●リプレイ本文
●死の一
その男に向かって、高槻笙(ea2751)は切々と訴える。我々は宮を弑逆する為に訪れたのではなく、安否を、真実を見極めに来たのです、と。
あなたは誰の手引きで島に辿り着いたか。
何故、戦いを望むのか。
高杉・吉田の名はご存知か。
この国にやってきた理由は何か
笙、まるで千年も説教節を解きつづけたように、喉が干涸らびるのを感じた。が、それらを言い終えるまでラルフが待ち構えたのは、最後の憐憫だったのだろう。そして、彼はこれ以上の憐れをかける必要をおぼえなかったらしい。
「‥‥ならば、死ね」
と、答える。冷えた低音。洞穴を渡って鍾乳石を響かせる、行き止まりの風をおもわせる。
「神は俺より博識で寛容だろう。神に、尋ねろ」
城壁のように堅牢たる拒否。交渉などやはりムリなのか、と、軽い絶望、それと同時に覚悟する。見せかけの道具と運んでいた酒樽が遂に役立つときが来たか。
しかし――それより、一瞬速く、ラルフの刀が唸りを上げて、笙が取り上げようとした先を切り落とす。
湯田鎖雷(ea0109)を回復のために下げたのは笙自身であり、山本佳澄(eb1528)は魔法の詠唱の時間を稼ぐためにやはり後衛に下がった。ラルフとの相対に実質的な前衛として接近するのは、笙一人、ましてたった今、会話を試みた相手だ。笙の一挙一動にラルフが警戒を払うのは自然、不意打ちが不意打ちとしてなりたつだけの横着があろうはずがない。
たしかに酒は、ラルフにもささやかに掛けられた。が、それをはるかに過ぎる嵩が笙のやにわに半身に塗抹され、あらわになった酒精にくらりと霞む。これでは、ラルフに火を掛けるどころではない――‥‥、
火?
火打ち石は背嚢の中だ。だのに、笙、すぐ身近から火の手が轟々とどよめくのを聞く。――あぁ、それはたしかに火柱にもよく似て。刀傷とは思えぬほど太い線が、胸を斜めに裂いた。
「‥‥っ」
「下がれ、笙!」
煤のような土煙を蹴り上げて、鎖雷、佳澄から譲られた薬水で平復した身体で躍り込む。佳澄の手から撃ち出される雷霆が青味を帯びてほとばしるのを背に、くちなわの鞭を細く鋭くラルフの足元に叩き付ける。ラルフの意思はすでに示威の段階を越している、だから、鎖雷の攻撃も威嚇の鎧を剥いだ。撫で斬るように、横へ払う。
「おまえは海賊なのか、どうして俺たちを狙う!」
「だから言った、神に訊け、と」
うるさい蝿を追うようにラルフが腕をまわせば、癒えたばかりの傷がじわりと開く。
――‥‥京に籠もることの多かった彼等は、もしかすると、負傷の不利を真に悟っていなかったのかもしれない。
流刑地となるほどの僻地だ、周防大島は。蘇生を取り仕切る高僧なぞ臨むべくもなく、治癒をもたらす薬水にも不足する。まさに「死ねば、一巻の終わり」の地だ。そして、手傷で痛め付けられるのは自分の肉体のみではない。布陣、だ。たった三人の軍営にとっては、尚更で。――そう、たとえば、軍勢の常識をあげよう。負傷者は治療の手間がかかる故に、死者よりよっぽど負担が大きい。
三人が陥った状況は、それ、であった。一人の傷を癒やす間を稼ごうとして別の一人が前に出るたび、更なる深い傷を負う、悪循環。
時間稼ぎすら惜しいぐらい、時間、そしてなにより生命にも余裕はなかった。。この場を引く、と、見たのは正しいだろう。が、隙を突いて駆け抜ける、という決断は、それでも遅すぎるくらいだ。それは、隙ができるまでの待機を意味する、では隙ができなかったときは? そう、先程、笙が為損じたように。ラルフの行動が散じるまで、彼等が持ちこたえられるという理屈もない。
「あれ、ほんとうに人間ですか」
「‥‥訊いてみるか」
