●リプレイ本文
●海
「俺はもう何が出ても驚かないぞ」
アリアス・サーレク(ea2699)、ごろりと船板に寝転がる。雲居の青が、青い眼底に、じん、と、沁みる。少女のあらわした土地へ船を進めるためにこのまま商船の真似をつづける、とは決めたものの、操船手は別にいるから、船の動いている間はとりたててやらなければならないこともない。隠居のようにぼんやりしているのも気が咎めて、船縁からちょいちょい釣り糸たれつつ、思いの外ごつごつした汀線のどこかに影が潜んではいやしないか、きちんと見晴ろうと努めてはみたが、これもまた空しく終わった。たしかに船影のようなものはちらちら見えたが、それが敵味方か、一目で嗅ぎ分けるのは易しくはない。
――金髪の偉丈夫? 虎や鬼にそっくりの?
どうにでもしてくれ、だ。
本人ふてくされたつもりは毛頭なかったものの、そんなふうにみえてもおかしくない有様だったようで、あら、と、鷹神紫由莉(eb0524)が微笑ましげに、水を差す。
「では、昔、一晩付き合った女性が『あなたの子よっ』と言って、赤ん坊といっしょにこちらまで押しかけてきたら、どうなさいます?」
「‥‥それは、少しは驚くかな。というか、いろいろと待ってくれ」
退屈凌ぎに過去を捏造しないでくれ、と、アリアスが半身を起こせば、紫由莉はもうとっくに気はうつろって、熱心に、手元の略図に見入っていた。略図とはいっても、まるで子どもが気の向くままに筆を走らせたような、地図とはとても呼べない代物であったけれども、これも善意の供出であることを思えば、不平も付けられぬ――要するに、まともなのは手に入らなかったので、勘所のよい土地の者が即席でしあげたのを引き取ったのだ。ろくな縮尺ではないから、地名のちらばりようぐらいしか参考にはならないだろうが、ないよりはマシ。
「ラルフだと思うか?」
ふとアリアスが、仰いだ姿勢のままで、沈静を破る。誰が、とは言うまでもない。御神楽澄華(ea6526)のやるせない吐息が、皆の思いを凝らせていた。
「なんとも‥‥ですね」
ほんとうに、さっぱりだ。いっそ仕掛けてきてくれなら、打ち返すことで、何かが知れる。が、片側と別れて以来ほとんど責務を忘却しそうになるくらい、平和で順良な日々が続いている。カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)もアリアスを真似て船板に仰向けになれば、新しい遊びかと飼い猫がじゃれついてくるので、よぅしよぅし、と、抱き上げてやる。ツヴァイは、アリアスほどには、船路に嫌気がさしていない。べつに無聊をなぐさめてくれる遊び相手がいるからでなく、こうなることを半ば予想していたからだ。
それまでろくな報せを聞けなかったというのに、島へ着いた途端、まるで導かれるように舞い込んできた風説。
蜘蛛の糸をたぐる罪人のように、自分たちは与り知らぬ一つところへ絡繰られている――そんなかんじがする。いい気はしない、という個人的な感情は横においても、そこから導かれる推量はあまりに不愉快で仄暗い。
「サンワードじゃ、名前まで分からなかったもん。似たようなことは言ってたけどねぇ」
あのあとスクロールを使って、ツヴァイ、地図をみせた少女の行く先を探ってみたのだ。すると、金髪の偉丈夫、とやはりいつぞや聞いたような返答で、驚嘆よりも、あぁやっぱり、と理解が勝る。納得はしないが。
「おそらく、あちらには、こちらを呼びたい意図があるのでしょう」
