゃうよー」
と、ウィルマとは逆さに、カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)の二匹の猫は、潮気に弱る風情はちっともなく、船板を活発に走り回っている。材木をがりがりと研いだり海鳥を求めてぺこんと跳ねたり、やりたい放題。しかも、どんな感銘を受けたのだか、笙の紫黒まで躍起になって二匹のあとを追い回している。変なこと憶えなきゃいいんですけど――‥‥。笙はほぼ絶望しながら、ツヴァイのほうを見やる。海に落ちなきゃ何をしてもいい、という意味らしく、ツヴァイ、にこにことまなじり蕩かし、猫らの好きにさせている。また、海の男というのはそろって猫には甘いのが多い。教育にはいささか向かない環境だった、というのを、改めて思い知らされ、こめかみのじくじくするのをなだめようと、笙は別の恣意に転換をはかる。出しなに、鈴鹿にもとめた諸般の説明を思い返していた。
『それを知ろうとするのは、禁足地へ泥を付けようというのと同じだ』
安祥様よりも宮の血筋が正統か、という問いに、鈴鹿は憮然として答えた。志士が典型的な志士へ行う諮問としては、少々不用意だったろう。安祥神皇の否定に繋がりかねない発言を、鈴鹿が出来るわけがないからだ。――‥‥要するに、彼女も知らないわけだが。だが、その他の問いにはなるべく応じようとした。例えば、もし仮に宮が大島を出ているとしたら向かう先は何処か
『いや、さっぱりだ。万一あったとして、そこへ辿り着く方法を思い付かん』
あぁ、と、笙は今更ながらに納得した。鈴鹿に、それを告白されたときから、考慮に入れてもよかったのだ。
即ち、宮がもっぱら独力で島を破る可能性は低い。あるとするなら――外部からなんらかの手助けがさしのべられたとき。それは奇しくも、アリアス・サーレク(ea2699)の「五条の宮ほどの要人を、周防大島なんていう眼の届きにくい場所に置くんだ」等のぼやきへの回答ともなる。采配には長けても、手ずからの面において、彼が力不足なのは明らかであったから――まぁそれ以外の仄暗い思惑も絡むのだろうが――中央も彼を配流に押し付けたままにしておいたのだ。
『毛利が中央と折り合わない、というのは、まぁムリもなかろう、過去の政争で良い目をみてないらしいからな。が、それでおとなしく引き下がる毛利でもあるまい』
『毛利と島津の間の確執か? ‥‥火をみるより明らか、とまではいかないが、近頃になってそれがわずかに表沙汰に浮かんできた節がある』
「もう着きますわ」
はっと醒まされる。鷹神紫由莉(eb0524)が涼やかな青い瞳を派する方角は、今日の寄港地。そんなに無聊を囲っているなら降りてはどうだ、と、勧められたウィルマは、なおいっそう憮然となって船板にごろりと臥し転ぶ。
「くだらん。ペテン師の真似事なんぞ、戦場だけで充分だ」
「僕も、いいや。僕の見目じゃめだっちゃうしね」
ツヴァイも居残りを主張し、じゃあ私も残ります、山本佳澄(eb1528)が云うので、笙は彼女に鷹と仔猫の世話を託した。ふっくらと匂い立つ肌の褥が気に入ったか、仔猫は、すぅすぅと寝息をたてておとなしくおさまっている。それは、まぁ、いいとして。引き合いは、何故か、湯田鎖雷(ea0109)の目線から不自然に遮るような恰好だ。鎖雷がその訳を問いただすと、これ以上、紫黒に悪い影響をあたえたくはないので、と、笙は前置きして。
「かわいい紫黒の毛がむしられはしないか、と、心配で」
「待て。いくら俺でも黒猫の体毛を盗まにゃならんほど、不自由はしてないぞ?」
「してるでしょう?」
毛の話だけに、不毛。いや、その。
「‥‥あのな。俺は、廻船護衛の傭兵のふり、をしているだけで、本気で仲裁に入るつもりはないぞ?」
それでも、アリアスはよくよく親切なほうだ。商人を演ずる紫由莉とその付き添いの役回りにおさまった御神楽澄華(ea6526)は、とっくに二人を放り出して陸に揚がっている。‥‥俺も見捨てるべきだろうか。そう考えあぐねる分だけ、アリアスは優しいのかもしれない。鎖雷が「アリアスも今日から俺の仲間だ」と云ったのは、彼の優しさに感激しただけであると、心から信じたい。
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「へぇ、京の茶かい」
「もちろん宇治のものですわ。少々値は張りますが、それなりの価値はございましょう」
鈴鹿に頼んだ紹介状は断られたものの――というのも、紹介状はなにかのときの跡形になりやすいから――そんなのがなくったって、紫由莉の商い口上は思いの外、毅然としたものだ。
「お酒のほうもございます、こちらも日がたつと風味が失われてしまいますから、お引き取りになさるなら今のうちですよ」