「遠慮します」
ようやく見出したほんのわずかのとき、を、安らぐために軽口に費やす。佳澄、かぶりをふって、笙に新しい薬水を手渡す。
笙は、別れて海を往った冒険者らに連絡を取りたいと考えた。が、今は、落ち着いた文章をしたためるどころか墨を擦るいとまもない。笙は悩んだ末、すでに千切れた被服のはしきれのみを結びつけて、彼の鷹・蒼穹を雲居に放り上げる。呆れるほど心静かな青みに点となってぱっと掠れる、猛禽。
ふ、と、吐血の消えた息を、笙は吐く。
ラルフを追えば五条の宮はそこにいるのだろうか、と、考えた。
だが、実際に追われているのは自分たちだ。質量的な圧倒の前に、彼等は段々となすすべを失う。
●死の二
ざん、ざん、と、樽がまたひとつ、ひとつ、波頭に白い泡を生んで溶けてゆく。鷹神紫由莉(eb0524)、船上、下、ところかまわず、目に付くはじから船荷を海面に投げ入れていた。多くは、酒。島で少々入手した柑橘に、これがいっとう彼女の心を掻き回す、茶葉。別に荷を守れ、という命を受けていないとはいえ、お気に入りの着物をみずからちぎってゆくようで惜しい。
「なんだか、もったいないねぇ」
思いは、皆、同じ。カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)、そんな悠長な場合ではないと重々知りつつも、波の花となり欠片となって消える荷たちへ、最後の挨拶をたむけた。――とりあえず、海を眺めるかぎり、血は見ないですむ。今は、流されるものより、流すもののほうが多いから。
「海賊の狙いは、荷ではないか、と思われます。もしかすると、荷の方を回収を先にと考えるやもしれませんし」
「うん、僕もそう思うけど‥‥。樽、沈んでるよ」
今、取りに行くのは危ないし、僕ならあとでゆっくり拾いに行くけど。いっしゅんぴたりと動きを止めた紫由莉、名残惜しそうに、渦巻く海上を見やると、投げ入れを再度開始した。
「‥‥船も軽くしなければいけませんし。船足の確保が大切です」
「だね」
ツヴァイ、き、と、前方を見張って――いや、船の舳先を正面とするなら、彼の見据えたのはどちらかといえば左だろう。が、気持ちは前向きで、生の断崖に押し遣られそうな今すら、差し向かいになっている。が、実際の肉体までそうするには、彼はいろいろと難儀の多いハーフエルフだったので、現実は板を立てた物陰から、こっそり戦況を窺うのが関の山だったけど。
「矢掛けが多い‥‥じゃ、できるかな」
「弓矢を持ってくるんだったな」
アリアス・サーレク(ea2699)のぼやきは、もっともだ。海賊らの攻撃は、野戦の王道をいっていた。合間合間に、折を見て、船へ板を渡して乗り込んで来ようとする不埒な輩を、アリアス、シャスティフォルの神聖なる煌きで攻め返した。現在、冒険者等がまともに抗していられるのは、直の攻め寄せが本格的に開始されていないからだ。真っ向勝負、一対一では、断然、冒険者らの実力が海賊のそれを上回っている。が、相手はそれを越え、地の利をこころえて頭数をそろえている。要するに、時間がたてばたつほど、冒険者らの不自由は増す。
アリアスの左手から芽吹く、羽根のように軽い盾が、また新しい矢をはじいた。オーラエリベイションは燃え付く士気を血筋の隅々にまで流し込み、まるで消耗戦だ、と、考えた己の弱音を消し飛ばす。
――消耗など、冗談ではない。
生きて、帰るのだ。なんとしても。五条の宮の所在を確認する、と言う目的は果たした。だが、それだけが彼等の使命のすべてではない。この身を無事に持ち帰らなければ、報告だってままならない。生存こそが、たった今、果たすべき務めとなった。