澄華もほぼ同様のことを考えていたようで、この、科戸の風のような日々も彼女の狼狽には値しない――茶番ならば、茶番を突き通すまで。荷の下に包んだ刀を引き出す支度はいつでもできている。一人、気楽をよそおうのは紫由莉、仕入れる予定の柑橘を上機嫌に数え上げている。商人の風の練習かと思いきや、どうやら本気で早稲の蜜柑をねらっているようだ。
そうそう、これから目指す五条といえば、
「桜並木が有名なのでしたね」
温暖な気候だから一面の紅葉とはいかないだろうが、ふさふさと青い葉冠を揺らす梢を見やるのも、それはそれで目に涼しい。桜は、一年を通じて、桜だ。野暮ったい艶消しの樹皮の下は、来るべきに備えて、
「黄色いサクランボでもなっておりませんでしょうか」
「サクランボ?」
まぁ、この時代では、まだまだ珍しい果物なので。
●陸
一方で、陸路は苦々しい道のりになった。
海沿いを東回りに進んで途中から降下、と、決めたのはよかった。が、屋代島の農業が柑橘栽培が中心になっているのは、逆にいえば、稲作にまったく向かない土地だからである。浜へぴたりと丘が接着したような地勢には平野が少なく、河川がないので淡水の確保が容易でない。これはそのまま、旅歩きの難しさにも繋がる。
「めひひひひん、あともうちょっとで休めるぞ」
まして、京の周囲ではない、初めてにも等しい路程だ。湯田鎖雷(ea0109)の飼う頑丈な馬匹ですら一日の終わりには水に浸かったように青息吐息、蹄をもたぬかよわい二つ脚の身ならば尚更だろう。道祖神様も、こればっかりは、どうしようもありませんしね――まぁ、天候に祟られなかっただけ御利益はあったとしましょうか。風のない黄金の夕刻。高槻笙(ea2751)は石灰のような艶の額を拭う。不快な湿り気が音を立てそうに、白い指をじっとりと伝った。
「約束どおりの期日に合流するのは、少々難しいかもしれません」
「‥‥和佐へ行くのは、あきらめたほうがいいでしょうか?」
山本佳澄(eb1528)が綿入れのようにふくよかな乳房を上下させる――と、そこらに、ぼとり、と、判で押したような染みが付く。ぼとり、ぼとり、と、汗染みはたちまち膨れて、そこに揚羽蝶でも休んだかのように、ついには一面に展翅する。熱い風呂につかりたい、と佳澄はぼやく。この島では、それが、真夏に氷雨を口にしたい、というのと同程度の贅沢であるとは分かっていても。
まぁ、陸路をとってよかった、という思いもある。ぽつ、ぽつ、とではあるが、五条の宮のものではないか、という打ち明け話も舞い込んできたからだ。百のハズレの中の、一のアタリ。空振りのほうが多かったけれども、細小波を払い除けながら――笙はふと都での出来事を回想した。
「どうして長州は五条の宮を預かることになったんでしたっけ?」
それについて鈴鹿が特に言明しなかった理由は、言うべきことがなかったから、だ。長州が五条の宮を引き受けたゆきさつは消去法、関東は上州の叛乱等でそれどころではない、北陸は五条の宮に荷担した豪族が多く不向き、九州は長崎や大宰府があるから持ち掛けにくい、四国はどこも引き取りをいやがって――と、まぁ、こんなかんじで、済し崩しに長州と決まった。が、鈴鹿は、こういうふうにも付け加えた。
『国同士のやりとりの真相を、私一人から聴き出したといって、分かったつもりになる方が危険だと思うがな』
それぐらいで白日に晒される真実ならば、そもそも暗躍や計略などおこなわれる意味がない。――そのとおりだ。だからこそ、笙、こんな地の果てのような閑地にまで、望んできたとはいえ、追いやられたも同然で。鈴鹿、五条の宮の祖父の配流先を知らないか、との問いには、知らぬ、と、あっさり切り返した。
『公家の連中が懸命に晦ましている節があるからな、深く掘り起こすと身が痛むらしいぞ』