実際、紫由莉はかなり上手にこなしているほうだろう。ほぅ、と、澄華、紫由莉の傍に付きながら、しかし気持ちはむしろ彼女の相手をする男のほうに寄って、やりとりを眺め遣る。紫由莉の携えているのはしっかと封がしてあるが、包みを開けば、茶の香気が芬々とまろびでるだろう。京が、すでに、懐かしかった。
旅路の出しなに、澄華は噂の出所を確かめようとしたのだが、これが雲を掴むような有耶無耶だった。俺のダチが見た、と、いうから念を押して確かめてみたところ、五条の宮とはまったく縁遠そうな見目形を得意気にまくしたてる。世間の流言はこのようにして、尾鰭や背鰭を増やしていくのだ、と、体認したのは、見廻組という性分にとっては、よかったのか悪かったのか。
こちらの方は知らないでしょうね‥‥、と、半ば観念して、澄華、目前の客を見張った途端、アリアスがその場にやってきた。思ったとおりだが、よく引き立つ。ジャパンの礼儀とは微妙にずれながらも、すっきりした出で立ちをどう見たのか、紫由莉の客が呼び止める。
「俺か?」
「あんた、異人さんだろ。珍しいなぁ」
珍しい? たしかにまだまだ片田舎では異人の姿は見受けにくいであろう。だが、その言い回しは、また別の、内的な意味を含んでいるようにも思われる。アリアスが質すと、客の男は正直に告白した。
「ごく最近だったかな。金髪の偉丈夫を見掛けたんだよ」
虎や鬼みたいに立派な体躯の兄ちゃんだったよ、相手はからから笑ってみせるが、紫由莉たちは当惑して顔を見合わせる。
「目処以外の魚を釣り上げることを、こちらでは外道というのか? どうやら外道を引きあてたようだな」
釣り好きのアリアスらしい、感慨だ。が、外道だからといって、なおざりにしておいていいものでないのが、世間のうねり。紫由莉、聞いたばかり
「宮ではありませんわね。女性にまちがわれてもおかしくない、細身の方でしたから」
「‥‥私も、聞きました」
澄華が幾つか噂を聞き及んだうちのなかに、それと似たような雑話を聞かされた気がする。当時は与太をつかみどおしで、これもまた同種の妄言かと聞き流したが、こうして改めて別の地で知らされると、また、違った意味のありそうに思われる。
「叛乱首謀者の宮を、人三化七の容貌魁偉のごとく誹るのは珍しくありませんから、今までは大して気に留めていませんでしたが‥‥」
「‥‥そいつのことも知りたいな」
アリアスは、聞き込みの目録に、それ、も付け加える。
だが、結果は芳しくなかった。どうやら、それは、何十分の一かの僥倖な報告だったらしい。始めの目的の長州藩の動きにおいては、通り一遍のことしか聞かれない。ただ、近頃、水軍がよく出回っているようだ、とは教えられた。なにか練兵めいたものをはじめているのだ、と。
なんで、こうなったのでしょう、と、笙は思う。
「急ぐぞ、笙。日没までだーーーっ!」
鎖雷、ただ単に荷運びを手伝うはずが、笙はそのまた鎖雷を手伝うはずが、そのついでに細かい噂でも聞けたら、と、その程度の思惑だったのが。どうして、こんなところまで来て、本当の本気の飛脚をやるはめになっているのか。要するに、鎖雷、礼儀正しく、朴直に――と、考えているうち、染み付いた生業についひょっこりと覚醒してしまったので。
僕たちが噂のネタになっちゃ意味ないんだから、振る舞いには重々気を付けてよ。ツヴァイの忠告もむなしく、別の意味で、ネタにはなっていた。笑いの。
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けっきょくウィルマにとっては、最悪の旅路になったと云ってもよい。発散の機はついぞ訪れなかった、いや、まったくなかったわけでもないのだ。おかしな船が時折、水際にちらりとひけらかすようにして過ぎてゆくのを、見張りに立った鎖雷が見つけている。
――‥‥が、近付かないのだ。
ただの通りがかりの漁船にしては洗練された雄姿であった、というのはどうにか確認できたのだけど。武器の類は、澄華が荷の下に隠しておいたから、それを怖れて、というのも考えにくい。
『水上は距離が掴みにくい』
ありがたくもない発見まであった。山野ならば、木や石を見れば、ウィルマの鷹の目は自身の矢が届くか否かをいっぺんに見定めることができる。が、洋上では目印になるものが少なすぎた。土地勘がなければ、正確に見定めることは難しい。
「毛利は水軍を擁してましたよね? そちらではありませんでしたか?」
「それも、分からなかった」
海賊も水軍も、ほぼ、同型を利用している。どちらも洋上の戦なのだし、時機が来れば海賊が水軍に、水軍が海賊に鞍替えするのも珍しくはないのだから、当然といえば当然ではあるが。
そして、冒険者らにとって思い違いは他にもあった。