紫由莉から借りた薬水を呑みきり、御神楽澄華(ea6526)は、ようやく人心地つく。紫由莉への礼もそこそこにアリアスの補助に向かう。傷は癒えたが、地虫でもたかったように、閉じられたばかりの皮膚がじくじくと疼いた。やはり消耗戦だ、と、澄華も考える。いっそ、こちらから向こうの船に飛び移ってやろうかと考えたが‥‥だが、海賊らは小型船を分散させて周囲を取り囲む、どれへ飛び移るべきかさっぱり見えてきやしない。いや、可能性の高いのは、おそらく主艦はここからいっとう遠い箇所にあるのだろう。
「このままでは‥‥」
ぎり、と、歯を食いしばる。先程と共通の苦みが、赤い舌をより赤くさせる。血の味。これ以上の不覚をとるわけにはいかない、と、焦慮と緊張が彼女の至る所をくべた。気持ちだけが車軸のない鐶のように空回りする――方法が見えてこない。と、ウィルマ・ハートマン(ea8545)、ふとかったるく首を上げ、海賊と接舷するのと逆の船縁に引き摺るように近付けば、ぼとり、と、墜落する。陸――浜辺の側へ。その、一本通った意思のない行動に、もしや手傷を負わされて混乱したか、と、狼狽して澄華は彼女を見下ろすが、着陸したウィルマは意外に平気な顔をしていた。
「船を出せ、これでは持たん」
「ウィルマ様は?」
「死ぬ気は、ない」
――‥‥答えに、なっていない。澄華が問いただそうとしたそのとき、出し抜けにアリアスの手元へ、飛礫のような、だがそれよりずっと正確な放物線が巻いて転げ込んできた――蒼穹。アリアス、面喰って、鳥の翼を返す。文はなかったが、脚を飾る上等な織物の加減には見覚えがあった。笙のものだ。
「なにかあったようだな」
「予想はしてたけどねぇ」
綽然とした声色とは裏腹に、ツヴァイ、ひどく重い顔になる。それと対称的なのが、ウィルマ。
「やはりな」
むしろ満足げに、ウィルマ、ひとしきり肯いた。
「別働隊には私が知らせる。最初に上陸した港の沖だ」
では後でな。うまく振り切れ。
そうしてニヤリとあくどい笑みを残せば、ウィルマ、承諾も受けぬうち、口笛なぞ吹きつつ、小気味好い足取りで山へ踏み入った。そのあとをボーダーコリーやまだ全然輪郭の整っていない埴輪が追いかけるのは、なかなか非現実的な風景だ。
「‥‥ウィルマさんの助言に従った方がよさそうですわね」
紫由莉、ほぅ、と、息をつく。重いものを運び続けて、肩が、痛い。しかし、それ以上にかかる負荷――彼等の状況は、籠城戦に似ていた。長引けば長引くだけ、内側に立てこもるもの現実の荷重を失ってゆく代わり、時間の負債を背負わされるのだ。紫由莉、一度、「この荷ばかりはさしあげますから」と、おさだまりの命乞いをやってみたのだが聞き入れられなかった。おそらくはそう命じられているのだろう、それを決断できる責任ある地位に就くものがそうそう前線に出てくるとは思えないのだし。そういえば、ツヴァイ、悪戯心に近い感情でファンタズムで周布政之介を作ってみたが、これもまったくの無反応――彼等が三下であると考えれば、それもまた当然だ。
思考を、切り替える。船は、死守したい。この船を失えば、彼等は京へ戻る手段をほとんど失うのだ。‥‥海賊にはきっと縄張り意識があるはずだ。離れよう、きっと巡り会えるはずだから。
「じゃ、いっくよー」
高速の詠唱。彼の資質によく馴染んだ地の精霊力が、温かな色彩を零して、ツヴァイの全身から引き出される。ローリンググラビティー。入道が分け入ったがごとく、豪胆で野太い水柱が、青い空に向かって手繰し込まれる。間髪おかず、ツヴァイはくるりと操舵手をふりかえった。
「ほら、とっとと行っちゃって!」