五条の宮の祖父について触れようというのは、公家のあいだでは、禁忌に近い振る舞いであるようだ。現在、都で安穏をむさぼる貴族の中にも、先祖の代、彼に荷担したりしなかったものは多い。昔の罪を又候呼び覚ましてとばっちりを受けるのはごめん、と、そんな事情らしい。志士が力を持つようになったのは至極近年の出来事だから、鈴鹿が知らないのもとりたててムリはない。
予定の二分の一を越えるか越えないか、の道のりで、辿り着いた集落に一時の安らぎを借りる。鎖雷、愛馬から荷、酒だ、を一つ切り崩すと、それと藁の交換を申し出る、その駆け引きがてら、なにげなく訊きだした。
「この島への行きに賊らしい船を見て驚いたが、水軍は陸に帰ったら何処で何しているのだろうか」
「知らないのか?」
問いに、問いで、突っ返される。何を、と、訊いても、それ以上は教えてもらえそうにない雰囲気だった。――その晩は、ともかく、安息に入る。気持ちの良い藁で身体を拭いてやると、愛馬はすぐに寝入る。対称的に、鎖雷、ずっと起きていた。寝込みを襲われても、かなわない。
「‥‥鎖雷さん」
「寝ていなかったのか」
天幕に潜り込んだばっかりだというのに、笙、ごそごそと間もなく起き出してくる。疲れが溜まりすぎて、睡眠にまでとうとう変調をきたしたらしい。
「無理矢理に寝たほうがいいぞ、どうもこの調子があと何日も続くらしいからな」
「いったい何が真意なのでしょうかね」
いいや、それ以前の問題で。誰の、というところから、見えなくなっているのかもしれない。
二人そろって、ほぅ、と、つくづく夜を眺める。秋の星宿は、恥じらいを知る乙女のように、華やかではないがつつましい。
「鎖雷さん」
「ほんとうにもう寝たほうがいいぞ」
「私が寝たあとでしたら、紫黒を頭に載せてみてもかまいませんよ。私は見てませんから、遠慮なく」
「この世が終わるまで、寝かしつけてやろうか」
――ところで。出しなに、鈴鹿は、言っていた。
『屋代島はそもそも海賊のねぐらだ』
と。
それはつまり、島の住人が海賊の存在を許容しているという裏返しでもあった。海賊の狙いの殆どは海路を往復する米や荷にある、湾岸の貧しい漁村など襲っても仕方がないからだ。逆に、海賊らは島のものにそれらの収穫を分け与えることもある、罪深き財など要らぬ、と、突っぱねられるほど清貧を貫ける民草ばかりではない。
要するに。
――彼等に悪気がないことは、あらかじめ付け加えておこう。島の住人は、はじめから、海賊の身内も同然だった。彼等に海賊のことを尋ねる、それだけで、こちらの動向が筒抜けになる可能性は高かったのだ。鎖雷に限らず、海路を選んだものも、道すがら海賊について尋ねまわった。この結果、彼等が分断して動きまわっている、という現実は島の海賊衆にとって瞭然としたところとなり――‥‥。
それは、やがて――‥‥。
●
陸路は想像以上の時間がかかった。一方、海路はあべこべに、想像以上に安らかな日々。この差は大きい。五条に近い浜辺。――海を往くものたちがそこに行き着いて数日、しかし、陸を辿るものたちが姿を見せる気配はまったくなく、アリアス、とうとう極まった感のある退屈を投げだそうとでもするように、両腕をふらふらばたつかせる。
「どうしようか?」
もはや、心底やることがない。紫由莉はせっせと商いごっこをつづけていたが、柑橘を仕入れるふりも一つところでは限度があろう。はぐれた片割れらと連絡の付かないのを不安に感じた澄華、両腕をふらふらとばたつかせる。
「先の港へ戻りましょうか?」