屋代島は、大きい。
皆、島流し、という言い回しにごまかされたのだろう。屋代島は結構な面積がある。はなはだ分かりにくい対比を用いれば、伊賀国の約二倍。魔法だけで探索を済ませようにも、これでは、さすがに、広すぎる。現に、笙の魔法はことごとく空振りに終わっていた。どんなにがんばっても、それでは村一つを間に合わせるのが上限だろう。
「これじゃ、一朝一夕に探し回るのはムリだね」
明確な方針がなければ、三日でも、ちとムリだ。ねこさーん、と、ツヴァイはそのへんをめぐっていた猫を一匹、寄せ上げる。旅にでも連れまわらないかぎり、猫はそれほどまで遠くには出回らない。知っているとは思えなかったが、近頃このへんにいついた高貴な人を知らない?と無駄を承知で問い掛けると、猫はふわぁとつまらなそうに口を開く。
『あなた』
「えーっ。分かっちゃう? 僕ってやっぱ、そんなに高貴?」
「‥‥なぁ、猫相手になにやってんだ?」
漫才。いや、その。
「ねぇ、教えてあげよっか?」
ここまで来てやはり地道な聞き込みを広げるしかないのか‥‥と、いささかならぬうんざりした思いに皆が皆、とらわれたとき、ひょいとそんな声が横合いから響いた。いつのまに彼等の会話を聞き付けたのだろう。絵の具で色を塗ったように、浮き立つほど頬の赤い、五歳ぐらいの少女が、彼等のあいだに割り込もうとしている。佳澄、膝をついて、物を請う姿勢をとった。
「教えてくださるのですか?」
「うん。その代わり、これ、買って!」
と、差し出されたのは、貝で作ったらしい笄。都の小物屋で売られているような、娘好きのする小じゃれた意匠とは違い、垢抜けていない、実際に購入したとしても使い手のなさそうな笄である。
「分かりました」
だが、佳澄はためらわず、彼女の望むままの小銭を支払った。元々、聞き込みを滑らかにするために地酒でも買い込もうとしつらえておいた金だ。それに、むさくるしい男の酒代に消えるよりは、少女の日銭に費やされた方がまだマシ、という気もする。まいどあり、と、俗的な礼のあと、少女はけろりと言葉の火矢を投げつけた。
「宮様なら五条だよ、きっと」
‥‥五条? そんな地名があるのだ、実際、屋代島には。
「五条は、たぶん、このへん」
どこにしまっていたか、少女は島の地図を取り出す。見下ろす一同に、何とも言い難い、沈黙の帳が落ちる。彼等の上陸地点は、長浦、島のおおよそ北西だ。少女がぽってりと赤らむ指で押さえつけたのは、島の南。周防大島は横に長い形状をしているが、中央の辺に南へ向けて伸びる、半島めいた突起がある。五条はその最南端の近くにあった。
「南か。正反対だな」
「誰かさんが、石風呂薬師堂に寄りたいってゆうからさぁ」
「な、なにっ。みんなの分までふさふさを祈願しようという、俺のありがたい親心のせいか!?」
いや、祈願してもらわなくてもこの場の大概はだいじょうぶだよ、と、言い返すのは可哀想なので、やめておこう。実際、周防大島のなかで、いっとう本土に近しい長浦は規模の大きな船着きなので(で、嫁入らず観音のある石風呂薬師堂もこちらに近い)、こちらに船を着けるのはごく自然な成り行きなのだ。
「さて、どうするね?」
ウィルマの唐突な疑問に付いていけず、呆気にとられた一同に、決まっている、と、ウィルマは吐き捨てる。
「船を南にまわすか? それとも、船は置いて、このまま歩いて島を突っ切るか?」
ここからならば、どちらにしても、到着までに大した差はないように思われる。だが、大事な脚を持っていくのと持っていかないのとでは、その後の判断を決める上で、だいぶん違いが出てくるだろう。いや、第三の選択もある。少女の云うことには従わない。
「とりあえず、それは置いておいて、みんなで嫁入らず観音に参拝をだな」
「しばらく考えさせてほしい。釣りに行くぐらいの息抜きがあってもいいだろう? そのあいだに結論を出す」
「じゃあ、僕も行こうかなぁ」
「‥‥おい。俺は無視か、生え際組」
ふ、と、好き勝手に言い募る面々に、紫由莉は頬をふわりとゆるませる。じゃあ私はお茶でも点てましょうか。もう少し聞き込みをして少女の話をしっかりさせる必要も感じたが、しかし、今日一日ぐらいは余裕をみてもよいだろう。
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「あれでよかったの?」
「あぁ。これは約束の駄賃だ」
「わぁい、ありがとう」
そうだ、あんな小さな子が島の地図を正確に把握しているわけがない。自分が行ったこともあるかも怪しい地名なんぞ、指摘できるわけがない。
――黒幕に、毛利にと。更に誰が幕を盛り上げるのやら。
そこには、ウィルマがいつか零したとおりの「何か」が、いた。