絶対に生きて帰るんだから――‥‥、
「鎖雷さん、生え際談義はまだ終わってないんだから。ここで『負け逃げ』したら、それこそ全禿決定だからねーーっ!」
●死の三
遂に、最後の薬が切れた。佳澄、数だけは備えてあると思ったんですけれども、と、切れ切れの声音で嘆く。
「‥‥数じゃない、ということですね」
笙が請け負う。――ラルフの行為に、理屈がないように。鎖雷は無言を貫いた。脈拍が規則的に鼓膜を打ちつける、目を閉ざして重低音に耳を澄ましていた。己の心臓をこんなに近く聞くのは、初めてだ――いや、ずいぶんと昔、こんなこともあったかもしれない。淫欲のはるか以前、胎動、胎内で聞いた――粘壁に包まれて、やさしく。
魂を賭け代にする闘争は、情炎めいて嫌いじゃない。――けれど、もう、いい。今は、ただ、母の胸に抱かれるがごとく手厚くされたかった。
「鎖雷さん!」
「‥‥眠い」
「しっかりしてください」
砂を蹴り上げてラルフをくらまそうという試みは、半ば、成功した。こうして、しばし身体を休められるぐらいには。だが、それに支払った体力は厖大、鎖雷を介抱しようとする笙ですら、時折強烈に襲い来る怠惰をはらいきれずにいる。そして、薬水は切れたのだ。怪我は彼等から迅速を取り払う。せっかく汲み出した距離が徐々に詰められる予感――いや、きっと、それは事実なのだろう――に佳澄は、喘ぐ。
「あぁ、めひひひひんの息子が見たかったなぁ。めひひひひんは?」
「無事ですよ、だから、鎖雷さん」
「死ぬつもりはねぇけど‥‥」
脚を、もう、動かすこともできない。頽れて滞留する彼等は、追い込まれておびえる鼠だった。
そこへ、がさり、と、草を分ける音。
二つは同時にあらわれた。
ラルフと――ウィルマ。
ウィルマの登場には、さすがにラルフも面喰ったようだ。柔らかいものへ突き刺すように、ラルフの裸出を、ウィルマの矢は易々と必中する。けれど、こんな幸運は長くは続かない。
「畳み掛けろ! 無理ならさっさと! 下がれ!」
だが、彼等はすぐには動けなかった。苛立ったウィルマが、血の混じった痰を吐く。
「死にたいなら、死ね。俺を巻き込むな」
そして、彼等は最後の、最期の、逃亡へ突入する。
●死を越えて
それからの道のりが平坦であった、とは、言い難い。死者のでないのが不思議なくらい、熾烈、の一言に尽きた。
しかし、彼等は辿り着いた。死者はなく、それにもっとも至近の刻印を全身にことごとく喰らいながら、しかし、彼等は港へ入った。ちょうどなにがしかの用事で港へ姿をあらわしていた鈴鹿に、
「申し訳ありません。宮の所在もしれず‥‥」
いるかもしれない、と、言われた場所がもぬけの殻であることを確かめただけ。
そこが本当に宮の所在地であったかどうかを確実に知ることはできなかったことが、澄華には大層悔しくてならない。動脈の分断より、元の繋がりのしれぬ骨折より、そっちのほうが重要だった。
「いや、充分だ。‥‥長州が口約束を守らなかった、それが分かれば、いい」
休め、と、当然のはなむけをかける。逆らうように、アリアス、それだけは尋ねずにはいられなかった。
「また、大戦になるのか?」
「‥‥いや、そんなことはさせない」
が、決意を語るには、鈴鹿の声色は自信の火もなく、弱々しすぎて、紫由莉は悟る。
起こるのだ。
物証はない。敢えて言うなら、星の巡り合わせ。炎の身動ぎ。そんな自然の一つ一つが、動乱の気配をただよわせている。そして、彼等を撫でる傷も、また。
「大したオチだ、全く」
血濡れのなかから、くすくすと、拗けた笑みをつくるウィルマ。
――それはまるで何かの象徴であった。或いは、未来という名の、暗黒に。