場合によっては京へ非常事態を告げに戻っても――と、が、京へ戻ってからではいくらなんでも遅すぎるだろう。第一、これは冒険の一環だ。京へ連絡を付けても援軍を寄越してもらえるとは限らない、むしろそうしないために冒険者が雇われた、と、考える方が正しい。
「ここまで来て、何も見て帰らないというのも‥‥」
紫由莉、ちろりと視線をさまよわせる。地元のものらとやりとりを続ける中で、五条の宮が住まっているとおぼしき庵の位置はすでに聞き及んでいる。ここでいったん撤退すれば、同量、いや場合によってはそれ以上の危険と苦難を支払わなければ、再びここへは立ち戻れない。と、アリアスが折衷案を出す。
「所在のみ、確かめてくるというのはどうだ? 無駄な騒動は避けるに越したことはないが」
「そうだね、見るだけ見てこよっか」
その周辺だけでも様子を見て回る、というのは、悪くない案に思われた。が、けっきょく、ツヴァイの思惑は、彼にとって真逆といっていい形で裏切られる。
庵は寂しく、静かであった。火宅の掃きだめへ打ち捨てられたように、いや、そのものであったから。
「これは‥‥」
彼等、用心に用心をかさねて、庵の間際まで近付く。そこには何の気配もなかった。それは、もうすっかり古寂びていた。五年、いや、十年以上も人が住まったことのないように見える。穴の空いた障子、外れた柱、伸び放題の茅。
「欺されたのか?」
「‥‥分かんない」
危惧していたのは、自分らに五条の島脱けの嫌疑を掛けられること。が、見せつけられたのは、まったくの望外。
「でも、どうして?」
ひとまずその場は引く。船へ戻ってじっくり理由を見繕うとしたとき、とうとう、不安が現実にやってきた。海賊衆の襲来。
一方と合流も果たせぬうちに。――つまり、戦力を分割した状態で。海賊衆らの手際は良いとは云えなかったが、何しろ数が多く、それも地の利、いや、水の利は向こうにある。澄華がとうとう血にまみれる。だが、彼等は船を出すことすら、かなわなかった。まだ鎖雷らが戻ってきていない、彼等と寄り合うまで(或いは見捨てることを選択するまで)船を死守せねばならない。
最悪だった。が、それ以上に最悪なのは――。
陸のものたちが取り決めの刻限に間に合わなかったのには、むろん理由があった。――‥‥否。それは理由など生やさしいものでなく、悪夢という命数、数奇という不運。
「はは‥‥」
鎖雷、『彼』を前にして後じさる。『彼』の放つ圧倒的な鬼気に容赦も我慢も差し込まれる余地はない、と、本能で悟ったものの、箱の中の最後の光にすがりつくようにして、なけなしの反駁を試みる。
「な、なぁ。酒があるんだ。これで勘弁してくれないか?」
「いらん」
鬼か虎と呼ばれた男――冒険者にとっては大して珍しくもない金髪が、血糊でも塗りたくったように、やけに禍禍しく映る。獣となんら変わるところのない嘶きを挙げながら、彼は豪速で刀剣を振り落とす。致死量にあと一歩とどかぬ剣筋が、鎖雷の着物を割った。赤い線――裂傷。
単身で城を落とし、名うての冒険者が数人どころか十数人がかりでも押さえつけられず、四面楚歌の激戦のさなかをそれでも生きて逃げだした男。
名を、ラルフ、という。
鬼というより、もはや鬼神。虎というより、もはや妖獣。
「‥‥参ったな」
とうとう出たかよ。遊ばれている。いたぶるような浅い傷が、何よりも雄弁に彼の思想を語っている。
「っくしょ、生きて帰ってやるんだよぉ!」
「まったくですね」
笙、佳澄が蒼い貌になって剣を握るのを横目にしながら、ぼんやりと嘆く。真実を知りたかった、しかし、今は、これが何よりの真実。これと戦って活路を切り開くしか、道は残されていないのだ。片手の指にもとどかぬ人数で。
最悪な、真実だった。